校長ブログ懐古・・改革の軌跡・・

平成19年度からの校長日記を再掲してまいります。

20.11.21(金)その2:広島県私立学校教頭会

  • 広島県私立中学校高等学校教頭会」の先生方26名が本校を訪問してくれた。本年2回目の教頭研修会の対象高校に選ばれたということらしい。

  • 広島からバス1台にて来校された。まずビデオを御覧頂き、校内見学だ。生徒数が「1700人を超えてこの学校の静けさに驚きました」と言ってくれた先生がいらしたらしい。

  • 私の持ち時間は40分程度なのでまず最初に「教頭の職位と期待」と題して思うところをお話した。要点は:
     
    新文化創造へのリーダーシップへの期待
    教員室に陣取り、日常的に教員と接する教頭はまず変化する学校の状況を分析し、変革を進める新しい職場風土を作り上げるための推進力に力を発揮すべきである。言わば常に変化していく状況に機敏に対応しなければならない組織の文化的素地の養生が大切である。校長の経営方針を受けて、個々の教員に語り、教員の意見も取り入れながら校長と教員間の双方向の適切な着地点を探ることが重要である。このことのために必要なことは具体的な現状分析と変革を進める建設的な提案が重要である。例えそれらの提案がその時点では着地できなかったとしてもその行為は後で何らかの形で残り、生きたものになっていく。職場での新文化創造へのリーダーシップが教頭の重要な仕事である。校長の経営方針はかかる土壌があって初めて花開くものと成る。校長に必要な資質はマネージメントであり、教頭にはリーダーシップが必要であると考える。新文化創造の旗手となれと申し上げたい。
    学校全体の教育的リーダーシップへの期待
    学校には教科、担任団、学年団、分掌と大きく分けて4つの組織で回転されている。一般社会には無い極めて特徴的な組織であり、この組織が良いも悪いも大きな影響を与える。特に今日、学校社会を取り巻く環境が変わり、生徒像も質的に変化していく中でここの組織が円滑に回転しなければ学校運営は出来ない。即ち「後手」を踏むか結局何もせず、「現状維持」に終わってしまうかである。分掌、担任、教科間で利害得失があるのは当然のことでこの調整が解決の迅速性の観点で重要である。これらの仕事はまさしく前述したように教員経験豊富な教頭の仕事である。

  • そして「資料つき」で「新勤務管理への移行」を少しだけお話した。言いたい事は「学校社会に初めて時間外労働という概念を作り出し残業手当を出現させたということです」とご説明した。聞いて頂いている熱心なお顔には驚きみたいなものが見て取れた。

  • 一宿一飯の恩義」があるから今度当方から訪問する場合は迎えていただけるだろう。お互いが懐を広くして開示すれば良い。私は最後に言ったのだ。公立がますます私学に近づいている。

  • 然らば私学は更に付加価値を高めるために教頭先生は「新文化創造の旗手となって頑張ってください」と。「旗手とはフラッグを掲げはためかすこと」である。その旗が何か良く見定めよと。

  • それにしても広島県の私学連盟は立派だ。このように教頭会を組織し管外宿泊研修会を実施しているのだ。「大阪にはない」。教頭同士が知り合うことは大きな力と成る筈だ。とにかく私立は閉じこもればどこも見学する機会や場所などない。閉じこもりと成るだけだ。本校は私が来るまで完全に「引きこもり、閉じこもりの学校」であった。

  • 従って私は通常の「外部出張には極めて寛大」である。今までの2年間で「ノー」と言ったことはない。とにかく「外を見てきなさい」が口癖になっている。学会や研究会も全て許可している。

  • 本校の先生が他校に友人を持ち、目が広がるのであれば大歓迎である。常日頃私は教員に言っている。「井の中の蛙になってはいけない」「外部に友人を持て」「外部の研究会や勉強会に参加しなさい」「外に出て行きなさい」と。

  • それは明らかに学校内部だけの内向きだけの先生と外部を知っている先生では「考え方に大きな広がりの差」があることを知っているからだ。まず部活動指導をしてくれている先生は幾分広い。それは他校の先生などを見知り時々話をするからだろうと思っている。

  • 進路指導の先生方も大学や塾予備校関係者と話をするから自ずと広くなる。このように何らかの接点を外部と有している先生は幾分視野が広い。本校は狭く、広がりが無いだけに外部に視野を広げて自ら拡張していく意識が大切である。これは私の大きな仕事だ。「本校を鎖国状態にしてはならない」し、教職員を「内向きのがちがちな常識はずれ」「時代遅れの学校」にしてはならないと戒めているのである。金は無くとも先生を外部に出す。

20.11.21(金)その1荒れる学校、暴力行為

  • 久しぶりに全国紙の1面を飾る教育関係の記事である。各紙とも表現方法は様々であるが「荒れる学校」「小学生の暴力急増」等とある。文科省は昨日「児童生徒の問題行動調査」結果を発表した。

  • そこには「驚くべき数値」がある。平成19年度の全国の小中学校や高校で発生した「暴力行為」は52756件で前年度より「18%増え、過去最高」だった。又「小学校で37%増加」するなど「低年齢化」が進み、遂に高校では校内暴力があった学校は53.6%と初めて「半数を超えた」。

  • いじめについても101127件でこれは昨年より2万件以上減少しているが文科省は「隠れているのがあるのでは」と慎重な見方を示している。しかし「本当に深刻な学校現場」である。

  • 暴力行為の内訳は「生徒同士」が28396件で最も多く、「器物破損」、「対教師暴力」と続く。朝日は都道府県別件数を出しているが私はこれはあまり信用ならないと思う。東京などは余りにも低すぎないか。府県の乖離が大きすぎる。

  • しかしそういう前提で見ても「大阪は暴力行為の発生率が全国で4番目に高い」。2年連続の学力調査の最下位近くと歩調を合わしたのかどうか知らないが両方ともこのような結果では明らかに「基礎学力と校内暴力・・荒れる学校」の相関図が見えてくるではないか。

  • ところがだ。学力トップの秋田、福井、富山などは確かに暴力行為も低い数値であるが学力ワーストの沖縄はそうでもない。しかしブービーであった高知は大阪より悪い数値だから「学力と問題行動は相関がある」と言ってほぼ間違いはないとデータを読むことが出来る。

  • それは本校においてもデータが完全に一致するから私は補強意見として言っている。橋下知事も言っているように「基礎学力が身についていないから子どもたちが自暴自棄になって荒れていく」と言う見方は正しい。

  • 大阪の悲惨さ」はまだある。「高校中退率」が全国平均の2.1%に対して3.4%と「全国最多」である。又府内の高校生の「不登校」が5881人に上り、04年度に調査項目に加えられて以来4年連続でこれまた「全国最多」である。

  • 校内暴力が全国6番目、中退率全国トップ、不登校全国トップだから府教委の教育長は「非常に由々しき結果で深刻に受け止めている」とのコメントがあるがそれはそうだろう。橋下知事のいうように「勉強が分かるようになればある程度は収まると考える。基礎的な学力を徹底していくことで問題行動の数値を下げたい」と述べている。

  • 急がば回れ」で私もこれしかないと思う。「授業が分かれば少しは落ち着く」。分かれば次に進もうとなってくる。先日も私は朝会で述べた。「完全に習熟度別を徹底して学習進度を変えること」「新入学生には中学3年生の数学と英語を授業を使って復習するシステム」を検討するようにと指示したのだ。

