2008年01月19日

追悼展示会 アニメーター逢坂浩司展

613af7a9.jpg東京アニメセンターでは、2007年9月24日に逝去したアニメーター逢坂浩司氏が携わった作品の資料などを集めて展示し、同氏の軌跡を振り返る企画展を行います。

逢坂氏がキャラクターデザインや作画監督を担当した「機巧奇傅(からくりきでん)ヒヲウ戦記」「機動戦士Vガンダム」「鋼の錬金術師」「獣王星」などの原画・イラスト及び、同氏の関係者による追悼文の掲示、制作アニメ作品のオープニング・エンディング映像集のモニター上映などを通じて、スター・アニメーター逢坂浩司氏を悼むと共に、功績を回顧します。

■会期 1月22日(火)〜2月17日(日)
[ 休館日:1月28日(日)、2月7日(木)、8日(金)]
■時間 11:00〜19:00
■会場 東京アニメセンターイベントギャラリー
      千代田区外神田4−14−1 秋葉原UDX 4F
      JR秋葉原駅電気街口徒歩3分
      電話:03-5298-1188
       http://www.animecenter.jp
■入場料 無料
http://animeanime.jp/release/archives/2008/01/post_113.html

展覧会は今年の11月27日から12月9日まで、杉並アニメーションミュージアムで開催された同じタイトルの追悼展示会の内容を再構成したものになるそうです。
杉並の展覧会には、逢坂浩司氏を偲ぶファンの方々が数多く訪れておられました。
しかし、開催期間が限られていたこともあり、訪れることの出来なかった人も多いに違いありません。
今回は、秋葉原駅に近い東京アニメセンターということもあり、より多くの人が訪れることが出来そうです。
日本を代表するアニメーターであった逢坂浩司氏の業績を、この展覧会でもう一度振り返っていただければと思います。

私も微力ながら、展覧会に協力させていただきました。
『ドリームハンター麗夢』のDVD-BOX制作時に逢坂さんに描き下ろしていただいた「ジャケット・イラストの原画」、購入特典に使用されるはずであった「サイン入り色紙」の提供と、当時に描かれたOVA版の「オリジナル・ジャケット原画」「版権イラスト」の版権元からの提供の手配をさせていただきました。

これは、逢坂さんの同僚の小森高博さんが、声をかけて下さって実現しました。
近年のボンズ作品だけではなく、アニメアール時代の代表作『蒼き流星SPTレイズナー』『鎧伝サムライトルーパー』『ドリームハンター麗夢』も展示作品に加えていただければ、というのが私の強い望みだったので、とても嬉しく光栄なことでした。

また逢坂さんは、初作画監督作品である『星銃士ビスマルク』では、版権イラストを描いておられませんでしたが、原画参加の『蒼き流星SPTレイズナー』の版権イラストは、多く描かれておられました。
ただし、作画監督作品ではないとの理由からか見送られたのかと推測しました。

しかし、意外な形で『星銃士ビスマルク』と『蒼き流星SPTレイズナー』が取り上げられて驚きました。

ボンズ社長の南さんの司会で、アニメアール時代の同僚の方々、吉田徹さん、糸島雅彦さん、沖浦啓之さん、浜川修二郎さん、小森高博さん、木村貴宏さんでの、逢坂さんを偲ぶトークショーがありました。
もう往年のアニメアール・ファン垂涎の面子でありまして、壮観の一言でした。
入場はメールでの申し込みによる先着順でしたが、受付日数時間で全て埋まったとのことです。
漏れた方々が大勢いらしまして、別室のモニター中継での観覧という処置が取られました。

私は、事務所スタッフと取材パスを取らせていただき、入場させていただきました。
そして、そのトークショーのあとの作品上映で『星銃士ビスマルク』『蒼き流星SPTレイズナー』の最終話上映があったのです。
意外な形とは、このことで、これもまさに望外のことでした。

上映後、展示物の原画の数々を閲覧しました。もう素晴らしいの一言でした。
多様なキャラクターを描き分ける圧倒的な技術力、美しい描線と影、巧みなレイアウト。
全てに、逢坂さんの几帳面さ真面目さという、人間性が反映されたものでした。

追悼文の展示もあり、トークショーのメンバーの方々の他に、
師匠の谷口守泰さん、先輩の毛利和昭さん、加瀬政広さん、同僚の山本佐和子さん声優さん、演出家の方々らのメッセージを寄せておられました。

全てを観、そして泣きました。

企画をなさった、ボンズスタッフの方々の尽力。
そして杉並アニメーションミュージアムのスタッフの方も逢坂さんのファンであったとのことです。
それもあっての、このような心のこもった展示会が実現したのでしょう。

見逃した方は是非とも、1月22日からの秋葉原・東京アニメセンターでの『追悼展示会アニメーター逢坂浩司展』に足をお運び下さい。お願いいたします。


※“麗夢サイン入り色紙”これは、麗夢ファンに向けて逢坂さんが、生涯最後に残して下さったプレゼントです。
“描き下ろし色紙”としては、最後の作品でしょう。

展示作品準備の折「逢坂さんが描いてくれた、麗夢の色紙があるはずなんです」と、小森さんにお願いし、南さんが東京の逢坂さんの仕事場から発見して下さったのです。

逢坂さんが療養で大阪に戻られるということで、私が作品回収出来なかったものです。
私は事情を伺い知れなかったとはいえ、大阪に戻られていた逢坂さんに、色紙の回収の申し出をしていました。
それが、逢坂さんと交わした最後の言葉のやりとりでした。本当にこれが悔やまれるんです。
回収のお願いなんかじゃなく、お世話になったお礼を、心から述べたかったのです。
  

Posted by kimidori1983 at 07:34Comments(1)TrackBack(0)

2007年09月25日

逢坂浩司さんインタビュー

19eba03a.jpg逢坂浩司 おうさかひろし Disc.3-jacket Illustrator HIROSHI OUSAKA


PROFILE
アニメアールにおいて谷口守泰作監回で多くの原画を手がけ、『ドリームハンター麗夢』、『鎧伝サムライトルーパー』で作画監督を担当。シャープかつ、巧みなキャラ芝居で人気を博す。その後、現アールの吉田徹と共に『機動戦士ガンダム0083』の作画監督を務め、そのハイクオリティーな作画レベルはガンダムシリーズ中ベストと評される。その実績を買われ『機動戦士Vガンダム」、『機動武道伝Gガンダム』とキャラクターデザインを歴任。 現在はBONES(ボンズ)取締役に就任。『カウボーイビバップ』、『鋼の錬金術師』、『獣王星』等の多くのBONESのヒット作を手がける。 最新作は『天保異聞 妖奇士』作画監督。
http://www.bones.co.jp/

現在、ボンズ取締役という要職に就き、数々の話題作を陣頭指揮するヒットメーカー。 その回想と現状を見つめる真摯な眼差しは、アニメーターとは、 アニメーションの楽しさとは何かという示唆に満ちた、前線からの回顧録である。


●作監としては『麗夢供戮最初で?

