(1月3日)芥川龍之介の「ぼんやりした不安」と同じ心象風景の中で迎えた2012年元旦。孫たちをせきたてて長谷の大谷戸のどん詰まりから尾根越えし、佐助稲荷、銭洗弁天で初詣しました。途中谷戸の住宅がギシギシきしみ、電線が大きく揺れました。正月早々震度4の地震でした。新年の揺れは不安をあおりかねないものに思えました。
静かに参拝できると思っていた銭洗弁天は、狭い境内に溢れるばかりの参拝客が押し掛けていました。籠にお札を入れて、お金がふえるよう祈願して岩窟の水に浸すため列が200メートルを越えていました。みな籠を持って静かに順番待ちしています。やっと私たちの番になりました。6歳になる孫娘が1000円札を入れた籠に柄杓(ひしゃく)で水を2度3度かけました。「ホントに2つになったよ」と目を丸くしました。
神妙にお札を洗う孫娘(高木治恵撮影2012.01.01)
母親が1枚のつもりで入れたお札が2枚だったのですが、孫には霊験あらたかに思えたのでしょう。それにしても若者が多いのには驚かされました。それとなく話に耳を傾けているとOLに見えるのですが、籠の中には1万円のピン札が入っていました。ちなみに私の籠には縁かつぎの五円玉一枚。その格差にポカンとさせられました。インド人の家族ずれや欧米人の姿も見えました。
東日本大震災、福島原発事故、消費税率引き上げ、ギリシャに始まる欧州の財政金融危機、低成長から雇用不安・・・。芥川のように繊細かつ病的ではありませんが、このままだと日本はどうなってしまうのか、「予期を裏切って一つも実をつけていない」(無花果より)人生を振り返り「ぼんやりした不安」に追い立てられるのは私だけ?高額のお札を洗う若者に同じあせりを見るのは、私だけなのでしょうか。
3日の夕方には2年目の年を越した大銀杏のヒコバエの成長を見に鶴岡八幡宮に行きました。境内では参拝客規制のための誘導で30分以上並ばされましたが、写真撮影の妻と私の目的は、石段脇のヒコバエの「観察」です。「途中で止まって撮影しないでください」という警備の警察官にせかされて、流れに乗ったまま移植した切株とヒコバエの変化の跡を夕闇をすかして凝視してみました。
ヒコバエには目もくれず石段を進む初詣客(高木治恵撮影2012.01.03)
12月はじめに訪れたときは新芽が一つもなく、夏から続く「冬眠」状態のままでした。初詣の行列に押されて確認できなかったのですが、ヒコバエの根元で必死に生きようとしている何枚かの小さな葉もよく見ることができません。大銀杏の再生にはちょっぴり不安が高まります。銭洗弁天から鶴岡八幡宮へと、鎌倉世界遺産の現状を探る私たちの2012年正月三日間の揺れ動く情景でした。
大銀杏の光景
(12月3日)鶴岡八幡宮の大銀杏再生を賭けたヒコバエは、冬の嵐が通り過ぎた12月はじめの朝、あいかわらず一枚の葉もないまま「冬眠」が続いていました。10月末には鎌倉に来られたドナルド・キーン先生と一緒に再生の痕跡を見てあるきましたが、それから1カ月たったのに何の変化も見られません。厳冬期を何とか乗り切り、緑に覆われたヒコバエの景観を一日も早く拝ませて欲しいものです。
ヒコバエの根元で芽吹いた新緑(高木治恵撮影2011.12.03)
夏の間は高温対策のために寒冷紗で覆われていたヒコバエは、9月にネットが外されたあとも葉はほとんどなく、そのままの状態が年末になっても続いています。ただ9月にヒコバエの根元で地表から直接数枚の銀杏の葉が出ているのを確認しましたが、その葉に変化の兆しが伺われました。9月と今回の記録写真を比較すると、今回は葉がわずかに黄ばんでいます。9月には葉の下方にさらにこまかい葉が5~6枚芽吹いていましたが、今回は跡かたもなく消え失せていました。ミクロの世界で生存に向けての戦いが進行しているように見受けられました。
八幡宮禰宜の小峰敏司さんにヒコバエの現状を聞いてみました。12月のこの時期に横浜や近郊の銀杏に新芽が出てくるような異常天候のためか、体内時計にも影響が出てヒコバエの発芽が遅れているのかもしれないとおっしゃっておられました。要は季節感がずれているため、まだ新芽が出てこない可能性もあるとのことです。「いずれにしても真夏に寒冷紗でヒコバエを覆わざるを得ないような異常事態は心配で、いつ新芽が出るか心待ちしています」とは、禰宜の再生に向けてのメッセージです。
大銀杏再生の状況について八幡宮職員から説明を受けるキーンさん一行(高木治恵撮影 2011.10.30)
10月末に鎌倉での講演会・シンポジウムに講師として参加された日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、翌日鶴岡八幡宮と建長寺を見学されました。八幡宮では若宮(下宮)でキーンさんが意思を表明された日本帰化に伴う安寧を祈願して正式参拝をされました。その後、鎌倉世界遺産登録推進協議会のメンバーと八幡宮職員の案内で大銀杏再生の現場をご覧になられました。「(800年という)長い時間を生き長らえて来たのですから、再生を急ぐ必要はありません。ゆっくりとみなさんと一緒に見守ってあげてください」と優しい言葉をかけて下さいました。