  • 今や大学でも入学したらすぐ高校の復習をするといわれている時代だ。授業がさっぱり分からない生徒を引きずっていくだけでは「彼らにとっては地獄」だから「地獄から救い出してやる方策を考えろ」と言っているのである。これは本校の「売り」になるかもしれないからとも。

  • 教育評論家は色々な事をいう。「言葉でコミニュケーションをとる力が不足していてすぐに手が出てしまう」「かっては荒れていたグループがはっきりしていたが、今は一人ひとりの突発的な暴力が目立ち、対応が難しくなっている」と「ルールなき学校社会」が現れていると表現する人も居る。

  • 大阪府の寝屋川市立の中学校では「怒りの感情をコントロールする方法を身につける授業」をしたという。「怒りの温度計」として生徒に数値化させる試みらしい。この学校の校長は「集団で学びながら自然と身につけてきたことを授業で学ぶ時代になった」と話しているらしいが「何か変」だと思う。こういうことをするとますます怒りを表面に出すことを助長させないか。

  • 元中学教師で現在日本教育大学院大学の教授をしている河上亮一先生はこういっている。「自由や個人を重んじて子どもを一人前扱いする社会的な風潮が強まり、難しいこと、辛いことに挑戦させる機会も減った。」

  • 教師と対等だとの雰囲気が広まり、指導に我慢できず、暴力で反抗してしまう」。「自由を大事にするのも結構だがそれだけでは子どもの自立は難しい」と。80%くらいは同調したい。戦後の教育の結果がここにあると私は考えている。

  • こういう問題が出れば誰でもすぐ「教育評論家」になってコメントするが問題は「具体的にどうするか」である。実はここがないというか最大公約数的な正解がないのが学校社会であり、これは個別の学校が独自に考え出していかねばならない。「実践あるのみ」ではないか。口であれこれ言っていても仕方がない。

  • 本校は前述したように色分けをはっきりして教育活動を行うこととした。全員一律は無理だ。特に本校のような規模が大きくなると三つくらい性格のことなる学校があるのと同じである。このことは頭で分かっていたが最近「骨身に沁みてきた」。

  • 文武両道、スポーツで生きていく生徒と難関大学を目指している生徒、目標を見失っている一群と分けて対応を考えねばならない。そのためには世の中の逆で「ゆとり教育」を本格的に研究することも必要だと気付いたのである。

  • 分からない授業を6限、7限まで引っ張っていくことはそのような生徒には「地獄」である。「地獄にならないようにじっくりと分かるまで教える」というシステムが必要かも知れない。

  • 教師にとって出来る子を教えるよりは実はこちらの方が大変なのではないだろうか。しかし今まで本当の意味で「勉強に立ち遅れた生徒の面倒を捨て身で」みてきたことがあっただろうか。今私はそこに着目して検討しているのだ。

20.11.20(木)その1:今週は進路週間

  • 今週は「進路週間」である。色々な行事が計画されている。18日には「中学校の授業参観と学年集会」が行われた。特に「中学3年生は高校進学の話」が主体となり微妙で幾分重苦しい雰囲気であったらしいが副校長からは「うまく行きました」としか報告がないのでが無事終わったのだろう。

  • 高校は「保護者懇談」が始まっている。短縮授業だから6限終了後三々五々と保護者が学校に見えられる。「三者懇談会」となる。生徒が門近くでお母さんを待ったり、駅まで迎えに行ったり携帯で連絡を取りあったりしている。

  • 生徒は勿論、保護者のお顔は喜んだお顔ばかりではない。気が重くなっているのが良く分かる。それはそうだろう。中間試験の結果を明らかにして課題を話し合うのだから好まれる行事ではない。男子生徒に比べ女生徒はそうでもなさそうに見える。

  • お帰り時にはもっとお顔が暗くなられる保護者もいり。担任から「余り良いことを聞かされなかった」ことがすぐ分かるのだ。昨日も正門から駅までPTA役員の保護者と一緒になった。「話し、良かったですか」と聞くと「良いこと一つもありません」と苦笑いの状態であった。

  • 校長先生、本人にその気にさせるのはどうしたら良いんでしょう」と聞かれるから、「特効薬などありません。学校も言いますが自宅の方でも諦めずに・・」と話が続いた。「お母さんの言うことを良く聞きますか」「「まったく聞きません」「お宅だけではありません」からと慰めにもならないようなことを話して駅まで着いた。とにかく「今日的生徒と母親との関係」が目に見えるように分かってくる。

  • 今年から進路指導部は「特別企画」をしてくれた。しかし何時も私は進路指導部長に言うのである。「今までの進路週間とは一体何をしていたの」「三者懇だけです」「そんなものだけでは普通、進路週間とは言わないだろう」「エー、マー」とこうなるのだ。

  • 新しい企画の一つは「先輩、お帰りなさい」というプログラムだ。テレビでやっているものは「年食った有名人を呼ぶ企画」であるが、進路が考えたのは「若い年代の年令の近い先輩を呼ぶ」ようにしたことだ。これは立派で褒めてあげた。「ウン、良く考えた」と。

  • 年取った有名人を呼んで話して貰っても、余りにも世代がかけ離れており、話す内容も幾分古びているのが正直な感想だ。「有名な先輩がいる」というのは「学校の求心力」にはつながるが目下の悩み解消には繋がりにくい面もある。

  • 今回は二人の若い先輩だ。一人は浪速中学、浪速高校、府立大を経て現在「みずほ銀行」勤務の銀行マンだ。20台で独身、見るからにフレッシュそのもので生徒には新鮮な感覚、背広でネクタイをピシっと決めた先輩は「輝く存在」に見えただろう。

  • もう一人は「大学の先生」だ。1995年浪速を卒業し阪大に現役合格、そのまま阪大の博士課程まで進む。九州工業大学の助手として就職し、2006年京都大学工学研究科機会理工学の助教として迎えられ今日に至っている新進気鋭の学者さんをお呼びした。

  • この先輩の話が大変良い。レジメまで用意してくれており、タイトルは「大学での力学」というものであった。ご専門が「計算力学」だからこのようなタイトルを付けられたのか分からないがタイトルにも「知性」を感じるではないか。

  • 努力して学ぶことは力学」と定義されている。「力学以修己」をいう大阪の「懐古堂学舎の門に掲げられていた対聯の言葉」を流用されてお話を始められた。勉学は自己鍛錬といい、鍛錬は何処でもできるが「良い環境は何処にあるか」と話が具体化していく。

  • 上位の大学の何が良いの?」とズバッと切り込み、頑張って一流大学に入る、遊んで適当に単位を揃えて卒業する、一流(と言われている)企業に入る、終身雇用で良い生活を送るは「このような時代はほぼ終わっている」から具体的な話が始まった。この「ほぼがポイント」である。完全に終わったではないところがミソだ。

  • 更に続く。「長いトンネルを抜けると雪国だった」という川端康成の名文をもじって「長いトンネルを抜けると更に長いトンネルの入口が待っている。」と言う。良い大学に入ってもそのこと自体は評価されず(時々チヤホヤされるだけ)と喝破し、結局次の長いトンネルが待っている。「いい大学に入る意味を考えろ」と強調し、結局「学ぶことの喜び、興味を持てる分野の選択、地道でも置かれた環境で勉強すべきことを勉強する」ことの大切さを現役の生徒に訴えてくれた。

  • そして「良い大学に入るには・・」とノウハウを後輩たちに伝授してくれ、面白いのは次だ。「良い大学に行けそうにない人は・・・」と番外編があることだ。これが良い。これは著作権侵害になるから公開ブログには書けない。しかし「立派に育った卒業生」であった。

