校長ブログ懐古・・改革の軌跡・・

平成19年度からの校長日記を再掲してまいります。

21.4.25(土)新武道館建設宣言

  • 本当は「パンパカパーン」とファンファンファーレを鳴らして宣伝したい気分だ。私は「新武道館建設宣言」をしたのである。本校は「来年度中に新武道館を建設することを内定」した。勿論5月理事会で正式に決定するがほぼ名誉理事長、理事長職務代理との「3人の常務理事会」で方針を定めた。金利が低く建設資材が安い今がチャンスかも知れないと考えていたが「思い切る」ことにした。計画よりは2年早いことになる。

  • 現在の「練成館」と言われる「柔道場、剣道場に加えて、弓道場」を移設しないといずれにしても「新校舎」は建てられない。「遅かれ早かれ」必要となるから、決めたものだ。新武道場は従来から「新校舎建設チーム」も構想を進めてくれており、概念設計は出来ているからスムースに運ぶだろう。

  • 構成は「剣道場」「空手道場」「弓道場」「和室」「プール」の組み合わせとなる。詳細はこれからだ。場所は現在のプールのある場所しかない。まずグラウンドは「土地一升金一升」の土地だから極限まで有効にしなければならない。これ以上グラウンドを狭くするわけにはいかない。

  • 和室は「「悩ましい」がこれからの本格的な検討で結論が出てこよう。今は図書室に衣替えをした新館の旧和室「修養室」が無くなったから和室は欲しい。和室は「雅学部」や合宿などに大変便利であった。

  • しかし合宿の場所は1時間で多聞尚学館に行けば幾らでも「寝る場所」はある。私はスポーツクラブの顧問の先生に「何時でも多聞を使いなさい」と言っているのだ。遠征で他府県からこられる学校の生徒さんにも利用可能としているからこれは助かるだろう。

  • 共学にして4年目、「茶道部」はまだないがその内に出来るかも知れない。あった方が良いのは分かっているので「茶室というか作法修練場」はいずれ必要となるだろうと思っている。「神社神道の世界と茶道は極めて近い」し、指導者は神社界に山ほど居られる筈だ。

  • ところで学校に「プール」は必要か。このテーマについて保健体育科に宿題を出し検討してもらった。プールが必要ないといえば建物の設計が楽である。確かに府内でもプールを保有していない学校は私学では多い。それで検討を依頼したのだが答えは「プールは今後とも必要」の答申であった。私もそのように思う。従って「結論」はこれで出た。恐らく「新しい武道場の屋上」に今と同じ「25メートルプールを設置」することになるのか。

  • 空手道場については現在専用の練習場は保有していない。良い成績を上げているのにこれでは可哀想と思っていたところに体育科から重要な提案があった。それは「武道の授業」については現在の剣道と柔道を「剣道と空手」にしたいと言ってきたのである。

  • 理由は明確で問題は柔道であり、現在専門の指導者がいないのと生徒の希望者も段々と少なくなってきているからだ。本校には空手と剣道で府内はもとより「全国区の有名な指導者」がいるのでその方が「生徒のためにもなる」と考えたから私も同意した。

  • 私は「職員の意見を大変良く聞いている」積りだ。それは多くの教職員が認めてくれているのではないか。このような重要なテーマは時間をかけて専門家の先生方に検討して貰い、その「結論は尊重」してきている。「勝手に一人で決めたことはない」。

  • この辺のところは誤解をされている部分はある。「超ワンマンですべて自分で決めている、教員の意見など聞かないとか」、実態の分からない人はそう思っているかもしれないが決してそうではない。

  • 教育は教員が司る」が学校教育法の規定するところだ。ただ経営に直結するテーマは教員の意向は確認するがそれに拘束されることはない。「経営」とはそういうものだ。そして私は「決定に至るプロセスと説明責任は徹底的に果たしている」積りである。

  • 私が言っているのは例えば武道授業を正式に空手とすることを教職員全員の挙手で決める必要はないのではないかと言っているのだ。進級会議のブログでも書いたが1年生の進級判定に1年生の授業に行ってもおらず、生徒の顔も知らず、本校の勤務日数が1年間未満の「教職員が賛否で投票するのは理解できない」と言うのが私の主張なのだ。

  • だからプールは必要といえば反対する理由はない。ただしプールの大きさは50メートル必要となればそれは意見は挟む。「温水プール」にして欲しいと言って来てもそれは駄目というであろう。その決定権限は私にあり、教員にはない。

  • しかし体育科の仕事の姿勢は素晴らしい。運動会も陸上競技大会も、体力測定も、金剛山登山も見事にやってくれた。皆仲が良くて「万機公論にて決すべし」としているらしい。それに前向きだ。何処かの教科とは違う。

  • 部屋が汚いので「少しイメージを変えるように」指示していたが、出来たと言うので見に出かけて行ったが確かに雰囲気は変わっていたがまだまだだ。一応狭いところをうまく活用してイメージ一心しているが・・・。まだ汚い。

  • 本年度以降女性の先生が一人増えて3人になり、「大部隊」になった。私は図書室を改造して教室を4教室作ったのも体育教官室を守るためだった。生徒指導や部活指導でこの部屋は職員室とはまた違った雰囲気で必要なものだと私は確信している。

  • 体育科の教員は私のこのような思いを裏切らない。昔は「はすに構えた癖のある教員や組合色丸出しの先生」も居たらしいが今はそのような教員はいなくなった。今後とも一致団結して「新しい学校つくり」に先頭にたって頑張って欲しいものだ。

  • その代わり部活動指導は「思い切ってやれ」といっている。ただ合宿や遠征などは家庭の経済状態が厳しいからバランスを取って進めるように言っている。このことだけが気になることである。

  • 体育科は「給料や手当のことなど言わない」。何も言わない。言わないだけに私は気になっている。次の大きなテーマは「教員の部活動指導手当て」問題だ。何時までも「教員のボランティア」などと言って逃げるのは良くないことだ。何とかしてやりたい思っている。

  • その前に「新武道館」を作る。すでに校務運営委員会では2週にわたってテーマに上げて前回の「職員会議」で正式に教職員に説明した。今日の「PTA実行委員会」でも明らかにした。役員の皆さん、喜んでおられた。

  • 今年中に詳細設計まで行い来年度中に完成させる。「多聞尚学館」が完成し次のターゲットは「新武道場建設」である。面白くなってきた。こういう目標が出来ると「元気が出てくる」。「建設の槌音が聞こえる学校は良い学校」の証明である。

  • 絶対に良いものを造って「生徒と教職員の喜ぶ顔」が早く見たい。設計は「都市設計㈱」としゼネコンは当然まだ決めていない。まず徹底的に設計を検討し、どうせやるなら「素晴らしい武道館」を作ろう。費用はまったく問題ないから安心して進めよと新校舎建設チームに言ったところだ。それにしても私は「次から次と仕事を作って自分を追い込んでいく」。「誰が私の気持ちを知らんや。」

21.4.24(金)その1:パワーハラスメント

  • 今日のブログは一昨日の「日本的経営の幻想」に関連している。即ち「終身雇用と年功序列賃金体系は作り話」というテーマで論考したものであったが、今日はさらに1歩突き進んで「世相」を切ってみたい。

  • 卓越した経営者として一世を風靡した「元GE社のCEO(チーフ・エグゼブティブ・オフィサー)のジャック・ウェルチ氏の言葉」に以下のような有名な言がある。「暇になると自分は従業員をクビにする」というものである。

  • その理由は「緊張するから」という。誰をクビにするか、そんなことを考えると自分も緊張するし、クビにならないように緊張する。生き残った社員はありがたみを感じて一生懸命仕事をするというのだ。

  • 実際GEは毎年15%ずつ首にしていたという。プレジデント5月4日号の大前研一氏の「その手があったか」の記事にある。副題として「誰も豊かになれない日本の非常識」とある。特集記事の主題は「給料の格差」である。