なお大銀杏再生プロジェクトを担う東京農大教授の濱野周泰さんは、五穀を天神地祇に奉じる神事新嘗祭(11月23日)にヒコバエの現状を視察されました。日差しと強風の影響を考えながら来年以降の再生計画について神社側に説明されたとのことです。
(9月21日)鶴岡八幡宮の大銀杏再生の現場は、夏の高温対策のために覆われたネット(寒冷紗)がいつの間にかはずされていました。でもあいかわらずヒコバエの小枝に葉が生え始めた跡は見られません。厳しい暑さを無事乗り切ったということでしょうか。直接大気に触れた「冬眠」の小枝を見て、新たな不安にとらわれました。
寒冷紗が外されたヒコバエと切株
5月末、切株とヒコバエの2つの大銀杏再生現場は、高温・乾燥防止のための寒冷紗で覆われましたが、8月18日に訪れたときは、4面のネット張りのうち北側の本殿寄りのネットだけが2か所ともなくなっていました。部分的に待機に直接触れていたのです。9月20日にはネット小屋は完全に消えていました。前日まで続いていた厳しい残暑を思うと、急に涼しくなったとはいえ、ちょっと早過ぎるのではないかと気になりました。
再生プログラムに取り組んでおられる東京農大教授の濱野周泰さんが言っておられたヒコバエの「冬眠」現象は、どうなったのでしょうか。9月にはなくなっていましたが、8月に気づいた小枝の先が黒ずんでいた現象は何だったのでしょうか。5月なかばには元気に芽吹いて再生への期待をふくらませてくれた小枝は、ネットで覆われたあとは勢いが一気にしぼんできたようです。
ヒコバエの根元に顔を出した銀杏の葉(上の写真ともに高木治恵撮影2011.09.18)
待機に直接さらされた切株とヒコバエは、外見的には大きな変化は見られません。とくにヒコバエの方は約10本の小枝には、あいかわらず1枚の葉もありません。ただ1か所だけ地表から直接数枚の銀杏の葉が出ていました。再生か劣化か、生存のための厳しい葛藤が繰り広げられているようです。冬眠からの目覚めの兆しといえるのでしょうか。酷暑の夏を乗り越え、実りの秋を迎える兆しとしてわずかな葉の広がりを見守っていきたいものです。
「1億5000万年もDNAを伝えてきた生きた化石の銀杏なのだから、一瞬一瞬の変化に一喜一憂する必要はないよ。長い目で再生を応援していこうよ」
休日になると鎌倉に出てきて山を散策したり、大銀杏の再生を見届けている東京の友人が落ち込み気味の僕を元気づけてくれました。3.11東日本大震災のちょうど1年前の3.10大銀杏の倒伏は、規模の違いこそあれ破壊から再生に至る1つのドラマを演じています。ヒコバエの再生の向こうに三陸の海のにぎわいが見えます。
鶴岡八幡宮の大銀杏は梅雨の真っ最中で暑さが一段と厳しくなっている中で、日光を遮る寒冷紗で覆われて生き残るための臨床治療が続いています。(7月)6日早朝、現状を見に行ってきました。遮光ネットが使われた後、外見から見る限り大きな変化は見られません。でもヒコバエはネットの中で生死の境をさまよっているようです。東日本大震災の津波でたった一本残った岩手県陸前高田の一本松の再生と同様に目が離せません。
人々の祈りに守られて再生への難路を歩む大銀杏(高木治恵撮影2011.07.06)
ネット越しに内部の状況を伺うと、いくつかの変化に気づきました。あいかわらず数本のヒコバエには若葉が再生した跡が見られません。ただ他と比べて高さが三分の二ほどの小ぶりのヒコバエ1本だけに数か所で小さな新緑が確認できました。数メートル離れた太い切株の方は、コモがかぶせてあり、その下の状況は分かりません。コモの間から元気な小枝が伸びていることから、葉がついているのかどうかは分からないものの、ヒコバエよりも成長は良好のようです。
本殿前で掃除をしていた神官は「(再生の道のりは)なかなか難しいね」と言っていました。石段の途中でじっとヒコバエを見ていたご老人は、「(別のところで進んでいる)さしぎの方は順調にいっているみたいですよ」と大銀杏の再生に関心を示していました。再生作戦をになう東京農大の濱野周泰(ちかやす)さんに聞いてみました。
―現状をどのようにみたらいいのでしょうか。
「昨年萌芽した枝から4月には小さな葉が展開してその後、葉は枯れて落ちてしまいましたが枝は枯れてはいません。乾燥していないので、休眠状態にあると考えられます。なぜ休眠状態になったかについて研究中です」
―小さな葉があるものとそのほかの枝だけのものの違いは何なのでしょうか。
「葉が着いている枝は、春先に展開したものがそのまま生育しているものとその後展開したものがあります。何れも休眠からは解放されています。葉のない枝は、休眠状態だと思います」
ちょっぴり二の足を踏んだのですが、思い切って三陸の一本松の「増殖」作戦と大銀杏の再生についてもお聞きしてみました。
「何れも自然の力によるものですが、一本松は生育基盤が70~80cm沈下し水位が上昇して成育環境が大きく変化しました。大銀杏は倒伏時にほとんど根が切断されていることから、現象は異なります。しかしいずれも樹木には生死に関わるものです。このことは、自然は人智を超えた力を持っていることを改めて示してくれていると思います。自然と生き物に絶対はないことを改めて気づかせてくれています」
二つの樹木の再生は文化財保全の理念とも共通するところがあるようです。じっくり見守っていきたいと思います。濱野先生今後もよろしくお願いします。

