校長ブログ懐古・・改革の軌跡・・

平成19年度からの校長日記を再掲してまいります。

24.6.7 劇団自由人会

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毎年5月には人間ドックに入って検査をする。浪速に来て以来続けていることだ。今年は他件があって6月にずれ込み、この5日と6日の午前中にかけてクリニックに行ってきた。夏冬の休暇を除いてほとんど休むことのない私だがこの人間ドックだけは続けている。どうしても新校舎が完成するまでは健康で最前線に立って指揮しなければならないからだ。ぼつぼつ人に任せたらどうだと言う人が居れば、それは内部を知らない能天気な人間のいう事である。そんなに私学の経営は甘いものではない。

今回のクリニックの待合でふと手にした本が月刊誌「歴史街道」であった。何と特集記事として7月号に「古事記」を特集していた。京都大学の鎌田東二教授の記事になるものであるがこれが素晴らしい。

「神々から読み解く古事記」の後編とあった。分かり易くて「日本書紀との違い」を記しながら「日本人の魂の源流」をひも解いて解説しているのだ。私は一気に読み下し、是非6月号の前編も読みたいと思った。それで帰りに千日前のジュンク堂に立ち寄って依頼したのだが予想通りもう店頭にはなかった。

これで諦めると何でもない結果に終わってしまう。ここからが真骨頂だ。私はまだ返本前のものが倉庫にあるのではないか、これを探してほしいと女性の店員さんにお願いしたところ、快く受け入れて頂き、相当長い間時間がかかったがようやくこの女性は「少し汚れていますが・・・」と言って持ってきてくれた。欲しいものは何としても手に入れたいし入れる。

もう何冊も古事記の本を読んだがそれぞれ作者は思い入れがあってそれぞれの視点でまとめておられる。これがまた勉強になる。勉強する時は集中してやらないと駄目だ。歳をとってくると尚更である。ゆっくり時間をかけては結局やらないに等しい。人間生涯学習だろう。

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本日は9月20日に計画している浪速祭「芸術芸能鑑賞会の出し物」として企画している劇団の幹部を学校にお招きしてお話を伺うことにしていた。果たして地方の一市民劇団やその幹部の方々はどのようなお人か大変興味があったし、正直心配でもあったのである。

劇団名は神戸市にある「劇団自由人会」という。1981年設立以来特に未来を担う子どもたちが演劇を通じて心豊かに成長して欲しいという想いのもと、全国の学校巡演を中心に活動しているグループで年間260ステージをこなしていると公式サイトにあった。

今日は劇団の代表者と所謂「座付き作家」すなわち脚本・演出の先生、それに制作部のご担当の3名がわざわざ学校に来て下さった。この代表と作家さんのお二人が最初にアマチュア劇団から始め今やプロである。演目は多くを数え全国規模の活躍をされている今や本格派の劇団と言える。

昨年の出し物「古典芸能 文楽の世界」が終了した翌日に私は担当に「来年は古事記編纂1300年、演劇で行くぞ」と指示したがそれからが大変だった。古事記をやっている劇団がなかったのである。一人芝居などではあるにはあったがそれでは学校の行事として生徒に見させるには不足であり、又古事記のストーリーそのものが一見難解で神道科の担当は劇団を探すのに相当苦慮したらしいがようやく見つけて来たのがこの劇団だった。

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勿論古事記はすでに完成された演目ではなくて今から作・演出するというものであったが私は昨年秋には「ここで行こう」と決めた。しかし9月まで残り3か月になって「どのようなものになるのか」当然気になるわけで今日学校に来て貰ってストーリーなどのお話を聞いたのである。

結論的言えば「安心した」。劇作家・演出の先生の波長とよく合ったし代表のお方とも狙いが一致した。古事記の持つ「おおらかさ、明るさ、強さ」などが生徒に伝われば良いのである。作者の先生は「生命力を主題の青春群像」にしたいと言われていた。我が意を得たりである。古事記は生命力の物語であると言える。

出演者が50人以上の大掛かりなもので衣装や舞台装置など初めてのことゆえ費用が掛かる。従って見積もりでは例年の1.5倍程度の費用であったがこれは「創立90周年前夜祭行事」として不足分は学校法人が支援することとした。

通常学校というのは大体公立私立どの学校も芸術鑑賞会の予算は生徒一人当たり1000年未満で受益者負担であるが今回はその差額は学校が負担するという事である。学年主任は教材費から1000円分の予算を見ておかねばならない。

特に目的外支出などあってはならない。教材費、副教材費など昔はコース長が主体で使っていたが今後は大学年主任の仕事だ。これは年度末に収支決算して保護者に報告する義務がある。昨年は生徒一人当たり926円の芸術鑑賞会費用であった。

このように学校の教員はお金というものに対して無頓着な面がある。良いところではあるのだが危険でもある。足らなくなった時のことも考えておく必要がある。それを頭に入れて予算を執行するのが学年費に責任がある学年主任の仕事だ。

教頭、神道科主任教諭の案内で浪速武道館のご案内をした。私はその場に居なかったがそこで劇団幹部の人が言われたそうだ。「あのような迫力ある校長先生は初めてです」と。迫力と言われると不本意なところがあるが、私に言わせればそれは「責任感の大きさ」である。


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古事記の世界の神々の群像を生徒に見せるのであるからそれが一体どのようなものか。どうあってほしいのか主催者として確認するのが私の仕事である。別に仕切ろうとしているのではない。組織にくさびを打ち込み、生徒の為に芸術鑑賞会を成功裏に終わらせるために「事前に考えられる準備することが責任者の仕事」だ。

校長として当日の最初と最後に型どおりの挨拶をするだけが仕事ではない。失敗して謝罪することが組織のトップの仕事ではない。まだまだ油断は出来ないが何か良い劇が完成しそうな気がしてきた。今年はとにかく「古事記」だ。



24.6.6 古事記のふるさとを探訪

小さい頃から「好奇心の塊り」で興味関心を抱くと居ても立ってもおられない。すぐ動  いてしまう。年も取ったのだから休みはゆっくりすれば良いとアドバイスしてくれる人はいるが動ける内に動いておきたいと考えるから実際休みなどなくてすぐに出かける。行動派を自認しているがこの好奇心の旺盛さはだけは死ぬまで治らないだろう。

和銅5年西暦721年に「古事記」が時の元明天皇に上中下の3巻の書物が献上されてから今年はちょうど1300年である。今「古事記が面白い」。私は昨年完成した浪速武道館のお茶室「洗心亭」の杉板戸には「古事記の神話の世界」を日本画の画家に描いて貰っている。この時に相当古事記を勉強した。日本初の歴史教科書である。

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最初の計画は第40代天皇である天武天皇が7世紀後半律令国家の新しい国つくりを推進する中で正しい系図や伝承などを「稗田阿礼」に命じて「誦み習わせ」間違いなく記録させようとしたという。阿礼は当時28歳、記憶力の良い超秀才だったのだろう。しかし作業は困難を極め結局天武天皇がなくなるまでに完成しなかった。

それから3代後の元明天皇の時代になって折角の仕事がそのままになっていることを惜しんで「太安萬侶」(おおのやすまろ)に命じて阿礼の憶えた口伝えを文字にしたものが古事記である。それが和銅5年(712年)、今から丁度1300年昔なのである。


