校長ブログ懐古・・改革の軌跡・・

平成19年度からの校長日記を再掲してまいります。

24.6.26 自分の殻を破れ

今日は昨日の女性先生に続いて某男性常勤講師の先生の小論文を紹介しよう。何と素直な文章であろうか。好感度が高い。府内の有数な私立の進学校を卒業し大阪教育大教育学部の教養学科に現役で進学し初めの勤務先が本校のピカピカの新卒の先生である。


木村理事長先生ブログについての小論文

常勤講師 理科(化学)

・大学を卒業し、教員として浪速高等学校に着任させて頂いてから二ヶ月半がたちました。社会人としても教員としても未熟な私に、お忙しいにも関わらず先輩方がアドバイスを下さり、まだまだ出来ないことや分かっていないことも多いと思いますが楽しく充実した毎日を過ごすことができています。木村理事長先生とは、天王山での校外学習、そして歓送迎会では同じテーブルに座らせて頂きお話をお聞かせ頂くことができました。ですが、この様に木村理事長先生と直接お話出来る機会はほとんどございません。そのため、木村理事長先生の考え方等を知ることの出来るブログはとてもありがたいものです。ブログで初めて知ることができたことも多く、宇宙エレベーターという今までそれこそ空想でしかなかった物を作り出そうとしている、大林組が新校舎建設のゼネコンに決まったということをブログの1回目で知り大きな衝撃を受けました。この新校舎建設についてのお話も大変 興味深かったのですが、二つに絞るとなると(私学人気は本物か?)そして、(煙草をやめたらどうだ?)になります。ここからは、この二つについて書かせて頂きます。

・まず(私学人気は本物か?)について書かせて頂きます。私学で働くものとして、このタイトルを見ただけで内容を読んでみたいと思いました。読んでみると、当時の橋本知事が作り上げて下さった、私立高校生等授業料無償化制度がメインのテーマになっていました。この授業料無償化制度が成立し、今まで金銭的な理由で私立高校を志望していなかった、出来なかった子供に大きな選択肢を与えることとなるのだと学生の時に思っていましたが、自分自身が私学の教員として働くこととなり、実際にブログによってその数値を知り感動しました。私学に進学する生徒がこの制度によって確かに増加していました。更に、浪速高等学校は大阪の私学の新入生数でトップ5に入っていることを知り、尚嬉しかったです。浪速高等学校に着任させて頂いたのが今年からですので、このトップ5に入るまでに理事長先生や先輩方がどれほどの努力をなさったかは、断片的にしか知りません。多聞尚学館、武道館そしてクラブハウスの建設等は知っているのですが、トップ5に入るためにはもっと沢山の血のにじむ様な努力があったのだと思います。ブログにもあったように、それこそ今までの学校としての古い常識に囚われていては、この様な変化は無かったはずです。その私の知らない部分をこれからのブログで知っていけたら嬉しいです。そして、浪速高等学校を選んで入学してきてくれた生徒に、選んで損はなかったと思って貰える様に、自分自身の教科指導能力や生徒指導能力を高めていきたいと改めて思いました。またウイングの広さを守るために、勉強だけに縛り付けるのではなく部活動にも理解を示さないといけないなと思いました。

・次に(煙草をやめたらどうだ?)について書かせて頂きます。これもタイトルだけでとても大きなインパクトがありました。確かに現在は、煙草に対する世間の考えが厳しくなり、分煙や禁煙が叫ばれています。ですが、ここまでストレートに煙草をやめるべきとお書きになっていることには驚きました。私自身は煙草を吸っておらず、煙草の煙や臭いについても嫌悪感は持っていますが、ここまでダイレクトにやめるべきと言う勇気は持てないです。その分このブログを読ませて頂き、喫煙者をニコチン中毒者とお書きになられているのは、読んでいて痛快でした。特にアンケートの部分が印象深かったです。その内容は、煙草を吸うのをやめて欲しいと考えてはいるが我慢するが全体の92.5%で、はっきりと吸うのをやめて欲しいと言うが全体の3.8%で、理事長先生はこの3.8%だとのことでした。ここまで言い切る勇気が私にあれば見える世界も違うのだろうとこの文章を読んで羨ましく思いました。
・この二つ以外にも松井知事や前市長である平松市長についてお書きになっている文章も読んでいて面白く、新校舎建設やその他の様々な新しい知識を読んでいて得ることが出来るブログをいつも楽しみにしています。このブログで得た新校舎についての情報等を、生徒に授業の導入の部分で話すと喜んでくれるので、これからも情報をどんどん生徒に還元していきたいと思います。
・私は浪速高等学校に着任させて頂いてまだ二ヶ月半しかたっていません。ですが生徒にとっては新卒もベテランの先生も同じ先生ですので、生徒にとってこの先生に教えてもらえて良かったと思える様な先生になれる様に、これからも精進していきたいと思います。宜しくお願い致します。

 

この先生は去る5月11日の歓送迎会において私と同じメインテーブルであった。そのように私が決めたのだが最初から最後まで一言もしゃべらなかったのではないか。加えて「飲まず食わず」でとにかく「大人しい人」「超真面目人間」という印象を私は有した。とにかく「静か」なのである。

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メインテーブルで新卒の先生が理事長と同席することは、確かに敷居が高いし、緊張するのだろう。殆どの人があまりしゃべらない。この先生、私が何かを聞いても答えははっきりと返って来ない時もあった。

以前、全くしゃべらずただ食べるだけの常勤講師がいたことを思い出す。中華料理だったがとにかく料理が出てきたらまず最初に手を付けるのだ。しかしこの先生、食べるだけ立派だった。余談であるがこの先生は晴れて専任教諭に昇格し来月には元本校の常勤講師の先生と結婚式だ。まあしゃべらなくとも食べてさえおれば専任教諭にはなれるし、結婚も出来るのだ。しかしこの先生は食べもしなかったのである。

間違いなくこの先生のお人柄はこの小論文に表れている。「はったり」を言わず、「出しゃばらず」陰ひなたなく仕事はするがまだ存在感が薄いが品格はある。しかしこれだけでは教師は務まらない。

頭脳明晰で思索する能力は有ってもそれが生徒の為に生かされないと教師とは言えない。頭が良いだけでは良い教師にはなれないのだ。案外頭の回転がそれほどでもなくても良い教師だったりすることもある。偏差値では教師の能力は評価できないのだ。

今後の教師としての成長を期待するばかりだがそれには自分の性格も含め相当な努力が必要だ。物静かであることは得難い特性ではあるが生徒の前で言うべき時には言わないとやってはいけない。「自ら殻を破る」努力も必要である。そして周辺のベテラン教師がこの若き教師の卵を育てて行かねばならない。

私はこの先生がどこまで努力し変貌していくか大変興味を有して見守っていきたいと思う。来年は担任をさせてみる積りだ。それで分かる。少なくとも小論文では及第点を得たと思うだけに今後大切に育てる余裕が本校にあるかどうかだろう。 時間はそれほど多くはない。一人の先生に「かかりっきり」にはなれないからだ。それだけに本人の必死の努力がいる。貴重な理科の先生だけに私は大きく育って欲しいと思う。頑張って欲しい。


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24.6.25 貴方は謙虚な人間か?