  • しかし「恐ろしい表現」であるが、大変良く分かる。「さすがアメリカ」とも言えるが誰彼クビにするのではなくて「全体の中で相対的」に「勤務成績の悪いもの」「能力の無いもの」「向上心のないもの」「失敗の責任」など「それなりの理由がある人をクビにする」のである。

  • アメリカ的市場主義は経営効率最優先・最大狙いであり、「人的投資に極めて敏感」だからこのような発想がまかり通り、アメリカ社会では大きな問題とはならない。逆に彼らの論理は「何時までもこの会社に居ても貴方の将来はないからどこか別のところで再スタートを切った方が良いですよ」という論理なのである。実際GE社などはその世界では有名な「社内教育を徹底して実行している会社」なのである。

  • 私も行ったことがあるがニューヨークのクロントンビルにある企業内ビジネススクールの素晴らしさはつとに有名で日本からも社内教育担当者の訪問があとを絶たないのである。GEやIBMの社員教育はとにかく有名である。

  • これには噂話があって、GEをクビになってくる人間を狙ってGEの周りには「リクルート会社」のリムジンがグルグル回っているという。それくらい優秀な人材がGEには多く、クビになっても「すぐ仕事にありつけるすごい人材ばかり」と言う訳だ。

  • しかしそれにしてもジャック・ウェルチの「暇になれば自分は従業員をクビにする」とはすごい言い方だ。日本では余程注意しないとこうはいかない。そこで414日日経夕刊、「急増、解雇パワハラ」の大見出しで「まだいたの?」「社員証回収・・・」の中見出しの記事に話しは飛ぶ。

  • 職場での地位、権限を背景にして「部下に暴言」をはいたり、「無理難題を押し付けたりするパワーハラスメント」が後を絶たないという。特に金融危機後景気悪化で「解雇」に絡むパワハラが目立っていると言う。

  • アメリカではパワーハラスメントなどあまり聞いたことがないが、日本ではとにかくなんでもハラスメントだ。まず古典的な「セクシャルハラスメント」、そして世に出たのが大学での「アカデミックハラスメント」そして企業での「パワーハラスメント」医者の「ドクターハラスメント」そして直近では「団地自治会ハラスメント」「幼稚園保護者間ハラスメント」などを聞く。その内に「食堂ハラスメント」とか「居酒屋ハラスメント」などが登場してくるのかもしれない。

  • 夫が人前で立たされ上司に机の私物もチェックされているようだ」「上司から有給休暇を取るとは何事だ。社会人失格だ。」リストラの対象となり「まだ居たの?」「死んでもかまわん」「目障りだからちゃらちゃらしたモノはつけるな、指輪は外せ」「お前なんか居てもいなくても同じ」「お前は一番出来ない社員」とか色々ある。

  • 特に「退職勧奨や解雇予告に絡んでの相談」が多いという。えげつないと思うが通知と同時に「貸与パソコンの回収や事務所への立ち入り禁止、社員証の取り上げ」など「ロックアウト型」が目立っているという。

  • 最近の新聞記事に載ったのであるが、さすがに厚生労働省も放置できずにパワハラによる「うつ病」をきっかけに自殺したことを「労災」として認定し、最近「職場における心理的負荷評価表」を改正して「酷い嫌がらせ、いじめ、暴行を受けた」の項目を新設した。

  • 法律に絡む相談を受け付ける「法テラス」には職場のパワハラの相談が舞い込むが2008年10月から09年3月までの半年間に1126件で前年度よりも48%増えたと記事にはある。

  • この新聞記事の面白いのは「身を守る5か条」と言うのがあって「パワハラが深刻になる前に初期の段階で自分の行動パーンを変えよう」と言う提案である。大変理解できる。第一条は「しかられ上手になること、上司はどのような時に怒り、叱るのかを知れば回避行動」をどう取ればいいか明らかになってくるとしている。

  • 第三条には「自分が上司だったらと言う視点から考えると、ものの見方も変わる」とある。その通りだ。第五条には「文句を言わせないように実力をつける」とある。その通りだ。これを作ったパワハラ防止研修会社の社長さんは偉い。

  • 私は人からよく「元気ですね、パワーがありますね。身体全体にパワーがみなぎっていますね」と言われる。だから特にパワーハラスメントについては気をつけなければならない。本校の管理職もそこを心配しているのは顔を見ればよく分かる。

  • しかし私は「教職員を指導するのに臆することはない」「指導教育するのは私の仕事であり、責任」である。それをパワハラと取られたら「そうではないと証明」する用意に怠りは無い。嫌がらせや無理難題は押し付けない。出来ない人に言っても意味はない。問題は出来るのにやらない人だ。これは「サボタージュ」である。これは指導しなければならない。恐らく「言い方の問題」なんだろう。

  • 私は必ず「指導の履歴を文書で保存し、複雑な相手には必ず管理職を立ち合わせ」て1対1は避けている。重要と考える時は「テープに会話録」を取っている。特に就業規則違反は公立教員のことを思えば見逃すわけにはいかない。公立は厳しい。

  • それを「パワハラ」と取られたら仕方がないだろう。堂々と法廷論争するしかない。その覚悟は出来ている。それが出来なきゃ「学校改革」など進むわけがないではないか。「甘い言葉」で結局は母船を危うくするようなことはトップの責任ではない。真面目に一生懸命頑張ってくれている人たちを巻き添えにして「沈没」するわけにはいかない。

  • ところでジャック・ウェルチみたいに「暇があれば従業員をクビにすることを考えているか」という問いに対する答えであるが、私はそういうことは考えていない。彼みたいに暇はないからだ。

21.4.24(金)その2:私立高校の入学者数

  • 平成21年度大阪府の「私立高校の入学者数の実態」が明らかになった。このデータを待ち望んでいたのであるがようやく入手できた。これを見ることで全てが分かってくる。まだ詳細分析はしていないが、データは容赦なく現実を突きつけてくる。

  • どうも「授業値上げの影響は無い」見たほうが良い。これは予想していたがデータがそのように示している。即ち授業料を上げたところが入学者数を減らしているかというと必ずしもそうではない。授業料を上げていないのに大幅に生徒数を減少している学校も多い。

  • 戻り率」は公立回帰といわれて、各校軒並み落としているかと言えば必ずしもそうではない。どうも「統計的に明確な性向」は見えない。進学校では全般に戻り率は低いと思っていたが15%以上の高い数値を示しているところもある。

  • その「私立学校のレベルと対応する公立受験校との数値ギャップ」が生み出す「魔法の数値」みたいなもので結局は「想定できない代物」と今回思い知った。「人知を超えている」のだ。戻り率に一喜一憂しても仕方がない。しかしそれでも気にはなるが・・・。

  • 本校は「外部入学者数」で言えば共学59校のうち、上から「5番目のトップ5」と数値は示しているが、昨年よりは入学者数は落とした。上位をキープしているが戻り率は低かった。定員に対する過不足率で言えば100%以上が定員確保であるが、「トップは202.8%のOO高校」だ。すごい。2年連続である。何故だろう。

  • 次がOT学院で150%、SE148.4%でDSS140.3%、浪速130.5%と続く。過不足率でも絶対値と同じく本校は5位である。逆に最下位は東京の大学の係属校になった高校で、定員充足率6.0%という信じられない数値である。ここは週刊新潮などに書かれまくられているくらいもうこれは悲惨ではなくて悲劇だ。17人しか入って来なかったとデータにはある。

  • もう一つの大きな特徴は「大学の系列」に入った学校で授業料を値上げし、偏差値を上げた私立が「厳しい状態」になっているのが良くわかる。大学の系列に入っても「持って行き方」が重要であり、「伝家の宝刀にはならない」ことが大変良く分かった。本校も気を付けなければならない。