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元明天皇は奈良の平城京を都に定めた女性天皇であるが曽祖父の仕事を受け継ぐというのが立派だ。私はここに女性らしい判断のエネルギーを感じる。これが男性天皇だったら「もう良いわ」と放っておいたかも知れない。今も昔も「女子力」はすごいのだ。

当時の日本には文字がなく、共通の記憶や伝承が口頭で伝えられてきたがようやく中国から漢字が入ってきて漢文を真似た文章が書かれるようになってきた時期であった。命ぜられた安萬侶は相当苦労したと古事記に書かれている。結局のところ「万葉仮名」に似た表記法で書き表したのである。後に変体漢文とか和文体と言われているものである。

私に言わせれば太安萬侶は当時の第1級の学舎で国文学の大家なのだったと思う。当時の古くからの日本語の良さを生かしながら極めて正確に国語の表記にこだわった編纂をした。その安萬侶さんのお蔭で現代人は1300年前を通り越して「日本誕生からの国つくりの歴史」を知ることが出来るのである。素晴らしい仕事である。

しかし悲しいことに古事記は最古の史書でありながら平安時代以降第1級の扱いは受けなくなっていった。それは正しい漢文でなかったからというのが通説であるが、ふざけた話だ。このように何時の時代も先人の仕事を評価しないその道の通などがいるものである。

古事記を復活させたのが伊勢の「本居宣長」である。江戸時代になって「国学」が新しく始まり宣長は40年かけて「古事記伝」を執筆し古事記が我々のものになった。賀茂真淵と本居宣長の師弟のうるわしい話など私などの世代は小学校で「偉人」として習っている。それを今だに覚えている。

 

今から45年前の昭和54年1月奈良市中心部から離れた此瀬町という町の茶畑から「太朝臣安萬侶」と刻まれた墓誌と墓が見つかった。日本史の一大発見であった。今でもおぼろげながら当時の新聞の見出しを覚えている。古事記は本当の話か、太安萬侶は実在した人物かという疑いの目も学会にはあったようだが、実際にこの人の墓が見つかったのである。それまで居ないと言っていた学者は顔色なしであったろう。

このように何時の時代も真偽も分からないのに「ああや、こうや」と嘘の論評をして、その後事実が出ても、その後は平気な顔をして口を拭っている輩は多い。私はこのような人物を本当に軽蔑する。

私は無性にこの太安萬侶の発見された墓を訪ねてみたくなったのである。言ってみれば「古事記の故郷探訪」である。5月3日のことであった。お墓は小高い山の中腹に整備されてあり、結構息がぜいぜいして登って行った。辺り一面茶畑である。お墓のそばに立った時の私は奈良時代にタイムスリップしたように感じた。

発見者は竹西英夫さん、茶の改植中に偶然に発見された。こういう時にこの人はまだご存命かと思ってしまうのが私の性格である。ご自宅はすぐ傍にあり、ご自宅を訪ねた。そうするとご子息は「98歳ですが健在です」と言われた。恐らく安萬侶のご加護を頂いているのではないかと私は思った。


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安萬侶はその墓誌から723年12月15日に亡くなられたと分かった。古事記を編纂して10年後に亡くなったのだ。何歳かはまだ分かってはいないが恐らく40代から50代の働き盛り、当時としては老境の域に入る世代ではなかったか。

 

太安萬侶さんのお墓を訪ねてもう一方の立役者である稗田の阿礼さんを外すのはどうも片手落ちのような気がして急遽大和郡山市の稗田町にある稗田神社に参った。「賣太(めた)神社」が正式なお名前である。この町の出身で阿礼は神様になっておられた。

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神社は女性宮司さんで色々とお話を聞かせて頂いた。大変立派な社で本当に日本という国はこのような神社を拠点に、あるいは歴史上の偉大な人物をお祀りして神社を創建していく。それが日本には80000社もあるという。何と素晴らしい国であろうか。私は太安萬侶さんのお墓と賣太神社の稗田阿礼命に対して「新校舎建設の成功を祈願」したのである。

そのような訳で今年の連休は古事記の息吹に触れる時を過ごした幸せな時を持てた。秋に計画されている芸術鑑賞会は「古事記の世界」の演劇で神社神道の学校として初めての企画である。費用は高くついたが記念企画として実施することに決めている。

我々日本人はもっともっとこの国の事を知らねばならない。そして誇りにしたい。神話に彩られ素晴らしい国つくりを成してきた日本は本当に素晴らしい国である。神社神道を建学の精神に持つ学校として日本史を大切にしたい。それでこそ世界史が理解できるというものだ。



24.6.4 煙草をやめたらどうだ?

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陳腐な表現だが真にもって月日の経つのは早い。ついこの前、卒業していった生徒が「教育実習」で母校に戻ってきた。今年は11名である。今年の実習生はH21年卒業生であるから私が卒業証書を手渡した生徒である。当然、中には良く見知った者もいる。

11名のうち2名が女子であり、初めての女子教育実習生である。6月1日の開講式で私はふと「女子OBの教員が一人くらい居ても良いかな」と思ったりした。2週間、3週間の実習に入っているが頑張って欲しい。

1日の一斉参拝では全校生徒の前で紹介された。皆さん、生徒の前に立つなど初めてでさぞ感無量だったと思う。卒業した時から見れば生徒数が大幅に増えており、中庭に入りきれないので高校3年生は2階廊下から参加だ。この光景を見て驚いたのではないか。

皆から歓迎の拍手を得て嬉しかったに違いない。さすがに教師を目指すくらいだから「装い、立ち振る舞いは立派」であった。私自身も「人間は成長する」ことを実感する。3年前にはこのような感じではなかったが、目の前には立派な大学生となった卒業生が居たことが嬉しかった。

この11名の中に「何名の人間が煙草を吸っているのか?」、ふと思ったりしたのだが、やはり私の感覚では教育に従事する人間は「煙草は吸ってはいけない」と思う。教育の仕事に従事するのであれば「タバコは止めるべき」というのが私の信念である。


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朝日新聞は6月1日の朝刊と6月2日の夕刊トップに禁煙の記事を載せている。連続だ。朝日はどちらかというと禁煙という社会の流れに沿った論調の記事のように思えた。「世は禁煙時代」を本格的に迎えつつあると言ったところか。

1日の記事ではある職場で喫煙者と同じ部屋で受動喫煙を余儀なくされ肺腺がんで夫が死亡、現在労災認定を求めて訴訟を起こしている実例から「職場の全面禁煙の法律が日本には無くて世界的に大きく遅れている」と報じていた。

又「喫煙者不採用」の職場が増えつつあるともあった。長野県の星野リゾートは「タバコを吸う人は正社員には採用しない」と公表している。喫煙場所を作るとその分使えるスペースが減るというのが理由らしい。さすが再生の星野だ。言う事が細かい。

面白い言い方は非喫煙者が「ニコチン中毒の社員を会社は優遇するのか」とアルコール中毒の社員から詰め寄られたら「社員バー」を設置しなければならなくなるからと社長が言っているそうだ。これには笑ってしまった。

広島共立病院でも「禁煙も治療する病院でタバコを吸う人を採用するのは理屈が立たない」という事で採用はしないということらしい。全国初の受動喫煙防止条例を施行した神奈川県では100㎡を超す飲食店の禁煙が進んでいるとの内容もあった。今後「禁煙飲食店は増えていく」との観測記事である。当たり前だろう。