2000字相当とあるのだからやはりその程度に収めないと落第だろう。「試験だったら間違いなく不合格」だ。酷い人が居て3192字も書いた人が居るかと思えば1115字という人もいた。指示された通りに書かないといけない。これでは不公平になる。

普通は「横書き」だろう。お一人だけ縦書きの人が居た。これは当方の整理に不都合があって横書きに直して貰った。後、多かった現象は表紙を一枚付けている人である。「A4版2枚」と書いているのにこのようなことをするのが私には信じられない。

わざわざ表紙を付けるほどでもあるまい。「“理事長ブログを読んで”と自分の名前」しか書いていないA4の1枚がついているから結局3枚となっている。これでは困る。又行間を開けて打っているからA4版が6枚になっている論文もあった。

ワードの標準は行間1行で横40文字、縦36行、フォントMS明朝で10.5だから、これだとA4一枚に1440文字入る。タイトルと名前を書いて一行開けて本文を書き、文章が転換するところで1行スペースを空けても十分2枚には収まる筈だ。

普通の2000字の小論文とはこういうことを言うのだが本校の常勤講師の先生には通じなかったみたい。恐れ入ったのはある人の小論文であった。あれほどブログのトップ2を挙げてそれを論じよと書いているのに書いているのは自分の事ばかりでこれには「つんのめって」驚いた。

このように前回のブログに書いたように人間というのは「同じように言ってもアウトプットは全くバラバラ」なのである。恐らく頭に残って居ないのだと思う。こういう人が生徒に教えると言っているが果たしてどうなんだろうとツイツイ思ってしまう。

 

さて「ブログ人気」を挙げてみよう。別に人気投票ではないが本校の常勤講師の先生方が「どのブログに関心を示したか」と観察するのは興味ある。総数が39人だから計算では「かける2倍の78件」となるのだが前述したように三つ書いた人もいれば一つの人、何もブログの事を書いていない人などがいるから数は合わない。

「松井知事・・・塾の先生を探せ」が9件、「多聞は本校の宝」が8件、「アメリカの高校生が来たー!」「煙草を止めたらどうだ?」が共に7件、「ダメ先生って難題?」「多聞を大切にせよ」が共に5件、「ノウハウを積み上げよ」「私学人気は本物か」「時は今」が並んで4件という具合だった。ちなみに次の3件は「K副校長先生、さらば」「結婚式のラッシュ」が来ている。後は2件、1件に分散している結果となった。

キズナプロジェクトについて私は三日連続で書いたが三つのブログの合計総数は13件、多聞に関しては「多聞を大切にせよ」と「多聞は本校の宝」で13件と、要はキズナと多聞が双璧の人気ブログであった。

私の分析はこうだ。どうも本校の先生はキズナと多聞という「分かり易いブログ」に印象付けられているみたいだが、これはあながち喜んでばかりいられない。この二つは極めて分かり易いからこれに囚われたとも言える。

論考を深めなければならない若干難解なブログを敬遠しているとしたらこれは問題である。総じて私をして「読ませる」小論文は投票が1件か2件のものに多かった気がする。又「論文の好感度の高い」ものとそうでもないものと両極に分かれた。それは昨日のブログに書いたように「謙虚さ」と「本校で働くことの喜びと決意と覚悟」が伝わってくるものだからだろう。

ベストではないがここにある好感度の高い某常勤講師の小論文を転載しよう。一つの参考として欲しい。この文章の作者は謙虚であり前向きであり、本校で働いているということが大きな喜びであると言うことがひしひしと伝わってくるではないか。そして「決意と覚悟」も示されている。勿論必ずしも良い論文の作者が良い教師とは言えない。しかし可能性を私は見るのである。

「アメノウズメと神楽部」「敗軍の将、兵を語らず」のブログについて

                                常勤講師 英語科
 理事長ブログはどのブログも大変勉強になっています。その中でも、「アメノウズメと神楽部」のブログについて一つ目に書かせていただきます。○○先生と共に神楽部の顧問をさせて頂いています。特に毎週月曜日にお稽古を習うときは、神楽の奥の深さを体験でき、生徒と共に神楽の素晴らしさを学んでいます。そしてこの度、理事長ブログを拝読し、神楽部をますます盛り上げていきたいと感じました。特に「神社新道の学校としてのアイデンティティである」という文にとても惹かれました。この文を拝読したことで、神楽部は浪速中学校・高等学校だからこそ存在する部活であり、日本の大切な伝統を引き継ぐとても価値のある部活だと改めて思いました。そして当時に、神楽部が代々続く部活になるよう生徒の意識を盛り上げていこうと決心しました。また「上手くなり、府内の神社のお祭りにも参加できるように」というブログの文を拝読し、あらたな目標が出来ました。学校外で活動をすることで浪速中学校・高等学校の神楽部が有名になり、小学生や中学生が憧れを抱いたり、良い評判を作ったりすることが出来れば、とても嬉しく思います。神楽部は部活動に必要なお道具をそろえて頂いたり、神楽を教えて下さる先生をお招きしていただいたりと手厚くサポートをしていただいています。すばらしい部活動になるよう全力で活動していきます。
 理事長ブログを拝読しているうちに、理事長先生の行動力や、学校・生徒・教員を思うお気持ちを学ぶことができ感動しています。理事長先生だからこそ、学校に雅楽部と神楽部があるのだと思います。この度神楽部に入部した生徒のほとんどが日本古来の文化や伝統に興味があります。他の中学校や高校にも日本の伝統に興味を持つ生徒は多く存在するのではないかと思います。浪速中学校・高等学校の生徒は部活動で身近に体験でき、とても幸せなことでしょう。浪速の魅力は様々ありますが「神楽部や雅楽部のような部活動もあり充実している」ということも大きな魅力だと思います。今後、新校舎の地鎮祭や竣工祭などで神楽部として活動する際は、立派に役目を果たせるよう○○先生と協力をして頑張ります。この度は、素晴らしい部活動を支援していただき、また神楽の由来などが学べるブログを載せていただきどうもありがとうございました。
 二つ目に印象に残ったブログは、「敗軍の将、兵を語らず」です。私自身も橋下市長の政治に賛成の立場です。特に私立高校の授業無償化は斬新であり、同時に素晴らしい政策だと思います。子どもたちは希望する学校で貴重な高校生活を送ることが出来、学校は今までより一層工夫や魅力が求められ活気あふれるより素晴らしい環境になると思います。橋下市長を否定する人々もいますが、それ以上に賛成する人々が多いからこそ新橋下市長が生まれ、改革を求めているのだと私も感じています。そんな折、平松氏の発言が載っている新聞記事を読み、違和感を持っていました。そして理事長ブログを拝読し、そこには「史記」の言葉が紹介されており、またひとつ学ぶことが出来ました。
 「敗軍の将兵を語らず」という言葉を恥ずかしながら、理事長ブログを読み初めて知りました。何か失敗があったとき、言い訳や愚痴、批判を言ってしまう傾向がありますが、そんなときこそ地道に行動で示したり、次の成功を目指して準備をしたりすることが大切であると勝手ながら解釈致しました。負けてから何かを言っても遅いのでしょう。生徒の大学入試に失敗してからなぐさめたり、英語嫌いになってから特訓をしたりするのではなく、今、目の前にいる生徒にできることを全力で行い、良い結果を出すことが大切であると学びました。また、理事長先生や橋下市長は様々なことを実行されているということを知り、私自身もまっすぐに言い訳をせずに仕事を全うしていこうと強く思いました。特に「行動」をもっと意識し、受け身ではなく積極的に学級運営や生徒の成績向上、部活動に携わります。中でも生徒の成績に関しては大学入試において非常に大切な科目、英語を教えているということに緊張感を持ち、小テストを行った後のフォローを徹底し、まわりの先生方と情報を共有することにより生徒により良い環境を提供できるよう努めます。
 理事長ブログは勉強になることが本当に多く、気を抜くと考えや行動が偏ってしまいそうな私に様々なことを教えて下さっています。数多くの学校の中で、校長先生ご自身がブログをお書きになっている学校はそれほど多くないと思います。私たちは、たとえば古事記についての内容を知ることが出来たり、世の中の動きをさらに深く知ることが出来たりするブログをいつでも読むことが出来る環境で仕事を全うすることが出来、とても恵まれていると思います。浪速高校で教員として働かせていただき2ヶ月以上経ちますが、初心を忘れず、与えていただいた環境を当たり前だとは決して思わず、更に良い仕事が出来るよう努力していきま

す。

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24.6.23 貴方は本気で書いたか?