寒冷紗で覆われたひこばえ(高木治恵撮影2011.06.22) 
1年前の梅雨、新緑に包まれたヒコバエ(高木治恵撮影2010.06.13)
6月2日に訪れたときは、切株とヒコバエが夏期の高温、強光による乾燥などを防止する被覆資材の寒冷紗ですっぽりと覆われているので驚ろかされました。暗いネット越しにヒコバエの状況を見る限り表立った変化は見られません。あいかわらず若葉は一枚もなく、樹高も大きく変わったようには思えません。ただ2日の写真と比較すると小枝が少なくなって、全体につるっとした印象でした。
切株の方は幹全体にコモで覆われているので、枝の成長の状況を知ることはできません。1年前の梅雨の時期に観察したヒコバエと切株の状況とは大きな差がありました。2010年6月13日にデジカメで撮影したのを見ると、ヒコバエは全体が元気に芽生えた若葉で覆われていました。切株の方も幹から伸びた小枝に若葉が育ち、順調に再生し始めたと頼もしく思いました。新緑はなぜなくなってしまったのでしょうか。
「じめじめした梅雨がつづいています。お元気ですか。昨日22日に大銀杏を見に行ってきました。あいかわらず若芽も若葉も全然見えません。昨年の梅雨の時には若葉で覆われていました。この差をどのようにかんがえたらいいのでしょうか。(昨年と今年の梅雨の時期の写真)二枚をご参考に添付いたします」
22日に大銀杏を観察したあと、さっそく濱野さんにメールを送って状況を聞いてみました。
濱野さんからはすぐに返信が送られてきました。
「昨夜(6月22日)、昨今の気温の上昇が気になり養生の様子を見に行きました。発芽はしていませんが、茎は生存しています。茎が枯れないで現在まで着葉しない理由は、よく分かりません。目下、文献など資料を見ながら考えています」
「幹は生存している」という表現が気になります。成長が止まったのは大銀杏の幹が生きるか、死ぬかの瀬戸際にあるということなのでしょうか。濱野さんにも分からない何らかの新たな事態が進行していることは間違いありません。ガンバレ大銀杏、ガンバレ・ヒコバエ!!!
2010年3月に未明の強風で倒伏した鶴岡八幡宮の大銀杏は、順調に再生しているように見られてきましたが、梅雨の時期に入って予想外の異変に直面しているようです。ヒコバエと7メートル離れて移植した原木の株は、それぞれ黒っぽいネットで覆われ、外部からは生育のあとをはっきりと伺い知ることはできません。大銀杏はどうなっているのでしょうか。
ネットで覆われたヒコバエと移植株の再生現場(高木治恵撮影 2011.06.02)
グズグズと冷たい雨が降り続ける6月はじめの昼過ぎ、1カ月ぶりにヒコバエの成長を確認するために八幡宮の境内に行ってみました。驚いたことには株もヒコバエも、ネットをかぶせた小屋ですっぽりと覆われているではありませんか。中はよくわかりませんが、株の方はコモのようなもので囲ってありました。ヒコバエの方も土を盛った根の部分に同じものがかぶせてありました。
倒伏1年の神事が行われた3月10日にはヒコバエの剪定が行われ、100本近くあった小枝も8本ほどに少なくなっていました。5月はじめに見たときは元気に芽吹いた小枝は、ヒコバエが順調に育っていることを示すものでもありました。ところが6月にはネット越しに見る限り芽はほとんど見えません。境内の清掃をしていた植木職人に聞くと「太陽の光から銀杏の若芽を護るためにかぶせたようですよ」と言っていました。
二か所で枝が順調に生育していくのは、八幡宮の新たな景観として定着してきた感があります。新緑で盛り土部分が覆われ、小枝に新たな芽ばえが見えると再生の努力が確実に定着していることを確認できました。それだけにネットによる遮断はショックでした。さっそく東京農大教授の濱野周泰さん(生物環境調節学)に電話してみました。
1か月前は元気な若芽も(高木治恵撮影 2011.05.08)
「葉の成長が遅れています。あの大きさで温度を管理するには温室がいいのですが、技術的に難しいところがあります。そこで湿度を保つために寒冷紗(夏期の高温、強光による乾燥、しおれ等を防止する被覆資材の一種)で覆うことにしました。でも(予想通り育つかどうか)大きい株は予断を許さない状況です。ヒコバエもどうなるかちょっと分かりません。様子をみながら次の措置を考えざるを得ないので、寒冷紗をいつまで張るのか、具体的な期限は考えていません」
ヒコバエと移植の株が再び順調に生育するよう祈るばかりです。
鶴岡八幡宮のシンボルともされていた大銀杏が2010年3月10日未明、折からの雪まじりの強風に倒れてちょうど1年を迎えました。再生を担ったヒコバエがスクスクと育ち、高さ2メートルに達した境内では、さらなる成長を市民や参拝客が職員とともに見守っていこうという祈願のお祓いが快晴の午後、初春の陽だまりの中で行われました。
高天原に神溜り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ・・・・・
神官に従って私たちも大祓詞(おおはらへのことば)を粛々と斉唱しました。政治家がことあるごとに使う言葉であまり評判はよくありませんが、目の前のヒコバエの成長に捧げるものとしてはこれ以上の表現は見当たりません。無宗教の私も生命の再生を祈るという人類共通の思いに長い祝詞も苦になりません。