全国的に禁煙条例を検討している自治体は増えているというのが6月2日の記事である。どうも我が国は「国主導とはせず各自治体任せが実態」である。しかし問題提起は海外と同じく国が主導するものだとのコメントもあった。自治体毎で規制に差がつくようなことがあってはならないからである。

ところでて学校現場での禁煙状況はどうなのであろうか。すでに大阪府の公立では「敷地内全面禁煙」であり、本校もすでに全面禁煙である。今後ともこれを変えるつもりはない。そして私は今後「専任教職員に採用する条件に非喫煙者」を正式に付け加える。

今までも実態としてはそのようにしてきたが今後は明文化する。実際現在の事務長や事務職員2名の計3名はすべて非喫煙者である。それを条件にしたからである。事務所の空気が綺麗になった。

そうなれば当然管理職も非喫煙者となってくる。専任教諭が非喫煙者で管理職が「すぱすぱ」では職場の規律は保てないだろう。喫煙者が生徒の前での講話で「タバコはいけません」と普通の感覚では言えない筈である。私が採用した人でない教諭が喫煙者であったら非喫煙者に変わって貰わないと管理職には出来ないということだ。

前述の教育実習生も現在勤務して頂いている常勤講師の先生も本校の専任教諭の椅子に据わりたければ非喫煙者になって貰わないといけない。死んでも煙草は止めないという事であればそれはそれで結構である。但し校内では完全に禁煙して貰わないと就業規則違反となる。

理由は簡単、前述した病院と同じく「生徒に喫煙を吸ってはいけない」と指導する先生が煙草を吸っていて理屈が通るのかということである。「喫煙は病気である。」ニコチン中毒という病気である。百害あって一利もない、この病気を治そうという気概のない人間が教師など勤まる筈がないというのが私の思いなのである。

それに煙草のみは汚い、臭い人が多い。平気で吸殻を路上に捨てる。車を運転しているときは窓を開けて煙を外に掃出し,ぽいと外に捨てる。ああいう光景を見ると本当に腹が立つ。要は身の振る舞いが勝手でだらしない人が多い。

又本校でもいるのだが、学校の門の中は禁煙だから、朝門をくぐる前に思い切って吸いダメして来る。問題はその様な人物が何かの報告などで私の部屋に報告などで入ってきたときが私には地獄となる。

吐く息の臭さと言ったらこれはもう公害である。完全に肺の中の煙草の煙りを私は吸わされている。朝1限目の授業で狭い教室の中で生徒はこのような教員の吐く息を吸わされているのだと思えば生徒が可愛そうである。

教師たる者、もう時代は変わりつつある。「思い切って煙草をやめたらどうか」というのが私の「はっきりした突きつけ」である。自分の健康の為、家族の為、職場の為、生徒の為にも煙草を止めたらどうかと言っているのである。勿論最後通牒ではない。

煙草のみに厳しい世の中になって来ていると考えたらそれは逆だ。もう煙草を吸うことが恥ずかしい行為だと感じねばなるまい。可哀そうだと感じるし、惻隠の情が無いわけではない。しかし私の立場は学校全体の為だ。これは言わねばならないのである。辛いが私の仕事である。

製薬大手のファイザーがインターネットで全国9400人にアンケートをしたところ、「吸うのを止めて欲しいとはっきり言う」比率は3.8%だったという。その場から立ち去る、言いたいが我慢するの合計が92.5%だったという。記事にあった。これが日本の文化だ。しかし私は3.8%の中の「はっきり言う」である。


24.6.2 古い常識人の敗北

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今日は6月2日、今から430年前の今日、戦国の覇者たる織田信長は家臣の明智光秀に討たれた。世に言う「本能寺の変」である。変とは恰好が良い言い方であるが歴史学者の中には「暗殺」と言う人もいる。今日的には「テロ」だろう。

とにかく「信長」という人物に惚れている。坂本龍馬も暗殺された。龍馬も好きだ。大仕事をやり遂げて最後に暗殺されるというのは適切な表現が見つからないが男の死に様としては「格好良い」と思う。理性を超えて感情がそう思わせるのだ。

H24.4.25(水)浪速高校の1年生は春の校外学習の場所として「天王山を歩く」と称して有名な秀吉・光秀の「山崎の合戦」の舞台となった天王山を選択した。これを聞いた私は是非とも一緒に行きたいと思い、同行したのである。このブログはこの時の「留め書き」である。キーワードは「古い常識人の敗北」。

「古い常識人の敗北」、京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある案内看板にあった文言である。1582年(天正10年)6月主君信長を討った明智光秀が羽柴秀吉と戦った「山崎の合戦」という古戦場にある「由緒書きにあった表現」である。作成者は大山崎町教育委員会とあったが、それにしても些か過激な表現ではないか。普通は「役人」たる公務員はこのような表現はしないものだ。しかし私には何かこの表現が印象深く、未だに心に残っている。

 

天下分け目の天王山と言ったりして今でもスポーツや政治などの重要な試合や局面では天王山という言葉を良く使う。山の道に立ててあるは所々の看板には「秀吉の道」なる秀吉賛歌の看板があったが何故か私には「ビクトリーロード」のような感じはしなかった。

陰惨な雰囲気がする険しい山道であった。標高は高々270メートル程度の小高い台地であったが私には光秀の無念さと怨念が今に残る「怨念の道」のような気がした。光秀享年55歳、当時としては初老であろう。「鬼の信長」を下剋上で討ったとは言え、まさか周辺が自分の味方に立ってくれないとは思っていなかったに違いない。


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娘の嫁ぎ先、細川家も応援には来てくれなかった。又各地で敵対する勢力と対峙していた信長旗下の諸将がすぐ動くと思わなかったに違いない。中でもまさか姫路にいる秀吉が「中国大返し」で仇討に飛んでくるとは思わなかったに違いない。すべて彼の常識がなせる想像通りに周辺は動かなかったのである。

戦国武将にしては学門にすぐれ書画和歌を嗜み、雅な朝廷流も理解していたエリートの光秀は「社会を自分の常識で判断した。」その結果として信長に代わる改革者とはなれずに反逆者として竹やりに刺されて殺されたのである。

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戦国時代という混乱の真っ只中において、従来の常識を根底から覆し、新たな価値観を有して変革と新秩序を導入しようとした信長の後継者には「常識人の光秀では不可能」だったと先の教育委員会は言いたかったのだろう。

今回JR山崎駅から出発してJR島本駅に抜けるまさに天王山を踏破するルートを歩いてみて山中に立派な竹藪が散在していることを知った。光秀は落ち武者狩りにあって土民から竹やりに刺され自決をしたと言われているが、今から430年前もこの辺りは竹藪が群集していたのかと思ったりした。

竹という植物は一種独特の雰囲気があって少なくとも華やかという感じではない。精々茶道における「侘び寂び」の世界を演出する材料としての評価くらいではないか。また天王山のルートには野生の寒椿が群生している。ご承知のように椿の花は「ボトリ」と落ちる。


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椿の花は人間の首が落ちるように落下する。従って古来、武士は椿の花を敬遠したという。落下する椿から首をはねられる自分を想像したに違いない。天王山で色褪せ落下した椿を踏んであるくのも殊の外感じるものがあった。



