浪速学院理事長・学院長 浪速新時代の幕開け

このページは(学)浪速学院理事長・学院長木村智彦が、新校舎・学院神社jが完成し新たな浪速新時代の幕開けをテーマにお伝えいたします。

28.6.1(水)ブログ終結宣言と感謝の言葉


1hfhfhfg

     
今日は6月1日、「一斉参拝」の日でした。生徒は「夏服に衣替え」、教職員は「クールビズ」です。今日をもって「ブログの終結宣言」をさせて頂きます。私のブログをお読みいただいた全ての皆様に心より感謝申し上げます。ほぼ毎日、グダグダと長い文章で、最後の方は自慢話みたいになり、さぞお読み辛かったと推察しています。しかし後世に「浪速改革」を臨場感を持って正確に伝える為に敢て意図して書きました。全てが真実です。これらのブログは神社基壇に作った「定礎室」に入れます。恐らく何も無ければ100年、200年開けることは無いでしょう。神社とはそういうものですから。例えば300年,500年後に誰かが此処を空けて取り出した時の事を想像してロマンをかきたてています。このブログでこの時代の世相や一つの私立学校の日々の動きを通して教育問題の一端が未来の人に伝われば嬉しい。

2gfrfjyry
3fjrtfyty

 

     思えばブログを書き始めた平成19年(200761日のブログは「浪速校長のブログ開設のご挨拶」として下記の様に書いてありました。要旨のみを記します。
 
“本日、平成19年6月1日にこのブログを立ち上げました。私事で恐縮ですが実は今日、「・・・」を迎えました。”嬉しくもあり、嬉しくもなし”ですが光陰矢の如く、飛ぶように過ぎ去った着任以来の5ヶ月間を思うとき、一入の感慨があります。1月9日、理事長として着任、神経の張り詰めた3ヶ月を経て、4月校長を兼務、これからの2か月間は同窓会、PTA,直接的な生徒との触れあいの中で 使命感・責任感・焦燥感・緊張感など複雑なものがピーク状態を維持しながら5月12日のPTA総会、24日の経営説明職員集会まで続き、(以下中略)
校長として学校ホームページにある正式の「理事長・校長 木村智彦のメッセージ」とは別にこのブログで非公式的なコメントや校務運営の課題などをつれづれ書き連ね、自分自身の考えの整理や考察に活かせれば良いかなと思っています。形を変えた本学院浪速中学校・高等学校の戦略の構築やあるべき形に向かったアプローチなどが、このブログを読まれる方にひょっとしたら気づかれるかも知れませんが、それも又狙いの一つです。形を変えた本校の広報活動の一つと考えています。今日の組織体はそれを率いるリーダーのメッセージが極めて重要な意味を持っており、本校の教職員を代表して保護者、地域、府民の方々に説明責任を果たして行きたいと考えています。そのような意味で私にとって記念の6月1日、今日以降はぼつぼつエネルギーを内部から外部にも割かねばなりません。広報情報委員会の先生に背中を押されてブログというものを書いて見ましたが、どうも勝手が違う感じがしてなりません。大体日記など書いたこともなく、果たして何時まで続くのか?全く自信がありません。“

     と書いたが、結局足かけ10年、実質9年間書き続けたことになります。ブログの軌跡は以下のようになりました。
タイトル         年度             期間        掲載回数
校長日記         平成19年度         19 6120 331  233 
      平成20年度           20
4 121331   370 
                 
平成21年度           21
4 122 331   352 
                 
平成22年度           22
4 122 620   76 
校長ウォッチ               22
7 1221224  147 
新校長日記                   22
8 6221021   45 
視点・論点                  23
1 623 331   75 
                 
平成23年度           23
4 1231027  167 
留め書き         平成24年度           24
5 825 131   195 
新校舎作事・普請覚書 
                 
平成25年度           25
520251221   170 
                 
平成26年度           26
33126 630   68 
  
                      26
9 127 1 8   99 
                                27
31627 331   13 
                 
平成27年度           27
4 127 831   114 
                                27
11 228 331  114 
浪速新時代の幕開け 
                 
平成28年度           28
4 128 6 1   49 
                                               
合計 2287 
                                    
平成2861日現在
延べ2287日書き続けたことになり、総ページ数はA4版で8000ページを超えています。今これを防腐処理の為、簡単な製本にして定礎室に入れます。

 

     広報情報委員会に拠れば、現在の本校のホームページは平成246月に稼働し、現在まで約○○○万ビューのアクセス数(年間平均△△△万ビュー)があり、その中でも私の理事長学院長ブログのアクセスは月間約□万ビュー(年間約□□万ビュー)あるそうで、閲覧者の多くが理事長・学院長ブログを閲覧しているとの事でした。これは個人のブログとしては多い方で入試広報部は私のブログの休止に必ずしも賛成していません。しかし私は「何事も何時かは終わる」として終結宣言をしました。
4yfghfg
5fgthrhtrhty

 

     丁度、現在のホームページは「古臭い」と指摘されており、この際、新校舎・新学院神社の竣工に合わせて一新することとしました。他校と比較して特色のある素晴らしいホームページを2学期中旬頃までには開設予定で、現在のホームページの問題点であるスマートフォン・タブレット対応、法人・高校・中学の別のページが分かりにくく閲覧者が目的のページを探しにくい等を根本的に変える方向で広報情報委員会が検討を進めてくれています。その柱は「動画の多用」と聞いています。学校行事、ICT授業風景、クラブ活動等の雰囲気を動画で伝えるのが主体になるそうで、この時に「理事長・学院長の動画をメッセージ」として伝えたいと提案されています。そうしないと折角の今までのアクセス数が無駄になると言うのです。果たしてどうしたものか、私自身も考えているところです。
6tsdhhte
7dgthethet

 

     それでは皆様、長い間有難うございました。今後とも学校法人浪速学院浪速高等学校・中学校を宜しくご支援下さりますようお願い致します。

28.5.31(火)「決算理事会:最後の最後」


1dhetet

     執務室の後ろの書棚に過去の理事会の資料や議事録が大切に納められている。「正本」は事務長が「耐火庫」に収めて保管しているから私のものは「写し」である。余り見ることはないがそれでも時々チェックの為に利用することがある。今日久し振りにひも解いてみた。私にとって第一回目の理事会は「平成18年12月22日」で、場所は大阪府神社庁の会議室であった。このファイルに詳細な議事録と共に理事会の「会話録」が残っている。議長はM理事長職務代理であった。

2rgdget

 

     職務代理:第一号議案 HM理事長に辞任についてご審議願います。平成18年9月30日付けでHM理事(理事長)より辞任願が提出されていますので、本日付けを持って辞任に同意することと致したいと思いますが如何でしょうか?
各理事:異議なし。
職務代理:続きましてHY理事から平成19年3月31日をもって校長を辞任したい旨の願いが本日提出されましたのでおはかりしたいと思います。HY理事に校長辞任についてご説明をお願いしたいと思います。ただし説明内容は議事録省略とします。
職務代理:おはかりします。HY理事の平成19年3月31日付けの校長辞任について同意することに賛成の方は挙手をお願いします。(略)
職務代理:寄附行為第6条第3項に掲げる理事が欠員になっていますので新たに木村智彦氏を理事に選任したいと思います。
(木村智彦氏略歴配布)
お諮りしたいと思います。木村智彦氏を理事に選任することに賛成の方は挙手願います。
(議長:木村智彦氏に電話で理事就任の承諾を確認)
職務代理:ただいま木村智彦氏から理事就任の確認を戴きましたので報告します。続きまして木村智彦理事を新理事長に選任し平成19年4月1日から浪速高等学校並びに浪速中学校の校長に任命したいと思いますが如何でしょうか。賛成の方は挙手を願います。(略)

粛々と淡々と私は理事長に就任し、年が明けて平成19年4月1日に浪速中学校・高等学校の校長を兼務することが決まった。あれから10年、今日は私にとって42回目の理事会となった。ファイル数は62冊にもなっている。この62冊に全てが記録され「浪速改革の軌跡」として残っている。

3reghtdeht

     「几帳面」という耳なれた言葉が有る。きちんとしているさまや、すみずみまで規則正しくするさまの事をいう。「あの人は几帳面な性格」とかで使う。元々は柱などの角に施した面のことで、方形の角を落として鋭角に削り,その両側に刻みを入れたものから来た言葉だ。即ち「几帳の柱」に用いられたことからいう。私は自らも自覚し、人からも言われるように「几帳面な性格」だと思う。血液型もスーパーがついてスーパーA型の典型的人間だと言われてきた。何事も隅々まできっちりとする。それが私の生き方なのである。仕事の進め方も全くそうだ。どうも几帳面な人間は多くの特徴を有しているみたいで、長所もあれば欠点も目に付くと言われている。全体のイメージとしては悪くは無いのだろうがどうも几帳面は几帳面で有るがゆえに時に物議を醸す。

 4hgtht

 5hhtht

     特徴としてはまず「事前の準備を徹底する」ことか。とにかく物事を始める際には必要なものをきちんと取り揃え、情報をしっかりと集め、「最初から満点を狙って」仕事をする。その為に事前準備を徹底して、徹底してやるという事がある。私は「完璧主義者」であり、「徹底人間」である。次に「綺麗好きで整理整頓が得意」である。例えば使用したものは使い終わったらきっちりと戻してき、散らかった場所を片づけるのも得意である大体洗濯や掃除が好きだ。置き方も雑然とした状態が苦痛なので、何時も決まった場所にミリ単位の正確さで置く。誰かが動かしたりしてもすぐ分かる。

     「仕事の納期とタイミングを極めて重要視する」。重要な仕事の納期についてはしっかりと把握しており、何時までにどの仕事を片づけなければいけないのか、また次の会議ではどういう資料を必要とするのか、そういった部分もしっかりと把握してコントロールする事ができる。寝ていても頭が24時間動いている感じだ。これは特殊な才能であると感じている。しかしこれは加齢と共に少々抜けて来た。時々物忘れをして皆に迷惑をかけていることを知っている。

6hdththt

     更に言えば、「礼儀・礼節」にうるさいかも。逆に言えば礼儀正しさを心得ている。物事に対して「きっちり」としているので、待ち合わせをしても遅れるという事はまずない。また、何かをプレゼントされたりした時には、すぐに「お礼状」を送ったり「お返し」をする。ところが以上のような徹底、完璧、速度、礼節等々が他人に対して威圧感や圧迫感を与えているのだろうと思う。几帳面な人はきっちりとしていて、だらしないという事がまずないのだが、時と場合によってはそれが人に対して窮屈感を与える事があることを自覚している。従って「他人に対して見る目が厳しい」ところがある。実際は優しい人間なのだがその裏返しとして真逆の人や言動に小さな憤懣を覚える時もあった。しかしこれらも年と共に徐々に薄れてきていると思う。私の身近な人間はこのことを知っている。最近は丸くなった、可愛くなったと夜の飲み屋さんで言われることがある。

     今日も理事会を几帳面に執り行った。まず資料作りは手を抜くことは無い。自らが何回も何回も見直して作る。人の書いた資料を自分が読むことなどはない。「人の褌で相撲は取らない」のだ。資料はブログの如きものでも、分かり易く、手を抜くことなく、全責任を持って正直に全てを書く。そして公的な資料は部下の資料も徹底して指導する。最近は皆さん、上手くなったから手直しも少なくなった。秘密会議にしないから一般教職員も出席させて報告させる。今日も30歳の若手事務職員に「ホームページの更新」について報告して貰った。初の理事会デビューである。そして自ら会場をチェックする。机の配置、席の順番等も自らがチェックする。社会的に立派な人ばかりであり席の配置などで失礼があってはならないからだ。まず冒頭先の奉祝祭のDVDを全員で見て感慨に浸った。放映するタイミングは私の「目の合図」で始まった。

8hyjhyj

     そして昨日発刊された神社新報の記事を皆で喜び、理事会に入った。今日の理事会も手前味噌ながら見事に終わった。お土産に「焼き立てパンを10個」づつお持ち帰り頂いた。議題は昨日のブログに書いているが今日の決算を私がゴチャゴチャ書いても仕方がない。重要な5月の決算理事会だけは公認会計士さんに出席して貰ってコメントを戴いている。経営執行者が何かを言うより公的資格を有し、私立学校法で担保された公認会計士の言葉が全てである。今回は以下のようなお言葉を頂いた。感無量であった。これで「実務最後のブログ」が輝いたものになった。明日のブログは「お別れの言葉」となるが最後の最後に私の10年間を以下の様に表現して貰ったことが何よりの喜びであった。

9hhyjyj

 

     “監査報告(浪速学院理事会)
公認会計士の○○です。いつもお世話になっております。まず、監査の結果、平成27年度の学校法人浪速学院の計算書類は適正である旨をご報告させて頂きます。
木村理事長が就任されてからのこの10年間は、まさに「激動の浪速改革」の10年間であります。

私は以前、経営の立て直し過程で、木村理事長のことを日産のカルロス・ゴーン氏と並べて称賛したことがありますが、振り返れば両者の再建の手法は全く異なっていることに気づきます。
ゴーン氏は兎に角経費の削減を優先し、不採算の工場の処分や人員整理による人件費の抑制をし、固定費の引き下げを敢行して、経営のスリム化により利益体質の企業に再建しました。再建の手法の大半はこの種の経営のスリム化によるものであります。

     一方、木村理事長の場合は経営のスリム化ではなく、教育環境を充実し、教育の質を高め、「浪速に通いたい」、「浪速に通わせたい」と生徒さんやその父兄が羨望するような、他校と差別化を図るという戦略であり、まさに「王道の手法」であります。

10ktk
11jkugkk

 

そのために、厳しい資金繰りの中でも、絶えず教育施設の設備投資を継続され、多聞尚学館、ふくろうスタジアム、武道館、そしてこの度完成した新校舎と実に70億円の設備投資をされて来ました。

また、人事面においては、人員整理ではなく適材適所による人事政策により教職員の能力とモチベーションを高め、教育の質を高める方策を採られました。
ここで特筆すべきは、人件費が10年間、年間9億円~10億円にコントロールされていることであります。この10年間で学生生徒数は1200人から2400人に2倍になりました。少子化の逆風下で学生生徒数が2倍になったことだけでも驚異的なことですが、その間人件費が一定であることはそれにも増して驚異的なことであります。つまり、労働生産性が2倍になった訳で、このことは、教職員の皆さまの努力と情熱の賜物であります。

12gku
13tyjuu

 

上述のように、設備投資と人事政策が車の両輪のように非常に上手く噛み合い、浪速の教育の質を高め、学生生徒数が増加し、授業料収入が増加し、その増加した資金を教育投資に向けるという好循環が浪速の再建を果たしました。もはや再建などは飛び越えて、地域ナンバーワンの確固たる地位を築かれるまでになられました。

14yjuyju

 

もう少し、会計数値面でお話しさせて頂きます。10年間に70億円の設備投資をされましたが、27年度末の借入金残高は22億円のみであります。学校経営では大規模な設備投資の際にはその資金の大半を借入金で賄うのが一般的ですので、浪速の財務体質は超優良であります。また、借入金22億円をわずか5年で返済する計画ですが、油断大敵ですが、十分可能であると思われます。

27年度は当年度消費収支差額が8億円の赤字ですが、新校舎完成による基本金組入額が14億円ありますから、実質6億円の黒字であり、また繰越消費収支差額も2億円の黒字でありますから全く問題はありません。

 15yhjukju

最後に、この度の新校舎と新学院神社の完成をお喜び申し上げますと共に、新たに始まる「浪速改革」の第2ステージのご成功と浪速学院のご発展を祈念いたしまして、ご報告とさせて頂きます。


28.5.30(月)27年度決算から

1gfhjfruk

     
「謦咳(けいがい)に接する」という言葉が有る。「謦」も「咳」もせきの意味で、「謦咳」とはせきばらいのことである。謦咳に接する、触れるとは、間近でせきばらいを聞けるだけで幸せであるという意味から、尊敬する人と直接会ったり、話を聞くことを敬って言う言葉となった。出典「荘子」とされる。昨日私はまさに尊敬する人の謦咳に触れて来た。「米寿」のお祝いであった。我々がお祝いをしなければならない立場だが逆にお招きを賜り、久々に先生のお話を聞く事が出来た。大阪府では大変に有名な教育者であり、最後は羽曳野市の教育長を長く務められた。私の大学の大先輩でもあり、これは後で知ったのだが浪速中学校の副校長として4年間在職されたこともある。一時期体調を崩され心配したが昨日はお酒も飲まれ食欲もあった。しかし感心するのはその知力である。20名のご来客がスピーチで先生の頭脳明晰さを称賛して
いたが昨日のお話の端々にそれを感じた。

2hyuguhuji

 

     先生は次の目標は「100歳」まで生きると宣言された。「還暦」(61歳)、「古希」(70歳)、「喜寿」(77歳)、「傘寿」(80歳)、「米寿」(88歳)、「卒寿」(90歳)、「白寿」(99歳)、「茶寿」(108歳)、「皇寿」(111歳)と先生は用意された資料に書かれていた。ひょっとしたら111歳まで生きようとされているのかと私は微笑んだのである。ギネス世界記録2014によれば、日本人の平均寿命は、男性が80.1歳、女性が87.2歳、男女平均が83.7歳と発表しているが、それによると最も平均寿命の長い国は日本で83.7歳で193カ国中1位と言う。先生の御姿を見る限り、ご長寿の方はまず体力、気力が素晴らしいが昨日気づいたのは「知力」も重要だということであった。先生は大変勉強家であり、今でも常に外部に論文などを発信されており外部とのつながりと責任を持つことが長寿には必要なことを証明している。

3rtt

4rryry

     明日の理事会の資料を作成した。5月理事会は「決算理事会」で極めて重要である。27年度決算と先に3月理事会で決まった「28年度予算」を詳細見比べながら大きな経営上の課題を整理し考えを深めた。その結果今年の28年度の実行が極めて大きな分水嶺になり、少し予断を許さないことが分かった。私は28年度から5年間を「特別努力年間」として特に「人件費の抑制」を図ることが必要との数値上の結論を見たのである。まず今日の法人朝会でこの旨を法人スタッフに伝え再度数値的チェックした。その後昼に入試広報部の会合を開き「考えるところ」を全員に伝えた。そして午後の「校務運営委員会」で幹部教員にそのテーマを詳細説明したのである。管理職の朝会では急遽6月2日に職員会議を開き31日の理事会の模様と結論をなるべく早く教職員に伝えることとした。何時の時代も変わることなく組織はその組織を構成する人々の人件費で死命が決まる。経費や消耗品などはどうでも良い。とにかく人件費である。

5fgtgt

     10年間教職員が苦労してお金を貯め、新校舎を建設し、新神社を造営した。最早草木一本、石ころ一個昔の物は無くなった。浪速は新しい時代に突入した。しかし正直大きな負債を抱えた状況には変わりはない。7年後には開校100年を迎える。それだけに平成35年までには負債を年間支払いながらその上で完全に返済するだけの特定資金を積み上げ、後は創立100年の記念事業の為に資金を貯める。今の浪速の勢いを間違って受け止め、すでにすべては終わったと錯覚して「弛んで」貰っては困る。その為には「少数精鋭を遵守」することだ。それが嫌なら「ワークシェアリング」をするしか方法は無い。

6hhh

     私は資料に次のように書いた。
しかし人件費の総額は改革以来初めて○○億円台になった。これは要注意である。それでも人件費比率は○○.○%と5年連続で○○%を割り込んでいるが28年度は更に人件費は上がる見込みであり、今まで少数精鋭で売上高を伸ばしてきた超優良企業の体質に変化がみられる。来年度は大人数である現高校3年生の789人が卒業していくので今後は如何に帰属収入を高位にキープするか、すなわち生徒募集と如何に人件費を抑制するか、工夫が必要である。経営上の今後の目標は○○億円(理事長個人の連帯保証の私学財団からの融資)の負債額を少なくとも平成32年には返済用特定資産としての資金を積み増し、その金額が私学財団への借入金の残高よりも多くなり、何時でも完全返済が可能になる状態を実現することである。
その為に28年から32年までの5年間を「特別努力年間」として全教職員が有る程度の「我慢」をして目標完遂に努力する必要がある。確実かつ戦略的な経営計画は15年の融資返済期間をわずか5年に短縮することを実現する為に原則として以下の方針で臨む。
 ① 29年度入学者数目標 
 ② 教育環境の一新に伴う授業料の改定検討
 ③ 業務のやり方の見直し  ワークシェアか少数精鋭か、服務規律
 ④ 常勤、非常勤教職員の雇用期間、原則3年間MAX
 ⑤ 本校定年年齢を超えた教職員の雇用期間の制限設置

7yyuu

   8ghhhh

     明日の理事会の議題は最終的に次のようなものになった。
(1)理事長より
 「人経営と校務運営の理事長・学院長総括報告と提議・審議」について
(2)理事長の総括報告・提議・審議を受けての各種報告について
 平成27年度決算()(資料1)並びに平成27年度事業報告()(資料2) 
 平成27年度決算に係る監査報告及び公認会計士による総括 口頭
 学校自己評価について(資料4) 
 高校 授業料等検討経過(資料5) 
 本学院公式WEBサイトの刷新について(資料6) 
(3)その他  略

9hhhh

28.5.28(土)オバマ大統領広島へ

1rtyy

     「アメリカ合衆国のオバマ大統領」が人類最初の被爆地、広島の地に初めて降り立った。現職の大統領としては初めてのことである。この歴史的瞬間を見る為、私は夕方テレビに釘付けになり、大統領の「一挙手一投足」を眺めていた。今朝の朝刊は当然ながらトップ記事で、紙面も何ページも使い細かく報道していた。広島県出身の私は小さい頃から良く行った平和公園を大統領と安倍総理が歩く姿をこのタイミングで見られるとは思わなかっただけに実に感慨深かったし感動すら覚えた。

 2errr

3ffgg

     大統領のスピーチは素晴らしかったと思う。テレビや新聞では「謝罪が無かった」とかあれこれ言っている人がいるが、謝罪すれば72年前に戻る。「じゃ、真珠湾はどうなんだ」と。まずは「第一歩」である。核の無い世界は当然追求していくべきであるが、世界の秩序を見れば、そう簡単な話ではない。アメリカ国内の世論も見ながら最大限に日本国民、被爆者に配慮のあった歴史に残る演説だったと思う。それにしても「アメリカの大統領とは何たるか」をテレビから多くの日本国民は学び、又日本国民の「寛恕」の精神の素晴らしさを世界に発信した。それにしても彼は見るからに頭脳明晰な感じがした。それに「カッコ良い」。問題は後8か月後の迫った次期大統領だ。若しドナルド・トランプ氏になれば日本は大変なことになる。こっちの方が心配である。

4gggg
 

5tgfgg

     朝早くに高校自治会の会長と文化部長、中学校の生徒会長が9月の浪速祭の準備に入ると挨拶に来てくれた。ロゴは前にも触れたが「新浪速物語」「半世紀の時を重ねて、新たに始まる浪速祭の歴史」の意味を説明してくれた。私は大いに賛同し、応援を惜しまないと言明した。役員生徒は「破顔」で喜んでくれた。ただ「新校舎は美しく使いましょうね」述べ、新しい企画で「お祭りらしい新浪速祭を期待したい」と言ってあげた。模擬店はグランドだけにし、校舎内では火器の使用や厳禁とする旨も伝えたのである。

6ggg

7ggg

     秘書が予てから私が依頼していた本年4月採用の常勤講師の先生方の「500字作文」を取り揃え、ファイルとして持って来てくれた。昨日27日の12時が提出締切であったが全ての先生が厳守で提出してくれた。メールで直接入って来ていたから既に読んでいたものもあったが、再度連続して30件を熟読した。しかし正直若干の落胆を禁じ得なかった。校舎が素晴らしい、ペーパーレスが素晴らしい、教職員が親切だとか「感嘆」「驚愕」の記述はあるが決意、覚悟、謙虚、特にブログからの学習、勉強などが伝わって来ない少作文が多く見えた。これでは駄目だ。理事長・学院長に観て貰う折角のチャンスを生かすためにどのように文章の起承転結を設計して訴えるか、熟慮して作らないとこれではまだ学生の作文が多かった。私はこの集団の中から専任採用を考えているだけに本格的就職を考えている若者の作文としては残念である。新校舎も竣功し「新しい時代」に入った。後5年間は少なくとも少数精鋭で頑張らねばならない。30件の作文の中で敢て、敢て及第点かなと感じた作文5件を転載しよう。この人たちはブログから学んでいる。

8hhhh

     A:先日は盛大な会にお招きいただきありがとうございました。また、ご祝儀、引き出物、551の豚まんとたくさんのおもてなしに感激いたしました。本当にありがとうございました。以下、標題の件について送らせていただきます。
4
月から勤務して約2ヶ月が経ちましたが、まだまだ規模の大きさに驚き、初めてのことばかりで戸惑うことばかりです。ですが、管理職の先生方をはじめ教職員のみなさまに丁寧に指導していただき、高校の教員として何を知り、どう動くべきかが少しずつわかってきたように感じています。
私は、私立学校を経験することが初めてで、私立学校とはどういうものかをブログを中心に日々勉強させていただいています。特に竣功奉祝祭当日と奉祝祭に関するブログを読ませていただき、学院長先生をはじめとした浪高関係者の方々のご尽力、どれだけの思いでこの浪速高校を創り上げてこられたのかが、神社関係の方々の祝辞からもひしひしと伝わってきました。そしてただ毎日働くのではなく、浪速をさらに発展させるために、新たな歴史を長くつないでいくために私もピースの1つになれるよう努力を重ねなければと強く思いました。
今後の学校は「教員で栄え、教員で滅びる」。まさにそのとおりだと思います。今、たくさんの生徒とかかわることができ、教員になってよかったと実感しているとともに、若い自分に課せられた責任をしっかりと受け留め、日日是好日に感謝しながら真の教員になれるよう学び続けていこうと思います。

9jjjj

     B:このたびは奉祝祭慰労会並びに歓送迎会というすばらしい催しをしていただき、誠にありがとうございました。失礼ではありますが、メールでの感謝並びに感想文を送付させていただきます。
本校に約二ヵ月勤務し、驚かされることが多々あります。まず、職員室の広さ、校舎のきれいさ、学院神社の荘厳さなど来賓の方々がもつ印象は浪速高校の象徴になっていくと思いました。
つぎに、先輩の先生方がICTを使って授業をされていることです。本校はICTの最先端設備があるというだけではなく、それを駆使しているといったところです。私もまだまだ勉強中ではありますが、上手く駆使できるよう精進していきたいです。
最後にまだ働いて間もなく、右も左もわからないような未熟者ですが、今後の意気込みをさせていただきます。理事長先生がブログなどでも常におっしゃられているように、社会で活躍できるような生徒を送り出していかなければならないと思います。英語力の向上もその一つであると思います。私は国語科であるので討論・議論の場というものを授業で作っていきたいと思います。言葉を使えるだけではなく、言葉を使いこなせるようにする授業作りというのが私の目標です。
百周年記念に向けこの浪速で日々精進して参りますのでよろしくお願いいたします。

10kkjkj

     C:浪速学院に勤務させて頂き、本日で57日目となりました。浪速学院に努め、木村理事長先生をはじめ、先生方にご指導していただく中で、教員にとって大切なことは、「生徒達に何を伝えるかという志」と「己を高める不断の努力」であると感じました。木村理事長先生のブログ中で「志と努力」のためには、「謙虚」であること、「素直」であることが大切であることが大切であると拝読させて頂きました。教員1年目の私にとって、多くの諸先生方のご指導を真摯に受け止め、謙虚に素直に学ぶことが肝要であると感じております。今、私が取り組んでいることは、毎朝生徒一人一人に積極的に挨拶をすることと、徹底した生徒の提出物と補習授業です。まだまだ教科指導力が十分でない私では、生徒一人一人に十分な理解を促す授業は実施できておりません。だからこそ、朝の挨拶で生徒のコミュニケーションを取り、授業で不足している部分は提出物の管理や補習授業で生徒と寄り添い、生徒の目線に立つことを心がけて指導しております。
1
日でも早く浪速教育に貢献ができるよう「志」を持って「努力」していく所存です。まだまだ力不足の点が見受けられますが、よろしくお願いします。

11ggg

     D:私が浪速高校に来てまず感じたことは、教員同士の仲が良く様々なことを聞ける環境にあるということ、生徒は明るく、関わってきてくれるということを感じました。年度初めのオリエンテーションで理事長先生が仰られた言葉が2点、心に響いております。
1つは「教員の原点は教科指導である」という言葉です。私は今年度で教員6年目になります。本年度は高校1年生と2年生のⅠ類(理系)、6年一貫コースの物理を任せていただいております。年度により生徒の状況も変わります、センター試験、2次試験の傾向も変わります。慢心をせず、常に向上心を持ち、理系を目指す生徒を更に増やしていきたいと考えております。
2つめは「学歴ではなく、人間性を見る」とのお言葉です。私は正直学歴に対して少しコンプレックスを持っていました。有名国公立大学ではなく、少し有名な私学大学であります。今までの教員生活で周りの先生方の学歴などを見るたびに不安などを感じていましたが、理事長先生のこのお言葉で自分に自信を持つことができました。
私の授業の目標は「原理からの理解・楽しく・身近な体験からの学習」です。理事長先生のブログにある「すべからく職業人はその道のプロたるべし」という言葉を胸に、私は理科(物理)の職人として、初心を忘れず、生徒に信頼される教員を目指しこれから精進していく覚悟であります。

12rtrgf

     E:先日は,素敵な歓送迎会にお招き頂き,ありがとうございます。おかげ様で,普段お話しする機会のない先生方とも交流ができ,大変有意義で楽しい時間を過ごすことができました。さて,新任常勤教職員「所感」等送付依頼の件ですが,以下に記載させて頂きます。また,同じ文章をワードでも添付させて頂きます。乱文ではありますが,一読の程,よろしくお願い致します。
浪速学院の常勤教師に着任させて頂き,はや2ヶ月が過ぎようとしています。大学院を卒業した後,専業主婦を経てから初めての教員生活だったので,この2カ月は毎日が学びの連続であり,とても密度の濃い時間を過ごさせて頂いています。
特に生徒と向き合っていると,教科指導,生活指導のどちらにおいても,自身と生徒の価値観や視点の違いに気付かされる機会が多々あり,学習の毎日であることを身にしみて実感しています。また,生徒の多種多様な考え方を模索し,先輩の先生方に助言を頂きながら,教員と生徒というより同じ人間として向き合うことで,私自身も成長していけるのだと痛感しています。 
理事長先生が職員会議やブログで言及された「英語教員に英検準1級またはTOEICスコア730点以上を課す」旨から,ゴールのない教育の世界において現状で考えうる最善の状態を求める理事長先生の姿勢が窺え,強く衝撃を受けました。私の担当する理科には,TOEIC等のように実力を示すような資格はありませんが,現状に満足せず,常に向上心を持ちながら業務に励もうと思います。
微力ですが,浪速学院の発展に貢献できるよう頑張りますので,今後もご指導とご鞭撻の程,よろしくお願いします。     

 

28.5.27(金)伊勢志摩サミット

1we

     
小雨がそぼふる早朝の校内、特に神社前広場は美しい。私は雨が好きになった。床のブロックが水を含み、しっとりとして何とも言えない雰囲気を醸し出す。雨が降ると何時もの中央広場を歩かず、屋根のある回廊の始まりに車は停まり、私は回廊を歩く。靴音が吹き抜けの天井に「コツ、コツ」と響き、得も言われぬ心地よい一時である。私の側に居るのは守衛さんだけであり、「ただ一人」と言うのが良い。神社が徐々に近づいてきて「円柱」の向こうに「松の木」が一本目に入ってくる。その向こうに鎮座まします神殿の金箔が目に眩しい。ここにもあそこにも多くの人との思い出が詰まっており、それを思い出すのが私の至福の時である。