  • 誇らしい」。最後の締めが「若さこそ力」と言ってくれた。良い講演であった。講演後生徒が8名ほど追加の話を聞きに行ったそうだ。

  • 進路週間もう一つの目玉は「芦屋大学」訪問である。「人それぞれ天職に生きる」が建学の精神で特に教育系では力のある幼稚園から大学まで擁する一大学園で芦屋市六個園にある。ここには前の学校時代にお世話になった先生がおられる身近に感じる。そういえばあの先生、お元気であろうか。

  • なんと大学はバス1台仕立ててくれて本校の正門から正門まで送り迎えしてくれ、「パワーランチ」と言って豪華な昼食付きの大名旅行に保護者生徒の混成部隊がお世話になる。それにしても「大学も大変」である。

  • 進路週間」が少しづつ変わり始めた。私は不思議でならないのだ。中にはいい加減な教師もいるが概して力のある教員が揃っていてこのような新しい企画がまったく持ち込まれなかったことは「一体、何が原因であるのか」と。進路指導部長ももう20年選手で今の中学の管理職も前の進路指導部長だ。私にはこのような優秀な人が何で今まで何もしなかったのか理解できないのだ。ここに「学校の基本的な問題」がある。浪速だからまだ居られるが企業だったら今頃は網走支店だろう。二人とも。

  • 昨年から辞める教師は多く居るが新しい人間は常勤講師は別として「私一人」である。この私の号令でこれだけ変わる素地を有していながら、結局何も変えようとしなかったのか変わらなかったのか、それが仕組みの問題なのか人の問題なのか、教員の意思決定と当時の管理職の責任など様々であろうがとにかく私には不思議でならないのである。ここに至ると「腹が立つ」のだ。

 

20.11.20(木)その2:かんしゃく玉2発

  • NHKテレビの「クローズアップ現代」を見ていたら経済評論家の内橋克人氏が「荒廃するマンション」とかの企画でコメンテーターとして出演し何やら訳の分らない左翼的な意見を述べていた。この人、私が公立高校勤務の時代、初めて「進学目標を数値化」して組合とトラぶっていた時に「時代錯誤、売り上げ目標みたいだ」と新聞で批評したおっさんだ。

  • 今日の晩酌は日本酒とした。こういう寒い日は日本酒となる。酒は長浜で買った滋賀県木之本冨田酒造の「七本槍」だ。「入魂厳寒造り」とある。中々旨い酒だった。純米酒であるがこの七本槍という名前が気に入っている。本校で「木村を支える七本槍」は誰かと考えたりしながら酒を飲むのだ。

  • 秀吉が北国攻めのときに活躍した小姓群、福島正則、石田佐吉、木村重成、浅野幸長などの7人の側小姓の名前を取っている。私は寸暇があれば戦国大名ゆかりの場所に出掛ける。この前は安土で「安土城」とか「信長」とかの清酒を買ってきた。

  • 今日は二回かんしゃく玉が炸裂した。私は「仕事から逃げる人」は根本的に許せない厳しいところがある。出来なくとも向かって頑張ってくればたとえ十分ではなくとも許せる。「組織人として基本的にトップの木村が何を評価し、何を求めているか十分に考えなければならない」。

  • 私の「ブログはすべて本校の教職員の為」である。このブログに私が求めていることは120%入っている。これを熟読し頭に入れることで99%は「仕事への対応設計は可能」となるはずだ。これは私の「親切心であり親心」である。

  • にもかかわらず「いい加減に読むというか見るだけ」で何も考えない連中には「ブタに軍艦」みたいなもので意味はないのかと思えば肩から力が抜ける。同時に人間は「自分を変える」には相当なエネルギーが要るのだなと思ってしまうのだ。

  • 朝一番神道科の主任教諭を呼び、「新しい神道科の教科書の進捗具合」について報告を求める。合わせてホームページ上の教育方針を来年4月を目処に改定するから原案を考えるように指示したのだが、彼はブログをしっかりと読んでいるから「すぐ私が何を求めているか」、一言、一発で理解する。こういうところが「この男の凄い」ところだ。

  • ところがだ。2限目某クラブの顧問先生にもう「数ヶ月も前から指示していた案件」の報告に入室してきたが「全く何も分っていないというか分ろうとしないか」どうしようもないレポートでここで一発かんしゃく玉が炸裂だ。要はやりたくないだけの話か深く考えていないのだろう。

  • 資料を作って校務運営委員会で臨時に出席して報告するように指示しても「逃げる」だけでそれは了解をしたが、職員会議では「やってもらう」と指示したのだが、その資料がこの程度で時間をかけているにも関わらず、「何も新しいことがない」ようなものを良くぞ持ってきたと驚くばかりだ。他を調べることもまったくしていない。

  • それを担当管理職も同行して入っている。いい加減なものだ。何で言わないのだ。「これでは理事長にどやされますよ」と。この先生は元来優秀な先生で期待しているからゆえに厳しくした。もっと力を発揮せねばならない。「仕事の範囲に遠慮はいらない」。校長が指示した仕事は自分の仕事である。

  • 午後は別の一件だ。本校の「生徒が読書感想文で入賞」したから「表彰して欲しい」と「鼻を膨らませて入ってきた」がこちらは何のことかさっぱり分らない。その表彰を受ける感想文を見せてと言っても無いのだ。それで表彰しろという。

  • かくかくしかじかの大会があり、本校からここにある3名の生徒の作文を出そうと思います。これで良いでしょうか」とまず来るべきだろう。そして「理事長、一人が入選しました」と駆け込んできて「表彰を依頼する」のが手順だろう。当方は全く何のことかさっぱり分らず、いきなり入って来てこういう顛末だ。ここで2発目のかんしゃく玉だ。

  • 大会機関からは私宛の「公式文書」が来ており、どういうわけか私を素通りして直接その教諭がハンドルしていたものらしい。学校とはそういうところなのだ。これには参った。教諭と常勤講師は鼻を膨らせて「やりました」と「お褒めの言葉を期待」してきたのだろうがもし落選したいたら私は一切このような経緯があったことさえ知らないことになっていた。教諭が悪いのではない。長い間そのような学校だったのだろう。

  • 時々事務室にもこのようなことがある。この前は私が出なければならない重要な会議が事務長判断で処理されていた。「厳しく指導した」ところだ。今度同じようなことあったら許さない。今私が安心してみておれるのは高校副校長だけだ。だから信頼できる。中学の副校長は時々「結果として隠す癖」がある。恐らく自分は自覚していないのだと思うが。ここまでは報告、ここからは私の判断でというのは「感性の問題」だ。

  • 今日の高校3年の学年主任は今「カナダ英語研修」の件で走り回っているから10分ごとに部屋に入ってきて「事態の報告と作戦を練る」。理数科の長も進路指導部長も同じように勝手なことはしない。今日は2類と3類の長も節目の報告に入ってくる。これが普通の姿だ。

  • 今日は珍しく3年生の某担任も「某生徒のことで報告」に入ってきた。珍しい。私が校長で組織の長なのだから、基本的に「管理職にこの件は任す」と言ったもの以外「誰にも決定権はない」。校務運営の最終責任者は私である。外部からも攻められるのは校長であり、副校長や事務長や教頭が責められることなど学校では全くない。「責任は一切理事長と校長に帰す」のだ。

  • 何か「私のブログを評論の対象としてみているような考え違いの人」はいないか。教職員に評論を求めて書いているのではない。「私の考えはこうですよ、こういうところが評価ポイント」ですよと親切に言っているのである。

