佐野研二郎の次はどんなコネなんだろう?(*゜▽゜*)

 共生(民主党・韓国民団)、絆?


東京2020大会エンブレム
emblem

採用作品
組市松紋(くみいちまつもん)

歴史的に世界中で愛され、日本では江戸時代に「市松模様(いちまつもよう)」として広まったチェッカーデザインを、日本の伝統色である藍色で、粋な日本らしさを描いた。
形の異なる3種類の四角形を組み合わせ、国や文化・思想などの違いを示す。違いはあってもそれらを超えてつながり合うデザインに、「多様性と調和」のメッセージを込め、オリンピック・パラリンピックが多様性を認め合い、つながる世界を目指す場であることを表した。

制作者
氏名:野老 朝雄(ところ あさお)

プロフィール
在住 都道府県:東京都
生年:1969年
職業:アーティスト
最終学歴:東京造形大学卒業、建築専攻
現在の所属:TOKOLO.COM
その他(受賞歴/代表作など):
・主な展覧会
2010年 「MOTアニュアル2010:装飾」展(東京都現代美術館/東京)
2010年、2011年 「オープン・スペース 」(ICC/東京)
2014年 「マテリアライジング展Ⅱ」(東京藝術大学美術館陳列館/東京)
2016年 [個と群] 野老朝雄×青森市所蔵作品展(国際芸術センター青森/青森)
・主な作品
2007年 FRP/F town ファサードパターン 建築設計:Atelier Hitoshi Abe(仙台/宮城)
2012年 工学院大学125周年記念総合教育棟 ファサードパターン+サイン計画 建築設計:千葉学建築計画事務所(八王子/東京)
2015年 BAOBAO TOKOLO PATTERN /BAOBAO ISSEY MIYAKE INC (バッグ)
2015年 大名古屋ビルヂング下層部ファサードガラスパターン 建築設計:三菱地所設計(名古屋/愛知)

 
最終候補作品
つなぐ輪、広がる和(つなぐわ、ひろがるわ)
制作者
氏名:久野 梢(くの こずえ)
プロフィール
在住 都道府県:東京都
生年:1978年
職業:デザイナー

超える人(こえるひと)
制作者
氏名:後藤 崇亜貴(ごとう たかあき)※ペンネーム
プロフィール
在住 都道府県:東京都
生年:1966年
職業:アートディレクター/デザイナー

晴れやかな顔、花咲く(はれやかなかお、はなさく)
制作者
氏名:藤井 智恵(ふじい ちえ)
プロフィール
在住 都道府県:東京都
生年:1967年
職業:デザイナー
佳作

佳作
受賞者名および居住都道府県
・久米井 大輔(くめい だいすけ)
在住 都道府県:北海道
・山野 一行(やまの かずゆき)
在住 都道府県:東京都
・東海林 小百合(しょうじ さゆり)
在住 都道府県:東京都
※公募エントリー順

これまでの選考の過程
エンブレム最終候補作品発表に至るまでの過程についてご紹介いたします。
東京2020大会エンブレム 選考の過程

https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/

 2011年が転換期かな?


TOKOLO.COM

野老朝雄 Asao TOKOLO 
http://www.tokolo.com

アーティスト
建築を学び、江頭慎に師事。
2001年9月11日より独学にて紋様の制作を始める。
「繋げる事」をテーマに美術,建築,デザインの境界領域で活動を続ける.
部分(ピース)を組み立てること(ピーシング)で生成される繋がる図を目指す。
単純な原理に基づき 定規やコンパスで描画可能な紋と紋様の制作をはじめ,
同様の原理を応用した立体物の設計/制作も行なっている.

1969東京生まれ.
1992東京造形大学卒業.
1992-93 Architectural Association School of Architecture 在籍.
1993-98江頭慎の制作助手、ワークショップアシスタント
2010-12 東京造形大学非常勤教員  
2010-桑沢デザイン研究所非常勤教員
2003-2016 武蔵野美術大学非常勤講師(ファッション領域担当)
2016- 東京大学工学部建築学科 非常勤講師

主な展覧会
2001 個展「Light Light」展(横浜美術館アートギャラリー/神奈川)
2003「時間旅行」展(日本科学未来館/東京)
2004「Modern Style in East Asia」展(東京北京藝術工程/北京)
2007「野老朝雄展」(菅野美術館/塩竃 宮城)
2010「MOTアニュアル2010:装飾」展(東京都現代美術館/東京)
2010「オープン・スペース 2010」(ICC/東京)
2011 キッズプログラム(ICC/東京)
2011「オープン・スペース 2011」(ICC/東京)
2012 「桑沢学園のアート&デザイン展」(八王子市夢美術館/東京)
2013 TOTO 4 Creators展 (TDW/六本木ヒルズ/東京) 
2014 マテリアライジング展Ⅱ(東京藝術大学美術館陳列館/東京) 
2015 単位展(21_21 Design Site/東京)
2016 [個と群] 野老朝雄×青森市所蔵作品展 (国際芸術センター青森/青森)

