校長ブログ懐古・・改革の軌跡・・

平成19年度からの校長日記を再掲してまいります。

24.5.9 ゼネコンが大林組に決まっていった過程

新校舎建設のゼネコンがどのようにして大林組に決定していったのか、その道筋を辿ってみたい。私がある日突然に「大林組にする!」と言って決まったわけではない。そこには徹底した「業者への機会均等と公明正大かつ透明性の高い手順」があったのである。防衛省が次期主力戦闘機をどの航空機製造会社から買うのかとの手順比較ではないが本校程度の規模の小さい組織体でも今回は原理主義的に徹底して手順を踏んだのである。

建設会社には機会は均等であるべきだし、「指名発注」などとんでもない話である。本校の命運を左右する一大プロジェクトだけに総合請負業者の選定には様々な視点から検討を進めて行った。建設会社にとっては入札の機会は均等であるが、受注の結果は不均等である。しかしこれがビジネスの現実であり宿命でもある。勝つ時もあれば負ける時もあるのだ。今回は大林組が完勝した。

私は2月22日まで一切どの会社ともお会いしないように決めて通した。この間口利きや談合など一切なかった。公的資金の入っている公益法人だけにこの点だけは教職員にも言明して「クール」に進めるよう徹底して指導していったのである。

 

選定ケジュールの経緯

1月20日()       見積希望業者へ基礎資料提出の案内 12社へ通知(順不同)
          S建設、K建設、大林組、T社、T建設、M工業、F社、K1組、K2組、A組、Z組、N建設

1月27日()       業者基礎資料チェックシートの作成   12社から基礎資料を受付

2月 8日()       チェックシートの検討 12社の会社概要、施工実績の評価

2月15日()       見積要綱の確認  見積説明会の要綱を決定

見積依頼業者の選定 5社に選定  S建設、大林組、T社、F社、K1組

2月16日()       見積依頼の案内  5社に見積説明会の案内

2月22日()      見積説明会 4社出席(S建設は説明会を辞退) 大林組、T社、F社、K1組

              「理事長からコンセプト・・施主の思い」説明、見積要綱説明、浪速武道館見学

3月14日()       3社から見積書・提案書の提出 (F社は途中辞退)  大林組、T社、K1組

3月21日()       第1回詳細ヒアリング 3社出席、技術提案等についてのプレゼン(質疑応答)

4月 2日()       追加:第2回ヒアリング   3社出席

提案内容・工事費内訳についてのヒヤリング゙(質疑応答)

詳細評価作業

           施工業者の選定  見積金額、提案内容の検証及び評価を基に選定作業中

4月17日()      臨時理事会           新校舎チーム、大建設計より詳細説明

理事会満場一致で請負業者を大林組に内定

他の2社に通知 後日理由説明を丁寧に実施
5月 7日()     理事長大林組本店を訪問、会長との面談

5月 8日()    新校舎建設推進本部第1回準備会合

予定5月31日() 定例理事会・評議員会
       請負業者の最終決定      実施設計・建築確認申請の開始

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24.5.8 試験的ブログアップ「新校舎建設推進本部」初会合

5月22日のグランドオープンを控えて「東京スカイツリー」は徐々に盛り上がりを見せつつある。テレビでもすでに「スカイツリー物語」みたいなものが放映されており、そこには久しぶりに日本人が味わう高揚感みたいなものがある。高さが634メートルという世界一のタワーが日本人の手で出現するという誇りと自信が背景にあるのだと私は感じている。大震災の後だけにこの超高層建物は日本人に何かを与えた。

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この「未踏への高さへの挑戦」の施工を請け負ったのが「大林組」である。清水建設、竹中工務店、鹿島建設、大成建設と並び称される我が国の誇るスパーゼネコン5社の一つであるが、嬉しいことに発祥の地は大阪、明治25年に市内西区で旗揚げした土木建築請負業「大林店」が創業の元点であるという。

本校も浪速という大阪の古名を冠に頂く明治時代に起点を持つ神社神道の根本義を創立の精神に有する私立学校である。21世紀に輝く続けるために学校法人浪速学院は積年の宿願であった新校舎建設に踏み切ることとしたが請け負って頂く、そのゼネコンはこの大林組さんと決まった。

これ以上ないパートナーと巡り合えた気がする。別に東京タワースカイツリーがあるから選択されたのではない。この半年余り、多方面に亘って慎重に慎重に検討しようやく最終決定したものである。この辺の経緯については徐々に後世の歴史のために遡って記録を残しておきたいと思う。

まず4月17日の臨時理事会にて複数社の中から大林さんをゼネコンとすることに決定した。そして昨日の5月7日連休明けを待ちかねて私は中央区の大林ビルディングを訪問した。直接会社トップの大林会長にお会いして今回のプロジェクトについてお話しをしたかったからである。

会長はじめ大阪本店長他幹部の方々に本校の歴史、浪速改革の内容、新校舎建設の意味するところなど具体的に直接ご説明できた。異例ではあったが私の強い希望でこのような機会を与えて頂いた。会長からは力強いお言葉を頂き、これでメーカー決定の公式的な最後の手続きは完了した満足感で一杯であった。会談の終えた時に私はこの一大事業が「間違いなく成功する」確信を得たのである。「朝日の照り映えている新校舎が登校する生徒を迎えている光景」が目に浮かんだ。

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そして今日第一回目の建設推進本部組織化の準備会合を本校で持った。実質的なプロジェクトスタートである。大林組の実務者にも当然参加して頂いた。私はメンバーに対して後世世に恥じない立派な新校舎を建設する覚悟と誇りを改めて確認せよと述べた。そして夢物語から現実の話に戻し、素晴らしい概念設計は出来ているがこれからは実質的な実施設計に入り、大阪市の建築確認申請を急ぎ、一日も早く完成すべく全員奮励努力せよと檄を飛ばしたのである。今から4年間、汗の滴る時が待つ。しかしこの汗は誇りと自信と快感に結びつくものである。全教職員一致団結して完遂して参りたいと思う。

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23.10.22(土)第2回高校入試説明会

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今日は「第二回高校入試説明会」であった。雨の心配があったが朝から上がっていた。11月、12月と説明会が連続してあるから受験者は「今日は雨だから次にしよう」となりかねない。従って我々は当日の天気にどうしても神経質になる。

21年度から始めた大型モニターを使い開始前の短い時間を使っての事前広報をする。受験生と保護者が開始を待っている間に今回は「浪速武道館への道のり」のDVDを流した。このことも今では手馴れたものになってきた。

当時180インチのモニター画面は高価であったが今年で3年目になる。この3年間の入学者数を見ると十分効果はあったと見ている。分かり易く言えば「元は取っている」のである。それよりも放映する材料が次々とあるのが嬉しい。

 

今年は6月に第一回目の説明会を試験的に行ったが、これが中学校の中間試験とかち合って参加者は多くはなかった。従って今日が回数で言えば二回目なのであるが実質的には第一回目となる。

何回の説明会を打つか、どのタイミングで予定するかは各私立高校にとって極めて重要である。ところが、大体偏差値レベルが近いような学校同士が同じ日にやれば生徒はまた裂き状態となってしまう。従って複数回の説明会を実施するのである。