逢坂 作監としては『(星銃士)ビスマルク』が最初で、その後に『(蒼き流星SPT)レイズナー』をやった後だと思うんです。ちょうど『麗夢供戮函悒屮薀奪マジック(M-66)』が同時期位だったんですよ。

●『ブラックマジック』は沖浦(啓之)さんがつきっきりで。

逢坂 あれはもう沖浦くんがベッタリで、だから『麗夢供戮里箸はちょっと原画を手伝ってもらってという感じですけど。

●ビデオとしては『麗夢供戮初作監。

逢坂 ビデオとしてガッツリやったのは『麗夢供戮初めてだったと思います。一本まとめる仕事をTVシリーズじゃなくビデオとしてできたってのは大きいですね。

●版権イラストも多くありました。

逢坂 そうですね。版権も一杯描かせてもらったし。今観ると若いなって(笑)思いますけど。あの当時は今みたいにデジタルなんてまったくなく、セルでどこまで表現できるんやろうって、イラストで挑戦してた感じで。

●セル表現での光の差込のグラフィックは?

逢坂 それは谷さん(谷口守泰)が考え出したことです。

●光がスーと。

逢坂 そうなんですよ。ビシッと入るんです。よくこんなこと考えつくなあって思いました。まあ昔、谷さんがデザイナーみたいな仕事をしてたんで、その辺の仕事の発想からきてると思うんですけど、アール以外ではやってなかったですね。

●様式的な装飾は?

逢坂 それも谷さんですよ、やっぱり。谷さんのデザイン的な流れるような模様の描き方が大好きだったんです。谷さんの影響が多大にあると思うんですね。今回のジャケットもその辺も狙っています。

●気旅覯撻瓮鵐弌爾慮紊妊廛譽奪轡磧爾蓮

逢坂 そうですね。『死神博士』はもう井上俊之さんとか、そうそうたるメンバーで、うわーとか思ってて、その後だったんでさすがに。

●プレッシャーが成長させてくれた。

逢坂 『麗夢』は時間がまったくなかったんですけど、作監のやり方はすごく勉強になりましたね。時間のない中で、どうカットをあげていくかっていうのは。

●同じものを描いていてもダメだというのはあった?

逢坂 僕のいた頃のアールっていうのは、メンバー見れば当然なんですけど、作品全体のクオリティーが高くてあたり前っていう人間ばっかりだったんです。時間は時間として置いといて、その作画の見せ方であるとかがものすごい。その中で埋もれるわけにもいかないし、同じ作品やっていてもそれぞれ皆、微妙に方向性が違うんで、なんて言うんですか、せめぎ合うって言うんですかね。あの状況は。あれは面白かったですね。

●原画レベルでも個性がありました。

逢坂 ええ、もう。柳沢(まさひで)くんとか沖浦くんとか小森(高博)くんのところなんか、ほぼ修正入れてません。

●キャラクター的には?

逢坂 その時は一生懸命やったつもりなんですけどね。後で見直すと甘いところが一杯あるんですよ。今観たらたぶん、とてもじゃないけど…。

●芝居的には原画を生かす方向で?

逢坂 今はレイアウトチェックの時に、キャラクター乗っけてある程度統一を図ってから原画を描いてもらうんですけど、あの時にはソレがなかったんですよ。だからあがってくるまで、どういう画がくるのかわからないっていう状態で。あがりに対してこっちがどういうアプローチを掛けるかっていうやり方ですね。もう原画マンの画のクセが、そのものズバリ出てる。

●兇離▲丱鵐織ぅ肇襪覆秒口さん以外のなにものでもない。

逢坂 そうですね。あれはもうアニメじゃないですよ。絵ですよ絵。これ動かすんかっていう。

●あのタッチの影響は?

逢坂 やっぱりアールに入ったのは谷さんの絵が好きだからなので、あの時は絵の基準がすべて谷さんでした。『レイズナー』の時はかなり意識したっていうか、意識してあたり前なんですけど。

●『麗夢』では毛利(和昭)さんというモチーフもありますが。

逢坂 毛利さんの絵は描けなかった。あのなんていうんですか、キャラの持っている肉感っていうんですかね。麗夢の足が全然描けなくて、あれは無理でしたね。あれはもーさん(毛利和昭)しか描けない。もうあれは真似しようと思ってもできませんね。あの線の質感で肉を描くっていうのは、なかなか難しいですよ。

●毛利さんといえばエフェクトの美しさも。

逢坂 僕がちょうどアニメアールに入った時に『(装甲騎兵)ボトムズ』をやってたんですよ。それで、もーさんがたまに『ボトムズ』描いてる時なんか、ソレまわしてもらって(笑)。動画やったりとかしてました。

●そのエフェクトへの意識は?

逢坂 もーさんのセンスが抜群なので、意識とか真似とかじゃなくて盗んでやろうと。それと吉田(徹)さんのエフェクトも独特だったんですよね。あの二人からはああいう描写の仕方をかなり教えてもらったということです。

●入社前、谷口さんのファンであったという時はどの作品で。

逢坂 『(太陽の牙)ダグラム』それと『ボトムズ』、あとは『さすがの猿飛』とか、あの辺でもう、なんじゃこりゃって感じで。僕が一番びっくりしたのは、『さすがの猿飛』で炎の表現を原画2枚だけでやってるんです。後で知ったのですが、実はそれをやってたのはもーさんで、いやあホント巧い人は火の表現も2枚で描けるんや、そうかあ、そうなんやって思いました。

●逢坂さんの画風にはクールさを感じます。

逢坂 それは多分に谷さんの影響があると思うんですよ。僕どちらかというと元々泥臭い絵を描いていて、もう沖浦くんとかにも「泥臭い泥臭い」って散々言われてたんですよ。アールで仕事してると、谷さんの絵というのを常に意識しないといけない。キャラの描き方も一から十まで谷さんの物真似っていうとヘンですが、アール入ったんだから谷さんの絵に似せなきゃっていうんじゃなくて、谷さんの絵が描けなきゃいけないだろうって。だからね、今でも小森くんとかと笑うんですけど、小森くんと僕がキャラ表作るじゃないですか、そうすると横顔の輪郭にね、どうしても谷さんの影響が出るんですよ。

●谷口さんの描く横顔はホント美しいですね。

逢坂 普通はあんな風に決まりませんね。あごのラインって特に難しいんです。締まるんですよ、谷さんの横顔は。それで『(機動戦士)Vガンダム』の時、鼻がツンとなってて唇が尖っててあごが出てる横顔をキャラ表に描いて持って行ったら、富野(由悠季)さんに「逢坂君はどこのスタジオに居たの?」って聞かれて「アニメアールです」って答えたら。「あ〜あ〜あ〜」って言ってましたからね(笑)。キャラの作り方って俺やっぱアール出身やなって思いましたけどね。

●アールといえば手の描き方も印象的でしたが。

逢坂 谷さんの描く手は綺麗なんですよ。とにかく!手の表情が。手を描くことを意識させられたのは、やっぱり谷さんからですね。谷さん以外にも好きなアニメーターさんが一杯いたんですけど、手にあれだけ魅力というか表情があるっていうのは群を抜いてますね。

●『麗夢』でも意識しました?

