本場パヨクのお祭りメーデー?
 米原子力潜水艦ミシガンの釜山入港でふぁびょったか、NEXT大統領選挙でふぁっびょーん事故かとおもた。


※おもいっきり死体が写ってたのでボカシの入った動画で。

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http://www.yonhapnews.co.kr/photos/1990000000.html?cid=PYH20170501905500052&from=search

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http://www.yonhapnews.co.kr/photos/1990000000.html?cid=PYH20170501069600052&from=search

記事入力 : 2017/05/01 21:21
サムスン重工業の造船所で大型クレーン倒壊、28人死傷
    
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▲写真=NEWSIS

 韓国南部・慶尚南道巨済市にあるサムスン重工業の造船所で1日午後2時50分ごろ、タワークレーンが倒れ、6人が死亡、22人が重軽傷を負った。

 事故は、造船所で作業中だった800トン級の大型クレーンと32トン級のタワークレーンが衝突し、タワークレーンの一部が建造中の海洋プラントに覆いかぶさる形で倒れた。

 この事故で、作業員6人が死亡したほか、3人が重傷、19人が軽傷を負った。

 サムスン重工業は、大型クレーンが構造物を解体するために移動中、タワークレーンに衝突したとみている。

 事故発生時は休憩時間で、作業員たちが1か所に集まっていたため多数の犠牲者が出たという。

 死亡したのはほとんどが協力会社の社員で、工期に間に合わせるために休日に出勤して作業していた。サムスン重工業は労働者の日(メーデー)の1日から7日まで連休になっているという。

 警察は捜査本部を設置し、事故原因の究明に当たっている。

チェ・ウンヨン記者

NEWSIS/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/01/2017050101934.html


NEXT大統領選挙


文在寅(ムン・ジェイン、1953年1月24日 - )は、韓国政治家弁護士市民活動家。

概要

第19代国会議員。盧武鉉政権(2003年2月~08年2月)では青瓦台の民情首席や大統領秘書室長など盧武鉉大統領の側近として活躍した。2012年韓国大統領選挙における民主統合党の大統領候補。民主統合党代表代行(2012年11月18日~12月28日)。新政治民主連合代表(2015年2月9日~12月27日)、共に民主党代表(2015年12月28日~2016年1月27日)。 

来歴[編集]

1953年巨済島に生まれた。両親は朝鮮戦争のさなかの1950年12月に咸鏡南道から「興南撤収作戦」の際に、米国の貨物船「メロディス・ビクトリー号」に乗り脱北した避難民[1]。家は貧しかった。ハンギョレ新聞によれば、トウモロコシのお粥給食が一日の食事の全てで、月謝が払えず授業中に教室から追い出されたこともあったという。慶煕大学校在学中の1975年当時の朴正煕政権に反対する民主化運動に係わった容疑で逮捕され、ソウル市の西大門刑務所に収監された。釈放された後、兵役の任務に就き特戦司令部空挺部隊に配属。1976年には板門店で北朝鮮と韓国および国連軍の軍事衝突「ポプラ事件」が起こり、文氏の部隊が解決のために投入される[2]1978年除隊1980年慶煕大学校を卒業した後、第22回司法試験に合格。1982年、弁護士であった盧武鉉と共に合同法律事務所を開設、釜山地方弁護士会人権委員長や釜山YMCAキリスト教青年会理事など要職を務める傍ら、時の全斗煥政権に反対する民主化運動に取り組んだ。

2002年12月に行われた大統領選挙に盧武鉉が立候補した際、釜山地域における選挙対策本部長を務めた。翌2003年に盧政権が発足すると、青瓦台(大統領府)民政首席を皮切りに市民社会首席や大統領秘書室長などを歴任、盧の側近として活躍した。2009年の盧の自殺時、国民葬を葬儀委員会常任執行委員長として取り仕切った。

盧の死後、政治活動を活発化させ、2011年9月には「革新と統合」(以下、革統)を結成し、常任共同代表に就任した[3]。翌2012年4月の第19回総選挙では民主統合党(前年12月に民主党や革統などが合同して結成。以下、民主党)の候補として釜山市沙上区から立候補し、当選を果たした。