私学同士決して調整して日にち決定しているわけではないが、受験生からすれば困った話だが今はどうしようもない。各学校それぞれが単独で決めざるを得ない状況だ。進路指導をする公立中学校と塾が今日は何処何処に行きなさいとアドバイスしているのだろう。

また当日のプレゼンテーションもその学校独自に工夫しており、私は他校の説明会を見たことはないが、どうも本校のプレゼンが他校の関係者に知られているのではないかと思う現象が最近もあった。「スパイ」もどきの話であるが私は入試広報室には絶対に身分を偽って他校の説明会に参加するなどの「品のないこと」はしてはならないと厳命している。

本日は保護者同伴で参加者が予想以上に多かったが第一回目に参加する生徒はどのような受験生たちであろうか。最初に説明会に参加すると言うことは「浪速専願決め打ち」なら嬉しい話しだが事はそう上手くはいかない。

本校は11月19日、12月10日と合計3回実施するがやはり12月が「本番に近い感じ」となって参加者が多くなる。ここ最近右肩上がりで志願者が増えてきたが、今年の入試で私学比率が上がったがどうも今年は「公立回帰」の空気が微妙に漂っている。これが気になるポイントである。

入試説明会は基本的に教職員総出での対応となる。電車の駅3箇所には「立ち番」がおり「道案内」を置いたりする「心配り」が結構人気の的になったりする。「私学」とはそういうところだ。この日に休むような教職員では私学の教職員として他の教職員に受け入れては貰えないのではないか。

昨日から大阪府の橋下知事の辞職と市長戦出馬の話でマスコミは持ちきりであるが教育界への影響は一体どうなるのか、今日の私の話も冒頭はここから入っていった。個人的には教育基本条例などどうでも良い話だが新知事が「私学助成」をどのように考えるかが気になる。

私学においてはとにかく「生徒数」は命運を決める数値である。もう絶対的に全てを決する数値が生徒数である。色々理屈を言っても生徒が来ない学校では空念仏となる。これ以上ない重要な数値は生徒数だ。経営が安定してこそ教育環境の整備も可能となる。


 

 

生徒数で教員の数も決まる。生徒数で私学の助成金も決まる。生徒数で経費も決まる。生徒数でPTA予算も決まる。生徒数でエネルギーコストも決まる。何と言っても生徒数だ。私学においてこのことがなおざりになれたらその学校は終わりに向かうだろう。

この構図は民間企業の顧客対応と合いつながるものがある。民間企業は「お客様は神様」と言ってはばからない。顧客の為にはあらゆるサービスを怠らない。これが民間企業のフィロソフィーである。

最近では医者の世界でも「患者様は神様」みたいな風潮が出てきた感じで大変結構である。ところが学校の教職員、教職員とは教員と職員のことだがこのことが分かっていない比率が依然として高いのが問題である。

「気位」だけが高くて「生徒が命」と考えられない、一応口先ではそのように言っていても行動は全く正反対という教職員を時々見かける。こういう連中を見ると私は腹が立つのだ。「君の給料の原資は何処から出ているのか」と叫ぶのである。

結局私は思う。「学校という社会の公器への畏敬の念が足りない」と言うことだ。単に学校は生活の糧を得る場所だと言われたらそういう教職員には転職して貰いたい。それはちょっと違うと思う。

本校は私立学校であり長い年月の風雪の中で生き延びて来た学校である。しかし本校も一度は「地獄を見た」学校であるが、どの私学も過去血の出るような努力をして生徒に来てもらう努力をした学校はあるが、全ての学校が揺るがずしてきたとは一概には言えないのではないか。

「カルテル」に守られ、生徒数がある程度潤沢に居た時代はそれほど生徒数に心配するようなことはなかった。何とかやっていけたのである。ところが下限を割って中学の卒業生が減少してくると、目に見えて生徒が来なくなったのである。

クラス編成がキープできなくなって顔色が変り始めてからでは遅いのであるが人間は悲しいもので「何とかなる」と楽観的に思うものだ。ところが何ともならなくなったのである。結局「集める学校と集められない学校」との境界が明確になってきたことだ。

この傾向は拍車がかかるから始末におえないのである。「アッ、あそこの学校は志願者が少ないからあそこへ行こう」とはならず、「誰も行きたがらない学校へは行きたくない」「あそこは多くの受験生が行くから私も行きたい」となるのである。逆スパイラル現象である。

こうなって慌てても遅い。教育界は極めて保守的である。急進的なことは疑ってかかる性向がある。これが公立のトップ校みたいに長い伝統と実績のあるところだと「文理科を作るぞ」となればスパイラル的に志願者が増えるのだ。

 

本当に特色のない学校は難しい。特色と言っても日本全国教科内容にそれほど大きな差異はないわけで結局のところ「新しい価値観を生み出し、提供している学校が強い」学校だということだ。

「それは家庭の役目だなどと嘯いていては私学の私学たる所以はない」。私学の私学たるところは「親に変って面倒を見ましょう」と言うことだと私は思っている。これがここ最近の私の哲学である。「親に代わって面倒を見てあげましょう」が本校のキャッチコピーである。

私は新校舎完成の暁には「学校開放の時間を長くする」ことを決めている。朝は7時にはオープンし学校で朝食を摂れる様に体制をとる。夜は7時30分まで学校を開いておく。軽いスナック程度は食べられるようにする。

そのためにITを駆使した自習室を食堂周りに配備する積りだ。お父さん、お母さんにはしっかりと外で働いて貰って経済基盤をしっかりとして欲しいのだ。お父さん、お母さんに代わって学校が、先生が面倒見ましょうと言うのが本校のスタイルなのである。

多聞尚学館などはその先駆的な学習施設なのである。学校が第二の家庭であると言ったら誤解を招きそうであるがこれからの私立はそうでなければ特色の違いはない。英語を教えクラブを教えている学校はどの学校もやっている学校だ。プラスアルファが求められるのである。

私は最後に大阪には90校以上もの素晴しい私立高校がある。高校選択は極めて重要である。じっくりと他校も研究して選択されたい。どの学校がわが子に相応しいか、親の見得などではなくここで学ばせたいという高校を是非選択して欲しい。本校を選んで頂ければ面倒見の良い教職員集団で責任を持って預かりますと述べて冒頭の挨拶を締めたのである。


23.10.21(金)他に学ぶ

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  • 常翔学園の多目的食堂

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やはり「他を観なければならない」ことを痛感した。「見学」とは見て学ぶことだ。その上で「考える」のである。結局「考える視点の数はその人間の幅そのもの」であり、唯我独尊に陥らないようにする為にも自分たちのワークフィールドを外れ、仲間内だけの議論から離れて他人の意見や見方、経験を如何に自分のものに出来るかが「良い仕事」の条件である。

昨日は「常翔学園中学校・高等学校の新校舎」を見学させて頂いた。普通は余りにも多人数で訪問するのは良くないのだがどうしても新校舎建設チーム員に現実の「高層校舎」を見せてやりたく校長先生に事前にお電話してご了解を頂いた。私を含めて8人もお邪魔したのである。

