西の座敷わらし

とある冬のお話

 
 僕は少女を起こしていいものか迷った末、まずは警察を呼ぶことにした。受話器に手をかけた途端、少女が寝返りを打った拍子にずでんと床に身体を打った。 

 少女は身を起こし、目を半分だけ開いて辺りを見回す。不思議の国のアリスといった容貌の少女はやたら瞳が大きく、どことなく人間離れした雰囲気を持っている。美少女といえばそうだが、人というより人形的な美しさがあった。

「そうだったわ、私、あなたの家に来たんだった」と彼女は独り言のように呟いた。「これからよろしくね」

 彼女は僕に笑みを送った。僕は状況が飲み込めず頭が真っ白になった。

「もしかして、家出してきたのか?」

 少女にそう尋ねる。彼女は首を振って否定した。

「いいえ、以前は他の人のお世話になっていたんだけど、訳あって一緒に居られなくなったの。だからこっちに来たのよ」

 無理に構わない方がいいと思い、警察に通報するため電話を取った瞬間、電話機のコードが切れた。ぐるぐるにカールしていて質感も固いこのコードが切れたのは初めてだった。

「私を置いといて損は無いと思うわよ」

 少女は勝手に語り始めた。

「前の人は私がいてすごく幸せそうだった。私の事をざしきわらしと呼んでかわいがってくれたわ」

「座敷わらしだって?」

 僕は彼女の頭から足元を移し見た。こんな西洋風の座敷わらしがいるものか?

「あなたは私をここに置いてくれる? それとも、寒空の下に放り出すの?」

 彼女はこちらににじり寄ってくる。胸元のボタンが三つ開いていて、白い肌が少し見えて僕は顔をそらした。

「人を養う余裕なんて無いよ」

 変に刺激したら事件が起こるかもしれない。なるべく穏便に済まそうとした。

 彼女は言葉を無視して、僕の顔をじっと見つめながらじりじりと寄ってくる。顔が数センチの距離まで来た時、彼女の顔がパッと明るくなった。

「あなた、結構かっこいいのね」

 彼女の顔が僕に近づく。僕は反射的に顔を離した。彼女が放つ甘い香りが、不思議と僕の警戒心をほどいていくのを感じた。

「今夜は寒いし、一緒に寝てあげてもいいわよ」

 彼女はそう言ってまた微笑んだ。

「明日になったら帰ってくれよ」

 僕はそう言って布団を敷いた。彼女を布団で寝かせ、僕は床の上で横になった。もう警察につきだそうという考えは失せていた。

 夢を見ているがかすかに意識が残留している、そんな眠りにつく寸前の状態の時に少女が掛け布団と一緒に僕の上に覆いかぶさってきた。

 少女がそっと僕と唇を重ねた。柔らかい感触と薄甘い味が抵抗する気を鎮めた。

僕が彼女の背中に腕を回して抱きしめると、彼女は嬉しいと呟いた。カーテンの隙間から漏れる月明かりが、幻想的で優しい空気を作り出し、僕らを抱擁した。


 人は常に小さな幸福に包まれているという事を学べたのは大きな収穫だった。


 その日、十九歳になった僕は、浅く積もった雪を踏み歩きながら、十代最後の年をどう過ごすか思案していた。

 恋人の家から帰る途中。夜遅い為、僕以外に住宅街を歩く者はいない。料理の不得意な彼女の作ったバースデーケーキのしつこい甘みが口の中にまとわりついている。

 ひとつ年上の恋人、丸子は何をしようか悩んでいるうちに二十歳を迎えて後悔しているらしい。その話を聞いた僕は、充実感に満ちた状態で大人になってやろうと決意した。

 決意したのはいいけど、やりたい事というのがなかなか思い浮かばない。普段、やりたい事やるべき事が多すぎて一日が二十四時間、一年が三百六十五日では全然足りないと思っていたけれど、いざ本当にやりたい事を考えてみるとなかなか出てこない。

 自分の住んでる町のラーメン屋を全制覇しようか。いや、そんなの大人になってからでもできる。本を百五十冊読破しようか? それは家に閉じこもりっきりになってしまいそうで寂しい。

 悩まないと決めたのに、あれこれと考え込んでしまう。何か思いついても、それよりもっと大事な事があるのではないか、本当にそれが自分のやりたかった事なのだろうかと追求してしまう。


 
 ふと夜空を見上げる。雲が空を隙間なく埋めており、大粒の雪が優しく舞い降りてくる。

 雪にほんのり心が癒されるのを感じ、僕の中にある想いが湧いてくる。

「幸せになろう」

 大人になった僕に十九歳の今を思い出させて、あの頃は幸せだったと言わせてやろう。

 それにはどうすればいいか。とことん好き勝手に遊んでしまおう。ラーメン屋巡り、膨大な数の読書、その他いろいろ。欲張って全部こなしてやろう。うん、これは良い考えだ。

 今後の方針を決定した僕は、今度は何から手をつけようかとうきうきしながら悩み始めた。そのうちに、自宅に到着した。

 僕は大学生になった今年の春から、祖母が持っているアパートに身を寄せていた。おんぼろ故、僕を含め三人しか人が住んでいなかった。虫やねずみは何匹居るかわからない。

僕以外の二人は大学生と専門学生の女性で共にかなりの美人。同じ建物の住民なのに彼女らとはほとんど交流が無かった。



 アパートに着いた時、夜中だというのに専門学生の美女と出くわした。こんばんはとだけ挨拶をした。彼女の名前も年齢も知らない事に僕は気付いた。

 充実した年にするには積極性が大事だと思った僕は、初めて自発的に雑談を持ちかけてみた。

「こんな時間までお仕事ですか」

 言った後で、いきなりプライベートに踏み込んだ事を尋ねるのは失礼だったなと反省した。

 彼女は僕に話しかけられた事に驚いたのか返答まで少し間を置いた。

「ええ、今日夜勤があって」

「大変ですね」

 僕はどちらかといえば内向的な性格だと自己評価していたが、話しかける事はすんなりとできた。しかし、会話を続ける能力に欠けていた。

「あなたも仕事ですか?」

 今度はこちらが聞かれた。

「いや、ちょっと知り合いの家に遊びに行ってて」

「そうなんですか」

 ぎこちない会話のキャッチボール。お互い口が下手で似た性格なのかもしれない。

 会話が途切れると、彼女は「それじゃ、おやすみなさい」と軽く頭を下げて部屋へと帰っていった。

 もうちょっと上手に話ができれば……と僕は少し苦い味を噛み締めつつ自分の部屋のドアに鍵を挿そうとした時、違和感に気付いた。

 鍵が開いている。

 出かける時に鍵を締め忘れたのだと思い、改めてドアを開けて中に入ると、つまづいて転んでしまった。何か落ちてる訳でもないのに何につまづいたのか。さっぱりわからない。

 靴を脱いで部屋に上がった瞬間、何か踏む感触と卵の殻が割れたような音がした。電気をつけて踏んづけた方の足を上げると、ゴキブリが床で潰れていた。

 卒倒しそうになりつつ後片付けを済ませる。布団を敷こうと押入れを開けると僕は悲鳴をあげて尻餅をついた。同時に尻でまた虫を潰した。おんぼろのアパートといえどそこまでゴキブリはたくさん出ないのだが、今日は運が悪いようだ。

 おそるおそる、もう一度押入れの中を覗く。

 押入れの中で女の子が横になっていた。死んでいるのかと焦ったが、眠っているだけだった。この子の事は置いておいて、とりあえず殺した虫の処理を進めた。

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