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アメリカの高校生は確か今日関空を飛び立ち故郷のワイオミングに向かって太平洋上の大空を飛んでいるに違いない。今頃は機内食を楽しんでいるのか?今朝の大阪日日新聞は先の本校訪問を記事にしてくれていた。上手く書いてくれて有難い。購入部数を増やそうか。

6月15日、私は常勤講師の先生方に「小論文」の提出を任意でお願いした。丁度私のブログ「留め書き」を再開してから1か月、30個の留め書きが終わった段階で私は次のような依頼文を全教職員にメールしたのである。
・ 常勤講師の先生方
理事長ブログを再開して約1か月強、アップ数が30となりました。私のブログは主に教職員対象としており、これに付き常勤講師の先生方に以下の要領で小論文の提出を依頼します。
・A4サイズ2枚程度2000字相当
・ワード
・ブログの中から特に印象深かったものをトップ二つあげそれについて論評を
・この場合論評とは感想、意見、提案、所感、賛同、反対、何でも良い
・締め切り 6月22日15時まで
・強制ではありませんのであくまで任意提出です。
以上宜しくお願いします。又専任教諭には別途形を変えてお願いすることがありますがこれは職務命令となります。提出を義務付けると言うことになります。以上
追伸:
掲題の件、下記に補足します。
・提出方法は電子メールの同封で。
・タイトル、お名前と所属か教科を入れこれは2000字に加えません。
・締め切り 一日延長して6月23日の正午まで。

・任意提出は変わっていません。
以上宜しくお願いします。

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私のブログは主に教職員を念頭において書いている。又私立学校の理事長として私が「どのような思いでブログの中身を書いているか」を一般の人にも公開して本校の理解を更に進めて頂く目的もある。教員だけが対象なら他に考えを伝える方法は幾らでもある。

相当「文言に留意」して基本的にすべてをさらけ出して「本音」を書いている。ただ「技巧として逆説的に書く」こともあるから読む人は「眼光紙背に達して」真意を理解して貰わないと困る。表現をそのまま受け止めて貰うと些か困惑する場合も過去あった。

書く本人が「真剣勝負」で書いているのだから1年契約の常勤講師の先生方も真剣に立ち向かって来て欲しいと思った。常勤の先生方が「どのような人物かを知ることは私の権利でもあり責任」でもある。

「人となりを知る方法」は色々あるがその中に「小論文」を書いて貰い、それをそれこそ眼力を発揮して読むことはかなり有効な手段だと思い、ここ数年常勤講師の先生にお願いしてきた。そして過去の例を言えば私の考えは間違っていなかったことは自信を持って言える。中身の薄い文章はそれを作成した人の現状や姿勢、考え方等高い確率で合致し、想像と実態が的中するものだ。

本校は小難しい就職試験など課さない。履歴書と面接から常勤講師の採用を副校長以下の管理職が決定する。私は一切口に出さない。但し常勤講師から専任教諭に採用する場合は私が決める。勿論校務運営委員会の教諭の意見や管理職の観察・意見は参考にするが最後は「私が理事会に諮る人間を最終決定」するのだ。

大学入試でも最近は「小論文」が課せられて来たりしている。入社試験でも小論文が有効な手段となっている。今から10年前企業から転身し、大阪府初の民間人校長になった時も「小論文」の提出が求められた。

私は2000字という字数制限の中で「学校社会の病理と処方」を一般社会人の目から言及しそれの民間的手法によるマネージメントについて考察したような記憶がある。「病理」という文言に驚かれた面接官がこの文言を好意的に受け止めて頂いたような気がした。病理を明らかにし対応を考えるのが民間人校長のミッションだったからである。

作った文章にはその人物の「学びの蓄積」が如実に表れる。その結果「その人の全人格が匂ってくる」ものだ。だから文章に「品格」が現れる。まず絶対に嘘を書いてはいけない。ありとあらゆる方法で真偽と事実を抑えて、最後にペンを走らす、今風では「キーボードをたたく」のである。

そして言葉の一言一言(いちごんいちごん)に全神経を集中しなければなるまい。前にも書いたが日本の言葉は「言霊」という言葉があってその発した文言、フレーズには「魂が宿る」のだ。だから小説やエッセーなどが他人の心に入り込んでくる。映画演劇のセリフもそうだろうと思う。

今日が締切日であった。今私お手元には全員分の39の小論文がある。任意ではあったが全員が出してくれたことは嬉しい。昨年は2名の人が出さなかった。この人たちは1年で本校を去った。じっくりと週末に読む。楽しみである。しかし「パラッ」とめくって読んでみると中々面白い文章もあるし、又上記にこれほど提出要件を明確に書いているにも関わらず中身が頓珍漢なものもあるのが実態だ。

これほど「人間には差異」がある。自ずと「差異が出てくる」と言っても良い。教員と言って「一括りにできない」のがすべての問題の根幹である。学校内部はすべての教員が同じ資質の前提ですべてが決められてきた。だからこのような学校現場になって来たという事だ。

私はまず「謙虚さ」から文章を見る。日頃理事長と接することが少ない常勤講師にとってこのような機会を与えてくれたという感謝の言辞、理事長ブログから実に様々な視点を知らされ「大変勉強になった」との冒頭の書き出しがある文章に接すると正直立派だと思う。「学びの姿勢」があるかどうかということだ。

ブログの内容など「そっちのけ」で書いているのは「自分の事ばかり」というのが結構あるし、「自信たっぷり」という具合である。こういうのは大体他校での経験などがある結構年を食った教員に多い。要は教師の慢性的病弊「自信過剰」が見えているのである。「ジプシー教員」はどこか問題があるからジプシーなのであってそれは案外自信過剰からくる傲慢、尊大、唯我独尊が原因になっていることに気づいていないのだ。

又文章の起承転結という構成要素を無視したものも多く、概して「語彙に乏しい」感じがした。本を読むとかすることが今まで多くないのだと思う。それに表現方法に気を遣い、何回も推敲した形跡がないものもあった。要は「やっつけ仕事」なのである。優れた小論文は私が文中敢て「・・・」で括っている言辞について考察の対象としているのもあった。

まさにこの点であり例えば「古い常識人の敗北」から「貴方は何を学ぶか」を問うているのである。ブログから「何に気づいたか」を問うているのである。そして本校の教師として「どうあるべきか」の「覚悟と決意」を聞いているのであって私のブログを「さわり」として貴方の人生を聞いているのではないことを知らねばなるまい。

「教師の勘違い」とはまさにここにある。加齢とともにその勘違いが増長していく。一般の企業社会と学校社会は全く逆の動きをするのだ。加齢とともに大人は勘違いが少なくなっていくものだが教師という職業は恐ろしい。基本的に子ども相手だから何時までも自分も成長しない面がある。それを打ち破るには一にも二にも「勉強」だ。私はこの小論文をじっくり読ませて頂き、評価し、その評価を今後に生かしていくつもりである。そして素晴らしい文章はこのブログにおいても紹介していこうと思っている。




24.6.21 空手道部の勢い

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空手部の快進撃が止まらない。「怒涛の勢い」と言っても良い。東アジア大会でも優勝し、この度大阪の春季大会でも「圧勝」した。これでインターハイ出場が決まった。それにしても空手道部は強い。次の目標は先の春の全国選抜大会優勝に続いての夏の高校総体優勝である。即ち「春夏連覇」だ。

空手道部は今や空手専門誌から「引っ張りだこ」で例月月刊誌の表紙を飾ってくれている。余計にあづかって私などもインタビュー記事が掲載される。まあ「タニマチ」は表に出ないものだが嬉しい限りである。

何が嬉しいかと言ったって「作った施設設備を有効に使ってくれている」ということが嬉しい。

平成11年3月、約1年前に浪速武道館は竣工した。文武両立を目指す本校としては「ふくろうスタジアム」に継いで「作らなければならなかった施設」が武道館であった。

あんなに豪華な武道館を作ったが「学芸や柏原に負けてばかり」では格好がつかなかっただろう。このように「箱物」を生かすには「勝負に勝つ」ことだ。少なくともすぐ勝つことが「人の口をふさぐ」ことになる。

