東北大震災は鎌倉でも停電やらスーパーでの品不足などさまざまな影響を及ぼしました。鎌倉では歴史的にも大地震や津波の被害が再三にわたって続いています。歴史に名をとどめるお寺も数多く消失したようです。鎌倉災害史を振り返ってみました。

 

 鎌倉時代の大地震としてまずあげられるのは、正応6年(永仁元年)(1293年)4月13日の「関東大地震」です。東大寺の鐘と大仏の螺髪〈らほつ〉が落下した治承元年(1177年)の畿内大地震以来の規模でした。地震に伴う山崩れで人屋が倒壊し、関東全域で2万3034人の死者が出て、大慈寺は倒壊し、建長寺は炎上したとされています(峰岸純夫「永仁元年関東大地震と平禅門の乱」)。大慈寺については全国に同名のお寺があるので鎌倉の十二所に跡があるものと同じかどうか分かりません。鎌倉市文化財課に確認したところ、正応の地震の影響を受けていることは確かのようですが、江戸時代までお堂のことが記録に残っているとのことです。


大仏(津波被害)2
津波に流される大仏殿(太平記より)神奈川県立金沢文庫蔵

 鎌倉の災害を象徴するのは、鎌倉大仏の被害です。建長4年(1252年)に大仏の鋳造が開始されたとの記述は残されていますが、完成日時や鋳造方法などは不明な点が多いようです。「史跡鎌倉大仏殿跡保存管理計画書」によると、まず建武元年(1334年)8月3日、大仏殿の棟梁が大風で倒れ、相模次郎時行らの軍兵5百余人が圧死した(大平記)とされています。次いで応安2年(1369年)9月3日、大風により鎌倉大仏殿が倒壊します(太平記、鎌倉公方9代後記、鎌倉大日記)。

 

明応7年(1498年)8月25日の大地震と津波では大仏殿が再び倒壊し、2百余人が溺死。これによって大仏は露座となります(鎌倉大日記等)。江戸時代になって元禄16年(1703年)11月22日、大地震により台座が崩れ、大仏も3尺ほど下に傾きました(宝永元年訴状及び覚書)。そして大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により、台座が沈下し、像身が傾きました。翌年1月15日の地震では像身が後退し、台座の崩壊が進みました。記録に残っているだけでも鎌倉が大地震を幾度となく体験してきたことは明白です。

 

中世文献学の伊藤一美さんが鎌倉の自然災害の歴史について、コメントして下さいました。

地震の歴史は『吾妻鏡』をくっていくだけでも、毎年のように出てきます。とくに鎌倉後期の正応の大地震では、鎌倉の町中は群発地震が頻発し、円覚寺、建長寺などでの被害が多数出ています。9代執権北条貞時の御内人平頼綱の乱(平禅門の乱)では、地震の混乱に乗じて、時宗は頼綱を殺しています。地震はこうした政変の引き金にもなりました」

中世から近世にかけての鎌倉の歴史は、震災の歴史にもオーバーラップするところが大きいように思えます。