受け入れて頂いた校長先生には感謝・感激である。懇切丁寧にあらゆる部署を見させて頂いた。ただそれだけではなくて「そこに至る経緯」までご説明して頂いたことは有り難かった。これが我々の問いかけに対する答えに繋がった。

 

 

それにしても素晴らしい校舎群であった。多くは語るまい。ただ今回の訪問で我々は初めて「高層校舎」の「使い勝手」みたいなものを感じることが出来た。これが大きくチーム員に身についたことが最大の幸せである。

校舎といえば大体3階建てとかせいぜい4階建てが普通であるが12階もあるような校舎は言ってみれば一つの「航空母艦みたい」なものでありとあらゆる動線が繋がっている最新兵器のような感じがした。

学校は製造業ではないが敢えて言えば「教育を生み出す最新設備であり装置」である。校舎を設備であり、装置と表現するのはまさしく木村流かも知れないが今回の訪問で私は確信した。今後このフレーズを使って行きたい。

「有効資産倍率」と言う言葉があるが学校の校舎は1年を通してフル回転している設備である。資産倍率は最も高いものではないか。このように考えたら立派なもの、機能的なもの、情緒的なもの、「あらゆる価値観が包含したような校舎」を作りたいと私は今更ながら決意したのである。

今回の訪問で学習した点の一つを上げれば、私で言えばこれからの学校の校舎には「食堂という捉え方」が重要になるなと強く思った。単なる「食育」と言うことだけではなくて「食堂こそ生徒の集う空間の考え方」である。従って食堂周辺の設備配置もポイントとなろう。

出すメニューも所謂「定食とうどんとカレーだけ」では意味がない。スパゲッティ、おにぎり、サンドイッチ、スープ等々今日的若者に合致した豊富なものにしなければならない。それに私は食堂のオープン時間もキーポイントになると感じた。

明るさと風の入る教室、エントランス、駐輪場、自習室が職員室に隣接、情報室、英語のコールシステムの部屋など多くの示唆を頂いた。聞けば多くの私立が「常翔訪問」をされているらしい。「さもありなん」と私は感じ入ったのである。

私は今朝報告に来たチーム長に対して「大いに参考にして良い校舎を作ろう」と激励した。「百聞は一見に如かず」というが目で見て考える効果の大きいことを感じた。結局「感性」を磨いておかねばならないと言うことだろう。見ただけで何も反応も示さず、行動も伴わないことでは駄目だ。

今回の見学で一つでも二つでも「これは常翔さんの見学のお陰でした」と言える様にならなければ多忙中お時間を取っていただいた常翔さんに申し訳が立たない。しかし夢の有る楽しい話であるがこれから先、「一歩一歩険しい山道」を登っていかねばならない。


今日は目面しいお客様が見えられた。「大相撲の尾車親方」である。本校出入りの会社の会長さんのご紹介で既に前から存じ上げていたが久方ぶりに大阪に来たので学校訪問をしてくれたのである。

現役時代は大関琴風の四股名で鳴らした名大関である。大変立派なお方であり、懇談の中で「相撲部」を作って貰えないかと言うお話が飛び出したのである。本校は神社神道の学校であり相撲は野見宿禰と言う人が創始したもので神社界とは関係が深い。宿禰を祀った神社がある。

大阪場所では必ず大阪天満宮で横綱の奉納土俵入りがあり、伊勢神宮の奉納も大変有名である。大阪の中学・高校に相撲部があれば相撲界は全力で支援するとまで言って頂いた。

実は前から新しい運動クラブは「駅伝にするか相撲にするか」考えていたのであるが真剣に考えてみたいと思う。しかし新校舎完成後になるだろう。20年近く前には土俵も有って相撲部はあったのだがそれの復活物語である。


着々と29日お茶席披きの準備が進んでいる。参加者が遂に220名となった。今日の情報では東京の湯島天神(湯島天満宮)の宮司が参加すると連絡があったそうだ。極めて有名な神社であり本校の卒業生でもある。久し振りにお会い出来るのが楽しみである。

武道館玄関に入ったところの白壁に飾り物を設置することを決めようやく準備が出来たのでその配置を決めた。まず入って右側は多聞尚学館から「青葉茂れる」の扁額を持ってきた。武人の鑑「楠木正成公」を詠うこの書は武道館が相応しいと考えたからの移設である。

入って左側には和室「洗心亭」の板絵である「松の板戸絵」と「古事記の世界の日本画」の写しの入った額を設置することにした。これで益々玄関の風格が上がったと思っている。一般の家も校舎も会社のビルもまず玄関が大切である。


今日は3年生の卒業アルバムの「教職員一同撮影の日」であった。138人も勢ぞろいして一同に写る写真も初めてである。私は管理職の隣の椅子席には3年生の担任を据わって貰うよう学年主任に言ったのである。しかしこのような日に有休を取る人間の神経が分からない。

生徒のアルバムであり教職員一人ひとりの写真などは不要だ、まとめて写れば良いと私が判断したのである。これが「A4サイズ見開き」になるので結構お顔を大きくなる。そしてそれに姓のみを勿論つける。空いたスペースは生徒の写真を一枚でも多くしてやりたいのである。


23.10.19(水)「落合の眼力」

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今朝の朝刊各紙は「落合賛歌」と言っても良い感じの記事内容であった。何と読売など2面ぶち抜きでの扱いだからこれは異例ではないか。ライバル巨人軍の親新聞だから普通はそこまでしないと考えるのが一般的だろう。

先にはプロ野球界のドンこと、渡辺読売新聞社主が「落合が阪神に行ったら強くなるだろう」とコメントしたとあったが、これは渡辺と言う「男の大きさとずるさ」を示す発言だと私は注目している。彼はやはり実力を評価する男だ。この発言は陰ながらの落合への応援である。最も落合に対して冷たい態度を取った今までの懺悔の気持ちも有るのだろうが。

私の想像とおり落合もここに来て「復活」しそうな雰囲気だ。来年度になるかどうかは別として何処かの球団が放っては置かないだろう。真弓監督などとは比較にならない。落合が阪神に行けば面白くなる。

手許に中日新聞はないから分からないが本家本元の地元新聞はどのような扱いか、大変興味がある。2年連続でセリーグの優勝を決めたこの名監督をシーズン途中に「首」にしたのだからそのセンスを厳しく私は指弾し落合の態度を激賞した。落合の名言「契約書通り、ただそれだけの話」は今でも思い出す。

楽天の星野も全く精彩がない。鳴り物入りで入団し、ブービーに終わって今頃は首筋が寒いのではないか。まったくマスコミにも登場しなくなった。星野と言う男は何処へ行くにも側近をつれて行く。田淵など典型的だ。

男は戦場へはたった一人で乗り込むのが正しい。側近をつれて行くと言うことはそれだけで勝負に負けている。間違いなくそれは自分を守る「盾」なのだ。いやらしい話しではないか。

 

 