2we

 

     遂に「伊勢志摩サミット」が始まった。世界をリードしている先進七か国の首脳が伊勢神宮の宇治橋を渡り内宮の境内を歩く様をテレビは幾度となく放映していた。浪速にとっては見慣れた場所であり、先導されている神職は、よく存じ上げているお方である。今、私は言いようもない充実感に囚われている。ここ最近の私のブログは「奉祝祭、伊勢、奉祝祭、伊勢、・・」ばかりで読者の方は些かうんざり気味だと推察するが、是もまた「運命」と思うしかない。「ご神恩」を間違いなく頂いているのだ。60年以上の長きに亘って「伊勢修養学舎」を継続し、「鳥居」を戴き、「竣功奉祝祭」には神宮様から重要な役職者が参列された。そして「神社本庁から功労賞」を戴いたその時にサミットが伊勢で開かれた。そして今日の午後、アメリカ合衆国大統領が初めて被爆地の広島に降り立つのである。広島出身の私にとっても実に感慨深い。

 

 3we

4we

5we

6we

7we

 

     事務室が神社本庁からの表彰状を額に入れてくれた。後にも先にも神社界以外で表彰の栄に属したのは私が始めてだと言う。鼉太鼓の前で一枚撮ってくれた。これをロビーの表彰台に飾ってくれた。生徒の部活動表彰の場だが、私にとって部活動みたいなものと考えればまあ良いかと思っている。これは単に私が代表というだけでこの間10年間の教職員が勝ち取った優勝の表彰状である。今日も私は自ら31日の理事会・評議員会の資料を作りながらこの10年の軌跡を思い出している。特に校務運営においてナンバー2のポジションで私を補佐してくれた筆頭副校長を思い出す。Sさん、Kさん、Oさん、Tさん、そして今のMさんだ。特にSさんとKさんは先の奉祝祭で「ちらっ」とお会いしたがさぞかし喜んでくれているだろう。

 8we

     昨日の夕刊から新聞各紙を手元に残し、保存し始めた。6月1日までの新聞を「定礎室」に入れる。200年後、ひょっとしたら300年後まで誰も開ける事の出来ない暗渠に私は本校の歴史を語るものとして伊勢志摩サミット、オバマ大統領の広島訪問の記事で埋まった新聞を残す。このブログも後31日の理事会・評議員会の記録で遂に終焉する。後数日となった。ブログも腐食防止の処理を行い後世に残す。後は現在流通している紙幣や硬貨であるがこれは簡単な話だ。教職員名簿も残しておきたい。アルバムも残しておきたいと思う。タイムカプセルであるが、私の10年の歴史をここに閉じ込め、私自身も新たな出発をしなければならない。大きな節目になる。

 9we

     組織人にとって「上昇志向」を持つことは、悪い事ではない。それは一般的に成功をもたらす可能性が高いからである。上昇志向が無い人間は有る面、「能天気」みたいな思考をし、「我関せず」の姿勢に時々うらやましい気もするが、私は評価しない。組織に属さない人間は余程の本人の努力が無い限り「唯我独尊」に陥り、単なる「馬鹿な批判者、評論家」で終わる。「社会とのつながり」で人は常識を身に着け育つものだ。社会の一員だと思えばこそそこに意思が出てくる。「意思とは成長の証し」である。上昇志向とは言いかえれば「意思の実現」である。組織の中で上昇志向を持つことは悪いことではない。ただ実力も無いのに上昇志向だけが前面に出ている人は、これはもう「漫画」であり、論外だ。実力を高めるには努力しかない。努力、努力だ。

10we

 

     ところが学校の先生には基本的に上昇志向はない。持たない?持てない?戦後の教員文化はそれを否定してきたと言える。教員は「なべの底」であり皆が平等でありフラットだという特定の勢力が流布した間違った観念が支配していた。校長や教頭などは「見た目管理職」であったが社会でいうところの管理職ではなかった。単なる「フォッチキス」で資料を閉じるだけの人であった。改革などの言葉は禁句であった。昨日まで国旗国歌反対叫んでいた人が今日から管理職だと言っても、誰もがまともに言う事を聞こうなどとは有り得ない話だった。肝心の本人もそのように思っていたのではないか。

     大阪でも日本全体でも公立学校で校長や教頭に手を挙げる人は少ないのはそこに要因があったからである。困った教育委員会は民間に手を差し出し、人を探した。それが民間人校長だ。しかしこれも大きなうねりにはならなかった。リストラされたサラリーマンが「校長という響きの良さ」に惹かれて「ちょっとやってみるか」と手を挙げて務まるほど容易い仕事ではない。「公募が失敗」だった。私はここ数年管理職の育成に腐心してきた。そしてようやく育って来つつある。本校において過去に有った様に、他校でもちょくちょくあった様に管理職で学校が沈没することになってはいけないからである。今でも心配でならない。

11we

     そしてようやく内部から人材が育って来つつある。今をしのげば中堅の世代で人材は複数いる。その繋ぎに外部から素晴らしい可能性を秘めた人材を「金の草鞋」で探してきた。失敗をさせる訳には行かないから現在特訓中である。やってくれるだろう。その後においては「初めて内部から新しい校長が生まれる」可能性がある。組織にとって最も理想的なことは内部からトップが出る事である。その為には「良い意味で上昇志向を有する責任感高い人材」を育てて行かねばならない。最後の私の次の大きな仕事は「次の次の校長の育成」である。その為に副校長の育成であり教頭の育成だ。公立は意図的に廃校さえしなければ学校は潰れる事は無いが私立はいとも簡単に募集停止に追い込まれる。まずこの状況を生み出さないために教職員のリーダーとして教頭や副校長、校長など校務運営を担う役職者を育てなければならない。ここさえしっかりしておれば余程の事が無い限り潰れることはない。

12we

     ところが本校ではそうではなかった。適切な校務運営と最適な学校経営が両立したとは言えない不幸な時代が続いた。資金も底をつき危うい段階までいった。今後この状況が来ないとも限らない。適切な校務と経営の「車の両輪」を今後とも保つことが必須である。どちらか一方の車輪がすり減ったり傾いたりすれば車は立ち何処に立ち往生するだろう。校務運営の方は何とか目途が立ち候補者を育てて行けば私の目の黒い内は何とかなる。その後の事は知らない。ただ「経営」については基本的に校務運営の校長や副校長では不可能である。求められる資質が全然違うからだ。そう簡単に経営など出来ない。

13we
 

     尊敬する本校理事の寺井名誉理事長が83歳で大阪神社庁の庁長をご退任された。この6月末には神社本庁常務理事もご退任されることが内定されたと言う。立派なお仕事をされ、立派な後継者に引き継がれた。素晴らしい引き際である。「男は引き際」が大切である。先生は私に対して「自分の年まで頑張ってくれ」と言われるが、さすれば後13年は仕事をしなければならない。それは無理としても何とか100周年まで身体が持ってくれればと思う。100周年はあと7年後である。5年以内に共済事業団の融資分を資産積み増しし、その後2年あれば新「浪速アリーナ」は現実のものとなろう。暫くは体はゆっくりとさせながら、「次の一手」を今考えているところである。これが上昇志向である。

14we

15we

 

 

 

 

 

28.5.26(木)神社本庁からの顕彰2

 1we

     本庁設立70周年の記念式典は私にとって驚愕に近いものであった。「天皇家の人々」が舞台中央にお据わりになり、「式典の形」が既に「様式美」としては完成されていた。式典はこのように美しくないといけないなと今更ながら悟った。壇上に本廰統理の北白川氏のご案内で池田厚子様が、次に本廰田中総長のご先導で秋篠宮殿下、妃殿下がご臨場になられた。極めて多く居並んだご来賓の筆頭は菅内閣官房長官である。まず戦後物故された神職の人々を慰霊される「神事」が厳かに行われ、その後「表彰伝達」であった。まず主催者を代表して神社本庁の総裁である池田厚子様が自らご挨拶をされた。その後秋篠宮殿下が「お言葉」を述べられ、ご來賓の祝辞へと続いた。まず菅官房長官、その後伊勢神宮大宮司の鷹司尚武氏であった。その他壇上には今回「長老」と言う最高の栄誉を与えられた先の神宮少宮司で崇敬会理事長の髙城治延氏であった。

2we

3we

     私は今回の式典で重職にある方々が本校と関係の深い方々ばかりに驚き、喜んだ。統理の北白川氏とは昨日のブログで言及したように「学院神楽尚学の舞」で極めて深い関係がある。田中総長は先の奉祝祭で祝辞を賜ったお方だ。又今回の表彰で最高の栄誉を賜ったのは崇敬会理事長の髙城氏にも先の奉祝祭でご祝辞を賜った。そして大宮司の鷹司氏からは鳥居を戴き26年にはこの方から私は特別表彰を戴いた。壇上には本校の名誉理事長の寺井先生がナンバー4の席順で並んでおられる。私は如何に本校が人的ネットワークにおいても恵まれているかを思い知った。私も教職員も生徒も保護者も神社神道系の学校であるということをもっと誇りにして良いとつくづくと感じたのである。

4we

 

     私が神社本庁から戴いた「表彰状」は神社本庁総裁の池田厚子様からであった。統理の北白川道久氏では無かったのである。池田厚子様が自ら壇上にお座りになりそれを統理が代読の形であった。私は帰って調べてみると確かに「神社本庁憲章」に基づき、総裁という職位があったのである。神社本庁の名誉を象徴し、表彰を行なう職位である。それを現在は伊勢神宮の祭主であらせられる池田厚子様が務められているのであった。「統理」は憲章に基づき、神社本庁を総理し代表し現在は北白川道久氏である。そして宗教法人神社本庁の規則である「神社本庁庁規」に基づく宗教法人としての代表役員は総長であり現任は石清水八幡宮宮司で京都府神社庁長・田中恆清氏が就任されている。

5we

     池田 厚子(193137 - )様は、日本の元皇族で昭和天皇と香淳皇后の第四皇女である。旧名、順宮厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)で故池田隆政氏夫人。夫の隆政氏は備前国岡山藩主の家系で、隆政の父宣政は元侯爵。今上天皇・常陸宮正仁親王の姉にあたられる。姉の鷹司和子様の退任を受け、1988年(昭和63年)より神宮祭主を務められている。2012年(平成24年)426日、補佐役に姪の黒田清子様が臨時祭主に就任された。従って先の第62回式年遷宮の時は祭主として黒田様がご奉仕されたのである。壇上では少し足腰が弱っておられる様子であったが自ら足を運ばれ全体的に物静かな貴婦人という風情であった。性格は些か華美で有名な妹の島津貴子様とは対照的に控えめで何事も目立つことを避け、相手から話かけない限り喋らないなど物静かな婦人と言われている。

6we

7we

     この池田厚子様から戴いた賞状には次のように書かれてあった。
                                            
表彰状
あなたは常に神社神道の宣揚教化又は神社の興隆に力を效し斯道のために寄与せられた功績は多大なものがあります
仍て茲に神社本庁設立七十周年記念式典に当り記念品を贈呈し
その功績を顕彰します
平成二十八年五月二十五日
   神社本庁総裁 池 田 厚 子
木 村 智 彦 殿

8we

     記念品は「印鑑箱」か「小物入れ」に使える黒漆塗りの小箱であった。蓋の中央部「菊の紋入り」である。菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)は、キク科キク属のキク(菊)を図案化した菊紋のうち、特に花の部分を中心に図案化した家紋のことである。菊花紋、菊の御紋ともいう。菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である十六八重表菊は、日本の天皇および皇室を表す紋章であり、俗に菊の御紋とも呼ばれる。勿論小箱の菊紋は神社本庁の紋であり、モディファイされた16文様である。これは将来私が浪速に務めた記念品になるなと私は思った。

9we
10we

 

     それにしても本校理事で名誉理事長である大阪天満宮の寺井宮司は本庁の常務理事であるのだが、式典の開会を宣言され、最後には宣言案を壇上で延べると大役を見事にされたことだった。私は鼻が高くなり嬉しくて仕方がなかった。全会一致で採択されたこの宣言が日本の神社界の思想を如実に示している。皇室も伊勢神宮も内閣もすべての要職にある方々、そして全国8万のお社の代表者が拍手で以て採択したのである。寺井宮司と言う全国区の素晴らしいお人とこの10年仕事が出来て本当に幸運だった。心から感謝申し上げたい。

11we

 

     宣 言
  神社界は終戦直後、GHQの占領政策により存続の危機に直面し、神社存立と道統の護持を目的に全国の神社関係者の総意により昭和二十一年二月三日に神社本庁は設立された。爾来七十年、神宮を本宗と仰ぎ、全国津々浦々に鎮まります神社の興隆と祭祀の振興に向けて、只管力を尽くしてきた。
  平成二十五年、聖旨を拝して執り行はれた第六十二回神宮式年遷宮遷御の儀が麗しく斎行され、昨年三月に全ての重儀が無事完遂を迎へたことは洵に慶賀に堪へない。この上は、我が国の精神文化の源である御遷宮の永遠(とは)の継承を冀ふとともに、先人達が連綿と受け継いできた伝統文化の発展に努めてゆく所存である。
  しかしながら、設立より七十年の歳月を経て、社会状況の移ろひとともに人々の意識や暮らしぶりは大きく変はった。向後の将来を見据ゑたとき、祭りの振興を通じて地域の発展を図るとともに、我が国固有の伝統文化を護持継承してゆくための新たな一歩を踏み出さねばならない秋を迎へてゐる。
  神社本庁設立七十周年を契機に、私たち神社関係者は、設立百周年に向けた新たな道のりを歩み出すことを、ここに誓ふものである。
  右、宣言する。
  平成二十八年五月二十五日
神社本庁設立七十周年記念大会

 

     全てが終わった後の大阪府の祝賀会は大層な盛り上がりを見せた。会場となる明治記念館までは大型バスで移動し、まず記念写真を撮った。私は寺井先生の隣に据わらされた。その後会館内にある料亭「花がすみ」というところで総勢50名の大宴会であった。「〆張り」という新潟の銘酒は実に美味かった。楽しい一時を過ごし最終の新幹線に飛び乗り帰阪したのである。

12we

13we

14we

15we

 

 

 

 

 

 

 

 

28.5.25(水)神社本庁での顕彰1

 1we

     “この度は斯道隆盛のため多年に亙って尽力せられたご功績により去る2月3日の本庁設立記念日を期して表彰規定に基づき表彰せられ又本庁設立70周年を記念して表彰申し上げることとなりました。ついては5月25日に執り行われる本庁設立70周年記念式典の席上において表彰式を執り行いますのでご出席くださいますようこの段申し添えます。(以下略)”という訳で私は本日東京の明治神宮の杜にある神社本庁に出張したのである。案内状の差出人は神社本庁統理である北白川道久氏である。統理とは象徴に近い日本神社界のトップで民間人はなれない筈だ。氏は193752日生で日本の元皇族であり、皇族時代のお名前は、北白川宮道久王である。北白川宮永久王と同妃祥子のご長男で北白川家の現当主である。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)1014日に皇籍離脱し、以後は北白川道久となる。

     1960年(昭和35年)学習院大学政経学部卒業後、東芝に入社。2001年(平成13年)4月、伊勢神宮の大宮司にご就任。2005年(平成17年)1115日、紀宮清子内親王(現・黒田清子様)の結婚式において、斎主を務められている。2007年(平成19年)7月に退任。2011年(平成23年)64日付けにて神社本庁統理に就任された。先の奉祝祭で拍手喝采を呼んだ本校神楽部の学院神楽「尚学の舞」の歌は統理のお母様の祥子様が創立40周年にわざわざ当時の神宮祭主であった母上、房子様のご名代として房子様の色紙を持参して頂いた御製である。私は不思議なご縁を感じるのだ。  “日の本の国に生まれし 身の誉れ 学び励めや この学び舎に”

2we

     今回の受章で平成26年の伊勢神宮からの特別顕彰に続いて2回目となった。神宮の大宮司様からと本庁の統理様、双方から表彰されることは多くはないと聞かされた。大変名誉なことであり心から喜びたい。これは私個人の表彰ではない。あくまで代表と言うことで本校の過去、現在の役員、教職員すべてが表彰されたということだ。62年間も「伊勢修養学舎」を継続し、神社神道の学校として校内の神社を大切に守り、今新しくご造営をなした。節目であり大阪府神社庁の寺井庁長、神社本庁常務理事の「粋な計らい」であろう。教育界に転じて15年、大阪府や教育界からの表彰などなかったが、伊勢神宮と神社本庁の表彰は素直に嬉しい。しかしすべては寺井名誉理事長のお蔭である。

3we

4we

 

     この15年間で表彰されたのはこの2回であると書いたが企業時代は「賞取り男」として仲間からは「やっかみ」半分で良く言われた。住友金属社長賞が7回は記録であった。別に賞を狙って仕事をしたわけではないが「賞に値する大きな仕事」をやってきたことは間違いない。又私は全国発明協会からは近畿地方、関東地方、そして最後は鉄鋼製造技術で「内閣総理大臣発明賞」を受けたことがある。これは後にも先にも住友金属では初めての快挙と言われ、当時ニューヨークにいたが一時帰国を命ぜられ、常陸宮殿下から顕彰のお言葉を頂いた。若き日の思い出である。技術者は賞を狙って仕事をせよと言いたい。

5we

6we

     明治神社は「神宮の杜」の中にある。明治神宮の側である。明治神宮は渋谷区にあり、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社で、初詣で例年日本一の参拝者数を誇ることでも知られる、日本を代表する神社のひとつである。久しぶりに神宮の杜に入った。青山通りから表参道に入り正門からまず神宮を目指した。東京の街にこのような濃い緑に覆われた広大な森があるのは不思議である。元々ここは樹木のほとんどない荒れ地だったが、当時、明治神宮の森づくりに関わった人々が地元の木々を持ち込んで森にしたのだ。どんな思いで、都会のど真ん中に、100 年後も続く自然の森をつくろうとしたのであろうか。先般NHKのBSで特集番組があった。良い番組だった。

7we

 

     明治45年7月30日に明治天皇、大正3年4月11日に昭憲皇太后が崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱意により、大正9年11月1日両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建された。しかし昭和20年4月14日、大東亜戦争による空襲に見舞われ、創建当初の主要建物は焼失した。しかし昭和33年11月、国の内外から多くの浄財が寄せられ、復興造営がなされ現在の社殿が完成した。明治神宮のシンボルともいえる大きな鳥居は木造の明神鳥居としては日本一の大きさである。学院神社の鳥居は神宮から譲与された神明作りの鳥居で形が異なる。

8we

     神宮の境内を代々木側に出ると右側に神社本庁に建物があった。初めての訪問である。全国の神社を包括する宗教法人であり、神道系の宗教団体として日本で最大のもので、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど79千社以上が加盟している団体である。各都道府県ごとに神社庁を持ち、昔は「内務省の外局」であった神祇院の後継的存在であり、戦後、宗教法人法にもとづく包括宗教法人となった。その実務のトップが田中総長であり国宝を戴く石清水八幡宮の宮司様でもある。先の奉祝祭ではご祝辞を賜った。全国の神社の象徴たるべきお人が統理で実務の最高責任者が総長である。

9we

10we

11we

     今日はまず「記念大会」があってその後「祝賀会」であった。表彰式は場所を明治神宮会館に移し、行われた。以上は神社本庁主催であり今度は又場所を港区赤坂の明治記念館内の懐石料亭“花がすみ”に移して大阪府神社庁主催の祝賀会であった。まぎらわしくて困った。最早大阪の田舎者になったみたいでうろうろした。祝賀会は会費制で2万円も徴収された。

12we

     神社新報社は本庁の地下にあった。今日は又神社新報社が10日の奉祝祭を記事にしてくれ刷り上がったという。明日の全国評議員会でまず披露されるのだと言う。先の遷座祭は建設工事各社さんからの奉賛金を戴き記事になったが今度は自前でという判断で理事・監事連名で記事にして貰った。先の記事と今回の記事も定礎室に入れる積りだ。徐々に狙った通りの終幕に近づいている。後1回5月の理事会・評議員会が31日にありそれで浪速改革の第一章は幕を閉じる。本当に満ち足りた気分である。詳細な式典などは明日のブログで。新幹線の中は結構揺れて書きにくいから。

13we14we

 

 

 

28.5.24(火)「行日足日(いくひのたるひ)」




1dgfadgd

  東京に向かう新幹線の中で昨日午後、学校であった「ある一つの出来事」を思い出し、感慨にふけった。こういうことが人間社会にはあるのだ。「無常であり非情」を感じた。昨日16時過ぎ、スーパーゼネコン大林組の営業部門のY次長さんが先の竣功奉祝祭で当方が感謝状をお出ししたことに対して、何と白石社長様からの墨痕鮮やかな、素晴らしいお礼状を持参されたのである。この次長さん、契約時は営業課長であったがこの4月に次長に昇格された。浪速プロジェクトで大きな功績を認められ昇進したと私は勝手に思っている。話を元に戻そう、社長様の小職に対するお礼状は施主と施工会社との関係がどのようなものであったか、如何に素晴らしかったかを物語っている。”終始ご懇篤なるご指導とご鞭撻”云々の部分である。

2fgssf

 

  謹啓 愈々ご清祥に渉らせられ慶賀の至りに存じ上げます 毎々格別のお引立を賜わり有り難く御礼申し上げます さて学校法人浪速学院浪速高等学校・浪速中学校新校舎建設工事につきましてはさきにご下名を賜わりまして以来終始ご懇篤なご指導とご鞭撻とを賜わり幸いにこの程滞りなく完成をみるに至り哀心より感謝申し上げる次第でございます
しかるところ去る五月十日竣工奉祝祭に当たりご懇篤な感謝状並びにお心入れの恵与を賜わりまして恐縮の至りに存じます ご懇情の程有り難く御礼申し上げます なにとぞ今後とも一層よろしくご愛顧を賜わりますようひとえにお願い申し上げます
まずは書中をもって御礼まで申し上げます              敬具
五月 吉日
 株式会社 大林組            取締役社長 白石 達
学校法人浪速学院浪速高等学校・中学校   理事長・学院長 木村智彦様

3grgerrgrgr
 4grrgrgrgrg

  今日のブログのテーマはY次長さんの事ではない。何と私が午後お相手したお客様が丁度お帰りになるところで、両者が事務室前のロビーで鉢合わせたのである。そのお客様とは府内中心部に位置する大阪の私学をリードする有力な中高一貫校の理事長のご子息で法人本部長の重職にあらせられるお方だ。この学校は現在新校舎を建設中でその施主側の代表者である。物件はこの10月に竣工のご予定と聞いた。訪問者は他にこの建設を請け負われている2名の建設会社のお方である。実はこの会社は大林組さんと同じように、大変有名なスーパーゼネコンの当該物件の工事所長さんと設計者であった。

5jjjjyj

 

  13時から16時までじっくりとご覧いただいた。予てより色々とご指導を頂いている理事長先生からの依頼であり、くまなく隠すことなく武道館から中央館までご視察頂いた。彼らが何を感じ私に何を述べたか、ここでは詳細を書けない。しかしお帰りになる時には少なくとも「驚愕」に近い、ある種「嘆慨」みたいな幾分「重苦しい雰囲気」が周辺に漂よっていた。私は建設会社さんが気の毒だなと思った。どことなしにお元気がなかった。その場所でただ一人大林組のY次長さんの照れ隠しであろうか、背の高いその背骨をねじって高笑いされていたのが印象に残ったのである。あの笑いの意味は一体何なのだろうか。しかし建設着工前ならいざ知らず、建設最終局面で完成した他の物件を見ることは関係者にとって如何なものであろうかと私はふいと感じた。是非我々に勝る「素晴らしい作品」を創ってくださいと思うばかりだ。

6thththt
7ujhhjhh

 

  今、私は東京に居るが前述したように久しぶりの新幹線であった。車中では非常に満ち足りた気持ちに浸った。人間、時には職場を離れて頭を冷静にし一人になることも必要だと思った。職場にいるとついつい「アタフタ」として深い考察も無く判断してしまうことがある。要は時に現場を離れて自身と組織を「俯瞰」することが大切なのである。「行日足日(いくひのたるひ)」と言う言葉が有る。生気に満ち溢れている素晴らしい一日のことを言い、生命力に溢れ、全てが満たされている縁起の良い吉日のことだが、元々は、神社で詠まれる神道の「祝詞(のりと)」に書かれている言葉である。神道が理想的な人間の精神状態とする「浄明正直」心にもつながっている言葉である。

8jkjk

 9lututt

  毎朝一番に登校し広い境内(?)を歩いてご本殿前に進み、私は拝礼する。今日のこの日は生日(いくひ)の足日(たるひ)、神の御かげの満ち足る日でありたいと思い、「今日も元気一杯つとめます」と誓うのである。今日という日は再び来ない。今日もまた学院神社の神の恵みの御光りは足り充ちて、生き生きと生きて輝く楽しい日柄となりますようにと祈願するのだ。各々の生徒の暗い思い、淋しい思い、辛い思いがあるならば、この私の朝の拝礼の柏手の音で打ち消すのである。そして、すがすがしい気持と朗らかな思いで、楽しく、倖せに今日一日を過ごして参りたいと祈願するのである。

10yyyy
11uiuky

 

  似たような言葉に「足るを知る者は富む(たるをしるものはとむ)」と言う句がある。今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない者は、満ち足りた心で生きていける。
 
 己の身の程を知り、それ以上を望まないことが、豊かに生きるということだと教えているのである。「足るを知る」、即ち満足することを知っている者は、心豊かに生きることができると「老子」は説いた。しかしこの教えは私などの凡人には難しい。「足るを知る」というのは「欲張らずにほどほどのところで満足すれば良い」という消極的な意味でならば私の生き方とは相いれない。そのような「仕方なく満足する」という消極的な意味ではなく、「これで良い」のではなく、「これが良い」と思える生き方をすることが「足るを知る」ことだとするならば分かる。

12fgsg

 

  人間、死ぬまで欲望を失っては駄目だ。夢を追い続けることが生きる力である。自分が持っているもの、自分が身につけてきたもの、自分がこれまで得てきたものの「成功と失敗」をすべて認め、分析し、受け入れ、「我が夢の実現」に努力しなければならない。“足るを知る”を現状維持の「言い訳」に使ってはならない。私の夢は浪速という学校の改革とその証左として新校舎建設であった。この事に邁進し、今全てを実現した。確かに浪速での10年はあったが、その前の4年間の公立高校時代の成功と失敗は大きく浪速での成果に直結している。もっと言えばその前の住友金属と言う鉄鋼会社での32年間の経験が知識と考えの幅を広げてくれた。これらすべてが「血となり肉となって」私の思考と言動に影響を与えた。

 
14rrgrgrgr
15hythrsy

  私は完璧主義者であり、理想主義者である。何時も100点満点を狙って仕事をする。仕事だけではなくてすべての面で何時も完璧を狙って生きてきた。その為にものすごい努力をしてきた。小さい時から学校のテストでも90点や95点でも満足せず、100点を目指して相当勉強した。それほど天分の才があるわけでもなく自分に出来る事はただただ努力することであった。努力にお金は要らない。今思うのは、しかし私の完璧主義もぼつぼつ終わりの時かなと感じているのも確かだ。私の場合はもう個人的には上を目指すことは無い。もう基本的に「人に良く見られたい」「人から好かれたい」「人から尊敬されたい」などの気持ちも全くない。ぼつぼつ「仕事師人間」としての「潮時」を感じている。新幹線の中で、自分の内側に目を向けてみると、「自分はこんなに多くのものを手に入れてきたんだな」と思いながら、私とともに仕事をしてくれた多くの人々に言い様もない感謝の思いが溢れてきた。ぼつぼつ「足るを知っても良い年になった」かなと思うのである。

16htrhry
17kukuykui

28.5.23(月)私立のPTA

  1日土曜日はPTA総会の日であった。又その夜は心斎橋の某ホテルでPTA新旧役員との懇親会があっ            asasasd
た。新旧役員の歓送迎会が主体で、去りゆく旧役員には私から感謝状と記念品を贈る。これは私や管理職にとって絶対に欠かすことは出来ない重要な会合である。校長経験が通算14年間になるが、私の幸せは良いPTA役員に恵まれたことだ。前の公立時代4年間も同じように素晴らしい人々に囲まれた。遂この前も「先生、お元気ですかー。今日、当時の役員の会合があって、その席で先生のことが大いに話題になりました。ご活躍が嬉しくてー・・・」と言ったようなお電話を戴いた。本当に嬉しいことだった。この人のご主人は元府警の幹部でご本人は今小学校の音楽の教師をされている。当時教職員組合と色々あった時も徹底して応援してくれた方のお一人だ。私がこの時「へーッ」と思ったのは10年経っても当時のPTA役員同士内で厚誼が続いているのである。自分自身はPTA役員の経験はないが、さほどにPTA役員と言うのは、しんどい仕事だと思うが、或る面「思い出深い組織」なのだろうかと思ったのである。

  2asasdasda

  3dfdfdsfdsf

  私立学校の浪速に来て私は又違ったPTAを知った。私立のPTAはちょっと違う。組織力というか団結力というか少し公立のPTAとは異なるように思える。公立は学校に拠るが(これはその学校の生徒の偏差値に拠るのだが)、或る面「からっと」した組織である。非常にミッションが明確で狭く、校長も教員も次から次と異動していくから、任期が終えればPTA役員のその学校に残存する気持ちはさほど濃くないようだ。前述した私への電話などは極めて稀な事象かも知れない。まさに一期一会である。これに対して私立学校は違う。先般帝塚山学院の100周年式典があったがまさに「帝塚山ファミリー」の会合だった。同じ私立である浪速もいかにも「浪速一族」的な組織である。最もこの10年間、このように仕向けて来た私自身だが基本的に私立学校はPTAを含めて学校はファミリー的、一族的になって行く。PTAも生徒のクラブ活動との結びつきなど別途あって本当にPTAの人々は仲が良い。一族なのである。最早学校を介在して親戚なのである。

  4fsdfsdff

   5afsdfrgg

  私立のPTA役員は、本校みたいに併設の中学校を有しているとPTA役員の幹部は中学時代から6年間役員続ける方が圧倒的に多い。重要役職は殆どが内部生の保護者となる。学校も基本的にそれを良しとする雰囲気がある。私立の教員は学園長や校長、教職員も転勤などは無いし、とにかく「ずーっ」とそこに居る。長いのだ。トップも教員も長い勤務のところに中学校、高等学校と6年間もPTA内で学校近くに居れば、両者には一種独特の雰囲気が生まれてくることは仕方がない。それがファミリーであり、一族なのである。「私立のPTA組織は学校と運命共同体」みたいになってくる。前のPTA会長も今のPTA会長も連続で就任したり、数年おいて又会長に復帰就任されている。要は兄弟姉妹、祖父、父、その子供と3世代が浪速というのは珍しくない。「先生、下の子が又お世話になります」と挨拶を受けるのは日常的にある光景なのである。

  6fsfdfsfsdf

 

  対PTAへの対応について言えば、ここもやはり「トップの姿勢」が重要である。感覚的に言えば学園長、学院長、校長など学校のトップはPTA団体と教職員団体を束ねる職位に近い。私立のトップはまずこの事を認識して仕事をしなければならない。昔「ゴッドファーザー」というアメリカのイタリアマフィアを主人公にした映画があったが、私立のトップは組織のドン・コルネオーネみたいなところがある。言い換えれば徹底して「組織を守る」である。当然この組織にはPTAも含まれる。その為にライバルや向かってくる敵とは徹底して闘わねばならない。そして「織構成員の面倒を徹底して見なければならない」。これは理屈ではない。観念論などどうでも良いから,ただただ面倒を見るのである。面倒を見ることは甘い言葉を交わすことではない。PTAと言えども学校に関連する組織であり学校とベクトルを合せて貰わないと困る。ドンは考えを何時も指し示す必要があるのだ。物言わぬトップはトップではない。
7sdgfwsgrg