(以下略)


古来、巨済島は日本と朝鮮との交通の要衝であった。市の公式サイトでは、三韓時代の弁韓の一国で「倭と界を接す」[2]と記された盧国を歴史的淵源に求めている。もっとも、盧国の比定地には諸説あり、巨済島とする説は定説ではない。この島には、新羅時代に巨済郡という名の行政機関が置かれるようになった。

高麗時代、元寇に先立つ1267年、モンゴルの使臣殷弘黒的が巨済島から日本への海路の険しさを見、「大洋万里、風濤の天を蹴る」[3]と報告している。1275年弘安の役では合浦(馬山)を出航した東路軍の軍船が巨済島で半月ほど停泊した。15世紀には倭寇の侵入を受け、朝鮮王朝は島を一時放棄している。

16世紀末の文禄・慶長の役(壬辰倭乱)では巨済島は日本軍の拠点となり、諸将が島内に倭城を築いた。文禄の役の名目上の大将である豊臣秀勝はこの島で病死している。付近の海上では玉浦海戦巨済島海戦(漆川梁海戦)・閑山島海戦が戦われた。

近代に入ると、1889年に日本朝鮮両国通漁規則が結ばれ、東岸の長承浦や旧助羅(クジョラ/구조라, 舊助羅)などに日本人漁民が移住した。長承浦の湾口にあった通称「入佐村」は大規模な移住漁村であった。

1900年、ロシア帝国は、巨済島を租借する意があるとの風説を打ち消すためとして、大韓帝国に対し、巨済島不租借に関する露韓条約を結び、ロシア及び第三国への巨済島の租借を禁止させた[4]

韓国併合後の1914年に行われた地方行政区画の再編により巨済郡は廃止され、統営郡に編入される。

朝鮮戦争が勃発すると島は後方基地となり、兵士の訓練所や避難民収容施設が設置された。島内にはアメリカ軍が設置した巨済島捕虜収容所英語版があり、1952年5月7日巨済島事件韓国語版では共産主義者による暴動の舞台となった。

戦争中の1951年に郡の再設置に関する法律が公布され、1953年に巨済郡が再設置された。1970年代に2つの大きな造船所が設けられ、巨済は造船の島として発展を遂げる。1989年には長承浦邑が先んじて市制を施行して巨済郡を離脱するが、1995年に長承浦市と巨済郡が合併し、巨済市となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/巨済市



 産経新聞が食いついていたw

2017.4.11 07:54
【韓国大統領選を歩く】
文在寅氏を“消極的な支持”「俺たちの代表じゃない」 造船不況、韓国のラストベルト・巨済島

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 韓国大統領選は、一部世論調査で中道左派の第2野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)元共同代表が支持率首位に浮上するなど左派系最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)前代表の独走から戦況が一変した。投開票まで1カ月を切り、事実上の一騎打ちの様相を見せる。現場ルポを通じ、保守政権への国民の失望や韓国社会が抱える課題を浮き彫りにしながら、票の行方を追った。(韓国・巨済(コジェ)島 時吉達也)

 釜山(プサン)からバスで約80分。雨の降りしきる街に降り立つと、鮮やかなオレンジ色の作業用雨具姿の人々が行き交っていた。出前の配達、駐車場の管理人。背中にはそれぞれ、韓国の造船「ビッグスリー」の一つである「サムスン重工業」の社名が印刷されている。「着心地がいいから、街の人はみんなこれを使うんだ」(配送業の男性)。造船業従事者が労働者の7割を占める街の風景だ。

 対馬(長崎県)から五十数キロの距離にある韓国南東端、巨済島。1980年代以降韓国経済の主力となった造船業の中心地で、近年まで世界の「造船1番地」として存在感を示していた。近隣の蔚山(ウルサン)などとともに不況知らずの繁栄を誇ってきた造船地帯が今、未曽有の危機に瀕(ひん)している。

