December 28, 2006

歌詞集(19) アンダーグラウンド


アンダーグラウンド


この坂の上に
頭のおかしな音楽家が住んでいた
ひとつリズムを作っては穴を堀り
ひとつメロディーを作っては穴に埋める

やがて、音の無い、交響曲ができた時

この桜の木の下で
誰も知らないリサイタルをはじめた

壊れたバイオリン
土の中

Tirira-ti-ti-tara-ta

目を醒まし

震える木の根っこ
歌い出せば

Tirira-ti-ti-tara-ta

坂の上から

白骨の楽団が

調子っぱずれの行進曲にのってやって来た


猫は聞き耳を立てていたが
「芸術はわかりませんや」
と、そ知らぬ顔

犬は骨の匂いにつられてかじりつき
「ああ、わしの頭は何処行った?」
ごろごろ転がるシャレコウベ
犬がくわえて逃げてった

そして、音も無く、霧が夜を包む時

この桜の木の下は
素晴らしいアンダーグラウンドの世界


アスファルトの下の土の下の地下の最下層の地層
響く洞窟の靴の音、暗黒の水琴窟の思想
重力の底、骨が軋む音、圧力が搾り出す結晶
滴る雫、湛え歌え喰らえ、唇には幻想

アンダーグラウンド
アンダーグラウンド

狂った音楽家は土の中





「アンモニア海峡」に変わって、オープニングで登場する機会が増えた曲です。
私にとって大事なキーワード、「アンダーグラウンド」がテーマです。
「アンダーグラウンド」は私にとって、美学であります。
それはなんなのか、なかなか、ひと言では伝えられないのでありますが、
自分のなかにある景色をそのまま歌詞にしました。
なので、暗喩、暗号的な言葉が多く、ちょっと難解であります。

漠然と、イメージを楽しんでもらえたら嬉しい曲であります。








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June 04, 2006

歌詞集(18) 僕の王国


僕の王国


象の鼻からすべり降りた友達は
みんな家に帰った
夕焼けのマントをひるがえし
太陽は西の空へ
ブランコの音と僕だけがここにいる
風が水たまりに波をおこした

見えない地平線
見たくなって、立って、だって、もっと、もっと、
高いところへ・・・

ジャングルジムの上から
見渡した僕の王国
象の滑り台、シマウマのベンチ、ライオンの砂場
千里眼の望遠鏡で見渡した僕のサバンナ
象が歩き出す、シマウマが走る、ライオンが吼える

家の鍵は学校からの帰り道に
きっとドブに落とした
光化学スモッグが出た日の
夕焼けはとてもキレイさ
あと少したてば空が紫色になって
風は飛び立つフラミンゴの群れになる

雲の行く先
見たくなって、立って、だって、もっと、もっと、
鉄の山へ・・・

ジャングルジムの上から
見渡した僕の王国
小さな水たまり、近所のノラネコ、僕の顔見て逃げてった
千里眼の望遠鏡で見渡した僕のサバンナ
大きな湖、ほら、あそこを駆けるのはチーター

父さんも母さんも、まだまだ帰ってきやしない
いつまで待っても誰かが迎えに来るわけじゃない
でも僕の頭の中にはライオンや象やチーターやシマウマがいて
広い広い草原があるんだ、どこまでも、どこまでも・・・

空いっぱいに声を張り上げて
歌をうたおう、僕の王国の歌
そしていつまでも、きっとこの歌を覚えていよう
大人になったらきっと歌おう
さみしくないって、やせ我慢して
どうしようもない時もあるだろし
そのときのために、ちゃんとこの歌を覚えていよう

今・・・僕はネクタイをしめて
夕暮れの町を重い足取りで歩いている
あれから数十年がすぎて、背丈も景色も変わった
僕の千里眼は少し曇ってしまったのかな
でも目を凝らせば、そこには、ほら、
きっと、きっと、きっと、
象が、シマウマが、ライオンが、チーターが
草原が、大きな湖が、夕焼けが・・・見える

宵の明星
帳が降りた時
風にのって・・・
風にのって・・・

ジャングルジムの上から
聴こえた僕の王国の歌
風にのって・・・耳に、胸に、目に、
あの日のまま





最近作った曲です。
でもって、最近必ずライブで演奏している曲です。
この曲も、「商店街の白い馬」と同様に、子供の頃の原風景が元になっています。
当時住んでいた尼崎は工業地帯で、夏の晴れた日は、たいてい光化学スモック警報が発令されていました。
晴れの日なので、夕焼けはきれいです。
空気が濁っているので余計にきれいだったりするのかもしれません。
夕暮れは一番想像力が沸き立つ時間帯だと思います。

夕暮れ時の公園の歌を作ろうと思ったのですが、なぜかアフリカっぽいギターのフレーズを思いついてしまいました。
そしたら公園の夕焼けは、アフリカの夕焼けになっていました。
その、ふたつ夕焼けを結び付けてくれるキーワード、「ジャングルジム」
という言葉が頭に浮かんだとき、公園の象の滑り台が、ゆっくり歩き始めました。










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May 24, 2006

歌詞集(17) 場末のプリンス

場末のプリンス


(セリフ) 恋の歌をうたうのは、さみいしいからじゃあないんだぜ。
      俺の背中のストリングスが夜風に震えているだけさ。
      耳を澄ませばほら、あの袋小路から、
      心震わす魅惑のエコー。
      断末魔のビブラートが・・・。
      おいでおいでと手招きをして、今夜も俺を誘うのさ。
      恋の歌をうたうのは、さみしいからじゃあないんだぜ!

ピンクのドンペリニヨンの海、紫の絨毯
金ピカピカのライターで煙草に火をつけましょか?
浮き世の垢を洗い流して
「おかえりなさい」と迎える、あなたはひとときの主(あるじ)
ぬくもりをあげましょ、湯気のでるようなぬくもり

今夜の歌は低音の魅力
金ピカピカのマイクで甘く囁いて
それとも遠い故郷の歌?
あなたが何処の誰でも一向にかまわない
踊りたければムーディーなルンバを・・・。だってここは・・・。

夜の街では誰でもみな平等
学歴も、育ちも、ここじゃ無力
泥棒も、人殺しも
ネオンの光に照らされて
マイクを握りしめ歌う

(セリフ) 目と目を合わせ、頬よせて、おでことおでこをゴッツンコ。
      ふたり歌った恋の歌。
      背中に回した手のひらがドクンドクンと脈打った。
      オパール色に潤んだくちびる。
      ハモリがきまれば言葉はいらない。
      心通わせ、体温感じながら、「銀座の恋の物語」
      382-01とボタンを押した白い指を、
      お前のほっぺのそばかすを、お前の右手のマラカスを、
      俺は決して忘れない。
      あの日のデュエットは、あの日のデュエットは・・・
      ふたりだけの、秘密の花園だった・・・。
      恋の歌をうたうのは、さみしいからじゃあないんだぜ。   
      俺の心のストリングスがお前に震えていただけさ。

ご指名のレイコさんは、三日前にやめました
金ピカピカのネックレスは大事に持って行きました
名刺に「アリガトウ」と残して
あの娘が何処の誰だか、本名さえわからない
深追いするのは禁物、だってここは・・・。

夜の街角、恋はいつでも有料
ルックスも、才能も、無力
嘘つきも、お人好しも
ネオンの光に照らされてマイクを握り
肉欲と、プラトニックの
狭間の波に揺られ歌えば
誰でも場末のプリンス




木村三郎のキャッチフレーズ「場末のプリンス」を冠した曲であります。
なので、色んな思いがたくさん詰まってます。

場末の美学、そこにある音楽、歌。
真実もインチキもごっちゃになった世界。
純粋で、したたかで、悲しくもあり、楽しくもあり・・・。
でもって、色気。

この、場末の世界感は、木村三郎のライブそのものだと思っています。

金持ちも、貧乏人も、お一人様1000〜1500円の入場料。
一生懸命働いたお金でも、株で儲けたお金でも、拾ったお金でも、盗んだお金でも、なんでもかまいません。

政治信条、宗教、社会的な地位、関係ありません。

ただただ、楽しんでってください。

そういう思いを、ひと昔前のカラオケスナックを舞台にぶちこんだ歌です。




kimura360 at 02:44|Permalink

歌詞集(16) 多摩五郎の疾走

多摩五郎の疾走


うなるワイパー 激しく打ちつける雨
危険なドライブのゴールは何処?
流れる景色が 灰色の世界に溶けてく

もしもこの雨が 女神の涙なら
跡形もなく 俺の気配を消して
たった一度のギャンブル
アクセル踏みしめて走る多摩五郎

走る多摩五郎
お前は何処へ消えたのか
国中探しても
お前の影すら見つからない
多摩五郎・・・・

「喧嘩にカツアゲ、ちょっとした万引きやかっぱらい。
警察のやっかいになるなんて、日常茶飯事だったよ、あの頃は・・・。
集まるヤツらは、どいつもこいつも、みんなギラギラしてさ、車やバイクが好きだった。
スリルが欲しかっただけだよ。ほんとに悪いヤツなんて、ひとりもいやしなかった。