  何時も言っているように今、目の前にいる生徒とその保護者は「歩く広告塔」であり、この方々の面倒を見ることが明日への希望に繋がる。有る保護者が友人のお母さんに「あんたなー、浪速ええでー!下の子の良子(仮称)ちゃんなー、浪速にしとき!」と言って貰わないといけない。それが私立の宿命でありテーマだ。公立時代も浪速時代も私は「面倒見を基軸」にして行動してきた。これだけは揺るがず、徹底して面倒をみてきた積りである。しかし正直言えば公立はしんどかった。私は「サービス精神」が極めて旺盛である。旺盛が故に時に誤解から物議を醸すが学校の校長がサービス精神を持っていなくてどうする!特に私立のトップはサービス精神が旺盛でなければ徐々に衰退に向かう。トップバッターとして自分の言葉で観衆に対してサービス精神を発揮しなければならない。奥の院に引っ込んだトップでは駄目だ。それは給料泥棒になる。今後の私立学校のトップは有る面、主演俳優でなければならない。「セリフ」が多くなければならない。その「トップの語り」に保護者は耳を貸してくれ、「じゃ、子どもを入れようか」となってくるのだ。

   8dfgdat

   9hthywrtyr

  私立学校は「総論賛成、各論反対」ではやっていけない。「総論賛成、各論賛成」でなければならない。「先生、内の子は言う事を聞かなかったらひっぱたいて下さい」を文字通り受けてその子をひっぱたいたら「体罰」でクレームが来る。親にすれば「我が子が第一」であり、そのことを十分に分かって「面倒を見る」すなわち「サービス」をするのだ。それが実感として保護者に伝われば学校は問題が発生しない。私の14年の校長体験で言えば次のキーワード、すなわちトップとして「公正無私」「隠蔽をしない」「迅速処理」「説明責任」「事実のみを語る」「公明正大」それに私立では「気前の良さ」が加わる。ケチなトップは私学らしくはない。だから浪速は2500人の学校になった。背景があるのである。

10fgjhjyjy
11jtyejetjtuy
  
 

  数年前、「浪速学院某重大事件」が発生した時もPTAは「動かざること山の如し」であった。彼らは事実を良く知っていたからである。それを外部の何も事実を知らない人間が「ごちゃごちゃ」一部騒いだが、学校内部は平然と整然と全く何も変わったことはなかった。大阪府私学課からも何もなかった。電話一本なかった。PTAの「不買運動」の騒ぎになり私は慌てて止めて貰ったことがあるが、これなど本校の姿勢がPTAに正しく評価されていたからである。大体根拠もないのに募集など私がする訳はない。馬鹿らしい。私立は公教育を担う私的な組織であり、基本的にファミリー、一族の者以外が外部でゴチャゴチャ言う事は何もない筈だ。他人の家の事は「ほっといてくれ」としか言いようがない。

12trhjreyerty
13ghjyjyetrjuyt

   

  今回のPTA総会で会長は3年連続で就任されたのだが、会長が参加した保護者に対して「何も問題がないのですよ。本当に何もないから私は保護者クラブ活動としてパソコン教室を保護者向けに始めました。学校の情報教室をお借りし、情報の先生がパソコン教室で丁寧に教えて下さるのです。理事長からは書道教室を開け、家庭科調理室でお料理講座を開いても良いぞなどと言われているのです・・・」と話されていたがその通りだ。私立学校は教職員と生徒、そして保護者の物である。「信頼に足る学校」は「面倒見の良い学校」であることは未来永劫揺るがない哲学である。だから新校舎建設では3500万円を「ポーン」と寄付して頂いたし、これ以外にも毎年毎年1500万円を施設設備費、クラブ活動引率費など多方面で応援して下さっているのである。浪速のPTAはちょっと違う。

28.5.21(土)「和気満堂」

P1290513
・ 昨夜の慰労会で些か「紹興酒」を飲み過ぎた。美味かったからである。中華料理には紹興酒に限る。この酒は中国の浙江省紹興市付近で製造される代表的な黄酒(ホアンチュウ)と呼ばれる醸造酒である。中国版日本酒みたいな酒だ。温めて飲む。アルコール度数は14~18度でブドウ糖の量によって4種類あるらしいが詳しい事は知らない。黄酒を長期熟成させたものが「老酒(ラオチュウ)」でこれも旨い酒だ。大人数のパーティでは中華料理が多く、企業時代からも紹興酒をよく飲んだが、先輩に教えられたのが、紹興酒に角砂糖を入れることだった。口当たりが良いからついつい「過ごす」のだが、「酔いざめ」は悪くなく、私の経験で「悪酔い」はしない酒だと思う。今日も4時過ぎには目が覚めて昨夜の会場となった上六のシェラトン都ホテルの上空から朝日が昇る風景をみた。身体がしゃきとなって今日も頑張ろうという気になる。
P1010584
P1290510

・ 何処だったか、思い出せないのだが、その昔、訪問した家で「和気満堂」という扁額の書を見たことが有る。「和気、堂に満つる」と読む。「和気」とは、のどかな陽気、穏やかな気候のことで、「満堂」とは、文字通り堂の中に満ちることだ。転じて堂の中の人がいっぱいに満ちて満場になり、和やかな空気が場内に満ちる状態のことを言う。和やかな、楽しい雰囲気が、この部屋に満ち溢れることを願って掲げた書であろうが、昨夜の私もこのような感慨を持った。和気満堂を調べてみると「満堂和気嘉祥(どうにみつる わきは かしょうをしょうぜしむ)」という言葉もあることを知った。部屋一杯に満ちた和やかな雰囲気が、めでたさを生み出すという意味を込めた7文字言葉である。
IMG_1684
IMG_1686
・ いずれの言葉も、家庭や組織の有り様「あるべき姿」を指し示していることに変わりはない。昨夜の奉祝祭と歓送迎会はまさに「和気堂に満つ」状態であった。実に気分の良いパーティであった。総勢152人、シェラトン都ホテルの、その名も「浪速の間」だからいやがおうにも盛り上がった。テーブル数は16だから広い会場も狭く感じた。しかしそれぞれが自分のテーブルで「一時、一期」を楽しんだのである。和気が会場一杯に満ち溢れていた酒席を体験すると穏やかで和やかな雰囲気は少なくとも数日は続く。自然を愛し、人を愛し、子供を愛し、生徒を愛し、誰とでも語り合いに溶け込むことは人生や組織で生きて行く知恵だ。
IMG_1703
P1290438
P1290439
・ このような場が基本的に大好きな私は今までも良く教員と飲んできたが、今後とも組織の長として設定して行かねばならないとつくづく感じた。和気が堂に満つればしんどい仕事も苦しい仕事も楽にはならないが乗り越えられるものだ。昨夜は30名の常勤教職員の歓迎会も兼ねていたのだが今日的な若者の志向や思考は私などが育った規律や紀律の中で「ガチンコ」の風土だけではやっていけないのだろう。彼らはまず「働き易い職場」「雰囲気の良い職場」を求めている。その前提にたって仕事は一生懸命やってくれる。仕事が嫌だと言う教職員は居ない。だから本校では常勤教職員で自ら辞めて行く先生は殆どいない。浪速の職場の雰囲気が極めて良いと言われる。昨夜も私は全てのテーブルを回って新人に激励をしたのだが皆さん、実に良いお顔をされていた。
P1290442
P1290507
・ 一方昨夜の慰労会は茶道の心を表す「一期一会」と「一座建立」の意味もあった。ここまで考える教職員は偉い。「一期一会」という言葉は利休の高弟・山川宗二と言われ、「一期一会の参会のように」がその源流と言われている。この意味を桜田門で憤死した井伊直弼が「茶湯一会集」の中で次のように解説している。たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開いたとしても、今日ただ今のこの茶会は決して繰り返すことのない茶会だと思えば、それは「わが一生に一度の会」である。そう思うと互いに粗略に扱うこともない。真剣な気持ちで、何事もなおざりにすることなく一服の茶をいただくことになる。 つまり「会ったその瞬間を、人生でたった一度の出会いと思い、その出会いを大切するために心を込めること」が「一期一会」の意味である。
P1290480
P1290489
・ それを別な言葉で表しているのが「一座建立」。茶道での主人と客の一体感を意味する言葉である。「たった一服のお茶のために主人は、さまざまな趣向、工夫を凝らして茶室をしつらえ、道具を組み合わせ、心を尽くした点前を出す」ことであるが、この2つの言葉は「おもてなし」と通じるものがある。たった一度の出会い、たった一杯のお茶を出すだけであっても、そのために最高の準備をする。その出会いは、提供される側も客という立場ではなく、お互い尊重しあい、その瞬間を大切なものとして尊重しあうことだ。だからこそ、「おもてなし」は英語の「サービス」や「ホスピタリティ」では言い表すことのできない美しい日本語として残されているのだ。私は昨夜教職員に対して心からおもてなしをした積りである。
P1290490
P1290504
・ 昨夜の私は浪速一座を建立する為にホストととしてベテランの先生には心からの慰労と新しい先生方は心からの歓迎の気持ちを込めて準備したのである。ご祝儀を出し、引き出物として複合デジタル時計台(掛け兼用)をお渡しし、お菓子の代わりに「551の豚まん」を用意した。決して贅を尽くしたおもてなしではないが事務のスタッフは心を込めて準備した。まさに「おもてなしの心」である。今朝私は事務長と代理に「良くやってくれました。有難う」と礼を言ったのである。昨日参列した教職員は「一期一会」であり、来年同じ席に居るとは限らない。特に常勤教職員とは1年契約である。浪速での生活を一期一会の精神で生き抜いて行って貰いたいと思う。
P1290537
・ 私は今朝全常勤教職員に次のようなメールを発信した。
“昨日はご苦労様でした。この4月から本校で勤務いただいている常勤教職員の皆様は5月27日12時までに500字程度の感想文を私宛メール本文で送付してください。着任以降2か月弱ですが今のお気持ちなどを自由に何でも書いてくださって結構です。所感、感想、決意、覚悟、良い点、悪い点など何でも結構です。以上宜しくお願いします。以上 学院長より”

今日はPTA総会が放課後にあって夜もミナミでPTA役員の歓送迎会と懇親会だ。「和気満堂」の会に成ったらと思う。今晩は私以下ご招待を受けた教職員も一期一会としてお付き合いしなければならない。

28.5.20(金)教職員慰労会

P1290338
・ 学校は今日から「中間試験」が始まった。奉祝祭以降も「平穏に粛々と」浪速学院浪速高等学校・中学校は時を刻んで行く。新しい神社が出来て登校時の生徒が本殿に向かって「ちょこっと」会釈している数が増えた。立ち止まり、もっと「ちゃんと頭を下げて」と思わないでもないが今は「これで良い」。しないより断然良いのだから殊更厳しい指導は今の段階では要らない。生徒がその気になればそのうちにやってくれるようになる。今年採用した若い教員もベテラン教諭も拝礼している。素晴らしいことだ。既に新しい学院神社は生徒や教職員にとって「神威」を感じさせているのだ。その内、間違いなくパワースポット化するだろう。前の神社の時もそうだった。
P1290346
P1000297
・ 私は一人の女生徒に聞いてみた。その生徒は「神社は本当に綺麗です」と答えが有った。「なるほど」と私は確信した。「美しい」ことは素晴らしいことで人間の行動まで影響を与えるのだと思った。だから登校時と下校時に生徒は神殿に向かって頭を下げるのだ。正門をくぐって校内に入り、会釈をして更に歩いて中央階段まで行く距離は結構ある。中央館前の広さが素晴らしい。前は公共の道路から直ぐに学校敷地がきて、2メートルで北館という建物があったのが今度は相当歩く形になった。これが「大学のキャンパス」みたいだと皆さんに言われる所以なのだろう。この広さと距離が生徒にゆとりを与えている。
image012
・ 8時から「永年勤続表彰」を行った。多額ではないが金一封をお出ししお礼を申し上げた。今年は勤続30年の男性教員2名が対象だった。御年はお二人とも53歳で数学と国語の先生である。学年主任や分掌長などを歴任し大いに貢献が有った先生で私は心から30年の奉職に対して感謝と慰労の言葉を述べたのである。23歳で大学を卒業しすぐ本校に職を求め30年間をこの学校を舞台に生き抜きこの間パートナーを得て立派な親として社会人として社会に貢献された。これから定年までの22年間は長い。仕事があるという幸せを感じながら健康に気を付け新たな自己を出すように頑張って欲しいと申し上げた。若い先生が多くなったからベテランの出番は多いとも言ったのである。それにしても53歳とは若い。うらやましくはないが自分の53歳の頃が無性に懐かしい。
P1290322
P1290323
・ 自治会担当の教員が入って来て9月に行われる「浪速祭」のテーマを決めたので決裁が欲しいと言う。今年の浪速祭は50回となり節目となった。自治会は「新浪速物語」~半世紀の時を重ねて、新たに始まる浪速祭の歴史~と書いてあった。素晴らしいテーマだ。私は歓喜した。ここ数年工事の関係で会場設営では生徒には迷惑をかけたきたが、すべての工事が終わった。自治会の言うように新たに始まる浪速祭だから最初の今年がポイントとなる。校舎内でペンキを使ったりは勿論駄目だが、神社神道の学校の「お祭り」だから「お祭りらしい雰囲気」を出すために私は相当力を入れて支援してやりたいと思う。あくまで「生徒が主役の浪速祭」であり、新校舎が竣工した最初の浪速祭をどのように盛り上げるかここは知恵が要る。私は急遽関係者を部屋に呼んで思いを伝え、目指すところを明らかにし体制を確認した。これは相当エネルギーが要る。簡単に処理できるテーマではない。
image011

・ 午前中、藤井寺の「道明寺天満宮」に参拝に行った。天暦元年(947)の創建である。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺は道を隔てた隣の敷地に移転した。「道真公ゆかりの地」ということで、道明寺天満宮は学問の神としての信仰を集めている。思えば10年前この神社の宮司であった南坊城先生に呼ばれてこの神社に参拝し「浪速改革の成功を祈願」した。そして10年経ち私の願いは成就した。お社には祈願ばかりではいけない。願いが叶ったら必ず「報恩感謝」の誠を捧げることが人の道である。私は昇殿し祝詞をあげて貰って玉串を捧げ神威、ご神徳に感謝申し上げた。
P1000303
・ ここ道明寺天満宮にはこの10年で何回となく通った。菅原道真公遺品の青白磁円硯他計6点もの「国宝」があり広い境内には80種800本の梅の木がある。梅の名所として知られているが、この神社には鎌倉時代、康元2年(1257)銘のある燈籠がある。 銘のある燈籠では日本で3番目に古いものといわれている。古いもの大好きな私としては時々この石燈籠の傍まで行って銘を眼で追うのが楽しみとなっている。何時も戴くお抹茶とお菓子が実にうまい。今日のお菓子は鎌倉の羊羹だった。
jpg道明寺天満宮
P1000302
・ 今日は夕方上六のシェラトン都ホテルで先の奉祝祭の慰労会と歓送迎会がありこれから向かう。これに先立って私は職位と勤続年数によって区分し奉祝祭の慰労、お祝い金を管理職経由お渡しした。校内で働いて下さっている方全てにも少しだがお渡しした。昔は現金支給を行ったこともあるが「これは良くないこと」だと反省し今は全員に振込としている。現金を支給したのはいわば「家族に内緒のお小遣い」的なものと「よこしま」な考えだったがこれはいけないことだった。家族の支えがあればこそ教職員は頑張れるのであって公明正大にお渡しすべきと考えたのだった。きちんと振込金額を記入した明細書に次のような挨拶文を入れて私の気持ちをお伝えしたのである。
image013

・ 平成28年5月20日 教職員の皆様
「新校舎・新学院神社竣功祝金」の支給について

“教職員の皆様におかれましては、日頃より校務運営にご精励いただき、誠にありがたく深く感謝申し上げます。さて、この度の新校舎並びに新学院神社の竣功を祝し、これを記念し、今日まで不断の努力を重ねてきた皆様の頑張りに対する慰労の気持ちを込めて、本日5月20日(金)、学校法人浪速学院より「新校舎・新学院神社竣功祝金」の名目として金一封を支給いたします。ここに至るまで皆様のご理解とご協力に対し、あらためまして心より感謝申し上げます。
平成19年4月から始まった躍動感あるこの10年の『浪速改革』において、平成25年より着手した創立90周年記念事業である新校舎建設および新学院神社御造営を成し遂げた喜びを共に分かち合いたいと存じます。「浪速の新時代」は今ここに始まり、平成35年、すなわち7年後に迎える「開校100周年」に向けて、本学院の発展を期するため、皆様のさらなる活躍に期待申し上げる次第でございます。
少額ではございますが、御家族との団らんなど、皆様にとって有意義な時間を過ごすために役立てていただければ幸いに存じます。今後とも本学院の発展のため、より一層のご尽力賜りますようお願い申し上げます。尚、本件に伴う小職への御礼言上には及びませんので、どうぞ御放念ください。                    以上

28.5.19(木)拡大朝会

P1290303
・ このブログも5月末で完了する。平成19年6月1日に書き始めて以来、丸10年になった。書いてよい内容だけを書いてきた。書かなかったテーマの方が断然多いが、それでも「チリも積もれば・・・」でファイル数も膨れ上がった。現在これらを簡単な製本にする作業を入試広報部が進めてくれているのだが総ページ数で8000ページを超える物になりそうだとの事である。膨大だ。しかし平成19年から始まった「浪速改革の軌跡」を正直に詳細に時系列的に精魂込めて書いた物だから何とか纏めて「定礎室」に入れたいと考えている。
P1000283
P1000279
P1000280
・ 神社基壇に設けた定礎板付属の定礎箱というより定礎室は「洞穴」みたいに大きくて何でも入れられるが後世の人がここを空けるのは一体何時の時代になるのだろうか。神社の更新は事故さえなければ100年や200年は持つが神社更新だけでは今の立派な基壇は触らないだろう。最も南海大地震が起きて全て崩れれば話は別だが、そうすると未来永劫何百年に亘ってこの巨大な定礎室に入れられた資料群は500年後と言う可能性だってないことはない。「大きなロマン」を感じる。秘書はブログの耐久性などを心配して腐食防止などを考えてくれている。
P1000281
P1000282
・ 朝一番に高校、中学の空手道部の選手に対して春の全国優勝の顕彰として「道着」を授与した。何時も優勝だから今までも道着の授与だった。今井監督に「他に良いものは無いのか?」と聞くと激しい練習ですぐ道着が傷むから道着を最も生徒は喜ぶという。だから何時も道着なのである。ただ浪速の文字と部員の名前を刺繍し、裏の見えない部分に私の名前を入れている。監督は嬉しい事を言ってくれ、学院長から戴いた道着で選手は闘っているとの思いで居ますと言ってくれる。この年になるとこのような言葉に「ほろり」と来る。何と今井監督が公益財団法人日本オリンピック委員会の竹田恒和会長から空手道部の強化スタッフ(コーチ)として正式に委嘱された。まさか本校の教諭がこのような国家的な役職に就くとは想像もしていなかった。本当に本校にとっても名誉なことだ。絶対に金メダルは空手道で取らねばならない。監督はプレッシャーもあるだろうが頑張って欲しい。
P1290298
P1290309

P1290315
image010
・ 最近時々拡大朝会を開く。普通は管理職だけの朝会だから数は6名となり前の応接椅子で数は間に合うが拡大となると管理補佐職も入れるから数は10名となって場所を立ち席の楕円テーブルに移して行うのだ。元々理事会懇談用で造った場所である。拡大朝会は校務運営もぼつぼつ後輩たちに渡して行きたいと考え、私が元気なうちに「指導」し「癖を付けて」貰いたいから皆を同時に私の肉声で伝える為である。ポスト木村体制は好むと好まからず「集団指導体制」にならざるを得ない。浪速改革を主導したトップが居なくなるから絶対的指導者はいなくなる。従って集団指導体制となるが、これは有る面危険である。私の前任の校長は集団指導体制で大きな失敗をした。「赤信号皆で渡れば怖くない」となり、学校は崩壊の一途を辿った。集団指導体制とは「責任逃れ」となり「お友達内閣」となる可能性がある。そうすれば「しんどいことはしたくない」となるのはあらゆる組織で歴史が証明していることだ。木村という強烈なトップが10年間続いた学校だけに私が最も心配しているのは「ポスト木村」である。時間をかけてじっくり後継体制を醸成して行きたいと思う。
P1000278
・ その為に私は拡大朝会で次の重要役職者候補、すなわち校務運営のトップになるような管理補佐職クラスにテーマを与えそれを今の管理職が側面からサポートする業務執行で経験と見識を高めるように指導している。これからの私の最も重要な仕事である。そして今の上席副校長のN氏が中高の校長となった時に彼らが教頭、副校長として有能な補佐役に育って欲しいと念願している。今日の拡大朝会で私が出したテーマは「9月の塾長様入試説明会は学校で計画せよ!」であった。彼等の反応は出す前から分かっていた。案の定これを出した時の彼らの顔つきは想像通りであった。理由は一つ、400名を超える塾長先生をお呼びする空調の利いた大きな部屋は無いからである。だから今年も既に堺市内の大きなホテルを予約していたらしい。そこから校舎見学はバスを繰り出すのである。昨年もそうだった。
P1150686

・ 私は新校舎・新学院神社が竣工した今年こそ校内でやらねばならない。これは絶対である。400人の塾長先生は3か所に分散して説明会を行う。中央館ホール、中央館視聴覚教室(浪速シアター)、西館第一ホールである。幸いこの3部屋は通信機能が完備されている。「3元同時中継」で映像と言葉を流せば良い。目的は新校舎を見て頂く事であり、説明会が映像であっても理解して下さる筈だ。それに3か所分散会場だからその後の校内見学も分散されて混雑が避けられる。最後は天空Rにて立食形式の昼食会場にすれば良いと具体的に指示を出したのである。加えて補佐職クラスの検討推進体制も明確にした。10年後に若し「浪速アリーナ」でも完成すれば間違いなく600名程度の収容人員の大ホールを作るが今は無いからその考えを逆手に取って3か所分散同時中継とするのである。初の試みで私は面白いと思う。教員は大体に言って「やり方を変えない。変えようとしない」。これが駄目だと言う事を知らないから改革が進まないのである。
P1290318
P1290269

・ 神楽部の顧問に言って「学院神楽尚学の舞をCD録音」して永久保存版を制作するように指示を出した。先に吹奏楽部が学院曲として「海道東征浪速」を残したように本格的に作成するように言っていたのだがようやくスケジュールが決まった。未来永劫、部員が揃い必要時に演奏できるか分からないから「バックアップ」を考えるのも管理職の業務である。さて明日は教職員に対して奉祝祭に慰労と歓送迎会を兼ねた祝賀会を上六のシェラトン都ホテルで行う。今日の拡大朝会で明日の全てを確認した。明日で「浪速改革10年の第1ステージは終了」する。そして明後日からは新たなステージに移行するのだ。私の周辺にこの学校に来た経緯とこの10年を知っている人間も少なくなった。今、世代が変わりつつあることを実感している。寂しいことだが仕方のない事だ。
IMG_1532
P1280737

28.5.18(水)浪速中学校入試報告会

P1290250
・ 今日は「浪速中学校入試報告会」の日であった。「奉祝祭の夢パラダイス」から現実に戻った。まだ5月だと言うのに来年の入学者募集の具体的な行動が始まったということだ。私立学校というのはこのように大体において社会一般より設定する時計の針が早い。1年後の為に具体的に動いているのである。今日は入試報告会とあるように今年春の入試結果の概要を纏めて塾の先生方にお話しするもので、まだ入試説明会とは呼称していない。1昨年、昨年と徐々に中学校は勢力を取り戻しつつある感がしているがまだまだ「発展途上」の中学校である。心して入試広報部や中学校サイドは情報を発信して本校の「教育力」を認知して貰わねばならない。間違いなく本校の中学校教員の教育力は高いのだから自信を持って今年1年頑張って貰いたいと思う。
P1290241
P1290238
・ 事務長先生が「今日は理事長の出番はないのですか?」と聞くので「無い」と答えた。入試広報部が持ってきた原案では昨年と同じように「学院長プレゼン」が冒頭20分もあったのだが今日は所用があってやむなく変えた。中学校校長にやって貰うように指示したのである。そして中学教頭、入試広報部長、入試広報部中学センターとそれぞれが出番を持ち「総力戦」で進めるように言ったのである。そしてそれを将来の中学校校長候補として考えているN上席副校長がつぶさに観察しながら知識と腕を磨いて貰わないといけない。何時までも理事長・学院長が前面に出ることを控え、裏に回って支える方式も部下の指導の観点では組織としては重要である。そういう意味で今朝も心配であったから、早朝から関係者を呼んで資料の最終チェックなどを行い激励したのである。
P1290248
P1290242
・ それにしても会場になった西館には相当な金額を投資しリフレッシュしてきたと思う。普通は新校舎をやり切って、さてこれから西館に取りかかろうかとなるものだが、木村流は違う。「資金の大量同時投入作戦」が勝負に勝つ秘訣だ。西館内部はすべて変った。そして外装もやりかえた。だから西館は全く新しい校舎に生まれ変わったと言って良い。昨年だけでも「西館音楽室」「吹奏楽部室(西館第二ホール)」「技術室」「1階と3階のトイレ全面更新」「外装全面補修塗装」「第二ボクシング道場」「スポーツジム設置」「全教室ICT化」など大きな投資を行って教育環境の整備を図った。そこに加えて中学校教員の高い教育力があるのだから、それらを評価して頂くことが必要である。極めて厳しい見方をする保守的な教育界だから簡単に通る話ではない。しかし焦らずたゆまず頑張っておれば浪速中学校の存在感は高まる。浪速高校で学年トップの生徒は何時も浪速中学校出身の内部生であり、再来年には久しぶりに東京大学現役合格の可能性のある生徒も出て来ている。
image009

・ 今日、私が感心したのはお客様をご案内する動線が中央階段を上がってコスモススペースの横から西館に繋がる「繋ぎデッキ」を抜け西館ホールにお客様をご案内するルートを考えていてくれた。これは素晴らしいアイデアだ。こういう面の知恵は彼らは凄いものを持っている。しかしプレゼン資料に「真田丸」とあったのは思わず笑ってしまった。塾の先生方の中には見学が2回目と言う先生もいらっしゃったみたいだ。コスモススペース、浪速シアター、天空R、図書館、古事記物語、他感嘆の声ばかりだったと報告を受けた。ここにきてコスモススペースの人気が凄い。作って良かったと今つくづくと思う。一見無駄だと思える施設が実は最も評判が良いというのも私は嬉しい。2教室分をつぶして後から作った場所である。
P1290287
P1290269
・ 奉祝祭以降、校舎見学の申し込みが後を絶たない。23日府内中央の有力私立中高、26日塾のNセンター、27日寝屋川市の某大学付属、6月に入って7日府内南部の有力私立中高、11日塾のE塾が既に予定として入った。中には今新校舎を考えているところもあるらしい。大林組さんを大いにPRして上げねばならない。彼らは実に良く頑張ってくれた。私は今100周年記念で「浪速アリーナ」を考えているのだがその時には同じメンバーが集まればもう工事のやり直しはないだろう。彼らは私の元で大いに学習した。
P1290297
P1290275
・ ところで浪速中学校には実に魅力的な生徒が多い。私は中学生が可愛くてならない。新校舎奉祝祭でブログに記録する機会がなかったが、去る5月8日の「母の日」において本校中学校生徒が大阪日日新聞の作文懸賞で入選となり、大きく記事になっていた。義務教育である中学校教育で公立中学があるのにわざわざ私立中学校に行かせるのは「それなりの理由」があるからである。今やそういう偏見は少なくなったがそれでも「私立中学に行く子はお金持ちの子ども」と思われていたらそれは違う。様々な家庭から様々な理由で私立中学校に来ているのである。だから我々は義務教育ではない浪速高校教育と義務教育である浪速中学校教育とはある面峻別して対応する必要があるのだ。普通の対応なら私立浪速中学校に行かせる意味は無い。

・ 浪速中学校3年 Iさん 「家族はすごい」

 私の家族は、私、お兄ちゃん、お母さん、お父さんの四人家族です。私のお父さんは、すごいです。毎日、朝の4時に起きて4時半に会社に行き、夜の8時や9時まで仕事を家族のためにしています。
 そして、これを聞くと当たり前と思う人もいると思いますが、お父さんは困っている人がいると見ていられません。この前は、自転車から降りれないおじいちゃんがいて、前にいた車は通り過ぎるのを待ち、見ていましたが、後から来たお父さんは車をすぐに降り、助けにいきました。その前も、自転車でこけて頭を打ち、倒れた人がいたのをすぐに見つけ、救急車を呼んで助けました。でも、私は怖くて何もできませんでした。皆さんは知らない人が困っていたら助けてあげることはできますか?
 そして、私のお母さんも働いています。毎朝早起きをして、家族の分のお弁当を作ってから仕事に行っています。お母さんは、私が困っていたらたくさん話を聞いてくれます。だから頑張れます。
 お兄ちゃんは、決まっていた大学を諦めてお父さんの仕事を継ぎました。夢を諦めてまで、すごいと思います。私はそんな家族と出会えて良かったです。時には喧嘩もしますが、楽しいです。私もそんな家族のように人を助けられる大人になりたいです。そんな家族に一つお願いしたいのは、犬を飼ってほしいことです。

・ 浪速中学校2年  Iさん 「お母さんに伝えたいこと」

私は、お母さんに伝えたいことがあります。それは「辛い時一人でかかえこまなくても、いいんだよ」と伝えたいです。私には、お父さんが居ません。なぜなら私が小学校2年生の時に、離婚しました。だから今は私と私のお兄ちゃんとお母さんの、3人暮らしです。でも、私は今すごく楽しく生活できています。
なぜ私達兄弟が、楽しく生活できているかというと、それはお母さんが一人で、一生懸命私達のために、頑張ってくれています。私は、本当にお母さんは、すごいなと思います。なぜなら、絶対一人で辛い時、しんどい時があるのに、その弱音を絶対二人に言いません。
なので、私はお母さんに一人でかかえこまなくても、話していいんだよと伝えたいです。私にとって、お母さんは大切なお母さんでもあり、私の一番の心から話せる親友です。私の友達関係で話を聞いてもらう時、お母さんは忙しい中私の話を、真剣に聞いて悩んで前向きに答えてくれます。私は、本当にお母さんが大好きです。
 お母さんは一人で一番辛いのに私達に「○○○達がいてくれるだけで幸せ」だと言ってくれました。私は本当に、うれしかったです。
 お母さん、私達兄弟もお母さんといっしょに居て、本当に幸せだよと伝えたいです。