逢坂 当時作監する時に、その谷さんの描く手、谷さんの描く脚はとにかく会得しなければって。

●アールの面白さって、そのいわゆる動かし系作画と谷口さんのクールなキャラ芝居との世界観の両立ですね。

逢坂 それは、そのどちらも好きな人間が関わってるというのが、一番の要因だと思うんです。それに谷さんが作監の時には、僕ら原画は一転してキャラを似せることを意識しないで、動きの方に全神経を集中できるっていう。

●谷口さんの作画方針が活気ある作画を生んだ。

逢坂 だと思いますよ。谷さんもそんな細かいことに口出しする人じゃなかったんで。

●でもきっちり自分の色に仕上げる。

逢坂 ええ、あの修正は絶妙でね。なんで輪郭だけ直してるだけやのに、谷さんの絵になるんやろうと思いました。ですから僕も『(鎧伝)サムライトルーパー』やるときだったかな、宣言したんですよ。キャラは塩山(紀生)さんには似せません(笑)って。

●『トルーパー』のムックでは塩山さんの絵に準じましたとのコメントを読みましたが。

逢坂 いや、準じてることは準じてるんですよ。でも、似せると準じるってのは微妙に意味が違ってて、自分を出しながら(似せない)塩山さんの作ったキャラからは外しません(準じる)っていう。

●それって谷口キリコの方法論ですね。

逢坂 そうです!まさにそうなんです。あのまんま描くことでいいの?っていう疑問はずっとあったんで。今でも貫き通していることではあるんですけど、人の作ったキャラを作監する時もやっぱり、そのままじゃなくて自分なりのアレンジっていうのをどこかに入れるというのは、かなり意識しています。

●それは『麗夢』の時も。

逢坂 『麗夢』ではキャラを近づけこと云々より、自分が試されてるっていう感覚があったんですね。ここでしくじったら先の自分がないかな、っていう危機感があって、もしアールの中で“適当”な仕事をし“適当”なものをあげたりしたら、もうアールの人間からは多分認められないやろうな、と。とにかくまず身近な人間に認めささんことには、次の仕事がない。『トルーパー』でそれを言ったのも、もう有象無象の中に埋もれていたくないっていうのがあったんで。だから、もう似せませんとか、前面的に自分を出しますってのは、賭けなんですけどね。『トルーパー』も色々好き勝手やらせてもらって、そしてダイレクトに反応が返ってきたので、やれてよかったなって思っています。

●『トルーパー』はすごい人気作になりましたし、逢坂アレンジのキャラはもちろん、アール影も存分に楽しめました(笑)。

逢坂 入れましたねえ。ええ、もう今やっとかんとって(笑)。

●当時、印象的な演出家は?

逢坂 (高橋)良輔さんは、すごく自由にさせてくれる人で、『レイズナー』の時も、あがったものに対してなにも言わずに見ていてくれる。富野さんは細かいときには指先の芝居まで言ってくるという、正反対の監督ですね。どちらもそうなんですけど、まとめるという監督本来の業務で考えると、やっぱりすごいなあと思いますよ。監督の意向は確実に反映されてる。誰が描いても富野作品は富野作品ですし、良輔作品は良輔作品じゃないですか。ファースト『(機動戦士)ガンダム』どっぷりの世代で、良輔さんの作品も『ダグラム』から全部観てるし。まさか富野さんとも良輔さんとも一緒に仕事できるとは思いませんでした。

●奥田(誠治)監督は?

逢坂 奥田さんもね、自由にさせてくれたんですよ。『麗夢』は僕が新人の頃から始まってる作品ですよね。最初は全然名前なんて出ていない。でも奥田さんがその後、けっこう僕を使おう使おうとしてくれたんです。あれはすごい嬉しかったんですよ。奥田さんは、全然違うもんと違うもんを引っ付けて新しいもんを作るという、あの発想が面白いなあと。

●奥田監督のコンテは?

逢坂 アポイントでは手が入ってるんですけど、そのポイントの入れ方が絶妙で、まとめ上げるっていう感じですね。なんていうか監督やなあっていう。

●大御所との付き合いが続きましたが。

逢坂 そうですね。その辺はやっぱりアールの流れで続いている、谷口さんが付き合って来た人達と知り合えてるんで、よかったなあっていうのが(笑)。

●逢坂さんのアールでのアニメの関わりって、アニメが一番面白く活気があった時代では。

逢坂 そう、あの頃はそれほど制約がなくて、自由にやらせてもらえました。だから、今の子みてると可哀想やなって思うんですよね。

●レイアウトでカチっと決められちゃう。

逢坂 そうなんですよ。

●若手の頃は目立つ仕事がやりずらい?

逢坂 今は特にそうかもしれませんね。僕らの時はとにかく、もう自分のところさえよけりゃいいや、でやれてた仕事なんですけどね。その辺考えると、活気はあったし自由やったしアニメが一番よかった時期かなっと。うん。

●ただ今の画をコントロールする仕事も大変やりがいのある、現在にあってはとても重要な仕事だと思います

逢坂 自分らはもう、作画的には管理の部分に入ってるんですよ。この子のこの部分、ホントは出してあげたいんだけど、このキャラはこの芝居しないんだよな、とかでやっぱり抑えてしまうこともあったりする。できるだけ、個人個人のいい所は残すようにしてるんですけどね。その辺がすごく自分がやってきたことと今やってることと相反するんでちょっとジレンマなんですね。

●アニメのクオリティー自体は上がっている。

逢坂 それもね、危ういところではあるんです。今、アニメーターになりたいって子は二つのパターンがあって、純粋に絵を動かしたいという子。綺麗な絵を描きたいという子。綺麗な絵を描きたいっていうのは、ちょっとアニメーターとして入ってくる動機としては危ういなあと思うんです。特に、今は美少女ものが多いじゃないですか。あれってやっぱり絵が綺麗でないと、作品の趣旨として成り立たないっていうことがあって、受け手もそういう見方だと…。

●バラつきを許さない。

逢坂 そうですね。今、結構聞くのが観てる側からのクオリティーという言葉。僕らが観てる頃はクオリティーとかじゃなかったんですよね。例えば金田(伊功)さんの作画は、運動の法則からしたら無茶苦茶なんですけど、あのなんていうか爆裂した動きであるとか、あの絵の持つ力感であるとか、空間であるとかがすごいなあ、と。面白い!アニメってこうだよねっていう、ああいう魅力に取り付かれた人間からすると、その受け手側からのクオリティーっていう意味合いが変わってきてるという感覚が…。

●同感です。では、最後にDVDを買って下さったファンへ一言お願いします。

逢坂 とにかくがむしゃらにやった仕事でもありますし、当時の熱気みたいなものや、今とはまた違ったアニメの美少女もののテイストっていうんですかね。その辺をまた楽しんでもらいたいなっていうのはありますね。

●反応は気になります?

