2014年01月07日

一とせに一度摘まるる薺かな

“ひととせにいちどつまるるなずなかな” 元禄七年 五一歳の句

Only once a year,
They are picked to be admired:
shepherd's purses!
(Translated by TOSHIHARU OSEKO)

1月7日、今日は七草の節句。
とはいっても、旧暦ではないので、
七草を集めるにはちょっと早いようです。

年に一度だけ、人々の関心を誘うこの日の薺、
普段はただの雑草なのに、この日だけは違うよ、という。

初稿はどうやら「若菜かな」と詠んだところを
あえて「なずなかな」と詠み変えたところに、
年に一度だけ関心を誘う物の、存在感の落差、を、
際だたせたのだろう、と思われます。

ちょっとこの文のオチを付けるのに、
ひととせにいちどだけのアゲアゲのもの、って、
考えてみたのですが、
思いつきませんでした。
なずなに変わるモノは、ない。

芭蕉は、では、なずなに何を投影したことでしょう。
元禄七年は、芭蕉にとって最後のお正月となった年。
その命を終える時まで、あと十一ヶ月となった、その時。
死を予期していたとは思えませんが、なにかこう、
ひっそりと地味に、小さな命を咲かせるなずなの花を、
手のひらでそっとすくうように
慈愛で包んだような味わいがあります。

今までの人生の中で、気づかず取りこぼしてきた素敵なモノはないか、
ちょっと考えて見たくなりました。

菓子はきんとん製の薺 です。

薺There is a flower called the shepherd's purse. I eat this, only once a year, the Japanese, the date of after one week from New Year's Day. , Because they are to be good for health. But, this flower, is only a weed usually. Basho and must have felt regrettable love this flower, I felt. For Basho, and it was with last New Year of life.

kikyou0123 at 20:24│Comments(0)TrackBack(0)

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