28.5.17(火)奉祝祭余情7「特別会食」

P1280978
・ 一流シティホテルのケータリングを頼み体育館で盛大な祝賀会を当初は考えていたが、熊本地震が起きた。浪速武道館の時も二日前に東日本大震災が発生し祝賀会は取り止めた。あの時は日本中が自粛ムードに包まれたが今回はそうでもなかった。しかし私は祝賀会を強行する気にはなれなかった。やはり自粛の態度が学校としては正しいと思った。それに平日故に時間も長く取れないからだ。その代わり私は自らが吟味した「直会弁当」を用意した。ただお渡ししただけなら失礼になる。食事の時間帯であり、もしお時間のある方は学校でお食べくださいと言って「味噌汁」を用意し西館の第一ホールを食事会場として準備した。後で聞いたところによると結構な数の人々が利用されたという。このアイデアは良かったと思う。
E_0402
E_0406
・ 一方一部の方々、遠方から来られた方々やVIP,また大口の寄付金を戴いた方々に弁当だけお渡しして「バイバイ」では社会通念上儀礼に欠けると判断した。まして祝辞を戴いた方々や組織のトップの方にはそれなりの礼節が必要だ。当初からその場所は天空Rにすることは決めていた。実際にホテルのシェフが下見に来られたりした。しかしホテルを使ったのでは自粛にはならない。そういうところに天空R、給食会社のハートスの社長さんが是非「やらせてほしい」と力強く要望された。私は意気に感じて彼らに実行して貰うことにした。その方が断然良いことは分かっていたが果たして出来るかどうか不安だったのだ。
P1280973
P1280984
・ 結果的に見事にこの会社はやり切ってくれた。会場設営も大変だったろうと思うが全く私が不満を感じることのない素晴らしさで最後まで仕切ってくれた。最終的に私がお呼びした50名の方々を中央館6階の天空Rにお呼びし、当然「アルコール無し」の会食会を持ったのである。祝賀会ではない。会食である。まず奉祝祭に「ご奉仕」頂いた神職の方々始め議員諸侯、VIP始め50名の人々にフルコースの料理をお出ししたのである。今回の実践で浪速学院の中央館天空Rはホテル並みの西洋式フルコースがサービスできると言う事を証明した。大きな実験は大成功したのである。この会社はもう何処に出しても恥ずかしくない。
P1290005
C_0729
・ 私の狙いは全て当たったと言える。皆さん驚いておられた。表現としては「言葉が無い・・・」と言われたり、中には卒業生の結婚式を神社前で行い、ここ天空Rで披露宴も出来るという声が出たほどである。ハートスさんは社長自らユニフォームを着てサービスされ最後までエレベーター前でお客様を見送られていた。見事なふるまいであった。お客様は引き出物に加えて焼き立てパンを手にされ家路に急がれ全てが終わったのである。しかし焼き立てパンコーナーは中央館の宣伝塔となった。美味くて安くて温かい焼き立てパンは新生浪速のシンボルになった。
F_0033
C_0413
B_0241
C_0804
・ あれ以来、お電話やお手紙でお礼の言葉などを戴いており当方は恐縮するばかりである。ここに代表的なものを2件、紹介し一連の奉祝祭の記録を終えたいと思う。

ある実業界の人から(新校舎に製品を納入)
前略 
 昨日は、竣功奉祝祭・記念式典に出席させていただき、本当にありがとうございました。
 その式典の中で自分自身が非常に感銘を受けたことが、ありました。木村理事長が就任後、学校改革を唱え、校舎建設という目標を実現する為の思い、リーダーとしての姿勢、自分達に想像できない困難な中、それを一歩一歩形にし、皆に自信を与え、歩まれてこられたことです。お話を聞きながら、現在の自分自身に置き換え、少しでも近付けるような覚悟、心構えで毎日を過ごしていきます。自分に与えられた責務・役割りを意識し、木村理事長なら、どうするだろうかと時々は、考えて仲間の為に頑張っていこうと思っています。
 それから、昼食でのパンや料理、本当にびっくりでした。昨日、家に帰り着いてから家内にも説明したほどです。それほど美味しかったです。
D_0428
本日当社M(この会社の前社長、現会長)にも説明しましたが、非常に喜んでくれました。I(前会長、現相談役)は外出中でしたので、明日でも報告しておきます。
 式典から帰る車中で、同行しましたF・K・Oとも話したのですが、皆、理事長の意志、強いリーダーシップに感動していました。本当に勉強になりました。
 どうぞこれからも健康に気を付けられて、私自身の心の目標でいて下さい。どうもありがとうございました。乱筆乱文をどうぞお許し下さい。
 五月十一日 ○○ ○○


 元本校教諭の方から

学校法人浪速学院  理事長  学院長 木 村 智 彦 先 生  玉案下
謹啓 新緑の一段と映える候と相成りました。先生におかれましては、ご健勝にて益々ご活躍の事と拝しお慶び申し上げます。
さて、10日の「竣功奉祝祭」並びに「記念式典」、無事に見事に終えられました事、誠に誠におめでとうございます。加えて、大神様のご加護としか言い表せられない程の恵まれたお天気、本当によかったですね。併せまして心よりお慶び申し上げる次第です。素晴らしい奉祝祭・式典でした。感動の連続でした。参列させて頂きました事に対しまして心より厚く厚くお礼を申し上げる次第でございます。ありがとうございました。

先生のブログに9時50分に鼉太鼓打初式とありましたので、高野線の我孫子前駅から小走りに学校へ向かいました。この太鼓の音をどうしても聞きたくて急ぎました。受付を終わり席に着くと同時に修祓があり、先生が登壇されて打ちならされました。素晴らしい音でした。心の中に響き体全体に沁み込む音でした。先ず、これで大感動しました。
C_0206
C_0214
祭典では、寺井斎主様の祝辞が、心の籠もった行き届いた内容ですばらしかったです。次に感動しましたのは「尚学の舞」です。神楽部の皆さんと雅楽部の皆さんの心一つになってのご奉納はそれはそれは素晴らしいものでした。涙が出て来ました。舞が終わって下がって行かれる時に、思わず拍手をしたくなる程感動しました。祭典途中、異例の事ではありますが司会の方が「拍手」をとでも言って頂ければよかったかと思いました。あの晴れの舞台で堂々と立派に舞われたのですから。高校生とは思えない立派な舞でした。
祭典が終わり内覧会に移りまして、雅楽部の皆さんの前を通りながら「立派でしたよ。ご苦労さんでした」と、声をかけました。大きな声ではなかったので全員には届かなかったと思いましたので、その夜、森川先生にメールで神楽部と雅楽部の皆さんに「立派でしたよ、よくやりましたね」と、お伝え下さいと頼みました次第です。
A_0033
C_0304
内覧会では天空レストランで焼き立てのパン3個を頂きました。持ち帰りまして翌日と翌々日とで美味しく頂きました。とてもいい発案でよかったです。式典での先生の「主催者挨拶」は、熱意溢れるしかも「まごころ」の籠もったご挨拶でこれにも感動させられました。すばらしい内容でした。

式典のあと、直会を神社新報社関西支局長の松本様と一緒に色々な話をしながら美味しく頂きました。ご馳走様でした。ありがとうございました。それと素晴らしい引き出物を賜わりましてありがとうございました。遠慮なく納めさせて頂きます。帰宅しまして、頂きました「式次第」を初め諸々の資料(カレンダーも含め)を見ながら今日の感動を再確認させて頂きました。翌日も翌々日も感動を味わわせて頂きました。

12日付のブログを拝見させて頂きました。その中で、舞終わって退下される神楽部の四名の生徒さんの長い髪について、地毛なのか付け毛なのかと疑問に思っていた事が解けました。それは、図書券をお渡しになられておられる写真です。お一人づづにお渡しになられたのか代表者にお渡しになられたのか知りませんが、ここに写っておられる女子生徒さんを見まして「神楽部の生徒さんだ」と、直観で思いました。それは髪の毛が長いと言うことです。即ち、舞われた四名の生徒さんは「地毛」だったのだと、思った次第です。図書券を貰われた生徒の皆さんは感激されたでしょうね。喜ばれたでしょうね。

12日のブログの末尾にありました「ブログをまもなく閉じる」との由、ファンの一人としましては誠に残念でなりません。寂しい限りです。しかし、先生のご意志の固い事を理解申し上げさせて頂きます。続けて下さいとは申しません。長い間本当にご苦労様でした。ありがとうございました。常に生徒に寄り添われるご姿勢(特に先日のブログの雅楽部・神楽部の新入生への入部の呼びかけとビラ配布の写真は生徒さん一緒に声を出されておられるご様子、実にほほえましくついつい微笑んでしまいましたがこれぞ先生方の鏡と感銘を受けました)と教職員・職員を常に思われるご姿勢などなど沢山の事を教えて頂きました。ここまで続けて来られました事のご努力・ご苦労に対しまして心より敬意を表しますと共に厚くお礼と感謝の気持ちを申し上げる次第です。

最後に、ここまで先頭に立たれて来られました事に対しまして心よりご慰労申し上げる次第です。本当にご苦労様でした、お疲れ様でした。ゆっくりとなさって下さいと申し上げたいのですが、まだまだ大事なご公務は続きます様ですから、唯、呉々もご自愛の上、更なるご活躍の程をお祈り申し上げますと共に学校法人浪速学院の益々のご発展をご祈念申し上げております、と申し上げます。
以上、お礼申し上げる次第です。お招き頂きまして本当にありがとうございました。
謹白
○○ ○○ 拝 

28.5.16(月)奉祝祭余情6「内覧会」

D_0233
・ 元来ならこのような新校舎や新社屋の披露会の順番は先ず「式典」があり、そして「内覧会」その後「祝賀会」となるのが普通だ。しかし本校の場合は神社神道の学校としてまず「新しい社殿の披露」をかねた神社前広場での神様への「奉祝祭」が最初であり、これは絶対に動かせなかった。その後は普通なら体育館に移動して貰って「式典」とする筈だったが、今回はまず内覧会を持ってきて、その後式典とした。祝賀会は熊本地震の事もあり自粛とし一応主催者としては気を遣って調製した「直会弁当」と「引き出物」及び「天孫降臨焼酎」をお土産としてお開きとしたのである。神事において「お神酒嫌いな神は居ない」からでもないのだがお酒は欠かせないからだ。
P1280961
・ 連休明け、それも平日の午前10時開始だから時間調整もしなければならなかった。それがご多忙な中をわざわざお越し頂いたお客様への配慮である。皆様のお時間を我々が長時間に亘って使う訳には行かない。結果的には時間がギリギリでしわよせは内覧会になったと思う。11時30分には「式典が始まりますので体育館にご参集ください」と放送を流したから十分新校舎を観て頂いたとは言えないのではないだろうか。私はそれで今回は致し方ないと考えている。別途の機会にお越し頂ければ全てをじっくりとご覧いただける。
C_0325
・ 内覧会は350名のお客様を11グループに分け4台のエレベーターをフル稼働して教職員が複数ガイドに付き、混雑を避けるように組んで行った。しかし各グループが時間通りに動く訳はない。特に今回は目玉として「天空Rの焼き立てパンコーナー」で1500個用意したパンをお一人様3個くらいご自由にお取り頂きお持ちかえりくださいとしたものだからここが大混雑となった。だからグループによっては式典が始まるからパンを取れなかったとの声が出て、急遽西館の第一ホールでの直会弁当の昼食会場に運んだそうだ。これは後で聞いた話である。
P1280886
・ ここに各グル―プの責任者がまとめたお客様のお声を纏めたものがある。第1から3までは議員諸侯、祝辞を戴いた方々、大学、理事長クラスの人々のグループである。全体を通じてとにかく「称賛の嵐」というのであろうか、内覧会の実務責任者の教頭補佐がまとめて報告してくれたが「絶賛」であったと言う。やはり天空レストランと焼き立てパンコーナー、それに図書館、中央職員室、コスモススペース、和教室、中央音楽室、家庭科調理実習室、視聴覚教室、どれもこれもお褒めを戴いたと言う。しかしこれは当たり前でお招きいただき、悪く言う訳はないのであって差し引いて考えねばならないが、差し引いても皆様に驚きを与えた事は間違いない。後刻始まった特別会食の席で今建設中の理事長先生は私に駆け寄り抱き疲れ、「負けた、負けた」と言われていた位である。
P1280968

C_0413
・ 私が嬉しかったのは大林組やきんでんさんと苦労した部分がすべて称賛されたことである。このブログを読んで設計者や施行者は安堵すると同時に「良い仕事をしたな」と思って欲しい。「苦労の甲斐があった」ということだ。東館にはご案内しなかったこともあるが、若し理事長室にはお入れしたらうらやましがられたに違いない。とにかく内覧会は大変な混雑であった。教職員は総出で対応したので内覧会の写真が少ないのが残念であるが仕方がない。
D_0429
C_0421
C_0438
C_0448
第1グループ
・全てに目に入る光景に感動されておられた
・「この施設はすごすぎる」と言われていた
・8階図書館からの眺望がすばらしい
・中央館の吹き抜けが良く光がよく入って明るい
・書道教室の水書板に驚き自ら筆をとっておられた。
・「天空Rはうちの大学よりすごい」と言われていた。
・中央職員室の広さに驚いておられた
第2グループ
・音楽室が3つもあること(中央音楽室・西館音楽室・吹奏楽専用音楽室)
・「天空Rは大学のようだ」と言われた
・学院神社がすばらしいと言われていた
・5F学習室のガラス張りに驚かれていた。
・コスモススペースとそこから正門への景観の素晴らしさ
・事務室前ロービーはホテルのようだ。
第3グループ
・各部屋からの眺望がすばらしい。
・生徒用の教室が広く、中央職員室の広さに驚いておられた
・「まだ新品ですね。今から使用するのですか?」と尋ねられた
・コスモススペースを設置した発想がすばらしい
・和教室を見て、さすが神道の学校で校内に「こんな部屋があったらいいね」と言われた
・特別教室にお金をかけておられるのが凄い見識だ
第4グループ
・「きれいですね。丁寧に使用されていますね」
・調理室の設備の充実
・学院神社の綺麗さと神社前のスペース、時計台前広場など広さに驚かれていた。
・廊下の広さに驚かれた
・左右の中央階段と吹き抜けの回廊は豪華
第5グループ
・図書館からの眺望がすばらしい
・調理室も見て、「わかりやすく説明してくださって感謝します」
・視聴覚室の階段机と前のスペースの広さが広く利用しやすい。
・書道室や美術室を見て、「文化的学習にも力を入れているのですね」
・「天の岩屋戸の壁画」と「天孫降臨ガラス絵」に驚いた、博物館かホテル
第6グループ
・HR教室が広く電子黒板などもあり机も大きく学習しやすい環境ですね。と言われた
・職員室を高校関係者が見て、「広くてきれいですね。素晴らしい。」と言われた
・各特別教室の充実度と2Fコスモススペースの設置した発想の素晴らしさに感動された
・歴史階段や絵画、ステンドガラスの原画など校内に設置していることに感動された
・あの正門の高さや太さなど、素晴らしさは日本一ではないですか
第7グループ
・情報教室が二つもありびっくりされた
・天空Rを見て、来校したときは「私たちも使用してよろしいのですか?」と
 あまりの綺麗さと広さにぜひ味を知りたいと言われる
・焼き立てパンコーナーのある学校は日本の学校で他にあるのですか
・進路指導部の横の学習室は素晴らしい
・建速清拳館の設備の充実に驚かれた
・浪速シアターが面白い
第8グループ
・中央館8階の視聴覚・図書室・情報教室・自習室の充実度
・中央館5階の職員室の開放感と一体感
・職員室に隣接したガラス張りの質問室が新しい発想
・屋上庭園を大学関係者が見て、「うちの大学にもほしいなあ」と言っておられた
・教室の広さや設備の充実に驚かれた
・壁に紙を貼っていない。すべて掲示板に貼っているのですね。
第9グループ
・見るもの全てに感動されていた
・天空Rの広さとパンに大喜びされていた
・トイレが綺麗だと言われた
・電子黒板やテレビなど全教室に設置されており学習活動には最高の環境だと言っていただいた
・サイネージが至る所にあって最新の学校だと感じた。垢抜けていますね
第10グループ
・ご年配の方は、情報教室のパソコンの多さにびっくりされていた
・中央音楽室にギターが置かれていて驚かれた
・美術室の説明の仕方が非常に良かった
・職員室の広さと綺麗さに感動され隣の学習室のガラス張りにも驚かれ開放感が素晴らしいと言われた
第11グループ
・自習室の広さと明るさ
・天空Rの広さと設備に驚かれ焼きたてパンが食べれるという環境の良さに感動されそのパンをその場で持ち帰れたことに驚かれた
・調理室の設備の充実
・図書室の書庫の多さ
・中学全教室に電子黒板が設置されていること
・サイネージが良い
P1290109

28.5.15(日)奉祝祭余情5「伊勢神宮崇敬会理事長様の祝辞」

P1280937
・ 昨日のブログで神宮大宮司様の事について少し触れた。今日は少宮司について記したい。「少」が付くから大した職位ではないと思ったらトンデモナイことで神宮のナンバーツーであり、 元慶5年(881)伊勢神宮に置かれたように長い、長い伝統を有する職位である。大宮司を補佐する職位であり、民間からの宮司としては最高位にある。今の少宮司は亀田氏、前の少宮司が髙城氏で今回の奉祝祭では髙城氏が伊勢神宮崇敬会理事長のお立場で参列して頂きご祝辞を賜った。この神宮司庁の人事異動は昨年の8月31日付であったが、異動の報に接し髙城氏の勇退を正直言って「寂しく感じた」ことを今でも覚えている。ただ後任の少宮司に就任された亀田幸弘氏も総務部長時代から良く存じ上げていたから少し安堵したことも記憶にある。それくらい本校は神宮様とは近い関係だと勝手かも知れないが、そのように我々は思っているだけに神宮の人事異動に私は敏感である。とにかく我々の立場から言えば神宮の幹部神職のお方には「本校の事」を大変良く知って頂いているお方であることが望ましいし、そうであれば我々は嬉しいのである。
P1280853
G_0062
・ 髙城前少宮司は現在伊勢神宮の外郭団体「伊勢神宮崇敬会」の理事長の要職にあらせられる。回られたと言う方が適切かも知れない。「平成25年の第62回式年遷宮」を神宮少宮司として成功裡に仕切られた髙城氏の見事な勇退は当時神社界で大きな評判を呼んだ。髙城氏は2003年に少宮司に就任し、12年もの長きに亘って在職し式年遷宮の大成功は元より神宮参拝者がグングンとうなぎ上りに上昇した「神宮宣揚」という大きな功績をお持ちである。体躯はどちらかと言えば小柄であり、口数も少なく、お声も私の如く大きくはないが、人格識見は元より男らしい「豪胆」な感じで、間違いなく組織の中心に立たれる器量をお持ちだからこそ、あの遷宮を見事にやり切られたのだと思う。私が目標とする男の生き様を髙城理事長は見せられる。ちなみに私は崇敬会の評議員を委嘱されているから益々理事長とは身近になった。
F_0030
・ 実は髙城理事長が少宮司時代に「倭姫宮の鳥居」の譲与や「150号もの鳥居禮画伯作の絵画寄贈」が決まった。すべて髙城先生の手によって進められたことを私は良く知っている。又今回の奉祝祭で新しく「学院神社神楽 尚学の舞」を制作するにあたって私は髙城氏を神宮司廰に訪ねご意見を伺った時の事を今でも覚えている。恐らく髙城少宮司様がいなかったら鳥居も譲与されず絵画も戴けていなかったのではないか。それだけに私は本校理事長として伊勢神宮崇敬会髙城理事長には「生涯の恩」を感じているのである。何度となく私は神宮司廰を訪ねたが、ここは良い表現が見つからないが「徹底した階級社会」「何か神社界の中央省庁」みたいな官僚的雰囲気が漂う場所であり、この「バサラな私」でも緊張するところであり、そのような組織のトップは私などには務まらないだろう。忍耐のお人でもあるのだ。
P1010351
jpg鳥居絵画
鳥居絵2
P1280737
・ ある時私は少宮司を司廰にお訪ねした。大宮司と少宮司しか普通は使わない奥の院みたいな大きなそれでいて豪華な応接室に通された部屋はさも今上陛下や皇室関係者がお使いになるのではないかと思うばかりの気品と雅に包まれた部屋であった。後にも先にもあのような部屋に通されたことはない。この大きな部屋でただ二人だけで髙城少宮司と面談した時のことが懐かしく思い出される。今回の奉祝祭では絶対に参列頂きたいと崇敬会のA事務局長先生などにもお願いし実現した。これ以上の栄誉はなかった。今後とも我々は神宮崇敬会が経営する神宮会館において「伊勢修養学舎」を開設し生徒を毎年毎年送り出す。今後とも大きなお世話になるし、本校が有る限り伊勢神宮と崇敬会の関係は続く。今の勢いのある浪速高等学校を継続しなければならない。私は心を込めて感謝状をお渡ししたのである。
P1280930
P1280931

・ 神宮崇敬会髙城理事長のご祝辞

“ 本日茲に学校法人浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校の新校舎並びに新学院神社の竣工奉祝祭が執り行われ、かくも盛大に記念式典が挙行されますことを心よりお祝い申し上げます。

  貴校におかれましては、大正十二年の開校以来、敬神崇祖、神社神道を建学の精神とされ、全人教育、そしてクラブ活動での錬磨、奉仕活動を通しての社会参加など大阪を代表する私学として、今日まで多方面で活躍される多くの人材を輩出されてこられました。
  貴校は神社神道の精神のもと昭和二十九年より神都「伊勢」において伊勢修養学舎を実施され、毎年、集団生活・修練の場の宿泊施設として、私ども伊勢神宮崇敬会が運営する神宮会館をご利用いただき本年で六十二年目となります。

  この度の新校舎並びに新学院神社の竣工を奉祝し、又、伊勢との関わりを感じていただきたく本会より絵画を贈呈させていただきました。「伊勢の神宮」の内宮宇治橋中央から朝日が立ち昇る作品で、神道画家の鳥居禮画伯に特別に依頼し、制作をしていただきました。修養学舎を経験した生徒様であれば必ず「神宮」を思い出していただけることと存じます。伊勢での修養学舎開講の期間、生徒たちは日常生活では得る事の出来ない貴重な経験をされます。神宮の参拝は勿論の事でありますが、五十鈴川での禊をはじめ祭式教室など多くの神事を学びます。身を清め心を鍛えた経験は、一生涯の糧となり人間形成に生かされる事と存じます。

  「二十一世紀は心の時代」といわれて来ておりますが、今日の経済的な豊かさの中にあって価値観の多様化を背景に、目に見える物質や、数値で計れるようなものに高い価値があるかのように思い、その価値観で物事のすべてを計る傾向が見受けられます。時代が進み、私たち人間社会の問題を挙げれば尽きることはありませんが、このような時代だからこそ、精神的なものに価値を見いだせる国民性が開花する時代だと思っております。これからの時代を築き、次の世代へつなげていくのは、他の誰でもない皆様方であります。

  本日、竣工されましたこの素晴らしい学び舎においてかけがえのない友人達と切磋琢磨しながらお互いを高め、更に飛躍なされることを心より祈念致しております。
 私ども伊勢神宮崇敬会は「国民とお伊勢さまとの懸け橋」を目的として、日本人の大きな精神的支柱である伊勢の神宮を紹介し、古来より受け継がれてきた神を敬い日本を愛する心の涵養に努めており、微力ながら今後も貴校にご協力させて頂く事が出来ればと考えております。

  結びにあたり、貴校の更なる発展と本日ご参集の皆さま方の益々のご健勝とご多幸をお祈りし、御挨拶とさせて頂きます。
 平成二十八年五月十日
伊勢神宮崇敬会
理事長 髙 城 治 延

IMG_1641

28.5.14(土)奉祝祭余情4「大宮司様の祝辞」

P1290227
・ ブログでのご祝辞のご紹介も遂に伊勢神宮様になった。今、後世の為に奉祝祭の「すべての記録」を残しているところだが、元々が生粋の民間人故に神社界にはなじみが薄く、今までもそして今回の奉祝祭においても神社界、中でも伊勢神宮様には相当気を遣ってきた。とにかく新学院神社のご造営を決めた時から心の中では伊勢神宮よりどなたかに参列して頂きたいと強く思っていたし、果たして来て頂けるのか一抹の不安はあったのである。62年間に及ぶ「伊勢修養学舎」を継続している学校だし、神宮のおひざ元で男子生徒が五十鈴川で「みそぎ」鍛錬修行を行い、女生徒が皇学館大学で祭式作法や神楽舞のお稽古するような学校は日本には無い。この間2泊3日で「神宮会館」を借り切っての宿泊合宿行事を62年間も継続してきた学校である。
IMG_0034
IMG_0574
IMG_1256
IMG_0654
・ とにかく本校は日本で唯一の神社神道の私立高校である。第一、私の執務室の真後ろには「浄明正直」の扁額が掲げられている。これは元の神宮大宮司の徳川宗敬氏の揮毫によるものである。又執務室の前庭には私の下手な字で浄明正直の石柱を立てまでした。有体に言えば本校は「伊勢神宮付属浪速高等学校・中学校」と称されても良い学校だなどと勝手に思っているくらいだ。以上のことは当然神宮にも、又その外郭団体である神宮崇敬会の関係者にはお分かり頂いている話であり、来て頂けるだろうとの期待と、とにかく伊勢神宮から何方かにお越し頂きたかった願望とに心は揺れていた。これだけは私の力で絶対に実現しなければならないと強く思っていた。多くの大学や私立学校関係者、塾長の先生方がお越し頂く中で若し伊勢神宮から参列して頂けると最大限「錦上花を添える」ことになり、最高の栄誉である。私は用意周到に事を進めた。
P1290237
・ ただし神宮から「大宮司」様が自ら来て頂けるとは当初から思っていなかった。「国事」ならいざ知らず一地方の私立学校の新校舎と新神社が普請出来た位でわざわざ大宮司様が来られるはずはないと私は踏んでいた。そしてご案内状は予てより親しく存じあげているK少宮司、禰宜のM総務部長、禰宜でM営繕部長兼調度部長のご3人に出状した。勿論3人もお越し頂ける筈はないことを踏んだうえでのことである。神宮の少宮司は少の字が付いているが一般社会の大きな神社の宮司より格が上だし、禰宜でも立派な神社の宮司職に相当する職位である。そして神宮司廰の動静を注視し結論を待ったのである。
P1280600
P1280592
・ 結果的には神宮から幹部神職である禰宜で神宮研修所長の要職にあるT氏が大宮司のご名代として参列頂いたのである。そして「大宮司の祝辞」を持参してのご来阪であった。私は神宮司廰の細やかなご配慮に感激した。実は今回の奉祝祭でのご披露で特筆すべきものは総檜の「鳥居」であり、これは25年の第62回式年遷宮で古材扱いとなった神宮の別宮「倭姫宮」の第一鳥居を譲与されたものであるが、当初からこの件でご対応いただいたのが今回参列頂いたT禰宜様であった。当時は神宮参事で総務課長の要職に有られたのだが、その方が大宮司のご名代で参列して頂いたのである。「武士の気遣い」みたいなご配慮にただただ感謝している。
P1280926
IMG_1639
IMG_0392
・ 伊勢神宮は通常は「神宮」だけで通る名前で日本全国、神宮と言えば伊勢神宮のことである。その頂点に立つ神職は「大宮司(だいいぐうじ、古流ではおおみやづかさ)」と言い、この職位も伊勢神宮だけに限られている。昔は伊勢神宮以外では熱田・宇佐・阿蘇・香椎(かしい)・宗像(むなかた)・気比(けひ)などの神宮・神社の神職の長も大宮司と称されていたらしいが、明治10年以降は伊勢神宮にだけ置かれた神職の長である。「皇大神宮儀式帳」によれば紀元881年(元慶5)に大宮司,少宮司の区別をし,各1員としたとあるから、そんじょそこらの職位ではない事だけは間違いない。今から1200年も前からあった職位が大宮司、少宮司なのである。
 E_0091
C_0280
・ 現在の大宮司様は「鷹司 尚武(たかつかさ なおたけ、1945年6月9日 - )」氏である。松平乗武(旧美濃岩村藩大給松平家当主松平乗長の次男)・章子(ふみこ、鷹司信輔の次女)夫妻の長男として生まれ、その後鷹司平通・和子夫妻の養子となり、五摂家の一つだった鷹司家を継ぎ第28代目当主になられた。旧姓名は松平 尚武、ご養母の鷹司和子様は昭和天皇の第三皇女であり、今上天皇は義理の叔父にあたられる。1964年、学習院高等科卒業、1970年、慶應義塾大学工学部卒業、1972年、同大学院工学研究科修了、同年、日本電気株式会社(NEC)に入社され、NECネットワークス執行役員を経て、NEC通信システム社長に就任した。2007年6月に退任され、翌月、戦後9人目となる伊勢神宮大宮司にご就任された。

・ 鷹司尚武大宮司様から戴いたご祝辞を以下全文で:

“学校法人浪速学院の創立九十周年記念事業として予てより執り進められておりました浪速高等学校・浪速中学校の新校舎建設、並びに学院神社の新社殿御造営が美事に竣工し、先頃厳粛の裡(うち)に遷座祭も無事斎行相成りましたこと、心よりお慶びを申し上げます。

貴校は大阪府下の神職団体である財団法人大阪国学院を設立者とし、大正十二年に旧制浪速中学校として開学されました。爾来九十有余年の長きに亘り、一貫して神道の精神を教育理念に掲げ、浄(じょう)明(めい)正直(せいちょく)の校訓のもと敬神崇祖の美しい心の涵養を図り、その崇高にして堅実な校風を以て、我が国の将来を担う青少年の育成に寄与してこられました。

この間、自然災害や戦後未曾有の混乱期など、幾多の困難をも乗り越えられ、その弛まぬ努力により大阪を代表する私学の一つとして発展し、多くの優秀な人材を輩出されると共に、スポーツの分野においても数々の輝かしい成果を挙げてこられました。これも偏に木村智彦理事長以下役教職員、卒業生を始めとする関係各位の熱意溢れるご尽力によるものと、衷心より敬意を表する次第であります。

また、貴校における教育の特色的な行事である伊勢修養学舎は、第五十九回神宮式年遷宮を記念して昭和二十九年に第一回が開催されて以来、回を重ね、本年で六十三回目を迎えます。
神都伊勢の地において毎年多くの生徒が歴史・伝統に培われた豊かな日本文化を尊ぶ精神を育くまれ、実りある研修を通じて大きな成果を収められています。

これに加え、今回の整備事業の一環として執り進められました学院神社新社殿の御造営事業にあたっては、先頃神宮より撤下されました古材により社前に鳥居を設けられ、役教職員・生徒の新たな心の拠りどころとして相応しい御社頭の景観を整備されました。これにより学院の守りの神として大御神様の御神徳を日々仰ぎ、浪速学院で学ぶ多くの生徒に伊勢との繋がりをより一層身近に感じていただけることは、私の深く歓びとするところであります。創立より間もなく百年を迎えようとする今日、我が国の社会情勢は目まぐるしく変化し、政治・経済・教育いずれの分野においても混迷が続き、うるわしい日本の国風(くにぶり)が失われつつあります。

このような時勢にあって、伝統を重んじ日本の叡知である神道の調和の精神を体得し、延いては世界へ羽ばたく人材を育成する浪速学院の教育に対する地域の期待は愈々大なるものがあると存じます。
どうか皆様方には、この度の校内整備事業の完了を契機として、創立以来先輩諸賢が積み上げてこられた道程(みちのり)を今一度振り返り、生徒諸君は日々研鑽に努め、また役教職員各位には建学の精神を更に喚起して、より充実した育英指導に専心され、更なる学院の興隆を図られるよう願ってやみません。
結びに本日のご盛儀を改めて言祝ぎますと共に、学校法人浪速学院の今後益々の弥栄と本日ご参集の皆様方のご健勝とご多幸を祈念して、私の祝辞といたします。