これは学校にも当てはまることで、よく校長は自分が初めて赴任する学校に今まで付き合いのあった教員を連れて行きたがる。私は何回もこのような話を目にして耳にした。学校改革を進めるのに連れて行った、呼んだ教員を核にして進めるというのだが、それは盾でもあるのだ。もうこの時点で勝負に負けている。

男は何時の時点でも単身で乗り込まなければならない。今は昔高倉健さん主演の唐獅子牡丹である。私も理事会から専務理事とか連れて行くように勧められたが断った。私一人で浪速に乗り込むと覚悟を示したのである。その代わり「梯子は外さないで欲しい」とそれだけが条件だった。今でも思い出す。

毎日新聞などは「涙の花道」と書いていたが読売の見出しは「正念場の眼力 選手も脱帽」と書いていたがこの表現が素晴らしい。「眼力である。」眼力だ。ここが、落合の力有るところだ。「選手個人、試合の流れ、人事配置等々」を読む力である。

眼力のないリーダーなどは混迷の中では役に立たない。エリート臭だけ振りまいて何も作戦が取れない連中が今やエリートと称する。少なくとも落合はエリートではないが、一軍を率いていく「大将」だということは良く分かった。今や「名将」である。

自分のことをいうと恥ずかしいが本校でも私の眼力について時々管理職が言及してくれる。「見通し」というのか言った通りに事態が動いていくといってくれるのである。私は落合ほど眼力はないし根本的に落合と違うところは落合みたいに「寡黙」ではない。

又落合は感情を表に出さないが私は徹底的に表に出す。そして自分の言葉と文章で徹底的に戦うなど好戦性は強い。その分私は落合にくらべて「脇が甘い」ところがあるのだと思う。しかし私は今更落合にはなれない。

その分私の人的ネットワークは広い。落合は実力勝負で高校以来過ごしてきた男であり筋金入りの叩き上げである。孤独に耐えてきた男だからこそ、口数は少なく自分の眼力だけを頼りに生きてきた勝負師である。すごい男だ。

しかし日本人はこの落合博光という男を嫌う。同じく寡黙で感情を表に出さない男でも高倉健さんは今や神様みたいな人だ。私など健さんの映画は100%観ているくらい大好きだ。健さんと落合の違いは何か?健さんも落合も私も「昭和の男」である。



今朝の朝会で私は「土曜日だけでも自由服」にしたらどうだと水を向けた。実はこの考えは前から有しており、口に出したのも既に数回はある。私の考えは「制服はしっかりと守らせるが一日くらい自由服」にさせても良いのではないかということである。

生徒に自由服と言うものを考えさせるのである。発端は昨日のPTA社会見学会で保護者から特に男子生徒のズボンを洗うタイミングがない」ということであった。休みの部活の時も通学は制服としているものだから確かに洗濯する時間が取れないと言うことがあるだろう。

それよりも生徒に自由服の制度導入で「自らのスタイルを考える」契機とならないかを問うているのだ。案の定二人の教頭は反対であった。入試広報の担当教頭は賛成の意見であった。私は生指や学年で議論するように指示したのである。

「ガチンコ生指」を特色とする学校も悪くはないが週末の土曜日は自由服でも良いとしたら生徒は声を上げて喜ぶのではないか。生徒に媚を売ってするのではない。友人の自由服を見て、自らの服装について考えさせるのである。両教頭の意見は「生徒の幅が広いから指導が大変」だというのである。


もう一つ今朝の話である。副校長が他校の管理職から聞いた話でとして「グランドを人工芝にしたら生徒が増える」というのである。本校はどうする積りかと聞かれたという。これはもう前から私が言及している話でブログでも何回も書いてきた。

私は新校舎よりも校庭の芝生化を急ぐべきだとも考えにこの半年前から思うようになっている。これは「学校の差別化」にも繋がると考えたからである。これが眼力である。今ようやく私立でも本格的にグランドの芝生化が表舞台に堂々と出てきたということではないか。

私は住吉の本校のグランドを何時の時点で踏み切るか考慮中である。どちらかと言えば急ぎたいと思っている。新校舎は「一足制」とすることは既に決めており教室の床保護の為にも遅かれ早かれ人口芝生化は避けられないのである。然らばイッソ急いだらどうかというのが私の考えである。

起点となったのは堺のサッカーコートを見たことだった。素晴らしかった。学校が美しく見えるし生徒の健康の為にも良いことは間違いない。砂埃を吸わせてはならない。しかし問題は予算だ。頭が痛い。


今日から高校は中間試験が始まった。今日の試験終了後3年生は「卒業アルバム用に写真撮影」を行った。校長と担任とクラス全員である。生徒は大喜びであった。担任も校長の横でかしこまって写って、雰囲気がとにかく良かった。卒業アルバムで今までこのような写真は撮って来なかったというから驚きだ。

私は今年年初から「卒業アルバムの改革」に取り組んでいるのだがその一環である。これも私の眼力の一つだ。今までの本校のアルバムを一新するものになるだろう。写真屋さんも大変喜んで呉れていた。写真らしい写真を撮れるのである。分かるような気がする。一々中味は書かないが従来とは一味も二味も異なるアルバムの完成が楽しみである。


23.10.16(日)道明寺天満宮宮司が能の道明寺を舞う

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中学校の第一回目のプレテストも無事終了し今月は今週の中間試験と月末のお茶席披きが残った大きな学校行事である。中間試験は慣れていることであるがお茶会など始めてだから正直大変である。

今日は堺市の大茶会の日で「千利休ゆかりの南宋寺」において指導いただいている玉永先生のご社中が一席設けられており顧問の先生3人と3年生の茶道部員がお茶会の雰囲気を勉強に行った。明日報告を受けることになろう。

引き出物の抹茶茶碗の準備が完了した。「桐箱の裏書」を済ませ、最後の検品をした。裏書の評判がそこそこ良いので一安心である。最も身内から褒めて貰っても何にもならないが・・。

桐箱毎、堺の茶商の小森商店さんに持ち込んだ。「包装」をお願いするためである。「洗心茶碗」と「浪速オリジナル志野茶碗」の2種類がすべて揃ったことになる。包装紙は一種類だから包装が済めば中身がどれなのかさっぱり分からなくなる。

そのためしっかりと区分する目印を付けたという。置き場所も区分しなければごちゃごちゃになって大変なことになってしまう。何方にどのお茶碗を差し上げるか職務代理と相談しなければならない。

「点心料理」を過日試食をした。仕出先は「堺宿院 かき豊」さんである。昭和13年から営業をしていう日本料理の名店であり、茶懐石を得意としておられる。お家元も使われるというお店である。一応私は試食をして料理の中身を見させて頂いたのである。

「文句なし」最高の味であった。このお店での点心料理の最も安価な物としたから私は少し気にしていたのである。心配は杞憂に終わった。昼食としてボリュームも丁度良い感じで何しろ味が旨かった。これが一番である。

一つ一つの食材は小さいが吟味して選んでおり、品が良かった。私はそこが特に気に入った。「お造り」については鯛の刺身が主体であったが「昆布締め」と2種類用意してくれていたが私はアドバスのとおり昆布締めの方にした。