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竹と椿の囲まれた天王山は南北朝や応仁の乱でも戦場になり、近くは明治維新の時も禁門の変や鳥羽伏見の戦いの舞台にもなっている。天王山は古来多くの人間が「戦いで死んだ場所」なのである。こう考えれば「天王山の持つ雰囲気」は分かるような気がする。

「常識」とは哲学的概念であろうが分かり易く言えば「大人が当たり前として持っていなければならない価値観と判断力」と言える。対義語は「非常識」という。「あいつは非常識なところがある」と言われると大人ではないと言われているに等しい。

しかしこの常識というのが難しい。アインシュタインの有名な言葉「常識とは18歳までに精神の底に沈殿した偏見の堆積にすぎない」というのがあるがこの天才だから言えるのであって一般の知能レベルの人間とは別次元の話だと私は思っている。

哲学者の三木清は常識の上位概念として「良識」を定義している。常識人が常識を盾にして非常識を断罪するのに対して常識に疑問を持てる知識を良識としたが、良識だけでは何も変わらないし動かない。今の世は自称他称の良識派と言われている人々の批評やコメントばかりで、これらは世の中を変えるのに「クソの役にも立たない」。

光秀は当時最高の良識派であったに違いない。批評家やコメンテーターに納まっておれば竹槍で刺されることもなかったろうにと思う。彼はトップに立って変革を引っ張っていく器ではなかった。上品な常識人のままでいれば良かったのだ。

学校社会においては長い間、「教員の常識は社会の非常識、社会の常識は教員の非常識」と揶揄されてきたが、最近では保護者の中にも「常識を疑いたくなる言動や場面」が報道等に出てきた。モンスターペアレンツという表現など非常識保護者という類だろう。

今や学校の塀の中は「教員の常識、非常識」と保護者の「常識、非常識」のメルティングポットと化していると言ったら幾分大げさであろうか。加えて大阪府においては「たった一人の男の出現」によって教育行施策も従来の常識が完全に覆された。時代は「非常識」「反常識」なのかも知れない。私は古い常識人の敗北で終わる訳にはいかない!?。「新校舎建設」という大仕事が待っているのだ。

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24.6.1 5月決算理事会

昨日は理事会・評議員会であった。昨年も5月31日だった。何時も「ぎりぎり」のタイミングでの開催だが仕方がない。慎重に作業を進めているからどうしてもこのようになる。又理事、評議員は現役の宮司さんだから「社頭の御用時やお祭り」などがあってお忙しい30名もの方々の予定を頂くのが相当しんどい。それでも90%の出席率だからこれはすごい事だと思っている。


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私立学校法第47条は学校法人に毎会計年度終了後2か月以内に財産目録、賃借対照表、および収支計算書を作成して常にこれを事務所に備え置くことを規定している。言い換えれば「計算書類の作成期限」である。日本の学校の会計年度は4月1日から翌年の3月31日だから毎年5月31日が作成期限という事になる。

私立学校の経営者にとって最も重要な神経の使う作業である。通常「計算書類」あるいは「決算書類」というもので過去1年の経営上すべての数値が明らかになるものだ。当然理事会の業務執行の主体となるもので、従って5月理事会は通称「決算理事会」と言われている。

これに対して3月理事会は「翌年度の予算編成と審議」が主体で「予算理事会」とも言われている。所謂定例理事会である。本校では今年の4月17日に新校舎建設のゼネコン決定のために4月臨時理事会を実施した。

臨時と言っても「急ですが明日理事会を・・・」と理事長が招集するのは好ましくない。あるべき姿は「事前に文書で議題を通告」し正規の会議招集をすることが求められている。例え臨時理事会と言っても手順は大切なのだ。

とにかく定例、臨時いずれの場合も理事会・評議員会というのはまず理事長の最重要の業務で「理事長が総理する」となっているからすべての責任を負う。特に「法令順守」が大切であり、中でも私立学校法、学則、寄付行為に関する事項の業務執行を適正に実施することが仕事である。理事長の仕事は「校長の仕事とは根本的に異なる。」理事長たる者、常に勉強しなければならない。教育法令を知らないような理事長ではまず「持たないだろう」。

計算書類の作成は4つの原則というものがあり、「真実性、複式簿記、明瞭性、継続性」である。私は教員に対しても今まで決算の内容をくどいように説明してきているが、これも又一種の「説明責任」と「指導」である。私立学校に勤めていて自分の学校の経営がどのようになっているのか分かっていない教員では「どうしようもない。」

大体、彼らは基本的に自分に関係ないことを知ろうとも勉強しようともしない。「それは理事会の仕事でしょう!」とただ言うだけだった。そのくせ「学校にはお金がありません、給与を下げざるを得ません」と言おうものなら顔色を変えて理事会に文句を言ってくる。昔は本校でもそうだった。

ここは公立ではない、私立だ。自分たちの学校だ。「自分でお金を稼ぐ算段くらいせよ」と幾分大げさに言って来た。算段がなければ処遇をカットするのは仕方がない。「お金が天から降ってくるわけでもなし」と職員会議で常々言って来たのだった。

本校には居ないが理事長以外に専務理事や常務理事と言われる「学内理事」を置く処は多く、彼らにとって業績が悪ければ予算理事会も決算理事会も「針のむしろ」だと思う。企業では何期も連続して赤字決算であったら上場廃止や経営責任だ。役員報酬など吹っ飛ぶ話である。

又役員数も極力少ない方が良いのは当然だ。意思決定を早くしなければならない。本校では専務理事も常務理事も置いていない。学内理事は私一人だ。役員報酬を支払うのが勿体ないというより本音は意思決定の速さにある。

最後は私が決める。判断を下す。組織にとって「集団指導体制」など有り得ない。無責任の極みだ。最後は一人の人間が決めるものだ。本校はすべて「私が決めるべきものは私が決める。」鉛筆1本、コピー用紙の購入まで私が判断を下すわけではない。しなければならないものは私がするということだ。

学校の悲劇は職員会議の名のもとに教員の挙手ですべてを決めて来たから今日のような学校になってしまった。それは責任が明確でなかったからだ。誰も責任を取らないシステムが職員会議という代物だ。「赤信号皆で渡れば怖くない」という具合なのである。責任を取る人が最終判断をする。世の中では当たり前のことである。

正直私はこの5月決算理事会が極めて心地良い。理事・評議員30名を超える役員の前で事務長の説明、監事の監査報告、公認会計士の監査報告を聞いていると快感に震える感じがする。よくぞここまで来たという感じだ。

3月に予算が終わってから担当は決算の計算書類つくりに入る。その後数回にわたる公認会計士が詳細な監査に入る。伝票一枚一枚チェックされる。その後本校の監事が「業務監査」を行う。そしてそれらが明確になった段階で本日の理事会となるのである。

今年も胸を張って決算を報告出来た。分かり易く言えば「今これだけお金があります」と言えるからなのだが本当につい5年前を振り返って昔日の感がする。世間ではV字回復という言葉があるが浪速の実績は「垂直回復」と言うに近い。

すべては学校改革がもたらした成果である。当初は気苦労もあったが今や教職員がしっかりと自分の持ち場で頑張ってくれている。私が示したベクトルの方向に向かって全員が一致して頑張ったからである。