 平成二十八年五月十日
神宮大宮司 鷹司 尚武

28.5.13(金)奉祝祭余情3「神社本庁総長の祝辞」

P1290150
・ 今回式典の会場となった体育館にご登壇頂きご祝辞を賜ったお人は5人であった。時間の関係もあって絞りに絞って最終的に5人となった。このブログにおいて順番に紹介しているがまず行政として順番で記せば、まず大阪府の松井一郎知事(私学課長の代読)、次に神社本庁の田中総長、伊勢神宮の鷹司尚武大宮司(禰宜の代読)、神宮崇敬会髙城理事長、森大阪府私立中学校高等学校連合会会長となった。この順番は結構気を遣って多方面に確認し最終的に私が決めた。私以外にこれを決める人間はいない。間違ったら大変なことになるから当然である。トップバッターの大阪府は法的に担保されている私立中高校の管轄部門であり経常費補助金を受けているから当然であり、一地方行政機関と言えども、行政がトップに来るのは疑いの余地はない。
P1280911
・ 問題は次に何方にお願いするかであった。当初伊勢神宮の大宮司様にお願いすべきかと一瞬思いがよぎったが念のためベテラン神職である理事長職務代理に確認したら、「議論の余地なし、東京の神社本庁総長たるべし」であった。私としたら伊勢神宮は皇祖神をお祀りし皇室の神社と言ってもおかしくはないし大宮司様も天皇家とご親戚で有らせられるからと思ったのだがそれは間違いだった。法的に言えば伊勢神宮と言えども全国8万社の一つなのである。神社本庁は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人であり、神道系の宗教団体として日本で最大のもので、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している団体である。各都道府県ごとに神社庁を持ち、昔は「内務省の外局」であった神祇院の後継的存在であり、戦後、宗教法人法にもとづく包括宗教法人となった。そのトップが田中総長であり国宝を戴く石清水八幡宮の宮司様でもある。従って2番バッターは神社本庁の総長なのである。
IMG_1634
・ それにしても田中総長には良くぞご参列して頂いたことよ。私自身が予てより存じ上げていたことあり東京に直接お電話してお願いした。又寺井名誉理事長と南坊城職務代理の存在が利いたと思う。寺井宮司とは遠いご親戚の関係にあり、又理事職務代理の南坊城先生と総長は極めて親しい友人であり、皆さん国学院大学の同窓生である。田中総長の存在感は凄かった。さすがに全国8万の神社のトップに立つお方である。又ご挨拶も素晴らしかった。原稿なしでよどみなく、起承転結がはっきりしており、後でご来賓の方々からも「挨拶の内容の素晴らしさ」に感動したと言われていた。
P1280794
・ 原稿をお持ちでないから、全てをここに書く訳には行かない。思い出して記述するが、要は“今の時代このような立派な総檜のご社殿などはない、全国8万社のトップとして竣功祭を寿ぎ、今日の慶事を全国のお社が我がことの様に歓んでいる”。学校の校訓「浄明正直」に触れて頂き、私の10年の労苦を何回も称えて下さった。内覧も時間を割いていただき「このような学校は初めて」だと称賛して頂いたのである。
P1280772
・ 神道宗教には天神信仰、八幡信仰、稲荷信仰などと様々であって、一つの教義を定めるのは非常に困難である。このため昭和55年に「神社本庁憲章」を定めたが、その第一条は「神社本庁は、伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する。」とある。しかし分かり易いのが「敬神生活の綱領」である。これは「神社本庁憲章」以前、神社本庁の実践的精神を示すものとして、昭和31年(1956年)に制定されたものである。
敬神生活の綱領
「神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ 道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること」とある。
P1290223
・ 神社本庁には、成文化された教義はないが「神社本庁憲章」と「敬神生活の綱領」を以てその設立及び活動の精神と見ることができる。私はこの綱領を初めて聞いた時に直感が走り、この精神を入れた現在本校で学んでいる生徒の精神的基調として「浪速生活の綱領」をまとめた。既に7年を過ぎたが今や完全に本校のものになった感じでこれを有している幸せを感じている。或る面本校の宝物であると言える。今日は「高校朝礼」の日であった。私は奉祝祭でご来客から多くのお褒めの言葉を頂いたがその一部を生徒に伝え、きれいに使っていることを褒めたのである。今後長きに亘ってこの新校舎の美しさを守るために先に伝えた「浪高生20の約束」についても話した。来週から中間試験が始まるのでその激励をして終えたのであった。竣工奉祝祭が無事に終わって生徒も何かほっとした安心感みたいなものを感じているのかなと思った。それは生徒の顔が大変良かったからである。
P1290122
P1290134
P1290137
P1290140
・ 午前10時に堺市在住の日展会員で審査委員までなされた小灘一紀画伯と令夫人並びにご友人の3名を重要訪問者としてお迎えした。初めてサイネージ板を使って歓迎の意を示した。実は先程狭山市の狭山池博物館で先生の画展があって古事記を専門に描かれているという新聞記事に触れ鑑賞に行った。展覧されていたどの古事記の作品も素晴らしいと思った私は奉祝祭が終わった後の本日、先生ご夫妻を学校にご招待したのである。ビデオをご覧いただき、校舎内をくまなくご案内し、あちこちに話が飛び大層に盛り上がった。奥様は皇学館大学文学部国史学科をご卒業されており、本校のT中学校長さんをご紹介した。彼は夫人の後輩にあたるからだ。夫人はお顔の広い人で次々とお話に出てくるお人の中には私も良く知ったお方がおられ、人間のネットワークは結構どこかで繋がっていることを今日は痛感した。
P1290154
P1290156
・ 先生とは「楠木正成」公を崇拝することでも一致した。要は私と価値観が一致するのである。私は先生にお願いした。出来れば「倭健命(日本武尊)」とお妃である「弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)」のツウーショットを物語風に描いて頂きたいと申し上げた。それを天空6Rに飾りたいのである。先生は大変お忙しくておありだが、今日の感触では私の願いを叶えて頂きそうだった。
P1290180
・ 13時からはホームページのリニューアルの提案がソフト会社からあった。新校舎の完成を機に公式ウエブサイトのデザインを一新したい。既に実力・実績のある3社に担当は絞って検討してきており、今日のプレゼンで最終的に1社に決めるので、私に参加して欲しいというものであった。本校は今まで全てこの方法で業者を決めて来た。浪速武道館も新校舎も、レストランの調理会社もすべてコンペで決めて来た。最も公明正大で分かり易いやり方だ。最後のチャンスをものにした会社とお付き合いすることになる。そこにはしがらみなどはどこにもない。今日の3社も私は今まで聞いたことの無い会社でお会いしたこともない。だから自由な発想で判断できるのである。しかし今日は些か恥ずかしかった。3社さんからはスマホにも対応していないしデザインも極めて古臭いホームページだと言われてしまった。新校舎にもなったことだ。丁度良い機会だから全面的に、根本的に変えてみよう。4月から新しい情報委員長になったが早速新しい提案が出てきた。これが人事の効果である。
P1290187
P1290189
P1290194

28.5.12(木)奉祝祭余情2「知事の祝辞」

P1290087
・ 今回の新校舎・学院神社竣功奉祝祭にはご来賓として多くの方々にご参列して頂いたことが誠に以て光栄な事であった。皆様、それぞれがご重職に就いておられ、それも連休明けの平日、火曜日午前中であったからスケジュール調整が大変ではなかったか?それにも関わらず大阪府、伊勢神宮、神宮崇敬会、大学関係者、私学関係者、塾関係者、施行工事関係のトップの皆様にご参列頂いたことは本当に有難いことであった。大阪府からも新たに教育庁が4月に発足し、果たしてどうなるのか、大いなる関心があったがまさか大阪府知事からご祝辞を戴けるとは思っていなかった。
P1280756

IMG_1574
P1280907
・ 私学課長が来られ、松井一郎知事のご祝辞をご代読頂いたのだが、私の知る限り、100周年で初めて知事の出席、祝辞と聞いていたが、今回の本校は90周年記念行事であり100年ではないだけに驚いたのだ。これも教育庁が発足したことによるやり方の変更なのかなとふと思ったのである。しかし私は私学課長がお越し頂いたことは極めて嬉しかった。それは平成25年の5月の90周年祝賀行事、新校舎建設宣言式典にも課長はお越し下さったからである。異動の多い行政幹部としては異例でありこの点においても本校はラッキーであった。従って私学課長の代読による祝辞は心が籠って我々を感動させた。ここに大阪府知事の祝辞を記載し後世の記録に残したいと思う。

・ 新校舎・新学院神社
竣功記念式典・祝賀会 知事祝辞
  学校法人浪速学院、浪速高等学校・浪速中学校の新校舎・新学院神社竣功の記念式典・祝賀会が盛大に開催されますことを、心からお祝い申し上げます。
貴学院におかれましては、大正十二年に、建学の精神に神社神道を掲げられ、旧制浪速中学校として、設立されました。以来「敬神崇祖(けいしんすうそ)」を教育の根幹とし、「浄・明・正・直(じょう・みょう・せい・ちょく)」の心を養う教育に取り組まれ、「世のため人のために奉仕する心」「思いやりの心」「謙虚な心」を兼ね備えた、真に自立した心豊かで社会に有為な人材を数多く送り出してこられました。
これもひとえに、木村理事長をはじめとする歴代の理事長をはじめ、学校関係者の皆様の教育に対する熱意とご努力の賜物であると、深く敬意を表します。
大阪府におきましては、東西二極の一極を担う大阪の実現を目指し、“副首都・大阪”の確立を具体的なミッションとして掲げました。
府内市町村や経済界の皆様とも力をあわせて、その土台作りに取組み、「豊かさを実感できる大阪」を実現します。
そのためにも、次の時代を担う子どもたちの教育は非常に重要です。学力向上の取組みや英語教育の充実を図るとともに、私立高校授業料の無償化の継続など、家庭の経済的な事情にかかわらず誰もが希望する教育を受けられる環境づくりにも努めてまいります。
また、今年度から、教育委員会事務局に新たに私学行政を担当する「私学課」を設置し、組織として「教育庁」と名称を改め、総合的に教育行政を推進し、大阪の教育力のさらなる向上を図ります。そのためには、個々の学校の取組みを充実してもらうことが重要です。
貴学院におかれましては、創立九十周年記念事業として建築された、この素晴らしい校舎において実践される様々な教育の取組みが実り多きものとなりますよう期待いたしますとともに、大阪の教育のさらなる発展のため、ご理解・ご協力を頂きますようお願い申し上げます。
結びに、学校法人浪速学院、浪速高等学校・中学校の今後ますますの御発展と、関係者の皆様方のより一層の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げまして、お祝いの言葉とさせて頂きます。
 平成二十八年五月十日
   大阪府知事 松 井 一 郎
・ 以上に付け加えて課長は「私自身、90周年祝賀会にお招きいただき、木村理事長の新校舎建設宣言をこの耳でお聞きしました。今日このようにして大変立派な校舎と神社の竣功を目にして大変嬉しく思っております。」と言って頂いたのは望外の喜びであった。
P1280911
・ それにしても今回の奉祝祭には多くのお花と祝電を戴いた。有難いことであった。ご都合悪くOBの藤本義一先生の奥様である統紀子さまからは素晴らしいお花が届いた。皆さまから戴いたお花で圧倒的に多いのは「胡蝶蘭」であるが、夫人は全く異なる風情のお花で添え書きも「藤本義一の書斎より」とあり私を感動させた。さすがエッセイストであり芸術家だなと私は感心したのである。他の理事も同じような感想を洩らしていたがとにかくセンスが良いのだ。校歌「我ら浪速」を作詞して頂いた故義一先生のお声が聞こえるようなお花を私は最も大切な場所である「天の御柱」傍に置いたのである。尚頂いた多くのお花は事務室前のロビーに飾って楽しんでいる。
IMG_1522
IMG_1649
・ 又公務で生憎出席が叶わなかったが、文化シャッター株式会社の社長会長を歴任し今取締役相談役となっておられる岩部金吾会長の祝意のメッセージは豪華な「金蒔絵の漆塗り」のケースに更に袱紗に包まれて入れられていた。「祝電」とは異なるこのような方法もあるのだと勉強し、私は大いに感動した。加えて胡蝶蘭も届いていた。鉄鋼業界に居た時からご厚誼を頂いている経済会では名の知れた人格識見に優れた素晴らしい経営者であるが、同時に茶道などをたしなむ数寄者で有られるがゆえにこのような配慮をするのだと私は大変勉強になったのである。多額のご寄付も頂き、お花も頂き、この特別なメッセージである。溢れんばかりのご厚情に涙する。私的にも今日まで息子みたいに可愛がって頂き本当に感謝に耐えない。ただただご健康とご長寿を祈念するばかりである。
P1000276
・ 又1昨日は学校は休業日であったにも関わらず、吹奏楽部、雅楽部、神楽部の生徒には奉祝祭を盛り上げてくれたご奉仕に対して昨日は「図書券」をプレゼントし慰労した。彼らにはご来賓や教職員と同じ「直会弁当」を渡したので図書券は不要ではないかという管理職の意見もあったが今回は特別なご奉仕で休みに学校に出て来てくれ、これまで相当練習にも時間をかけてくれた労に報いたいと私の意見を通して図書券をプレゼントしたのである。これは民間出身故の癖かも知れない。定常以外の作業や業務には対価が必要と言う考えが私にはこびりついているのだ。確かに教員の言うことが正しいのかも知れないが奉祝祭は学校行事ではない、これは学校法人行事なのである。タダで生徒を使ったとは言われたくない。さりとて生徒のアルバイトでもない。これはご奉仕である。
C_0357
P1290049
P1290061
・ 今日は職員会議の日であった。私は頑張ってくれた教職員に心から慰労と感謝の言葉を述べた。そして5月20日には「先生方の慰労と新しい先生の歓迎会」を平成25年5月に90周年記念祝賀会と新校舎建設宣言をした上本町のシェラトン都ホテルの同じ間で実施すると正式に伝えた。今朝の法人朝会で教職員には「金一封」をご祝儀としてお渡しすることもオープンにしたのである。教職員には教職員用の引き出物は別に用意しておりこれに加えて本校恒例になっている「551豚まん」10入りが教職員には贈られる。この10年間本当に良く頑張ってくれた教職員へのせめてもの私の気持ちである。教職員用の引き出物は果たして何だろうか?ここには書けないが意味ある物だ。これで私のブログも最終局面になるだろう。後少し頑張らねばならない。
P1300417
P1300435

P1290067

28.5.11(水)竣功奉祝祭余情1「祝詞」


P1280765
・ それにしても私は幸運な男だ。奉祝祭の祭事が行われた10時からの3時間はきっちりと晴れ上がり、時折太陽が顔を見せてくれた。「太陽は天照大御神」である。さも「天の岩屋戸」から覗かれたのだと私は思った。13時過ぎには又本降りとなったから、式典の時間内だけ天は晴れ間を与えてくれたのである。間違いなく神のご加護を戴いているとしか思えない。昨日の早朝6時過ぎにはまだ雨が残っていた。通勤の車の中で正面ガラスに水滴がしっかりと付き、ワイパーがフル稼働だったから「あゝ、雨だな、今日はテントやむなしか」と覚悟を決めた。しかし8時過ぎには霧雨らしきものも感じられなくなり、俄然、勢い着いた私は「せめて正面のご社殿前のテントは外そう」と決めた。それでも10時過ぎに又「パラパラ」来たらどうしようと、とにかく「グチャグチャ」思い悩む性格と癖はもう治らない。
P1280552
P1280596
・ しかし腹を決めて「中央テントを至急取り外せ」と指示を出した。この段階では左右のテントはそのままで、斎主が「祝詞奏上」時にパラパラ来れば、職員が雨傘を添えればと判断したのだった。気の利く設備担当が9時過ぎにはテント業者を呼んでいるというのでまたぞろ、気の多い私は「祖霊殿」前のテントも外そうとの思いに行き、まだ「習礼」と言って神職が背広で式典の練習中に「祖霊殿前のテントも外せ」と叫んだのである。10時に式典が始まるのに9時15分過ぎまで拝殿前の舞台は業者と神職が入り混じって大変だったのである。
P1280608
P1280592
・ 8時20分には吹奏楽部の演奏「海道東征浪速」のタクトが振り下ろされた。指揮は万浪先生で私の要望を受けて「燕尾服」を召されていた。大変良く似合っておられた。先生がオリジナルの交声曲カンタータを吹奏楽用に編曲して下さり、これを本校の「学院曲」と私が決めた。これも奉祝の為に2年をかけて準備し当日が正式な発表会となった。素晴らしい演奏であった。私は歓喜した。未来永劫この「海道東征浪速」を大切にし、式典或る時は是非演奏をして欲しいと思う。
P1280640
P1280646
・ 吹奏楽部の演奏が終わった9時50分、前段行事として「鼉太鼓の打初式」であった。前日に初めて練習として打ってはいたが本格的な打ち初めとして私が奉仕した。神職のお祓いを受け2本の撥を渡され、作法に則り打った。その音は本当に「腹の底に響き渡る」感じで、今まで生きて来て経験したことの無い、表現する言葉が見つからない音であった。鼉太鼓は後刻、雅楽部の生徒が神楽舞奉納の時に打って打って打ちまくっていた。迫力があった。太鼓のばちが当たる部分が当然ながら少し、打ち跡が残っていた。「兵(つわもの)どもが夢の址」か。神経質な私はこれを簡易補修するように段取りし、次の使用は理事長特別許可事項した。神様への奉納太鼓であり誰彼簡単にたたかせる積りはない。
P1280670
P1280673
P1280678
・ その後神職の「参進」が始まり、後は「修祓」「斎主一拝」「献饌」「祝詞」と続いた。
P1280691
P1280694
「祝詞奏上」は勿論斎主である大阪天満宮宮司で本校理事、名誉理事長である寺井先生である。祭事におけるハイライトはこの祝詞であり、お祭りによって中身を考えながら斎主様が作られるものである。考えてみれば寺井先生には地鎮祭、上棟祭、遷座祭、鎮座祭そして昨日の奉祝祭と一貫してご奉仕頂いた。特級神職の資格保持者であり祭員もすべて特級だから豪華極まりないキャストであった。祝詞の文章は実に味わい深く、身に余る光栄であった。ここに全文を記載してみたいと思う。
P1280697
P1280702
P1280706

竣功奉祝祭            平成二十八年 五月十日
押照るや浪速の国は東に 遠く金剛の峯望み 西には遙か茅渟の浦汐音さやけき住吉の里 此れの学校法人浪速学院 浪速高等学校 浪速中学校の守護の神と鎮坐す 掛けまくも綾に畏き
天照皇大神 豊受大神 浪速の市町里々に齋き奉る八百萬の大神等又御縁深き人々御霊鎮まり坐す祖霊殿と併せて御名を称え奉る
学院神社の広前に 斎主仕奉る 大阪天満宮 宮司 寺井種伯 恐み恐みも白さく

P1280710
大神等の高き尊き御神徳を仰奉り広き厚き御恵を辱奉る随に
今は昔 大正十二年三月 此の大阪に仕奉る数多神職等の篤き
願いを以て 生徒二百四名を初めと為し 此の学舎を開きてより
いくとせ幾歳春秋を数えては数多優れたる生徒等を世に出し送りて有る間に第十七代の理事長 木村智彦にありては平成十八年重き務めに
任けられて 学舎の御栄えに尽くさむと思ひ廻らせ 関係ふ人々に相諮り相語らひて『浪速改革』と言挙げて数々の業を進め来し中に創立九十周年記念事業を事起こし 平成二十五年一月より新校舎の建設に 続いて学院神社の造営にと次々に事進め 夜を日に継いで勤しみ励みて有りけるが 今日はしも遂にや竣功の日を迎えける
P1280723
時今にして全校生徒二千四百九十六名 教職員百八十三名となり
類ひ稀なる栄えとなりしは 専ら大神等の大御蔭と理事役員を始め
多くの人々の支え助けの故なる可しと 深く心に刻みつつ 嬉しみ忝奉りて大前に事の由告奉り 謝びの御祭仕奉らくと 斎まはり
清まはりて 御饌神酒種々の御饗津物を横山の如く机代に
置き足らはし拝奉る状を平らけく安らけく聞食し給ひ 
雅楽部、神楽部のおしえご教子達が奏で奉る 新しき御神楽は『尚学之舞』『日の本の国に生まれし身のほまれ励みつとめよ此の学び舎に』

とぞ御歌を心して 白妙の袖振り映えて舞う状を畏くも伊勢の
宮居より賜れるいか厳し鳥居と相共に愛し宇牟かしと見曾なはし坐して
天皇の大御代を手長の御代の厳御代と 堅磐に常磐に斎ひ奉り
幸はへ奉り給ひ 領き坐す生徒、教職員を始め関係ふ人々に身は
健康に心平穏に 各々も負ひ持つ職務に勤しみ励みて 明き浄き
直き正しき誠心の只一筋に 学をとうと尚び身体を鍛え 勤しみ励みて
友呼び交わす浜千鳥 浪速津に咲くや此の花芳しき名を弥髙に
弥広に伊照り輝かしめ給へと恐み恐みも白す
P1280725
・ その後祝詞に謳われた神楽「尚学之舞」が本校神楽部、雅楽部の手によって奉納された。この日の為に約1年のお稽古期間を置き、装束も全て専用の物を誂え、4人の舞姫が麗しく、気高く、正規の神楽舞台で舞う様はご覧頂いたご来賓に深い感動を与えた。後刻特別会食席が有ったのだが皆さま、この話題でひとしきり盛り上がったのである。中には「何処から呼ばれたのですか」などとトンチンカンなお話もあったが「むべなるかな」一般の人には、神楽も雅楽も、あれが本校生生徒だとは思えなかったのだろう。
P1280733
P1280737
・ そして最終章の「玉串奉奠」へと進み私は斎主の後トップバッターで奉奠をした。当初の計画では斎主、次に神社本庁の田中総長となっていたが寺井斎主の鶴の一声で9時30分に変更になった。斎主の次に祭主、施主として私が、その次に全国8万社を代表して本庁の田中総長、その後は、これまたその場で決まったのだが大阪府神職を代表して大阪府神社庁の副庁長が入った。何故庁長でないかと言うと庁長は既に祭員として入っておられるからである。この新しい副庁長は突然の指名で恐らくめんくらったのではないだろうか。そして最後が施行担当を代表して(株)大林組のT専務・大阪本店長が奉奠された。雨上がりの静寂な神社基壇の上で打つ「柏手」は鎮守の杜、中央館前広場に心地よく響き渡ったのである。
P1280756
P1280758
P1280765
P1280768

28.5.10(火)新校舎・新学院神社竣功奉祝祭理事長挨拶文全文

IMG_1611

                             平成28年5月10日(火)
    新校舎・新学院神社 竣功奉祝祭  理事長・学院長挨拶(全文)

・ 昨日以来小雨が続きましたが、これを「穀雨」と言うそうです。神社神道の世界では雨を「恵みの雨」「慈雨」とも称し、吉兆の徴(しるし)であります。元来神社神道は「五穀豊穣」を祈願するお祭りを根本義と考えれば「この雨は験が良い」と主催者としては勝手に思い込んでおります。しかしここ数日お天気が心配で落ち着かない日々でした。皆さまを雨に濡らす訳にも行かずテントを張ったり取りやめたり昨日以来大変でした。
IMG_1526
・ 本日は皆さま、連休明け、それも平日のご公務御多忙の中、本校の新校舎・新学院神社の竣功奉祝祭にお運び頂き、花を添えて頂いた事、誠に以て歓びに耐えず、心から御礼申し上げます。又先程は神社前にて奉祝の祭事をご斎行頂きました本校理事で名誉理事長でもある大阪天満宮寺井宮司様始め本校理事で府内の由緒あるお社の宮司様には真に有難くご奉仕に感謝申し上げます。足かけ4年、この間地鎮祭、立柱式、上棟祭、遷座祭、鎮座祭、そして今日の竣功奉祝祭と古式に則り全ての祭事を見事にご奉仕頂き本当に有難く存じております。
IMG_1541
・ まず最初に今回の熊本地震により被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。さて皆様、学校法人浪速学院は大正12年5月1日に開校されました。丁度93年目となりました。本校では創立記念日と言わず開校記念日と言うのも当時校舎が間に合わず結局沢之町の南海高野線沿いの空き工場を使って旧制浪速中学校246名の授業が開始されたのが5月1日だと記録されています。爾来この日を開校記念日と称しているのです。
IMG_1557
・ この93年間には実に様々な事がありました。人生と同じで「浮き沈み」は世の常であり、昭和9年の室戸台風による校舎倒壊など苦しい時期が幾度となく有りましたが、その都度法人役員並びに全教職員が一致団結して乗り切り、今日このような日を迎えることが出来ました。これは「学校が生き続けてきた」からにこそ他なりません。学校という社会の重要な教育装置であり教育機関は存続し続けることが最大の責任であり、門戸を閉じて仕舞っては全てが終わるということを痛切に今、感じております。継続こそ力なり、継続しておればチャンスはあることを我々はこの10年間の実践で証明致しました。
IMG_1566
・ 私は平成18年12月22日の理事会でこの学校に迎え入れられました。ここにいらっしゃいます大阪天満宮の寺井宮司と道明寺天満宮の当時の南坊城宮司のお二人に初めてお声をかけて頂いたのがその年の暑い夏の頃だったと記憶しています。当時の本校の状況は惨憺たる有様で会計図書を見た私は愕然としましたが、全てをお任せすると言われたお二人のお気持ちに心を打たれ、既に決まっていた新たな勤務先を不義理ながらも取りやめ浪速学院にお世話になることを決めました。私自身も色々な事があって、当時の事を想えば感無量なものがあります。
IMG_1571
・ 年が明けて平成19年1月6日に着任し、間髪入れずに不退転の決意で「学校改革を宣言」し、着手しました。爾来丁度10年目になります。皆様、御手元の「学校改革の軌跡・・・開校90周年記念事業・・・新校舎・新学院神社への道のり」の冊子をご覧ください。確かに平成25年の開校90周年祝賀会において新校舎建設宣言を行いましたが、実はそこに至る前哨戦がありました。新校舎建設と新学院神社のご造営は最終ターゲットでありましたが、そこに至る「道のりが我々の軌跡」でありました。軌跡と言ってもミラクルではなくて足跡、フットプリントの方です。
IMG_1573
・ 資料の左側にありますように「学校改革は外堀」から埋めて行きました。まず千早赤阪村から廃校となった多聞小学校を購入し、ここに完全冷暖房装備の男女宿泊200人の校外学習合宿施設「多聞尚学館」を創設したのが始まりでした。今でも年間延べ7000人の生徒が使っております。その後堺市の南区に4800坪の用地を購入し、「浪速ふくろうスタジアム」を開設し、硬式軟式野球部、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどのフルコートを持つことが出来ました。引き続いて「浪速武道館」を作り、空手道部、剣道部、柔道部、弓道部、茶道部、華道部の複合道場を設置致しました。
IMG_1587
・ 将棋の駒を進める如く、最終ターゲットを常に頭に置きながら事業を進めて参りました。そして遂に新校舎建設に取りかかることが出来ました。当初理事会においては新神社の御造営は後に回すかと言った意見もありましたが、本校の象徴であるご本殿の御造営を以て初めて浪速改革は段落すると神社普請を決断致しました。皆さま、我々のささやかな自慢は仮設校舎に1円も貴重な資金を投ずることなく、10年かけて順次外からせめて最後に中枢の新校舎・新学院神社に到達し、そして全ての施設設備が現在大回転して教育効果を上げているということです。単に箱物を作った訳ではないのです。
IMG_1600
・ そして本日の竣功奉祝祭となった訳ですがこれによってこの住吉の本校地には草一本、石ころ一個昔の物は無くなりました。93年の時を経て今全てが一新され、新しい息吹に満ち溢れた学校になりました。今後100年の礎が出来上がったと思っております。この間多くの皆様のご支援を賜り、御助言を頂きました。私が着任した当時、ここに参列頂いております尊敬する清風学園の平岡英信先生からは「神社神道の学校こそが誇りだよ」とのアドバイスなども頂き、我が意を得たりと喜び、この事を前面に押し出して学校改革を推し進めました。私立学校にとって建学の精神程重要なフラッグは有りません。本校は「浄明正直」、すなわち「浄く、明るく、正しく、直く」と神社界の位階を校訓として戴いており、今後とも神社神道の学校であり、校内に鎮守の杜があり、お社が鎮座する学校を誇りとして頑張って参りたいと思っています。
IMG_1602
・ これらの建設資金の調達に心底苦難したと言うことだけは無かったと声を大にしていう事が出来ます。私学は自ら資金調達をしなければなりません。1円も資金援助を行政サイドからは頂けません。しかし大阪府私学課の私学行政、中でも私立高校学校授業料無償化支援制度は大きなフォローの風になりました。加えて私学振興・共済事業団からの円滑な融資、そしてそれらを多聞尚学館やふくろうスタジアムなど目に見える具体的な形にして行ったことが、結果的に生徒増につながり今や中高合わせて2496名という大規模の学校になりました。何時も財布の底を見ながら、お金が溜まれば新設備に投資するの循環でした。この躍動感が改革スタート時点からの10年間で生徒数を約2.5倍に押し上げてくれました。「建設の槌音のする学校は良い学校」なのです。貴重な資金がただ役員や教職員の懐に入るだけでは私立は駄目になってしまう。教育環境の整備充実こそ私立学校の公立とは違う差別化の根本ではないでしょうか。私はそのように信じて実践して参りました。
IMG_1605
・ このような学校改革の進捗が神風を呼び、生徒増に繋がったのですが根本は教職員が頑張ってくれたからです。目の前にいる生徒の面倒を見ることが最大の広報宣伝効果を生みます。在校生とその保護者こそ言葉は不適切ですが歩く広告塔であり生徒こそ私立学校の宝物だと私は言い続けて参りました。教職員の平均年齢は38歳を切り、日本でも最も若い集団に入るのではないでしょうか。実に彼らは良く動き、働く。この間10年間、組合との団体交渉は一度もなく、すべては新校舎建設を目標に頑張って来たのです。私は本校の見識高く、能力に溢れた生徒の面倒見の良い教職員を誇りとしています。良くぞ、頑張って付いて来てくれたと思っています。
IMG_1607
・ しかし形あるものは何時かは古くなり、改革の停滞は一気に現在の勢いを失います。新校舎を武器にして教育の中味の更なる改革進展が必要です。最近の私は次のターゲットである開校100年、すなわち平成35年、すなわち後7年後を睨んで特に教育の中味の改革をスピードアップせよと檄を飛ばしています。学校改革、教育改革に終わりはない、今学んでいる目の前の生徒に全力で当たることが畢竟最大の効果を上げる少子化の中で生き残る秘訣だとも言っています。素晴らしい170名の若き教育者集団は今全力で当たってくれています。
IMG_1609
・ そして伊勢神宮様、神宮崇敬会様には62年間に及ぶ「伊勢修養学舎」で直接ご指導やご厚誼を本校生徒が受けて、参りました。今や本校と神宮様とは切っても切れない本校教育展開の重要な関係にあります。先の式年遷宮で古材とし頂いた「ヤマトヒメ宮」の第一鳥居は本校の地で再生されました。又宇治橋に掛かる太陽を題材として150号もの絵画も下されました。このような事は通常は有り得ないことであり、教職員、生徒全員が神宮様から戴いた鳥居と絵画として大きな誇りにしてます。
IMG_1625
・ そして神社神道の学校として古事記物語と言うべき新校舎とご造営なったご本殿を見事にやり遂げて下さった(株)大林組様、初め設計工事施工会社の皆様、本当に有難うございました。こだわりの強い施主の要望を受けて頂き、新校舎と神社はお蔭さまで新生浪速のシンボルとして輝いています。貴方方と共に過ごした4年間の建設の記録はすべて定礎箱に入れ今後100年、後世の人々に繋いで行きたいと思っています。とにかく天の御柱、天の岩屋戸壁画、天孫降臨図、古事記序文、コスモススペース、天空レストラン、浪速シアター、歴史階段など随所の意匠はこの校舎で学ぶ生徒は勿論、保護者、同窓会の人々にも大きな影響を与え、大変に喜んで頂いております。
P1280936
・ 最後になりましたが本日ご列席頂いた皆様、どうか今後とも宜しくご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。鉄鋼会社に勤めていた民間人が教育界に転じて14年、浅学菲才の身ながらも今このようにして充実した仕事をさせて頂いたのは本校を生み、存続させて頂いた93年間の先立のお蔭です。ここ住吉の地に学校を作ってくれたからです。そして開校後83年目に寺井先生、南坊城先生が浪人中の私を招聘してくれたからです。そして私の背中を押して下さった現役員、同窓会、PTA、そして何よりここにご列席頂いた私立学校、大学関係者、塾の先生方他皆様のお蔭であります。ただただ感謝の想いで一杯であります。本日はありがとうございました。