大銀杏の成長を祈る祈願祭(高木治恵撮影2011.03.10)
40人近い神官や巫女(みこ)、樹木の手入れを行う職人が整列する中、お米やお神酒、海、山、川の幸を捧げる献饌(けんせん)、祝詞奏上、切株とヒコバエの前でのお祓いが執り行われました。背後の石段の上には早咲きの河津桜が満開で春先の神事を盛り上げていました。
倒伏のあと1年にわたって再生の過程を追ってきました。最初は果たして芽生えるのかという不安も残りました。辺りの樹木が黄色く色づいたときにも色調の変化が少なく異変を心配したこともありました。でも1年後の成長ぶりは見事です。7メートル離れた切り株の芽生えを進み、ヒコバエとともに新たな景観として定着してきた感があります。
「剪定を神事で終えました。(再生プログラムを1年にわたって担ってきた東京農業大学の)濱野先生は今日は見えていませんが、剪定にあたってはプロの目で先生の科学的な指導を仰ぐことになっています。ご神木になるのに相応しいものと、そうでないものをしっかりと見極めて、今後のヒコバエの成長を見守っていきたいと思います」
最後に密生するヒコバエの前で神事をおこなった宮司の吉田茂穗さんは、今後の剪定の行方に思いを馳せておられました。
大銀杏の再生は歴史的シンボルとして世界遺産の街鎌倉のドラマを担っていくのでしょうか。そんな希望が芽生えた倒伏1年の光景でした。

明る寂びのヒコバエ(高木治恵撮影
2011.01.13)
鶴岡八幡宮の大銀杏が倒伏して間もなく1年になります。本宮脇の宝物殿で大銀杏の特別展が開催されています。倒伏現場のヒコバエは予想を上回る勢いで生育しており、人々と八幡宮が一体となって再生を静かに見守っていこうという心の証ともいえるでしょう。
大銀杏特別展メッセージ(高木治恵撮影2011.01.13)
「全国より多くの方々がお見舞に駆けつけてくださり、大銀杏が鎌倉を代表するご神木というだけでなく、日本国民の心に深く根ざしているご神木であることを改めて感じさせられました。今回の新春特別展では、ご神木大銀杏を歴史、文化、そして再生といった様々な分野で取り上げられていることを理解すると同時に、これからも人々の心に根ざし続ける大銀杏の再生を想い、てんじしております」
会場に張られた八幡宮のメッセージは、特別展開催の想いを伝えています。宝物殿の入口には「倒伏した大銀杏の一部をご覧頂けます。大銀杏の生命力をお受けください」との案内表示がありました。
展示品には倒木の一部というのが二つありました。まず「乳」。大木には気根という水分吸収、排出を担う円錐形の突起があるものを「乳イチョウ」と呼んでいるそうです。それに根っこ部分の切株がありました。「これで健康になれる」と参拝の家族は子供たちに触れるよう勧めていました。再生過程の科学的推移を期待していたのですが、信仰の対象とは見られていないようです。
「夏の蝶来て遊べかし 大銀杏仆れしのちの この「明る寂び(あかるさび)」
展示されていた3人の歌人が詠んだ大銀杏へのレクイエムのひとつは、鎌倉ペンクラブ副会長で、「鎌倉百人一首」の編者尾崎左永子さんの歌でした。さっそく尾崎さんに想いを聞いてみました。
「大銀杏の倒伏を詠むのがいやでした。作りにくいということもあります。陶芸家辻清明がよく使っていた言葉ですが、同じ寂びの中でもいろいろな寂びがあります。中でも『明る寂び』が好きでした。荒々しいが開放的な明るさがあります。茶室の暗さがなく光が溢れる陶器の味わいがよく出ています。大銀杏の再生の過程を見てこの言葉がふっと思い浮かんだのです」
ヒコバエは葉が一枚もなく、1メートルを超える数えきれないほどの枝が空に向かっていました。まさに「明る寂び」の光景です。感性の世界で大銀杏の生育を見守っていきたいものです。
(2010年)3月10日未明の倒伏から9カ月。ヒコバエと切株の移植の形で再生に向かう鶴岡八幡宮の大銀杏にとっては初めての紅葉の季節です。鮮やかに黄色くなった周辺の銀杏に囲まれて、ヒコバエは心なしか色づきが心もとない状況でした。季節季節に再生の跡を見続けてきただけに、色彩の加減が気になり、植生を管理する東京農大の濱野周泰先生(生物環境調節学)に聞いてみました。
八幡宮の背後の山が美しく紅葉している12月7夕方、切株を移植した方はところどころに葉が群生していました。すぐ後ろの別の銀杏の色づきと比べると緑が多いように見えます。でも一枚一枚の葉は元気がよく、再生の見通しを明るくさせてくれるようです。

再生に向けて成長する切株とヒコバエ(右)(高木治恵撮影2010.12.07)
本殿に向かう石段脇のヒコバエの方は、黄色くなった葉は移植したものよりさらに少なく、正面から見ると右側(石段寄り)は葉はほとんどなく、無数の小枝がすくすくと伸びていました。ヒコバエの根元には黄色くなった葉が落ちて地面を埋めていました。2週間ほど前に見に来たときは薄緑の葉が一様に下向きで首を垂れたように見えたのが、気になっていました。心持ち元気がないように思えたからです。
首を垂れた銀杏を見た直後の12月1日に濱野先生にメールを送って、疑問点をぶつけてみました。6日に返事がきました。質問と回答を再録します。