逢坂 いやあ、なりますねえ大いに(笑)。



※前回のブログで触れました、逢坂浩司氏の貴重なインタビューです。
『ドリームハンター麗夢 DVD-BOX 1』ブックレットに収録されたテキストの改訂版です。
収録日は2006年9月、収録場所は東京都杉並区某所。
『天保異聞 妖奇士』の作監作業中の貴重な時間をさいていただきました。

※画像は『ドリームハンター麗夢掘抂坂浩司氏、書き下ろしジャケットイラスト。
  
Posted by kimidori1983 at 23:49Comments(5)TrackBack(0)

逢坂浩司さん ご冥福を心より、お祈り申し上げます。

土日とも連日の天海のイベントの移動の疲れからか、また茫洋とした不安感のなか朝まで眠れず、月曜日、目が覚めたのは13:00前でした。
携帯の液晶に9/24(月)11:25 毛利和昭さんからの着信表示。慌ててコールバックをしました。

毛利さんの声が、いつもの弾む声ではありません。
私は緊張しました、そして、伝えていただいた内容に手が震え、声を失いました。
未明に毛利さんのアニメアール時代の後輩で、現ボンズの看板アニメーター、逢坂浩司さんがお亡くなりなってしまったと……。

動転したまま、ともに20年来の逢坂さんのファンである事務所スタッフと、逢坂さんとの打ち合わせに同席をさせていただいた天海にも電話で伝えました。
私の動揺もありましたが、二人とも「え……」と声を発したままでした。

逢坂さんには『ドリームハンター麗夢 DVD-BOX 1』ジャケットイラストやインタビュー取材で、感謝しきれないほど、お世話になりました。
「楽しみにしてますよ、頑張ってださい」と笑顔で励ましてさえくださったのです。

不慣れから失礼の連続であったであろう、私の度重なる発注内容や長時間の取材にも、絶えず笑顔で快く接してくだいました。

高名な凄腕のスターアニメーターでありながら、努力の人であり、また後輩やファンに暖かく接してくださる本当に優しい人でした。

『麗夢』の取材のとき、アニメアール時代の逢坂さんの同僚の方々からも皆、異口同音に逢坂さんの素晴らしい人間性、そして優しさを、懐かしみながら笑みを浮かべ述べておられました。
20年も前の数々のエピソードを、まるで昨日のことのようにです。

逢坂さんこそ、最も必要とされるべき人です。
師匠や先輩への尊敬、仲間への気遣いを欠かさず、後輩の方へも常に献身的に慮っておられました。

人間性に裏打ちされた、確かな技術と精神性を持ち得た人でなければ、決して徹底して出来ないことでしょう。

そして、忘れてならないのが、師匠譲りであろう「個性の尊重」
その個性というものが失われ、画一化されている現在のアニメーションの状況を、いつもの真摯で優しい眼差しで、切実に憂いておられました。

44才の若さです。悲しく悔しく一日、事務所スタッフとともに何も手につかなかった。
ただ、そんなとき、アニメアールからボンズと逢坂さんの後輩であり同僚であった小森高博さんの言葉が過りました。

「逢坂氏は人の二倍の仕事をしないと気が済まない男」だと。

それを想い出し、了解したのです。

人の二倍のスピードで充実した生涯を生き貫かれたのではないかと。
無念ではなかったと信じたい。

職業人として、あれほど数々の業績を残し歴史に名を刻み、且つ仲間に慕われ尊敬され続けた人など、どれほど居られることか?

『麗夢』のDVD制作で、逢坂さんと仕事をさせていただき、素晴らしい人間性に接することが出来たのは、本当に幸運でした。
私の仕事が不慣れであったという悔いと戦っているのも現実ですが、時間をかけ納得したいと思うのです。

逢坂さんの残された作品と生き様を、私は決して忘れません。そして次の世代に必ず伝えていきます。

そして、逢坂さんに僭越な夢を打ち明けたとき、
「タイミングが合えば、アールの仲間みんなで、やりたいなあ」と満面の笑顔で仰っていただいたアニメーション企画を、必ず実現させます。

それまで、お休みください、逢坂さん。  
Posted by kimidori1983 at 07:11Comments(4)TrackBack(0)

2006年03月25日

はるうらら〜うらら〜うらうらら〜♪

☆こんばんは☆天海麗です!

だんだん暖かくなってきましたね!!桜も咲き始めたようで、何だかワクワクします♪

こちらを見てくれた皆さん、これからは是非ココの『天海麗からの伝書鳩』をたまにッチェックッ、してみて下さいますか?
今までよりは、多少は手ごたえのあるものになるモノになると思いますので☆

早くお花見に行きたいなぁ♪  
Posted by kimidori1983 at 22:42Comments(10)TrackBack(0)

2005年08月22日

プロダクションノート#0037

e68f603a.JPG●8月8日(月)

土日の競馬の結果を確認。夕方に帰京。

2005年2回函館8日(8月7日) 12R サラ系3歳以上 1200m 芝・右 小野次郎騎手の2番人気シナーラを軸に3連複総流しが的中!80,040円の配当!16頭立ての15番人気、松岡騎手スプリングレアルが頭に付け、大荒れを演出。


20:00。都内某所にて天海がお招き頂いております、ベストビデオスーパードキュメント座談会の収録が行われました。参加女優はnao.さん、みひろさん、稲森しほりさん。
予定されておりました小沢菜穂さんは撮影が押したため、残念ながら不参加。担当は三和出版の梅田さん、司会はライターの高村さんです。

nao.さんとはエンゲルのイベントに続き二度目、そして実はみひろさんともお会いするのも初めてではないんですね。
デビュー前、大阪のショップさんにご挨拶回りの最中、偶然ご一緒させて頂いた事があります。
稲森さんとは初対面ですね。
天海はいきなり、みひろさんに「みひろさんとも前に会った事があります、憶えてないと思いますが」と軽いジャブを(苦笑)。ハラハラさせられました。
といっても誤解のありませんように。天海はみひろさんとお会いする事を実に楽しみにして参りました。

そして女優さん達の華やか座談会の側で、我々マネジャー陣は携帯の受信に忙しなく席を立ち、また邪魔になりませんよう声を潜め情報交換です。


●8月9日(火)

天海はオフ。私はメーカーのPD氏また各出版社の担当さんと今後のスケジュールの打ち合わせに勤しみます。
16:00、新人の面接。
19:00から馴染みのパチ屋へ、昨日に続き苦手なセブンを打ちます。昨日は11連チャンも投資が嵩み浮きは僅か。今日は掛からずで仕舞いです。


●8月10日(水)

デジタルアドベンチャー、携帯サイトの素材撮影です。入りは西麻布のスタジオに8:00入り。
担当は上田PD、ADの柳沢さん、坂口部長。撮影スタッフは門嶋淳矢カメラマン、メイク、スタイリストの各女史。

知らされておりませんでしたが、一時間後にみひろさんの撮影が同スタジオで平行して行われました。
「続きますね」と、みひろさんのマネジャーさんと上田さんを交え談笑します。

撮影中ボンバー編集部、サーカス編集部より続けてグラビアのオーダーを、ボンバーの撮影は横山こうじさんとの事。
中抜けし、乃木坂でぶんか社の日高さんとお会いし現場へ戻ります。

17:30に撮影は終了。みひろさんの撮影はまだ続いておりました。


●8月11日(木)

前日は寝ずに深夜から早朝、今日は早朝から午後まで丸12時間、人材部のスタッフとの連日の討議。噛み合わぬ議論に疲労困憊。
怒りを抑え諦観の念を抱きます。

21:20。ぶんか社、矢澤編集長から飲みのお誘い。気分転換に出かけ、不義理を詫びます。
そこで漫画家の牟田康二さん、Fカップ女流漫画家、揚桃華さんをご紹介頂き。サッカー、野球、映画、漫画談義を。
TVのスポーツニュースは阪神の快勝を伝え、勢い盛り上がり。
今岡の悪球打ちに感嘆の声、桃華さんに「こんなに野球を真剣に観てる人は始めて」と驚かれます。