28.5.9(月)竣功奉祝祭前日

P1280570
・ 昨日の8日は日曜日であったが予てよりご招待を戴いており「学校法人帝塚山学院創立100周年・大学創設50周年記念式典と祝賀会」に参列させて頂いた。場所は式典が中之島の国際会議場であり、引き続いての祝賀会がお隣のリーガロイヤルホテルであった。移動に5分程度で建物の中を通り抜けて行ける距離だ。式典会場は当日主催者の発表では1200人と言われていた。それにしても中々趣向を凝らした素晴らしい式典であった。生徒の演奏する学院曲や祝歌の斉唱は良かった。やはり「学校の行事だから生徒の参加は欠かせない」ものだと改めて思った。そして能楽「高砂」が立派な花を添えた形となった。我々は後7年後の平成35年には100周年を迎える。私は今から「その時に向かって何を準備すべきか」を考えている。
P1010573
P1010580
・ 私立学校はこのように「周年行事をバネ」にして内外にその存在を発信することが重要である。特に私は昨日の祭典で何が参列者に配布されたか関心が有り大いに勉強した。事務局に伝えて行かねばならない。さすがに大学の式典は凄かった。文部科学省からもご来賓が来ておられた。又初めて「大阪府の教育庁の教育長が参列」されていたが、何か落ち着かない風情であった。私学のこのような式典には初めてのご出席では無かったか。私立学校総連合会の野田会長は大変太っ腹なお方で、私は良く存じ上げているが、その式辞で新しくスタートした教育庁が私学行政も司るということの「危険性を滔々と」教育庁の眼の真ん前で延べていたのは大変に面白かった。
P1010575
・ 「穀雨(こくう)」と言う言葉が有る。本当に日本語は素晴らしい。現在広まっている定気法では太陽黄経が30度の時で4月20日ごろとされている。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立夏前日までであるが穀雨の期間の幅は広い。田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころの事で、穀雨とは、穀物の成長を助ける雨のことである。「暦便覧」には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。穀雨の終わりごろ(立夏直前)に八十八夜があるのだが、こう雨が降れば気候異常で、まだ穀雨が続いているのかと思う。今朝も小雨ながら降り続き、結局テント張りにて神社前の式典準備にかかることにした。明日の午前中は曇り空で午後には又雨だと予報しているから仕方がない。夕方16時になっても降っていた。
P1280552
・ 神社神道の学校として田植えのこの時機に「五穀豊穣」を祈って「穀雨」が降るのは吉兆だと明日の私のご挨拶に入れることを考えた。神社神道の学校だから「神前での奉告祭」は絶対に欠かせない。これが出来ないようなら式典そのものも止めた方が良い。昨日の帝塚山学院さんみたいに国際会議場やシティホテルを使ってやれば良い。特に今回は本校のシンボルともいうべき「学院神社の竣功奉祝祭」としているから校内実施は絶対的に欠かせないプロセスである。又お客様にとっても「神社神道の学校」を認識して頂く格好のシーンが明日は見られることになる。案外外部の方々にとって本校の神殿前の式典をご覧になっているお方は殆ど居ない筈であり、そういう意味で明日は今後100年に一度あるかないかの重要な式典をお見せすることが出来る。
P1280555
・ しかし本当の目的は「新校舎の内覧」であり、次に重要なことは創立90周年記念行事としての概括報告を皆様にご理解頂き、お世話になった方々、大阪府私学課、各私立学校各位、塾の先生方、同窓会、関係会社様、PTAそして大阪府神社庁や伊勢神宮様、神宮崇敬会様等々の代表者をお招き感謝の言葉を正式に述べることが私の責任である。明日は振り替え休日であるが全教職員が総出で「おもてなし」の心で式典、内覧会、直会を上手く進めて行く必要がある。今朝はそういうために補佐職以上の幹部を集めて明日の準備について「抜かりなく準備せよ」と檄を飛ばしたのである。
P1280560
・ やらねばならぬことは山ほどある。今朝体育館での式典の席配置を確認したが驚いた。教頭補佐や事務長代理が特別席に配置されていた。トンデモナイ話で再度考えるように指示を出した。世の中には「当然あるべき姿」があって、このような外部のお方をお招きした席の配置は難しいが、じっくりと考えれば答えは出る。この席と直会の特別昼食会の参列者とは別物であると考えねばならない。今朝も祝電や祝い花が多く届いた。私は公務、校務によりご出席頂けなかった人には御礼状と引き出物をご送付申し上げるように指示を出した。又明日の参列者は遠方の方もおられる。そういうお方にも後日礼状をお出しするように事務に指示を出した。昨日の帝塚山さんも立派な封書で見事な参列お礼の言葉が並んでおり、さすが「品格を誇りとする学校」と私は納得したのだ。
P1280563
P1280573
・ 今日は生徒の代表が居残って校内の大掃除をしてくれた。生徒も嬉しいのである。この事が特に私を喜ばせた。明日は全教室全てを明け放ち、照明を付け、モニターテレビには映像を流し、ドアと言うドアは全て開放し何処でも自由に出入りするように改めて指示を出した。隠すところはどこにも無い。すべてを観て頂きたいのだ。放課後神楽部と雅楽部の合同練習の最後を確認した。又吹奏楽部の海道東征浪速の指揮者と生徒の着る服装について最終確認した。絶対に制服にして欲しいと顧問の先生にお願いした。昨日の帝塚山さんでも生徒は制服で美しかった。私服が良いというが私は制服こそ最も美しいと思う。
P1280576

・ 私は時間を見つけて明日の挨拶文を考えた。正直言って私は余り原稿などを作らないが明日に限っては「言及することが多い」から抜けては後で後悔しかねないと思い用意することにした。しかし作っても明日はどのような展開になるのか分からないからやはりある程度のアドリブは必要であり、自由度を持たせた文章を作った。当然出足の文章はこのような物になった。
“昨日以来小雨があってこれを「穀雨」と言うそうですが、神社神道の世界では恵みの雨、慈雨とも言うべき吉兆の徴(しるし)であります。元来「五穀豊穣」を祈願するのが神社神道の根本義ですから、雨は験が良いのです。
本日は皆さま、連休明け、それも公務ご多忙な平日のこの日に本校の新校舎・学院神社の竣功奉祝祭の御足をお運び頂きまして有難うございました。心から御礼申し上げます。まず最初に今回の熊本地震により被災された方々に心より心よりお見舞いを申し上げます。・・・以下略。”
P1280575
P1280557

28.5.7(土)神輿に乗る人

P1280535
・ 朝、関係者が集まって10日の奉祝祭の会場設営で「喧々諤々(けんけんがくがく)」だった。昨日のブログで書いたようにご来賓の人々のお席を中央館の回廊に設けることで決まっていたのだが、今朝の段階で「やはり神社前でテントを張ろう」となった。それに合わせて雅楽部と神楽舞の舞台、又吹奏楽部の演奏位置も変わった。これで何と3回目か4回目の変更だ。しかしこれで結構である。「関係者がそれぞれ何がベストか」を考えて案が変化していくのが「あるべき姿」であり、この学校の理事長・学院長として「幸せこの上ない瞬間」である。「神輿の上から」、それは駄目、こうして欲しいと言う事も無いではないが、そのようなケースは稀だ。この点はどうも部下の提案を無視する「絶対君主」としてのイメージを世間に与えている面があろうが本校の誰にでも聞いて欲しい。私は神輿に乗った専制君主ではないし、神輿にただ乗りしているボンクラでもない。
image008
P1000263
P1000264
・ 次に出す文章について決して誤解しないで欲しいと思う。これは随分昔、政界では「派閥」と言う一種の共同利益追求の組織体が有って、自分の属する派閥から総理大臣を出す為に派閥に属している様々な政治家の役割を表現したものだった。確か今売れている石原慎太郎氏の近著である「天才」の主人公である元総理大臣田中角栄氏の派閥が最初に使った言葉では無かったか。
img881
  「神輿(ミコシ) に乗る人 担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
  「駕籠(かご)に乗る人 担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
世の中には階級・職業がさまざまあって、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえであるが、決して身分差別を語っているのではなくて、そのさまざまの人が、うまく社会を構成していることのたとえである。それぞれが違うからこそ価値があり、それぞれの役割りがあり、それぞれに意味がある。上記の文章をよくよく噛み締めて見れば実に含蓄に富んだ、味のある言葉だ。
P1280471
IMG_1516
・ 一般社会においては人々は口には出さずとも上記の言葉は完全に身体に沁みこんでおり、それを前提として組織は回っている。一般の企業で言えば分かり易くして表現すれば神輿に乗る人は会長や社長や役員だ。担ぐ人は管理職だと思えば良いかも。そして草鞋を作る人が一般社員であろうか。草履を作る人も千差万別で上手く作る人や、そうでない人、仕事の早い人や遅い人など様々である。学校と言う組織もそういう意味では上記格言が全く当て嵌るのに、学校と言う組織はこれを認めて来なかった。此処に戦後から続く最大の学校社会の病弊があったとは私の強い意見である。駕籠に乗る人、担ぐ人、担ぐ人の履く草鞋を作る人などと、さも「身分社会」を連想される文言は学校現場ではタブーだったのだ。学校は「鍋の底みたいなフラット組織」だと言い張っていた一部のグループが学校を牛耳っていたのだ。学校も組織だととても言える雰囲気ではなかった。
P1280452
P1280473
・ 敢て言えば、校長は神輿に乗る人、あるいは駕籠に乗る人だとは形態としては認めていたとしても「単に乗っているだけの人」であることを要求した。だから校長は「鍋ブタのつまみ」の存在でしかなかったのだ。神輿に乗った人が「あっち行け、こっち行け」と指示したり「スピードを出せ」などと口を出すのは憚られたし、もしそのような事をすれば振り落とされたに違いない。しかし時代は戦後60年を経た位から「校長のマネージメント」という教員側からすれば驚天動地の文言が出てくるようになった。今、戦後72年だがこの間の12年間は間違いなく「教育改革」「学校改革」の言葉が躍った時期だった。そして金科玉条の言葉が「校長のリーダーシップ」だったのである。
P1270569
P1270573
・ 公立高校での4年間の体験、そして私立高校での10年間の体験は自信を持って「公立と私立との違い」「学校社会の根本問題」を私は論理的に説明できる。未だに公立や一部の私立で「ごちゃごちゃ」あるのは神輿に乗った校長のリーダーシップが発揮できていないか、その校長が余程のボンクラ校長だからだ。私はその頑迷固陋な学校文化をどのようにして破壊し、新たな価値観を創造出来るかを常に意識し、実践して来たと思う。公立での経験を分析し、失敗に学びながら浪速高校でも落下傘から一人降り立ち、神輿に乗った人間としてどのように振る舞うか、自覚しながら、やってきた。まず初動段階で結果を見せ付け、担ぐ人々に「神輿に乗せても良い校長」だと思って貰わないといけなかった。そういう意味で神輿にのった最初の頃はしんどかった。
P1270598
P1280060
・ しかし今言えることは、「案ずるよりも産むが易し」である。私学の教員は根本的に公立の教員とは資質を異にしていた。単品的な資質で言えば確かに公立の教員に比べて些か劣る教員が居ないとも言えなかったが、総合的資質で言えば私立の教員ははるかに上である。今日まで多くの私立学校の周年行事や式典に参列する機会に恵まれたが全ての理事長、学園長、学院長、校長先生などが力説していたにもこの点だった。この要因は一体どこから来ているのであろうか。ここに問題を解くカギがある。私はこの問いに関しての答えを自信を持って用意している。私立の教職員は意識・無意識を問わず、学校を組織として捉えているからだ。又自分の役割を明確に理解しているからだと思う。明確に神輿や駕籠に乗る人を認め、その人を担ぐことが組織の利益であり、それはひいては自分の利益になることを知っているからである。
P1280079
・ 私立の教職員は「総論と各論を峻別」出来る。個人的には各論を有していても一旦決まった総論には従う柔軟性がある。私立の教職員は「自分たちの食う飯は自分たちで調達しなければならない」ということを骨身に沁みて知っている。「親方日の丸の体質ではない」のだ。私立の教職員は意識・無意識で自分たちの学校は「ある面、民間企業みたいなもの」と思っているに違いない。それだけに私立の教職員は神輿や駕籠にのるトップの言動に極めて敏感である。それはトップの資質で簡単に学校が崩れることを知っているからである。私立の教職員は体質的に入学する生徒数値に強迫観念があり、だからこそ入学者数確保の為には全ての我儘を控えるという悲しい性(さが)がある。生徒が居なくなったら「元も子もない」ことを彼らは知っている。だから私立の教職員は謙虚である。税金で食っている公務員ではないのだ。
P1280494

・ オーナー系の私立、大学系列の私立、様々な形態の私立学校があるが、10年も大阪の私立学校で勤務すれば「どのような神輿の乗り方」をしているか分かるようになった。オーナー系の私立のトップは一般的に良い意味で強烈な乗り方である。いずれにしても私立のトップはただ神輿に乗っているだけでは駄目で行くべき方向性を指し示し、常に安定状態を保つ力量が不可欠である。毎年毎年入学者が途切れず入ってくるような学校の姿を全教職員に指し示し、自分の乗る神輿の重さを慮りながら、それでも進むべき方向を決めて行かねばならない宿命を背負っている。
P1280492
・ ただ自分は神輿に乗っておれば良い。後は皆が担いでくれるというのは幻想である。幻想が続けば何時かは学校にほころびが出る。学校とは、教職員とはそういうものだと考えておいた方が良い。彼らが何時も感じているのは「この人を担いでいて大丈夫なのだろうか」と言うことである。彼らの心配を払拭してやらねばならない。「この人に付いて行けば大丈夫だ」と思わせないといけない。彼らは決して神輿のてっぺんから降りてくる「甘い言葉」を望んではいないのである。
P1280529

28.5.6(金)「雨儀」

P1280496
・ 今日は連休明けの初日であったが親しい知人が亡くなり午前11時過ぎに斎場に向かった。現役の神社の宮司さんで本校とは深い関係にある言わば本校の強力な支援者だ。ご子息の一人は本校を卒業し今や有名なプロ野球の選手である。民生委員、児童委員など長い社会福祉活動での社会貢献も素晴らしく、又リトル野球の責任者などをやって来られた。ふくろうスタジアムの完成式典では斎主をして頂いたことが今となっては懐かしい。面倒見の良いお人で何時も本校の硬式野球部の公式戦では応援に来て頂いていた。体調を崩され闘病1カ月で旅立たれたと喪主様がご挨拶で言われていた。新校舎にも多額のご寄附を戴き5月10日の竣功奉祝祭でお会いできるのを楽しみにしていただけに残念でならない。大柄で病などモノともしない風情のお人だっただけに、享年67歳での若過ぎる死の「雨の葬儀」は私を気落ちの淵に追い込んだのである。
IMG_1520
P1280453
・ 「雨儀」(うぎ)という言葉が有る。余り使われる言葉ではない。元々は雨天の際に、朝廷の儀式を略式にすることを言うが、一般的には雨中の儀式を簡略化する時に使われる。要は元々考えていた式次第の内、特に順番とか配置などを略式にした儀式にすることで時間を短縮することが目的である。幸いと言うか残念と言うか5月10日の竣功奉祝祭は現時点での天気予報では9日の午後が雨で当日10日の午後が雨となっている。午後と言っても一体何時頃なのか分からないが10日の午前中の儀式の前後が雨であることには違いがない。「天気には勝てない」から今朝関係者とのミーティングで「雨儀」の準備に入るように指示した。無念の思いもするが仕方がない。これで一旦雨儀の準備に入ったら若し当日予報が外れて「かんかん照り」になっても雨の式典、雨儀で進めるしかない。
IMG_1515
P1280456
P1280465
・ しかしそれにしても中央館の素晴らしさよ!よくぞ中央館に「回廊」を持って来たことよ!ここがあるからここは雨など全く問題としない場所である。元々は神社前のインターロッキングブロックを敷き詰めた広場に来賓のお席を設ける予定であったが、一部の来賓席だけにしてその他の多くのご来客の席は回廊に設けることにしたのだ。テントを張る必要はないのである。雨のしずく一滴落ちては来ない場所である。神楽舞の奉納の舞台と雅楽部の演奏台も回廊に設ける。ただ吹奏楽部の「海道東征浪速」の演奏は回廊から外し神社前広場の守衛室寄りにテントを張ってそこにて演奏して貰うこととした。これで全ての人々の視界を遮る者が無い状態になる。
P1280477
・ たまたま今日は「5月度の一斉参拝の日」であった。高校、中学合わせて2496人の全校生徒が回廊と広場に立ち並んでもまだ余裕のスペースがあった。本当に有難いスペースである。私は参拝の後の学院長講話で5月1日の「開校記念日」のことに触れて本校の歴史について話した。今から93年前にこの地で本校は開校された。一般的には創立記念日と言われるが本校では校舎が間に合わず近くの沢之町の電車沿いあった空き工場を借りて授業が開始されたのが大正12年の5月1日だったと言う風に話していくと生徒は興味関心を寄せる。そして今、全てが新しくなった教育環境を誇りにして勉強にクラブに頑張って欲しいと諭したのである。お世話になった大切な人々を来週の10日にご招待し学校を見て頂く為に10日は振り替え休日としたことなどを生徒に伝えた。
P1280482
・ 連休中頑張ってくれた西館の1階と3階のトイレ大改修は順調に工事が進み目途が付いたと言うので現場の視察に出た。見事な仕上がりで特に高級感が溢れていたのが嬉しい。ここはご来客や保護者も使われる場所故にすべてシャワートイレにし手洗いも自動感知方式である。又入口のドアも無くしいちいちドアノブに手を触れなくても済む様にした。私の強いこだわりである。大体私は今でもデパートやホテルで手洗いの部屋に入る時はハンカチでドアノブを握っているくらい潔癖症的な処がある。従って東館や中央館ではトイレに入るのにドアは無い構造だ。これだけは成功したと思っている。
P1280505
P1280507
P1280509
・ ようやく「新校舎配置図」が出来上がってきた。素晴らしい出来だ。これは奉祝祭と言わず今後様々な局面で使える。素晴らしいのは2ページに浪速改革10年の歩みが記されていることである。新校舎と新学院神社は10年前の学校改革と共に歩み今日の姿があることをこの資料は示してくれている。そして夕刻「90周年記念事業概要書」も出来上がってきた。これで「新校舎紹介パンフレット」との3部作が揃ったことになる。
image003
image005
image007
img998
・ 竣功奉祝祭の式次第が固まった。午前十時に「齋行」開始だ。祭主及び施主は学校法人浪速学院 浪速高等学校・中学校 理事長学院長たる私で「奉仕員」は以下の通りである。
斎主  浪速学院名誉理事長     大阪天満宮   宮 司   寺 井  種 伯
副斎主   理事長職務代理   道明寺天満宮 名誉宮司   南坊城 充 興 
祭員         理事   茨木神社       宮 司   岡 市 正 規
祭員            理事      杭全神社    宮 司    藤  江 正 謹
祭員    浪速高等学校      神道科     主 任   森 川 和 信
祭員    浪速高等学校      神道科                黒 嵜 博 文
典儀              大阪天満宮   禰 宜   柳 野  等
賛者              大阪天満宮   権祢宜   菅 野 喬 紘
楽師   本校雅楽部  部員  
神楽女  本校神楽部  部員
                                 
・ 式次第はまず「前段」として9時50分に「鼉太鼓の打初式」を行う。この奉仕は祭主の私が奉仕し、然る後に奉仕員の参進である。この時には奏楽として「小乱声」・平調 音取がある。次いで以下の通り式典は進む。
2e715d58-s[1]
修  祓      祓主(南坊城)・大麻(岡市)・塩湯(藤江)                                                      
一、斎主一拝
一、開  扉   本殿、祖霊殿予め開扉巻簾              
一、献  饌   置饌 蓋のみ開く  本殿七台、祖霊殿五台 計十二台 
         二殿二役(岡市)・(藤江)                     奏楽「皇麞急」一、祝  詞      後取(森川)
一、神  楽  尚学之舞   神楽部 
一、玉  串  斎主・ 祭主以下各代表 であるが神社本庁の総裁にまず行って頂き、次いで施主次いで施工業者代表と3名にした。時間短縮である。
一、撤  饌    蓋のみ   二殿二役  (岡市)・(藤江)                              奏楽「陪臚」
一、閉  扉  ※省略  祭典後 垂簾 閉扉 奉仕
一、斎主一拝 
祭主謝辞   木村理事長 
退  下     先導(黒嵜)                              
奏楽 太食調音取 「長慶子」

・ 祝電が多く届いている。学校関係者や全国の知己を戴いている神社関係からで豪華な装丁の祝電である。お花も届き始めた。気付くと事務室前の角のコーナーに飾っていたので早速場所を変更させた。人目の付かぬところに飾っていては失礼である。又今日は最終的に用意すべき資料等の確認を行った。
*新校舎紹介パンフレット  *新校舎配置図   *90周年記念事業概要書
*引き出物   *プライベートブランド「天孫降臨」芋焼酎   
*神社新報新聞   *吹奏楽「海道東征浪速」の説明書  
*「学院神楽尚学の舞」の説明書   *引き出物引換券   
*天空R会食招待者へのご案内状   *料理のメニュー書き   
*直会ランチボックス   *お茶ペットボトル
*ご来賓用胸リボン   *お持ち帰り用紙バッグ(印刷済のもの)
*特別招待者への海道東征浪速のCD
image006
P1280511

28.4.29(金)授業参観、PTA役員会他

P1280431
・ 今日は「昭和の日」で日本の国民の祝日の一つである。多くの若者がこれさえ知らずに「さあ、連休の始まりだ・・」と言っているとしたら残念だ。又マスコミも連休中の飛行機の予約状況や海外旅行の事ばかり云っているが昭和の日の意味合いを誰一人伝えようとしないのは遺憾である。今日は国民の祝日に関する法律によって2007年(平成19年)に制定された祝日で、日付は「昭和天皇の誕生日である4月29日」があてられている。同法ではその趣旨を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。まさしくこの文言の通りだ。しかしこの休日も政治的に紆余曲折があって今日の表現になった。暫くは「みどりの日」という全く訳の分からない名称の祝日に改められ2007年から今の形になった。私はしっかりと正門の門柱に国旗を掲げ、復興を遂げ今日の繁栄をもたらした日本人の象徴で有られた昭和天皇、私が生きて来た昭和と言う時代を偲んでいる。
P1000261
・ 従って元来なら今日は学校は休みであったが5月10日に奉祝祭を設定し、休業日にしたから学校は通常通りとした。振替である。明日の30日土曜日の半日は授業があり普通の日である。本校では創立記念日と言わず「開校記念日」と言い、それは5月1日、ただこの日は日曜日なので翌日の2日を振り替え休日としたから結局1日から5日までが本校の連休だ。このように学校と言うのは上手い事、行事を入れながら授業時間に影響のないようにしている。私立学校勤務が10年間と長くなると最早土曜日と日曜日との連休など遠くに行ってしまった感じである。身体が慣れて来ている。未だに公立は土曜日が休業日だがそれで学校行事が上手く回っているなと驚く。それくらい私立の水に慣れたと言うことか。
P1280260
・ 5月10日の奉祝祭も粗方準備が出来た。残った工事では西館の1階と3階のトイレ改修工事が5月8日完成の予定で突貫工事の真最中だ。もっと早い段階で決断しておけばと後悔している。工事関係者には連休は関係ないことになり申し訳が無かった。そういう訳で今日も一日を有効に使うべく行事が目白押しであった。まず「保護者の授業参観」を午前中に入れた。多くの保護者が学校に来られるから「道案内」をあちこちに立てた。昨日新たに一基「サイネージ盤」が入荷したのでこれで大形が3台となった。まず正門、北辰門、そして御柱付近とした。これに教員の受付があるから保護者は「うろうろ」しなくて済む。「カッコ良くやる」ことが重要である。
P1280254
P1280253
P1280256
P1280263
・ 高校1年生や中学1年生の保護者は入学式以来の学校となり、興味深々であったと思う。多くの保護者がご夫婦で中には小さな子さんを連れて来ていた。これは嬉しい事で大体私立学校は兄弟姉妹が入ると言う現象が多いだけに小さなお子さんでも我々は大切に思って遇する。ところで神社横の「絵馬」を眺めている保護者の数が多かった。確かに一般の神社でも絵馬やおみくじに人は興味関心を寄せる。このようにして神社神道の学校であると言うことを保護者は体感し、本校の味方になってくれるから、私立にとって最も重要な存在はまず今いる生徒とその保護者である。何回も何回も私はこのことを言い続けてきている。それにしても6階の天空Rは昼食をとる保護者で満杯になりパンは直ぐに売り切れたと言う。保護者は当然のようにエレベーターで6階に上がって行く。
P1000262
P1280303
P1280300
・ 授業参観は中高同時である。基本的に2コマ目と3コマ目を当てている。その後も学校は保護者への説明責任を果たす仕事が待っている。私は順次参観の様子を見て回った。盛り上がった教室もあるし色々だがやはり教師の熱の入れ方によって雰囲気は異なる。授業での教師の声が小さいのは駄目だ。基本的な事である。その後、高校1年生の保護者対象に「進路講演会」があり中学校は「中3の修学旅行」説明会とし4限目はすべて保護者と担任との懇談会である。特に高校の進路講演会は高校3年間の過ごし方や大学入学のシステム、費用などが詳細に進路指導部長の手で行われた。進路講演会は中央館ホールとしたが一杯になったので8階の視聴覚教室も同時映像を使って2元中継とした。本当に中央館のIT武装は便利である。
P1280267
P1280278
P1280282
P1280309
P1280306
・ 高校は4限目を70分とし全員をグランドに集め文化部のクラブ紹介とした。軽音楽部、神楽部、合唱部、吹奏楽部と先輩たちが何とか新1年生に入部を誘おうと必死になって演奏していた。私などは未だに良く理解出来ないが相変わらず軽音楽部の人気が高い。特設のステージを用意するから手間暇が大変なのだが「ここは私立」と割り切って出来る範囲で私は生徒にサービスする。これが出来なくなったら本校も衰退の道を歩み始めたと思って良い。お金は生きた使い道をすべきであり、まず生徒が喜ぶことを優先させたいと思う。喜ばせて後はしっかりと教えるのだ。喜ばせることは遊ばせることではない。
P1280317
P1280336
P1280408
・ 午後からはPTA新旧役員の初顔合わせの日であった。この席でまず新旧役員の交替が確認され次いで27年度活動の纏めと28年度活動計画が実行役員会で承認された。私は学校の役職者を紹介した。それにしても新校舎と神社普請ではPTAから3500万円も寄附して頂いた。頭が下がる。そしてこれらは5月21日のPTA総会で審議され最終確認だ。又PTA活動の大きな山場が浪速祭であるがこの日が9月18日と定まったのでバザーなどの準備の日程も確認された。本校のPTAは本当に協力的であり我々の仕事のやり易さは計り知れない。これがクレーマーみたいな保護者、モンスターみたいな保護者が一人でも居れば神経と時間の消費は大変であり、そういう意味からも常日頃からPTA役員には気を使って説明責任を果たさねばならない。しかしすべては究極の処良い教育を提供していれば問題ない。PTAを怖れる必要はない。敬意を表し、しっかりと教育を展開すれば分かって下さる。
・それでは5月の6日までブログは暫時休憩です。10日の奉祝祭で一区切りし、5月一杯で9年間書いてきたブログも長期休止とする予定ですが、何か少しさびしい気もしています。
P1280432
P1280437

28.4.28(木)校外学習の日


P1280235
・ 今日は高校、中学共に「校外学習の日」であった。60歳超えの人には「遠足」と言った方が分かり易いだろう。昨日来の雨で心配していたが中学が学校を出発した頃には雨は上がっていた。高校は現地集合だ。従って今日は校内は閑散としている。こういう時の学校も雰囲気があって好きだ。私は当初は高校3年生の行先である神戸方面に一緒しようと思ったが結局取り止めて学校に残った。行先については一応満足している。それでも当初は相当口を出して行先について考えて貰った経緯がある。校外学習と言う以上は「学習」的なモノが有る程度欲しいし、これを単に「物見遊山」にしてはいけない。当初高校生の行先として私は「必ず神社、仏閣をコースに入れて欲しい」と口を出し今その形が出来て来たように思う。
P1280230
・ 例えば今回の行先では:
高校3年:生田神社、北野異人館、北野天満宮、北野広場、大倉山公園(昼食)湊川神社、メリケンパーク
高校2年:御所蛤御門、高松明神神社、平安神宮、京大吉田神社、下鴨神社
高校1年:興福寺、春日大社、若草山、手向山八幡宮、東大寺、正倉院
中学3年:清水寺、円山公園、八坂神社、甘春堂、
中学2年:伊賀の郷モクモク手作りファーム体験
中学1年:神戸布引の滝、布引ハーブ園、
P1280216
・ 考えてみれば1年を通じて日本人が神社やお寺を参拝する機会は極めて少ないのではないか。何か有れば別だが毎月一度くらいは氏子として神社に、檀家としてお寺に参拝する人は奇特な人である。現代人は余りにも忙しい。可能なら月度一回は神社仏閣にお詣りしたいものである。心が洗われる。本校ではこのような観点から月度初めに「朔日祭」として全校生徒による「学院神社への一斉参拝」をしているのはその為である。神社神道の学校として私はせめて本校に在学中に近隣の有名な神社やお寺を参拝したという体験を付けさせてやりたいと思った。その結果が以上のようなコースなのである。耐寒行事も「山の辺の道を歩く」「葛城古道を歩く」と粘り強く私は探索しこの形を導入した。今私は満足している。