土曜の夜になりゃ、基地の近くの街道でドッグ・レース。
バンパーギリギリ1センチ。命懸けのつばぜり合いで、追いかけっこ。
あんたらから見りゃ、つまんない事かもしんないけどね。
あの頃は、みんな、そうやってギラギラしながら走ってたんだ・・・。

仲間のケイってヤツが死んだのは2月の終わり・・・。
まだ19だった。
何処でかっぱらってきたんだか、乗り回してたのはヤマハ・スポーツ350RI.。

俺達のグループにはリーダーがいてね・・・。
ちょっと二枚目の、いい男だったよ。
ケイとはほんとの兄弟みたいで、いつもつるんで遊んでた。
ふたりでタンデムして走ってる時に、ふざけてスピンして、ケイだけ落っこちて・・・。
電信柱に頭ぶっつけて即死。
雨が降る日の夜だった。
街も、道路も、信号も、みんな雨ん中で、ギラギラしてる夜だった・・・。」

走る多摩五郎
お前は何処へ消えたのか
国中探しても
お前の影すら見つからない
多摩五郎・・・・

黒い革ジャンと白いヘルメット
赤いランプ、サイレン、コンクリートの壁
道路にポツンと残るヤツのバイク

「ケイの葬式は俺達だけでやった。
ケイの350真っ白に塗ってさ、ケイの革ジャン被せて燃やしたんだ。
オイルの匂いがプーンとしてさ、工場の煙突みたいに黒い煙があがったよ。

ケイには彼女がいて、腹ん中には子供がいた。
リーダーは全部自分のせいだって、ケイを殺したのは自分だって、
彼女の前で土下座して泣いた。
後の面倒は全部、自分が見るって、
当ても無いのにそう言い残して、闇の中へ消えたよ。
何度か彼女んとこに、相当な金額送ってきたって聞いたけどね。
リーダーが今、何処で何やってんだか・・・。
それは誰も知らない。

え?・・・あの事件のこと?・・・もちろん知ってるよ。
有名だもんね。
多摩五郎の事件だろ?」

モノクロームの写真、躍る活字、飛び交う記憶
迷路の中で出口を見失う 一匹の蟻
扉は全部閉ざされたはずなのに

何処にも行けやしないってタカをくくって、でも、それは油断
人も、街も、知恵も、心も、大量生産、降参、悲惨、無残
誰にもイメージできないような落とし穴が、街にはあふれてる

武蔵の国の多摩川の
流れ濁りて 水が増す

時に1968年12月10日、午前9時21分頃。
東京多摩地区は雨。
まさしく土砂降りの様相。
東京芝浦電気府中工場従業員4525人分のボーナスを届けんがため、
栄町学園通りをひた走るは日本信託銀行の現金輸送車、黒塗りのセドリック。
府中刑務所北側の路上に差し掛かりし時。
バックミラーに目をやれば、停車を命じる1台の白バイ。

「日本信託銀行の車ですね?」
「はい・・・。そうですが・・・。」
「巣鴨署から緊急連絡があり、支店長の自宅がダイナマイトで爆破されました。
この車も爆弾が仕掛けられていると連絡を受けています。
車の中を見せてください。」
「おかしいな・・・。昨夜、車の中を調べましたが、何も無かったですよ。」
「それでは、車の外を調べてみます。」

さらに激しく降る雨の中、ワイパーの音だけが淡々と時を刻む・・・。
ゆっくりと車の周囲を調べる白バイ警官。
車体の下に潜り込んだかと思うと、やにわに。

「あったぞ!ダイナマイトが爆発する!危ない!逃げろ!」

雨に濡れたボンネットの中から、もうもうたる白煙噴出し、見れば真っ赤な炎がバチバチと花火のように燃えている。
慌てた行員達は脱兎の如く車から飛び出し100メートル離れたブロック塀の隠へ。
ああ、この時。車のキーさえ外していれば。

素早く運転席に乗り込んだ白バイ警官は半ドアのまま車を急発進。
猛スピードで府中街道方面へ、雨の中へ消えてしまった。
この間わずか3分。
車の中に乗っていたのは、3個のジュラルミン・ケース。
現金2億9430万7500円。
世に言う、3億円事件の発生であった。

緊急配備の検問もホシの行方を追えぬまま、刻々と時は過ぎ
武蔵国分寺近くの空き地に、乗り捨てられた黒塗りのセドリック
発見したのは1時間後の午前10時18分
そこにはトヨタ・カローラのタイヤの跡が残っていた

目撃証言から、捜査本部は逃走車を68年型トヨタ・カローラ、色はゼウス・ブルーと断定。
車のナンバーは・・・・。
多摩 5 ろ 3519
捜査員達はそのナンバーを「タマゴロウサン、イツイク」と覚え、
いつしか、その車をこう呼ぶようになった。
多摩五郎・・・。

うなるワイパー 激しく打ちつける雨
危険なドライブのゴールは何処?
流れる景色が 灰色の世界に溶けてく
多摩五郎・・・。

「しつっこいねえ。あんたも。ほんとに何にも知らないって。
リーダーの名前は誰も知らない。本名なんて、俺達にとっちゃどうでもよかったんだ。
家や学校が嫌で、飛び出してきたヤツばかりだったからね。
どいつもこいつも、みんなギラギラしてさ、スリルが欲しかった・・・。それだけだよ。
バンパーギリギリ1センチ。命懸けのつばぜり合いで、追いかけっこ。
あの頃は、みんな、そうやってギラギラしながら走ってたんだ・・・。

冗談じゃない。
あの1968年に戻りたいなんて、これっぽっちも思っちゃいない。
高度経済成長、ベトナム戦争、大学紛争、日米安保!
俺達だけじゃない。世の中が全部ギラギラしてたんだ。
オイルの匂いと、たちこめる煙の中で、何もかもが全部、そろいもそろって、
ギラギラしてやがったんだ!!

もしもこの雨が 女神の涙なら
跡形もなく 俺の気配を消して
たった一度のギャンブル
アクセル踏みしめて走る・・・多摩五郎!





ひゃあああ〜。長い!
こりゃ、読む人おらんな。

改めて書いてみて、よくまあ覚えたもんだと思います。
で、よくこんなのライブでやるなあ、と思います。



kimura360 at 02:44|Permalink

歌詞集(15) バラ色トンネル

バラ色トンネル


日暮れを告げる鐘が鳴る
雫こぼれて濡れる肌
お別れの時 離れる舟

白い水蒸気 震える泡
遠くを飛ぶ鳥の羽根
ゆりかごの夢 葬式の列

深く息を止めて 目を閉じて
また会う日まで しばらく居眠り

バラ色のトンネルくぐって
果てなき川を
どこまでも流れて行く

花びらが散る岸辺よ
幼い頃の
なつかしい景色よ
さらば、さらば


喜び悲しみ 入り口と出口
遠ざかる思い出 消えない景色
風に漂う 赤いリボン

胸に手をのせて 耳をすませば
絡まる糸が解けてゆく音

静けさの中に浮かんで
彷徨いながら 
どこまでも流れて行く

花びらが積もる水面に
浮かぶ日々よ 
なつかしい笑顔よ
さらば、さらば

夜空につづく 淡い西の黄昏の光
あの星に辿り着くまで

バラ色のトンネルくぐって
果てなき川を
どこまでも流れて行く

花びらが散る岸辺よ
愛した人よ
素晴らしい世界よ
さらば、さらば




ケイちゃんという従兄弟が若くして亡くなりました。

ケイちゃんは顔立ちが私とよく似ていました。

火葬場で、自分によく似た肉体が棺とともに消えて行き、お茶をすすっている間に、真っ白な灰になって出てきた時は、ショックでした。

帰りの道々、自分の中にあるもやもやを一気に思い出しました。
途中で放っぽりだしていた、大事なテーマです。



ご存知の通り、今は仕事も止めてしまって、再び紙と鉛筆とギターを持ち、人前に出ております。

復帰してからのテーマは明確に「生と死」、「光と闇」そしてその狭間です。
やはり、普段見聞きする音楽や美術も、同じテーマを感じるものに敏感になります。


そんな折、一枚の絵と出会いました。

このブログでも紹介した小田原英子さんの点描画です。
大きなキャンバスに点描でバラの花を無数に描いた絵でした。

白と黒だけの絵なのですが、私にははっきりとバラ色が見えました。
バラの花の連鎖は螺旋状に何処までもつづくトンネルでした。

私にはそれが、光と闇、生と死を繋ぐトンネルに見えました。

人が死んで星になるとき、夜空へとつづく川は、黄昏時の西の空のようなバラ色のトンネルを流れていると思ったわけです。


この曲はスローハンドの飛び入りライブの時に、小田原さんの絵を横に置いて歌うために作りました。

絵を元に作った歌なので、木村三郎にしては、珍しくストーリーや時間の流れがありません。


解りにくい歌なので、今日は歌ってもいい雰囲気かな、と思った時だけ、たまに、こそっとライブで演奏しています。





kimura360 at 02:42|Permalink

歌詞集(14) あにき

あにき

家族がそろうなんて
葬式の時ぐらいだと
思ってたら婆ちゃんが死んだ
十何年音沙汰なしのあにきが
久しぶりに帰ってきた

だけど
ちょっとまって、その胸はなに?
なんで二重瞼になってるの?