主な作品
2005愛知万博トヨタグループパビリオンVI担当 設計:みかんぐみ(名古屋/愛知)
2006新日本様式100選にTOKOLO PATTERN MAGNET が選出 【J023】
http://www.tepia.jp/infocompass/japanesque-modern/readingroom/100sen/100sen_products/j023.html
2007 BILBAO TOKOLOCOM pleats please / ISSEY MIYAKE (バッグ)
2007 FRP/F town ファサードパターン 設計:阿部仁史アトリエ(仙台/宮城)
2007 ユナイテッドシネマズ前橋カーペットデザイン 設計:テラダデザイン(前橋/群馬)
2008ブリーゼタワーB1エントランス床面作品 
   設計;Ingenhoven und Partner Architeckten D:タウンアート(梅田/大阪)
2009 INHABITANT STORE TOKYO アートワーク 設計;トラフ(神宮前/東京)
2012 伊達の牛たん本舗仙台壁画 設計:阿部仁史アトリエ(仙台/宮城)
2012 工学院大学125周年記念総合教育棟 ファサードパターン 設計:千葉学建築計画事務所(八王子/東京)
2012 エコベストファームエントランス壁面作品 設計;竹中工務店 D:TAKプロパティ(富士宮/静岡)
2013 SEIYUプロトタイプデザイン 設計:KMDW ブランディングパターン、サイン(沼津/静岡)
2013 110ビル地下エントラン壁面作品 設計;竹中工務店 D:TAKプロパティ(新宿/東京)
2013 TDW2103 TOTO アートワーク /設計;トラフ (神宮外苑、六本木/東京)
2014 敦賀オルパーク サインデザイン/設計;千葉学建築計画事務所 (敦賀/福井)
2014 M-Project/設計;KMDW (南青山/東京)
2015 BAOBAO TOKOLO PATTERN /BAOBAO ISSEY MIYAKE INC 
2013-16 大名古屋ビルヂング下層部ファサードガラスパターン 設計;三菱地所設計(名古屋/愛知)

RGSS++Vol.2 (RGSS vol.28)
Geometry Special 野老朝雄 「Connect」
 
トコロ紋やKumapon(g)など背後に幾何学パターンの潜む作品で知られる野老朝雄氏をゲスト・プレゼンターに招き、幾何学の美と、かたちを介して繋がるさまざまなものや現象について思いをはせる、Geometry Specialです。
■日時:2011.11.04[金]18:00-20:00(開場:17:30)
■会場:吉岡ライブラリー
(東京都文京区湯島2-31-2新建築社1階内)
■入場料:無料
■定員:80名
■応募:下記メールアドレスに氏名、職業/所属学校、年齢、性別、メール
アドレスを明記して応募して下さい。応募先着順。
■主催:株式会社 新建築社 企画:RGSS
■協力:財団法人 吉岡文庫育英会 noiz architects
■予約受付:oono@rgss.jp
 
tokolo
KumaponGforRGSS

野老朝雄
1969年東京生まれ、1992年東京造形大学デザイン学科建築専攻卒業、1992〜1993年 AAスクール在籍、1993〜1998年江頭慎の制作助手、ワークショップアシスタントを務める。現在、武蔵野美術大学、東京造形大学非常勤講師。TOKOLO.COM主宰。http://tokolo.com

「繋げる事」をテーマに美術、建築、デザインの境界領域で活動を続ける、単純な原理に基づいて定規やコンパスで再現可能な紋様の制作をはじめ、現在は同様の原理を応用した立体構造物の制作も行なっている。
主な展覧会に、2001年個展「Light Light」展(横浜美術館アートギャラリー/神奈川)、2003年「時間旅行」展(日本科学未来館/東京)、2004年「Modern Style in East Asia」展(東京北京藝術工程/北京)、2010年「MOTアニュアル2010:装飾」展(東京都現代美術館/東京)、2010年「オープン・スペース 2010」(ICC/東京)などがある。

現在、阿部仁史アトリエ、千葉学建築計画事務所、KMDW などと恊働。
オープン・スペース2011(ICC/東京)にKumaponGなどを展示中。
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2011/Openspace2011/index_j.html

RGSS は、大野友資と舘知宏が主宰する、コンピュテーショナルデザインやディジタルファブリケーションを中心とした、デザインアプローチに関する研究会です。建築、プロダクト、メディア・アートなど、様々な分野からゲストを迎え、自由なプレゼンテーションとディスカッションを通して最先端の情報を交換することを目的としています。

RGSS http://www.grasshopper3d.com/profiles/blog/list?user=00ze26hpxls4h


出典:新建築Online
http://www.japan-architect.co.jp/jp/special_features/2011/1018114006.php

野老 朝雄
Asao Tokolo
野老 朝雄/Asao Tokolo
東京造形大学、AA Scoolにて建築を学ぶ。
建築/デザイン/美術 等の領域で活動。
所属:イエロウスタジオ/(株)野老設計事務所/DDD/東京コンピュ-タ-専門学校非常勤講師
http://www.bluestudio.jp/magazine/interview/000417.html

↓TOKOLO.COM内のリンクサイト「http://www16.plala.or.jp/m-tokoro」のアーカイブ




竹中工務店!