この浪速武道館「錬武館」の評判が大変良いそうだ。この5月の連休には東京の世田谷学園はじめ全国の強豪校10校が勢ぞろいして練習試合があった。皆さん評判を聞きつけて「一度浪速さんの新しい武道館で・・・」と言われるようになったと言う。

これも今井監督というソフトウエアと武道館というハードウエアが揃ったからだろう。私は皆さんの前でスピーチを要請されてしたのだが晴れがましかった。とにかく武道館を最大限有効に活用して成果を上げてくれている。

弓道部も剣道部も頑張ってくれている。弓道部もインターハイ出場であるが、これについては別のブログで紹介しよう。とにかく空手道部は「出色の出来」である。今や部員は約50名を数え、兵庫や京都からも通ってくるようなクラブに育った。私は当面「浪速空手の天下は続く」と思っている。

JKファン7月号には何と表紙に本校のクラブ員が総出で出ている。「浪速 世界標準」とまで書かれており、世界標準など普通には書いて貰えない言葉だ。そして遂に「浪速の空手」がDVDになった。「勝負から逃げない強さ」「しなやかで止まらない動きそれが浪速スタイル」と表題にある。


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恥ずかしながら校長の言葉として私も出ている。一本4800円だから少しお高いが一見に値するので必要な人は本校空手部までご一報ください。(冗談)同じJKファン6月号は「強い浪速、2種目制覇」「変わるぞ、高体連の組手」とまるで「教祖のごとき」扱いだ。月刊空手道6月号には「浪速旋風」とあった。

しかし指導者によってこれほどまでに変わるのか。監督今井謙一、監督就任11年目、計4度の日本一に導き全国選抜優勝は今春で8年ぶり2回目だ。「全日本空手道連盟ジュニアナショナルチームのコーチ」である。将来日本の斯界のトップになることは間違いないだろう。

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若くは見えるが、歳はもう36歳になった。今から5年前に結婚し今や二人の子持ちである。着任して私が最初に主賓として出席した結婚式であった。夫人は愛媛出身であるが同じく空手をされる。普通は美女に野獣というのだろうが、美男美女のカップルとはこういうのを言う。世の中は不公平である。

しかし彼にはこれ以外に50人を超える子どもがいる。生徒は今井先生を心から慕っているのが傍にいても分かる。だから益々強くなるのだ。校長としてこのような教員を持つのは誇り高い。それだけに私は今井先生には厳しく接している。今弛めることは決して彼の為にならないからだ。

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当初武道館の空手道部は2階に設置することで進めていたらしいが私は途中でこれを知り、「問答無用」で1階に変更させた。部員の数が増えることを想像したからである。結果その通りとなった。

今井監督は「2009年インターハイで全国優勝」を成し遂げて私に着任のお祝いを作ってくれた。着任翌年の私にとってこれはまさに私学における「文武両立の学校つくり」を意識した瞬間であった。空手道を本校の中心に据えて学校改革を進めると決意した。

だからこの時は難波のスイスホテルで350名のお客様をお迎えしての大祝賀会としたのだ。当時はお金は有り余るということではなかったが私は戦略的に大パーティを挙行し、その席で日本の空手関係者の前で「武道館建設」を高らかに宣言した。


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今でもその時の感触を思い出す。そして宣言した通りに武道館は完成した。男は一度口にしたら絶対にやらねばならない。血反吐を吐いてでも約束したことは完遂しなければならない。それが「道」である。

もしこの8月のインターハイで、勝ったら「春夏連覇」として大阪府の松井知事に優勝旗を持って報告に行こうではないか。大パーティを関係者招待して行う。派手にやりたい。「創立90周年前夜祭」である。しかし勝負は時の運だ。結果は問わない。インターハイを楽しんで来たら良い。ホテルをどうしようかと聞いて来たから「もっとも会場に近くて良いところに宿泊して良い」と応援して上げた。監督は嬉しそうだった。

勿論空手道部の躍進は今井監督だけの手腕によるが側面からの支援を忘れてはいけない。まず「保護者会」だ。この保護者会がすごい。頭が下がるくらい物心両面で応援して頂いている。

私は彼らに感謝の意を表すため、つい先般も春選抜優勝の役員会幹部の慰労を目的に理事長として心斎橋にご招待して楽しいひと時過ごしたのだが本当に気持ちの良い方ばかりである。子どもが卒業しても保護者会には留まってくれているくらいだからこの会の素晴らしさが分かるだろう。皆さん、今井信者であり「追っかけ」だ。

また今井監督を補佐しサポートしてくれているのがベテランのT教諭と若いS教諭だ。T先生は今や本校の嘱託の身分であり、直接的には全く離れているが、私は試合観戦の旅費は特例として負担し、出張扱いで行って貰うように配慮している。

誰かT先生を空手道部の「影のドン」で今井監督を「Tのパシリ」みたいに言っている人が居ると聞いたがトンデモナイ話だ。二人は全く次元の違う世界に住んでいる。比較にならない。思わず笑ってしまった。

若いS先生は体操を高校時代にやって相当なレベルなのだが今や空手に嵌ってしまって楽しくてしょうがないと言う感じだ。又この教諭は「教科指導の教師としては第一級」である。何時かは空手から離れて別の運動部の主担当として頑張って欲しいと言うのが私の本音である。今井先生とS先生のエースクラスを同じクラブというのは勿体ないのだ。

今年からスポーツ特待制度もかっちりと整備した。優秀な生徒であれば入学して欲しいと思うがあくまで本校の方針をご理解して貰わないと行けない。昔は私立高校の授業料が有償であった時代と根本的に違う。「高い授業料を出して来て私立に来てやっている」という人はこちらかご免である。

それは特待生には支援制度は適用されないため正味の部分で学校法人の負担である。府民国民の税金が投入されて、それを原資とした特待生度なのだからそこから理解して欲しいと思う。その点、空手道部には伝統として大変立派な保護者が多いので有難い。


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24.6.16 財務状況の公開

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普段はあまりそういうことはしないが最近では他の似通った規模の私立高校の公式サイトを眺めている。「財務状況」の部分である。前年度決算が締められて理事会・評議員会で確認されたらホームページにアップするように府の私学・大学課の「行政指導」がある。

最も法律ではないから絶対にしなければならないことはないが、公開すれば府からの補助金に額は少ないが「上乗せ褒賞分」がある。金額の多少ではなくて「学校選択の一指針」だから受験生には開示する方が妥当であると私は考え、19年度から府下では最初に始めた。

本校では5月31日の理事会で確認された決算財務状況を6月4日月曜日にアップした。「素早い対応」である。この辺が本校の事務室の良いところだ。とにかく「迅速」を私は尊ぶ。拙速ではない迅速だ。

6月5日の時点で他校を見るとまだその時点ではほんの2ないし3校しかアップされていなかった。6月13日の時点では10校であった。各私立高校とも今準備の真っ最中なのだろう。25日からは私学課からのヒヤリングが始まるからそれまでにはあらたかアップするのかもしれない。

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学校会計基準では3月31日の年度末から2か月以内に理事会を行い決算審議となっているが、決算内容の悪いところの学内理事には「針のむしろ」だったと思う。仕方がない。隠ぺいしたらこれは法律違反であり悪事である。「粉飾決算」のことを言う。

前にも書いたが「あの学校はお金が無くて大丈夫なの?息子を入れようと思うのだが途中で学校無くならないでしょうね?」と判断して貰うのが公開の目的である。しかし実際は「学校会計基準」というのは難しくて企業会計より幾分複雑である。公益法人だから特にそうなのだろう。

ホームページに明らかにされた財務状況は正直言ってほとんどの人には「理解しがたい形」だと思う。これらの数値からその学校の財務が分かるというのは相当のお人だ。それくらいのものだからホームページを見て、勝手気ままに好きなように思われても困るわけで、そのためにこのブログを書いておこう。物を言うなら勉強して貰わねばなるまい。