(質問)朝日新聞の全国版にも2、3日前に出ていたのですが、周辺の銀杏と比べて切株を移したところもヒコバエも緑のままで黄色くなっておりません。これは朝日での先生のご指摘のように「元気に育っている証拠」とみていいのでしょうか。他の銀杏と同じように今の時期になれば黄色くなるのが普通ではないかと素人目では考えてしまいます。
(回答)落葉樹は、着葉期間が長いほど活力(元気)が良いことになります。
気温が低くなっても緑色のままというのは、低温でも生活していることになります。
(質問)ヒコバエの方が葉がちょっぴり元気がなく、だらっと下向きになっておりました。葉が全体的に多過ぎるような気がしたのですが、先生が前におっしゃっておられた剪定作業とも関連しているのでしょうか。いずれ剪定の必要があるとみていいのでしょうか。いつごろ考えておられるのでしょうか
(回答)残っている根から萌芽した枝葉は、落葉してから来年の成長を順調にするために本数を減らすための剪定をします。時期は様子を見ながら決めます。
素人の感想をぶつけるのですから、先生としてもご苦労されることでしょう。でも紅葉シーズンの大銀杏の孫たちの成長過程を共有しているという気持ちです。濱野先生ありがとうございました。
ヒコバエの順調な成長で大銀杏の再生は予想を上回るピッチで進んでいます。倒壊直後から再生を手がけてこられた東京農大教授の濱野周泰さん(生物環境調節学)に半年間の体験について聞きました。とくに鎌倉の世界遺産登録については、「文化のDNA再生」という科学者ならではのメッセージを伝えておられます。

倒壊直後の大銀杏の調査にあたる濱野教授(鶴岡八幡宮提供2010.04.03撮影)
(大銀杏再生のいきさつ)
社叢(しゃそう)学会で神社とかお寺の杜などにかかわる調査研究を進めており、2年前に鎌倉八幡宮の吉田宮司から言われ、森の存続とか、健康の回復することなどでお手伝いをしていました。2009年3月からは遥拝殿の跡地周辺の整備管理にとりかかっていたところ3月10日朝、八幡宮からの電話で大銀杏の倒壊を知らされました。
直後に「再生不可能」という私の考えがマスコミで伝えられました。「再生」というと前の状態にすべてが戻るという意味にとられ、原状回復は不可能だという意味だったのです。すっぱり言わないと迅速な対策が講じられません。おかげで神奈川県の天然記念物指定解除がスムーズにいきました。指定されたままでは幹を切断したり、場所を移動するなどの手当てが滞ってしまいます。現状には戻らないということであれば形が変わり、場所が移動しても八幡宮の理解が得られるということもありました。
根がほとんど切断されているので、冬の終わりとはいえ、木は根をむき出しにされれば乾いてしまうし、養水分の供給がなければ枯れてしまいます。一刻も早く元の土に定着させる必要があります。どうしたら生命の継続ができるような状態にもっていけるかをまず考えました。クローンという言葉をよく使いますが、正確にはクローンというのは先端科学技術というイメージです。
同一遺伝子という点からすると、樹木の増殖にあたって、挿し木とか取り木とか、あるいは株分けとかはすべてクローン技術です。現場を見たときに倒木はしたものの、元の根が地面から引きずりだされていないのに気づきました。断根したのが幸いしていたのかも知れません。大銀杏の萌芽力は根を見たときに、「これはいけそうだ」と判断できました。銀杏は大変生命力の強い木で、挿し木が非常に容易ということもいわれており、一定の高さで植え付ければ、萌芽するだろうという予測も立てられました。
(ヒコバエの成長)
大きい株の方は非常に旺盛な成長といえます。一方で残根した方から険山のように萌芽しているところでは、予想通りかそれ以上の成長です。幸い今年の夏は非常に暑く、ヒコバエの成長にプラスに働いたといえます。暑いので蒸散が進み過ぎたり、水が切れると枯れてしまいます。たくさん生えているヒコバエの中でも競争が起こっている状況です。具合の悪いものは剪定(せんてい)で除伐していただいて管理してもらっています。
雨が少ないということはマイナス要因です。一生懸命灌水して管理されていないと成長は維持できません。5月から6月の梅雨に入る前に日照りが来ると若い葉が痛むので、雨が降らなかったら灌水してくださいとお願いをしました。若い芽が延びていますが、9月下旬から10月に入って急激な低温があると枝の先が痛みます。でも今年は暖冬気味で暑さを引っ張りそうなのであまり危惧はしていません。
(景観上どこまで原状回復できるのか)
元の樹形、景観に戻るには元の樹齢の半分ぐらい、300年か400年の時間がかかると思います。倒れたものと同じ時間の経過がないと、促成栽培ができるわけではありません。とりあえず高さと枝張りだけを出そうとするならば、現在のヒコバエが20メートル、30メートルになるには、恐らく4.50年かかるでしょう。景観的には担保しますが、幹の太さは担保しません。元の銀杏と比べても幹はずっと細いはずです。