子供の時には
わりとよく似た兄弟
気がつけば少しずれていた
はたちの時に家を出たあにきが
久しぶりに帰ってきた

だけどちょっと待って
その鼻はなに?
なんで顎がそんなに尖っているの?

あにき
おかまのあにき
あにき
おかまのあにき
高い声は相変わらずだけど
それじゃ街で会っても気づかないよ

両親はわりと
平気な顔をして
友人に紹介したりしてる
黒い喪服のワンピースでお辞儀して
「元長男です、今は長女です」

最近は近くの街に越してきて
恋人とふたりで暮らしてるらしい
「日本の法律ではまだ認められなくて
いろいろ大変なのよ」
・・・と笑う

それにしても
訊きづらいことだけど
下の方はどこまで
手術したの?

あにき
おかまのあにき
あにき
おかまのあにき
高い声は相変わらずだけど
それじゃ街で会っても
見知らぬおばさん

家族がそろうなんて
葬式の時ぐらいだと
思うけれど連絡はしなよ
また十何年会わないままじゃ
今の顔も忘れてしまう

子供の時には
わりとよく似た兄弟
気がつけば少しずれていた

あにき
おかまのあにき
あにき
おかまのあにき
今はもう兄貴じゃないけど
それでもやっぱり
僕は弟・・・。



この曲は歌詞の96%が実話です。
・・・といつもライブで言っているのですが、では、ウソの4%は何か。

1%分のウソその1・・・あにきは元々二重瞼です。
1%分のウソその2・・・10年ぶりの再会ってことはないです。実際は4年ぶりぐらい。
1%分のウソその3・・・はたちの時に家を出たのはウソ。実際は18歳ぐらいの時にはもう居ませんでした
1%分のウソその4・・・あれ?あとはほぼ事実?

すいません97%実話でした。

兄はイラストレーターをしています。
専門的な事はよくわからないのですが、Z・ブラシなるものを操り、コンピューターで作品を描いています。

この曲を作るにあたって、兄に曲の構想を話したのですが、その時に、

「『おかま』語源は『隠間(かげま)茶屋』である、すなわち商売として男性の相手をする男性の事を言う。蔑視したニュアンスが含まれている事をよく踏まえたうえで、『おかま』という言葉を使うように。」

と言われました。

職業の貴賤を言っているのではありません。

ただ、確かに「男性の性同一性障害=おかま」というのは、一昔前の感覚だと思います。

ですが、この曲では敢えて「おかま」という言葉を使うことにしました。

人によるとは思いますが、「性同一性障害」は本人にとって、極めて切実で深い悩みとなる事が多いと思います。
必要以上に暗く受け止める必要はないのですが、社会の中ではまだ理解されていないと思います。
実際、兄弟の私ですらどこか「他人事」。問題解決の優先順位は低いです。

結局、肉体的に男性に生まれてしまった女性(逆の場合もあります)が生きて行ける社会は夜の街にしかなかったりします。

しつこいようですが職業の貴賤ではありません。水商売けっこう。
人生の選択肢が制限されてしまう事に問題があるのです。

現代社会において、「性同一性障害」は理解と偏見の極めて微妙な狭間で引っかかった状態にあるような気がします。
その微妙な状態を表現するには「おかま」という言葉を使うしかなかったのです。



kimura360 at 02:41|Permalink

歌詞集(13) 進化論ブギ

進化論ブギ

お父ちゃん、お母ちゃん
お爺ちゃん、お婆ちゃん
お兄ちゃん、お姉ちゃん
叔父さん、叔母さん・・・

あたしゃ夜ごとに夢を見る
とても怖い夢なのよ
体中の毛が抜けて
あたしゃ醜いサルになる

木に登るのが下手になる
仮面のような顔になる
鋭い爪も牙もなく
石を拾って身を守る

骨が軋む
立ち上がる
だけど頭の毛と陰毛だけじゃ
寒くてしょうがない
進化論ブギ

石のかけらと鉄屑は
砕けて散って火を燃やす
あたしゃ力を手に入れる
あたしゃ全てを支配する

雄叫びはため息に
ため息は歌声に
「光あれ」と叫ぶ声
破滅の朝に目を覚ます

肉が裂ける
歩き出す
だけど重い頭を支えていると
肩が凝ってしょうがない
進化論ブギ

なんの因果でこの世に生まれ
なんの因果でし死んで行く
因果と書いて逆さに読めばガイーン!
この枝振りの良い桜の木に
縄を垂らして首でも吊ろうか
それともこのまま
春が来るのを待って
花が咲くのを待って
座っていようか・・・

あたしゃ子供を抱きかかえ
子は子の子供抱きかかえ
子の子の子の子の子の子供は
親を探して土を掘る

進化論、進化論、進化論・・・・



12、3年前に作った曲です。
ノリがいいので今でも時々ライブで演奏しています。

10代から20代前半にかけて、私はブルース小僧で、ブルースばかりカバーして歌っていました。
23歳ぐらいの時に、自分で曲を作って弾き語りを始めたのですが、なにしろブルース一辺倒だったので、世の中にコードというものは3つしかないと思っていました。
(今でも5つぐらいしか使いませんが・・・)

で、とりあえずブルースを作ろうと思い、曲はできたのですが、歌詞が全く思いつきませんでした。
「旅から旅の、ロンリーボーイさ、バーボン飲んで、眠るだけ・・・」
・・・ってな歌詞は出不精で、お酒の弱い私向きでないし・・・。

しょうがなく、当時一番興味を持っていた事を歌にしました。
今西錦司という学者の「サル学の現在」なる本を読んで感化されていた私が、ノートを開いて、なんとなく最初に書いた言葉が「進化論ブギ」だったのです。
あとは思いつくまま、気の向くまま言葉を連ねて・・・。

最初に出来上がった歌詞の完成度が、あまりに低かったせいか、その後もライブの度に、ちょこちょこと歌詞が変わり、構成が変わり、今のスタイルになりました。
今はわりと気に入っていますが、まだ変わるかもしれません。
それに、いつか「進化論」そのものが、ひっくりかえる時が来るかもしれませんし・・・。




kimura360 at 02:40|Permalink

歌詞集(12) 私のお気に入り

私のお気に入り

路上の喧嘩、隣りの火事
深夜のサイレン、いたずら電話
白いタイルの手術室、黒い縁の顔写真

ヤクザの小指、場末のストリップ
座敷牢で悶える女、赤い花の長襦袢
公衆便所の落書き

殺人現場の人形白線
右翼の演説、左翼のヘルメット
セーラー服の女子高生
昆虫図鑑の拡大図

ワイドショーの芸能ニュース
三流雑誌のゴシップ記事
誘拐犯の脅迫状、尋ね人のポスター

眠れぬ夜に夢を見る
暇をもてあます私のお気に入り

スカトロマニアの動物学者
津軽訛りの霊媒師
秋吉久美子のふくらはぎ
包帯でくるんだ頭蓋骨

ホルマリン漬けの5本足のカエル
髪の焼ける音と匂い
四重人格の赤ん坊、迷路のようなスラム街

いつでも夜中に目を覚まし
暇をもてあます私のお気に入り

下着、ハンカチ、おさげ髪
ほくろ、うなじ、婦人靴
注射器、便器、浣腸器
仮面、ローソク、生ギター

鎖、キャタピラ、原爆ドーム
水銀、まち針、夢の島
指紋のない指、体温計
電柱に打たれた藁人形

無表情でのまれるカエル
虫の羽音、トーテムポール
丸裸のフランス人形
首のとれた扇風機

大久保清のベレー帽
新興宗教の閉ざされた儀式
ネオンサインの稲光
星の見えない夜の空

眠れぬ夜に目を覚まし
暇をもてあます私のお気に入り



ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で登場する、「マイ・フェバリット・シングス」という曲のカバーです。
歌詞に関しては全く原型をとどめておりません。
原曲は3拍子の美しいワルツなのですが、美しすぎるので、私は4拍子にアレンジして美しくならないようにしています。
最近はフォルクローレ風のアレンジで演奏する事が多いです。
今日紹介したのは通常演奏するときのバージョンで、歌詞が10番までです。
本当は17番まであるのですが、ライブでフルコーラス披露したのは1度きり、それも12年ほど前です。
今でも12番ぐらいまでなら、極まれに演奏しますが、ロングバージョンはギターを弾く手がもたないので、あまりやりません。
色んなイメージを羅列するだけの歌詞ですが、聴いた人は部分部分で歌詞を覚えてくれているようです。
いつも一番反応が多いのは、なぜか「秋吉久美子のふくらはぎ」です。