私は事務室に指示して「大体、何年間アップするのか」と私学課に問い合わさせた。答えは単年度をほぼ1年という答えが返って来たと言う。前述したように府内では相当早く、19年から継続してアップしていたが、これは不要と言うことで、直ちに見直した。
・ ただ経過が分かるように2年分の掲載とした。即ち22年度と23年度の決算状況である。単年度分で良いという事だったが私は連続性、継続性ということを考慮した。「変化が分かる」。こういう姿勢も見て欲しいと思っている。

23年度分は比較するデータがまだなかったから仕方なく、各校の財務状況の22年度分を本校と比較してみた。「悪くはない」と言っておこう。もっと強く言っても良いがそこは「謙虚さ」が必要だ。理事長が自慢しても仕方がない。「組織の成果」なのだから。教職員の頑張りだ。

「財務表のどこを見るか?」ここがポイントである。各校とも絶対数値しか書いてないのでこれだけでは分からない。自分で計算しないといけないのだが、これは相当な知識が要る。無知ではそこまで出来ない。ただ一般の人はそこまでしないだろう。

「帰属収支差額比率」と「人件費比率」の二つを計算すればすぐに財務体質が分かる。加えて「翌年度繰越消費支出超過額」と「正味財産」の変遷も抑えておきたい。ただこれは単年度しか掲載していないと継続性が分からない。昨年より良くなったのか、悪くなったのかそれが問題なのである。

前年度分をコピーして残しておけば分かるが、そういうことをする人間はストーカーとか余程の偏執的変人しか居ないから結局財務の変遷は分からない。意味はないことになる。

てっとり早く財務概要だけを見るなら「当年度消費収入超過額の数値」である。これも出しているところと無いところがある。本学院はすぐ計算できるようにしているが「引き算」をしてもらわないといけない。

この超過額とは企業で言えば当年度の営業損益が赤か黒かというものである。黒であればこれは次年度繰越現金ということになる。しかしこの数値が大きいからと言ってすぐ財務体質が良いとは限らない。基本金の組み入れとか色々とあるからである。

財務体質の強化は理事長の最大の仕事である。これは校長には出来ない仕事である。大体財務体質のぜい弱な学校は「人件費比率が高い」。無茶苦茶高い。元々大阪は高くて全国平均をはるかに上回った数値である。

二つの要因があって教職員の給料そのものが高いのと分母となる数値の根源、すなわち生徒数が少ないのである。言い換えれば生徒数は多くないのに教職員の給料が多い、教員数が多いということになる。

単純明瞭であり、生徒数を増やす努力をするか教職員の人件費をトータルとして削減するしか方法はないのである。これほど分かり易い方程式はないのだ。それでも理事長は教職員の処遇を再考するのに勇気がいる。

先の本校の理事会には何時も公認会計士の先生が出席されて総括される。大体文書報告のみのところが多いと思うが本学院では「生の声」で理事・評議員の先生方に直接肉声で報告して貰うようにした。今年のご発言を忠実に再現して見よう。

“・・・。又決算内容に関して過去からの負の遺産である消費収支のマイナスが○○億円台から○億円台となり今年度の解消が見込まれ、これで唯一の懸念事項がなくなると考えています。又純資産である正味資産が19年度の○○億円から23年度○○億円となり5年間で○○億円の増加となったこと、つまり5年間で財産が1.5倍になったことは一般企業では普通では考えられない驚異的な伸展であります。その主な要因として授業料収入が19年度で○○○百万円が23年度で○○○○百万円となっており約1.5倍の増加に対して人件費はほぼ横ばいで変わらず推移しているからであります。生徒募集による収入増加だけでなく、学校経費で重要な人件費を人事施策で上手くコントロールしてきたことが純資産の増加に繋がっています。このような財政基盤の整備を着実に進めてきたことが安定した状況を生み出し、遂に新校舎建設という新たな展開に入れるということは誠に素晴らしいことであります。”

理事会の資料を使って次回の職員会議で私は財務状況を教職員に説明する。ずっとやっていることだ。これで教員は自分の頑張りが具体的な数値となって現れてくるから安心するし、もっと頑張ろうと言う気になってくれる。理事長の仕事とはこういうことだ。


24.6.15 敗軍の将、兵を語らず

大阪市に橋下市長が誕生し、この19日で半年経った。益々メディアや政治の世界では「橋下徹論」が沸騰して一向に収まる気配もない。中央政治が今の「体たらく」だから最近では橋下総理大臣論まで本気で議論されるようになっている。

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まさに橋下市長に対して「賛否両論」があるが、正直言って私はこの賛否の否にむかつく。大体観察していると「否」の側に立っている人は既存秩序の中でぬくぬくと恩恵を受けている人々、改革そのものが概念として分かっていない人々、橋下さんに歯牙にもかけてもらえない人々等々様々である。批判していても「お声」がかかったら「いそいそ」と出かけるような根性が据わっていない人もいる。

まあ一部の国を除いて、独裁社会ではないから否の意見は認めるにしても「賛否両論そのものがある人間に対して、賛否両論があるから怪しからん」と言う人が問題だ。為政者で賛否両論も無い人は結局何もやっていないに等しい。

特に日本では本場イギリスやアメリカの民主主義と違った形で「言いたい放題」「言った責任も取らない」まさに言論が無責任になっているのではないか。ここが問題である。まあ人を批判して飯を食っている、まさに生業としている人々の多さと言ったらあきれるばかりである。

本当に明晰な頭で見識を深め、私心を捨てて自分の人生経験を投影し他人を甲乙評論する内容であったらその中身は面白い。聞くに値する、読むに値するのである。15日の朝日新聞は3人の斯界の学識・経験高い人物が「市長半年、未だに人気のわけ」の見出しで「橋下論」を展開していた。

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「良い意味で変節の政治家」「偏る政策避ける計算高さ」「消費者化した市民が拍手」と3人が3様の評論だ。一人を除いて辛口だが評価している。やはり「切り口や文言」が面白い。要は頭が良いのだ。

私が幾分語彙を変えてこれらの先生方の評論をワンワードで片付ければ北川氏は「場面転換が極めて上手い天才」、新藤さんは「保守とリベラルの使い分けの天才」、石田さんは「衆愚した民衆へのアプローチが天才」か。

しかし考えても見よ。以上は「すべからず政治家に必要な資質」であって、拡大して言えば組織のトップに必要な資質だろう。「八面六臂」「変幻自在」「飴と鞭」「剣とコーラン」「剛毅と柔軟」だと思う。要は「幅の広さ」である。ウイングの広さである。

「硬直したイデオロギー」「成功体験」から抜け出せないから中央ではもう自民党も民社党も無茶苦茶だ。橋下さんは右でも左でもない。目の前のテーマを変幻自在に解決していくアプローチだ。だから原発でも憲法問題でもあっち行ったりこっちに来たり硬直した評論家から、見れば彼の本質を捉えようがないのいではないか。

大体家庭の主婦や勤労者が右か左かなどのイデオロギーで生きているのではなかろう。生きて行くのに精一杯の中で「世の不条理」に腹が立って毎日を過ごしているのである。橋下徹氏の高い支持率は自分の痛みはさておいても不条理不公平に不満を有する人々の期待感だ。

日本人はまだ捨てたものではない。橋下徹という男を「世に出す大衆の力」がまだあるということを世に知らしめたと考えるべきである。日本にようやく「新しいタイプの政治家」を生み出そうとしているのである。既存政党からは絶対に生まれない政治家だろう。

我々は彼を使ってこの閉塞した社会に風穴を開けて行かないといけない。批判勢力ももう少し謙虚に「今まで自分が中枢にいても何も変わらなかった」のだから「少しは反省して」、しばらくは口をふさいでいたらどうだ。否なら選挙で落とせばよい。

同じく今朝の産経新聞には例の元大阪市長平松氏が橋下批判を繰り広げていた。選挙敗北後余りメディアに露出はして来られなかったが私の記録によればこれが2回目である。「橋下氏は大阪市を実験台にしている」が見出しであるが「語るに落ちた」とはこのことだろう。