  • 男子校の外部入学で言えば「KOの一人勝ち」の様相である。従来から「強い、強い」と言われてきた学校も「内部生」即ち「付属中学校から進学」がないと恐らく低下傾向に顔色が青ざめると言うことではないか。それだけ「中学校の有り難味」が分かる。

  • 女子校は相変わらず「SJ」と今回「SE」が気を吐いている。しかし中身を含めると「SI」「PG」「OO」が強くKOを入れて「4強」といえるか。友好姉妹校のKGが健闘している。

  • しかし「女子校では27校のうち100%以上がたった2校」で他はすべて「定員割れ」だ。厳しい状況である。先に事務長を東京の私学財団に出張させた時に得た情報と一致する。70%未満が11校もありこれが続けば経営的には大変なことになる。

  • 入試広報室長が朝入室して来たのだが「今年は私立高校の広報活動がすでに始っている」という。塾訪問で言われたそうだ。例年5月の連休明け、本格的には6月くらいからだが今年は「もう動いている」という。分かるような気がする。

  • 各私立中学校高等学校は「強迫観念」にかられて落ち着いているわけには行かないのだろうが、それは本校とて同じことである。しかし焦っても仕方がない。今までの戦略をぶれることなく「誠意」を持って進めることしかない。

  • 浪速中学校」を強化する方針に間違いはない。とにかく中学校が「極めて大切である」。「中高一貫教育」である。高校の専願数を増やさねばならない。そのためには「学習強化」である。「部活動強化」である。「文武両道と面倒見の良い学校」をさらに徹底していかねばならない。特に中学生は高校生に比べてまだ成長過程でありその分教職員は「気配り、心配り」をしなければならない。

  • 中学校に勤務する教員は「その気」になって頑張って欲しいと昨日の職員会議でも「」を飛ばした。中学校は高校との渡りなど止めて「自己完結で責任を持て」と私は示した。教員もしがらみのない若手で構成している。「今年から新たな中学校作りへと邁進」だ。

  • 今年入学してくれた高校1年生のレベルが大体分かってきた。昨日理数科長と類長が揃って「新1年生のスタディサポート試験結果分析」を報告に来て呉れた。その結果を見て私は小躍りして喜んだのである。「大いに楽しみである」。

  • SS,類、類まで「成績優秀者の数が多い」のだ。」「層が厚い」と言える。それに類でも大躍進だ。これは間違いなく「鍛えれば伸びる」ことを示している。今の2年生を圧縮した感じの生徒構成に近い感じでありこれは自信が持てる。

  • とにかく「21年度が勝負の年」である。入試広報には「人材も資金を投じて」、後で悔いの残らないように頑張るように言った。平成19年4月を「第2の創業」と位置づけた。即ち「浪速改革」が開始された年であった。それから2年で初期の改革をやり遂げた。生徒も多く来てくれる学校になってきた。進学実績も大きく伸びた。「すべて教職員が頑張ってくれたから」だ。

  • そして21年度から「新経営計画」がスタートした。期間は平成25年までの5年間である。「平成25年が創立90周年」である。「この5年が21世紀の浪速を占う極めて大切な時期」となろう。改めて名誉理事長、理事長職務代理から最低ここまでは私に頑張って欲しいと本日も念を押された。後5年、「気力、体力」が続くか、それが問題だ。

  • まず「生徒保護者に信頼される学校つくり」だ。「改革に終わりはない」。そのことが多くの「小学校6年生と中学生3年生の熱いまなざし」を受ける学校に繋がる。最大の宣伝広告効果は今本校で学んでいる生徒とその保護者が、「浪速、メチャ良い学校よ」と地域で言ってもらえるようになることだ。我々は一丸となって頑張る。

 

21.4.22(水)日本的雇用の幻想

  • 4月13日の日経夕刊に「関西大学教授の竹内洋先生」のコラム記事があった。「旅の途中」という囲みなのだが中身は「日本的経営の神話」というものだ。しかし竹内先生の寄稿は何時も「頭の整理」に参考となる。

  • 派遣切り」とか「正社員のリストラ」とか雇用問題が大きな社会問題と成っているが、その対比として「日本的経営」と言われる「終身雇用や年功序列体系」は昔からあったわけではないと先生は切り出されている。

  • 先生は一つの「データ」を持ち出されて論考を進められる。この辺がとても私は好きなのである。自分の意見ばかり言わないでデータを出してこれを読み解いたり比較したりすることで「論考に厚みを持たせるスタイル」で、どちらかと言えば「理系のスタイル」である。

  • 私は完全に「理系人間」であるが、読み物や書いたり、喋ったりすることが好きな人間である。教員が理系か文系かはここでは本題からそれるから言うまい。理科や数学の先生が「理系人間」と考えて良いのか。これについてもここでは論評しないでおこう。

  • 話しを元に戻して「1937年の戦前のサラリーマンのアンケート調査結果」を先生は持ち出して来られ、その中の質問項目に「サラリーマン最大の恐怖」というのがあると書いておられる。1位は「馘首」、すなわち首になるということであるが、2位は「病気」、3位は「仕事の失敗」と続く。

  • しかも1位の馘首は2位以下を大きく引き離しており、回答者の2人に1人は挙げているという。即ち当時もサラリーマンの大半は「何時解雇されるかも知れない」という大きな不安を抱えていたのであると先生は証明してみせる。

  • 同時に質問で「サラリーマンに必要な社会政策は?」との問いには「失業保険」が1位に来ていると言う。若しサラリーマンが「終身雇用」を信じていたらこのような回答にはならなかった筈だと先生はいわれる。

  • 実際戦前の企業においてはサラリーマンの「解雇は日常茶飯事」であり、又同時に景気がよくなればサラリーマンの方もこれまで勤め挙げてきた「会社に見切り」をつけて簡単に「転職」しているという。こういう「論旨の展開」は本当に面白いし勉強になる。何か日本の話ではなくてアメリカの話しみたいである。

  • 戦前のサラリーマンにとって「永年勤続によって昇給・昇進・昇格し定年まで企業に留まると言うのはかなりかなり稀」だったのである。「終身雇用や年功序列の日本的経営」がある程度定着したのは「戦後の高度経済成長時代になってから」に過ぎないと先生は言われる。

  • 以下からが又面白い。しかし高度経済成長を生きたサラリーマン(かく言う私もこの世代)にとっても終身雇用に当てはまる人はそれほど多いわけではない。1991年度で見ても50歳代前半で同一企業に勤めている人は「高卒で12%、大卒で22%」に過ぎないと。

  • 大企業(1000人以上)で見ても高卒22%、大卒51%であるから戦後の高度成長期を生きてきたサラリーマンでも戦前の作り話と同じで「終身雇用など半分は神話の世界」と竹内先生は言われている。「昔は良かった」とか「昔に戻れ」とかいうがその昔とはついこの前の話であり、わざわざ「日本的経営」などと大上段に振りかざすものではないと先生は皮肉られているのである。

  • 考えてみれば私も55歳で前の会社から「退職金」を頂いた。定年まで5年を残して退職した。人事異動みたいなものであったが、民間人校長になるということは「大阪府の公務員になる」ということで退職せざるを得なかったのであるが、とにかく定年を待たず早期退職をしたのである。その時は「まさか」と思ったものだった。

  • それから4年間公立高校の校長を勤めた。即ち第二の職業として私は「地方公務員」であったのである。そしてそこでも「すずめの涙」ではあったが退職金を頂いた。このために私は今でも「公務員共済」の支給を「しずく」ほど頂いている。今言われているところの「渡り」に近い。即ち「終身雇用ではなかった」のである。

  • 大きな企業に勤める大卒の半分は早期に退職」しているというデータも分かった。今問題と成っている「高級官僚の早期退職」と「渡り」についても考えてみれば「終身雇用」ではない。「終身雇用とは幻想」であったのかも知れない。

