高松市福岡町のイオン高松東店がいつの間にか改装してたので、報道記事を漁ったら1件出てきた。

■イオン高松東店がリニューアル 08月26日 11:50   KSB瀬戸内海放送
https://www.ksb.co.jp/newsweb/index/5947
 
高松市の大型ショッピングセンター、イオン高松東店がリニューアルし、買い物客で賑わっています。リニューアルの目玉は、一階のフロアです。「AEON LIQUOR」は世界各地から取り寄せたワインを中心に販売します。地元の味にも親しんでもらおうと、「川鶴酒造」「西野金陵」など、地酒コーナーを充実させました。また、自転車コーナーや靴売り場を改装して誕生したフードコートは、約600平方メートルに300席があり6店舗の飲食店を展開しています。

 ネタの宝庫やなwww





 話題の事件w



 最近のイベントw



 さぬき映画祭はキムチ臭がすごいんですからっ






 無国籍というか、住所不定の輩が高松市までやって来て多様な犯罪を犯すケースが多い。もう殺人まで犯してるんだから、香川県はその辺のトコをどう分析してるのだろうか??(確信犯)
 イオン高松東店でもw



 根っこがなぁw

イオン高松東店(イオンたかまつひがしてん)は、香川県高松市福岡町三丁目にあるイオンリテールが運営するショッピングセンター

1995年3月、西日本放送が所有する野球場跡に、マイカル(当時)が「高松サティ」として開店。

当店の開店以降香川県では大型商業施設の出店が本格化し、10年後には県全体にオーバーストア状態が醸成されているが、2010年代に入ってもなお新たな商業施設の出店は続いている[3]

2005年6月25日にリニューアルオープンした[4]

2011年3月1日にはイオンリテールのグループ再編に伴い、「高松サティ」から「イオン高松東店」に変更された。店名に「東」とついたのは、「ジャスコ高松店」が「イオン高松店」に変更された関係上、重複を避けるためである。「ジャスコ」と「サティ」が統一されたことに伴い、従来の食料品に強いジャスコと衣料品に強いサティという強みの融合を目指したことから、当店は「やや年齢の高い層」を中心顧客とし、旧「イオン綾川ショッピングセンター」の「イオンモール綾川」が「若い家族連れ」を中心顧客として新たな形での棲み分けを目指すことになった[5]

2012年4月27日には前年にイオンが子会社化したマルナカに青果コーナーの運営を委託している。青果コーナーではマルナカの名前を前面に出しているが、食品売場全体がマルナカになったわけではないので、マドンカード(同社のICプリペイドカード、2013年2月をもってサービス終了)やマルナカの商品券は使用できない旨の張り紙がある。また、この関係で当店は7時オープンの対象外となっている。

2013年7月には青果コーナーのリニューアルでマルナカへの委託を解消し、直営に戻している。

イオンシネマ高松東(イオンシネマたかまつひがし)は当店3Fに位置し、イオンエンターテイメントが経営する映画館シネマコンプレックス)。

1999年に香川県で2番目にできたシネマコンプレックスで、開館当時の劇場名は株式会社ワーナー・マイカルが運営するワーナー・マイカル・シネマズ高松であった。2013年7月にワーナー・マイカルがイオンシネマズと合併し、イオンエンターテイメントに名称変更したのに伴い現劇場名に変更した[6]。7スクリーン有り、一番入場人数が多い1番スクリーンが434席、7スクリーン合計1,466席を有する。2013年よりさぬき映画祭の主会場のひとつとなっている。

設備面では、dtsSRD-EX等の各種音響システムに対応し、6番スクリーンは3D映画に対応している。また、各シアターには車椅子席等のバリアフリー設備もある。


 衣料は中国。
 福岡町にコリアンが多い理由は?
 平井~、穴吹~とか書いてみる(*゜▽゜)ノ



 以前、まったく別の調べものをしていた時に関係してた分を含め酒造会社情報をメモ。

川鶴酒造


 財田川~




>財田川近くに蔵を構える川鶴酒造は、徳島県池田町染物業を営んでいた川人清造によって明治24年(1891)に現在の観音寺の地で創業しました。

 池田町は人口比率に対する飲み屋店舗数が日本一だとかw
 徳島県三好市では川鶴派が多い。吉野川沿い~大歩危・小歩危周辺の旅館に泊まれば昔話は聞けるw
 全国に先駆けて、フィリピーナの集団結婚軍団を派遣したのもこの地域(西祖谷・東祖谷)w
 
観音寺(かんのんじ[1])は、香川県観音寺市(かんおんじし)にある真言宗大覚寺派寺院四国八十八箇所霊場の第六十九番札所。山号は七宝山。本尊聖観音。六十八番札所神恵院(じんねいん)と同じ境内にある。なお、市名はかんおんじしであるが、寺名はかんのんじである。


 ビルマの桃太郎とか、いろいろあるんだけど...JRでw



 四国酒造88箇所巡り弾丸ツアー!
 弾丸列車かよw


西野金陵


 金刀比羅宮w


>酒名「金陵」は、江戸時代儒学者頼山陽先生が琴平を訪ねた折にこの地が中国の古都金陵(代々帝王発祥の地南京)を思わせるものがあるとして琴平の地を金陵と呼んだのに由来する命名である。

 後の南京大虐殺騒動(ry





 怖いわw


>初代 嘉右衛門が阿波藍(染料)の取り扱いを開始。これより代々嘉右衛門を世襲するようになる。(化)

阿波藍(あわあい)は、徳島県阿波国)で行なわれる藍染め、またはその材料となるタデアイ(アイ)や、すくも(藍玉)。徳島藩の保護奨励策によって隆盛し、日本の藍染め市場を席巻した。明治後期以降、輸入品に押されて衰退した。

阿波国では、三好氏支配の天正初期に藍染めが行われていた記録があるが、本格的に組織的な品種改良や組織的な栽培、加工が行われるようになったのは、蜂須賀氏の阿波入部以降である[1]徳島平野を流れる吉野川は別名四国三郎とも呼ばれ、大雨や台風によりたびたび洪水を引き起こし、稲作に大きな被害を与えてきた。しかしタデアイは台風シーズン前の夏に収穫可能で洪水の被害を受けにくく、また通常連作障害を起こすが、洪水が起きた場合は新たに流入した土砂によって連作が可能であった [2]

蜂須賀家政1615年に旧領である播磨から藍作技術者を招いて藍作技術指導にあたらせ、1625年には藩内に「藍方役所」を設置して藍の栽培、製造の監督を行なった[1]。家政以降の歴代藩主も保護、奨励政策をとり、阿波藍はますます盛んになって[1]1700年代には全国市場を支配した[3]明治時代に入ると紡績業の発達や綿製品の増大によってさらに需要が拡大し、最盛期の1903年(明治36年)の藍作作付け面積は15000haに達した[4]。しかしその後、安価なインド藍や合成染料の輸入によって明治後半には急速に衰えた[1]

1978年昭和53年)には阿波藍製造技術保存会の「阿波藍製造」が選定保存技術に認定された[5]。近年の藍作付け面積は10haから20haの間で推移しており、5軒の藍製造業者が存在する[3]。現状は伝統産業、観光産業として維持されており、特産品として商品開発を進める自治体もある[6]



 阿波忌部氏w

 JAPAN BLUE 藍色



 少し前、話題になった「飴屋」。その直後にニューヨークで阿波藍などの個展ブームが有ったんだけど、そこがなぁ・・・調べもの途中で情報がなくなったw





po1
http://junkoonorothwell.com/RobertBlumnihondenohibi.pdf







 メモなんだからね!




 
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