 世界的な物流の減少や中国企業の進出に伴い、韓国の造船受注量は過去10年で3分の1以下に減少。昨年には17年ぶりに日本を下回った。ビッグスリーの一つで、サムスンと同様に巨済で大型造船所を経営する「大宇(デウ)造船海洋」に対しては3月、国が6兆7千億ウォン(約6700億円)規模の金融支援に乗り出すことが決まった。

 影響は飲食店など地域経済にも波及し、住民は政治への不信感を募らせる。現地メディアは一帯を「韓国のラストベルト」と呼ぶ。

「この間まで、『犬が一万ウォン札を口にくわえて歩く街』といわれてたんだけどね」。午後5時、巨済島東部の玉浦(オッポ)地区。大宇の造船所で働く2万人以上の労働者が一斉に帰路に就く中、共働きの妻とともに会社を出てきたカン・ムシンさん(51)はかつての繁栄を懐かしんだ。

 造船マンとして23年を過ごし、2000年代前半には月に700万~800万ウォンを稼いだのも過去の話だ。日に日に同僚が減っていくなか、6人の子供を抱え将来の見通しは全く立たない。

 大統領選に水を向けると、「文在寅に投票することになる。保守は誰も期待できないから」と話した。一方、「造船業の行方は世界経済次第。大統領候補がどんなに聞こえのいい公約を掲げても関係ない」と期待は薄い。

 家族と離れ、単身で出稼ぎ生活を送るパク・ビョンスンさん(51)も「投票する人がいない。一番重要なのは造船業の景気を何とかしてくれる人だけど…」と嘆く。「あえて一人挙げろというなら、文在寅が一番マシなのかな」とため息をついた。

 巨済は文在寅氏の出身地でもある。しかし、地元特有の熱気は感じられない。移動中のタクシーで、男性運転手は「あいつはただの避難民。別に俺たちの代表じゃない」と吐き捨てた。

 北朝鮮で暮らしていた両親が朝鮮戦争で韓国に避難し、行き着いた巨済島で生まれた文氏。同じ巨済出身でも、地元選出の国会議員を経て大統領に上り詰めた金泳三(キム・ヨンサム)氏とは異なり、若い時分に巨済を離れた文氏に愛着を持つ人は多くない。

「それでも、今回は保守に入れるわけにはいかないから」。保守政権を担ってきた朴槿恵前大統領の逮捕が影を落とす。話を聞いた20人以上の中に、保守政党候補を推す声はなかった。

 夜を迎えた玉浦地区の繁華街。大宇の作業着姿のままで飲み歩く労働者らの姿があったが、「どの店も満席で、店に入れないほどだった」というかつてのにぎわいは失せていた。安哲秀氏を支持しているという男性は「まあ結果を見ててよ。韓国人は文在寅なんかに政権を任せるようなことはしないから」。赤ら顔で記者の背中を強くたたいた。

 翌朝。日雇いの現場作業員の仕事を紹介する事務所を訪れると、仕事にあぶれた10人近い造船業出身者らが花札に興じていた。大統領選について尋ねる記者に対し、一人の男性が視線も向けずにつぶやいた。

 「クノミクノミヤ(どいつもこいつも同じだ)」

 ラストベルト さびついた工業地帯という意味で米東部から中西部にかけ、鉄鋼など主要産業が衰退した地域を指す。産業空洞化による地域経済の低迷や人口減少、移民増加が進む中、政治不信を募らせた白人労働者らが2016年米大統領選で過激な改革を訴えたトランプ氏の支持に回り当選に貢献した。
http://www.sankei.com/world/news/170411/wor1704110011-n1.html

 むかーし産経は、韓国に対して親切な新聞、韓国の産業経済に詳しい新聞などと呼ばれてたそうですが、玉木雄一郎が嫌う様に極右新聞ニダ!と極端に嫌われ出したのは「6.15南北共同宣言(金大中―金正日)」以降じゃないかい?? 
 それ以前は、北朝鮮は明確な韓国の敵で有り、日本国内の朝鮮総連の事件報道は産経が独断場にしてたから在日南トンスル民に人気だったんでそ?
 で、日本は「日韓共同宣言(小渕恵三―金大中)」...。


 じぇんじぇん平和に成っていないよっwwwwww


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