映画談義ではヘンリー・シルバ、ロバート・フォスター、デビッド・キャラダインの名脇役の共通点は何か?と私が問い。
答えはチャック・ノリスに虐殺され低迷後、タランティーノやジャームッシュ作品で復活を果たすという法則。
ジャッキーブラウンのラスト、ロバート・フォスターの晴れ舞台。彼の顔の深いしわに脇役人生の苦悩を見取り、涙しました。
牟田さんが全ての作品をご存知だった事に驚きます。

途中、江口寿志さんと板垣恵介さんが美しい女性を連れお見えに。

帰り道、矢澤さんと、決定しています。さりぃのDVD、ご検討頂いています天海の写真集についての相談と簡単な打ち合わせを。


●8月12日(金)

11:30より事務所の取材を受けます。その後、天海と待ち合わせ15:00、11本目のVTRの監督面接。
17:00面接終了。
天海を駅まで送り。私はその後、19:30より六本木、森ビル内の中華料理店で会食。
23:00、外はどしゃ降りの雨、PD氏に渋谷までタクシーで送って頂きます。


●8月13日(土)

天海はオフ。何とか今月前半は飛び石で休ませる事が出来そうです。

馬券の注文を事務スタッフへ指示。また幾つかの電話の対応とその打ち合わせ。
先週からお誘い頂いていました、藤井良樹さん宅でのパーティーに行きそびれてしまいます。


●8月14日(日)

シャイ企画がお盆進行のため、土日のイベントはナシ。競馬とパチンコに久々に時間を費やしますが…。
移動中、知り合いの元モデルと再会、立ち話を。173の長身は目を引きます。
競馬は両日で6レース分購入的中ゼロ。セブン、小額で掛けるもバトルモードの伸びに欠け出玉も全て呑まれます。


*画像はベストビデオスーパードキュメント座談会より。  
Posted by kimidori1983 at 15:24Comments(28)TrackBack(9)

プロダクションノート#0037

e68f603a.JPG●8月8日(月)

土日の競馬の結果を確認。夕方に帰京。

2005年2回函館8日(8月7日) 12R サラ系3歳以上 1200m 芝・右 小野次郎騎手の2番人気シナーラを軸に3連複総流しが的中!80,040円の配当!16頭立ての15番人気、松岡騎手スプリングレアルが頭に付け、大荒れを演出。


20:00。都内某所にて天海がお招き頂いております、ベストビデオスーパードキュメント座談会の収録が行われました。参加女優はnao.さん、みひろさん、稲森しほりさん。
予定されておりました小沢菜穂さんは撮影が押したため、残念ながら不参加。担当は三和出版の梅田さん、司会はライターの高村さんです。

nao.さんとはエンゲルのイベントに続き二度目、そして実はみひろさんともお会いするのも初めてではないんですね。
デビュー前、大阪のショップさんにご挨拶回りの最中、偶然ご一緒させて頂いた事があります。
稲森さんとは初対面ですね。
天海はいきなり、みひろさんに「みひろさんとも前に会った事があります、憶えてないと思いますが」と軽いジャブを(苦笑)。ハラハラさせられました。
といっても誤解のありませんように。天海はみひろさんとお会いする事を実に楽しみにして参りました。

そして女優さん達の華やか座談会の側で、我々マネジャー陣は携帯の受信に忙しなく席を立ち、また邪魔になりませんよう声を潜め情報交換です。


●8月9日(火)

天海はオフ。私はメーカーのPD氏また各出版社の担当さんと今後のスケジュールの打ち合わせに勤しみます。
16:00、新人の面接。
19:00から馴染みのパチ屋へ、昨日に続き苦手なセブンを打ちます。昨日は11連チャンも投資が嵩み浮きは僅か。今日は掛からずで仕舞いです。


●8月10日(水)

デジタルアドベンチャー、携帯サイトの素材撮影です。入りは西麻布のスタジオに8:00入り。
担当は上田PD、ADの柳沢さん、坂口部長。撮影スタッフは門嶋淳矢カメラマン、メイク、スタイリストの各女史。

知らされておりませんでしたが、一時間後にみひろさんの撮影が同スタジオで平行して行われました。
「続きますね」と、みひろさんのマネジャーさんと上田さんを交え談笑します。

撮影中ボンバー編集部、サーカス編集部より続けてグラビアのオーダーを、ボンバーの撮影は横山こうじさんとの事。
中抜けし、乃木坂でぶんか社の日高さんとお会いし現場へ戻ります。

17:30に撮影は終了。みひろさんの撮影はまだ続いておりました。


●8月11日(木)

前日は寝ずに深夜から早朝、今日は早朝から午後まで丸12時間、人材部のスタッフとの連日の討議。噛み合わぬ議論に疲労困憊。
怒りを抑え諦観の念を抱きます。

21:20。ぶんか社、矢澤編集長から飲みのお誘い。気分転換に出かけ、不義理を詫びます。
そこで漫画家の牟田康二さん、Fカップ女流漫画家、揚桃華さんをご紹介頂き。サッカー、野球、映画、漫画談義を。
TVのスポーツニュースは阪神の快勝を伝え、勢い盛り上がり。
今岡の悪球打ちに感嘆の声、桃華さんに「こんなに野球を真剣に観てる人は始めて」と驚かれます。

映画談義ではヘンリー・シルバ、ロバート・フォスター、デビッド・キャラダインの名脇役の共通点は何か?と私が問い。
答えはチャック・ノリスに虐殺され低迷後、タランティーノやジャームッシュ作品で復活を果たすという法則。
ジャッキーブラウンのラスト、ロバート・フォスターの晴れ舞台。彼の顔の深いしわに脇役人生の苦悩を見取り、涙しました。
牟田さんが全ての作品をご存知だった事に驚きます。

途中、江口寿志さんと板垣恵介さんが美しい女性を連れお見えに。

帰り道、矢澤さんと、決定しています。さりぃのDVD、ご検討頂いています天海の写真集についての相談と簡単な打ち合わせを。


●8月12日(金)

11:30より事務所の取材を受けます。その後、天海と待ち合わせ15:00、11本目のVTRの監督面接。
17:00面接終了。
天海を駅まで送り。私はその後、19:30より六本木、森ビル内の中華料理店で会食。
23:00、外はどしゃ降りの雨、PD氏に渋谷までタクシーで送って頂きます。


●8月13日(土)

天海はオフ。何とか今月前半は飛び石で休ませる事が出来そうです。

馬券の注文を事務スタッフへ指示。また幾つかの電話の対応とその打ち合わせ。
先週からお誘い頂いていました、藤井良樹さん宅でのパーティーに行きそびれてしまいます。


●8月14日(日)

シャイ企画がお盆進行のため、土日のイベントはナシ。競馬とパチンコに久々に時間を費やしますが…。
移動中、知り合いの元モデルと再会、立ち話を。173の長身は目を引きます。
競馬は両日で6レース分購入的中ゼロ。セブン、小額で掛けるもバトルモードの伸びに欠け出玉も全て呑まれます。