この5年間生徒数は右肩上がりで今や中高2280名という大世帯になった。大阪府の公的助成も本校にはフォローの風となりようやく長年のというより思いさえなかった「新校舎建設が遂に射程距離」に入ってきたのである。

後5年、後5年頑張ればこの住吉山之内の校地内内の建物は門塀を含めて一新される。高層建物が燦然と輝く新生浪速は生徒保護者の評価を頂いて21世紀の基盤を確固たるものにしよう。30年からは少子化がグングンと進展する。その時に慌てても仕方がない。勝負の時は今なのである。

後の作業は本日の決算の状況をホームページにアップする。これも恐らく府内で最初に自主的に本校が始め、後から府の指導で各校が足並みを揃えるようになった。先駆的役割を本校は果たしたと自負している。最も私も東京の白百合学園のやり方を真似ただけのことであるが。

受験生、保護者は学校の財務状況を見て進学先を決めなさいと言っているのである。逆に言えば学校の財務状況を明らかにして受験生の判断材料の一つにするという考え方である。喜んで入学したが2年後に学校はつぶれてしまったということの無いようにするという行政指導なのである。

昨日も出席してくれた公認会計士が異例というべき「激賞」に近いお言葉で監査報告をしてくれた。「こういう業績改善の例は見たことがない」と言われるのである。本校は優良財務状況の学校になった。だから「新校舎建設が可能」となった。我々の財布の中身は私と教職員が心配する。関係ない人が人の財布の中身まで心配してもらう必要はない。


24.5.31 キズナ プロジェクト

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久しぶりの朗報である。何と本校が国の主催する「北米地域の青少年交流(キズナ強化プロジェクト)」においてアメリカの高校生受け入れ校に決まった。独立行政法人国際交流基金の安藤理事長から正式な依頼文が舞い込んだ。そして過日東京から担当者が来校された。

キズナは原文のママであり日本語の「絆」は今や国際言語キズナになったということか。大震災以来絆がキーワードになってあらゆる場面で使われるようになった。日本政府も味なことをする。

実施部隊は国際交流基金である。外務省所管の専門機関で世界各国との文化交流を企画実践してきた。今回は北米の40の高校から約1000名の高校生を2週間にわたって招聘し様々な文化交流をする。勿論被災地でのボランティア活動も入っているとのこと。

その受け入れ校の一つに本校が選ばれたということだ。勿論私が手を上げないと決まらない話であるが、決めるも何もない。「喜んで受け入れる」とことである。本校と関係深い某団体のトップが実働部隊のローラシアン協会に紹介しトントン拍子に決まったものだ。

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男子11名、女子12名で合計23名、付き添い教師が2名つく。本校にはワイオミング州のKelly Walsh High Schoolで、この高校はこの州で唯一日本語の授業を行っている学校らしい。本校では最も早いタイミングで6月18日から20までの第一陣を受け入れる。

最寄りの空港はデンバーというからアメリカ中西部のローカルな土地柄だ。過日来校された日本ローラシアン協会の担当者が言うには高いビルなど全くない土地柄で電車など高校生は乗ったことがないと言われていた。

大阪府の私学・大学課からも公文書が回ってきた。これにてオーソライズされたと考え、早速受け入れ準備に入ることとした。まず私は当日正門に飾る「星条旗」を用意するよう事務室に言った。こういう時は日ノ丸と星条旗を並んで立てて歓迎の意を表明するのが常識である。

ホームステイを受け入れて頂いた保護者にも学校に来ていただき種々留意すべき事項を確認しておかねばならない。ホストファミリーへの謝礼は1泊につき3000円の国費が支給される。

私は授業、部活動、日本文化など短い期間であるが誠意を持って対応する。武道館でのお茶会などは格好の企画になるに違いない。23名ものアメリカ人高校生が浪速の校内を闊歩すると思えば嬉しい。

「海外語学研修」についても第3回目となるが場所が固まった。結局オーストラリアとした。1回目はニュージーランド、大変良かったのだが例の大地震でやむなくここは中断した。2回目の昨年はロンドンとした。

ロンドンは都会で生徒の人気も大変良かった。特にクリスマスシーズンであったことも幸いし多くの希望者があってそれを専攻して30名弱まで絞った経緯がある。しかしどうも都会的すぎるのと冬のロンドンの寒さに生徒は閉口したらしい。それに修学旅行が今年から英国が一コース加わった。

それで今年はオーストラリアブリスベンにある本格的なインターナショナルカレッジに派遣することとした。本格的は語学研修場所であるのだが今のところどうも生徒の人気が「いまいち」である。昨年の半分くらいの希望者と報告を受けた。

考えられる理由は費用が幾分割高となっており、ロンドンに比べ田舎と言うのもあるのかも知れない。元々案内の段階から「フクロウ奨学金制度」を使って一部費用負担をしたいと思っていたのだが少し誤算であった。本日「テコ入れ」をした。

意欲高い生徒を何とか約30名弱程度は確保したい。行きたいと行かせたいとは微妙に異なる。本校における国際人養成の一つの手段に過ぎないがそれでも海外の個人宅にホームステイして外国の文化に触れながら英語を学ぶことは効果が大きい。

府立高校も英語教育に費用を投じて国際的リーダー養成を図っている。本校も私立高校だけに法人が費用援助して派遣することは当然考えねばならない。12月8日出発で12月30日帰国だ。夏の南半球でじっくりと勉強し成果を上げて欲しいと思うだけに奨学金支給の増額も考える。


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5月19日のPTA総会の後で高校2年生保護者はは11月の海外修学旅行の詰めの説明会に移ってほぼ全容が固まった。フランスはパリ、ドイツはベルリン、アメリカはニューヨーク、イタリアはローマ、英国はロンドン、それの日本の南西諸島の6コースである。

生徒はパスポートもすでに取得しており教員の下見も完了した。第3回目となる今年も成功させたい。無事に行き無事に戻ってくることだ。本校では修学旅行は学年行事ではない、学校行事である。付き添い教員も多く配置し生徒の安全には万全を期している。私はPTA総会でも資料を出して保護者への理解と協力をお願いした。

浪速教育の目指すところの一つに、国語教育と英語教育を重要視している。好き嫌いはあっても今の子どもたちが社会に進出する時代は今以上に英語と言う言語と国際化の精神性が増すことは間違いない。ホンのさわりでも高校時代にそのような環境に浸らせるということだ。保護者から評価頂く声は多い。

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24.5.30 多聞を大切にせよ!

