菊水護国のblog

このブログは、顕正会在籍10年、日蓮正宗に帰伏して17年の菊水護国のブログです。

 この9月18日~19日にかけて、大石寺の寛師会に行ってきました。

 そこで、数人の元顕正会員(法華講員)にお会いし、私菊水護国がブログを作ってはいるが、すでに仮死状態(大爆笑)であることを言ったこともあり、この際復活することを決意しました。


 さて復活第1回を何にするか考えましたが、顕正会といえば「国立戒壇」と言うこともあり、あえて戒壇について触れてみたいと思います。


タイトルの「三時弘經次第」とは、三時の上から採用すべき教法と、末法のあるべき次第を宗祖がお示しになられたものであります。
 「三時」とは、
   一、正法千年流布 小乘 權大乘
   一、像法千年流布 法華迹門
   一、末法萬年流布 法華本門
 でありまして、小乘・權大乘、法華迹門、法華本門を三時の上から示されております。

○垂迹の次第

 像法の付囑を藥王菩薩とし垂迹神を天照・八幡の皇室神として迹化垂迹を明らかにされたのであります。
 末法本門に於ては付囑を上行菩薩とし、垂迹神を天照・八幡の皇室神として本化垂迹の次第を明らかにされたのであります。

◎師檀の次第

 像法の大戒師は傳教大師であり發願主は桓武天皇との迹化師檀を明らかにされる。
 末法の大戒師は日蓮大聖人であり、發願主は當御代(今上天皇陛下)との本化師檀を明らかにされます。

 戒壇論から考察するならば、像法戒壇の大戒師は傳教大師で發願主は桓武天皇となります。
 末法(本門)戒壇の大戒師は「本門の大師」と自負遊ばされた日蓮大聖人であり、發願主は當御代即ち今上天皇陛下であらせられるのであります。

 「三時弘經次第」とは末法萬年本門の戒壇の指示書とも言えないでしょうか。
 如何なる人師・論師が示すよりも、最も正しい戒壇指示書と仰ぎ奉るものであります。


 「三時弘經次第」には、三時の「佛法流布の次第」を明らかにされた後、「今末法に入つて法華本門を立てゝ國土を治むべき次第」を示されたのであります。


 【今末法に入つて法華本門を立てゝ國土を治むべき次第】


 正法、像法、末法を佛説でいうならば、前段の如く、正法が小乘・權大乘であります。
 内、像法、末法は法華經一部八卷二十四品を二門に分かつ。即ち法華經序品第一より安樂行品第十四を迹門に、法華經從地涌出品第十五より普賢菩薩勸發品第二十八品を本門に分かつのであります。
 像法は天臺大師の御著よろしく、内鑒令然の如く本門を明らかにし給わず、迹門であります。
 末法は時適う故に法華經本門の時代なのであります。
 本門の捉え方が重要でなのであります。
 宗祖日蓮大聖人様を大菩薩などと下げ、釋尊を如來壽量品第十六文上の久遠實成佛程度にしか拝せない一致派は天臺宗の餘流の内にして、「天臺宗日蓮派」と名付けるべきであります。故に昭・朗・向の三師は申状に自らは「天臺沙門」と称するのであります。この故は南無妙法蓮華經如來が大日本國大國聖である日蓮大如來との了解し得なかった證左であります。
 眞の法華本門とは如來壽量品文上の久遠實成如來ではなく、文の底に祕し沈め給う、所謂、久遠元初佛であり、教主釋尊の本地明らかに宗祖日蓮大聖人の義なのであります。


 「三時弘經次第」は、「今末法に入つて法華本門を立てゝ國土を治むべき次第」として、先づは法華迹門を示されるのであります。


  【桓武天皇と傳教大師と共に迹化付囑の師檀と爲りて爾前を破し、
  迹門を立てゝ像法を利益し、國土を護持すること之を圖す】。


 「師檀」とは、師は単なる僧侶を示すものではなく戒壇の大戒師を示し、檀とは単なる檀家・檀越を示すものではなく戒壇の發願主(御代の天皇陛下)を示すものであります。
 「爾前を破し、迹門を立てゝ像法を利益し、國土を護持する」とは迹門の立正安國論であります。



           ┌付囑弟子 藥王菩薩 傳教大師┐
   迹門寺     │              │
  比叡山 始成釋迦佛┤              ├┐
   像 法     │     天照大神     ││
           └垂迹神       桓武天皇┘│
                 八幡大菩薩     │
                      ┌────┘
                      └迹化垂迹師檀