*画像はベストビデオスーパードキュメント座談会より。  
Posted by kimidori1983 at 15:24Comments(28)TrackBack(9)

2005年08月13日

プロダクションノート#0036

77be8f97.JPG●8月4日(木)

今日の天海はオフ。私は夕方より新人の宣材撮影。16:00に原宿のメイクスタジオにて(天海のVTRのジャケットも担当頂いております)中島さんにお願いします。撮影は18:00、担当頂いています川保さんの事務所へ。
川保さんは明日からロシアに女性の撮影に向かわれます、その忙しい最中500枚程の写真をきって頂きました。
そして新人さんを囲み話が弾みました。帰りの時刻は22:00。

帰宅後、夜半に天海とメールにて日程調整。クール・ザ・ギャングのCDをTUTAYAにてレンタルします。


●8月5日(金)

コアマガジンホイップ10月号。天海の表紙&巻頭グラビアの撮影です。
都内某所8:00に集合、担当は成沢さん。田園調布のスタジオへ移動後メイクに入ります。
成沢さんと立ち話をしながら天海を待ちます。「ウチの本も初登場で読者の反響いきなりトップですよ」と仰って頂きます。
読者の方の反響もあってリピートを頂けたのですね。
今後のマネージメントも更に気を引き締め取り組まなければと意を新たに。

スタッフのご紹介。撮影は二度目になります安藤青太さん。相性のいい天海は青太さんとの再会を楽しみにして参りました。
撮影アシスタントの彼も、馬場ひろしさんのアシスタントで来て頂いて以来の二度目、
メイクの方も横山さんの初現場で担当して頂いて以来二度目と
それぞれの現場の回想を交え撮影合間の談笑も盛り上がります。
そして天海は青太さんの何気ない一言がツボみたいでして、笑い転げながらの撮影でした。

撮影中、私は郵送物の差出等で一旦中抜け、またスタジオの空きスペースで仮眠を取る等して待ちます。
また有線の合間に昨日レンタルしましたCDを掛けましたところ、天海は随分と気に入ってくれておりました。

19:30。撮影終了。成沢さんの運転で最寄まで送って頂きます。


●8月6日(土)

滋賀での天海のサイン会イベント。大阪から変更になったものです。8:40、シャイ企画、中川部長と合流。
新幹線での移動。ジャパンエースの畑中さん、西井さんの案内で、近江書店からの各二店舗での開催になります。
畑中さん、西井さんには以前よりお世話になっており、再会を天海共々喜びます。
まず蕎麦屋で昼食を、私は西井さんと競馬、パチンコ談義。
天海は畑中さんに「ビデ倫じゃなくて畑りん」などとあだ名を付け楽しんでいます。

冗談みたいな大雨に見舞われながらの移動。不思議と到着の度に止むのですが。
こんな悪天候の中、イベントへお越し頂きました皆様。感謝に絶えません。誠にありがとうございます!

二店舗目は以前、中川瞳さんとの合同イベントでお世話になりました、お店。
張り出して頂きました「人気女優になって!再び来店決定!」の告知ポスターのコピーを見、感慨深い感傷に襲われます。

イベント後、店外で常連の方々と談笑させて頂きます。いつもながら感謝。
定刻通り無事終了。ファンの皆様にお見送りをして頂きます。
今日のうちに明日のイベント地の倉敷に移動。複雑な乗り継ぎをしつつ、到着は0:00近く。
車中、〜さんと話しをして頂いた等と天海に報告、不明だった方のお名前を「〜さんだよ。〜は〜さんです」と天海に教えられます。

コンビニで各々夜食を。私はベースボールマガジン社阪神タイガース70年史 猛虎伝説を購入。
様々なタイガースの思い出が交錯します。飽きの来ない良く出来た本。


●8月7日(日)

昨晩は徹夜明けでの移動の疲れか珍しく早い寝つきで久々の快眠。10:20チェックアウト。
フロントロビーで集合、今日の案内のジャパンエース、野村さんの到着を待つ。
野村さんとも馴染みの天海は再会のご挨拶を。
軽食をとりに喫茶店に入りますがモーニングは終了、お茶を飲みお店へ向かいます。
阪神ファンの野村さんに昨日購入しました、猛虎伝説の中の綱島理友さん執筆のタイガース意匠学をお見せします。

抜粋します。

「タイガースはデザインワークに関して、日本球界では珍しく歴史的に一貫したスタイルをキープしている球団である。(中略)創設時の基本スタイルを守り続けているのは、日本球界ではこの球団だけである。」

「これは球団創設期にデザインに関するコンセプトワークがしっかりと行われていたからだと思う。」

(昭和11年の創設時から存在する球団旗、袖章の虎)「これらのデザインを手がけていたのは、当時、阪神電鉄のデザイン室にいた早川源一という人だった。
阪神球団には本人の手によると思われる虎の原画が数点残っている。(この貴重な原画もカラーで収録されています)彼は当時のポスターやチケットも手がけていて、これらは他球団のモノと比較すると、格段にモダンで完成度が高く、かなり優秀なグラフィック・デザイナーだったというコトがうかがえる。」

「早川氏は日本プロ野球創設のきっかけとなった昭和9年の日米野球のポスターも手がけたとされている。(略)当時、来日を渋っていたベーブ・ルースを説得したのはそのポスターだった。」

「交渉役として渡米していた鈴木惣太郎が、理髪店で散髪していたルースのもとに押しかけて、この日米野球のポスターを見せたところ、ルースは自分の絵を気に入り、来日を決めたと言われている。」

(ルースの来日により日米野球は大成功を収め、のちの職業野球誕生のきっかけとなる)

「もし早川氏がポスターを描いていなかったら、日本にプロ野球があったかどうか……。そう考えると、職業野球創設に早川氏の果たした役割は大きかった。」

「その後も早川氏はタイガースファンの間で有名な”大阪タイガース来る”のポスター(カラーで収録)をはじめ、セントラル・リーグ初代の連盟旗、さらには晩年の70年代にもオールスター戦のポスターを手がけていて、昭和51年に亡くなるまでプロ野球を意匠、デザインから支えた功労者であった。」

「つまり早川源一というしっかりとしたコンセプトワーカーがいたおかげで、現在の阪神タイガースの伝統のスタイルが存在しているといっても過言ではないのである。」


デザインの重要性を問う、秀逸なルポ。天海も感心し頷いておりました。

イベント会場一軒目、倉敷のブックメイトに近づきます。すると炎天下のなか天海のポスターを持つ店員さん数名が車道に向けイベントのアピールを。
これには、我々一同驚き頭が下がりました。

ファミレスでの昼食を挟み、二件目の岡山のブックメイトへ移動。
こちらも店員さん方が告知ポスターを車道に翳して下さってます。司会は野村さんが担当。
お客さんと天海の掛け合いも至極良好です。
インストアのため、私と中川さんは控えスペースで待機。私はブックメイトスーパーバイザーの東山さんと商品談義。
プロに失礼ですが、東山さんの商品知識に驚き頷きでありました。