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・政治家は家は常に恐る恐る実験を繰り返しながら施政をする必要がある。「前例踏襲」のマニュアル通りの施政など誰も望んではいない。 前回は5月19日の朝日新聞だった。「幻想振りまくだけではダメ」が見出しで大阪都構想の批判だ。しかし大阪都法案は遂に国会に上程され本決まりとなって進んでいる。平松さんに余りにも情報が偏っているか、正しく現実が見えておられないのか分からないが私は人に対して優しい人間で好きなお方だけに残念である。

「史記」は今に我々に教えている。「敗軍の将兵を語らず」「敗軍の将再び謀らず」とあるように勝負に負けた貴方は今は黙っていることが再起に繋がる筈だ。世が世であれば、すなわち「天下泰平の世の中」であれば平松氏は名市長となられたことだろう。

人を傷つけず公平に皆が幸せになるように恐らく出来もしないことをさも何時かは手にできると、それこそ幻想を振りまきながらちょっとの痛みあっても毎日が幸せに思えるような施策をあの素晴らしい笑顔でやっておられただろう。

しかし今の橋下市長を見るが良い。もう何でもかんでも「リセット」「やり直し」と言って、「破壊と創造」を地で行っている。平松氏には絶対出来ない「芸当」だ。「良い悪い」ではない。時代は今、橋下徹氏という人間に未来をこじ開けるキーを預けたのである。民主的手続きで覇権を渡したのだ。

彼が大阪でやった教育改革は前人未到の「教育界の文化を一瞬にして変える」ようなものだった。教育基本条例だけでも普通の人間には恐怖で出来はしない。私立高校の授業無償化など誰も考える事さえしなかった。常識ではないからだ。平松さんには申し訳ないが6月2日に書いたブログ「古い常識人の敗北」を絵に描いたみたいな人だった。

平松さん、今貴方は沈黙するしかない。私も最近「一敗地にまみれた」。「捲土重来」「臥薪嘗胆」で沈黙をしているが、何時かしゃべれる時には全てを明らかにする。しかし今は眼前の仕事に集中し、「敗軍の将兵を語らず」で毎日を過ごしている。

 


24.6.12 松井知事・・・塾の先生を探せ

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今、大阪府知事の松井一郎氏が面白い。私は注目して「一挙一投足」を見ている。大阪八尾出身で府議会議員を3期務め橋下徹氏の後を継いで府知事になった。歳は働き盛りの48歳、父君の代からの政治家一家に育った人である。昨日今日、この松井知事の発言がマスコミを賑わせている。

本当に痛ましい事件であった。10日のミナミ東心斎橋での無差別通り魔殺傷事件のことだ。私のウォーキングロードの一つであり戦慄を覚える、犠牲となられたお二人とそのご遺族には言葉もない。しかし本当に犯人には腹が立つ。「はらわたが煮えくり返る」思いだ。

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ういう大事件の場合その地域の首長のコメントをマスコミは取るのだが、府知事のそれを問題視している。10日が休刊日となっていたから各紙とも一斉に11日の月曜日夕刊にて報じていた。

まず産経の見出しは「「死にたいなら人巻き込むな」、読売「死にたいなら自分で死ねよ」、朝日「自分で死ねよ」、毎日「死にたきゃ自分で死ね」日経「死にたいなら自分で死ね」である。

これは犯人の動機が自殺が出来ず人を殺せば死刑になって死ねるからやったという事に対する知事のコメントなのだが大手新聞の各紙はいずれも上記のように揃って記事にしている。勿論記事の文脈は「知事発言を批判」したニュアンスが強い。

しかし私に言わせればどうして知事の発言が問題になるのと言いたい。記事内容の詳細に目を通したが松井知事は至極当然のことを言われており、まったくどこをとっても問題となる個所は無いように私には思える。多くの府民も知事と同じようなことを感じておられるのではないか。

大手新聞の記者には自殺予防対策に取り組むべき府のトップの発言として問題視したのだろうが、これからのトップは「思ったことをはっきりと口に出す」ことが求められている。府民や有権者はそれを望んでいると私は思う。知事と言っても人形でもあるまいに人間的な発言が好ましい。

東京の石原都知事や大阪の橋下市長始め、思い切った発言が分かり易いのだ。だから支持を集めている。今回も松井知事の発言詳細を見てみると全く問題の部分はない。「府の相談窓口まで来なさい」とまで言われている。どうしてこのような見出しにしているのか私にはまったく「解せない」のだ。

私は公立高校勤務時代から当時の府議会議員だった松井さんを大変良く知っているが、教育問題に関しては造詣が深い。ただお人柄がどちらかと言えば今東光師の書いた小説「悪名」に出てくる河内のお兄ちゃんと言う感じで今でも言葉使いには河内弁を感じる。

今回もそのニュアンスが災いしたのだと思っている。簡単明瞭で舌鋒が鋭いから一部分を切って取られる。しかしこれは個性だ。大阪維新の会の幹事長として橋下市長とのツートップで頑張っておられるが最近存在感が徐々に増して来ているのではないか。就任当時に比べ頼もしくなって見える。

本学院の理事長職務代理は「あのメガネが好かん」とおっしゃるがあれは「彼のスタイル」だから仕方がないのではないか。今のメガネはまだ良くなった方で前は赤いつるのものをかけておられた。

お金持ちだろうと思う。身にまとっているスーツやシャツも良いものを着ておられるし、第一あの人は普通のダークスーツを着ない。大体色物か明るい感じのものだ。だからテレビなどに出ても少し「違って」見えるのだ。私が専属デザイナーなら「濃紺のスーツ」だけを着て貰うのだがななーと思う。

「両雄並び立たず」を懸念していたが役者はまだ橋下氏が一枚上なのだから、歳は自分が上でもお互いの役割分担を意識して上手くやって貰いたい。私の関心事は大阪の私立高校の授業料無償化が未来永劫続くとは思っていないが、果たして何時までやってくれるかと言う一点である。

教育行政の中枢は大阪市ではなくて大阪府が握っている。要は松井知事の力量にかかっていると言っても良い。私立高校授業料無償化支援策は橋下知事の手によって始められ同じ政党だから松井知事に引き継がれた。彼は「5年間はやります」と言ってくれているから安心だがその後はどうなるの?そこが心配な点である。

だから私は新校舎建設を急いだ。今から5年の内に完成したいと思って進めているのである。そこで例え中止になっても資金的には問題ないように睨みながら準備を進めている。まあ当面大阪維新の会が大阪では中心にすわると思うが、政治の世界は「一寸先は闇」だからどう転んでも良いように考えているのである。

松井一郎知事が最近教育行政でやった良い点は「教育委員の公募」だろう。6人の定員で2名も公募で任命された。二人目は何と塾経営者である。「さすがお主、やるな」と言ったところである。


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大体教育の複雑な深層部分が分からないような人をただ単に名誉職的に選んで何の教育行政かという事だ。もっともっと専門的な視点から、あるいはもっともっと広域的な視点から「具体的」な提案がなされる人材を選ぶべきである。知事も「具体的な提案を頂きたい」と記事にあった。

塾の先生というのは学校内部ではなくて外部から、背後から、側面から観察しており大変優秀な人物が多い。本校は1000人以上の塾長様とお付き合いがあるが皆さん大変立派な教育者である。昔は狭間産業と言われたこともあったが今や完全に認知された社会の教育機関であり、装置である。

新しく教育委員に任命された木村氏は25年前から塾を経営し3年前から大東市の中学校で英語と数学を教えていると言う。木村さんにアドバイスしたい。良いですか、具体的な提案ですぞ。「理念を語るのはもう良い」から実践的な提案をしないといけません。そうしないと今までと同じように教育委員会の決めた事項の追認に終わり結局何も関与できなくなるでしょう。