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歌詞集(11) ハチ公のテーマ

ハチ公のテーマ


シバ、チン、ブル、土佐、マルチーズ
シベリアン・ハスキー、スピッツ、ゴールデン・レトリバー
犬の種類は数々あれど
狂った犬でございます
昭和10年3月8日
あの時死んだ犬の名は
1、2、3、4、5、6、7、8・・・
忠犬ハチ公
狂った犬でございます。

吸い殻、こびりついたガム、段ボールの家
ビルの影に響く歯軋り

お別れは風のように訪れて
悲しむ暇(いとま)も許されぬ

それでもあの人の面影は
銀の鎖重くぶら下がる

ここでは誰でも誰かを待つ
帰らぬ人を想い夜が明ける

忌々しい夜と逃げ腰の朝
朽ち果てた夢はいつ消える

季節が流れたとて時が過ぎたとて
よだれ垂らし、ひとり這い回る

ここでは誰でも誰かを待つ
帰らぬ人を思い夜が明ける

時は大正の末期でございます
華やかなモダンボーイやモダンガールが街を小粋に闊歩しておりました頃、
花の東京は帝国大学、現在の東京大学農学部に上野教授とおっしゃる、
初老の紳士がおりました。

「秋田犬の子を送ってくれるように、世間瀬千代松氏に申し送り候。
渋谷駅に到着の節は、早速受け取りされたく、また、面倒ながら、
夜分は内玄関へでも入れて、風邪ひかぬようなされたく候。
まずは右一筆、申し上げ候。」

大館駅からみちのく越えて
夜行列車が揺れている
息を潜める米俵
遙か都のまだ見ぬ主人

時は流れます。
17ヶ月後のある日。

「こりゃあ!ハチ!お前また床の間で粗相したね!
まったく甘やかしすぎたか、躾が足りなかったか。
書生達やお手伝いさん達も閉口してるじゃないか。
・・・さて、そろそろ仕事に出かけるとするよ。
今日は駒場の教室だ。
またいつものように送ってくれるのかい?
お前、躾は駄目だけど、これだけは本当に律儀だねえ。
拾い食いなんかするんじゃないよ。
あたりかまわず粗相するんじゃないよ・・・。」

これが最後のお別れだとは
知っていたのかお釈迦様
駒場の門にも、渋谷の駅にも
主人の姿は現れぬ

「ちょいと、奥さん、聞いたかい?上野先生お亡くなりになったんだってねえ。」
「ええ。脳溢血だってね。突然だったね。いい人だったのに・・・。
 そういえば、あの犬どうなった?ホラ、ハチ。秋田犬の・・・。
 上野先生かわいがってらしただろ?」
「それなら3丁目の植木屋さんとこへ貰われていったらしいよ。
 あすこ前から犬が欲しいって言ってたから・・・。
 あ!噂をすればホラ!植木屋さんが来たよ。
 ちょいと!植木屋さん!」
「おーっとっとっとっとっと!よう!トメさんにフクさん。
 ハチ公見なかったかい?」
「さあ・・・。見なかったねえ・・・。」
「しょうがねえな。じゃあまたあすこだな。」
「あすこ?」
「渋谷の駅前さね。
 なんでも亡くなった上野先生の送り迎えを毎日やってたらしいんだ。
 それで今でも先生がおっ死んじまった事がわかんねえらしくってよ。
 ちょっと目離すとフラフラっと駅前に行って、ずっと待ってやがんだ。」
「へえ・・・。このご時世に、いい話じゃないか。」
「たしかにな・・・。だけど、こちとら気が気じゃねえや。
 あの辺は人や車の行き来が激しいしよ。
 俺ぁ心配で朝から仕事が手につかねえんだよ。」
「あんたも人情家だねえ。植木屋さん。あたしゃ見直したよ!」
「あたぼうよ!こちとら江戸っ子だい!寿司喰いねえ!
 そいじゃ、ちょっくら探してくらあ!」

主人が帰らぬ人となった後も、国鉄渋谷駅改札口の前に座り、夕暮れまで待つ。
これがハチの日課となりました。
雨の日も風の日も、流れては消えるパチンコ玉を目で追うように、
人混みの中を彷徨う主人の幻をひたすら探し続けました。
なぜこれほどまでに、ハチが主人の帰りを待ち続けたのか・・・。
それは誰にもわかりません。
一説によると、近所の焼鳥屋さんで、
時々おこぼれにあずかる事ができたからだという話もございます。
いずれにせよ、帰らぬ主人を待つその膨大な時間は、
ハチにとって、かけがえのないものだったのでありましょう。

さらにさらに、時は流れます。11年後の春。

改札口の反対側の暗い路地の隅っこで、ハチはひっそりと死にました。
後にその姿は銅像に、皮は剥製に、骨は上野教授の墓の横に葬られました。
ですが・・・ハチの情念だけは、
いまでも渋谷の駅前を彷徨い続けているといいます。
朝から冷たいみぞれの降る寒い日に
からっ風の中、耳をすませば
帰らぬ主人を待つ犬の、せつなく悲しい遠吠えが
かすかに、かすかに、聴こえてくるといいます。

シバ、チン、ブル、土佐、マルチーズ
シベリアン・ハスキー、スピッツ、ゴールデン・レトリバー
犬の種類は数々あれど
狂った犬でございます
昭和10年3月8日
あの時死んだ犬の名は
1、2、3、4、5、6、7、8・・・
忠犬ハチ公
狂った犬でございます。

ここでは誰でも誰かを待つ
帰らぬ人を思い夜が明ける・・・




いや〜長いっすね!
この曲は11分を超えます。

日本人なら誰でもご存知の「忠犬ハチ公」の物語です。

最初に出てくる「秋田犬の子を送ってくれるように〜」というくだりは、
上野教授からお手伝いさんの鶴さんへの書簡をほぼ原文で使っています。

秋田県の大館から夜行列車に乗せられて東京に来たのも事実です。
列車に犬を乗せてはいけませんから、米俵に隠してつれてきたそうです。

犬好きの上野教授は、他にも犬を数匹飼っていたそうで、一番出来の悪いのがハチだでした。
座敷に粗相したり、拾い食いしたり、徘徊癖があったといいます。
面倒をみていた書生達が、愛着をこめて「ハチ公」と呼ぶようになったそうです。

ハチが上野邸の飼い犬であった期間は、教授が脳溢血で突然他界するまでの、わずか17ヶ月間です。
その間、毎日のように送り迎えをしたらしいのですが、上野教授の授業は駒場である事が多く、渋谷駅を使う事は希だったと言われています。
じっと渋谷駅で主人の帰りを待っていた訳ではなく、朝、主人と家を出て、見送った後は好きなように街を徘徊していたそうです。

飼い主を失ったハチは近所の植木屋さんに貰われます。
その後死ぬまで11年間、その植木屋さんの飼い犬であった訳ですから、現実にはハチの主人はその植木屋さんだったと言ってよいでしょう。

植木屋さんに貰われたあとも、ハチの徘徊癖は治らず、渋谷の駅前をウロウロしていたそうです。駅員や近隣の飲食店となじみになり、残飯や、弁当などをもらっていたそうです。焼鳥屋の客などがおもしろがって、よくハチに焼き鳥を食べさせていたらしく、ハチの亡骸を解剖したところ、胃の中から串が何本か出てきたそうです。

そんなこんなで、渋谷駅の付近で、ちょっとしたアイドルとして、気ままに過ごしていたハチに転機が訪れます。
長い間渋谷に居続けるハチの事を、「亡き主人を待ち続ける犬」として新聞が取りあげたのです。
時勢はまさに軍国主義へ傾いている頃。
「忠誠」は「美談」として瞬く間に世間に広まりました。
なんと教科書にまで採用されます。
こうしてハチの思惑と関係なく「忠犬ハチ公」は誕生したのです。