又お吸い物が旨かった。大体多くのお店では縁から随分と下の方にあるものだが、かき豊のお吸い物は「たっぷり」でこれも感じが良かった。私は引取りに来た料理長に「料理を賞賛」して正式に発注したのである。有難いことに応援を1名出して下さるという。


さて今日は日曜日であったが南坊城理事長職務代理の「お能」の発表会ということで午前中「大槻能楽堂」に赴いた。元々こういう日本文化ものは大好きなものだからお誘いがあれば直ぐ出掛ける。

ここ3年くらい鑑賞させていただいているが今日の出しものは「道明寺」であった。「道明寺天満宮の宮司が能の道明寺」だから何かおかしいが舞いは巣晴らしものだった。この3ヶ月くらい練習で大変だったといわれていたが成果は十分にあったと思う。

宮司よりのご案内には今回の舞囃子「道明寺」で「舞い納めにしようと決心した」と書かれてあった。理由は段々と難しい舞になっていき限界を感じたとあったが残念なことだ。何とか続けられたら良いと思うが最後は宮司のご判断だ。

「道明寺」と「道成寺」は似ているようであるが全く異なる。道成寺はご存知のように安珍と清姫伝説をベースにした紀州道成寺の釣鐘にまつわる話であるが「道明寺」はまったく違う。

私は昨夜の内に道明寺を調べていた。その結果、これは上演が非常に稀な作品であり、青山能でも昭和30年以降3回の公演だけというから如何に少ないか分かる。それくらい難しい作品なのである。

能「道明寺」は藤井寺にある道明寺が舞台である。昔境内に中に菅原道真を祀る天満宮があった。天神と救世観音世は同一体というのが神仏習合の考え方であり、道真は大乗教を説いた経巻をこの境内に埋めたところ、その跡から「木げん樹」という木が生えたという。

そして道明寺天満宮の官人がシテで脇の僧を木げん樹に案内し菅原道真の縁起を語り自分は道真のお供をした白大夫だったと言って消えていく物語である。従ってこの舞囃子は菅原道真の氏寺道明寺の縁起を説いた脇能である。

恐らく現実に道明寺天満宮の宮司である本校理事長職務代理の南坊城氏は最後の舞をこの「道明寺」に選んで、自らが白大夫にイメージを被らせ、自分自身の舞能の最後にしようと決心されたのだと思う。素晴しい選択と覚悟である。

他に何も出来ないくらい練習に打ち込まれたらしい。舞終わられたツーショットを撮って貰ったが、区切りを付けられた後で何時も以上に大変に穏やかな良いお顔をされていた。


23.10.13(木)高3対象の校長講話

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昨日は10月の朝礼の日であった。校長講話の前に表彰伝達があったのだが、中でも圧巻は高校2年生の女生徒のIさんの英語スピーチであった。浪速中学からの内部進学生であるが英語力が素晴らしいのだ。

彼女はこの度、斯界では大きな権威がある姫路独協大学が主催する第24回英語スピーチコンテストの決勝に進出する15名に選ばれた。関西地区英語使いの達人高校生100人以上の応募者から最後の15人に選ばれたのだからすごい。

教員の考案で「朝礼の席で全校生徒の前でスピーチ」をして貰ったのだが私が驚くほどの力であった。中学生の頃から英語が好きで先般高校3年と2年の合同TOEIC試験では3年生を抜いて学校トップの得点であった。

中学生の時には英検2級を軽く取っているから「今後恐るべし」である。このように「本校の教育力は高い」ものがある。才能と努力をするも者に指導と支援を惜しまない。私は素直に本校教師の力を賞賛したいと思う。


今浪速中学の力は「驚愕的な学力の伸長」を示している。過日も某中学校から「どのようにしているのか」との問い合わせがあった。浪速中学は確かに出遅れたが関西大学連携校となって以来「一皮剥けた」感じだ。

正直私立中学を考えている保護者の意識は保守的な部分があるが今や「浪速中学は買い!」だと手前味噌ながら自信を持って言いたい。本校に入学したら間違いなく他校よりは力を伸ばせる自信がある。

この週末には大きな節目である「第1回浪速中学校プレテストの日」である。私は今の浪速中学校の実力と将来性を声を大にして叫びたいと思う。府内では私立中学で「募集を停止する学校名がちらほら出て来ている」が何としても関大連携浪速中学校は今の「上昇気流」を右肩上がりの勾配で今後とも高めて行きたいと思うのだ。


今日は「高校3年生への校長講話」の日であった。各学年に一回行っているもので3年前から実施している。言ってみれば「校長の授業」である。「世の中の現実を知る」とのテーマによる特別授業と考えている。もうこれで卒業式まで彼らにはまとまった話は出来ない。

月に一度の一斉参拝や朝礼、時に校内放送を使った臨時校長講話などがあるが年に一度改まって私の話をする機会と言うわけである。昨年までは「レジュメ」を使って説明していた。今日も作っていたが今朝になって今回は資料配布をやめて口頭で「パンチある言い方」にしようと考えた。

又今年は止めようと思ったが昨日の夕方になってやはり用意して置くように学年主任に連絡した。松山千春の歌である「大空と大地の中で」のCDである。この歌詞に私が生徒に伝えたかった心がある。まあ冒頭の「掴みの部分」である。

どういうわけかこの歌に行き着く。私が生徒に伝えたかったのは最後の歌詞である「力の限り生きてやれ」というただこの一点だ。「ごちゃごちゃ」「あれこれ」言っても生徒の頭には残らない。

今の子どもは人の話を聞く訓練ができていない。どうも学力レベルと担任の腕による。総じて担任は甘いところがあって「生徒に媚を売っている」と思うような甘さが時に感じられる。トンでもない話である。それでは生徒は本質のところ真剣になれない。

今日は一年に一度の校長講話に日だ。それなりに聞かせる態度というものがあろう。教員には真剣勝負と言う感覚が分かっていない。推薦入学の面接試験だったら本当に生徒は真剣に人の話を聞く。ところが全体が集まったら聞けないクラスが出てくるがそれは担任の指導が現れているのだと思っている。

日頃教員にとっても聞けない校長の社会一般の話である。自分が聞くという姿勢が無いから聞こうとしない問題生徒も出てくる。教員出身の校長からは決して聞けない中身である。

一般の教員であれば英語とか数学とか様々な専門分野がある。しかし校長というのは生徒へ伝える究極の話は「これから先何があってもしっかり生き抜いていけ」という「大人のメッセージ」しかない。「民間出身校長の大切なミッション」だと私は思って真剣に教員と生徒に対峙しているのだ。


この学年は私にとって当に共に過ごした生徒たちである最初の学年であり、思い入れの多い生徒ばかりであった。学校改革の進展と共に進んできた学年である。主だったものでもまず「多聞尚学館」「ふくろうスタジアム」「海外修学旅行」「最古の道山の辺の道の踏破」など学校改革の成果をすべて享受した学年だったと思うが・・・。

素直で優しい生徒ばかりであったような気がするが勉強は今一しなかったような気もする。しかし後半年でお別れとなる。私は今彼らの「卒業アルバム」を従来のものと体裁を変える様に進めているがこれについても言及しようと思ったが言うのを忘れてしまった。