 新国立競技場ザハ案の屋根は竹中工務店!



 オザーさあああああんっ!


BAOBAO TOKOLO PATTERN /BAOBAO ISSEY MIYAKE INC 




三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake1938年(昭和13年)4月22日 - )は、日本出身のファッションデザイナー

生い立ち

広島県広島市東区に出生[1]。1945年、7歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。同じく被爆した母、春笑を放射能障害のため3年経たないうちに亡くした。「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」を考え続けた末、衣服デザインを志向するようになった[2]

広島大学附属東雲小学校・中学校広島県立広島国泰寺高等学校卒業[3]

幼少期から優れた美的センスを発揮、一貫して美術部に所属。焼け野原から復興する広島の街、とりわけ通っていた国泰寺高校の近くにあった丹下健三設計の広島平和記念公園イサム・ノグチ設計の平和大橋のデザインに感銘を受ける。

デザイナー

高校卒業後、上京し多摩美術大学図案科に入学。在学中から装苑賞の第10回(1961年)、第11回(1962年)と2年連続で現在の佳作にあたる賞を受賞、頭角を現した。第1回コレクションは1963年に発表した「布と石の詩」[4]

しかしファッションを独立したデザイン分野と認知しない当時の環境に苛立ちパリに渡り、パリ洋裁組合学校「サンディカ」で学ぶ。1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、その後ジバンシィでデシナトゥール(完成した服を絵にする仕事)になる。パリモードがオートクチュールからプレタポルテに移行する時代、実用的な衣服をデザインすることで、人の在り方を表現するプレタポルテの若手デザイナーたちは大きなショックを受けた。

世界進出

日本に帰国後の1970年、「三宅デザイン事務所」を設立[4]。翌年2月にはアメリカ合衆国ニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。

1973年、「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」でパリ・コレクションに初参加。衣服の原点である「一枚の布」で身体を包み、“西洋”でも“東洋”でもない衣服の本質と機能を問う“世界服”を創造。布と身体のコラボレーションというべきスタイルの確立は、1978年発表の「Issey Miyake East Meets West」で集大成された。コンパクトに収納できて着る人の体型を選ばず、皺を気にせず気持ちよく身体にフィットする1993年に発表された代表作「プリーツ・プリーズ」はこれらの延長線上にある。

世界的に高い評価と人気を誇り、1993年、フランスレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、イギリスロイヤル・カレッジ・オブ・アート名誉博士号授与。1998年、文化功労者に顕彰、1999年には米週刊誌『TIMEアジア版において、「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出され、2005年、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)、2006年第22回京都賞(思想芸術部門)[5]、2016年、レジオン・ドヌール勲章コマンドール[6]など数々の賞を受賞。

2004年、財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立、2011年2月1日に、公益財団法人となった。2007年3月、東京六本木に誕生した複合施設「東京ミッドタウン」内に併設されたデザイン拠点「21_21 DESIGN SIGHT」(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)をオープンさせた。

2008年度から2014年度まで朝日賞選考委員も務めた。2010年11月 、文化勲章皇居にて鈴木章安藤忠雄蜷川幸雄らと並び、受勲した。

ISSEY MIYAKE[編集]

「ISSEY MIYAKE」(イッセイ・ミヤケ)は三宅の作り出したブランドである。メンズ・レディス共に手がけており、1992年には香水「ロードゥ イッセイ」(L'EAU D'ISSEY) も発売。デザイナーに深澤直人山中俊治吉岡徳仁ハッリ・コスキネンロス・ラブグローブイブ・ベアールを起用し、セイコーインスツルとコラボレーションした時計・ISSEY MIYAKE WATCHも展開している。

1993年「プリーツ・プリーズ」スタート。1998年「A-POC」発表。2000年にはHaaT、2001年にはme ISSEY MIYAKE、2010年にはBAO BAO ISSEY MIYAKE(バッグ)と132 5. ISSEY MIYAKE、2013年6月には陰翳 IN‐EI ISSEY MIYAKE(照明器具)、同年11月にはHOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKEがそれぞれスタートした。

メンズは1993年より、レディースは1999年より、滝沢直己クリエイティブ・ディレクターを務めた。2007年春夏コレクションをもって滝沢は退任し、2007年の秋冬コレクションから2011年の秋冬コレクションまで、メンズ・レディースともに藤原大がクリエイティブディレクターを担当した。2012年春夏シーズンからは、レディースは宮前義之が、メンズはデザインチームがそれぞれデザインを担当する[7]。2014年春夏シーズンから、メンズは高橋悠介がデザインを担当している[8]

かつてはイッセイスポーツ[9]、イッセイコレクション[10]、ISSEY MIYAKE WHITE LABEL、ISSEY MIYAKE PERMANENTE[4]といったブランドがあった。その他に三宅が関連するブランドとしては、2006年の秋冬シーズンまで展開していたim productがあった。

イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCaTSUMORI CHISATO、などを展開している株式会社エイネットがある。


 コネコネw




オマケ





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