・ ところで神社とお寺、一体何がどう違うのか?分かっているようで、深くは知らないのがまあ普通である。これが日本人の感覚だと思う。しかし日本人は神社もお寺も大切に思っている。ここが素晴らしい。日本人というのは好奇心に溢れた民族で神道も仏教も両方を尊崇する。日本人は寛大で幅の広い人間である。子どもが誕生したら初参りを神社で行い、成長を七五三で祝う。先祖の供養をお寺で行い、親しい人の葬儀にはお経を聞きながら涙を流す。空海は「神も仏も有り難きかな」と申された。
・ 建築でも大きく違う。分かり易く言えば「神社は日本風」、「お寺は中国風」とすると間違っているだろうか。これがどんな経緯で成立し、どのような特徴があるのかを知りたいとは思うが、建築史であり簡単ではない。「崇拝対象」は明確で仏教は仏様、神道は神様と決まっているが、これだけでは不自由分である。たいていのお寺では仏像を本尊として拝んでいるが、これも歴史的経緯があってもともと仏教にも偶像崇拝はなかったと言う。一方の神社でも、そもそも神様は目に見えるものでなく、代わりに本殿に祀られてるものでも、見たことがある人は殆ど居ない。古神道では山その物が信仰の対象であった。典型的なものは桜井の三輪神社である。
・ さらに「婚礼」と「葬式」をめぐっても今日では神社では結婚式、葬式はお寺となっているが、歴史はその逆だった時代もあるらしい。今日の神前結婚式は神は神でも西洋の神の前で結婚を誓うなどまさに流行である。しかし一時期は日本の神の前で「三々九度の杯」を日本人は交わした。寺社の入り口は「神社は鳥居」、「お寺は山門」である。両方とも俗世から隔離され、境界線が鳥居と山門であり、神社のシンボルの鳥居は参道の始まりを意味する。これより先は神々が降臨する神域で、山門はそこをくぐることで仏の国に入る。心が清められ、美しい心で神や仏を拝むことが出来る。両方とも本来は信仰心のないものが境界から先に進むみ立ち入ることを本来は禁じていたのであろう。だから「斎戒沐浴」して結界を超える。
・ 寺の守り神は、山門の左右に置かれた「仁王像」で、金剛力士像などが有名であるが、仏敵の侵入を防ぐのが守護神の任務となる。これに対して神社の守り神は、「狛犬」といって鳥居から拝殿までの間に鎮座している犬の石像を指す。起源はエジプトのライオンとされ、魔物を追い払うためにじっと見守っているのだとか言われている。狛犬を置いていない神社は勿論ある。新しい学院神社では昔からの狛犬を設置した。校外学習で京都や奈良、神戸に行った生徒たちがお寺と神社の違いなどを知識としてではなくて感覚として肌に感じて貰えば今日の校外学習の効果は有ったと思う。
P1010363
・ それにしても「東征門」の素晴らしさよ。勿論東征門だけではなくて今回の事業で私は門と言う門を重要視しお金をかけたが今日みたいに大形3台のバスが悠然と駐車し切り返しなしで門を出て行く様は素晴らしい。正門付近は生徒が中高共にいないため誰一人見かけないが裏にある東征門付近では遠足に出かける中学生の歓声でうるさいくらいだった。しかしそれは事務室などには一切聞こえない。同じように正門横の物品搬入の北辰門もある。西関門もあれば天の岩屋戸門、武道館門と新キャンパスは門に彩られた敷地になった。正門を含め6カ所も大きな門がある学校など大学でもあるまい。それぞれの門が目的があって機能している。
P1280185
P1280245
・ その全ての門の表札を書かせて貰った。これだけでも私の生き様が未来永劫この学校に残る。何時かは私もこの学校から永遠のおさらばするが、天からこの地を見守りそれぞれの門の字に魂を乗り移らせこの学校を守りたいと思う。設備担当のU氏が事業概要書を纏めてくれた。浪速改革10年を「時系列的」に纏めてくれている。何と裏表紙には全ての門の写真が載せられていた。嬉しい心使いである。これで全ての準備が整った。5月10日見事にやり切って新たな時代へのページをめくっていきたい。
img913
image002
image001

28.4.27(水)特別校長講話

P1280110
・ 今日は朝の「一こま50分」を特別に貰って臨時の「校長講話」を行った。大切な一こまを教員から貰うのは例え校長と言えども気を使う。まだ私はまともな神経を有している。初めての試みである。明日は中高ともに校外学習、その後は保護者授業参観、クラブの発表会、そして連休に入る。新1年生は高校生活にもなれぼつぼつ「だらけて」来る頃合いである。2年生、3年生も新しいクラスに慣れ始めて来た、この時を狙って「日常生活上の指導」について校長自らが「丁寧に」に説明し、生徒に分かって貰おうと言う趣旨で考えたものだ。貴重な授業の一こまを代替えするのだからそれ以上の効果を上げないと申し訳が立たない。だから今日の為に準備を周到に進めた。
P1280111
P1280125
・ 生徒生活指導部が過去5年間の指導や補導事例を具体的にあげて、生徒用と私用と2種類の資料を作ってくれた。生指部長が傍らに付き私の「次、お願いします」と言う言葉で次の文章に進む。ソフトは「パワーポイント」で文言が出て来て次々と「上書き」していくのだ。これによって今までの「声だけ」の話から「映像と文言と声」による生徒への校長講話となった。今までは単に言葉だけであったものを初めて映像と文字からも訴える方式にグレードアップしたのだ。新校舎の新しい武器である。このような学校はまずあるまい。ICT武装された21世紀型のシティスクールである。田舎の学校ではない。
P1280152
P1280171
・ 本校は本当に良い生徒が多い。やんちゃな生徒は見かけず、挨拶もしっかりと出来る。年間を通じて進路変更(転校や退学等)生徒は本当に少ない。良い学校なのであるがそれでも我々は課題を有している。せっかく入学したのだから家庭謹慎とか学校謹慎とか所謂停学処分などを受けない方が良いに決まっている。少しでもそのような生徒を減少させるために学年団や生指部員は頑張ってくれているが校長も入学を許可した責任がある。新校舎も完成し新たなスタートに立った学校はもう一回ここで生徒を守るために日常の生活規範について生徒に校長の声で「じっくり」と訴えるべきと考えた。「浪高生、20の約束」としてまとめたのものを「たっぷり」50分かけて私は話した。終わって「ホット」すると同時に心地よい疲労感を感じた。
img997
P1280166
P1280172
・ 5月10日の奉祝祭の準備が粛々と進んでいる。「凝り性」だからそして「こだわり」が強いからだと言われると幾分辛いが「完璧を期す」「徹底しておもてなし」する気持ちが生来強いから部下は大変だろうが、私の立場で言えば教職員に「形を見せている」のである。昨日は高島屋さんから「引き出物」の完成見本が届いた。想像以上の素晴らしい出来で恐らくお客様には喜んで頂けると自信を持った。高価ではないが知恵の勝負だと事務長と二人頑張った代物である。種類は2種類ありお客様によって指定しお土産袋に入れお持ちかえり頂く。物が何であるかはここでは書かない。記念の品になるだろう。勿論すべての教職員と校内で働いてくれている人々にも差し上げたい。

P1010356
・ 資料関係では遂に入試広報部の手になる「学校紹介パンフレット」が出来上った。素晴らしい出来である。又「校舎案内図」もY教務部長の手で完成した。この先生は実に細やかな神経を有しており資料表紙の学校名の文字体は正門横の表札の文字と同じものを使ってくれている。素晴らしいセンスだ。このように人とはちょっと異なる神経、センスを有していることは差別化になる。私も何時もこの事を心掛けて来た。他人と同じようなことをやっていては目立たないしそれは業績とはならない。「どこが違うのか」、それが問題なのである。
img998

img794
img999
img012
・ 後一つ資料が要る。それは「事業概要」である。これは今設備担当が頭を絞って作ってくれている。私が言っているのは単に新校舎と学院神社を述べるのではなく学校改革10年の足跡を「絵巻物語」風にして欲しいということである。果たしてどのような物が出来上がって来るか。私はこれらをすべて定礎箱に入れる。100年になるか200年になるか分からないが全ての資料を入れる。私のブログも入れる。そのステンレスの箱も準備が出来た。大きな部屋だから4個は入るそうだ。何を収納するか今から間違いの無いように考えて行きたいと思う。
P1280175
・ 当日は直会弁当を別室で食べて頂くかお持ちかえり頂くかである。人それぞれに忙しいから、どちらにするかはお任せするのだが遠方のお客様や、祭事にご奉仕頂いた神職の方々、又多額のご寄付を戴いた方々に12時30分頃に「弁当持って帰って下さい」では失礼になろう。従って特定のお客様は式典終了後中央館の天空Rにご案内し昼食をとって頂く準備も進めているのだがそのメニューが出来上がった。学校の食堂ではない「天空レストラン」のイメージをお分かり頂く為に「正餐」としフルコースの料理を(株)ハートスクリエーツさんがやってくれると言う。何とここにはホテルでの接客資格の1級を有している方もおられ、本格的なのである。料理の内容は以下のようなものを考えてくれているらしい。
img848
・ 「竣功奉祝祭の正餐」の内容
*蟹と帆立貝柱の祝祭アンサンブル春野菜のサラダ添えゴールドキウィのソースと共に
*旬のグリーンアスパラと新じゃがを使った特製クリームスープ
*伊勢海老のグラティネ雲丹の薫る紅色二色ソースで

*お口直しのシャーベット”阿波の幻の果実”フルーティーレモン

*特選牛フィレ肉のポワレ赤ワインソース古代米のリゾット添え
*パティシエ自慢のスペシャルスイーツ
*珈琲とホームメードの焼き立てパン
~浪速天空レストラン~
料理長    ○ ○ 満基男
パティシエ  ○ ○ 博文
ブーランジェ ○ ○ 貴子
平成28年5月10日
これらの人々が中央館天空レストランに居られるのである。素晴らしいではないか。

28.4.26(火)ホームページの更新

P1280003
・ 5月10日日の奉祝祭準備が着々と進んでいる。こういう祭事の準備に関して、本校教職員の底力は大きい。大きな祝賀会としない方向で、ご案内先も絞ったが結構な数のお客様をお迎えするなった。社会的にも大きな影響をお持ちの方々が揃った。神社本庁の田中総長がご出席されご祝辞を戴く運びとなった。又何と伊勢神宮からもT禰宜さんがご出席戴ける。一私立学校の奉祝祭に伊勢神宮から神職の来賓とはすごいことだ。又神宮崇敬会のT理事長も来臨して頂ける。この方は前の伊勢神宮少宮司で実質トップであったお方である。この人のお力でヤマトヒメ宮の鳥居や150号の絵画が頂けた。大阪府の私学課長、大阪私立中学校高等学校連合会の会長、議員諸侯、塾長様始め多くの方々のご参列を戴き奉祝祭が斎行できることは本当に幸せである。準備万端滞りなく進め「おもてなし」の心で連休明けの5月10日を記録に残しておきたいと思う。

・ 学校家具では高級ブランドとされている西尾家具製作所の社長さんが過日二人のインタビュウをした時のDVDが完成したと言われ持参して下さった。実は私の執務室には大型のテレビがあって正直余り使われていない代物であり、早速これにかけて試作品を鑑賞した。これは西尾家具さんの商品宣伝用ビデオで来月西尾さんのホームページに動画としてアップされるとの事であった。学校の理事長が一民間会社のPRビデオに出るなどは余り聞いたことが無いが、本校は私立だし全く問題ない。逆に西尾さんの顧客に本校のPRが出来て良かったと私は考えている。確かに家庭調理室や和教室の机など素晴らしい味のある家具調度品で積極的にPRすることは間違ってはいない。「良いものは良い」のであって、是非西尾さんには多くの学校関係者に本校の実践をPRして頂きたいと思う。
P1270991
P1270995
・ ホームページと言えば昨日午後I教頭補佐と事務室のM主査が入っていて報告を受けた。Iさんは入試広報部長兼務だ。又Mさんは広報情報委員会の委員長をお願いしている。報告の中味は「ホームページを更新」したいと言うものであった。最初聞いた時に「へー」と私は思った。最近では珍しい光景となった。このように教職員サイドから「提案」があると私は嬉しくなる。何時もトップダウンではいけない。元来はボトムアップで現状の改革案が出てくるようになるとその組織は本物である。中味は素晴らしい物であり、要は今や「本校のHPは古臭くなった」というのである。正直私が考えたこともなかっただけに実に提案は「新鮮」であった。
img993
・ まずスマホ、タブレット表示に対応していない。生徒保護者は今やほとんどがスマホでありパソコンから閲覧する頻度は低くなった。トップページに学校法人のページがあって肝心の中学校、高等学校に辿り着き難く、学校の校風がHPからは分かりにくい。HPのデザインに女性らしさが欠如しているの3点を問題としていた。現在のHPは平成24年6月に稼働し現在まで驚くべき数のビューであり、年間平均も凄い高いビューだと言う。それだけに「今、新しい物を・・・」と言うのだ。又現在の契約メンテ会社と教職員で更新を日々行っており全く問題が起きていないが、今後は学校案内や動画なども積極的に増やし新校舎の中で生徒が楽しく授業やクラブをしている風景を増やすべきだと言うのである。

・ すでに数社と事前検討をしているとの事で近い内にコンペを行い本校の方針に合致する会社を選定したいという意見具申であった。私は否応なく「進める」ように述べた。今後ますます学校のHPは重要になる。ましてスマホの進化は益々進むだろう。新しい時代を見据え今回新たに本校のHPを更新するには意義深いと思う。私のブログの読者数もアクセス数の増大に大いに寄与していると思うが、このブログも最後の直線距離に入って来た。HPのアクセス数は受験生の増加に直結するものであり、素晴らしいホームページのリニューアルを期待したと思う。
img994
・ 本日、「小型のサイネージ盤」が校舎内に設置された。案内されて観に行ったが素晴らしかった。2台入荷し一台は前述した家庭科調理実習室前、もう一台は中央館8階の進路指導部の前だ。8階には階段教室、通称「浪速シアター」があり進路が良く使っている。又この階には図書館もあってサイネージ板の使用頻度は高いだろう。紙を使わず電子データで情報を流すのが本校の新しい姿である。5月10日もこの辺を大いにPRして欲しいと思う。家庭科室前では「土足厳禁」から「今日のレシピ」までグルグルと情報が表示されており何か新しい時代の中で生きていることを実感する。「ICT武装された21世紀型のシティスクール」がコピーであったが間違いなく実現している。
P1280098
P1280105
P1280107
・ 今日は修学旅行のエージェントであるHISさんが5月10日奉祝祭のお祝い金を持参して来校された。先にも大金をご寄付頂いており今回も前回と同額のご寄付であった。想定していなかっただけに大いに恐縮したが、有難く頂戴した。丁度昼時で天空Rの責任者が奉祝祭の「直会弁当」の2回目となる試作品が出来たと二人分を用意してくれた。前回よりは箱の大きさは-25%と幾分小さくし、黒豆、昆布巻き、海老の天ぷらを付け加え、魚は「ぶりの煮つけから鯛の塩焼き」に替っていた。又古代米は好き嫌いが出てきそうだから元に戻して赤飯にしたものだった。HISのMさんは「豪華ですね、これで幾らくらいですか」と言いながらパクパク試食してくれていた。これで料理は最終的に固まった。生ものは一切入っていないのでこれから先、暑くなってきても大丈夫である。
P1280087
P1280091
P1280093

28.4.25(月)学院神社と伊勢神宮

P1280057
・ 23日土曜日硬式野球部の応援に出掛け、その帰り道に私は学校車を運転して狭山市の「大阪狭山池博物館」に向かった。実は当日の大阪日日の朝刊に「神話の世界にいざなう」「古事記テーマの絵画展」の見出しで記事が有り、大いに関心を寄せたのである。八尾久宝寺から狭山市まで学校車にはナビがあるから大丈夫だろうと踏んだのだ。このように私は「古事記に極めて敏感」である。野球部の劇的な「さよなら勝ち」もあって楽しく自ら運転して向かった。「狭山池(さやまいけ)」は、大阪府大阪狭山市大字岩室にある日本最古のダム式ため池とされ、私は文化財の一つだと思っている。石川や大和川といった水量の豊富な河川から外れる河内国西部の丘陵地帯は、水量に乏しく灌漑に苦労していた地域で、現在も狭山池周辺には大小の溜め池が数多く点在しているように飛鳥時代前期、朝廷によって西除川(天野川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止め築造されたとされている。
P1000257
・ 正確な築造年は明かでは無く、4世紀から7世紀の改修記録が残る時期まで幅広い説があり、「古事記」「日本書紀」にもその名が記されており、1400年の歴史がある。池の中に狭山池神社が祀られているとされ、1704年(宝永元年)の大和川の付け替えまで、現在の大阪市域に至る80か村、約55,000石を灌漑していた。各時代で幾度となく改修が重ねられ、1988年から10年以上の工期をかけた大改修のダム化工事により洪水調整機能を備え、同時に池の周囲は公園として整備された。また、以前の狭山池の保存と公開を目的とした「大阪府立狭山池博物館」が池の北側に2001年に開館し、改修工事の際に切り出した堤体の実物が展示され断面を見ることが出来た。初めて私は狭山池をこの目で見た。
P1000255
・ この古事記所縁の場所で古事記の絵画展とはこれまた素晴らしい取り合わせで、画家の御名前は堺市在住の小灘一紀さんと言い、幸運にもご本人と奥様にお会いできた。絵は独特のタッチで素晴らしい物であった。特に天孫降臨の「斎庭の稲穂(ゆにわのいなほ)」120号の大作は私の眼を釘付けにした。意気投合して話はいろいろと飛び、あの神道画家の鳥居禮先生ともご知り合いであられた。堺という身近なところにこのような作家が居られたのだ。奥様から「図録」をプレゼントされ一度お自宅に伺って他の作品も見せて頂くところまで話がまとまった。学校にも是非ご案内したいと思っていたら今日お電話を戴き、学校訪問の日時までが定まった。とんとん拍子に事が運ぶ。私は出来れば中央館6階のレストラン天空Rにこの先生の大きな絵画を是非飾りたいと今思っている。様々なタッチの絵画が有る方が良いではないか。
img989
・ 3月24日の「遷座祭」の集合写真が出来上がり関係者にお渡しした。今思い出しても身体が震えるほどの歓喜の時であったがご遷座以来学院神社は静かに堂々と鎮座され、日々その雰囲気が出てきている。出勤時境内に入って参拝するのだが私にはすでに神社から発散されている「パワー」みたいな神気を感じている。特に早朝は御本殿の少し左後ろから太陽からの陽が燦然と輝く様はまさに天の岩屋戸から天照大御神が現れ出たような光を感じる。目に眩しいのである。御存じのように天照大御神は日本国の皇祖神であり八百万の神々の中心に存在されている神である。現在は「八咫の鏡」と共に伊勢神宮の内宮に祀られている。
jpg遷座祭集合
P1250990
P1010351
・ 私は今朝、再度本校の「学院神社と伊勢神宮の位置関係」を確認した。当然この点に関しては大林組さんが東館との位置関係で既に調査していたことなのだが今回改めて伊勢神宮の何処にご本殿からの一直線が当たるのか設備担当にグーグルマップで詳細調査して貰ったところ、何と、何と内宮の新殿地と古殿地の敷地境界の中る(あたる)のである。言い換えれば学院神社を参拝することは間違いなく伊勢神宮の内宮様を参拝している形になるのだ。私はこの偶然性ではなく必然性に感謝している。5月10日の竣功奉祝祭には伊勢神宮様からも神宮崇敬会からもVIPが参列して下さる。再生なった「ヤマトヒメ宮」の鳥居をご覧になってきっと喜んで下さるだろう。
img991
img992
03a_0479
・ 浪速高校空手道部I今井監督が文部科学大臣のスポーツ功労者表彰を戴けることになった。初めての事である。間違いなく2020年の東京オリンピックを考えての事に違いない。恐らく日本代表選手はどこかの大学か大学卒業者になるが、いずれにしても浪高卒業者であるだろう。日本空手連盟の笹川会長も本校をあらゆる場所で激賞して下さっており、今後とも頑張る様に私は今井監督を激励した。JKファンと言う月刊誌に本校が詳細記事になっていた。「5度目の選抜優勝」「これぞ王者の力」「浪速2連覇」「浪速横綱相撲」と凄い見出しの記事だ。私は浪速武道館「練武館」を作って良かったとつくづく思っている。後は全国の優秀な中学生を本校に呼んで今井監督の手で東京オリンッピク金メダル候補を本校から絶対に出す。
img987
img988
・ 昨年の入学者から「大いなる実験」と称して初めて始めた塾との連携は2年目に入った。特別なクラスを編成し難関大学への合格を目指した取り組みは1年間を総括すると偏差値も上がっており方向としては間違っていないと考えている。すべてが「おんぶにだっこ」ではいけないが時には学校の教師以外の指導やアプローチは生徒の「気づきややる気」に効果が有ると思い、始めたのだが狙いは当たったと言える。私は2年目の開始に当たりそのクラスに出かけ激励をした。取りあえず3年間フォローしてみたい。今年の1年生は2年生になった段階で新しい形を考えたいと思う。科・コース選択が終わった2年生からの方が爆発する可能性も期待できる。今始めたゼロ限講習も然り、「生徒の学力伸長の為」には今後は何でもやる。3年生の夏の10日間合宿も今年の成果を観て新しい形を考えよと教頭補佐と学年主任に今日の校務運営委員会でも述べたのである。
P1280043
P1280049
P1280059

28.4.23(土)専任採用1年研修発表

P1270971
・ 2日前になるが21日に専任採用1年研修の研修発表会があった。本校では「任用試用期間」は就業規則で1年間となっており、この間は「研修期間」としている。指導教官が付き、陰に陽に指導して本校専任として成長するように実際の仕事を通じて資質を深めるという言う訳だ。今回の対象者は教員が7名、事務職員が1名であった。丁度その日は夕刻に、重要な会合がったから一人当たり10分弱程度の発表となった。皆さん、資料を上手く纏め、プレゼンの練習もしていたみたいでキリリとした、それでいて非常に内容に富んだ素晴らしい研修報告を聞いた。私はこの研修会は重要視している。当然だ。1年前に私が専任として採用した人物ゆえに「目が節穴」だったら大変な事になる。
P1270929
・ 元来ならお一人一人細かく講評し指導するのだが前述したようにやはり時間は短かった。それでも何とか「伝えたい」ことは伝えることが出来たと思う。しかしやはりプレゼンの時間が10分とは如何にも短いから来年度からは数が多ければ2分割して実施することを総務部長と決めた。1年間頑張って研修してくれた先生に失礼だと考えたからである。既に1軍でレギュラーみたいな能力を高めている先生、それに近い先生、1軍だがまだレギュラーにまで行っていない先生等と表現しながら「プロとしての雰囲気のある先生」に早く育って欲しいと申し上げた。そして仕事のある喜びと教師と言う職業の素晴らしさを体感しながら自己実現を図って欲しいと申し上げた。時代の大きな変革期にある学校社会だけに「やらねばならないことは山ほどある」が、それでも「心に余裕」を持つことが良い仕事が出来るとも申し上げた。
P1270951
P1270970
・ それにしても生徒が朝登校してくる様は「迫力」がある。次から次と飲み込まれるように正門に生徒は入って行く。旧校舎の場合は隙間のない塀だったから外の様子が見えなかったが今回はスリット式なので校内から外の様子が良く見えるのだ。生徒が並んで一列で正門に向かって歩いている様を見るのは楽しい。3週間程度経ってようやく生徒は「駐輪器」の扱いに慣れたと見える。スムースに駐輪していた。この駐輪場も大ヒット作品であろう。観ていて美しい。整然と駐輪している様(さま)は学校の品の良さを外部に示しているようなものだ。今更ながらこの方式にして良かったと思っている。
P1000223
P1000226
P1000233
・ これを設計してくれた大林組の女性設計技師は今頃何をしているのだろうか。しかし設計と言い、工事と言い素晴らしい仕事ではないか。生涯自分たちの仕事が残ると言うのは素晴らしい。結局何かを生み出す仕事は尊い。製造業でもゼネコンでも農業でも何でもだ。教師とて同じである。物理的な生産物は出来ないが「人間を作っている」のが教師の仕事だ。これほど尊厳ある仕事はあるまい。「人作り」ほど難しく、そしてやりがいのある仕事は無い。その為には教師は「生涯学習」である。教師こそ「謙虚」でなければならない。そして私は小さな私立学校の理事長・校長として、「教師を作っている」との自覚を忘れたことはない。私も極めて大きな責任を負っている。
P1000231
・ 学校が始まって次第にペースが出て来たが今後のテーマはクラブ活動の勧誘と言うかクラブの新しいスタートである。それも大体出揃って来たみたいだ。昨日「平成28年度の運動部と文化部の予算」が自治会担当の教員から上申されたのでそれを了承した。まあ過去の実績で割り振った物である。数百万円を割り振るのだがそれだけでは十分とは言えないから私は「特別強化クラブ」の指定をして財政的支援を行っている。4月21日と22日は「文化部ミニ展示」と言って「鉄道研究部」「新聞部」「歴史研究部」「写真部」が回廊の一部を使って活動をPRしていた。私も顔を出して激励した。運動部に比べ文化部の活動は低調である。次の私のテーマである。そこに行けば行ったで「アニメ部を作って欲しい」とか今日は「哲学部」を作って欲しいというのもあった。写真部はカメラも無いと言うので高価なモノではなくても良いからデジカメを用意するようにクラブ顧問に電話したのである。次のチャンスは4月29日に発表会である。これは大がかりになるから校時 は40分授業4コ間の後「軽音楽部」「神楽部」「合唱部」「吹奏楽部」の4部が実際に演奏をする。これが人気が高くて何時も大勢の生徒で賑わう。
P1280014
P1280019
・ 今日は硬式野球部の春の大阪大会の公式戦があって本校は大阪学院大学付属高校との2回戦が八尾の久宝寺球場であった。9時前のプレーボールで試合は1点を争う好ゲームとなった。1点を先攻したが同点に追いつかれ本校は又1点を追加した。しかし何と8回表に又1点を入れられ同点となった。両チームとも先発ピッチャーは中継ぎに交替して投手戦のような展開となった。結局延長戦である。しかし延長11回裏ノーアウトでカウントは1ストライク2ボールから打者の辻君が相手ピッチャーの直球を「快音」を残しレフトオーバーの大きなフライを打った。応援席は総立ちで「行け、行け」「入った、入った」と叫ぶ声に乗せられて大きくボールはフェンスを越えて行った。「さよなら勝ち」である。
P1000249
・ 良い一日となった。学校に戻って仕事の続きをしたのだが気分が最高に良かった。今年の硬式は良く打つわ。1回戦は11対ゼロでコールドゲーム。満塁ホームランを含んで2本のホームランであった。今日はさよならホームランだ。3回戦が楽しみとなって来た。今日は先発のエースが今一つであったが背番号10が良く投げてくれた。楽しみ、楽しみ。小さい頃から野球が好きであったが、才能はまるでない。草野球の補欠にも入れなかったが今このようにし高校野球のオーナーみたいなポジションにいるのが不思議で、私は野球場に行くと「ホクホク」するのである。サッカーとかラグビーとかアメリカンフットボールとか本校も頑張っているが未だにルールが理解できていない。やっぱり野球が分かり易いし面白い。これを余り強調する訳には行かないが好きなモノは好き。
P1000252
P1000253

28.4.22(金)感謝状の贈呈

P1260191
・ 朝一番、6時20分過ぎに車は北辰門に入る。広い中央館前広場の中に1人降り立ち、黒のボーダーラインで区切られた「参道」を神社前まで歩く。ご本殿の後ろから朝日が輝きまるで後光が差している感じである。「千木と鰹木の金飾り」が眩しい。昨日新校舎建設推進本部の解団記念パーティが市内某所で有ったのだが、その席で松原工務店の社長さんは「本物の金箔張り」だからずっと輝きますよと言ってくれた。途中から当初計画をグレードアップしあらゆる部位に金箔を張ったのは出費もかさんだが大成功であった。「金は永遠を感じさせ品格を上げる」。古来金は特別な材料だということを今回改めて思い知らされた。
P1010231
P1000237
・ 境内周りに風があると「絵馬掛け」に吊るした生徒の絵馬が「かちゃかちゃ」と小さく揺れながらこれまたヒノキ材同士が当たる品の良い音を出す。生徒が神様にお願いした事項が書かれた絵馬はご本殿近くに吊るされた瞬間から生きて「神風」に反能するのだ。そして執務室を回って「掘割」の行きつく終点付近から「水音」が聞こえてくる。周辺が静かでないと聞こえないくらい小さな音だが間違いなく掘割の水が地中の貯め池に落ちる音である。絵馬の奏でる音と掘割の水音の交響楽は実に私を「満ち足りた気持ち」にさせる。
P1000242
P1000218
・ 朝会が終わって10時前頃から私は校内をぐるりと一周する。特に好きな場所は何と言ってもグランドである。生徒が歓声を上げながら走り廻っている姿を見ると老人の私にも活力が出てくる。元気を貰っているのである。体育の授業中だろうがお構いなしに生徒は「アッ、校長先生だ」と言って手を振ってくれる。これほど至福の時は無い。私は今幸せである。すべてをやり切った充足感が私の身体の隅々まで行き渡る。時々昼休みには校庭に出る。生徒が思い思いの場所でゆったりしている姿を見るのも好きである。駆け寄ってくる人懐こい生徒も多い。本校の生徒は挨拶も出来、私は自慢にしている。
P1000239
P1000240
P1280028
・ 何と午後神社境内の梅の木が多くの実を付けているのを見つけた。今年3月、急遽天神様をお祀りしている学校なのに梅の木がないのはおかしいと叫んで白梅の木を一本植えたのだがそれに「鈴なり」の実が付いているのだ。私は感激し副校長と事務長に見せた。小梅だが実をとって「梅干し」か「梅酒」を作ろうかと今考えている。神社普請が終わり最初の年にこのように梅の実が多く成ると言うことは「吉兆」以外何ものでもないと思ったのだ。
P1280038
P1280039
・ 予定の無い時には部屋を出て、一人校内を歩きながら様々な事に思いが行く。心の中でこの10年間を総括しているのだ。「よくぞ、まあここまで来た」。仮設校舎も持たず全ての建物を順序良く建設出来たものよと感じるのである。「浪速武道館」と「クラブハウスとカフェテラス棟」そして「前向きな西館大改造」の順番であった。囲碁や将棋の名人が打つ「指し手」の様に考えに考えて打ったわけではない。しかし見事に指し手の想像以上の効果を上げてくれた。神様のお蔭であることは間違いない。私ごとき浅学菲才の者の人智を遥かに超えた大きな力が霧雨の様に全身に振り注いでくれたのである。
P1280032
P1280030
・ 今日に至った功績「勲一等は何処か」と聞かれたら総合的に判断し、西館であると言わざるを得ない。西館があればこそ東館、中央館に全精力を注ぐことが出来た。そして勲功第一は(株)エタニティハウスさんである。「地味な仕事」である既存建物の一切の内部改造を取り仕切ってくれた。新築以上に改造工事は難しいものだ。工期が充分あった訳ではない。突貫工事に次ぐ突貫工事であり、今も5月10日に間に合わせるべく西館最後の工事1階と3階のトイレの更新をして貰っている。西館の内部改造があればこそ私は西館の外部補修と色調変更塗装を大林組さんにお願いできた。築30年を超えた西館は人間で例えれば、内臓の移植手術と改造強化がエタニティさんの手で行われ、最後の最後、弱った肌を治し姫路城が真っ白に生まれ変わったように、大林組さんの手で西館は「鈴木その子」さんのようにしてくれた。外部だけ厚化粧をしても意味は無い。内なるものが良いから化粧も映えるのである。私は事務局に言って奉祝祭にはエタニティハウスさんにも感謝状を用意するように指示を出した。

P1000244
・ 西館(旧新館)改修の経過
1. 平成21年5月 2階修養室を図書館に改造し、旧校舎の西館3階の図書館を移設する。(西館図書館跡に3教室を設ける。)
2. 平成24年8月 2階図書館を同館1階ピロティーホールに仮設し、図書館跡は多目的ホールに改造する。2階シャワー室を男子トイレに改造する。
3. 平成25年12月 1階ピロティーホールの仮設図書館を一時休館とし、第三職員室に改造する。(平成26年4月新校舎東館が新設され、旧校舎南館1階仮設保健室が移動、跡に仮設図書館を再開設)
4. 平成26年1月 1階職員室前の1教室をロッカースペースに改修する。
5. 平成26年2月 第三職員室跡をボクシング道場 (建速清拳館)に改造する。
6. 平成26年3月 2階ボクシング道場跡を多目的ホール(西館ホール)に改造する。
2階多目的ホールを3教室に改造する。1階東側1教室を2室に間仕切りPTA室・同窓会室を設置する。1階西側1教室を2室に間仕切り女子教員・女子生徒更衣室を設置する。
7. 平成26年5月 2階集会室を中学校長室に改修する。
8. 平成27年8月 2階大教室を西館第二ホールに改造する。
2階吹奏楽部室を西館音楽室に改修する。
9. 平成28年2月 2階特別教室を技術室に改修する。
10. 平成28年3月 3階体育館への外部階段、2階中央館への連絡通路が完成する。
1階西側廊下北面に出入り口を設ける。外壁の全面塗装が完了する。