定時に無事終了。参加して下さいました皆様にお見送り頂き、野村さんの運転で岡山駅へ。
岡山駅で天海の帰京の付き添いを中川さんにお願いします。私は岡山の友人との待ち合わせがあり。一泊し帰る事に。

20:50。友人と合流後、岡山駅前のパチ屋を覗く。土曜の夜だというのにがらがら。久々のパチ屋で、北斗の拳の実機を見るのは初めてです。涼むついでに軽く打ちます。
データも店も何もかも不明、とりあえず特徴のある台を探します。これといった爆裂台は見あたりません。
それならハマリ台。と当たり回数4回の1300ハマリの台が、これにしましょう。
1400台に突入、5000円入れた戸頃でケンシロウの「もうお前は当たってる」が掛かります。
BBをサクサクと3ゲーム程こなし、ようやくラオウ登場。ここからという所で店員が「十時閉店のためプレイをおやめ下さい」と。
ハアって感じですね(苦笑)しかも21:50前。打ち続けます、その後一回放出後ラオウモード継続。
通常、22:00閉店でも、ここから残り5分打ち切ればもう一回の放出と保障一回分の可能性はあります。が社員らいき別の店員が張り付き「手を離せ、保障しない」と迫ります。
しょうがない店です。一分前まで打ち、半箱程度の保障カードを手渡され、仕方なく手を離しました。
換金率もどの店員に聞いても、答えられるものがいない始末。換金後、計算すると一玉2.5円です。千円の残高のあるカードも清算不能との事。
今時ありえない酷い店です。閉店前打っている客が私一人というのも頷けます。
まあ小勝ちで、宿泊費は出ました。良しと致しましょう。

明日はコアマガジンベストビデオスーパードキュメント座談会に天海がお呼び頂いております。

*画像はホイップグラビア撮影風景より。  
Posted by kimidori1983 at 20:19Comments(79)TrackBack(0)

プロダクションノート#0036

77be8f97.JPG●8月4日(木)

今日の天海はオフ。私は夕方より新人の宣材撮影。16:00に原宿のメイクスタジオにて(天海のVTRのジャケットも担当頂いております)中島さんにお願いします。撮影は18:00、担当頂いています川保さんの事務所へ。
川保さんは明日からロシアに女性の撮影に向かわれます、その忙しい最中500枚程の写真をきって頂きました。
そして新人さんを囲み話が弾みました。帰りの時刻は22:00。

帰宅後、夜半に天海とメールにて日程調整。クール・ザ・ギャングのCDをTUTAYAにてレンタルします。


●8月5日(金)

コアマガジンホイップ10月号。天海の表紙&巻頭グラビアの撮影です。
都内某所8:00に集合、担当は成沢さん。田園調布のスタジオへ移動後メイクに入ります。
成沢さんと立ち話をしながら天海を待ちます。「ウチの本も初登場で読者の反響いきなりトップですよ」と仰って頂きます。
読者の方の反響もあってリピートを頂けたのですね。
今後のマネージメントも更に気を引き締め取り組まなければと意を新たに。

スタッフのご紹介。撮影は二度目になります安藤青太さん。相性のいい天海は青太さんとの再会を楽しみにして参りました。
撮影アシスタントの彼も、馬場ひろしさんのアシスタントで来て頂いて以来の二度目、
メイクの方も横山さんの初現場で担当して頂いて以来二度目と
それぞれの現場の回想を交え撮影合間の談笑も盛り上がります。
そして天海は青太さんの何気ない一言がツボみたいでして、笑い転げながらの撮影でした。

撮影中、私は郵送物の差出等で一旦中抜け、またスタジオの空きスペースで仮眠を取る等して待ちます。
また有線の合間に昨日レンタルしましたCDを掛けましたところ、天海は随分と気に入ってくれておりました。

19:30。撮影終了。成沢さんの運転で最寄まで送って頂きます。


●8月6日(土)

滋賀での天海のサイン会イベント。大阪から変更になったものです。8:40、シャイ企画、中川部長と合流。
新幹線での移動。ジャパンエースの畑中さん、西井さんの案内で、近江書店からの各二店舗での開催になります。
畑中さん、西井さんには以前よりお世話になっており、再会を天海共々喜びます。
まず蕎麦屋で昼食を、私は西井さんと競馬、パチンコ談義。
天海は畑中さんに「ビデ倫じゃなくて畑りん」などとあだ名を付け楽しんでいます。

冗談みたいな大雨に見舞われながらの移動。不思議と到着の度に止むのですが。
こんな悪天候の中、イベントへお越し頂きました皆様。感謝に絶えません。誠にありがとうございます!

二店舗目は以前、中川瞳さんとの合同イベントでお世話になりました、お店。
張り出して頂きました「人気女優になって!再び来店決定!」の告知ポスターのコピーを見、感慨深い感傷に襲われます。

イベント後、店外で常連の方々と談笑させて頂きます。いつもながら感謝。
定刻通り無事終了。ファンの皆様にお見送りをして頂きます。
今日のうちに明日のイベント地の倉敷に移動。複雑な乗り継ぎをしつつ、到着は0:00近く。
車中、〜さんと話しをして頂いた等と天海に報告、不明だった方のお名前を「〜さんだよ。〜は〜さんです」と天海に教えられます。

コンビニで各々夜食を。私はベースボールマガジン社阪神タイガース70年史 猛虎伝説を購入。
様々なタイガースの思い出が交錯します。飽きの来ない良く出来た本。


●8月7日(日)

昨晩は徹夜明けでの移動の疲れか珍しく早い寝つきで久々の快眠。10:20チェックアウト。
フロントロビーで集合、今日の案内のジャパンエース、野村さんの到着を待つ。
野村さんとも馴染みの天海は再会のご挨拶を。
軽食をとりに喫茶店に入りますがモーニングは終了、お茶を飲みお店へ向かいます。
阪神ファンの野村さんに昨日購入しました、猛虎伝説の中の綱島理友さん執筆のタイガース意匠学をお見せします。

抜粋します。

「タイガースはデザインワークに関して、日本球界では珍しく歴史的に一貫したスタイルをキープしている球団である。(中略)創設時の基本スタイルを守り続けているのは、日本球界ではこの球団だけである。」

「これは球団創設期にデザインに関するコンセプトワークがしっかりと行われていたからだと思う。」

(昭和11年の創設時から存在する球団旗、袖章の虎)「これらのデザインを手がけていたのは、当時、阪神電鉄のデザイン室にいた早川源一という人だった。
阪神球団には本人の手によると思われる虎の原画が数点残っている。(この貴重な原画もカラーで収録されています)彼は当時のポスターやチケットも手がけていて、これらは他球団のモノと比較すると、格段にモダンで完成度が高く、かなり優秀なグラフィック・デザイナーだったというコトがうかがえる。」

「早川氏は日本プロ野球創設のきっかけとなった昭和9年の日米野球のポスターも手がけたとされている。(略)当時、来日を渋っていたベーブ・ルースを説得したのはそのポスターだった。」

「交渉役として渡米していた鈴木惣太郎が、理髪店で散髪していたルースのもとに押しかけて、この日米野球のポスターを見せたところ、ルースは自分の絵を気に入り、来日を決めたと言われている。」