 像法時代の法華迹門寺(法華迹門戒壇)
 形の上で釋迦佛の付囑弟子として傳教大師を挙げられ、傳教大師は藥王菩薩の再誕とされるのであります。
 垂迹神は、天照大神・正八幡大菩薩であります。この垂迹には二義ありと拝察し奉るのであります。一義は産湯相承にお示しの如く、大日本國古代の天照大神は時に適いて日蓮大聖人が迹を垂れ給う義なり(所謂「佛本神迹」の御法門)。もう一義は高橋入道殿御返事に曰わく「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり」との義と拝察し奉るものであります。
 天照大神はニニギノミコトを派遣し給う國の初め給いし神にて、八幡大菩薩の迹地は應神天皇にして國を護り給う神であります。この二柱の神は時に順いて迹を垂れ、その本地は御本佛ということであります。
 像法時代は釋迦佛を拝して、傳教大師を大戒師と仰ぎ、桓武天皇を根本道場の發願主とし、その道場にて天照・八幡の二柱に法味を捧げ奉れば法華迹門戒壇という姿なのでありましょう。



 ここで注意すべき点は、迹門戒壇は御下賜金はあったかもしれないが、国庫による建立ではなく、あくまでも戒壇建立の基本要件は建設費用・労力ではなく勅許だということであります。
 天臺宗に法華圓頓戒壇の建立が国庫の全支出で行われたという古文献が発見されない限りは、「国立戒壇」との言葉は暫し不適切と退けるのが、科学的大日蓮主義者の採る道であると信ずるのであります。(「暫し」とは発見されないイコール事実がなかったとは、科学的に言えないので「暫し」とした。)


「三時弘經次第」は、迹門を圖示された後次のように続くのであります。


 【今日蓮房共に本化垂迹の師檀と爲りて迹門を破し、本門を立て
  ゝ末法を利益し、國土を治むべきこと之を圖す】。


 末法に入った今日では、法華迹門戒壇は全く利益がないのであります。
天臺宗の法華迹門を破し、法華本門の日蓮大聖人の佛法によって「國土を治む」れば、日蓮大聖人と時の天皇陛下は「師檀と爲」るのであります。
ここで注意すべき点は、我が国の古典学上の統治とは「シラス」であり、「ウシハク」ではないので、「國土を治むべき」とは必ずしも天皇親政を示すものではなく、武家政治下や民主主義下に於いても不変の原則であり、国民統合の象徴としてシラスされるお立場なのであります。
 「べき」とは天意(天皇陛下の御意)に必要性を訴える天奏、日蓮正宗伝統の立正安國論の大精神であります。
 この文全体は本門の立正安國論を示す御文と拝し奉って、差し支えないと考えられるのであります。



           ┌付囑弟子 上行菩薩  日蓮聖人┐
   本門寺     │               │
  冨士山 久成釋迦佛┤               ├┐
   末 法     │     天照大神      ││
           └垂迹神         當御代┘│
                 八幡大菩薩      │
                       ┌────┘
                       └本化垂迹師檀


 久成釋迦佛とは久遠實成の御本佛であり、その久成釋迦佛から見るならば上行菩薩は久成釋迦佛の付囑弟子であります。上行菩薩の本地は日蓮大聖人であり、日蓮大聖人こそ久遠元初の根本佛なのであります。


 「本門大師」を自負せられた日蓮大聖人が根本である法華本門の大戒師であり、當御代即ち今上天皇陛下が發願主というお定めであります。これにより今上天皇陛下が本化聖天子となるのであります。


 高橋入道殿御返事に曰わく


「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり」と。


 この御妙判は天皇陛下イコール天照大神ではなく、天皇陛下の玉體に「御魂の入りかわらせ給ふ」のであり、イコールではないのであります。此処をイコールに解釈してしまうと田中智學氏の如く天皇本佛論となってしまうのであります。あくまでも「入りかわらせ」であってイコールと解釈してしまってはならないのであります。
 牧口常三郎氏の天照大神との「天皇一元論」は、智學氏と全く同じ陥穽であると考えられるのであります。
 落ち着いて考えてみれば、「入りかわらせ」は皇位継承後から崩御までの代入のことであり、代入はイコールの如く敬い奉るべきではありますが、直ちにイコールではないと分かるのであります。
 イコール論者がいるのならば、皇位継承以前の先帝と今上帝との整合性を考えるべできあります。

 兎にも角にも、本門戒壇は三時弘經次第を純粋に捉え奉るべきであります。


【 天照大神の勅に曰く「葦原千五百秋の瑞穗の國は是吾が子孫の
  王たる可き地なり、宜しく爾就て治らせ行く、寶祚の隆へまさ
  んこと天壤と窮まり無かる可し。」
  孝經に云はく、先王正直の徳を行ふときんば四方の衆國皆法則
  に順從するなり】。


 「天照大神の勅」とは「神勅」と呼ばれる御文であります。神武天皇の御先祖であらせ給うニニギノミコトに下された神勅であります。「葦原千五百秋の瑞穗の國」の「國」、「是吾が子孫の王たる可き地なり」の「地」とは、本國土妙を示すものであります。「子孫の王」とは御代々の天皇陛下のことであります。
 このように恐れ多くも萬世一系の皇統が恙ないのも、佛法を淵源とする御神勅によるものであります。
 しかし善神守護の根本は、天照大神が玉體に入りかわらせ給ひても、「今日蓮房共に本化垂迹の師檀と爲りて迹門を破し、本門を立てゝ」即ち本門戒壇を建立し「末法を利益し、國土を治」めなければならないのであります。

 以上、あえて戒壇論を展開しながら、やんわりと浅井君を破させていただきました。
もっとも教学の浅い浅い先生にこれがわかるとは思えませんが、





両眼滝のその日まで様より、コメントがありましたので、あらためてご返答申し上げます。


>>あなたは、健康ですか?
>>あなたは、日常生活に満足をされていますか?
>>あなたの心は喜びで満たされていますか?
>>もし、自分は幸福ではないと思われるのでしたら、諦める必要はどこにもありません!
>>次のステップを踏むだけで、どのような人も必ず幸福になることができます!