  • 組織人で最も大切なことは既にブログで「報連相」だとかなり詳細に書いてある。「報告、連絡、相談」のことだ。もっとも教師が弱いところだ。自分だけ知っておればそれで事たれりとする20世紀初頭の考え方から抜けきれない人がいるのは困ったことだ。

  • 何時かは一旦ブログは閉止するつもりである。それまでにどれだけの人が組織人として「しっかりとしたビヘイビア」を持つかと言うことだろう。「あなた方にはちゃんと言っていますよ」と私は何でも言える。毎日書く「ブログはその確証」を積んでいるのだとも言える。

 

20.11.19(水)小中教員に負担感

  • 小中教員に負担感」との見出し記事があり、「辞めたいと思った」人は6割に上ると言う。教育問題の専門家らで作る民間団体のアンケート調査でこのような実態が明らかになったと日経夕刊が報じている。

  • 調査は教育分野で提言活動をしている「日本の教育を考える10人委員会(委員長:佐和立命館教授)」がこの8月にインターネットで公立の小中の教員1200人から回答を得てまとめたものとのことである。

  • 若手の3人に一人は週20時間以上の残業で特に負担に感じている業務は「教員評価・学校評価」が80%と高く、次に「保護者・PTA対応」「会議」がいずれも75%と続く。私などはこの数値を見て「ウーン」という感じだ。

  • 子どもと向き合う業務以外はどうも「負担感」を感じているみたいだ。「教材開発・授業研究」は49%と低めである。これは「当たり前」だろう。教材開発・授業研究に負担感を感じるならば、もうこれは「教師と言う職業」から離れるしかあるまいから。

  • 辞めたいとしばしば思う」「たまに思う」の回答が62%で理由は「業務が多忙すぎるから」が37%で20歳代では47%に上がっている。しかしこれら若者の言い様は何時もどの業種でも言われていることで特段目新しいことではないと私は断じる。

  • 確かに教師は「忙しい」ことは事実である。本当に様々なことに対応しなければやっていけなくなっているのが現実だ。以上の調査は公立の小学校・中学校の話であるが私立でも基本的には同じことだろう。「教師が忙しい職業」であることは間違いない。

  • まず学力対策の特別課外講習、生徒の日常規範指導、部活動、保護者への対応、校務運営に関わる仕事が「純粋の授業以外の時間」に当てられる。時間は人間24時間が一日の「持ち時間」だからこのうち家で「寝る8時間弱と法定義務勤務時間が8時間」で16時間は、全ての人に当てはまる、これだけは自然の摂理だから如何ともし難い。

  • 残りの8時間で往復の通勤時間をまあ2時間取ったら残りは6時間となる。このうちまあ3時間くらいはいわゆる残業、居残り、ボランティア活動等で取られるとしたらこれで「週18時間は残業」だから調査結果にある週20時間などの残業は有っておかしくはない。18時間、20時間の残業が良い悪いを言っているのではないが。

  • 私は言う。週20時間の居残り残表がしんどいから「辞めたい」と言う人は「早く辞めたほうが良い。」朝は定刻の8時30分の5分前に学校に入り、授業が終わりホームルームが済み、定刻の4時半が5分過ぎたらもう帰り支度をして門を出たいと思っている人も「早く辞めた方が良い」。

  • 学校」というのはそういうところではないからだ。発達過程の児童生徒を集団で抱えて「教育と言う活動」を行っている極めて子どもの人生に大きな影響を有する「崇高な営為」であり、今日はノルマを果たしたから「終わり」というようなものではない。

  • 自動車のセールスマンのように「今日は3台売れたから上がり」とか自動販売機の在庫チェックで「今日は予定数を回ったから終わり」というような仕事ではない。夕方終業前の30分頃に教員同士が「今日は何もありませんでしたね」と言った瞬間、「グラウンドでボールが目に当たり、痛がってます」と緊急連絡が入る。

  • まず様子を見て救急車を呼び、誰かが付き添い病院に運ぶ段取りだ。そして直ぐ保護者に連絡しなければならない。一方現場に戻り状況の調査をして事態を正確に把握しなければならない。その瞬間勤務時間はとうに過ぎていると言うのが実態だ。

  • 辞めたい」と思うのは「別に大きな理由」があると私は考えている。少なくとも「教職と言う職業を志した以上」前述のような「生徒との関わり」はまったくと言って良いほど理由にはなっていないと思う。先ほどの辞めたいと言う若い先生の気持ちもそうである。

  • 「辞めたい」と思うのは「攻められる」「責められる」「押し込まれる」と自分ではどうすることも出来ない「第三者の意向が働き」、これによって「自分に影響が及ぶ」という現象行為に「慣れていないから」だと私は考えている。

  • 学校文化は「教師は専門店の社長」で教科、専門分野で一人ひとり経験もキャリアも「教育観」も異なる。はっきり言って「ばらばら」である。それを「職員会議というフィルター」を通すことによって「皆で決めた」形で「一人ひとりの教育観を押し殺して全員でやろう」とのスタイルをとる職業である。「上意下達」というのはない。

  • ところが調査結果にあるように「教員評価」という外部の力が働いたり、「PTAからの圧力」などの外部の力が作用してきたりすると、途端に「ぐらぐら」と来る。生徒を責める、攻めることは得意でも自分が「攻められる、責められることには慣れていない」から、「受身にはからっきし弱く精神的にダメージ」を受け易くなるのだと私は分析している。

  • 評価などが無い時代は幾ら働こうが早く帰ろうが給料が1円も違わないので「なんであんなにあの人は働くのだろう」と冷ややかに見ていたが、評価されるとなると途端に「隣の人が気になって」来るものだ。特に同期や同じ世代だと余計に感じる。

  • ところがベテランになると長い間の経験で幾ら保護者が文句を付けに来ても「馬耳東風」「聞き流し」「面従腹背」「ポーカーフェイス」「成りすまし」みたいな高等な芸当が出来るから若い教員ほどストレスをためないコツを体得している。要領も良くなり、今日は「早上がりだ」と言ってさっさと帰り、パチンコくらいに行っているのではないか。これも「ストレス解消法」だろう。

  • 若い教員の3人に一人は「辞めたい」と思っているのはしばらくの間で、そのうちに結婚でもして子どもでも出来ると責任が出てきて、「社会を見る目が備わってくる」。そうすると今まで言っていたことが「やばい、学校の方が断トツに居心地が良い」となってくる筈だ。

  • 折角得た教師の職を自ら去ることはなかろうにというのが私の感想だ。「上から辞めろ」と言われてもしがみついていた方が良い世の中になってきた。そして「外部からの力」に耐える「耐力と体力」を有する「自覚と努力」が必要だ。

  • 最大の効果ある方法は私の下で数年「鍛えられる」ことだ。私の下で数年持ちこたえることができたら大げさな話、「世界中何処でも通用する組織人」にはなれる。それは保障しよう。「頑張って欲しい、若い先生方」「辞めるなど考えてはならない。」待てよ、本校でもアンケート取ってみるかな?