今日彼らに話したことは「私の人生」を冒頭軽く述べた。そして理系出身だけに科学技術分野における自分の「技術屋人生」とタイタニック号、および福島原発の事故のついて「考えるべき視点」を話した。視点の広がりの重要さが必要だということを言いたかったのである。

又ぐっと砕けて、昨日ほぼセリーグの優勝を決めた中日の落合監督のことにも触れた。
「人生は実力だけでは上手くいかない部分もある」がそこには「必ず原因がある」ということも言いたかったのである。「なぜ日本人は落合監督が嫌いなのか」というテーマ出しである。

しかし逆境の時こそ「人間の真価が問われる」と言いたかった。自分の力だけではどうにもならない局面があるがその時に「どのように身を処するかが人間の価値である」と強調した。校長にも何回もそのような場面があったと話した。

今日的若者に必要なことは「忍耐力」だと思うだけに私は「耐える」ということを強調した。そしてただ耐えるだけでは駄目でそこには「新たな展開を待つ、機会に巡る合う努力が必要」とも説いた。「努力とはやはり学習」だということ。

「人生の痛み」を忘れることなく、「起きた事は全て正しい」と受け留めて自分を戒め、初心や屈辱や忘れず血の出るような努力をせよと述べた。そうすれば必ずチャンスは来ると述べたのである。「臥薪嘗胆」である。

「今に見ていろ」「何時かは・・」と思う心がエネルギーだと話した。心が強くなければならない。「捲土重来」という言葉がある。「七転び八起き」と言う言葉もある。「隠忍自重」「雌伏十年」と言う言葉もある。「勉励刻苦」「神よ、われに艱難辛苦を与え賜え」という言葉もあると続けた。

そして最後の決め手はその人の持つ「歴史観」だと言った。歴史観を持つにはやはり勉強であり、書物を読むことだと話した。見るものも記憶には残るが脳細胞に焼き付けることが出来るにはやはり読書である。新聞でも何でも良いから人の書いたものを読めと言った。それが思考力に繋がるのだと話した。


そして「最後は人柄」だと言った。正しい歴史観を有した人間は「謙虚」であると話した。「謙虚であるが故に歴史と他人に学ぶことが出来る」のである。こういう人が多くの機会にめぐり合うことが出来ると言って話を終えたのである。


23.10.12(水)浪速オリジナル志野茶碗

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昨日のブログで「洗心茶碗」について記録に留めたが当然のことながら別途作製した「オリジナル志野茶碗」についても記録に留めておかねばならない。これは「洗心茶碗物語」よりもより生々しい歴史がある。「浪速武道館洗心亭お茶室披き記念オリジナル作品 志野茶碗物語」とでも言うか。

書けばA4サイズ10枚にはなろうが、そうもいかない為苦労して2枚に纏めた。従って桐箱に入る「由緒書き」は異例の2枚になるが仕方が無い。洗心茶碗はこれ以上はない別格中の別格作品である。それはお家元の揮毫より頂いた「洗心の字焼付け作品」だからである。

しかしこのオリジナル茶碗もこれ又悪くはない。誇りを持って引出物に出せる。私は一品ずつ検品し桐箱の蓋裏に「洗心の字」を書き入れた。本当はもっと立派なお方が書くべきかも知れないとは思ったが「教育トライアングル」の完成の最終章のお茶室披きであり、浪速改革をリードしてきた私の責務と考えたからである。

又浪速武道館正面玄関に入った真正面に飾っている「武」の字を写し取った「焼き鏝」で「武の焼印」を押している。これで本校の指導方針「文武両道」が表現できたと思っている。洗心の墨の色と武の焼印はそれなりの記念の品物になったと自負しているのだ。

志野茶碗、一つは「ろくろ」を使った作品群と一個一個「手びねり」で作った作品群があり、二人の作者で製作された。先の洗心茶碗と合わせてどのような基準でお客様に差し上げるのか現在検討中であるが、悩ましい。

コストもかかっており誰彼に差し上げると言うわけにもいくまい。学校関係者には「ご祝儀の儀固くご辞退」としており、このような方には別途ささやかな「記念品」を考えている。詳細今は書けないが「一工夫」したもので喜ばれるに違いない。



浪速武道館お茶室「洗心亭」お茶席披き記念品  「浪速オリジナル作品志野茶碗物語」

平成23年は我国とっても本校にとっても忘れられない日となりました。3月11日東日本大震災が発生したこの日、私は2日後の3月13日に控えた浪速武道館の竣工祭の準備の為にお茶室「洗心亭」で関係者や茶道部の生徒と共に受け入れの準備中に床の間の軸が小さく揺れるのを感じました。

後刻東日本において、その被害の甚大なことを知り、式典は予定通り行うが夕刻に予定されていた完成祝賀会と5月の連休明けに計画していた「お茶席披き」は自粛することと致しました。このようにこの浪速武道館は我国にとって未曾有の国難をもたらした大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の年に竣工されたものであります。

一方本校では平成19年から始まった「学校改革の最終章がこのお茶室披き」でありました。平成20年、千早赤阪村に開設した校外学習合宿施設「多聞尚学館」、そして平成22年の堺市に建設した総合球技場「浪速ふくろうスタジアム」そして今回の「浪速武道館」の竣工を持って「教育トライアングル」の完成と称しています。理事会や全教職員が一致協力して推進した浪速改革の具体的な成果なのです。

そして遂に平成23年10月29日(土)にご関係の皆様のご理解とご支援を頂き「お茶室披き」を挙行することが出来ました。この間玉永清枝先生のご社中と南坊城康子先生ご社中には格別のご指導とご支援を頂き感謝に耐えません。

和室全体を表して「洗心亭」としていますが、「洗心」は本校理事長職務代理で道明寺天満宮の南坊城充興宮司に名付けて頂き、それに表千家千宗左お家元が「亭」の字を与えて下さり洗心亭となったものであります。お家元には有り難くも「洗心亭の揮毫」も頂戴致し、お茶会当日にはご名代として木村雅其宗匠を派遣して頂きました。

「お茶席披きの引出物」については全然悩むことも無く当初から「お茶碗」にすることを決めていました。自分が焼き物をやり、特に抹茶茶碗が大好きと言うこともありますが、大体どのお茶席でも引出物はお茶碗が多いと考えたからです。

こういう場合は有名な陶芸家に依頼して作って貰うのが一般的だと思いますが、私は異なる方法を選択しました。それは発展途上の若き陶芸家に作陶を依頼することでした。その方が学びの途中に有る学校茶道のお茶席披きの記念品により合致すると思ったからです。

但し、「私のイメージにあった」作品を作って貰う事としました。しかしこれからが大変で、泉州地域で窯を持っている若き芸術家の卵を探すのに担当者は相当苦労しました。ネットで探りながら候補を絞り込み、私に候補者を提示してくれたのです。