ここで幸福です。なんて答えたら終わってしまうので逐次御返答しましょう。


>>【幸福になるためのステップ】
>>①冨士大石寺顕正会に入信する
>>(幸福になるための必須条件で、お金は要りません。)


正確には宗教法人顕正会です。
大石寺とは無関係です。
さらにお金もいります。
機関誌は強制的ですし、年末には「広布御供養」として会費を徴収しますね。


>>②朝晩のお祈りを毎日欠かさず実践する
(富士山の方角に向かい、法華経方便品・寿量品の読誦と南無妙法蓮華経の題目の唱題)


富士の方角?
つまり山岳信仰ですか?


>>③仏法の素晴らしさを人に伝え、御本尊様に縁させる。


御本尊の定義は・・・
偽本尊を拝むんですよね。


>>信じられないかも知れませんが、たったこれだけで絶大威徳・大慈大悲の日蓮大聖人の凄いお力を体験する

事ができます。

偽本尊を拝むんですから、魔が手助けしてくれるんですね。


>>顕正会に大功徳、大歓喜が満ちている理由は、日蓮大聖人様の御命令である「国立戒壇」建設を目指してい
る唯一の団体だからです。


国立戒壇なんて、日蓮大聖人は御命令してませんね。


>>そのため、日蓮正宗法華講や創価学会から続々と入信した人々は、卓越した無二の師匠・浅井昭衛先生の
>>御指導と鮮やかな功徳に涙を流し、口々に「今迄、宗門(日蓮正宗)や創価学会に騙されていた!本物に出>>会えて良かった!」と喜んでいます。


どのような団体でも挫折者はいます。
公称150万人実働5万人の団体こそ挫折者の塊です。


>>大切な御家族、御友人を救うため、また、自分自身の幸福のため、是非、冨士大石寺顕正会に入信なさってください!
>>難攻不落の無敵の教学力を身に付けておられる無二の師匠・浅井昭衛先生の御指導のもと私達顕正会員と共に、幸福になりましょう!


そうですか?
浅井先生が無二(二つとない)の師匠何ですか?
日蓮大聖人は無視ですか。

013
どんだけ空けるんだ?笑
本ブログは一昨年の末に作成しました。
しかしその後数回書いただけで、まったく更新せずに今日まで来たので、廃止したと思われています。
もったいないので、無理せずに更新しようと思いますので、宜しくお読みください。

再開第一回として、やはり日蓮正宗の化義の話をしようと思いますが、まずは水について。

日蓮正宗では毎日、水をお出しすると思います。
在家の方は、基本的には一器、信仰が進むと三器の方もいますか?
それでは寺院はどうか?

知らない方は、参詣の砌に拝して頂きたいが、六器あります。
この六器には深い意味があるので、それを見てみます。

まず寺院の六つの器であるが全てが水ではありません。水が入っているのは真ん中2つだけです。

上記の画像は日蓮正宗教師必携という、御僧侶の書籍をスキャンしたものであるが、まあこれを見ればおわかり頂けると思います。

右から華香水水香華の順。
一番右    →「樒の三つ葉」
          「無作三身を表す」
右から二番目→「樒一葉の先後を除きその上に香をおく」
          「無始無終の境智を表す」
右から三番目→「樒一葉の先を入れ水を入れる」
          「本門不変真如の理を表す」
右から四番目→「樒一葉の先を入れ水を入れる」
          「本門随縁真如の智を表す」
右から五番目→「樒一葉の先後を除きその上に香をおく」
          「無始無終の中道を表す」
右から六番目→「樒の三つ葉」
          「自受用報身を表す」

図には以下のように解説があります。

〇朝上げるときは、一念三千と開くゆえに、水香華の順に上げ、夕下げるときは三千一念の収まるゆえに、華香水の順に下げる。
〇水は清水(早朝汲み初めの清水)に限る。湯茶を用いてはならない。
〇香は抹香を用いる。線香を用いてはならない。
〇朝は勤行の前に上げ、夕は勤行の前に下げる。
〇総本山では、六器の前に樒の三つ葉、及び一葉を歴代に供えている。
 末寺では歴代に樒の葉を供えなくて良い。

これを見ると、寺院の化義も一つ一つに深い意味があるのが分かります。
今回は、紹介に終わってしまいましたが、今後も書いていきますのでお願いします。

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