 

20.11.18(火)中学校授業参観日

  • 昨日のブログの反響が早速あった。国語科の教員が部屋に入って来て「四訪」というのは深い意味はなくまず「再訪」「三訪」「四訪」とあり、「五訪」だってあっておかしくないというのである。「なるほど」とすっきりとクリアできた。有り難い。

  • 合わせてこの先生、「墨跡淋漓」ではなくて「墨痕淋漓」と使わねばならないと僕の間違いを指摘してくれたのである。意味は筆で書いた文字が黒々と生き生きとして勢いの有る様をいうのですと教えてくれた。「有り難う」また一つ賢くなった。嬉しい。

  • 今朝の新聞で気になった記事は扱いは小さいが各紙とも取り上げている「勤務時間内の組合活動・・・厳格化で9割減少・・大阪市」である。勤務時間内に不適法な組合活動を有給で行う「ヤミ専従問題」である。

  • 国から「余りにも酷い」と見直しを求められていた大阪市では今年4月から9月までの半期で時間内組合活動の許可件数が992件で前年の90.1%減になったという。許可時間も1439時間で94.5%の減少という。

  • 市は「勤務時間内に開いていた会議を時間外に開いたのではないか。組合活動に支障が出ているとは考えていない」とコメントしている。しかしそれにしても大きな組織だから減ったといってもまだ「1000件、1500時間の勤務時間内組合活動に給料が支払われている」のだ。驚くばかりである。

  • 組合活動に支障を来たしたり、弊害をもたらすような施策や干渉は許されないが「このご時勢」に給料を貰いながら組合活動をせざるを得ない大阪市の職員団体と行政当局の複雑な思いは想像できる。

  • とにかく大阪市は長い間「ながら条例」というものがあり、これを廃止するにも時間を要したが今回の「職務専念義務免除」の対象の見直しが大きな効果を生んでいると言うことは言えそうだ。「正常化」しつつあるということか。

  • 本校では勤務時間内の組合活動は「認めていない」。小さな所帯であるし、全員が走り回って頑張っており、そのような暇がないというのと組合員が揃う時間帯は放課後遅くなるということだろう。

  • 勿論機関決定のために外部会議に出席せざるを得ない役員が「職免許可申請」が出てくれば一件審議で判断することになる。

  • 今日は「公認会計士」が来校されて監査の日である。始まる前にしばらく懇談するが話題は当然「厳しい経済状態」で、ここでも担当している決算見通しや企業の状態について話題が集まる。「本当に大変」らしい。特に銀行の貸し渋りなどは不動産業などに酷いものがあるらしい。

  • そういう中で兼ねて依頼していた事務室勤務の人材について、一人の候補がいてその方の履歴書を見せられた。今企業は人員整理に入っており、「買い手市場」だという。何とか良い人材を得たいので今後とも宜しく頼みますとお願いした。

  • 昼休み「ボクシング部と弓道部」が入室。近畿大会や全国大会への出場祝い金と激励金の手渡しだ。当然のことながら部員は喜んで顔がはち切れんばかりだが、事務長は財布の中身を知っているから複雑だ。しかし弓道部には何時も出している感じがするなー。

  • ボクシング部は伝統あるクラブで支援を惜しまないが今居る選手の後輩を養成していかないと先行き苦労する。余程の根性がないとこのクラブはつとまらない。亀田親子でイメージを損なったが本質は「美しいスポーツ」だ。

  • 昼休み、理数科の科長がY常勤講師を連れて入室。先の1年生の「実力テストのクラス別得点分布」を整理して説明してくれた。中々分かり易い資料であった。この若い先生、「ITの達人」と聞いていたが今日は「その片鱗」を見せて貰って嬉しかった。

  • 聞けば枚方から90分かけて通っているとのこと。「自分は長男で親の面倒をみなければ成らないから自宅から通勤します」ときっぱり。立派である。親孝行ができないような人間は先生の資格はないと思っているから「感じ入った」。

  • 風邪の直りが遅い。午前中はまだ調子が良いが午後近くになると少ししんどい。昨日来校してくれた卒業生がお土産に持参してくれたお菓子が殊の外旨い。「福井県勝山市の銘菓」という。

  • 金花堂「はや川」の「羽二重くるみ」というもので本当に品のある味でくるみと餅のコンビが何ともいえない。事務室やら理事長室に入ってきた人には一個づつ差し上げている。

  • 今日は「浪速中学校の授業参観日」である。保護者の出席率は75%だからこれは異常に高い数値なのか他の私学はどうなのか分からないが大変結構なことだ。午後1時30分から50分授業が始まった。

  • 初めて全ホームルームを回って様子を見てきた。1年生は2クラスが国語で後一クラスが社会、2年生は技術と理科で3年生は英語だ。突然教室に入って行ったので先生も生徒も驚いていた。「良い授業」であった。

  • その後学年集会と学級懇談会があり、特に2年生と3年生は高校進学の話があるから副校長が担当してご説明することになる。概して高校に比べ中学の保護者はお子さんが小さいこともあり「学校教育にご熱心」である。

  • 今週21日(金)「広島県私立中学校高等学校教頭会」の先生方が30名近く「浪速改革」についてお聞きしたいと訪問される。私は本校ホームページを読んで頂ければそこに全て書いてありますというのだが受け入れセンターの高校副校長との調整でやはり現場を見たいということになった。

  • 初めての「大型の訪問団」である。誠意をもってお迎えしなければならない。私の話がメインだと要望されており、それならばとまだホームページにアップしていない新しいテーマでもお話ししようかと資料準備に入っている。

20.11.17(月)教養ということ

  • 教養」がないと見られるくらい恥ずかしいことはない。特に漢字の読みを間違えるとその後遺症はしばらく続く。書き間違いより応える。僕などの「生き様」を気にする性格では特にダメージが大きい。

  • 踏襲(ふしゅう)」「未曾有(みぞうゆう)」「頻繁(ひんざつ)」などと麻生総理が使うといって最近のマスコミは皮肉っぽく報道している。しかし麻生さんは一向に平気で「読み間違え」とシャーシャー言っているだけだからたくましい性格で、だから政治家が務まるのだろう。

  • 今朝の産経新聞には曽野綾子さんがコラム欄に「総理の日本語が貧しくて漢字を読めないようでは困る。マンガ愛好を売り物にしているとこうなるという見本である」と木っ端微塵に切り捨てていた。笑ってしまった。そこまで言うか。

  • 昔、私の勤めていた会社の上司が社員を集めての何かの話のときに「順風満帆」を「じゅんぷうまんぽ」と何回も使って「エー」というどよめきが出たくらいだから特に組織の長は気をつけなければならない。「まんぽ」と読めないわけではなかろうが「まんぱん」だろう。勝手に読み方を変えて貰っても困る。

  • 話をしていても「品の無い言葉」をわざと使うのが「てらい」がなくて良いという向きもあろうがそれは不味い。それに間違った言い方もその人間を良く現す。兵庫県の井戸知事が「関東大震災は関西のチャンス」というような使い回しで「チャンス」を使い「ぼこぼこ」に叩かれたがこれなどは散文的役人出身だからだと私は思う。チャンスなどは奥行きのない言葉だ。

  • 案の定、東京都の石原知事は「木っ端役人の使う言葉云々」といって批判していた。橋下知事は「くそ教育委員会,ざまァ見ろ」といい、石原知事は「閉経した女性は世の中の害」とか何とか言って訴訟騒ぎになった。

  • しかし麻生総理の漢字の読み間違いとこれら井戸、橋下、石原知事などが使う表現方法とは根本的に性質が異なる。基本的に「蓄積された教養の部分と、性格、人格の違い」がこういう時に表にでてくるものだ。

  • 私の考えは「漢字の読み間違いは低レベルの話」で表現方法の問題は逆に知性と教養がベースとなる「人格がなせるわざ」だから始末に負えないのである。だからややこしい。中学生や高校生に時々「反省文」など書かせることがあるが、中学1年生の作る文章と高校2年生の作る文章では当然、漢字の数や表現方法に雲泥の差がある。