  • そこで「一体教員の世界はどうなんだ」と話しを展開しないと面白くもなんとも無い。単なる「ああ、そうですか」に終わってしまう。そうなのである。「教職こそ唯一の終身雇用の世界」なのである。教員と言うのは基本的に昇進昇格というのはない。同期が偉くなったからと言って「身を引く」様なことは無い。悪いことさえしなければ「定年まで給料が上がり続ける世界」である。

  • 即ち「階級のない社会」なのである。戦後60年「ズゥート」そのような状態で来たのだが、そのことの「不条理」に社会は気付き、「おかしいではないか」と騒ぎ始めたのである。生徒の夏休みを自分の夏休みと勘違いし、サラリーマンは蒸し暑い夏を一生懸命に働いているというのに教員は「たっぷりと休み」、授業がなければ朝ゆっくりと出勤し、授業が終われば早退するといった「甘えた構造」に社会は気付いたのである。

  • 公務員である公立の教員に対して伝家の宝刀「分限免職」を行政は使い始めた。懲戒処分による解雇ではないが「貴方は教師としての資質に欠ける」として「免職処分」をこの2ないし3年で使い始めたのである。大阪府において中学校の問題が解けなかった高校の数学の先生が「クビ」になった時は大騒ぎになったものだ。

  • 生徒の為に自分の時間を犠牲」にして頑張ってくれている教員と、何かと理屈は言いながら「自分のことを優先」させて考える先生や「教師としての資質に疑問」があるような教員の給与が1円も違わないで誰が真面目にやろうと言うのか。その担保が「評価システム」と言う論理も分からないではない。

  • どうも職業が色々とあるが教職は「終身雇用の形態を保持している」唯一の職業かもしれない。しかしこれも現在大きく変質し始めている。そのように思えてきた。本校でも一昨年大量の早期退職者を出した。それは「早期退職優遇制度を創設して割り増し退職金を上積み」したからなのである。

  • 過去にもそのような事例は多かったのである。公立の学校でも校長の1,2年残した退職は多い。このように考えれば教職の世界でも今ようやく「終身雇用の崩壊」が始ったと考えられる。自然な状態に1歩近づいたのである。しかし「比率の問題」であってやはり圧倒的には「定年まで頑張る先生」は多いのである。

  • 全国110万人いる教員の圧倒的に多い公立教員の定年は60才」である。本校は65才である。この5年と言うのは大きい。高齢化社会と言わせるな。まだまだ若い。元気で「浪速にとって、生徒にとって為になる先生」は終身雇用とし、65才、いやそれ以上までも働いて貰って良い。条件は「為になる先生」だ。

 

21.4.21(火)その2:第二回週スペ

  • 第二回週スペ」が終わり「もう報告が上がってきた。」当面はこのようにして詳細報告を聞いて「実践の問題を確認し改善」するためだ。実際に経験したものでないと「説得力ある意見」は出ない。

  • 今回は女生徒が28名で多かった。総勢で71名、付き添いの教員が3名だったから教員は「ぎりぎり」の詰まった忙しい状態であったろう。それに3人の先生は多聞が初めての先生ばかりであった。

  • 初代館長の副校長は「お試し宿泊」で一泊してくれて食事や風呂なども経験したから、立派である。かく言う私はまだ泊まったことはない。私が宿泊すれば教員も生徒も緊張すると思って遠慮しているのだ。夏に一度は泊まってみたい。

  • まずスケジュールは以下のようなものであった。付き添った今回の「主担教諭のレポート」をそのまま転記すると:
    * <1日目>16:45にバスは本校を出発し、17:50多聞尚学館着。多目的ホ
    ールで開校式。食事後諸注意をし、着替え・入浴と同時進行で寝具配布。寝具置き場出入り口が狭いため、時間を要したが、予定通りの21:00から問題演習開始。ほぼスケジュール通りに実施。黙々と学習を行っていた。
    * <2日目>朝食の遅刻者無し。全日予定表どおりに進行。古典・英語とも、90分間の代ゼミのサテラインを利用しての講義も行った。おやつ時間に学校敷地内の外出を許可。数名がグランドまで行きくつろいでいた。入浴・食事を手短にし、少しまとまった休憩ができるように配慮した。確認テストに向けて問題演習中も集中して勉強し、教師への質問も積極的であった。23:00より、確認テストの成績が不十分な生徒に居残り指導を行った。
    * <3日目>予定通り、8:20までに寝具をかたづけ、定時に1限目開始。2限と3限をつなげて100分間とし、その後問題演習。準備とかたづけに時間がかかるため、昼食時間は30分では不十分であったため、食後の授業を50分に短縮。片付けや掃除は分担してスムーズに終了。15:10にバスが多聞を出発し、16:30本校に到着。16:35解散。

  • どうも「大きな課題が整理」できた。それは「ベッドの設え」である。多聞保健室に「リネン屋」さんから人数分の「マット、敷き布団、毛布、かけ布団、枕、シーツ」が時間までに運び込まれているのだがどうもセットに時間がかかっているみたいだ。

  • 以上のように18時に到着して食事、風呂、ベッドの設えを終えて21時から勉強開始では確かに「しんどい」と思う。1回目の週スペでもそうであった。「女生徒用の寝室」は多聞保健室の側にあり問題はないが、「男子の寝室は別の建物」であり確かに遠くて、又階段もあるから尚更だ。

  • これは駄目だと私は結論を出した。理由は中庭に入る門が狭くて業者が寝具を車で直接男子宿舎まで持っていけないからだが、「門を広くしてトラックが入れる」ようにすれば済む話で改造すれば良い。「すぐ取り掛かる」ようにと指示した。そうすれば大幅に時間は短縮される。

  • もうひとつの案はリースの「敷きマット」を保有することだ。マットは直接肌に触れるものではない。その上に敷き布団が来るから「気持ちの問題と清潔感」には関係ないだろうと考えて木製ベッドに「敷きっ放し」とするのである。湿気もないからじめじめすることはなかろう。そうすれば一回分敷く時間が合理化される。これも実施することを決めた。費用検討をした結果レンタルより1年で元が取れる。定期的に買い換えれば良いのではないか。

  • 最後の感想として同じように先の主担は以下のようなに私に報告した。
    * 今まで学習合宿に参加したことの無い生徒も結構いたが、集中して学習できていた。1週間通常の授業やUP講座で疲れもあっただろうが、非常にまじめに勉強していた。「
    なんかわかるようになった。」と生徒同士で話しているのを耳にして嬉しかった。生徒各自、やりきった誇りを持って帰宅しただろう。ただし、夜にはしゃいで、寝るのが遅かった生徒もいて、眠気と疲れで勉強に集中できない生徒もいた。見回りをまめにし、消灯後に話をせず、早く寝かす必要がある。寝具配布や食事の際、生徒は協力し合っていたが、次回からは自分たちでより効率よく動けるよう、考えて動くように指導する必要がある。クラスの生徒たちが共に生活をし、仲良くなれた。両クラスともよい雰囲気である。最終日はかたづけやアンケートがあるため、スケジュールの見直しが必要だと思う。

  • 特に私が嬉しいと感じたのは中程の部分、「クラスの生徒たちが共に生活をし、仲良くなれた。両クラスともとても良い雰囲気」とあることだ。本当に生徒は「喜んでくれていた」らしい」