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先週末中学1年生の為の初めての「多聞学習合宿」が行われた、4月のオリエンテーション合宿に続いて2回目である。今回は「保護者の授業参観」も行われた。一昨年から始めたのだが昨年は例の台風12号の影響で中止になってしまった。

私は他の公用があって参加出来なかったが大変良かったという。しかし「良かった、良かった」と教員が言っても詮無いことで保護者の意見をお聞きすることが大切だ。「お客様のお声を聞く」ということである。アンケート結果が管理職に朝会で報告された。列挙してみよう。

中学1年生多聞合宿での授業参観・・保護者のお声代表的なもの:

*テストで点数をとるためだけの学習ではなく、知識を得ることを楽しみにできる授業を期待しています。

*多聞尚学館にとても興味があったので参観を企画していただき、本当にありがとうございました。自然に囲まれとても良い環境ですね。学校とは違った環境で学習に取り組み、意欲がわいてくると思いました。

*子どもがどう過ごしているのか、よくわかりました。子どもが友達と楽しそうにしていたので安心しました。

*2年前より昼食会がスムーズで良かったです。小さい子どもがいるので控え室があって、とても良かった

*山の中で環境が違う場所で集中して勉強出来そうだと感じました。

*食事の準備はとても大変だと思いますが、おいしくいただくことができました。ありがとうございました。

*環境もとても良いのにはびっくりしました。歴史的にもすごい場所なんですね。

*多聞での参観を数回してもらいたい。すばらしい学校です。いろいろと関大コース等で問題になったが、気にする必要ないと思います。もっともっと学習に力を入れる様に頑張ってもらいたい。

*この企画はとても良いと思います。この学校に入れて良かったです。

*都会の喧噪の中と違い、大変落ちついた環境の中での授業はいいものですね。

*環境が良く、日常の学校生活から一時的にも開放された気分になり、リフレッシュしながら勉強に集中できる環境が大変良いと思いました。

*学校とは雰囲気が違い、静かに授業している姿が良かったです。先生方、お疲れさまでした。

*このような学習合宿は、友達どうしとの理解や仲間意識を深めるだけではなく、先生方との一層の信頼関係を深める意味でも有意義に思います。

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私はこの報告を聞いて嬉しくなった。本当に我々は「良いものを手にしているという幸せ感」なのである。もしこれを保有していなかった時のことを考えた時のギャップだ。この施設、本当に大切に使って行かねばならない。これだけは後世の理事会、教職員にきつく伝えておかねばならない。「大切にせよ」と。特に共に苦労して入手したM事務長代理に申し送っておきたい。

このような素晴らしい環境の中で本校から近くゆったりとした学習場所で、何より何時でも使えるというのが嬉しい。ところが建築物である。老朽化していく。当然のことだ。特に冬場の寒さ対策だ。財政的に幾分余裕が出来たので新校舎の資金のことはあるがこの度男子宿舎、女子宿舎を全面補修することとした。これは又別のブログで。

聞くところによると現在準備中のホームページ更新作業において「目玉」(?)となる「浪速シアター728」の第1発目の上映作品はこの保護者参観の動画シーンだという。現在最後の編集段階とのこと。

私は極力短く、短く、何と言っても「タイトルが勝負!」と言っている。長くて固いタイトルでは見て頂く人にすぐ敬遠される。出来れば「テロップ」もあれば良い。最も教員という専門外がやることだから多くをは期待するのは酷であるが、私が嬉しいのは教員が一体となって取り組んでいる姿勢だ。

6月1日スタートとしているが場合によっては動画の部分は少し遅らせても構わないと思っている。著作権とか個人認証の問題とかとにかく慎重に進めることが大切である。生徒は自分が映るのは大好きであるがそうはいかない。

過去数年入試説明会やプレテストに参加してくれた生徒は「どこで本校の情報を知りましたか」との問いに対して「ホームページ」というのがダントツのトップであった。ホームページは大切である。特に「雰囲気を醸し出す動画は効果が大きい」と考えた。


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昨日新たに活動再開するクラブ「写真部」の顧問の教諭に私は強調した。運動部は勝負の結果、茶道部はお茶会、吹奏楽部は演奏会、雅楽部も演奏会、今年新しくスタートする「神楽部」は新春拝賀始業式での舞、それに来年の90周年行事での舞など多く出力が考えられる。

従って写真部も「ホームページに作品をアップする」から頑張れと言ったのだ。コラム名は「生徒の視線」でも「生徒からのメッセージ」でも良い。要は「在校生にもホームページのスペース」を渡そうと考えたのである。入試広報部も賛成してくれた。

このようにして昨秋以来の「思わぬ不意打ちの痛手」を挽回していかねばならない。口まで出ていても「今、私が言えない、書けないこともある。今更言っても詮無いこともある。」私は全く不本意な状況下でベストの選択をした積りだ。

入試広報部は今年から入試広報室から名称を「部に格上げ」した。広報情報委員会の体制も一新した。入試広報部も広報情報委員会も極めて優秀な人材を投入している。傷ついた中学のブランドを取り返すには時間がかかろう。しかし高校では95校のうちトップ5の入学者を数え、某新聞記事には「一部の人気校」に列せられていた。

入試広報部は「先駆け」「先陣」となって頑張って欲しい。あくまで結果はすべて私が負う。大体古来先陣というのは大変名誉なことだ。多くの塾の先生方に「浪速の教育力」「新校舎」「勢い」をご理解頂いて丁寧にご説明申し上げよ。

脚を使った伝統的な、それでいて最も効果ある「塾への訪問」「工夫した入試説明会」、そして最新鋭の広報ツールである「ホームページの充実化」などやらねばならないことは山ほどある。「仕事があるという幸せ」を感じながら頑張って欲しいのだ。



24.5.29 ダメ先生って難題?

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少し古くなるが5月17日の朝刊、朝日の記事である。中々面白い記事内容だったから言及したい。この記者は相当現場を回って実態を聞き、目にして記事にしたのだと思う。従来の朝日の論調の範疇にはあるが多角的アングルで様々な意見を集約している点がとても感じが良かった。

見出しは「ダメ先生って?難題」「不適格の基準で悩む」「排除で学校は良くなるのか」である。またまた橋下徹論の教育版なのだが「不適格教員の排除の仕組み作り」に関しての記事である。インタレスティングであるから私なりに論評をしてみたい。まず記事の中身を抜き出してみよう。同意、不同意は私の意見です。

 

 *不適格教員はゼロから2割まで                                 同意
 *どの先生を不適格か見なすのが難しい                            不同意
 *排除すれば問題は解決するのか                                 解決する
 *保護者に申し立て権を持ってもらうのは一つの方法                 あまり期待できない
 *生徒を言葉で傷つける教員がいる                                居るだろう
 *校長が研修を受けて貰うと言ったら態度を改めた                      居るだろう
 *研修など缶詰にして再教育しても済む話ではない                       同意
 *衆目が一致している不適格教員などいない                            不同意
 *宿題が多いと文句を言う教員は別の保護者では教育熱心な先生     不同意
 *評価が人より正反対になることは少なくない。申し立て権は保護者同士の対立を生む   だけ      不同意
 *どんな組織にも一定数ダメな人はいる。きりがない。                    同意

*教師のつながりが薄まっている。教師の大切なことは知識だけではなく子どもに向き合う姿勢         同意

*世の中は優秀な人ばかりではない。大人も子どもも色々な人間がいるのが現実「その中でどう生きていくのか皆さんにも考えて欲しいのです」等々                                                 同意

私の結論を言います。まず校長にとって「不適格教員って難題」です。この点では公立も私立も違いはなく大変です。不適格教員に対応するだけで校長は消耗します。だから最後は放置している校長が出るのです。これらに対して校長を支援する手立てが必要です。

今まで全くこのようなもの,すなわち校長ツールが学校にはなかった。誰も「学校という塀の中で何が起きているのか」知らなかったし、知らされていなかったのです。戦後60年そこには驚くべく事態が進んでいたのです。だから今日本全国で「学校改革が国民的課題」になっているのです。学校改革とは校長改革であり、教員改革なのです。