  • ところが同じ高校3年生でも素晴らしい文章を作る生徒と「えー、これは何?」といおうような文章しか書けない生徒がいる。一言で言えば完全に広い意味での学力とその蓄積と相関があるのである。

  • 学力が高く成績席次上の方の生徒の文章はしっかりしており、漢字数も適切であるが、そうでない生徒の文章などは、まず平かなが多く、中には句読点などない文章に出くわしたりする。そして文章の長さなどもおかしい。又「話し言葉」を文章にしようとするから読んで何かおかしい。

  • さすがに教員は人に教える立場にある人間だから文章や言葉使いなども上手い。しかし読書量の多さが伺える優れた文章を書くことができるかどうかとなると微妙に違ってくる。そのようにして教員の文章を読んでいると極めて面白い。

  • 教員だから教養があるとは必ずしも言えないのではないか。今手元にある教職員の人材評価育成シートの自己申告表の文章がそれである。これを見るだけで私にはその教員の教養の蓄積と人格レベルが手に取るように分かる。

  • 文章を作る時に特に私が心がけているのが「分かり易い」ということだ。何を訴え、言いたいのか分からないような文章は作らない。元々文章など作るのが好きだから良く「毎日更新するのは大変でしょう」などと人は言ってくれるがブログの文章など全く負担ではない。

  • 時に「ユーモアのある文章」、これは「硬派の文章」「骨太の文章」と書く内容で変化をつける。「表現方法」についても気を遣っている。最もこれは蓄積されたもので付け焼刃ではダメであるが、これは日々の努力で向上できると思っており、死ぬまで進化可能だと信じている。

  • だから私は「努力」する。日々のブログの一字一句や表現に工夫と努力をしている。これが面白いのだ。それに私は基本的に「勉強」することと他人の優れた言い回しを「パクる」のが得意である。

  • 先のブログで私は関西大学の河田悌一学長先生が私学助成で「大学人として初めて意見を発信」して頂いたことについて触れたが11月13日の日経夕刊の「文化カルチャー」欄に先生の「中国の近代化と格差実感」と題された一文が載っているのだが、その末尾に「四訪」という単語があった。

  • 文章は「この地を四訪してみたい」と使われてるのだがこの四訪と言う「初めて見る単語」に惹かれて少し調べてみた。旺文社の国語辞典、講談社の「日本語大辞典」、三省堂の「大辞林」、それにネット辞書も調べたが結局見つけることが出来なかった。

  • この「四訪」という言葉は河田先生の「造語」なのか私がまだ調べきれていないのか分からないが,言いたいことはこのようにして私は言葉を調べることが大好きだ。そして「パクル」のだ。何事も最初は人真似や昔のやり方をパクって最後には自分のものにしていくのである。

  • 「四訪」というのは「前に三度行ったが又四度目を行きたいのだ」という思いから使用されたのか、何度でも行きたいと言う強い思いの表現なのかまだ分からない。このようにして私は言葉を増やしていく。今朝はまた一つの単語を勉強した。「墨跡淋漓」と言う単語だ。「墨跡」までは良く使うが初めて墨跡淋漓と知ったのである。

  • とにかく「学者・研究者・小説家・文章家・新聞記者」などが使う単語や熟語は勉強になる。英語と違って「漢字は醸し出す雰囲気」がまるで異なる。私は日本語が大好きでこの年になっても新しい言葉を知ると嬉しくて興奮する。

  • 一昔前ある国語の教員がこのブログを書き始めた頃の私の先生で日本語の使い回しや誤字脱字をチェックしてくれていたのだが彼が私の文章の中の「中食」というのは間違っている。「昼食」でしょうときたから、いや「ちゅうじき」と読んでこれで良いのだといったことがある。国語の先生でも知らないことがあるのだと思ったことがある。

  • 上手い文章家は天賦の才も勿論あるが長い間に「名文」に触れることによって醸成されていくものであろう。だから私は感激する一文に触れると嬉しくなってメモに留める。そして何時かそれを自分の文に応用してみる。つくづく「作文と言うのはその人が出て面白い」と思う。

20.11.16(日)第二回中学校プレテストその3

  • 中学校務の意思決定は通常「中学校務会」で議論が練られ、それが全体の「職員会議」で賛否が取られ決定される。しかし大体は当事者の集まりである中学校校務会での結論が職員会議で覆ることはないらしい。

  • 風邪でふらふらであったが何とか中学校校務会を乗り切り、次は「職員会議」の場面であった。誰が基調提案をしたのか記憶にないのだが説明が終わった後の質疑で私の言う「超法規的措置」に質問が出てきた。一言で言えば「それを認めれば高校教育の根幹である評定というものが崩れる」と、このようなカッコ良い言い方ではなかったが、これに近い発言であった。

  • とにかく簡単に言えば良いものを回りくどく言い方を変えて又同じ事を言う人という印象を強く持ったが、言っていることは至極当然のことで「ああ、理屈派もいるんだ」という印象を持ったのである。発言したのはベテランの教諭であった。

  • この学校は議論はまだ出来る素地が残っている」と感じたものだった。逆に意見が無い方が異常であり内心ほっとした感じを持ったのを覚えている。職員会議後その教員を理事長に呼び更に僕の話を聞いてもらって理解を求めた。とにかくこのようにして中高一貫問題は解決に向かうことになった。

  • まずクラス編成は議論を経て「完全なばらばら状態にはしない」「普通と一貫をまとめた混合クラスの考え方」「中高一貫の考え方は存続」させ「成績処理は分離して行う」などの具体的な方式が教員のアイデアで次々と進められていった。僕の出す大きな方針が決まれば私は些事にはこだわらない。教員に任すのがやり方である。

  • このようにして「中学校の存続」は成し遂げられたのである。結果的にこの中高一貫の解体が経営に大きな利益をもたらしたのである。勿論当座の利益追求のためだけの判断ではなくて当時関西の有力な大学が次から次と中学校、小学校を作って「囲い込み」をする時代に「せっかくある中学を廃止」することは「正しいことか」との自問自答の毎日でもあったことも事実である。

  • そして2年が経過し、3回目のプレテストを今年迎えるたのだが、もし今と全く違う局面、即ち昔と同じような「募集に苦労」していたなら「判断を誤った」と後世悔いの残る結果になっていただろう。「止めておけば良かった」と。

  • ところがこの「人気ぶり」だ。一クラスが二クラスになり二クラスが三クラスだ。「嬉しい」限りである。同時に強調したいのは単なる中学の存続ということではなくて「教員の雇用場所を確保」したことである。

  • 現在浪速中学校は管理職が1名、教員が14名今中学に配置されているのだが、もし中学を廃止していればこの15名の先生は不要であった。加えて入試広報室のメンバーとか広報予算を考えれば相当なものになる。それが逆にまだ来年は中学の先生が4名近く増強しなくてはいけないのだから「隔世の感」がする。

  • 着任時全教職員と面談したのだが多くの教員が特に高校配置の教員に多かったのであるが「中学廃止論者」一色であったが、今その人たちは何を感じているのか聞きたいものだ。面白いのは中学校の責任者のK副校長兼教頭である。

  • この先生は「中学勤務の経験が全く無いコチコチの中学廃止論者」であったが今や中学校の顔として「走り回って」くれている。彼は朝会などで時々「隔世の感」という。恐らく「照れ臭い」のであろう。いや、それだけに愛着と責任を持って中学校の面倒をみてくれているのかも知れない。