(ルースの来日により日米野球は大成功を収め、のちの職業野球誕生のきっかけとなる)

「もし早川氏がポスターを描いていなかったら、日本にプロ野球があったかどうか……。そう考えると、職業野球創設に早川氏の果たした役割は大きかった。」

「その後も早川氏はタイガースファンの間で有名な”大阪タイガース来る”のポスター(カラーで収録)をはじめ、セントラル・リーグ初代の連盟旗、さらには晩年の70年代にもオールスター戦のポスターを手がけていて、昭和51年に亡くなるまでプロ野球を意匠、デザインから支えた功労者であった。」

「つまり早川源一というしっかりとしたコンセプトワーカーがいたおかげで、現在の阪神タイガースの伝統のスタイルが存在しているといっても過言ではないのである。」


デザインの重要性を問う、秀逸なルポ。天海も感心し頷いておりました。

イベント会場一軒目、倉敷のブックメイトに近づきます。すると炎天下のなか天海のポスターを持つ店員さん数名が車道に向けイベントのアピールを。
これには、我々一同驚き頭が下がりました。

ファミレスでの昼食を挟み、二件目の岡山のブックメイトへ移動。
こちらも店員さん方が告知ポスターを車道に翳して下さってます。司会は野村さんが担当。
お客さんと天海の掛け合いも至極良好です。
インストアのため、私と中川さんは控えスペースで待機。私はブックメイトスーパーバイザーの東山さんと商品談義。
プロに失礼ですが、東山さんの商品知識に驚き頷きでありました。

定時に無事終了。参加して下さいました皆様にお見送り頂き、野村さんの運転で岡山駅へ。
岡山駅で天海の帰京の付き添いを中川さんにお願いします。私は岡山の友人との待ち合わせがあり。一泊し帰る事に。

20:50。友人と合流後、岡山駅前のパチ屋を覗く。土曜の夜だというのにがらがら。久々のパチ屋で、北斗の拳の実機を見るのは初めてです。涼むついでに軽く打ちます。
データも店も何もかも不明、とりあえず特徴のある台を探します。これといった爆裂台は見あたりません。
それならハマリ台。と当たり回数4回の1300ハマリの台が、これにしましょう。
1400台に突入、5000円入れた戸頃でケンシロウの「もうお前は当たってる」が掛かります。
BBをサクサクと3ゲーム程こなし、ようやくラオウ登場。ここからという所で店員が「十時閉店のためプレイをおやめ下さい」と。
ハアって感じですね(苦笑)しかも21:50前。打ち続けます、その後一回放出後ラオウモード継続。
通常、22:00閉店でも、ここから残り5分打ち切ればもう一回の放出と保障一回分の可能性はあります。が社員らいき別の店員が張り付き「手を離せ、保障しない」と迫ります。
しょうがない店です。一分前まで打ち、半箱程度の保障カードを手渡され、仕方なく手を離しました。
換金率もどの店員に聞いても、答えられるものがいない始末。換金後、計算すると一玉2.5円です。千円の残高のあるカードも清算不能との事。
今時ありえない酷い店です。閉店前打っている客が私一人というのも頷けます。
まあ小勝ちで、宿泊費は出ました。良しと致しましょう。

明日はコアマガジンベストビデオスーパードキュメント座談会に天海がお呼び頂いております。

*画像はホイップグラビア撮影風景より。  
Posted by kimidori1983 at 20:19Comments(79)TrackBack(0)

2005年08月04日

プロダクションノート#0035

a3c4c6d4.JPG●8月3日(水)

まず13:00。大洋ビル会議室にてミリオン出版ウレッコ10月号掲載の天海の取材です。担当はグラビアでもお世話になりました島田さん。撮影も同様に福沢たくやさん。
取材は初めてお世話になります。沢木毅彦さん。
沢木さんは、古都ひかるさんのDVD-BOXのライナーノートや幾多のVシネ作品の脚本等で有名な方です。

天海と沢木さんは、アメリカの球場などの野球談義で中々本題に入れずで、本題前に話は弾み。
本題に入りましても、天海節に一切たじろがずズバっと前に出る沢木さんの言葉の返しは、楽しくもまた抜群に上手い。聞いていましても、ホント楽しい取材でしたね。

二時間程の取材が終了。この後はビル近隣で外撮りを行います。
天海は島田さんや福沢さんとの再会をとても喜んでおりました。また沢木さんのお話も「面白かった」と私と同様の感想を。

移動です、都内某会議室へ。16:00に予定してました。コアマガジンブラボーエキサイティング10の取材です。
押し気味の進行で到着は40遅れ。担当の青木さん、取材の中村かたぶつさん、カメラマンさんに、お詫びをします。
早速、日の落ちる前に外撮りです。その間、私は中村さんと待機。

そして18:00に取材開始となりました。
中村さんはシャイ企画7本目にあたるシンドロームのサンプルをもうご覧下さったとの事、併せてお褒め頂き、天海共々感謝致しました。
また先月の天海の撮りおろしグラビア12本!というスケジュールには一同驚かれておりました。

内容の詳細は各誌の発売をお待ち下さい。よろしくお願い致します。

19:50終了。天海を駅まで送り。私はお呼び頂いています、ある飲み会へと向かいました。

*画像はブラボーエキサイティング取材。スナップ撮影中の一コマ。  
Posted by kimidori1983 at 14:58Comments(26)TrackBack(1)

プロダクションノート#0035

a3c4c6d4.JPG●8月3日(水)

まず13:00。大洋ビル会議室にてミリオン出版ウレッコ10月号掲載の天海の取材です。担当はグラビアでもお世話になりました島田さん。撮影も同様に福沢たくやさん。
取材は初めてお世話になります。沢木毅彦さん。
沢木さんは、古都ひかるさんのDVD-BOXのライナーノートや幾多のVシネ作品の脚本等で有名な方です。

天海と沢木さんは、アメリカの球場などの野球談義で中々本題に入れずで、本題前に話は弾み。
本題に入りましても、天海節に一切たじろがずズバっと前に出る沢木さんの言葉の返しは、楽しくもまた抜群に上手い。聞いていましても、ホント楽しい取材でしたね。

二時間程の取材が終了。この後はビル近隣で外撮りを行います。
天海は島田さんや福沢さんとの再会をとても喜んでおりました。また沢木さんのお話も「面白かった」と私と同様の感想を。

移動です、都内某会議室へ。16:00に予定してました。コアマガジンブラボーエキサイティング10の取材です。
押し気味の進行で到着は40遅れ。担当の青木さん、取材の中村かたぶつさん、カメラマンさんに、お詫びをします。
早速、日の落ちる前に外撮りです。その間、私は中村さんと待機。

そして18:00に取材開始となりました。
中村さんはシャイ企画7本目にあたるシンドロームのサンプルをもうご覧下さったとの事、併せてお褒め頂き、天海共々感謝致しました。
また先月の天海の撮りおろしグラビア12本!というスケジュールには一同驚かれておりました。

内容の詳細は各誌の発売をお待ち下さい。よろしくお願い致します。

19:50終了。天海を駅まで送り。私はお呼び頂いています、ある飲み会へと向かいました。

*画像はブラボーエキサイティング取材。スナップ撮影中の一コマ。  
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