私は今高校と中学の教務部長に指示して優秀な塾の講師の先生を探すように言っている。定期考査が終わった後の「特別授業の先生に塾や予備校の教師を招聘」するのである。今までは午後遅くとか放課後とか言っていたがそれでは確保できない。思い切って午前の2限目か3限目に特別講習をして頂くのだ。

生徒は又違ったアングルの先生からお話が聞けて喜ぶぞ。「本校は私立高校だから、ある面大きな塾」と考えてもおかしくはない。緒方洪庵の適塾も塾だった。懐徳堂も塾だった。塾の先生を私立高校が活用しない手はない。

24.6.11 多聞は本校の宝

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遂に「多聞尚学館の男子宿舎が老朽化」して雨漏りがひどくなった。それに厳寒の冬がどうも生徒には厳し過ぎる。寒くて眠れないという位冷え込む時期がある。確かに築40年だから当時の断熱と言えば今ほど進歩したものではなかったろう。

多聞尚学館の使い勝手が良いから今や真冬でも生徒はここで合宿して勉強している。当初は真冬は外そうと考えていたが、そうも行かなくなったのである。3年生の一部は平日も多聞で学習合宿してセンター試験対応で頑張っている。又中学生も最近では平日の多聞合宿を始めた。それは週末がほとんど高校生で占有されているから使えないからである。

床が「ぶよぶよ」して少し沈下している。受電容量も足りない。生活排水の合併処理槽が必要等々教員からも要望されてきた。今までは「我慢して欲しい」と言い続けてきたが「仕方がない。補修に入るか」と今回踏み切ったのである。

それもこれも今年思った以上に生徒が入学してくれたから経営計画以上の資金余裕が出来たからである。私は3月理事会で提案し承認の内定を得た。そして今度の5月31日理事会で正式決定となった。

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千早赤阪村という府内で唯一の村であり本校とは極めて良好な関係が出来ておりこの施設は村の活動の拠点としても使って貰っている。あまり恥ずかしい状態もまずいと考え「本格的補修」としたのである。

夏場の8月までに完成させないと9月になれば夜は寒くなってくる。金剛山のふもとだから標高600メートルはある。それまでは現在の食堂を男子宿舎に代用し2段ベッドを持ち込んで設定した。

同時に女子の宿舎も2教室分の分散を壁を取り払って一部屋とし、ロッカーとか着替えのハンガーがけなど整備することとした。「男子だけ良くなって・・・」と不満が出てはならないからだ。「学校というのは家庭と同じで男女公平にというのが鉄則」である。「女の子だから我慢しなさい」はいけない。

それにしてもH23年度多聞尚学館の活用状況は述べ生徒利用者数は56企画で4551名だからものすごい数だ。述べ教員動員数は236名だから月平均19名の教員が多聞で指導に当たってくれている計算になる。

私は多聞で頑張ってくれた教員には「多聞特別手当」を支給してきた。今後とも続けるつもりである。自分の時間を犠牲にして生徒の為に頑張ってくれている教員に当然のことだ。利用宿泊数が106日であったから、今や完全に浪速教育の一大特色施設となっている。

すべて魂を注入してくれた教員のお蔭である。箱物は特に使用し続けることが重要である。最初だけ人気で生徒教職員は使うが2回目、3回目となると誰も行かなくなる光景は良くある。思えば平成20年開館して4年目、使いに使ってきた。歴代の多聞小学校の関係の皆まさには喜んで貰えると思う。

浪速フクロウスタジアムも浪速武道館も「先客万来」である。教育施設とはこういうものでなければならない。新校舎についてもホームルーム教室以外の特別教室については余程慎重に考えないと「作ったけれど誰も使わない、開かずの部屋」が出てしまう。

こうなるとこれは責任問題だ。特定専門教室と汎用教室の区分がいる。この区分だけは間違ってはならない。新校舎建設チームが現在詳細設計しているだろうが「開かずの部屋」は許されない。決してこのようなことにはならないことを願う。

 

多聞は中学2年生の植物栽培体験の場所としても重要である。私はこの際食事を賄ってくれている給食サービスの会社さんの便利さも考え調理場に至る道路も変更することとした。そのために道路の拡幅が必要であった。

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早速土地を借りるために地主さんのところに行ったところ「二つ返事」で了解を頂いた。9月以降多聞は更に使いやすくなるだろう。この貴重な施設を今後とも大切にしていかねばならない。多聞は本校の宝である。



24.6.9 K副校長先生、さらば!

右腕だったK副校長が退職された。本校の定年は65歳であるが管理職の場合、誕生日かその年度末までか、どちらかの期限選択がここ最近の定番となって来ている。K先生の場合4月のご誕生だから満65歳であるが最大期限には11か月を残しての退職ということになった。

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これで浪速改革を推し進めた3人の管理職が本校を卒業されて次の人生に再出発された。今手元には懐かしい写真がある。2009年6月20日だから丁度今頃だ。学院神社の分社を多聞尚学館に設置した時に4人の管理職で撮った記念の一枚である。

2年前にS副校長、1年前がI事務長、そして今年がK副校長と1年ピッチで3人の幹部を送り出した。しかし最も長く私の傍にいて補佐してくれたのがK副校長である。5年間である。私より1歳年下であり、もう私と同年輩の世代は居なくなった。少し寂しい気がする。新しく発令した二人の副校長は61歳と58歳だから大きく離れているからもう同世代とは言えない。

写真の4人を当時は「四天王」と言っていたが実際には「団子三兄弟」あるいは「肉弾三銃士」と言ったほうが当たっているだろう。本当にこの3人は私を良く補佐し実績を上げてくれた。中でも丸々5年間付き合ってくれたK副校長には「有難うございました。本当にご苦労様でした。」しかない。

定年まで本校で勤務されてくれた人々へはそれなりの対応が必要だ。こういうことは企業時代に徹底的に教え込まれた。功労ある者には礼節を持って送り出さねばならない。これが組織の絆である。

私はこれらの人々に対して「卒業記念講演」と称し、約15分くらいの時間を取り、理事会・評議員会並びに職員会議での「さよなら講演」をお願いしている。そう、大学教授が良く行う「退官記念講演」みたいなものである。

従って今まで3人の管理職の卒業講演があった。それぞれが今思い出しても懐かしい。それぞれの経歴と思いによって各人独特の視点から最後の勤務を締めくくってくれた。いずれも素晴らしかった。理事会では称賛の声と万雷の拍手ばかりだった。



K副校長は先に退職していった二人に比べ「軟投派」であり慎重、熟慮するタイプである。「剛腕型」の私の補佐役としては丁度良く、私にとっては有難かった。余り管理職が「速球派」ばかりだと組織はしんどい。珠にはカーブも緩い球も投げる管理職も必要だ。

K副校長、元々は理科の物理の先生である。着任と同時に私は中高の副校長兼中学校教頭をお願いした。平成19年4月の事であった。そして2年前からは筆頭副校長として教員採用、人事評価、対私学大学課窓口、PTA関連を主体に私の参謀として本当に良く頑張ってくれた。

最後の1年は辛い局面があって申し訳なかったが、ぶれず、揺るがず学校を支えてくれた。大阪市内有数な府立高校から国立大学を卒業されて本校に奉職された。39年の長きに亘って「浪速一筋」であった。

沈着冷静、動ぜず、それでいて物事を良く観察されている。だから彼が採用した若き教員はすぐれて優秀な人が多いというのが一般的な本校でのベテラン教諭陣の評価だ。又文章作が上手く時々私に変わってゴーストライターをお願いしたこともある。手直しすることは殆どなかった。

私は文章作成の上手い人間を評価する。その人が作った文章一つでその人間の蓄積された学びの歴史が分かる。良い文章を書く人はまさに多くの書物を読み、語彙を増やし、表現方法を学び、それでいて品格の漂う文章を作られる。K副校長はその点優れていた。

学校の先生は文章つくりが上手いと社会の人々は思うかも知れないが案外そうでもない。特に国語の先生が上手いかと言ったら案外そうでもない。それは生徒には文章を作らせても自分で作ったことなどないことからくる経験不足である。