もし次の質問があれば「校長の能力次第ではないか?」、以下のように答えましょう。その通りです。校長も得意分野とかがあって不適格教員に不退転の決意で長い間対応できる精神力の強い校長はそう多くいるものではありません。教務に強い、あるいは生徒指導に力があるなど立派な校長先生は多い。

ところが校長の不適格教員への対応には極めて大きな温度差があります。校長のそこを責めても問題の解決にはなりません。不適格教員を想定して校長を当て嵌めているのではないからです。「校長のリーダーシップ」とか言いますがあれはポイントがずれています。校長のリーダーシップですぐ良くなるなど幻想に過ぎません。


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まず「不適格教員の排除は入口議論」であり、数多い学校課題の一つだと整理したら方向を間違います。途中でやりながら解決するという問題ではありません。まずこの入口の部分で、決着つけないとその先に進めないでしょう。その後は「妥協の産物」でまあ小さい改善程度は出来ても社会が校長に期待しているような「大仕事」は出来ませんね。

こうなると結局校長は「鍋蓋のつまみ」に収まっているしかありません。鍋蓋のつまみは結構心地よいものです。不適格教員もちゃんと校長の出番は考えてくれており、その神輿に乗っておれば数年はすぐ任期は過ぎます。転勤か定年退職まで待てば良いのですから。噂では校長室に鍵をかけて出て来ない校長もいるやに聞いています。

「不適格教員の基準で悩む」。私にはこれが不思議でなりません。そもそも基準などの文章にできる代物ではないからです。基準はその時点の校長が決めれば良いだけの話です。それが管理職というものでしょう。ただ教えるのが下手だとか、保護者とうまく話が出来ないとか体罰をしたとか、そのような教員は不適格教員とは言いません。どの学校でもこのような教員は程度の差はあれ、存在するものでこれらを私は不適格教員とは思っていません。

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不適格とはまさに適格でない教員の事で「教師という職業の格」に対してどう考えても「適わない人」の事です。一見、教育論はかざしますが、中身が浅い。全体の為と言いながら結局は自分の事ばかり考えている人です。時に陰湿で姑息、卑怯な手段を平気でとります。

何時まで経っても改善の余地の見込みはありません。学校の進化を阻害し何時までも現状肯定で収入さえ多く入ればそれで良いと思っている連中です。結局は生徒の事など考えていません。自分の事、自分の属している組織の事ばかりしか視野がありません。

改革という言葉に過剰に反応し、理解しようとはしません。まず校長はじめ管理職を敵視して対峙します。凝り固まった偏執的思考をする人です。彼らが好きな言葉はとにかく「権利」とか「人権」です。そのくせ生徒の人権は平気で無視します。

必ずしもイデオロギー論者とは限りません。返って本物のイデオロギー論者は優秀なところがあります。偽イデオロギー論者で勉強していません。うわべばかりで蓄積された見識や人間の香りがしない人です。時に悪い臭気を周囲に放ちます。

生徒のために使う時間は少なくて自分と組織の為に多くを費やします。このような教員はもう思い込んでいますからいくら指導しても無駄です。中には「ヘタレ」がいて記事にあるように「研修を受けさせるぞ」と校長が言えば「ふにゃふにゃ」になる者はいます。

校長の中にはそういう教員に対して気が生来弱く、強く物を言えない人もいます。とにかく不適格教員と話しても、堂々巡りですから、それこそ時間の無駄です。だから校長は消耗するのです。「やっても無駄というのがこの世の中にある」ことを私は学校で知りました。

また一般の教員は学校という塀の中で社会一般から隔離されて生きてきていますから一般常識に欠けるとは言いませんが(ここがまた特色の一つなのですが)「軟弱な面があります」。こういう人々は不適格教員の影響を極めて受けやすいのです。そこが実は問題なのです。

企業であれば不適格社員を排除する企業文化や土壌があるのですが今の学校にはそれは有りません。免疫力が弱いから心の中では不適格教員を軽蔑していても「まあ、いっか」で「付いて行っても損はしない」と踏んで黙る日和見人間が圧倒的に多いからです。

実は不適格教員の狙いはそこなのです。彼らが最も恐れているのは校長ではなくて周辺の日和見教員なのです。選挙で排除され、同僚に軽蔑されるのが一番怖いのです。不適格教員を一旦排除すれば一般教員の中には顔色が輝き人間性を取り戻す人が多いと思います。

不適格教員の排除の論理はまさにここにあるのです。校長の仕事をやり易くする為ではなくて、多くの善良だが小ずるい人々を一般常識の世界に取り戻すという事が大義名分なのです。だから間違いなく排除で学校は良くなります。



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保護者からの申し立て制度はあってもなくても良いのではありませんか。ただ余りそこに期待しない方が良い。これは記事にある通りでしょう。様々な保護者がいますからね。ただ保護者の言い立てなど可愛いものです。

保護者は総論賛成、各論反対と考えておけばまず間違いない。我が子の事となったら今までの意見と全く反対の動きを時にします。「先生、言うことを聞かなかったらバチンとやってください」と言いながら、実はその子をやったら「体罰だ!」と責められるでしょう。不適格教員は決して体罰などしません。自分に損なことはしないのです。

ここで私は一つの意見を出します。ダメ教員を定義し議論するより「良い先生」を定義し議論すべきだと思います。「一体全体良い教師とはどのような教師のことを言うのでしょうか?」。ダメ教師議論より良い教師議論の方が精神的には心地よいはずです。このことは又別のブログで。


24.5.28 I T武装された学校

先週の末に「新校舎建設の機械設備工事」を決めてビッダー各社に通知した。最終的に2社の勝負であったが「株式会社きんでん」さんが落札された。浪速フクロウスタジアム、浪速武道館と素晴らしい電気工事をやってくれた大手である。「ご縁がある」とでも言おうか。

今回の範囲は「空調工事、給排水衛生設備工事」が主体で極めて新校舎の設計に大きな影響を与える工事だ。先に元請として発注した株式会社大林組さんの指揮下に入って良いコンビで頑張って欲しい。大いに期待している。

今、頭を悩ましているのが「システム工事」というのか「情報処理関係」をどこに発注するかである。それぞれの得意分野ごとに分けて発注する方式もあるが元を決めてやる方法もある。ぼつぼつ結論を出さねばならない。

こういうこともあって5月16日、17日の両日東京ビッグサイトで企画された「第3回教育ITソリューションEXPO」に情報処理担当の教員を出張させて勉強してもらった。関西大学社会学部情報処理学科卒の俊英である。

展示会では様々なメディアが参加して取材をしており「電子黒板に注目」が集まっていたという。この先生、電子黒板を熱心に見ていたらなんとNHKから取材を受け、それが翌日のNHK[おはよう日本]で放映されたという。

出張レポートは教科とツールに分けて報告してくれているのだが「E-ラーニング」が主体で要はコンピューターを使った新しい教材開発のソフトである。私が注目したのはVQS社の「コラボ・Eラーニング」システムである。ここ数年小中高すべてで「海外の学校や他府県の学校との交流」を取りいれた実践は増加傾向にあるという。「確かに」と思う。これは元々は「遠隔地との交流学習をサポート」するハードとソフトである。

面白かったのはスパークス社製の「スクールライフ」というもので卒業アルバムをDVD化するシステムである。特徴は「一人一人の生徒が自分の卒業アルバムを3年間かけて作成する」というものである。WEB上で作りながら日記も残すこともできる。