  • 生徒のアンケートには次のようにある。生徒アンケート(コメント欄)
     <学習>
      ・落ち着いた環境の中で勉強できてよかった。  ・集中して勉強した。
      ・よくがんばれたし、実力もついた。・説明がゆっくりで頭の中が整理できた。
      ・理解できるようになった。    ・2泊3日は丁度良く、やる気が出た。
      ・力不足がわかったので勉強をしようと思う。・教科・分野を絞ってよかった。
      ・がんばったが、まだ理解できていない。
      ・スケジュールが詰まりすぎていた。自由時間や長めの休憩時間。
      ・睡眠不足で集中できなかった。   ・スピードに追いつけなかった。
     <施設について>
      ・思っていたよりきれいなところでよかった。 ・ゴミ箱を増やして欲しい。
      ・寝室が狭いので動きにくく、ベッドのはしごが不安定。
      ・洗面(手洗い場)が低くて使いづらい。
     <食事について>
      ・おいしかった。   ・油物が多い。
      ・おいしくしてほしい。   ・おかずが冷たい。
      ・量を増やしてほしい。(男子)  ・量を減らしてほしい。(女子)
     <その他>
      ・友達と仲良くできて楽しかった。  ・がんばれた。  ・成長した。
      ・参加できて本当に良かった。  ・思っていたよりもよかった。苦ではなかった。
      ・自分で時間を見て行動できるようになった。 ・睡眠時間が少ない。
      ・自由時間・まとまった休憩時間がほしい。  ・疲れた。
      ・次の日は休みにしてほしい。

  • 今回の提案の中で食事を「バイキングスタイル」というのがあった。これは面白い。早速検討する。確かに一人ひとり弁当箱に入れて持ってくるのとどちらが弁当屋さんにとって良いかということになろう。これだったら量の過不足なども問題とはならない。なるほど思いつかなかった。「発想の柔軟な先生」はいるものだ。素晴らしい。

 

21.4.21(火)その1:人間ドック

  • 1年に一度の「人間ドック」の日である。例年連休前のこの季節と決めているのだが、もう「体があちこちガタガタ」という感じで「行っても同じこと」と思い、スキップしようと思うのだが、近づいてくると「まあ、行くか」と思って何時ものクリニックに出かける。「長生き」したいのだ。1.5日のフルコースである。

  • 昨日の昼食以来何も口にしていないので「余計にしんどい」が仕方がない。体重は増えて肝臓の周りは内臓脂肪がきっちりと付き、血圧は高く、血液中の中性脂肪の数値は異常に大きく、大腸にポリープがありますとか例年「悪いことばかり」言われる。今年もそうだろう。

  • アラカン」であるが還暦を過ぎてから「衰えの自覚」が凄い。でも気障なようだが「浪速の仕事」が自分を引っ張っているようで「気力」で頑張っているのだ。企業時代の友人はイタリアに行ったとか地元へ貢献しているとか色々言ってくるが「仕事をする喜び」は何事にも変えがたい。

  • 今日は「和歌山カレー事件」の最高裁判決の出た日であった。あの事件の時に僕は東京本社の部長から和歌山製鉄所の幹部として「大きな使命」を帯びて着任した1ヵ月後で、暑い日であった。町中にパトカーや救急車ののサイレンが鳴り響き「大騒ぎ」だったのを今でも覚えている。

  • 徐々に詳細が明らかになるにつれ、会社の社員もその家族も事件に巻き込まれているのが判明し、入院先まで部下を走らせたものだ。あの「園部」という地域には社員が多く住んでおり、犠牲者は居なかったが、確か10名くらい入院したと記憶にある。

  • 後日退院した社員に直接僕は聞いたことがある。「カレーの味はどうだったの」と。「何か変な味がしてすぐ口から吐き出しました」と答えてきたのを覚えている。「あれから11年経った」のかと特別に感慨が深い。今日の判決を彼はどのように聞いているのであろうか。

  • ふざけた話だ。「たるんでいる」とか言いようが無い。今朝の新聞各紙に結構大きく記事になっている。特に朝日や毎日は「1面トップ記事」の扱いである。朝日や毎日は時々こういうことをする。立派ではないか。

  • 要は兵庫県の県立高校で「入試の採点ミスが84%」の高校にあったというのだ。最初は1校で判明しこの1週間前くらい前に小さな記事になっていたのだが、県教委が一斉に各校を調べさせたらこの結果が出てきたという。

  • 122校で全受験者の5.8%、1447名の解答用紙に採点ミス」があったというのだから「言葉を失う」。何をしているのかと言いたい。さすがに驚いた教育長は過去5年に遡って再調査を命じたとある。

  • 合否には影響なかった」というが、誰も心では信じる者はいないだろう。同じ問題を使っている神戸市立高校なども採点ミスだというから兵庫県の公立高校の教員は「たるんでいる」と言われても仕方がないだろう。5.8%というのは異常に高い数値である。

  • 集計ミスが42%、不正解を正解としたミスが37%で教科別では社会402件、国語367件、理科356件、英語270件、数学127件とあるから「全ての科目」である。

  • 大体専門教科の先生が専門の採点をするからどの教科でも全滅である。一体これはどうしたことか。教育長は「緩み以外の何ものでもない」と憤慨しており「関係教員の処分」をするという。当たりまえだ。「生徒の人生」がかかっているのだ。

  • 採点は一人の教員がやるのではなくて極めて「精緻にシステム化されている筈」である。私の知る大阪府の場合は採点者は複数、小集計、大集計、と次々と人を変えて行われそれぞれが印鑑を押して確認をしていく。

  • その昔やはりミスが続出し当時の府教委の優秀な職員が考え出した方法で確かにここまでやるとミスはあっても手順の中で判明するようになっている。採点の日も試験当日は疲れているからと言って翌日からとして時間をたっぷりと取っている。

  • 兵庫県も「採点方法の見直し」を検討するとあるが幾ら検討しても最後は「教員の意識が問題」である。「いい加減」と言われても仕方がなかろう。僕ははこういう「ざま」を毛嫌いする。それは「プロ教師にとってあってはならない話」だからだ。

  • 今回も受験者からの「開示請求」で判明したのであるが、兵庫県の公立受験者は「信用できなくなった」と激怒していると新聞記事にあった。「大恥をさらした兵庫県の公立の教員」ということになろう。

  • 本校ではこのようなことは無い。本校は試験終了後当日から「採点開始」となりその日のうちに採点だけは終わらせる。今までミスは無い。観察していると皆「真剣そのもの」である。今後とも最も重要な入試業務に「間違いがあってはならない」。あってもそれがプロセスで浮かび出てくるよう「システムの完成度を高める必要」がある。うちは「教務と広報情報委員会がしっかり」している。

  • 今朝の読売のみが報じていたがおそらく他紙はスペースがなかったのだろうか。今後大きく扱われてくるのではないか。「教員の10年研修で248人が不合格」と報じられている。正直私は驚いた。数値が大きいのだ。

  • 教員の資質向上策として10年単位で「研修を義務付け」たのであるが、20年度は試行で45000人が講習を受けそのうち「貴方は駄目ですと言われた教員が248名」もいるというのだ。

  • 元々この制度は議論がいろいろあって「駄目教師の排除」を目的とする、いやそうではないなどあったが結果としてこのような数値が出てきたことに私はびっくりしたのだ。「クビ」にはしないだろうがなんとも不名誉なことだ。

  • この制度は4月以降本番化しているが全国130の大学や独立法人機関で研修が開催される。今全国に110万人の数の教員が現場で働いており、「ペーパードライバーと言われる免許保持者」は約500万人もいると言われる。

  • 今後「研修で不合格」となる先生は幾らくらい出てくるのか分からないがこのような先生は他の教員や肝心の生徒保護者の信頼を失うであろう。辞めてもらった方が良い。本校にも多くの対象者がいるが今のところ「不合格」はいない。

  • 全国学力調査だが「浪速中学校の生徒は頑張ってくれたかなー」。相当中学校の先生方には「ハッパ」を掛けたりして指導をお願いしたが頑張るのは生徒だ。「9月の結果判明が楽しみであるし不安」でもある。橋下知事も中西教育長も陰山先生も藤原先生も心配だろうなー。