そして複数の陶芸家に連絡を入れ、順番に回り、今まで作られた作品を見せて頂きました。又作陶の腕もさり乍ら、大切なことは「やる気」と「品」であり、幾ら技巧的に優れていても作品から品格が感じられないようなものは引出物にはなりません。私は注意深く陶芸家の作品を観察しました。

私は自らが目の前でろくろを回したり茶道のご経験などもお聞きしました。お茶を知らない人には「茶陶」は難しいものです。当初から形は「志野茶碗」に限ると考えておりました。理由については、ただ志野茶碗が本校のお茶室に似合うと感じたからですが長石単味の乳白色の志野でも良いし、鬼板が赤く発色する「ねずみ志野」でも良いから、志野に限るとしたのであります。

そして最終的に2名に絞り込んで具体的な話し合いをしたのですが、まだ不安残り、まず「試作品」を作って頂き、それを見てから最終的に判断することとしたのです。試作にかかる費用は一切を当方が負担すると申し上げました。

陶芸家のお名前は男性が「天志窯の中西天志さん」であり、女性が「聖窯(きよいがま)の中出聖子さん」です。試作品が出来たと言うので楽しみに観に行きましたが、2回目、3回目の試作にチャレンジしてもらった経緯もあります。そのようにして約1年が経過しました。

陶芸家は「お茶人に拠って育つ」といわれているように利休は楽を育てました。魯山人はろくろ師に傍で指示してあの有名な作品群を作ったのであります。恐れ多いことながら自分もそのような気になって行き、最後は必死でした。

作品の出来栄えについてはとやかく言いません。ただ前述したような経緯で作った作品であり、学校と同じで「学びのプロセスにある人間の作品」として評価いただければ有り難いと思っています。

お茶室洗心亭は様々な思い込めた設計としております。我国は「神々の国」であり、本校は大正12年に神社神道の根本儀を建学の精神に持つ学校であります。森羅万象すべてに神が宿り、「五穀豊穣」を祝い自然の持つ力に感謝することが日本人の心であります。

お茶室洗心亭は武道館の中にある「精神的な真髄の場所」という捉え方で設計段階から最重要として位置づけてきました。そこに和室とお茶室を設け、「日本の歴史の原点である古事記の世界」と神社界では極めて重要なものである罪穢れを消滅するための祈りの言葉「祝詞」であるところの「大祓詞(おおはらえのことば)」の具現化が茶室の杉板戸に描かれたものです。

私は頑張って頂いた陶芸家の為に桐箱の「蓋の裏書」は自ら書かせて頂きました。「洗心」と書き、浪速武道館正面玄関の武の額を写した焼き鏝で「武」の一字を焼き付けました。このような経緯でお茶室洗心亭お席披きの引出物オリジナルの志野茶碗は出来上がりました。心からお二人の陶芸家に感謝しております。

このお茶室披きにより表千家学校茶道部の正式な一員として認定され多くの部員を誇る浪速茶道部として順調に門出をすることが出来ました。生徒には茶道を学ぶことでこの武道館に流れる「清冽」と「品格」の中、茶道の心「和敬静寂」の精神を身に付けて欲しいと念願しています。

23.10.11(火)「洗心茶碗」

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10月29日に予定されている「洗心亭お茶室披きの引出物」であるお茶碗の準備が順調に進んでいる。「洗心茶碗」も窯元から堺の出入りの茶商に届いたと言う知らせがあった。今検品中とのことである。

この茶碗は何と言っても価値ある一品となる。何故なら表千家千宗左お家元から揮毫して頂いた「洗心亭+花押」の内洗心の文字と花押」を茶碗に焼き付けたものである。瀬戸の窯元に依頼して作製して貰った。

お茶碗は所謂「碗型」と言われるもので最も一般的な扱い易い品格のある茶碗らしい茶碗である。お茶碗には様々な形があって「井戸型」「熊川型」「志野型」「楽型」「筒型」「半筒型」「沓型」等々数え上げれば切が無い。別途書くがこの洗心茶碗とは異なる「オリジナル茶碗」は志野型にした。

担当からは箱に入れる「お茶室とお茶碗の由来を書いた小文」を書くように言われていたのだがついつい手が届かず一向に書く気にならなかったのであるが、本日茶商の社長さんが「お祝い金」を持参され学校に見えられた。

わざわざお越し頂いて恐縮したのだが、この時に社長さんから「なるべく早く」と言われたのである。これでようやく重い腰があがった。どうもブログを書くようになって文章が長くなった。長いのは詳細が記録されているから分かり易いのだが読む方には辛い話である。

あれもこれも伝えたいと思うから最初の文章はやはりA2枚になった。しかしお茶碗の入った桐箱に入れるものだから2枚は多い。せいぜいA4サイズ一枚にすべきであり、私は削っていったのである。

戦国時代のお茶碗が今に残っているようにこういう物は代々その家庭で伝承されていく。もしくは古道具屋に売り飛ばされるだけだ。その時にお茶碗の由来と茶碗の銘などを書いた箱裏書があれば伝承は明確となる。

お分かりになる方はお家元の花押だけで「わー、12代千宗左お家元の字だー」となるのだが一般には分かりにくい。それに私としたら浪速武道館があってこの茶碗があるわけでこの辺の経緯も記しておきたいと思うのである。

そういう訳で一応作った文章は以下の通りである。最もまだ手が入ると思うが。・・・。:


  浪速武道館お茶室「洗心亭」茶席席披き記念  「洗心お茶碗について」

平成23年は我国とっても本校にとっても忘れられない日となりました。3月11日東日本大震災が発生したこの日、私は2日後の3月13日に控えた浪速武道館の竣工祭の準備の為にお茶室「洗心亭」で関係者や茶道部の生徒と共に受け入れの準備中に床の間の軸が小さく揺れるのを感じました。明確に覚えています。

後刻その被害の甚大なことを知り、式典は予定通り行うが夕刻に予定されていた完成祝賀会と5月の連休明けに計画していた「お茶席披き」は自粛することと致しました。このようにこの浪速武道館は我国にとって未曾有の国難をもたらした大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の年に竣工されたものであります。

一方本校では平成19年から始まった「学校改革の最終章がこのお茶室披き」でありました。平成20年、千早赤阪村に開設した校外学習合宿施設「多聞尚学館」、そして平成22年の堺市に建設した総合球技場「浪速ふくろうスタジアム」そして今回の「浪速武道館」の竣工を持って「教育トライアングル」の完成と称しています。理事会や全教職員が一致協力して推進した浪速改革の具体的な成果なのです。

そして遂に平成23年10月29日(土)にご関係の皆様のご理解とご支援を頂き「お茶室披き」を挙行することが出来ました。和室全体を表して「洗心亭」としていますが、「洗心」は本校名誉理事長で道明寺天満宮の南坊城充興宮司に名付けて頂き、それに表千家千宗左お家元から「亭」の字を頂き洗心亭となったものであります。お家元には有り難くも「洗心亭の揮毫」を頂戴致しました。

この「洗心」茶碗はこの扁額からお家元の字を頂いて瀬戸の窯元に依頼して作られたものであります。お茶室洗心亭は様々な思い込めた設計としております。我国は「神々の国」であり、本校は大正12年に神社神道の根本儀を建学の精神に持つ学校であります。森羅万象すべてに神が宿り、「五穀豊穣」を祝い自然の持つ力に感謝することが日本人の心であります。