現在萌芽種がたくさん出ているのは、元の大銀杏のすぐ後ろです。ここで後継樹となるものを選んで、育て上げるうつもりです。健康状態が悪いものを間引いて、本来元のご神木のような大きさになるべき枝葉を選びだそうとしているのです。それにやはり5年から10年かかるでしょう。ヒコバエを最終的に一本だけにするのか。今も一本に何本かが寄り添っているので、数本をたちあげて、一本の幹として合体させるのか。八幡宮と相談をして決めたいと思います。それにはまだ時間があります。猶予されている時間の範囲内で最善の策を講じたいと思っています。
(これまで再生がらみでどんな仕事を手がけたのか)
私の仕事は材料としての植物、とくに樹木を材料として空間を作ろうというものです。そのために他から木を移植することが多かったと思います。名古屋のテレビ塔に近い久屋大通りにクスノキ、京都の地下鉄工事でケヤキの移植をしたこともあります。現場を見て移植に当たってのアドバイスをするのが主な仕事です。銀杏の移植は学校など2例を経験しています。
(大銀杏の体験に基づく世界遺産登録へのメッセージ)
国の天然記念物でさえ難しい状況の中では、一ランク下の県指定の天然記念物なので、これを世界遺産候補にするのは難しいでしょう。一方で鎌倉は三方山に囲まれているので、その中での生活様式をもっと表に見せると遺産としての価値が生まれるのではないでしょうか。そのためには地域を守るための方策を立てなければなりません。渋滞回避も含めて駐車場とか交通の流れを整理する必要があります。
歴史遺産を守り、鎌倉が持っている文化性の再生のために地域計画の立て直しを図るべきです。生命の継続のために鎌倉が持っている文化DNAをもう一度再生させるべきです。たまたま大銀杏が倒れて、周辺環境の整備とか、あるいはメンテナンスをしていますが、それと同じことが鎌倉の街の周辺整備でもいえるはずです。交通網の整備が典型的な課題なのです。
5月1日にスタートしてブログ「鎌倉の世界遺産登録を考える」が、8月9日でちょうど100日目を迎えました。パソコンにこびりつきの毎日で、写真担当の妻からは「もう少し外に出る時間があった方がいいわよ」と忠告されています。でも生活環境に密着した内容だけに、かってない充実感を味わっています。
100日目を目前に控えた8月7日、鶴岡八幡宮はちょうどぼんぼり祭りの最中でした。毎年楽しみにしてきた夏の宵の恒例行事になっています。でも今年は日本画家平山郁夫さんの絵もありません。劇作家井上ひさしさんの絵も欠けています。亡くなられたお二人を偲んでしんみりさせられました。
社務所の入口に二つのぼんぼりが他のものと離れて立っていました。宮司の吉田茂穂さんが描いた大銀杏のひこばえの図でした。3月強風で倒れた大銀杏の再生を願うものです。午後6時半、2人の巫女(みこ)が恭しくろうそくを灯しました。100日前、大銀杏再生の取材でブログを始めただけに、思わぬ発見に歓声をあげました。
吉田宮司のぼんぼりにろうそくを灯す巫女
さん(高木治恵撮影2010.08.07)
釈迦堂口の洞門の崩壊に出くわしたり、文化庁長官近藤誠一さんが鎌倉に来られた時に案内役を仰せつかって、早朝に雨上がりの名越切通などを回ったことなど、ブログにからむ忘れられない思い出もいくつかあります。そんなブログを発信した時、産経新聞編集委員の宮田一雄さんがご自分のブログでしっかりとフォローしてくれたのが新たな発信のエネルギーとなりました
100日のあいだに設定した章題は「大銀杏の光景」「候補地をゆく」「眠る遺跡の街」「鎌倉と世界」の4本で、世界遺産に絡む雑報は「取材メモ」にまとめました。8月9日をきっかけに新たに「揺らぐ登録」の取材、発信をスタートしました。これからも「文化都市の真価」などのテーマにも挑戦していきたいと思っています。200日目、1年目にまたご挨拶のメッセージを送れることを期待しての100日目のブログです。
県教委世界遺産登録推進担当によると、大銀杏の倒壊という緊急事態にいち早く対応しなければならないとの緊急性により、3月にはとりあえず指定解除し、再生に向けて鶴岡八幡宮などが具体的対応を講じられるように「事実上の解除」を決めたとのことです。おかげで条例上の制約を受けることもなく、ヒコバエも順調に生育しているのでしょう。
その後、県文化財保護審議会などの審議や関連の手続きを経て、8日の正式発表になったのでしょう。県文化財保護条例にも「事実上解除」の緊急措置についての記述があるようです。
正式発表を待って県としては大銀杏再生に向けてのできる限りの支援を淡々と続けていきたいと言っています。再生を陰で支える行政の動きの一端を見た思いでした。
三月十日未明、鶴岡八幡宮のご神木だった大銀杏が強風で倒れて間もなく3か月。再生への思いを託すひこばえも順調に生えてきました。十年、百年先を見据えた再生過程は、世界遺産の理念に沿うものでもあり、鎌倉だけでなく、全国的にも大きな関心を集めております。大銀杏の運命は世界遺産の行方にとっても大きな意味を持っています。鎌倉世界遺産登録推進協議会のニュース用に八幡宮宮司の吉田茂穂さんと県指定天然記念物として管理にあたっていた神奈川県教育委員会文化財・世界遺産登録推進担当課長(インタビュー当時、現在は文化財課課長)の西條由人さんに現状について聞きました。ブログには長いと思いますが、貴重な証言ですので、お二人にチェックいただいた全文を収録いたします。
10.04.03 手前の切株にひこばえが目を出し始めました(高木治恵撮影)
―大銀杏に何が起こったのか?