21.4.20(月)明日は全国学力調査

  • 府教委の新たな教育長に就任した中西さんのコメント記事が出ていた。明日21日に実施される「小6中3の全国学力調査」について「今年は自信がある」と言い切っていた。橋下改革の大きな柱には「教育改革」があるのだが、確かにこの1年大阪府は相当な勢力を注いできたのは事実である。今日の夕刊読売などは「学力テスト挽回躍起」と若干揶揄気味だ。

  • 私は前に「眠れる獅子が起き上がると強敵」だとブログに書いたが正直起き上がってきつつあると認識している。2年連続全国比較で下位に低迷した大阪府は「橋下知事の誕生」で従来の教育委員会では出来ないような施策を矢継ぎ早に打ち出してきた。

  • 放課後講習」や「塾の講師」を教室に入れ、百マス計算で有名な陰山先生の力を借りたり、夜スペの藤原先生を呼び、予算も注ぎ込み、「やれるモノはなんでもやる」と言った姿勢である。知事も自信があるのか「若し今年も悪かったら僕の責任」と言っていたから、このことは逆の意味で「自信を示している」と私は見ている。

  • 公立の教員は「厳しい選抜試験」を潜り抜けてきた先生ばかりだから「学歴」はキラ星の如くである。このような基礎的力のある先生が「起き上がったら」それは大きな力となることは間違いない。それを私は「眠れる獅子」と言った。ずっと寝てくれていたら良かったのに「橋下と言う鞭を持った調教師」が動くものだから変わってきたのだ。

  • 公立の「ぬるま湯」に浸かっていると折角の力の発揮も出来ないような内的、外的要因があり徐々に「どうしようもない教員」の出現に繋がる傾向はあるが、元々は基礎力はあるのであって、知事はそこを突いて来たのだ。背景には「私学の教員はよく頑張っている!」という思い込みがある。

  • そのため、橋下と言う男は「クソ教育委員会」「駄目教師」「このざまは何だ」とか厳しい言葉を投げつけ意識改革を求めてきた。2年連続最下位ではさすがに教職員組合も何も反論は出来ず今年の3回目の全国調査となる。この結果が判明する秋口に結果次第で「大騒ぎ」になるのではないか。しかし私は大阪府は大いに成績が向上すると思う。

  • ところで過日の「多聞尚学館の開館式」で来賓の南河内郡選出の府会議員の鈴木先生が冒頭挨拶の中で「今日のために少し調べて参りましたが実は、今進めている大阪府の教育改革は木村理事長が民間人校長として公立高校でやられたことと同じ」というような趣旨のお話があった。

  • まさしくその通りで、今大阪府がやっていることは私が府立高校でやったことと基本的に同じであり、授業時間数の拡大と成績の統計的分析、外部教育機関との連携などである。それと同じことをこの2年間浪速で進めてきたのである。特に「浪速では授業時数の拡大」に勢力を注いだ。

  • 言いたいことは「誰が考えても基本的にはやるべきことは同じ」で教員がしっかりと生徒に向き合い、授業時間を確保し、「しっかりと教える」と言うことだけである。別に難しいことではなくて、言い換えれば「新たな学習風土の確立」と言うことかもしれない。

  • 教育意識環境の整備」と言っても良い。これは設備を新たに作ると言うことではなくて「意識の環境整備」であり、外部模試への参加や放課後講習、外部講師の招聘等々で生徒も教員も「自分の置かれているポジション」が分かる。

  • 自分の「立ち位置」を知ると人間は動くものだ。それを「競争状態に置く」と非難したければするが良い。「切磋琢磨」というのは「人間の尊厳ある行動様式」だと私は思っている。

  • 今年の私立高校入試の様相」は従来見られなかったものがあったことは何回も触れた。明らかに「公立回帰」現象が確認され定時制などは生徒で溢れかえった。私立もいわゆる課題を抱える学校と言うのは「併願戻り」で生徒が溢れかえり、中には理事長以下、嬉しくて嬉しくて「祝勝会」をした私立高校もあったと言う。

  • ブログにも書いたが「なすびの形」「ビニールに水を入れて吊るした状態」の構図で中位クラスの学校は「その煽り」を受けている。有名な進学シフトをしている高校でも「併願戻りゼロ」であったというからすさまじい話である。結局この学校は1.5次で充足したと言う。

  • 今私は来年度のことを考えているのだが、実質的に「公私比率7:3の時代は終焉」したと思っている。「終わりの始まり」が既に今年の入試から始っていると考えるべきだと思う。

  • 先週市内の有力な私立高校の理事長を訪問したがこの先生も「同じ意見」で橋下知事のいう「公私カルテルは崩壊の道」に入り、「人気と力のない私学は完全に淘汰されていく厳しい冬の時代に間違いなく入った」と嘆息されていた。

  • 同時にこの理事長先生は今は公立回帰の現象であるが多くの課題を抱えている生徒群が公立に戻っても、それは「空き教室一杯まで」であり、財政難の大阪府が「教員数は増やせるのか」等々クリアすべき課題は多くてそう簡単に行く話ではないということも私との議論となった。

  • しかしいずれにしても公私比率がなくなったら大きな「公私間の堰」がなくなるわけである。この意味は100%税金で運営する公立学校に比べて「私立の財政基盤」は保護者からの納付金が大きな割合を占めているだけに「その価値を認められた私立学校のみが生き残っていける」という単純な構図になる。

  • 私学助成の替わりに「バウチャー」と言っても財源が確保できるのかと言う疑問もあろう。私学の厳しい状態はまだまだ続くと考えねばならない。「生徒を如何に集めることが出来るか」全てはここにかかっているのである。

  • 私はこういう時に「2年前に本校に来て良かった」「間に合った」とつくずく思うのである。改革を先行したお陰でいささか余裕を持って「考察できる分」心が楽である。「先手必勝」「備えあれば憂いなし」である。改革の手を緩めるわけには行かない。 

 

21.4.19(日)財団法人大阪国学院

  • 暑い日だった。完全に「夏の日差し」であった。まだ湿度が幾分でも低いのだろうから、まだ持ったがこれから先が大変だ。特に私みたいな体型には「暑さが応える」。冬の厳しい寒さのほうを私は好む。

  • 結局今年は「コートを一回も着なかった」。真冬でもスーツだけでしのいだ。理由は必要なかったこととコートがもう古く着るのがはばかられたからである。事務室の女性が「先生、コートは?」と聞かれたが「買いに行く暇がない」と答えたことを思い出す。

  • 3月の終わりには「掛け布団」を薄いものに取り替えたのであるがこの2,3日は寝ている間に「毛布」を跳ね飛ばしていたから今朝洗濯機にかけて洗濯した。外出先から帰宅した3時半に取り込んだのであるが「パンパン」に乾いていた。

  • 押入れに納めたのである。冬物の整理であるが、大変気持ちが良かった。「洗濯物の乾き具合」は心に影響を与えると感じた。洗濯をする女性陣の気持ちが良く理解できた。太陽で乾かすことが最も良い。「まことに有難いお天道様」である。

  • 今日は大阪府神社庁で財団法人大阪国学院が主体の「神職養成通信教育部の卒業式」と「入学式」が取り行われたのである。本校は学校法人大阪国学院、今日は財団法人大阪国学院であり、分かりやすく言えば「血を分けた親子の関係か兄弟の関係」だと思う。一度詳細に研究する積りである。

  • 明治43年に財団法人大阪国学院は文部大臣から設立を許可され、「本校は大正12年に財団法人が浪速中学校を設置出願し神道科を併設したことから歴史が始まる」。戦後学制改革で浪速高等学校と改称され今日に至る。

  • 従って本校は文科省認可の学校法人であるが財団の方は公益法人として「神職養成の通信制教育機関」であり、昭和51年に着手し昭和52年から開講したものであるから長い歴史を刻んでいる。東京の「神社本庁」の認可を受けている正規の組織である。