  • 当時の中学高校間の問題は「教員交流」などがなくて中学と高校に大きな壁が出来ており、特に中学校に組合教員が多かったこともあり、神社界は「ここを何とかしたい。」と強く思っていた。

  • それで私も「中学校を廃止し、組合教員を整理解雇したい」と内心思っていたのである。法廷闘争とはなった思うが法的に十分成り立つことは調べ上げた上でのことであったのである。私学においては法廷係争中の案件が一つや二つはあるのが普通であった。

  • まず労働審判、民事裁判などあり得たが「整理解雇」とは「解雇権の濫用」とならないためには解雇止むなしの合理的な考え方と社会通念上理解が得られる状態であれば「可能」であったと私は自信があった。

  • 特に「私学助成振興財団」からの「経営診断資料」は大きな私への「援護射撃」となったのである。極めて権威ある機関からの出された「イエローカード」は絶対的決め手としてこれを導入した前理事長の特筆すべき功績である。

  • しかし結局組合は見識を持って学校改革に100%協力してくれた。逆に大きな推進力となったのである。そのあたりから「あれッ」と組合に対して抱いていたものと異なるものを感じ始めたのである。理事会から聞いていたことと異なる様相なのである。

  • その要因については別の機会に詳述しなければならないが、まず僕の説明する内容に異論がなかったこと、説明責任を果たしていると言う行為、これ以上の労使対決の無意味さ、先行きの危機感、そして有力組合員が途中で敵前逃亡に近いとみられるようなに近隣の他校に変わっていったことなどが複雑に交じり合っていたのではないだろうか。整理して議論したことがないため良く分からない。いずれ誰かが整理してくれるだろう。

  • 私は「高校から中学に教員を入れ、交流」を図った。又中学校が一時期仲良しグループの朝のモーニング喫茶店と化している状況を目にして解体しなければならないと強く思った。「学校内にセクトや派閥や仲良しグループが出来ることは必ずしも良いことではない」。あくまでそれは「生徒の為に」なっていないことが多い。処遇などの不満分子が集う形は校内では良くない。

  • とにかく「楔を合法的に打ち込む」ことが肝要で「自然体」というのは経営者の「逃げ口上」である。中学と高校の教員を入れ替え、中学出身者で担任や分掌などの仕事をしない人間を、普通に分掌の仕事をしてもらうようにした。特に専任教員は担任に当て嵌めた。

  • あと2ヶ月で満2年がくるが実は「浪速改革」は「中学校改革」であったのである。これで初動の改革は成功した。しかしだからと言って今後とも上手く行くかといえばそうではない。

  • 僕の考えでは「3本くらいの太い背骨が必要」だと考えている。一本は「関西大学との連携」である。これで相当持ち上げられる。しかし一抹の不安感は消えない。関大にとっても「大学だけを頼りにされても困る」と成るだろう。後二本くらい核となる背骨を考えねばならない。「案はすでにある」。

  • 僕が何ゆえ浪速中学校に特別な思い入れを有しているか、僕のブログの読者には以上でお分かり頂けたと思う。「V字回復で浪速中学校はすばらしい中学校に育ちつつある」。さらにさらに誇れる中学校にするべく教職員一同で頑張って参りたい。

 

20.11.16(日)第二回中学校プレテストその2

  • 今でも其の時の感覚は覚えているのだが、「遂に来たか」「かかってきたな」と瞬間はそう受け止めたのだが、直ぐに違う感覚になっていった。どうも様子が「少し違う」というものであった。

  • 誰も発言しない「ひんやりした雰囲気」の中で、この問題に限って「具体的な提案」をしてくる姿勢と「新校長を迎える適切な抑制の効いた姿勢と物言い」が大きく今でも印象に残っている。

  • こういう場合、すべてではないが、大体敵愾心を表に直ぐ出す組合教員などは以下のように発言する。先の橋下知事との教育討論会で「もっと人の言うことを聞きなさい」とたしなめられた一部勢力に属する教員の陳腐なやり方である。

  • まず喧嘩腰で「大体、来て現場も見ないうちに中学校の廃止など貴方に分かるのか」「一生懸命頑張っている中学校の教員の気持ちを分かって言っているのか」と怒気を含んだ物言いで新校長に「一発かます輩」が普通の姿である。

  • ところが当日はそのような教員はいなかった。当然私は「想定」して言質をとられないように文言には注意を払い、「こう言えばああ答える」「ああ言えばこう答える」と準備をしていたのだがそれらは杞憂に終わった。それだけに前述の教員の「インテリジェンスな立ち振る舞い」が印象に残っているのだろうと思う。

  • 他の多くの教員はおそらく私の資料説明を「しらけた」感じで聞いていたに違いない。「本当に出来るのか」「やれるものならやってみろ」というくらいではないか。「お手並み拝見」という高尚なものでもなかったろう。とにかく学校全体がしらけていたといっても過言ではないと僕は今でも確信している。

  • 1月9日の着任から2ヶ月の後私は方針を全面変更して「中学校は存続の結論」を出した。ただし条件を出した。これは教員に出したわけではなくて言ってみれば経営的に自らに課した条件である。

  • それは「中高一貫の解体」であった。当時中学1年生から3年生までの3年生分と浪速高校に進学している高校1年生の分4年間分の生徒は中学校入学から「中高一貫制度下」の生徒群であった。

  • 他校に遅れ中高一貫にしたのは良いが戦略も戦術もなくただ闇雲に導入した中高一貫は塾関係者や保護者の理解を得ることなく当初から「生徒募集に辛酸な思い」をし、入学した生徒も他の私学などのいわゆる進学重点の一貫ではなくてどちらかといえば「高校入試が免除される中高一貫の様相」であったと言える。

  • 僕は暇さえあればNという課程のクラス(中高一貫クラス)を見に行き、この目で確かめ、同時期に始めた教職員との面談でこの中高一貫の現状について議論を重ねた。議論にならない人もいたが概してすべての教員が「最大の問題」と思っていることは把握できた。

  • 生徒群については詳細は書くまい。ただ「学力に大きな課題を抱えている生徒」が多いと言う現実とそれを少人数で展開しているから中には一クラスあたり5ないし6名という授業もあり、これは「教室」ではない、一種の「施設」とまで見えてきたのである。この状態で6年間も過ごすという不幸をこの子たちに味あわせてはならないという決意であった。

  • 理事会側も一部の理事はこの問題把握はしていたようであるが「あと4年間続かざるを得ない」と諦めていた節があったが、この状態が4年続けば「学校は終わる」と私は見た。そこで「中学を存続させる条件としてこの中高一貫を解体」することを自らに課したのである。

  • まず「クラスの統廃合」を進めることが結論である。これを解体して高校入学時には外部からの入学生を混在させる方式を条件とした。しかしこれには「相当の神経」を使った。緊張した毎日であった。覚えているのは当時ひどい風邪をひいて体調が悪くふらふらした状態であったが学校を休むわけにも行かず「重たいテーマ」を抱えながら天王寺から通っていた。

  • どうも僕は2年に一回くらい高熱を出してふらふらになる。倒れたり学校を休んだりはしないのだが体全体が疲れてだるく本当にしんどい思いをするような体の癖が付いているみたいでその時がその状態であった。これは体が僕に「ブレーキをかけている」と最近気付いたのであるが・・・。

  • 入学の条件を覆す」のだから尋常ではない。普通の感覚ではやらないしやれることではなかった。しかし「僕はやった」のである。まず教員説明、保護者説明と順序立てて進めていった。