渋谷駅前に「忠犬ハチ公」の銅像が建ったのは実はハチの生前です。
驚くべき事にその銅像建立記念式典にハチは主賓として出席しています。

この部分だけ、私の歌詞は嘘をついています。
私の中で銅像建立はハチの死後でなければ、どうしても収まらないというか、つじつまが合わなかったのです。

剥製は今も現存しており、名犬仲間の「タロ」「ジロ」の横に展示されているそうです。
上野教授の墓の横に「忠犬ハチ公」の墓もちゃんと存在します。

昭和10年3月8日。
ハチの死体が、改札口とは逆側の、駅の裏手の路地で発見されました。
「忠犬」としてすっかり有名になっても、ハチの徘徊は続いていたんですね。

現実のハチはきっと、ただの犬で、ただ犬として縄張りをウロウロして、天寿を全うしただけだったのでしょう。
もしかしたら、ハチは上野教授の事をもう記憶していなかったかも知れません。
ハチの本当の主人は渋谷の「街」そのものだったのです。

10年以上前、渋谷へ銅像を見に行きました。
左耳がぴょこんと垂れた「忠犬ハチ公」が建っていました。

風の中に耳を澄ましてみましたが、犬の遠吠えは聴こえませんでした。

ただ、雑踏の中で、今日、何万人が此処で誰かを待ち、何万人が誰かを待たせ、
そしてそのうちの何人が姿を現さなかったのだろうと考えていました。
そう思うと、来ないはずの誰かが、手を振りながら現れそうな気がして、
しばらく動けませんでした。




kimura360 at 02:39|Permalink

歌詞集(10) 蝶の系譜 

蝶の系譜


花を巡る蝶が
その羽の紋を知らぬよに
無垢な微笑をたずさえて
大股開きは誰のため

蛹の中で眠る蝶は
明日を夢見るわけじゃない
幼い顔の面影は
故郷の母の生き写し

パビヨン
舞うお前をのせて
舞台は回る

風に吹かれ
迷子の蝶は
密の匂いを探して帰る
お前の心は俺の物
体はお客様の物

家を持たぬ
孤独な蝶の
降りたところは、そこが家
降りる場所など風さえ知らぬ
ここにとまれと指を出す

冬を越せぬ
哀れな蝶は
花より短い命だが
惜しみ悲しむ暇はない
光に向かって飛んで行く

パビヨン
舞うお前をのせて
舞台は回る

パビヨン
舞うお前をのせて
舞台は回る




そのまんま。ストリップ嬢の歌です。
世の中には色んな芸能があります。
なかでも、テレビの中の芸でなく、生で、間近で観ることのできる「小屋打ち」の芸能が好きです。

町を歩いていると突然小屋が出現し、いかがわしさや俗っぽさが、その場所だけ10倍ぐらいの濃度になっていて、おいでおいでと手招きをしています。
それは獲物を待つウツボカズラに似て、さながら異空間への入口であります。

見せ物小屋やサーカスは芸人がいなくなり、風前の灯火です。
寄席も数えるほどしかなく、大衆演劇も大阪や東京の下町で、細々と興行している以外は、健康ランド廻りが主流です。
講談や、浪曲にいたっては、よほどのファンでないかぎり、一生ナマで観る機会はないです。

その中にあって、徐々に衰退しながらも、なんとか生き残っているのがストリップです。
なんだかんだ言って、都市には必ず1軒や2軒の劇場がありますし、地方でも温泉街にはまだ小屋が多く残っています。
現在、芸人さんが体ひとつでツアーをできるだけの劇場を有しているのは、ストリップ業界だけだと思います。

もちろんストリップには「性風俗」という側面がありますので、簡単には比べられませんが・・・。
ただ常に新しいアイデアを探し、常にお客さんを呼び込もうと努力している事は確かです。

あらゆる表現者、芸術家は、老若男女問わず、一度はストリップ劇場に足を運ぶべきだと思います。
「素っ裸になって自分をさらけ出す」という事を本当に、文字どおり目の前でやられると、多少なりともショックをうけます。
そこに理屈ありません。勝てないと思ってしまいます。

・・・ストリップ論はまたの機会にするとして。

この曲は、実は私の長編曲「チャンピオンラーメン・シリーズ」とリンクさせるために作りました。
ボクサーと、ストリップ嬢の恋愛を描きたかったのです。
我慢できなくて先に踊り子さんの歌を作ってしまいました。
ともに、短い命に全てを懸けます。張りつめた肉体を晒す商売をしている人達です。

このブログを読んでくれている人だけにそっと教えましょう。
次の次に発表予定の「チャンピオンラーメン・愛の黄金伝説」で、このパビヨン嬢が登場します。



kimura360 at 02:38|Permalink

歌詞集(9) みよちゃん

みよちゃん

隣の村のみよちゃんが
狐に憑かれてしもうたそうじゃ
熱を出してウンウン唸っているが
そのうち「コン」と鳴きゃあ
まず間違いなかろ
爺様が言うにゃ
「憑物を落とす薬はにゃあ
束ねた竹で三日三晩、よってたかって打ち付けて
伏見のお稲荷様に百日百枚お揚げをお供えするしか方法はにゃあ」
ああ・・・かわいそうなみよちゃん

それから夜通しみよちゃんは
みんなによってたかって殴られた
婆様が言うにゃ
「こりゃあ何かの祟りじゃ
心当たりがあるはずじゃ
そういや最近、分家の寅吉毎晩夜這いをかけとった
寅吉縛りあげて詳しい話を訊くのじゃ」
ああ・・・かわいそうな寅吉

それから夜通し寅吉は
あること無いことでたらめ言い出した
「村長の息子も、青年団の連中も
みよの手練れに溶かされて、まとめて筆降ろし」
村長が言うにゃ
「みよの阿呆は生まれつき
みよの体の中には元々狐の血が混じっとった
今のうちに殺して根絶やしにするのじゃ」
ああ・・・かわいそうなみよちゃん

ススキの野っ原
冷たい月夜
猟師の犬に追われて
沼に映る我が身の姿
何に化けよか
何に化けよか
人が作った鉄の罠
血の滴る肉の匂い
喰いてえなあ、喰いてえなあ
喰いてえなあ、喰いてえなあ
からっ風に吹かれて
からっ風に吹かれて・・・

命からがらみよちゃんは
夜中にこっそり村から逃げ出した
小高い山の藪に隠れて朝を待ち
村を睨んで泣きながら
ひとり恨み言
みよちゃんが言うにゃ
「お前らこそが狐憑き
なにが祟りじゃ憑き物じゃ
今度戻って来るときゃあ
世の中変わってお前らみんな土の中
必ず掘り起こして笑いものにしてくれる」
ああ・・・何処行った?みよちゃん


いや〜なんとも。我ながら暗い歌ですね。
これは23歳か24歳ぐらいの時に作った曲です。

有名な狂言に「釣狐」と云うのがありまして、まさに狐が主人公の話です。
動きが激しく、難しいため、狂言師にとっては特別な演目なのだそうです。
その「釣狐」のハイライトシーンで、罠に置かれた肉を見て、狐が「喰いてえな・・・喰いてえな・・・」と逡巡するところがあります。
その感じを曲にできないかと思って作り始めたのが「みよちゃん」であります。
単に「もののけ」として狐を主人公にするのではなく、日本に古来からある「憑き物」「祟り」という概念と、それを取り巻く社会をシニカルに描いてみようと思いました。

さすがに現在「狐憑」をまともに信じている人はいないでしょうが、今でも、根拠のない差別や偏見の根底には、こう云った人間の「迷信=思考停止」が存在しているように思います。
「迷信」を昔のことだと、一笑に付すことは簡単です。
・・・ただ、限られた情報を自らの思考で検証せず。何となく出来上がった風潮や常識の中で、他人をバッシングしたりしいる我々も、「みよちゃん」に出てくる村人達と変わらないな・・・と思ったりします。

・・・と、極めてメッセージ性が強い曲なのですが、聴く人にはやはり怪奇的な部分が印象に残るらしいです。誤解を生みやすいのでライブではあまり演奏していません。




kimura360 at 02:38|Permalink

歌詞集(8) バリカン

バリカン

ぼ、ぼ、ぼ、ぼくのバリカンが今日もうなる
なんでも刈り込んで
丸裸にするぼくのバリカン、バリカン

き、き、き、きみはモヒカン
決してウソつかん
誇り高きネイティブ・アメリカン
きみはモヒカン、モヒカン

しょ、しょ、しょ、植物図鑑で
花の名前覚えて気分転換
じゅ、じゅ、じゅ、授業参観で
宿題忘れて
お父ちゃんはカンカン
家でバリカン



以上です。
木村三郎の曲の中で、最短の歌です。
フルコーラス演奏しても、たぶん1分少々です。
いつ、どこで、なぜ、なんのために、なにが言いたくて、この曲を作ったのか、
まったく記憶しておりません。

しかし、今あらためて見ると、
この歌詞の中に、木村三郎の作詞技術の全てが集約されています。

「バリカン」がもつイメージ。
鋼鉄の刃物、「刈る」機能だけを突き詰めた硬質なフォルム。
でも何となく、懐かしさがあり、どんくさい感じもする・・・。

曲は、そんな「バリカン」がうなりをあげるところから始まります。

そして次に、イメージは急激に展開します。
海を越え、時間を超え、大陸へと飛び、
民俗学的ニュアンスを帯びます。
人に丸坊主にしてもらうと、たいてい、5割ぐらいの確立で、途中、ふざけて「モヒカン刈り」されます。
その一瞬、鏡の中にいる「君=ぼく」は時空を超え、誇り高きモヒカン族に変身し、
景色は300年前のアメリカ大陸の荒野となります。