私は早速この会社を読んで一度ヒヤリングするように指示を出した。出入りの写真館さんの顔色が変わりそうな気がするが「時代は進む」。3年かけて「やっとこさ」アブバムも改革したが「生徒が自分で作る」とうところが魅力的である。何時までも旧態依然としたやり方でもあるまい。

電子黒板ではやはり「パナソニック」が群を抜いていたとの報告であった。従来の黒板に比べて明らかに機能が多く、タブレットやインターネットの連携も可能で生徒の興味関心を引き付けることは間違いなさそうとあったが、「教師がどこまで使いこなせるか」が課題である。

パナソニクと言えば「HD映像コミニュケーションシステム」が評判を呼んでいる。テレビ会議システムと言われるものだが別に会議をしなくとも「授業に適用できないか」というものだ。例えば「多聞尚学館と本校」を結んで様々な形が考えられる。浪速祭の実況中継なども面白い。「予備校や塾との連携」も私は視野に入れている。

進学指導に経験豊富で能力高い塾の先生の教室から映像と言葉がまさに臨場感あふれ教室に映像が流れ、電子黒板とセットで集中講義が可能になったらどれほど生徒にとって勉強になるであろうか。教員にも大変参考になる話だ。

私はすべての塾・予備校の形態が今のように自分の教室に生徒を集めて講義をする方式から、逆に生徒が一杯いる学校に照準を当てて講義をするという「サテライト方式」もあるのではないかと考えているのである。前からの持論だ。

学校の教え方は今後様々な形態が現れるのではないか。今の方式は勿論良いし本流だ。しかし新しいやり方も研究しなければなるまい。まさに「不易と流行」である。私が強調している「IT武装化された学校」というのはそういうことをするツールである。新校舎ではこれを目指す。

同時に私は「成績処理システムと入試システム」についても全面更新せよと教務部長と情報処理委員長に指示している。これらは新校舎を待たなくとも今でもできる話である。単体として進めるべしと判断したのである。

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中学校の校名を変えたことを契機に「学校の公式サイトを更新する」こととした。最後の局面を迎えている。「6月1日から試験的に流す」こととしている。時間がなくて少し不満足な部分があるが走りながら手直しすれば良い。

今のホームページは前述した情報処理教育の先生が一人で作成してくれたもので結構気に入っていたが、3年を経過し「頃合い」と考え全面更新を入試広報部と情報処理委員会に指示した。しかし結局学校のホームページはそれほど「変わり映え」はしないものとなった。考えてみたら当たり前なのかもしれない。

それでも私は拘った。特に私が主張したのは「動画を入れる」ことであった。「浪速版ユーチューブ」をサイトに入れるように言ったのである。今回は総まとめ役として卒業生が社長をしているソフト会社に頼んで共に相談しながら作成しているものである。

彼らは考えてくれ「動画サイト」として「浪速シアター728」と題し、動画を入れ込んで呉れるという。MAX3分間程度の動画でも肉声が入った映像は現実味にあふれ本校の理解に役立つのではないかと思ったからである。

どんどん追加していけば何本も蓄積される。たった一回だけの映像はその画面と声が聞こえてくると、「飽きて嫌になったりする」ものだ。長くてはいけない。短いもので良い。映画で言えば「予告編の予告編」みたいな感じで「品揃え」していければ良いと思う。

そのために入試広報部には新しいコンピューターを揃え映像編集ソフトも入れた。ビデオカメラも最新鋭のものも入れた。最初は難しいだろうが頑張ってほしい。最早静止画だけの時代だけではない。そのためには尊門の映画技師を採用しても良いと思っているくらいだ。とにかく今後は動画部分を増やしていく積りだ。

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24.5.26 学院神社と卒業アルバム

学校関係者以外の人にとって「もう学校では卒業アルバムの撮影が山場」というのはいささか驚かれるのではないか。実は現場では3年時の卒業アルバム写真は最終コーナーといったところである。勿論1年生時代や2年生時代のものはすでに選定されており今から3年生時代の写真が撮られて行く。

面白いのは卒業アルバムと言っても卒業式や3学期の写真など一枚もない。精々9月の浪速祭までの写真なのである。従って今撮影しているクラス写真が卒業前の写真という事になる。クラス数が多いので大変だが私は全クラスで担任と並んでクラス単位の卒業アルバム用写真に納まる。

一日に何クラスも撮るので洋服は同じものとなるのだが、私はネクタイだけはクラス単位で変える様にしている。せめてものクラスへの気持ちだ。「それぞれが違う」ということで、同じネクタイでは「やっつけ仕事」みたいで私のスタイルではない。

専属の写真館の社長が「今年で神社前の写真は終わりとなりますね」と言われたがその通りで来年は工事の進捗具合ではこの場所での撮影とはならないのではないか。戦後の風雪に耐えてきた神社ももう残りわずかな時間となって来た。感慨深いものがある。


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「神社は新しい大きなものに作り替える」。家2軒分くらいの費用が掛かるが私はそのようにする。昭和初期に建てられた初代の神社は戦後GHQの指令で撤去させられ変転とした人生を歩んでいる。詳しくは公式メッセージ本校の歴史その21に記述している。

要は初代の神社は撤去させられ2か所の神社を回り、最後は昭和36年今の東住吉にある鷹合神社の本殿に納まって行ったのが昭和40年1月の寒い深夜に出火し消失したのだった。

この初代の学院神社のお社は一般の神社の本殿に納まる位だから大きな立派なものだったと聞く。この話は当時のことをまだ知っておられる長老が私に良く言われた。私は「是非初代のものと同じ大きさのものを用意したい」と決めた。

そして「今の神社は祖霊舎として活用する。今の祖霊舎は大震災で「お社」を流された東北地方の神社に寄贈することで今話を進めている。とにかく一切が流され神社の境内には何もないため小さなお社でも頂ければ大いに感謝だと感激に近い感じで喜ばれている。

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良く皆さんから「大きな楠木はどうするのですか」と聞かれるのが一番辛い。結局私は一本だけ残して他の樹はすべて伐採することとした。苦渋の決断である。樹が巨大すぎて根回し、移動、仮植え、戻し、植樹と何本もの楠の大木は巨費がかかる。数社の見積もりを見て私はビックリしたのだ。

昭和28年から本校を見守ってきた鎮守の杜の神木である楠木はたとえ1本でも歴史を後世に伝えてくれるだろう。他は役目を終わったとして次の世代に引き継ぐのである。神社関係者にお話したら皆さん「それで十分、十分」と言って頂いた。伐採する前は神式で感謝祭をするつもりである。

大林組は神社の盛り土をしてかさ上げを提案してくれた。新校舎の真ん前に真新しいヒキの神社が地上1.5メートルのところに鎮座する。その前を生徒が闊歩する姿を想像するだけで「やる気」になってくる。頑張らねばならない。



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学院神社は30000人以上の卒業生を見守ってきた。中には藤本義一先生や笑福亭釣瓶師匠、俳優の赤井英和さんのような有名人も輩出している。特に大阪府警には幹部クラスが多い。それぞれのお方が持ち場、持ち場で「浪高の卒業生としての誇り」を持って頑張っておられる。学院神社のお加護を頂いているのだと思う。



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