お茶室洗心亭は武道館の中にある「精神的な真髄の場所」という捉え方で設計段階から最重要として位置づけてきました。そこに和室とお茶室を設け、「日本の歴史の原点である古事記の世界」と神社界では極めて重要なものである罪穢れを消滅するための祈りの言葉「祝詞」であるところの「大祓詞(おおはらえのことば)」の具現化が茶室の杉の板目に描かれたものです。

表千家学校茶道部の正式な一員として認定され多くの部員を誇る浪速茶道部として順調に門出をすることが出来ました。生徒には茶道を学ぶことでこの武道館に流れる「清冽」と「品格」の中、お茶の心「和敬静寂」の精神を身に付けて欲しいと念願しています。

お家元のご懇篤なるご配慮でお家元ご名代の木村雄其宗匠のご臨席を得、又玉永ご社中南坊城ご社中のご支援で記念すべきお茶室披きが行われるようになったことはこの上ない喜びであります。この洗心茶碗が未来永劫この一文と共に永らえることを念願しております。

23.10.9(日)「事もなく」

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毎週なのか、月に一回なのか定かではないが産経新聞の日曜版に「一服どうぞ」のコラムで「裏千家前家元の千玄室氏」が一文を寄せられている。千利休に最も似ておられるとされている茶道の第一人者である。さすが求道者であり素晴らしい内容と表現の文章で私は毎回楽しみにして読んでいる。私はもう思想家として尊敬している。

今朝の書き出しは「楽しみは国内家内(くにうちやうち)事もなく、無病息災静かなる時」というものであった。幕末維新の越前藩主の松平春嶽が詠んだものとあった。これでこの一文は自分のものとして何かの時に引用できる。

「事もなく」と言うのが味わい深い。まさに事も無く学校が、生徒が、教職員が静かに進んでくれているのが一番良い。いったん事があればトップは自ら先頭に経って処置しなければならないが、事も無くそのような事が起きない方が良いに決まっている。 私の場合は「安らぎは校内校外、事も無く、生徒落ち着き、授業静かなる時」だ。

無病息災とあるが昨日の大阪日日は大阪府の職員の精神疾患職員が「急増」していると報じていた。2010年に精神的病気で7日以上休業した人が職員全体の1.7%となり、10年前の約2倍だと言う。数で179名とあった。

理由は「職場環境の要因の一つ」とあったが何のことかさっぱり分からない。記事の見出しは「職員基本条例」の影響があるとあった。「厳しい評価制度」を導入すればますます追い込まれる職員が少なからずいると民主党の府会議員が維新の会を牽制したともあった。

しかしだ。たかが職員基本条例の制定前の議論の段階で精神疾患に罹るなどは信じられない話だ。行政に対する府民の目が厳しくなって又、一人当たりの仕事量が増えたことも原因とあったが、私はため息を付く。「弱い、甘い」と言わざるを得ない。

現代社会だ。誰でもストレスに囲まれている。厳しい評価と言うが評価は元々厳しいものである。甘い評価など聞いたことが無い。それに自分の力でまず打ち勝っていかねばならない。仕事は甘いものではないという「覚悟」がまず必要だ。

大体世の中が自分の希望するように行くわけが無い。考え方と姿勢の問題だと思う。個人を特定して狙い撃ちしているのではない。最大公約数的な網を仕掛けられたからと言っていちいち病気になっていてはどうしようもない。

昨夜はPTA役員との浪速祭打ち上げ会であった。心斎橋のレストランを借り切っての大パーティであった。今まではホテルを使っていたがこのような場所も面白い。「飲み放題」で会費5000円だから安い。会費はPTAも学校も均一に同額である。当たり前だ。

 

 

大いに盛り上がった。話題は何と言っても「10月29日の洗心亭お茶席披き」のことであったが女性の皆さん、「着ていくものに困る」というものであった。私は平服で結構です、ただ白い靴下だけは持参されたがよろしかろうと申し上げた。

自分で和服を良く着ないのだ。結婚の時に持参した着物は「たんすの肥やし」のなっており、長い間着た事はないとおっしゃる。しかし着て見たい様子も伺えるのである。それに頭髪のセットとか言われるので私は次のように述べたのである。

洋服は明治後だからまだ200年も経っていない。和服は平安時代の昔から着ている日本のスタイルだ。そのDNAは皆さんに流れており着物が自分で着れない筈が無い。それに昔の人は一々美容院になど行かなかった。

人間やる気になれば何でも出来るからやる前に勉強しようとしない心がけがいけないと幾分調子に乗ってお説教したのである。私など5分も有れば簡単に着られる。最初は本で勉強したが簡単だった。ただ着た後のたたみは苦手である。それで今日も和服にした。



今日はかねてから予定されていたふくろうスタジアムで硬式野球部への「ピッチングマシン」の贈呈式があった。先ごろ本校の野球部を献身的に応援してくれていた篤実お方が亡くなられた。何時も試合には応援に出かけて頂いていた。

私もお家を訪問したことがあって良く存じ上げている。過日奥様が学校に見えられ、金一封を持参されたのである。「亡くなった故人の意思でささやかですが・・・」と言われたのである。

本当に有り難いことで私は何に使うか野球部保護者会とも相談していたのだが結局ピッチングマシンとなったと言う具合である。最近硬式野球部の戦績が悪いので私は勧めた経緯もある。

かなり高価なもので最新鋭だからこれを使って腕を上げて欲しいと思うのである。結局保護者会や同窓会も応援するということで今日は関係者が集まって贈呈式ということなのである。選手が多いため練習のバッティングゲージは3箇所設置して練習していたのだがマシンは2台しかなかった。これで3台揃うから効率よい練習が出来るだろう。


贈呈式が11時30分、その後私は門真市民文化会館に向かった。ここで実施される「第25回大阪私立中学校高等学校の芸術文化祭典」に参加する本校雅楽部の激励訪問である。

ポスターには雅楽部の部員が小さいが載っていた。運動部は大体派手だから保護者やOBなど応援が多いのだがこのような文化部は相対的に少ない。それだけに校長は応援してやりたいのである。

それに雅楽というのは一般には馴染みが薄い。雅楽部があるのは大阪広しといえども本校だけだから、部員が正装束に身を固めて出演すると大体客席からどよめきが出る。神社神道の学校だと言うことを知らしめるにはこれほどの媒体はないと思っている。

当然指導者は大阪の神社界でもトップの方々ばかりだからやはり上達のスピードが違う。楽器もほぼ揃えているから見ていてバランスが大変良くなった。本校の代表クラブとして育ってきたことが嬉しい。

今日で3年生は引退となる。この3学年は本当に素晴しかった。ここまで雅楽部を高めてくれた。地域でも演奏してくれ本校雅楽部の名を広めてくれた。演奏後目を腫らしていた女生徒もいた。私は「良く頑張ってくれた」と慰労し、記念に竜笛をプレゼントすると言ったのである。


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