吉田:大銀杏が倒れたのは、冷たいみぞれ混じりの強風が吹き荒れた3月10日の午前4時40分頃のことでした。私はご本殿の裏の方に住んでおりますので、職員からの電話で大銀杏が倒れたと知らされ、すぐに石段の上の本殿の前までかけつけましたが、それはありえない光景でした。倒れるわけがない。存在そのものが当たり前の古木が横たわっていたのです。足が震えてすぐには倒れた木のそばまで石段を下りてはいけない状態でした。しばらく呼吸を整え、とにかく騒ぐ心を鎮めました。最初に頭を過ぎったのは、責任者として木を守り切れなかったということに対する申し訳なさでした。
現場にかけつけた職員に伝えたのは、千年の長きにわたって神社と参詣者を守り続けてきた歴史に感謝しなければいけないということと、木霊、精霊が宿っているので、静かに休んでほしいという鎮魂の気持ちで、米・塩・酒を木に散供(さんく)することと、重機を手配することでした。この大銀杏の倒れた姿を、大勢の参拝者の目に触れさせたくない、覆い隠したいという思いもありました。
西條:30センチから40センチの口径の大きさの主根4本が、倒木した際にすべて折れてしまいました。大銀杏を診断された東京農業大の浜野周泰先生(造園樹木学)の所見では、4本とも既に枯死していたそうです。残っているのは小さな根で、その根から「ひこばえ」が育つことに期待してそのまま残し、倒れた幹についても、根もとの部分も含めて一段下がった場所に移植して再生を願うことにしたのです。昨年秋に、浜野先生が木の診断をした際には、幹自体には特に問題はなかったとのことでした。ただ幹の下の根の部分までは、気がつかなかったとおっしゃっていました。こうした状況からすると、老衰といった状態にあったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
―どのように再生を考えておられるのか?
吉田:当初再生は絶望と報道されました。しかし後悔をしたくありませんでしたから、でき得る手はすべてやろうと思いました。専門の先生の診断によりますと、根は枯渇し中が洞(うろ)の状態でした。、それでも再生可能になるように、根元から4メートルのところで切断し、元の場所から7メート下段のところへ据え付けました。元の場所に残された根の塊りにある蘖(ひこばえ)を親木が見守る姿になりました。近年言われるような、親子のきずなの崩壊とか家族の崩壊という世相を考えますと、一段高いところに子供の芽が出て、その成長を親が見守る形で再生し、新たな信仰に繋がっていくように考えました。目の前で再生していく姿を見て祈っていただきたい、再生の過程を見守っていただきたいという思いです。
10.05.17 ひこばえが切株全体を覆っています(高木治恵撮影)
―樹齢を調べたらどうかとの声も聞かれるが?
吉田:植物学者が年輪を調べれば分かるようなところもあるだろうと思います。今回もいろいろな学者から調査したいという申し入れがかなりありましたが、一切お断りしました。やはり信仰の対象ですので、調べて何年ということがわかったとしても、どうにもならないことです。吾妻鏡には「別当公卿が石段のみぎりから踊り出て」という表現で、銀杏の影から踊り出て惨殺したとは書いてありません。省略したのだという人もあれば、銀杏の存在が書いてないのだから、当時はなかったのだろうという人もいます。発想は自由です。
西條:伝承的にも古木であるということ、歴史的にも意義がある文化財であるということで、昭和30年に県の天然記念物に指定されました。樹齢に基づいて指定されたわけではありません。市民・県民にとって大切な木だという判断があり、指定されたものと思います。指定後も、大銀杏は八幡宮のシンボルであり、鎌倉のシンボルでもありました。また、今回はもとの状態に戻ることは困難だと判断して、事実上の指定解除をしました。大銀杏のDNAを次代に引き継いでいきたいという気持ちは県も同様であり、再生に向けた取り組みを最優先に考えました。そのため、再生に向けた的確・迅速な対応の妨げにならないように、指定にともなう法的な拘束を早期に解除する必要があったのです。
―世界遺産の観点で考えなくてはならないことは?
吉田:単に建物が新しいとか古いとかは、もちろん重要な要件の一つにはなるでしょうが、かってそこで息づいていた人たちの感性とか思いとか、そういうものが建物あるいは町並みに込められているはずです。それを孫やひ孫へとつないでいこうというのが世界遺産の意義でしょう。魂だとか思いといったものが、時代の経過とともに大銀杏に寄せられてきました。目にする光景こそ変わったものの、その心をつないでいかねばなりません。
まったく偶然なのですが、今まで見えなかった県道が社務所からすかしてみえるようになってきたという状況があり、神社の杜というか植生のことについて考えていかなくてはならないということので、東京農大の浜野教授(造園樹木学)に定期的にお越しいただいて、境内全体をどうするかということを考え始めていたところです。
西條:国指定史跡としての学術的な価値判断という面では、八幡宮の境内全体をとらえているので、大銀杏が倒れてもその価値は何ら変わりません。世界遺産としての価値や評価も変わりません。登録に向けた取り組みについては、市民がここで(大銀杏を)守っていくのだという姿を外に発信することで、武家の古都・鎌倉の世界遺産登録に向けた市民全体の思いが伝わるのではないでしょうか。
神奈川県としては、現在のイコモス基準に合わせて確実に世界遺産登録が図られるよう、文化庁と力を合わせて取り組んでいるところです。国とも考え方を整理しながら、一緒に一歩一歩進めている状況です。昨年まではどうしても地元がまとまらなければ登録はしないというのが国の姿勢でしたが、今では鎌倉にも積極的に目を向けていただき、共同で推薦書作成するための委員会も立ち上げたところです。今後とも国と四県市が一体となって、早期に登録が実現されるよう積極的に取り組んでまいりますので、是非、市民、県民の皆様のお力添えをいただければありがたいと思っています。