この瞬間的で、無理矢理なイメージの転換は、私の「商店街の白い馬」などで見る事のできる幻視のパターンです。

曲はサビへと移り、シーンが変わります。
回想シーンです。
宿題をしなければならない時に、ついつい植物図鑑をぼーっと眺めています。

この「図鑑」は私にとって、大事なキーワードです。
「私のお気に入り」という曲では「昆虫図鑑の拡大図」というフレーズを使っています。

ともあれ、よりによって、授業参観の日に宿題をしていない訳です。

最後は怒った父親にバリカンにされてしまいます。

これが「オチ」なのですが、その「オチ」が曲の最初、
「なぜバリカンがうなっているのか」に対する回答になっています。

この短い歌詞の中に、父にバリカンで頭を刈られる少年の光景と、
その少年の妄想、そして、刈られるはめになった経緯を、キーワードを交えながら、
物語っています。
しかも、韻を踏むと言う、言葉遊びも忘れていません。

ここに何かを加える事も、省くこともできないでしょう。
・・・完璧です。

まさに、これこそ天才の成せるわざと言わざるをえません。

何よりも驚くべき事は、たったこれだけの歌詞について、
長々と自画自賛しているこの解説です。




kimura360 at 02:37|Permalink

歌詞集(7) マネキン

マネキン

真夜中の鉄筋コンクリートのベッドの上で
まぶたのないマネキン人形が目を閉じる
一羽のカラスが肩にとまって、こめかみを突き
穴の開いた頭をのぞき込んで言う

「君には内蔵がなく
 骨もなく
 血も流れてない
 体の中には
 いつも夜が満ちている」

ここでは過ぎた時間が吹きっさらしの風に
色を無くして雑草とからまってる
一匹のネズミが足元にうずくまって
震える体をすり寄せて言う

「君には体温がなく
 鼓動もなく
 冷たく固い
 君の笑顔は
 なぜひび割れている?」

この廃虚の蔦を
赤い月が染める時
プラスチックの頬も少しは
温かく映る

1968年から
2004年の夏の終わりまで
一度も笑ったことがない
一度も泣いたことがない
なにも新しい物語はない

ここでは来たるべき時間がすべて過去にあり
死んでいるものは生き、生きているものは死ぬ
一匹のムカデが干からびて仲間になった
ひび割れた笑顔で「こんばんは、さようなら」

この廃虚の蔦を
赤い月が染める時
プラスチックの頬も少しは
その冷たい頬も少しは
ひび割れた笑顔も少しは
温かく映る・・・




暗いですねえ・・・。
木村三郎の曲の中では、一番ストレートで解りやすい歌詞だと思います。

生と死の狭間・・・
無機物と有機物の境界線・・・

そういうものに、どうもアンテナが働きます。
その境界線や狭間に、なにやらとてつもなく広大な幻想の国があるような気がしてなりません。

日常、接している世界にもその世界のほころびが、ちょこちょこ点在していて、ふとした事や物との接触が幻視の引き金になったりします。

それは便所であったり、廃虚であったり、人形であったり、骨であったり・・・。

私の曲のほとんどは、そう云ったものを通して幻視した世界が舞台になっています。

犯罪捜査や、考古学の技術では、頭蓋骨に粘土をつけて、顔を復元して、「物」である骨から「生」を幻視したりします。
私にとって曲を作る事はそれと同じ作業です。

その、虚構の「生」が、聴く人の現実の「生」の中で、体温をもつ事ができれば・・・と思います。

普段、曲を作る時は寄り道をして、2重3重にテーマを重ねてしまうので、一番大きなテーマは隠れてしまうのですが、この曲は、寄り道せずに作りました。

子供の時からマネキン人形や廃虚を見て感じる印象をそのまま出しました。

曲を作るために、改めてマネキン人形を見ようと、百貨店を巡ったのですが、
最近のマネキンは、ほとんどがデザイン化されていて、ただ服を飾る道具になっていました。

残念ながら、私の想像力では、この道具達の言葉を聴く事はできませんでした。
いつか、ふいに呼び止められる事があるかもしれません。

ですので、この曲に登場するマネキンは、ひと昔前の、人間に近い姿のマネキン人形だと思ってください。



kimura360 at 02:37|Permalink

歌詞集(6) チャンピオンラーメン 骨折編

チャンピオンラーメン 骨折編

船の汽笛が鳴る この街に海はないが
黒いカモメが早く出てけと騒がしい

部屋の鍵を返し 最後の食事に行こう
赤い看板が見える まあいいか・・・ラーメンで・・・

「はい、いらっしゃい! お客さん何人?
お一人さん?ごめんねえ、合い席でもいいかな
なんてウソウソ!全部空いてるから好きなとこ座ってね!
何にします?・・・チャンピオンラーメンね
はい、4番チャーラーひとつ!

・・・そうそう。あの壁の写真。あれ私ね。現役の時の。
かっこいいでしょ?
ここ見てよ、ここ。拳のここんとこ。
ちょっと出っぱってるでしょ。
2回も骨折しちゃったのよ・・・同じとこ2回もよ。
これがなけりゃ、日本タイトルぐらい獲れる器だって、
会長言ってたんだけどねえ・・・

最初の骨折は、デビュー戦の前の日。
ロードワークで河原走ってたら、何でか道の真ん中にでっかい亀がいて、
踏んづけてドブに落っこちて。
あっちは甲羅あるけど、こっちは生身だもんね。
折れるよね。骨。
ベッコウにすんぞこの野郎!って怒鳴ってやったけど、
亀のヤツ知らん顔して行っちゃうし、手は痛いし、デビュー戦パーになるし
さんざんだよねえ・・・
これがなけりゃ、東洋チャンプぐらいにはなれる器だって、
雑誌に載った事あるんだけどねえ・・・

2度目の骨折は、日本タイトルに挑戦が決まって、
もうノリにノッてる時だったよね。
相手の名前はタートル亀山。こっちは亀って聞いただけで逆上しちゃうからね。
ガゼン燃えるよね。
そしたら集中しすぎちゃって、
ジムでシャドーやってる時に思いっきり鏡ぶん殴っちゃった。
私生まれつきハードパンチャーだからさ、
折れるよね。骨。
で、痛い痛いって唸ってたら、会長あわててすっ飛んできて、
私の手握って叫ぶわけ・・・鏡が!10万円の鏡が!・・・って。
折れた拳で思いっきりぶん殴ってやったよね。
これがなけりゃ、世界チャンピオンになれる器だって、
自分では思ってたんだけどねえ・・・」

歪んだ地平線の 歪んだ暮らしの中で
溺れ死ぬよな しがらみの中で
荷物も持たぬまま 罪を背負って
逃げても 逃げても 追われつづける
コートの襟を立ててひとり・・・

湿度の高い夜が人波に揉まれて溶けていた
キャバレーのネオンサインの谷間をぬい
まぶしすぎるエントランスを走り抜け
俺は便所で用をたすボスの後ろに静かに立っていた
俺には惚れた女がいて、女はボスの女で
ボスには金があって、俺にはナイフがあった
大理石の便器を黒い血で染めながら
ボスは最後まで用をたし、笑って死んでいった・・・。

待ち合わせのハチ公前の広場に女の姿はなかった
俺には惚れた女がいて、女はボスの女で、
ボスが死んだらボスの女は兄貴の女になっていた。
ボスの女はボスが死んだら俺の女になると言っていたが
ボスが死んで兄貴がボスになったらボスの女は俺の女にならず
新しいボスの女になっていたんだ!