  • この過程では保護者集会の席で僕に対して「高津の件はどうなんですか」等と全く関係ない話を持ち出したりして明らかに「新理事長への反発」を見せる保護者もいた。当時まだ僕は校長兼務ではなくて理事長校長となるのはまだ1ヶ月後のことである。

  • この間、大いに僕を助けてくれたのは記憶にある限りでは当時中学にいた理科のK教諭と中学教頭のN教諭、それに当時のH校長であった。大いに意を強くし、本当に彼らには助かった思いがある。忘れてはいない。

  • 窮余の一策として「入学金の返却」まで用意して私は臨んだが、「案ずるより生むが易し」で保護者の中に「大いに賛意」を示してくれる勢力も現れ流れが決まった。ただ「中高一貫から高校編入」とした場合に「学力保障」と「進級保障」が保護者の最大の関心事であり、これはある面当然のことであった。

  • 学力保障は放課後講習などでどうにでもなるが問題は内規による進級保障の扱いであった。このときに僕の発した「超法規的措置」という言葉が出てくることになった。この意味は入学時の学力、入学前提条件が途中で変わるという「路線変更する列車に乗せる」のであるから「通常の高校内規とは異なる適用が必要」という言ってみれば「憲法9条拡大解釈」みたいなものであり私が考えに考えた方式であったのである。
       (以下続きは次回のブログ第二回浪速中学校プレテストその3へと)

 

20.11.15(土)第二回浪速中学校プレテスト

  • 昼前に校内を巡回していたら新館入口付近から入試広報室の先生が「中学校、プレテストの数、年々増えていきますね」と声がかかった。「増えてもなー、問題はどのレベルの生徒かだねー?」と混ぜ返してお互い大笑いとなったのだが、今日は第二回浪速中学校プレテストの日である。笑えるだけ良いのだ。

  • 段取りは一回目とさして変わらず、今日は「中学校1年生による体験発表」がある。これが結構評判が良い。従って僕の時間は10分マックス、それに一回目のプレも受けて2回目も受けに来る比率は約60%であるから、保護者に同じ事を2回も聞いてもらう必要はない。

  • 先ほどの年々増えていますねーではないが「ここ数年の伸び率」は凄い。18年度入試を100とすれば19年度が99%の伸び率でその後さすがに99%とは行かないが50%の伸び率をキープしている。今年もそうだ。

  • 世の中にこのような伸び率を示す変数もなかろう。中国の経済成長率でも一ケタ台になってきた。しかし「問題はこの後」である。中学は高校入試と違ってまったく読めないのであり、深く静かに進行していく。長引くのである。

  • プレテストはあくまでプレテストで「志願者数」とは限らない。しかしまずプレテストを受けておくことが絶対的条件ではないが有利だから大体「その気がある」ならプレは受けるのが普通だ。

  • 志願者が決まった後でも高校入試と違って私立中学は受験日がばらばらだからこの段階でも「受験するかどうか分からない」。例年だと数名は他の私学に切り替える者は当然いる。そして次が「合格者」となり、「入学者」となる。入学者は入学料を払ってくれた人である。以上のようなわけで中学入試は局面が何回もあるのだ。

  • 府内の私立中学も大体プレは2回に分けて行う。だから最初のプレで「基準点をクリア」しておけば、「A判定」を貰えるからAを貰った生徒は「朱印状」を手にしたのも当然だから、2回目のプレは受けに来ないのも居る。

  • どうしているかといえば「良かった。もうしんどいから受けに行かなーい!」というのと「もっと上のレベルを目指す」というのと二つのタイプだろう。わざわざレベルの低いところに2回目を受けに行くなど考えられないからである。

  • 本当に私立中学の入試システムは上手く考え出されており最初にこのシステムを誰が考えたのであろうか、僕は感心してしまうのだ。前回ギリギリだった子は2回目何としても頑張ろうと受けにやってく。2回もプレを受ける生徒は「本校に入りたい一心」だと思って良い。

  • そういうと「そうでもない」と入試広報は言う。今や私立中学のプレテストは「外部模試的感覚」であり、受ける子は片っ端から受けるらしい。とにかく前述したように中学入試はこのように複雑怪奇なところが面白い。僕は今は「嵌っている感じ」だ。

  • 今日以降入試広報室の面々は受験してくれた生徒のいる塾などを回り「情報を集めて」最終判断するのだが今年は余計に大変だろうと思う。それは本校のポジションが相対的に上がったことと近隣の初芝が立命館グループ入りして「初芝立命館」となったことである。

  • 今まで本校と初芝は似通った中学校であったが「本校の実力アップ」と果たして立命館と名前が付くことになった「初芝との勝負が興味深い」のである。大阪市内ならまだしも泉州に住む生徒が東海道線の草津くんだりまで行くかという声は良く耳にするがこれだけは分からない。立命館は立命館だ。

  • その点本校が今最終的に話を進めている「関西大学」は全く違う。アクセスの良さと言ったらもはや「同じキャンパス内」という感じだ。順調に話し合いも進んでいる。正式に決まったらお金を使って大々的に宣伝だ。ひょっとしたらテレビコマーシャルまで流すかも知れない。

  • 僕はやる時は思い切ってやる。大体「少量小出し作戦」は旧日本軍のやり方だ。だから負けた。「けちな根性が失敗する」。アメリカみたいに「大量集中投入作戦」でなければならない。これは「兵法」である。

  • とにかく今大阪の南部ではこの経済不況下であるが「私立中学人気」が高まっているという。それというのも橋下知事の怒りの原点、「公立中学校の現状」に希望を失った親が「少々授業料が高くとも」、可愛いわが子の為なら「面倒見の良い私学へ」と考えているからだ。

  • それにしても僕は「中学校に思い入れが強い」。生まれて初めて中学校の修学旅行について行った。全員に屋久島登山撤退記念に携帯の屋久杉が付いたストラップを一人ひとりに手渡してやった。時々「まだ持っているか」と聞くのだが「家に大事に置いてある」と答えてくれる。これが「嬉しい」のだ。

  • サツマイモ育成体験」も場所を改め継続した。昨日は生徒会の役員がお芋を持ってきてくれた。「中学校運動会」を始めた。大変好評だった。「遠足」について行き一緒にカレーライスを食べた。「テニスコート」を作り変え、「1面は中学優先」とした。「雅楽やブラバンの楽器」はどんどん買う。どうしてこうなんだろうと自分でも驚くくらいだ。

  • 理由はある」ような気がする。2年目着任したときの最初の最重要なテーマは「中学校の廃止問題」であった。勿論理事会各位には同意を得て、浪速中学校卒業生の同窓会長までにも経営実態を詳細説明し「覚悟を決めて」赴任したのである。

  • 忘れもしない」。1月9日の着任日当日16時から始まった私の「着任挨拶と経営方針」の資料だ。その年の年末年始を潰して私が「浪速を徹底分析した資料」で20ページにも及ぶものだった。

  • その時の資料は「中学校は廃止する」とは明確に書いては居なかったが誰が読んでも「そう分かる資料」であった。最後の質疑応答で一人の教員がやおら立ち上がって発言した。極めて「抑制したトーン」で「中学校廃止問題はもうしばらく1,2年待てないだろうか」というものであった。

  • その男が据わっていた席は私から見て最も右側で後ろから数番目に据わっている「背の高い男」であった。その時にはまだ名前も知らない人物であった。しばらく字数を使って中学校問題を振り返ってみよう。本音の文章となるだろう。
    (その2:
    以降は浪速中学校プレテストその2として明日のブログに続く予定

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