(吉田茂穂宮司とは2010.04.10、西條由人・神奈川県教委文化財課長とは2010.03.18にインタビューを行いました)
3月10日の倒木以来、鶴岡八幡宮には樹木専門家や学者から調査の申し入れがあいついだそうです。だが神社側は信仰の対象だとして申し入れを一切断ってきました。
(倒れた大銀杏 2010年3月11日 高木治恵撮影)
樹齢を確定することで学者たちは何をもくろんでいるのでしょうか。考えられるのは三代将軍源実朝暗殺の史実とのかかわりでしょう。1219年(承久元年)1月27日の雪の夜、八幡宮では右大臣就任の拝賀式が行われました。実朝が拝礼を終えて石段を下りてきたところ、銀杏の木陰に隠れていた二代将軍源頼家の子公卿が襲いかかり殺害します。「隠れ銀杏」ともいわれる由縁です。
事件当時は銀杏の木は身を隠せるほど大きくなく、実際は石段の際に潜んでいたともいわれます。ただ悲劇の舞台として大銀杏が伝承として伝えられてきたようなのです。
暗殺を記した「吾妻鏡」には、「別当公卿が石段のみぎりから躍り出て」とあり、「銀杏の陰から躍り出て」とは書かれていません。省略したのだとか、書いてない以上は銀杏は当時は存在していなかったのだろうと一歩踏み込んだ説も聞かれます。いずれにしても真相は不明です。
1955年に大銀杏を指定天然記念物にした神奈川県では、樹齢に基づいての判断ではなく、市民・県民にとって大切な古木であり、歴史や伝承を重視したものだとしています。そこで樹齢を調べたことはないし、今後もその方針には変わりはないとのことです。
八幡宮以外に「勝福寺の大銀杏」(小田原市)、「浄見寺のオハツキ銀杏」(茅ヶ崎市)、「鶴峰八幡の銀杏」(茅ヶ崎市)の三か所の銀杏の木も県指定天然記念物になっています。信仰の対象ということでやはり樹齢調査は行われていないのでしょうか。
3月の倒木のあと、八幡宮の大銀杏は神社側の再生の努力を阻害しないようにとの行政上の配慮から、天然記念物の指定が解除されました。なくなったものをいつまでも指定しておくわけにもいかないとの判断もあるのでしょうが、再生の方はどうなるのでしょうか。危機の際の「指定」の役割はないのでしょうか。現に世界遺産では危機遺産への比重が大きくなっています。
鶴岡八幡宮は24か所ある鎌倉の世界遺産候補地の一つで、「武家の古都鎌倉」の歴史や伝承を継承する象徴的な文化遺産です。大銀杏は源氏の氏神として八幡宮が創建されて以来800年にわたる歴史を見据えてきました。大地震、火災、動乱さらには開発などで古都の景観がほとんど消滅した鎌倉にとっては、貴重な存在だったといえます。
大銀杏の倒壊によって世界遺産登録には影響がないのでしょうか。県の天然記念物として保存管理にあたってきた神奈川県教育委員会では、八幡宮の境内全体が世界遺産の対象となる国指定史跡なので、大銀杏が倒れても史跡としての価値は何ら変わらないとしています。
(2009.04.12 ありし日の大銀杏 高木治恵撮影)
そこで登録に向けて、住民の力で大銀杏の再生を支えていこうという姿を発信していこうというものです。この取り組みは倒壊という悲劇を生かす逆転の発想でもあります。
鎌倉の世界遺産運動のもっとも顕著な特徴は、住民の総意が欠如していることです。鎌倉が暫定リストに記載されて20年近く登録されないのも、基本的には住民の総意がないことが大きな原因だと思います。
大銀杏の長い歴史への思い、ヒコバエの芽吹きへの住民・参拝者の心情には、鎌倉を世界遺産にしようとしようとする精神構造に通ずるものがあるように思えるのですがいかがでしょうか。
ちなみに3月17日に境内に設けられた大銀杏の再生を願う署名簿には、5月6日までに6万人の署名が寄せられ、住民、参拝者の再生への期待の大きさを物語っています。
「鎌倉の世界遺産登録を考える」は言葉を変えると「鎌倉はなぜ世界遺産にならないのか」の問いかけです。まず鶴岡八幡宮の大銀杏について考えてみたいと思います。
ゴールデンウィークの2日、八幡宮は初詣の情景を思い起こさせるような大混雑。石段の下で止められた長蛇の列に驚きました。境内で人波をかきわけて耳をそばだててみると、大半は3月に強風で倒れた大銀杏の再生の様子を確認するために来たようです。
小学生の孫娘に「あなたが成人式を迎える時にはどのくらい大きくなっているのかね。おばあちゃんも元気でいたい」と大銀杏の再生の様子を見ながら話している光景も目に付きました。
もとの場所から7メートル離れて植えられた胴切りの本体にも若葉が芽吹いています。根から生えたヒコバエが何十本も輝いています。木霊を宿すご神木ということもあるのでしょうが、再生の兆しははからずも日常私たちが見過ごしている樹木の生命力に目を向けさせてくれるのです。
植生が始まった八幡宮境内 ( 高木治恵撮影2010.04.03)
これから数回にわたって大銀杏にかかわるテーマを思いつくままに提起していきたいと思います。
①大銀杏と世界遺産
②樹齢・年輪調査はなぜ行わないのか
③神奈川県指定天然記念物の解除
④関係者のインタビューなどを予定しています。
プロフィールに書き足したフォトグラファーの妻(治恵)のメッセージを付け加えます。(HARUEひとこと1)
「写真撮れよ」と夫に誘われ写真を担当することにしました。私は鎌倉研究会のひとりとして10年余り鎌倉の町をウォッチングしてきました。「まちづくり」をテーマに古都鎌倉と開発が進む新しい街並みとのコラボレーションを考え、未来の都市景観をさぐったりしています。今回は夫婦で同じテーマで語り、歩くのも面白い。カメラを通して世界遺産登録に向けて歩み続けている鎌倉の街の姿を撮りたいと思っています。