特に企画書、報告書、提案書などの類は難しい。起承転結、客観性、データ比較、引用文献等々考慮してまとめるにはそれなりの訓練が必要である。学校の教員にはその訓練の機会がない。

見た目、「ウン?」と思われるような先生が時々「上手い文章」を作ったりすると私は嬉しくなってくる。着任以来教員には文章を作って貰うように仕向けてきた。特に校務運営委員会のメンバーには保護者あての文章が多い。又大学側に出す公文書もある。何回も書き直させてきた。訓練である。

元々学校の教員というのは「文章を残すということを嫌う性癖がある」のではないかというのが私の見方である。それは文章が「証拠になっては困る」からだろうと推察する。私は逆の発想だ。逆に「証拠として残せ」と言っている。

特に高校授業料無償化拡大によって一段と増えた。制度の内容が理解しづらいところがあっていくら説明してもどうしても対応に遅れる、忘れる保護者が居て折角の受益を受けられないと局面を避けるためだ。

卒業講演で私には彼の発した言葉で印象的なものが二つあった。一つ目は、“数年前の辛い時代に最早「自分の退職金はないな」と諦めかけていたが,木村改革で今日退職金を頂いて去ることが出来る”というニュアンスの言葉であった。

そしてもう一つのエピソードが「授業料の値上げの経緯」であった。当時の入試広報室や事務長が「ここで授業料を上げると生徒が来ない」と懸念して絶対反対を唱えていたが理事長が浪速の教育力を考えれば理解は頂けると一挙に6万円の授業料をあげたことだ。それで浪速は丁度中間の授業料の学校となった。

結果は生徒数は減るどころか逆に増えてそれが経営改善に大きな効果を上げた。その後授業料無償化拡大施策によって授業料値上げが各校とも実質的にしんどくなって行った経緯を考えればあの時の授業料値上げのタイミングがぎりぎりだったと言うのだ。彼は良く私に対して「神がかり的」という言葉を使う。正直満更でもなかった。

誰も勝算があって物事を決めているのではない。内心では「びくびく」しながら決めているのだが物事の決断には「乾坤一擲」の勝負の時というものがある。私は最終決断して値上げをさせて頂いた。今後は新校舎建設費用が必要と言ってももう授業料を上げる計画は今のところない。

後は個人的に彼がつぶやいたことで忘れられないことがある。「理事長、しんどいでしょうがもう少し頑張ってください。今辞められたら浪速は・・・」だった。自分が年下なのに先に現場を去ると言うという心苦しさがあったのだろう。

K副校長は図表を使いながらこの10年を振り返り直近の5年間にスポットを当てて論考してくれていた。「データがすべてを物語る」。まさに理系の先生らしいデータ分析で卒業講演を成された。私は多くはないが功労金を付けて送り出したのである。「Kさん、健康に気を付けてこれからの人生謳歌を」。


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24.6.8 アメノウズメと神楽部

昨日の来客「劇団自由人会」の幹部とのお話で盛り上がったのは「古事記の持つ生命力の強さ」であった。劇作家の先生は「ある面、エロティックですよね」とも言われた。その通りであり、古事記にはあらゆる場面でエロティックな処や言葉が多い。

弟神の「スサノウのやんちゃ」に手を焼いたアマテラス大神が天の岩屋戸に籠ってしまったことに困り果てた神々は一計を案じる。アメノウズメがうつぶせにした桶の上で足を踏み鳴らし、乳房や女陰(ほと)を露わにして踊るのだ。

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これが「祭りの起源」とされアメノウズメの「踊り」が「神楽の起源」でありその時にアマテラスに説きかけた言葉が「祝詞」と言われている。そしてその時の音楽が「雅楽の起源」というのだ。

女性器を露わにするのが古事記独特の世界観だと前日のブログにある歴史街道特集号の鎌田先生の解釈なのである。これは一旦大神が岩屋戸に隠れて世界が真っ暗になり、死んでしまった中でもう一度生命を蘇らす象徴的表現と先生は解説している。

このアメノウズメを見ていた神々は「ドッ」と笑うがその笑うという表現に古事記は「咲く」という字を当てているが、これも植物の花が咲くような新しい生命が湧き出てくることを暗示していると言われている。とにかく「古事記は生命力の溢れる物語」なのである。

ようやく「神楽部」が発足した。何か「憑りつかれたように」新しいことを進めている。最後の直線100メートルを全力で走っているみたいに走っている感じだ。無意識のうちに自分の残り時間を計算しているのかも知れない。

「神社神道の学校」として来年度は創立90周年を迎える。他校みたいにその源流の源流までを入れれば明治時代の「皇典講究所大阪分所」まで本校の歴史は遡る。そうすれば優に創立120年を超えるのだ。

とにかく日本で唯一ともいうべき「神社神道の学校としてのアイデンティティ」を私の時代に完全に確立させるために今まで頑張ってきたようなものだ。やって来たことだけでも自分で言うのもおこがましいが数多い。すべて神社界出身でない私が実施したということが摩訶不思議であるが厳然とした事実である。

*「学院神社拝詞」と「浪速生活の綱領」を定めた。

*神社と祖霊舎をクリーニングし、鎮守の杜から個人の碑などを撤去し「神域」を取り戻  した。

*本校独自の「絵馬」を作成し絵馬掛けも設置した。
*「雅楽部」を創設し楽器、装束など全面的に支援した。
*「一斉参拝」の場所を規定し形を整えた。
*神道化の教科書「今を生きる」を我々自身の手で作成した。
*多聞尚学館に学院神社の分社を建立した。
*1月の始業式を「新春拝賀始業式」とし全校で新年を寿ぐ行事を始めた。
*校外学習の場所に極力神社を入れるようにした。
*浪速武道館のお茶室に古事記の神話を絵にし、大祓詞を板絵に描いた。
*大中2個の「さざれ石」を探しだし遊学の広場に設置した。
数え上げればきりがない。

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そしてようやく「神楽部の正式始動」だ。実は2年前から構想を練り段階的に準備に入ってきていた。当初は女性教員を主体に始め、はじめその後女生徒に拡大と思っていた。美しい教員の舞を見て女生徒の耳目を引く作戦である。

指導は大阪天満宮から正式に祭式教授の先生に来て貰って本格的に始めた。神楽も本格的に活動することとし女生徒が6名も集まったので部に格上げしたのだ。そして先般一回目の指導会があった。

顧問の先生は今まで自ら舞ってくれていた英語の先生であり、経験者と言える。この先生は顔立ちの美しい先生で、責任感も大きい。PTA担当としても頑張ってくれた。多聞の講師もやってくれている。新しい神楽部の顧問には「うってつけ」の人材だと思っている。

神楽の始祖たるアメノウズメは先般のブログで言及した主祭神「稗田の阿礼」を祀った奈良市稗田町の賣太神社の御祭神でもある。アメノウズメは芸能の始祖神、福の神、「おたふく」「おかめ」とも称され全国で祀られているくらいだから有名な神である。古事記では天孫降臨時に道案内をした猿田彦の神と結婚したとあり夫婦円満、安産の神様としても知られている。これまた生命力の話である。

私は部員に言ったのである。全面的支援を惜しまないと。正式装束も舞の道具も用意する。早速悪魔を切り払う刀が必要という事で段取りに入った。上手くなってくれれば府内の神社のお祭りにも声がかかろう。

来年の正月の新春拝賀式の奉納舞は神楽部による初めての公式出演ということになる。「雅楽部とのコラボ」が楽しみである。ようやくここまで来た。そして最後の大仕事は新校舎建設時に今の学院神社を戦後のものに似せて「新築」する。これで私の仕事は完了である。

 

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雅楽部と神楽部は今後本校の重要行事には必ず出番がある重要な役回りを果たすことになる。新校舎の地鎮祭、上棟祭、竣工祭など目白押しである。頑張って欲しい。顧問のK教諭に期待するところ大である。


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