逃げても 逃げても 追われつづける
コートの襟を立ててひとり・・・ラーメンをすする。

「お客さん、お客さん?どうしたのお客さん・・・寝てんの?
うなされちゃって・・・。お客さん。
・・・あ。起きた。
お客さん。ロッキーって映画知ってる?
そうそう。シルベスター・スタローンの。
私観てないからさ、聞いた話なんだけどね、
そのローンがさ、世界戦の練習の時に、肉屋で肉殴るの。
肉屋の冷蔵庫にぶらさがったでっかい肉をさ、サンドバッグみたいにして殴るの。
肉もったいないよね。肉殴ったって強くならないよね。
でもさ、その話聞いた時に私ひらめいちゃったんだよね。
この方法で、麺打ったら、良い麺ができるんじゃないだろうかって・・・
ボクサーのパンチって瞬間的には1トンぐらいあるんだよね。
この力で麺打ったら、腰の強い麺になるよね。
私生まれつきハードパンチャーだからさ、
日本一、東洋一・・・いや、世界一の麺ができるよね。
そしたらさ、私のパンチは、世界一って事になるじゃない。

私生まれつきボクサーだからさ、何時だってリングの上なんだよね。
リング降りてもまたリング。何処までも無限にリングが続いちゃってるんだよね。
降りられないんだよね。負けられないんだよね。
私生まれつきボクサーだからさ、テンカウント以上寝てられないんだよね。
布団の上でも、道歩いてても、どこもかしこもリングだらけ。
私のこの耳の中じゃさ、
何時だって、あの歓声と、魂のゴングが、鳴りっぱなしなんだよね。

はい、いらっしゃい。お客さん何人?
お二人さん?ごめんねえ、合い席でもいいかな。
なんてウソウソ。今、お客さんこの人だけだから、好きなとこ座ってね。
何にします?チャンピオンラーメンね。
はい3番チャーラー・・・」

ふたつの拳握り 手錠をかけられて
赤いパトカーの光 もう終わりにしよう

十年ほどの間 街を留守にするが
十年ほどの間 寂しくなるが
きっと戻ってくる 
へイ、チャンピオン。
ラーメン・・・美味かった。



あーしんど。
これは歌詞と言えるのでしょうか?
フルコーラスやると10分27秒ほどかかります。

苦労して書きましたが・・・ブログでこの歌詞を全部読んでくれた人。何人いるのでしょう?
じゃあ、ちょっとアンケート。読んでくれた方、一言でいいですからコメント残しておいて下さい。

この曲は当初、普通にバラードを作ろうと思って、作り始めました。
で、引退したボクサーの哀愁をテーマにしようと思って「チャンピオンラーメン」と云うタイトルを考えました。
曲の出だしがバラードっぽいのは、そのためです。

ある日、JR京都駅の近くの「第一旭」と云うラーメン屋さんに行きました。
なかなかの人気店で、深夜は行列ができます。
遅い時間はたいてい、40歳ぐらいの、パンチパーマの、わりと男前のお兄さんがホール係をしていて、ひとりでラーメンを運びながら客さんの整理をしています。
「はい、いらっしゃい。お客さん何人?
お一人さん?ごめんね。合い席でもいいかな・・・」

チャンピオンラーメンのマスターはこのキャラクター以外に考えられなくなってしまいました。

私の悪い癖で、想像し始めると、ブレーキが利かなくなってしまいます。
気がつけば、マスターが客相手に、自分の人生を熱く語っていました。
当初のバラードなんて、もう何処かにすっ飛んでいます。

収集がつかなくなって、頓挫する事しばし・・・。
行き詰まっている時に、ふと思い立ったのが、「客にも客の人生があるよな・・・」

いかんいかん。また想像が始まってしまう・・・。

結局1曲の中に、ふたり分の人生を同時にぶち込んでしまう事になりました。
そりゃ、10分超える曲になりますね。

なんとかまとめたのですが、この「骨折編」に登場したのはマスターが語ったストーリーのほんの一部です。
色々とエピソードがあるのですが、全部曲にすると、7編ぐらいになると思います。
10年ぐらいかけて少しずつ皆さんにもお見せしていきます。

イギリスの「ハリー・ポッター」か
アメリカの「スター・ウオーズ」か
日本の「チャンピオンラーメン」か・・・。

エピソード2「チャンピオンラーメン・傷だらけの勲章編」もよろしくお願いします。





kimura360 at 02:36|Permalink

歌詞集(5) 光と闇のポルカ

光と闇のポルカ

ミラーボールが回る
夕日おいてけぼりにして
月が風にのって、雲と駆けっこしてる
人混みの道路でも
誰もいない空き地でも
今宵あなたと踊る
光と闇のポルカ

下水工事のマンホールの中から
聴こえるリズムはギター
高架の上を最終列車が地響きたてて
走り抜けてく

祭りが終わっても
棺桶の中でも
泣いても、笑っても
いつまでも踊り続けていたい
夢よ、欲望よ、生活よ、まぼろしよ

酒場の入口では
疲れて眠る人がいる
靴が片方だけ、迷子になっている
湿気の多い夜でも
渇きの朝に震えても
あなたと踊る
光と闇のポルカ

横町の隅、アーケードの上から
流れるアコーデオン
ポリバケツのあたり
黒いカラスが「カアー」っと鳴いて
羽を広げてる

祭りが終わっても
棺桶の中でも
泣いても、笑っても
いつまでも踊り続けていたい
夢よ、欲望よ、生活よ、まぼろしよ



最初からライブのエンディングに歌おうと思って作りました。
ほぼ同時に、オープニングの為の曲として「アンモニア海峡」を作ったので、この2曲は連作のような関係です。(歌詞集1参照)
オープニングは自己紹介もかねて、生命誕生がテーマ、エンディングは「棺桶の中」です。
メロディーも歌詞も、曲のほとんどが一瞬で頭の中でパッと完成したので、実質5分ぐらいで作りました。
祭りは終わってしまうけれど、それは次の祭りの始まりの時で・・・
夜が終わって、朝が来て、また夜になって・・・
そこにいる人、いない人、現実も幻想も全部ひっくるめて、いやでも祭りはぐるぐると回りつづけて・・・
虚しいと感じようが、楽しいと感じようが、兎にも角にも、そんな永劫の、気の遠くなるような回帰の中で、確かにあなたも私もいる・・・

と云うような事が伝えたくて歌っています。
説明しようとすると訳がわからないですね。だから歌にしてるんですが・・・。



kimura360 at 02:35|Permalink

歌詞集(4) アパート

アパート

昨日神様が死んだと
回覧板がやって来た
隣りの部屋では
恋人をステーキにしてる匂い
スパンコールのドレスのお水の女
夕暮れになって目を覚まし
上の部屋では
子供がネズミみたいにモゾモゾ動いて気味が悪い

でたらめな話をしに
うちにおいでよ
この町ではありきたりの
高層アパートの九階
人の不幸の話をしよう
とびきり憐れでなけてくるやつを
話そうよ、話そうよ

破れた障子の張り紙
チカチカ虫の息の蛍光灯
第二火曜日はゴミの日
ビニール袋の中で胎児がすやすや眠る
インチキ手品師の旦那さん
浮気がばれて奥さんと夫婦喧嘩
皿やコップが飛び交う中で
白い鳩が窓から逃げ出してゆく

でたらめな話をしに
うちにおいでよ
この町ではありきたりの
高層アパートの九階
人の不幸の話をしよう
とびきり憐れでなけてくるやつを
話そうよ、話そうよ

今夜は雨になる
ネコが空を見上げる
遠くの煙突の上の
月がぼやけて消えてゆく
今夜は雨になる 今夜は雨になる
今夜は雨になる
洗濯物を取り入れろ

胸に鍵をぶらさげた
少女が砂場で城を造っては踏みつぶし
いじめられた中学生は
鼻血で汚れたシャツの言い訳を考える
自転車置き場の隅っこで
57歳のアル中が母親の夢を見て笑う
錆びて動けなくなった車輪は
夕暮れの雨雲を見て
今日も嘆いている



この歌も古いつきあいです。
作ったのは確か25歳ぐらいの時だったでしょうか。
河原町五条団地と云う10階建ての古い建物の9階に2年ほど住んでいました。
この頃はあまり働きもせず(今もたいして働いてませんが・・・)、ぼんやり過ごしている事が多かったように思います。
何処にも行かず、誰にも会わず、1日の終わりを迎える・・・と云う風な日々でありました。
夕暮れの部屋の中で、話相手もいないので、ぼーっと窓の外を眺めながら作った歌詞です。
なので暗いですねえ・・・。
でも凄く好きな歌詞です。
私は現在30代後半なのですが、どうも人生に焦りが出てきたようで、あれやんなきゃ、これやんなきゃと常に動き回ってしまう日々を過ごしています。
20代の頃と時間の使いかたがだいぶ違うようです。
今は今の時間の流れがあって、あの頃にはあの頃の時間の流れがあって・・・。
それでよいのですが、
たぶん、今、こう云う歌詞は書けないと思います。
そんな事を考えながら、
時々ですが、今でも思い出したようにライブで歌っています。






kimura360 at 02:34|Permalink

歌詞集(3) 商店街の白い馬

商店街の白い馬

(セリフ)遠くはシベリア、極寒の地から
     アルタイの山脈を越え
     モンゴルの蒼い草原突っ切って
     一陣の風が頬を刺す時
     見よや、灰色の雲を
     北北西の空を
     銀のたてがみなびかせて
     やって来た!やって来た!
     白い馬の、その姿を!
     ハイヨー!!