  • 神職になるには「皇學館大學か國學院大學」で学ぶか通信制の教育機関であるこのようなところで資格をとるかしか方法は無いのであるが、通信制と言っても2年間の学びはスクーリングはあるし神社奉仕実習とかとにかく「大変」なことで有名である。

  • 相当厳しいカリキュラムらしい。「レポート、レポート」「筆記試験」など生易しいものではないことは受講生全てが言われる。特に2年次は本当に大変らしい。即ちそう簡単に神職の資格は得られるものではないということである。

  • ここに学びにきている人は様々であるが他に仕事を持ちながらであるから大変だ。全国から来られている。1学年50名前後で神社の縁者がやはり多い。今日もあの有名な産経新聞論説委員の「石川水穂」氏と名詞を交換したが、このようなお方も来られている。

  • ここで「階位」を得れば神社をお守りしながら「祭式を斎行できる資格」を有することになる。私などは「ご奉仕」は出来るが「お祭り」を斎行することは許されていない。要は神社の宮司になることは出来ないがここの卒業生は宮司になれる資格を有したことになるのだ。

  • 今日本には「神職の資格を有しているのは約20000人おられるそうであるが神社は約80000社」あるそうで、従って全国には神職の居ないお社が如何に多いかということである。こういう人々が一つの「鎮守の森に囲まれた神社を拠点」として地域の活性化や町おこしなどに寄与できれば大きな力になるだろう。

  • 私は唯一一人の「来賓」で玉ぐし奉てん、「祝辞」が卒業式と入学式双方であり「学校法人理事長賞」も授与する役目も仰せつかっている。従ってこの日は午前9時から、午後3時まで神社庁庁長で財団法人大阪国学院理事長兼務の大阪天満宮の寺井宮司とずっと一緒だ。

  • これだけは「外せない重要な行事」で、これが済めばようやく1月以来の「私の仕事」と「学校行事が一段落」する。今年は「多聞尚学館」の用事があったから余計に忙しかったが今日で一段落である。

  • 今回で3回目の出席であるが「素晴らしい式」で私は何時も「感動」する。今日の式も大変良かった。それは「中身」が良いからで「大人の卒業式であり、入学式」である。「敬神生活の綱領」を吟じ全受講生に「受講生手帳」が授与される。

  • その1ページには「生日の足日」という言葉があり「いくひのたるひ」と読む。意味は生日とはあらゆる物事がいきいきと栄える日のことで、吉日を意味し、足日とは物事の満ち足る佳き日という意味である。

  • 毎日がそのように「生日の足日」となるように自分自身がただ念願するばかりではなくて、世のため人のために奉仕し明き清きまことを持って努力することで招来しうると教え、「自身を観照する心の鏡」として授与される大切な手帳である。「いくひのたるひ」とは何と響きの良い言葉であろうか。

21.4.18(土)学校はこのようにして変わっていく

  • 4月14日の日経の記事である。「在宅学習で単位取得」「不登校の高校生卒業し易く」とある。これに準じる話はこのブログにおいても今まで何回も言及してきたが、正式に文科省は全国の教育委員会に「通知」したから「これで本番」となる。

  • 要は「学校に来なくとも」一定条件を満たせば「卒業認定に必要な単位を在宅学習でも認める」というものだ。高校生の場合卒業と認めるための「必修単位数は74単位」であるが・・・。

  • 今回の指導は、74の半分である「36単位までなら在宅学習を認める」というもので「完全な学校文化の変革に繋がる話」だと私はみている。「学校はとにかく行くもの」と教えられてきた世代には「奇妙な違和感」も残ろうが、学校に来ることの出来ない生徒とのことを考えた結果である。不登校は「病気」としたのである。

  • 不登校の生徒」は2007年度で約53000人に上り、不登校をきっかけにした「留年」や「退学」を減少させるのが狙いであるが、一方では当然のこととして「在宅学習が安易な単位認定に繋がり、不登校を助長」することがないように「学校側は教職員の体制や指導法に十分留意して欲しい」と文科省はコメントしている。

  • 色々条件をつけても結局は「自宅学習」も学校の単位認定に繋がるわけで「学校の性格が又一歩変質した」と私は考える。教員は生真面目な面があり、「出席日数至上主義的な文化」が身体に染み付いており、とにかく学校に来さえすれば「何とかなる、何とかする」という「優しい面」を有しているのだが「学校に来なくとも良い」となれば「受け止めに複雑なもの」があるだろう。しかしこれが時代の流れである。

  • しかし全ての在宅学習に単位を認めると言うことではないのであり、「メールを活用」したり教師の添削指導や対面指導、宿題指導など「様々な条件」が付いており、実はこの条件が曲者で又「教師の仕事が増える」方向にあることは間違いない。

  • 大体「新たな施策展開は何時も教員の労働負荷の上に成り立っている」のである。このような意見を付則する教育評論家などいない。だから私が代わって言う。新たな仕事にはそれなりの「処遇を考えてやる」べきではないか。

  • そのように思っていたら15日の読売である。「大阪府30才代校長も」「経験など条件緩和」とある。府教委は10年度から「若手の教諭を教頭などを経ずに校長に登用する人事制度」を府内の小中高で導入することを決めたとある。

  • 橋下知事と同世代の30才代校長が誕生する可能性を言っているのだが、同時に府立高校では教員免許を持たない「行政職」から校長に起用する仕組みも取り入れるらしい。要は「校長に多様な人材」を確保することで「学校現場の活性化」に繋げる狙いだ。

  • 橋下知事らしい。これもまた「公立学校文化の破壊と創造に繋がる」のだと思う。従来は「校長先生」になるのは公立で言えば長い教諭経験、組合経験そしてまず「教頭職」を経験して平均で「公立小中が54.4歳、高校で55.6歳が校長になった時の年令」だ。私は民間企業出身であるが55歳で校長になった。

  • 一般的に言って公立の場合は55歳で校長になって大体2校程度廻って「定年」になる。しかし38歳くらいで校長になればその後はどうするのだろう。22年間も校長をやるわけが無い。大体教頭経験もせず38歳で平から一挙に校長になって「海千山千のベテラン教諭」を使いこなせるか。

  • 行政職からも登用とあるがこれは「グッドアイデア」である。とにかく「行政職と指導職(教職)との垣根」を取り払うためにはお互いが「相互乗り入れ」することが肝要だ。又教育長や副知事、知事になるような人が若い時に校長として学校現場を経験することは「役に立つ」話だ。数年の経験で又行政職に戻ればよいだけの話である。

  • 私学の場合はどうであろうか。大体私学の校長で教員出身と言うのは案外少ないのではないか。銀行家や上場会社の管理職経験者など様々である。だから「私学は面白い」とも言える。校長職は「特別職」であり、「学校運営経営は校長のマネージメントにかかっている」のは間違いないから、ここをポイントに考えれば必ずしも教諭出身が校長にならなければならないと言う時代はすでに過ぎ去ったとも言える。

  • 本校の事例を見るまでも無く「校長一人で学校は変わる」のである。逆に言えば「校長一人で学校はつぶれるか」の問いについてであるが、私学の場合、それは「理事会側の責任」だと考えねばならない。校長がアホで理事会が「ぼんくら」であれば間違いなく学校はつぶれる。公立がつぶれることは無い。公立は教育委員会が絶対的権限を握っており、又人材も豊富だ。

  • ワイン通の理事長」などと言われるようになったら「おしまいは近い」と考えた方が良い。特に私学の「オーナー系理事長」が校長兼務となれば「大成功するか」「大失敗するか」の両極端だろう。権限が強大であるからだ。

  • 理事長・理事会がしっかりしていれば「校長がアホでも学校はつぶれない」。「校長を首にすれば良いだけの話し」である。だから観察していると大学系の私立高校は、「いとも簡単に校長の首をすげかえる」。これはすごい。

  • しかし考えてみれば、これは当たり前で「理事会の経営意思が最優先」なのであり、これが私学の「骨格」なのである。大学法人が系列の高校の校長人事を決めるのは至極当然であるのは分かる。

  • 変わらない教員の意識の中で、教員とさも「談合しているような校長」「教員にとって都合の良い校長」であったが、3年経ったら学校は「消えていた」では仕方がなかろう。いずれにしてもやはり「校長の職位」は重要なのである。

  • 校長職に求められる資質は「経営的視点」であり、「強力なリーダーシップ」である。戦後「擬似コミューン化された学校現場」を解体するのは余程の「剛腕」が必要である。組合出身で教員社会にどっぷりとつかった教員出身校長が「既存の秩序を破壊して新たしい秩序を打ち立てるのは至難の技」と考えておいた方が良い。

  • 教員出身校長が悪いと言っているのではない。彼らに全く罪は無い。「状況の問題」なのである。「状況を責めよ」と私は言っているのだ。長い間に良いと思っていた制度も「旧弊」と言われる。しかしその制度を作って運用してきた人々にはそれを「変えよ」と言っても「一筋縄にはいかない」のである。

  • 私や橋下知事の誕生で「既存の秩序は崩壊して変わる」のである。30代校長の誕生、結構ではないか。知事部局の40台の保険課の参事が校長になる、良いではないか。その代わり知事も「人事責任者」として「大きな責任」を抱えることになる。

  • 学校に行かなくとも在宅で単位が貰える生徒の誕生、教壇に立ったことのない38歳のサラリーマンがある日「校長先生」になると言う時代の到来はまさしく「学校というもの質的変換」を現在進行形で示しているのである。

  • 教職員は「この世の流れ」を恨みがましく、妬みを持って、眺めるのではなくて「変革期に学校社会にいる」という喜び、楽しみと考えるようになれば立派である。良い年をした分別ある教師が「昔はどうだった、こうだった、給料は高かった」などと歎いても、愚痴っても、悪くは無いが、仕方がないではないか。ボツボツ諦めたらどうだ。時代は変わりつつあるのである。

21.4.16(木)その1:多聞週末スペシャル

  • 日曜日の「多聞尚学館開館式」の余韻がまだ体全体に残っている。それが「非常に心地良い。」これはもう昔あったNHKのプロジェクトX完結編みたいな感じになる。最もこれから「命を吹き込んで行く」のだから、「これからが大変な仕事」である。

  • しかしこれからはもう「教職員の仕事」だ。「理事長としての仕事」は多聞開館までであらかた完了した。これを単なる「箱物」に終わらせてはいけない。「魂を込めるのは教師の仕事」だ。勿論私も「最大限の支援」をする。

  • 第一回「週末学習合宿スペシャル(略称週スペ)」が終わり、明日から第二回が始る。1回目は「多聞開館式」と同時並行で行われ、昨日生徒の「アンケート結果」が報告された。1回目は3年生の2クラスで「数学と日本史」の1科目集中で初回と言うこともあり「講師陣はベテランと中堅エース級の投入」であった。

  • アンケート項目は色々あるのだが主なもので、「2泊3日の長さ」は2クラスとも「良い、丁度良い」の比率が「数学で100%、日本史は89%」である。「週末3日間は丁度よい具合」と分かった。

  • 次に「3日間全力でやりきれましたか」の問いには「とてもできた、まあできた」の比率は「数学で76%、日本史で51%」となっている。「ウーン。日本史は何なんだろうか」。

  • 自分の実力が上がったと思いますか」の問いには「かなり上がった、少し上がった」が「数学で95%、日本史で83%」である。これは素晴らしい。1人でも2人でも「力が付いた」と感じてくれた生徒が居ることが目的だ。

  • 元々2泊3日で急激に力が付くなどありえない。しかしこの週スペで学習のポイントや勉強の仕方や自信などが付いてくれれば私は満足である。「刺激」を与えるのであり、考え方としては「個人指導」の思想である。

  • 1科目に絞ったことについて」は「して良かった」が「数学で46%、日本史で17%」である。「2科目以上やりたかった」は「数学で54%、日本史で83%」と出ている。ここは注目しなければならない「重要なポイント」だ。

  • 日本史は「物足りなかった感じか」。やはり数学に比べて記憶に頼る部分が多いから「飽きてくる」のかもしれない。しからば「世界史」と「日本史」の組み合わせで考えたらどうだ。これならお互いの教科が参考になり効果があがるのではないか。是非考えて欲しいものだ。

  • 元々「1科目集中」を考えていたが生徒にはどうも「1科目連続では飽きがくるのか」「集中力が途切れるのか」以上のようなアンケートになったのだと私は見ている。教師の中にも「2科目がベター」と言う人もいるらしいが、もう少し「様子を見てみたい」と考えている。

  • しかし私は言いたい。「飽きさせないように」「教材を工夫したり」「試験を入れたり」「散歩させたり」「自習にしたり」色々と「教師の技術」が問われるのではないか。まさしくここは「教師の腕の見せ所」なのである。2科目になったら「どっちつかず」で一つが「刺身のつま」になる可能性が高いから1科目に絞ったのである。私は前からこの点を強調してきた。

  • ところが分野を絞ったことについては数学で78%、日本史で83%の生徒が「分野を絞って良かった」と回答しているから「範囲集中の効果と効率」は生徒も認めているのが分かる。

  • 教材」については「普通とやや難しい」の両方で「数学が86%、日本史で86%」となっており教材選択は今回の場合良かったと見える。「解説」については「良く分かった、分かった」が数学で「95%、日本史で77%が評価」している。如何に「解説することが重要」かを示している。

  • 全般に第一回週末スペシャルは「成果があったと評価」して良いと思われ、私は「一安心」である。教科指導以外については「教室に時計を」「トイレに鏡を」「風呂の脱衣所の床がべちゃべちゃ」「弁当に油物が多い」等とかあるが全て「生徒の為に改善対応」してやる方針で既に担当に指示した。

  • 飽きの来ないように「講習に変化」をつけるため「DVDモニター」を設置することも今朝決めた。「52インチの大型モニター」のスピーカーを付け「再生装置」セットでかなり「高価」であるが「役に立つ」だろう。私の支援だ。

  • 当面は1教室の設置だからその教室は「時間割を上手く組めば」使用頻度があがる。教室を入れ替わるのが面倒くさいなどとは言わせない。とにかく私はこの1年は多聞に「力を投入」する積りだ。「高価な買い物」であっただけに「成果を上げる」ことが求められる。

  • 講師陣についてもまず「私生活と健康に不安」がある先生は外すよう館長に指示した。2泊3日と言っても夜24時頃まで続く「スペシャルセミナー」である。まず「先生方の健康が第一」であるし、心に不安があっては「良い仕事」は出来ない。

  • 次に「順番、輪番」の類で講師陣は決めるものではない。館長が認め「卓越した教科指導力のある先生」が当たるべきであり、基本的には「教室の延長」ではないことは口が酸っぱくなるまで今まで述べてきている。その「力量」に「多聞ファンドからは特別な対価」をお支払いするのである。

  • 大学受験教育に特化した講習」と言っても良いのであって、それに耐えられる「経験と意欲と可能性を有した講師陣を配置」するようにも今朝徹底して館長に指示を出した。勿論「若い先生を育てる」ことも大切であるが最初は「見習い」からとなるのは仕方がない。

  • 多聞の講師に選ばれたから「専任へのキップを手にした」ということにはならない。対価をお支払いする「契約関係」なのである。そうしないと家庭科や美術や神道科などは多聞での講習などやろうにもニーズがないではないか。

  • 専任教諭になるということは「教科指導力を含めて全人間力での評価」である。それに本校の校風に合致するかどうかである。「若い常勤講師の先生、全ての人にチャンスはある」。自らの手でそれを掴み取らなければならない。与えられるものではないだろう。
    (以下その2:に続く)

 

 

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