みぞれ空がトタン屋根をたたく
三和商店街の魚屋のだみ声
昨夜母ちゃんが買ってくれた手ぬぐいが
雨に濡れ、赤いテルテル坊主みたいだ

好きなうたを歌いな
誰にも聞こえない声で
商店街の真ん中を
白い馬が駆けてくる

みぞれ空がトタン屋根をたたく
三和商店街の魚屋のだみ声

雲の隙間から久しぶりに陽がさした
三和商店街は今日もまた賑わう
おっちゃんのくわえ煙草の煙が
風に吹かれ、遠く、遠く、遠く消えてく

百舌が空を飛んでいる
もうすぐ寒い冬が来る
見たことのない大陸の
白い馬が駆けてくる

雲の隙間から久しぶりに陽がさした
三和商店街の魚屋のだみ声

はいぃ いらっしゃい 今日はイワシ安いでえ
奥さんこのイワシちょっと見ていってや
今日のおかずはなんや
イワシ5匹で200円や、イワシ5匹で200円や
イワシ5匹で200円や、イワシ5匹で200円や
ボン大きなったな、幾つになった?
イワシ食べたたら大きなるで
骨強よなるで
イワシ買うてや



6歳まで育った兵庫県尼崎市に、三和商店街は実在します。
かなり大きな商店街で子供にとっては暗黒の迷路のような場所でした。
昭和40年代の、しかも知っている人は知っている「アマ」(尼崎の事を関西ではアマと呼びます)の商店街ですから、あまりガラの良いところではありませんでした。
現在はすっかりきれいになっているようですが、当時は今のような立派なアーケードではなく、あっちこちにトタンが組まれ、工業地帯特有の灰色の空が見えていました。
乾物屋さんの匂い、卵屋さんのおが屑、裸電球、傷痍軍人さんの軍歌、喧噪、
そして魚屋さんのだみ声・・・・
今の自分の半分ぐらいの背丈の目線で見た光景が、強く心に残っています。

この曲は、20代の頃に作った「街の子」と云う曲が原型になっています。
初めて弾き語りをした時、最初に歌った曲です。

地味な曲だったのでその後あまり演奏しませんでした。

長いブランクを経て、30代半ばになって、もう一度歌ってみようと思ったのですが、全然覚えておらず、歌詞もなく、音源もありませんでした
辛うじて覚えていたのが、ギターのフレーズと、メロディー、そして、
「みぞれ空がトタン屋根をたたく」
「昨夜姉ちゃんが買ってくれたスカーフが首の下で赤いテルテル坊主みたいだ」
「好きなうたを歌いな、寂しさに負けない声で」
「百舌が空を飛んでいる、もうすぐつらい冬が来る」
という数行の歌詞でした。

しかたがないので、曲の大部分を改めて作り直す事にしたのですが、たまたまその時興味を持っていた、モンゴルの歌唱法ホーミー風に、魚屋のおっちゃんの声を真似てみたら、なぜか大陸から白い馬が駆け下りて来てしまったのです。







kimura360 at 02:29|Permalink

歌詞集(2) 健忘郵便配達人

健忘郵便配達人


畳やの角を右に曲がって3本目の電柱の前の
山本さんちのポストは花壇の後ろの路地の奥
「猛犬注意」と書いてる谷川さんちにホントは犬はいない
今西さんちの2番目の娘さんはエアメールをいつも待ってる
爺さんが死んだ井上さんちは「忌中」が5年貼りっぱなし
荒木商店のシャッターのポストは督促状があふれてる
独り暮らしの井尻さんちはビデオ屋からしハガキがこない
浪人生の関さんちには合格通知が今年もまだこない

健忘症の郵便配達人が
後ろをふり返り、首をかしげる

畳屋の角を右に曲がって3本目の電柱の前の
花壇の後ろのポストにエアメールを入れてきた
「猛犬注意」の谷川さんちに井上さんちの手紙を入れ
今西さんちの2番目の娘さんに督促状の束を渡した
爺さんが死んだ井上さんちにビデオ屋からのハガキを入れ
荒木商店のシャッターのポストに山本さんちの手紙
独り暮らしの井尻さんちに谷川さんちの手紙を入れ
関さんちのオンボロアパートに今西さんちの手紙を入れた

健忘症の郵便配達人が
バイクを飛ばして、あわてて戻る

まずは関さんのうちに入ってた手紙を今西さんちに戻し
井尻さんちの手紙を「猛犬注意」の井上さんちに戻す
いや「猛犬注意」は谷川さんちで井上さんちは「忌中の紙」
荒木商店のシャッターのポストに入っているのはエアメールだっけ?
あれ?エアメールを入れたのは花壇の後ろのポストの中?
関さんちのオンボロアパートから持ってきたのはどの手紙だっけ・・・?

健忘症の郵便配達人が
頭をかかえて、最初に戻る

だけど・・・道がわからない
最初の家がわからない
何かの店の近くだったけど、何の店か思い出せない
遠くの山に日が沈む
見知らぬ町、見知らぬ路地
影がのびる石畳・・・石畳・・・石畳・・・
石畳・・・・・・畳!?
ああああ! 思い出した!

畳屋の角を右に曲がって3本目の電柱の前の
山本さんちのポストの手紙を今西さんちに戻す
「猛犬注意」の谷川さんちの手紙を井尻さんちから持ってきて
爺さんが死んだ井上さんちに谷川さんちの手紙を戻す
荒木商店のシャッターのポスト督促状の束を戻し
井尻さんちに井上さんちに入れたハガキを持ってくる
山本さんちの手紙は荒木商店にあるから取りに行き
関さんちのオンボロアパートから今西さんちに手紙を戻す

健忘症の郵便配達人が
ああよかったと帰って行く
だけど・・・
黒い鞄の中に手紙が残っている
黒い鞄の中に、1通残っている
届かない手紙、届かない手紙
誰の手紙なんでしょう?



全部読んだ方、ご苦労様でした。
この曲は「記憶」を題材にしようと思い、若年性健忘症の事をシリアスに歌うつもりで書き始めました。
ところが作っているうちに、だんだん楽しくなってきて、主人公を郵便配達人にしようか・・・と思ってしまったのが運の尽き。配達人の兄ちゃんが真っ赤なスーパーカブに乗って、頭の中で暴走し始めました。
1番の歌詞は兄ちゃんが勝手に暴走しただけなので5分程で出来たのですが、2番以降は、ひたすら兄ちゃんが撒き散らかした手紙の尻ぬぐいです。紙切れに「山本」「今西」「谷川」・・・と名前を書いてパズルしながら歌詞を考える事3ヶ月。
最後までなんとか辿り着いた時にはひとりでガッツポーズをしました。
ところが、ほんとうの試練はそこからでした。今度はライブで演奏するために歌詞を覚えなくてはなりません。井尻さんがどうしただの、荒木商店商店がどうだのと毎日毎日ブツブツと呪文のように繰り返し、全部歌えるようになるまで1ヶ月ほどかかりました。これが般若心経なら今頃悟りを開いている事と思います。
ライブでの演奏率が高い曲なのですが、いまだに2回に1回は歌詞を間違えます。
「記憶」をテーマに作り始めた曲は「自分の記憶力に挑戦」がテーマになってしまったのでした。
ちなみに、歌詞に出てくる沢山の名前は以前働いていた京都の某ホテルの職場の人達です。






kimura360 at 02:28|Permalink

歌詞集(1) アンモニア海峡

アンモニア海峡

来たらん、語らん、わからん、くだらん港で
犇めく子供達が、おねしょした世界地図
船を出せ、霧の中、胸を張り
いでゆかん!

喰らわん、歌わん、叫ばん、踊らん、また夜が来た
血の気の多い海賊は、陸の上では生きられぬ
船を出せ、闇の中、身をよじり
いざゆかん!

赤い波を越え
夜の太陽追いかけ
おシャカになりゃイカの餌
生き残れ!
アンモニアの海峡

カルピスの大砲一億五千のマドロス
オタマジャクシの兄弟まさに鵜の目鷹の目
ご休憩二千八百円より一泊七千五百円の温泉マーク
毎週五百円引き駐車料金は終日いただいておりません
それならばと、おっとりがたなで現れしは母ヤスコ
やや緊張気味の面もちは父コーイチ
愛の雨、嵐、うねる激情
突き抜ける力とも目指せ細胞分裂
十月十日の航海
お父さん。あのオタマジャクシです。
あの時の、あの温泉マークの
小さな小さなオタマジャクシが
今こんなに大きくなって、歌を歌っています。
今宵宴の前の戯れ言と巷のご家族ご友人
土産話の折り詰めに
昭和平成あの歌この歌珠玉のメロディーの数々
夢のオンステージを、あいや束の間おとどけしてまいります。
たった独りのオーケストラ、孤独な総合芸術
どうも今晩は木村三郎です

赤い波を越え
夜の太陽追いかけ
おシャカになりゃイカの餌
生き残れ!
アンモニアの海峡






kimura360 at 02:27|Permalink