・ 奉祝祭において感謝状を贈呈するのはシンボルの鳥居を戴いた神宮司廰様始め、伊勢神宮崇敬会様、(株)大林組様、(株)きんでん様、(株)松原工務店様、(株)エタニティハウス様、(株)植田建設様の以上6社を考えている。もっともっと出さねばならないところは多くあるのだが社会の慣例に従って今回は以上のようにしたのである。
img962

28.4.21(木)28年度高校入学者数

IMG_0067A
・ 朝一番に天空Rの給食会社である(株)ハートスクリエーツの社長さんが来室され奉祝祭のお祝いを戴いた。ただただ恐縮するばかりである。有難くお受けしこの会計は新校舎寄付金の方に入れさせて頂く。中央館6階を全てお渡ししており当然神社会計ではなく此方であろうと考えた。今日のメインの話は驚くことに昨日のブログに触発されたのか、一夜明けて、早速「竣功奉祝祭の直会弁当」を試作して持参頂いたことである。私は一目見て「これだ!」と感じた。桐箱2段重ね、何と驚くことに赤飯に替って赤い「古代米」を炊き込んだお米と白飯の組み合わせであった。古代米を持ってくるとは「中々にお主やるな!」と言った感じである。ただ社長曰く、今朝には間に合わなかったと「鯛」に替り「ブリ」の切り身であったが、これは当日の本番は鯛にしてくれるそうだ。
P1010346
・ それよりも社長さんから「是非当社でやらしてください」と言われたことだ。折角ご厚誼を頂き天空Rを任せて頂いているのにこれを他社さんにとられたのでは面目が立たないというのである。数は600個位になるよと言ったら「出来ます!総力を挙げてやります。」と言われるではないか。又当日の天空Rでの特別会食席も「可能です。やらせて欲しい」と言われ、私はその熱意を買ってすべてこの会社に発注することにした。味付けの良い事は既に知れ渡っており後はマンパワーの問題である。VIPが多いから保健衛生に気を付けて見事に仕切って欲しいと思う。必ずやってくれるだろう。
P1130194
・ 昨日のブログに触れたように今回は熊本地震の被災者にお見舞いする観点を入れ「豪華な祝賀会」とはしない。従ってホテルにお任せする豪華な昼食会は取り止めた。近鉄系列のショエラトン都ホテルは伊勢志摩サミットの準備で大変だという理由もある。従って私はすでにご案内している招待状の文言である「祝賀会」とはせず、「祭事後の直会」としたのだ。言い換えれば忙しい中をわざわざ足を運んで下さるご来賓の皆様にはそれも奉祝祭での撤饌された品々の物を直会として神様から頂く「お昼時の昼食」と考えた訳である。
P1170756

・ 奉祝祭の為の2回目の早朝ミーティングを実施した。まだまだ準備が捗っていない。連休があるし学校も行事が「目白押し」である。私は24時間この事ばかり考えており、とにかく時間短縮と合理的な進捗、それに何と言っても「おもてなし」の心を第一にして準備に備えねばならない。今回は教職員総出で対応し例えば司会者なども外部のプロにお願いせず我々の手で「手作り」の式典にする。「備え有れば憂いなし」であるが必ずしも準備が万全に進んでいるとは言い難く私は基幹メンバーに強く発破をかけて奮闘を指示したのである。恐らくこれで本校はこれほどの大きな慶事はないだろう。本校にとって一世一代のイベントを全教職員総力を挙げて大成功させなければならない。
P1270563

・ 昨日の中高連の資料の続きを・・・。今日は「私立高校の状況俯瞰」だ。28年度府内私立高校95校の入学者数値が確定し明らかになった。これを詳細眺めることで手に取る様に「何がおきているか」が分かる。外部生と内部生を合計した総入学者数での順位トップ18校を掲げてみよう。カッコ内は昨年の順位である。
P1260931
1.近大付属920(1)、2.大阪産大付属764(9)、3.桃山学院742(4)、4.浪速720(5)、5.興国714(2)、6.清風692(7)、7.上宮688(6) 7.大阪成蹊女子688(21)、9.阪南大学付属681(14)、10.大阪桐蔭679(3) 11.大阪学芸668(11)、12.箕面自由学園645(18)、13.常翔学園632(10) 14.大阪高校548(7)、15.大阪商大堺519(15)、16.大阪偕成学園510(46) 17.関西大倉492(12)、18.常翔蛍光学園477(17)
img984
・ 注目すべきは以下の学校である。大阪産業大学付属さんは前年の順位9位から2位に、大阪成蹊女子さんは21位から7位へと大阪偕成学園さんには驚く。46位から16位に大躍進である。箱根駅伝風に言えば「ごぼう抜き」と言う感じである。わずか1年でこのように順位が目まぐるしく動いている。本校は幸いにも昨年の5位から4位と高い位置をキープできたが、これは来年も約束された数値ではない。勿論入学者数が多い学校がすべて「良い学校」とは限らない。戦略的に入学者数を抑えている学校もある。しかし良くない学校に生徒は来ないのであって生徒が集まる学校は生徒募集に涙ぐましい努力をしているのである。
P1260919
P1260983
・ 今回の統計数値で言えばトップは近大付属の951人でボトムの学校の二けた台の学校は10校もある。二けたということは99人以下と言うことである。本校が若しこのような事態に陥ったらやってはいけない。私学共済事業団への融資が支払えないということだ。ここで内部進学というか、併設の中学校を有している高校を考察すると良く分かる。トップの近大付属は総入学数951人の内、内部生は273人だ。同じように清風さんは内部341に外部351人とほぼ半分半分である。大阪桐蔭さんは内部生252人で外部生が427人である。特筆すべきは男子校の興国さんは内部生無しで714人、女子校の成蹊女子さんも内部生が居なくて688人だから「その凄さ」が良く分かる。現時点での本校の考えは少子化を受けて今後の安定した経営の為には付属中学からの内部生をある程度有していることは大きな武器になると考え、私は入試広報部には「浪速中学校重点」を訴えている。
P1270743
P1270751
・ しかし幾ら入試広報部が生徒を集めて来ても学校における「教員が駄目なら」元も子もない。直ぐに評判は廃れるだろう。昨日紹介した教育庁もここは相当気にして重点議題6として「教員の力とやる気を高めます」と打ち出している。具体的には:
*採用選考方法等を工夫改善し、熱意ある優秀な教員を最大限確保します。又教職経験の少ない教員について研修や人事異動等を通じ資質・能力の向上を図るとともに、教員等の人権感覚の育成に努めます。
*ミドルリーダー育成の取り組みにより次世代の管理職養成を進めます。
*頑張った教員の実績や発揮された能力が適正に評価される評価育成システムの実施等により、教員のやる気と能力の向上を図ります。
*指導が不適切な教員に対して厳正な対応を行います。
 
如何にも公立らしいが言っていることは良く分かる。我々は全て実施している内容である。思わず笑ってしまったが“優秀な教員を最大限確保します”という表現だ。どうしようもない教員も中には居るという裏腹の表現ではないか。
img986

28.4.20(水)浪速中学校

P1270903
・ 「大阪私立中学校高等学校連合会(略称:中高連)」の会議が昨日あり、中学校長が出席した。年度最初のこの会議は重要な情報が満載である。大阪府の教育関係者の人事、私立中高の校長人事などが明らかになる。中でも「28年度私立中学、高校入試の全校の結果が一覧表で明らか」になるから、私は何時もこの資料を食い入るように眺め本校の立ち位置を確認する。そして29年度入試に向けて戦略を立て戦術を練るのだ。当然入試広報部もこれらの数値が起点となって具体的な行動に移す。実際は既に動いているのだが、起点をハッキリするのは「目標管理」にとって重要である。目標の無いような仕事は仕事ではない。あくまで組織は組織目標を立てて組織に参画している人間の役割分担をして行動する。「そして結果を出す」。これが仕事というものである。
img979

・ 今回の中高連の資料の中で私は特に「大阪府教育庁の運営方針」に注目し資料を読み込んだ。本資料は私学関係者にとって極めて重要である。1ページ目には「重点的に取り組む課題」として10項目を挙げているが私学の関係ではたった1項目で「私立学校の振興を図ります」とだけであった。加えてこの10番目の項目には「教育長の事務」とわざわざ書かれており、この意味は大阪府教育委員会と切り離していることを強調する為である。要は「教育庁」なる新しい入れ物に私学を取り込んだが事務的には教育委員会は私学行政とは関連させず、教育長直轄とし、具体的には教学に関しては「私学監」が仕切る内容だと意味しているのだ。私学関係者の猛反対にあってこのような形になったのだろう。まず最初の形は「穏やかに」ということではないか。
・ 私は資料から計算機を使って計算してみた。教育丁行政マンは総勢483名で、内私学は33名だから比率はわずか6.8%である。前に書いたように巨象の中に「蟻一匹」という感じである。大阪府の教育関係の当初予算を見れば更に良く分かる。教育予算は総額6848億円で内人件費が5409億円、率で80%である。人件費総額の内小学校に39.4%、中学校に1304億円、率で24.1%、高等学校で854億円、率で15.8%となっていた。この内「私学課分などはその他の分類」でその他合計93億円、率で1.7%の内のまたその一部である。今回、知事の強い腕力で私学課が教育庁に包含されたがその意義は一体どこにあるのか未だにさっぱり理解出来ない形で単に大きな組織に入っただけである。私学振興を図りますとあったが具体的には従前と全く変わり映えのしない政策の中身であった。私見だがどうして「私立中学の授業料無償化」を打ち出さないのか。画期的でありこれで大阪の教育は完全に変わったのにと思う。
img982

・ 以上の資料から浪速中学校のポジションが明らかになった。府内63校ある私立中学校で募集人員に対する入学者数の割合、すなわち「定員充足率」は1.06と昨年に比べ躍進している。このことは多くの私立中が「割れた」と言う事である。しかし実数で延べれば強いところは相変わらず強くトップは清風南海さんの328人でボトムはK学園さんの15人であった。本校は95名と中間位置をキープしているがやはり100人の大台が次の目標になる。私は今朝から管理職朝会や入試広報部の面々にデータの更なる解析とその背景、そして29年度入試への具体的な取り組みへ檄を飛ばしたのである。
img980
・ 早朝、大林組道路のOさんが最後の仕事が終わったからと挨拶に来てくれた。このお方も忘れられないお人であった。回廊から神社の基壇の石張り、テニスコート周りのアスファルト工事、神社前広場のインターロッキングブロック工事、北辰門車両通路、駐輪場等、およそ目に付く「土間の工事」を見事にやってくれた。大柄で「ニコニコ」と何時も笑顔を絶やさず、黙々と仕事をしてくれた。彼にとってもこの現場は「忘れられない現場」になったと言ってくれた。「理事長、インターロッキングで成功ですよ」と大雨が降っても水の溜まらない広場を見ながら二人が堺筋の他の現場に観察に行ったことを思い出したのである。
P1270892
・ 私はOさんと一緒に天の岩屋戸門から回廊を抜けて中学生広場まで歩いた。やはり「黒のボーダー」は素晴らしい。見事に黒が映えて「くっきり」した。特に西館とその周辺がより輝くものになった。益々人工芝の部分が目立つ。ここは「中学生広場」として中学生以外は立ち入り厳禁の場所だ。又中学生が使用する西館1階のトイレも全面更新をしている。もうドアは付けずそのまま部屋に入れるようにし手洗いも自動感知、和風は全て撤去し温座のシャワートイレだ。体育館前のトイレと1階のトイレ更新で全ての西館工事は終わる。「突貫工事」をお願いしており5月10日の奉祝祭には間に合わせる。これで5月21日のPTA総会にも保護者には気持ち良いトイレが提供されるだろう。
P1270891
P1270900
P1000215
・ 今日は12時にシェラトン系の給食会社が奉祝祭にお出しする「お弁当」の試作品を持ってこられた。予算はここでは書けないが私は一目見て「ウーン」と唸った。やはり大きな会社であるし諸経費がかかるのかも知れない。「貧相」である。これは単なるお弁当だ。大きな奉祝祭の「直会のご馳走」ではない。私は事務長さんに言って折角天空Rの調理会社さんがあるのだからここにも至急試作品を作らせるように指示を出した。絶対に桐箱で二折でなければならない。お赤飯を入れ、菜も豪華で美味でなければならない。今日の試作品はそういう意味では当方の要求に幾分合致しなかった。神事の「献饌」である。そのおすそ分けを我々が戴くのであって古来神様へのお供え物は山海の珍味である。サバなど出せない。例え切り身でも鯛でなければならない。神様は鯛の方がお好きである。
P1000216
・ 今回は「ビュッフェ形式」とはしないことは既に決めている。今まで多くの学校の慶事に出かけて来たが全てがビュッフェ形式であった。お客様に食べる物を自ら取りに行けというのは「如何なものか?」と考えるからだ。家族や身内でバイキングに行くのは良いがこれは直会である。今回私は新しいスタイルをとることにした。平日でもあり皆さん午後からお仕事もある。だから私は「直会弁当」を用意する方式としたのだ。勿論食事会場は別途設けて昼食を本校で済ますお時間のあるお方はそこでとって頂く。従って今回は弁当の意味は極めて大きいのである。神社神道の学校の直会ということをお客様に肌で感じて頂く。西洋式のパーティではない。

・それにしても中学生は元気だ。本校では昼食は教室で教師も交えて一斉に家庭から持参した弁当を食べている。これも教育の一環であるが彼らは食事タイムが過ぎれば直ぐに校庭に出て飛び回る。中学生は本当に可愛い。本校の中学校教師の教育力に私は絶大な信頼を置いているだけにもっと浪速中学校は評価されて良いと思う。今その線上を走っている感じだけに来年度も頑張って参りたい。
P1270907
P1270915
P1270921

28.4.19(火)「浪高生20の約束みたいなもの」

P1270802
・ 私は小さい頃から「お祭り」が好きな子供だった。お祭りと言うと「血沸き肉躍る」という感じだった。昨日もわざわざしなくても済む話だったが新しいバス会社と契約し「浪速ふくろうスタジアム」行の専用バスの「安全祈願祭」を簡略化して済ませた。「出来るならやっておこう」というものだが、祭儀を済ませると安心して次のターゲットに気分が向かう。そうしないと何時までも私の手を離れない感じなのである。「東征門」から専用バスが校外スタジアムに向かって出発するのを見届けたら私の仕事は終わったと感じた。当初は自前のバスを保持しても良いかなと思ったがどう考えてもコストが上がる。それで専属契約とした。後は教員が見事に「仕分け」して有効にバスもスタジアムも活用してくれている。こういうところは学校文化の良い点で各クラブの顧問が公式戦の日程などを考慮して使用優先順位を決めている。今日はどのクラブがふくろうに行っているのか、パソコン画面で一発で分かる。時々私はこの画面を開いてクラブの動静を確認しているのだ。
P1270778
P1270838
P1010076
img978
・ 中央館8階の図書館はその後も順調に立ち上がり生徒の評判も上々である。担当する総務部長も司書の先生も立派で「自分の城」みたいに大切に使ってくれているから殊更嬉しい。今後生徒が更に更に集まる場所にしたいと思う。とにかく360度パノラマであり中央館で最も景観が良く落ち着いた場所である。ようやく一息ついて来たのでこの図書館の意匠性を更に高めるために「絵画」を大きな白い柱に掲げる事を決めた。まず何と言っても「夏目漱石」が来る。当然だと思う。本校お抱えの絵師と言うと語弊があるが高山先生にお願いした。次には「紫式部」、その次には「川端康成」「清少納言」「太宰治」「和泉式部」「芥川龍之介」と増やしていく考えだ。その場所に相応しい「雰囲気を出す」ことは重要な事である。
夏目漱石(高山)
P1270876
・ 今日は大林組ときんでんさんの幹部の方が竣功のご挨拶に来校された。話題は熊本地震になったのだが両者さんとも復旧体制を既に組織しているとのことであった。顧客からの支援要請があればすぐにでも駆けつける体制となっているのである。私は両社に対してこの4年間の素晴らしい仕事に心から御礼を申し上げた。特にきんでんさんの仕事で思い出深い場面を次から次と思い出し話題とした。最後の局面では大ヒットとして評価している「時計台」がある。これは最初からきんでん提案通りに進んだもので「一際輝いて」いる。どこからでも良く見え、今や浪速のランドマークにもなりつつある。
img977
・ 上に示した一枚の時計台の写真であるがこれが素晴らしい。片山写真館の手によるものだ。神社の写真は別格とすれば私のお気に入りの一枚である。これと並んで好きなものに回廊を桜並木から撮ったものがある。この写真も素晴らしい。「天孫降臨」のガラス絵が遠くから識別できるのが嬉しい。今朝電話をして一つのお願いを写真屋さんにした。正門からの写真で是非「天の御柱」と「左右の中央階段」を光り輝かせた合成写真が欲しいとお願いした。今のものは御柱付近が暗くて良く識別できないからだ。
img975
img976
・ 今私は新しい学校の生徒秩序をどのようにして生徒に伝えていくのか方法を模索している。ハードは最高水準のものが出来上がった。後はここで学ぶ生徒の為に「日常の生活規範」について分かり易く生徒を指導する手引きみたいなものを何としても纏めたいと考えている。昨日の校務運営委員会でもこの事に言及した。そう、一つの見本が旧會津藩の藩校であった日新館で教えられた「什の掟―じゅうのおきて」みたいなものである。今や余りにも有名になったが「ならぬことはならぬものです」という極めて簡潔な教えである。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです
P1270743
・ 同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくり、この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となった。毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったという。什により、一つ二つ違うところもあったらしいが「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではない。終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通であり余りにも有名な字句である。私はこれをもじって「駄目なことは駄目」と言っている。
P1270721
・ 封建時代の代物であり社会情勢から現代社会の今日に通用するものとは思えないが一つの伝承として後世に繋がる「浪速生徒20の約束事」みたいなものを編集してそれを時々全員が放送朝礼時に生徒全員で唱えるというのは古臭いであろうか。混迷の時代ゆえに我々は基本に立ち返る必要がある。分かり易く、生徒には生徒を守るための物だと教え、頭の何処かに残るような素晴らしい文言を考えて欲しいと今朝I教頭補佐とM生徒生活指導部長にお願いした。それを遣って試みに4月27日放送朝礼を行い全高校生に校長が自分の言葉で訴えるのである。声だけでは駄目でありパワーポイントで一文づつ私は先導して読み上げて行く積りである。とにかく新しい試みにチャレンジしていくことが今日的生徒には効果があると思うのである。きっと保護者も理解して下さると思う。そして何十年後に「浪速の20の約束」が人口に膾炙すれば良い。
IMG_1484
・ 茶道部、華道部の外部指導者であるT先生の本年度の活動が始まり私は武道館の「洗心亭」に急ぎご挨拶申し上げた。先生は93歳に御成りになり益々ご壮健である。100歳まで頑張るとおっしゃっており嬉しい限りである。丁度先生の御年と本校の年がほぼ同じであり元気と勇気を何時も戴いている。特にひ孫みたいな生徒がT先生を尊敬している雰囲気が極めて良い。やはり茶道や華道は女生徒を内から変えている。ここが素晴らしい。
P1270861
P1270870

28・4.18(月)高校朝礼

P1270751
・ 「第4駐輪場」が完成した。今日から本格的に使用開始された。これで駐輪場問題は一切解決した。第4には20台以上は十分駐輪出来る。尚此処には駐輪器は置かない方式とした。生徒・教職員は第1から第3駐輪場とし、第4には保護者や外部の方々専用とした。駐輪器を設置しなかった理由はこれらの人々に対して、いちいち駐輪器にタイヤを入れる手間を省いて貰う為である。一日中駐輪する人々ではない。私は生徒生活指導部長に当面は使用状況を観察するように言った。又急遽西館の体育館のトイレを更新するように私は決断した。「5月10日の奉祝祭」で式典会場になる場所のトイレである。お客様が若し使われることになれば恥ずかしいくらい老朽化していたことに気付いたからである。併せて西館の1階トイレも大改造することにした。いずれも今だに和風式があったりして汚く狭かった。しかし新校舎が完成してもまだまだお金が出て行く。しかし要ることは要るのであって仕方がないと諦めているが、予算は大林組さんへのオプション分を流用してやっている。「背に腹は代えられぬ」。
P1000210

P1270771
P1270773
・ 早朝、大林組のA所長さんが本町工事事務所の工事長さんをお連れして挨拶に来てくれた。ここ住吉工事事務所の撤収が成された後の「アフターサービスや手直し工事」等の窓口がここになると言う。遂にこういう段階になった。「感慨一入」である。本校担当だったK工事長さんも次の現場が決まったという。神戸の大きなスーパーの新設工事現場だという。誠実なお人柄ゆえに新しい現場でも施主や下請けさんから高い評価を受けるだろう。校内では本当に最後の最後の仕事が始まった。北辰門から通る中央車両通路等の土間のブロックのボーダーラインを入れる為に黒のブロックを一部差し替える工事だ。これも当初から考えていたが設計者が「広く見える方が・・・」というのでボーダーを取りやめたのだが結局やり直すことになったものだ。結局施主の最初の考えに最後は至る。そしてその結果も良いのだ。施主の最初の直感は重要であるという証明ではないか。
P1000209
P1270765
・ 次の例も最初の直感の正しさの証明である。今日は「高校朝礼」の日であったのだが登壇の台が60㎝と低いものだったから私は決断して今までの90㎝ものを校庭から持ってくるように開始10分前に緊急の指示を出した。事務局は悪気があって背の低いものを用意したのではなくて木製の落ち着いた感じの台が新しい神社前の式典には適切だと考えたのだろうが私は上がってみて最後部の生徒の顔が見えないことに「いらだち」を感じた。結局私の直感は当たったのである。当初からこの懸念は伝えていたが「やはり実際を見て」そのように感じた。生徒の顔を見ながら校長は生徒に話せるのであって顔も見えないような朝礼台では意味は無い。とにもかくにも世の中には現実を見ないで判断する輩が多い。それが私の怒りだ。
IMG_1492
IMG_1485
IMG_1486
・ 又朝から腹立たしく感じることがあった。それは電気屋さんが工事した神社横のコンセント位置だ。そこへたどり着くのに困難を極める。過日桜の花びらが散って、それをバキュームで吸い上げる電源を校務員さんが苦労しているのを観察した。長い長いコードまで引っ張って動力の電動工具を操作していた。そして今日である。ビデオによる朝礼映像を流すのだがコンセントが庭の奥深くにあるから樹木をかき分けて進みコンセントに入れなければならない。これから先何十年も立ち入ってはならないところまで足を踏み入れないとコンセントに差せない新校舎の電気工事ってあるか。私は早急に手直しするように事務長に言ったのである。それにしても今回の電気工事は腹の立つことばかりだった。
P1010322

P1270742
P1270743
・ 竣工して初めての神社前広場での朝礼となった。まず最初に「熊本地震で亡くなられた方々に黙祷」を捧げた。朝礼台は私が立って、最も奥に立っている生徒の顔が遠くまで見えるかどうかがポイントであったが結果的には元に戻して丁度良かったと思う。この日は元来始業式に行う予定であった「対面式」も行った。これは入学生と在校生が初めて顔を合わす儀式みたいなもので今後「仲良く」を形式上でも訴えるもので本校の長い伝統行事である。先だって部活動表彰をダンス部、軽音楽部、硬式テニス部としたのだが、珍しいのは第104回情報処理技能検定で3年生のM君が本校で初めてとなるが初段の資格を取得したことだった。
P1270710
・ 校長講話で私は初めて神社前広場の朝礼と言うこともあって様々な注意を喚起した。まず本校は「神社神道の学校」であるということ、そして多神教の國日本と神社神道、八百万の神々等の根本義に触れ、その後生徒には「正しく仲良く楽しく」の意味を伝えた。正しくなければ決して友達とも真の意味で仲良くなれないし、結果として楽しくはならないと諭した。「駄目な事は駄目」と厳しく話した。そして「挨拶」の大切さを教えた。その後新しい自転車駐輪器を大切に使うことを指導した。しかし以上だけでは不十分であり連休前にも校内放送で全高校生には重要な日常学校生活のポイントについて具体例を挙げながら話すことにした。
P1270746
・ 社前広場では私の話は校外の各家、家に筒抜けとなり、さすがに慮って放送による指導としたのである。場所は十分に2100名の高校生を並ばせても余裕があった。これで毎月初めの「一斉参拝」には300人の中学生が加わる。副校長が次回からは校庭での朝礼とし神社前に全校生徒を並ばせるのは「一斉参拝」だけにしたいと言って来たので「了」とした。
P1270752
・ 今日は15時30分から「ふくろうスタジアム行きの専用バスの出立式」があった。4月から長い間お世話になった大手バス会社さんがインバウンドなどで車両手配の関係に困難をきたすようになり、4月から新しいバス会社さんに切り替えたものである。中小のバス会社ではあるが立派な経営者と機材が新しく、今後この会社とお付き合いすることにした。頻度の多い路線であり多くの生徒を乗せて走るバスだからくれぐれも安全に運転するようにお願いした。これもバスを使う生徒からは受益者負担でワンコイン(500円)を戴いているが、これでは不足なので差額は法人がクラブ支援の名目で応援している。
P1270780
P1270799
P1270801
P1270832
P1270836

28.4.16(土)「新校舎関係広報校舎パンフレット」

P1270687
・ 「新校舎のパンフレット」のドラフトが出来上がった。私は「下刷り」を見せられて「グッド!」と承認を与え印刷に入った。ここでパンフレットとリーフレット、一体なにが違うのかの問いに対して、その答えはズバリ、何枚つづりになっているかだ。一枚モノの媒体が、リーフレットで、複数枚で構成されているものが、パンフレットらしい。言われてみると、なんてことはない定義である。リーフレットで一般的なのは、A4 三つ折りのサイズであり、扱いやすく、表ページ、裏ページ、中面とスペースがあるので実はけっこうな量の情報を整理して載せることができ、重宝し実は中央館完成後に作ったものはリーフレットだった。
img974
・ しかし今回は正門や外構、それに西館の大改造も加え学校全体の物にすると入試広報部が決め情報量がリーフレットでは収まらないために複数ページのパンフになったものだ。これで結構である。もうこれから先ない大きな慶事だ。「これでもか、これでもか」と訴えるパンフで良い。そして「改訂版」を出す時に見直して行けば良いと思う。それにしても「素晴らしいパンフ」が出来た。入試広報部の担当は国語の先生だから日本語がとうぜん上手いとは限らない。彼が上手かったのである。私はこの先生に「素晴らしい」と称賛した。まず簡潔であることと私が好きな語彙をふんだんに使っている。熱心な私のブログファンである。何時も彼が言うのは「理事長の文章の場面の展開と持って行き方が勉強になる」と言ってくれる。
img971
img973
・ 伊達に国語の教師はしていないことを彼は証明した。又何と言っても写真が良い。良い写真だからパンフが光る。しかし写真が良いのは実物が良いからである。被写体が良いから良い腕のカメラマンと文章書きの手でこのパンフレットは完成した。パンフの中を幾分か先行紹介してみよう。
 
・ 燦然と輝く校舎
世界にも例を見ない、輝かしい新校舎と新学院神社が、住吉の地に完成。そこには、九十二年の歴史と伝統の誇りが満ち溢れています。そこには、日本人の心の源である「神社神道」の精神が存在します。そこには、二十一世紀型耐震構造と最新のICT教育機器が詰まっています。「改革の門」と呼ばれる正門から始まり、浪速武道館の建設、グラウンドの人工芝敷設、東館(五階建て)・中央館(八階建て)の建設を経て、そしてとうとう、浪速の教育のシンボルである新学院神社のご造営に至り、平成十九年より始まった浪速学院の改革は、今まさに最終章を迎え、新たな浪速の新時代が始まります。「面倒見の良い教育」と「真の文武両立」を支える浪速学院の施設を、是非ご覧ください。

・ 浪速新時代の幕開け
  本学院では、かねてより創立90周年記念事業として新校舎建設ならびに新学院神社御造営を進めてまいりましたが、このほど無事工事も滞りなく終了し、お蔭をもちまして、無事竣功する運びとなりました。このほど竣功した三代目となる新学院神社の御本殿は、二代目よりも大きく、終戦により不本意なかたちで撤去を余儀なくされた初代御本殿とほぼ変わらぬ大きさを再現いたしました。
  また、竣功した新校舎は8階建て「中央館」5階建て「東館」の複合校舎で、神社神道の根源である古事記にある「天孫降臨」「天岩屋戸」の神話を壁画とし、天と地を結び本校が未来永劫揺るぐことがないことのシンボルとして「天の御柱」を校舎の中心に築くなど、神話の息吹を感じることのできる学び舎となりました。そして、8階「図書館」、 6階「浪速天空レストラン」「空中庭園」をはじめとする施設、最新鋭のICT機器を完備した設備は、近年の教育機関における最高水準の校舎であると自負しております。
  平成19年より数々の施策をもって断行してまいりました「浪速改革」は最終章を迎え、今ここに浪速百年の新しい歴史が始まります。
IMG_0067B
・ 浪速改革の軌跡
実践順   完成時期      施設・工事内容等   
第1次  平成19年8月   正門「改革の門」 更新
第2次  平成21年4月   校外学習合宿施設「多聞尚学館」 開設
第3次  平成22年6月   校外グラウンド「浪速ふくろうスタジアム」竣功 
第4次  平成23年3月   武道場総合施設「浪速武道館」竣功
第5次  平成23年8月    クラブハウス棟(部室・教室・カフェテラス) 
第6次  平成24年8月   多聞尚学館「千早清明寮」 改修
第7次  平成25年8月   校内グラウンド全面人工芝化
第8次  平成26年3月   新館内部改修(中学校職員室、ボクシング道場)
第9次  平成26年3月   体育館 改修
第10次  平成26年3月   新校舎「東館」・「天岩屋戸門」 竣功
第11次  平成26年3月   (旧)学院神社 撤去、(岩手県大船渡市移設)
第12次  平成26年3月   クラブハウス棟「体育教官室」 新設
第13次  平成26年3月   外部テニスコート 開設
第14次  平成27年3月   多聞尚学館大改修(外装更新・防水対策)
第15次  平成27年8月   新校舎「中央館」 竣功
第16次  平成27年9月   「トレーニングジム」「西館第二ホール」「西館音楽教室」
第17次  平成28年3月   「第二ボクシング練習場」中学技術室」設置
第18次  平成28年3月   西館外壁 改修
第19次  平成28年3月   学院神社・正門・外構工事 竣功
img970
・ 発注していた神楽舞の装束が出来上がってきた。東京は台東区の老舗宮内庁、神社本庁ご用達の大槻装束店が本校生徒の為に作成してくれた。素晴らしい巫女装束である。新しい「学院神社神楽尚学の舞」は「5月10日の竣功奉祝祭に雅楽部と神楽部が合同で奉納する舞」だからこの度正規の装束を用意したのである。美しい。高価であったが銭金には変えられない。都合70万円程度であったが安いものだと発注した。ここにも木村流で「間に合わせではやらない」ところが出ている。やって貰う以上は正規の装束を付けるべしが私の考えである。買えなくなったら買わないだけの話だ。今は買えるから買っている。このように何時も買えるような体力を付けておくことが経営の根幹である。
P1270656
P1270659
P1270666
P1270681
rogo[1]
・ 今日は何と教科書販売の「ミシマ書店」さんと楽器販売の「マツモト楽器」さんが竣工奉祝祭のお祝い金を持参頂いた。ただただ恐縮するばかりである。昨日の中西制服店、片山写真館、太陽スポーツさんに加えてミシマ書店さんとマツモト楽器さんだから、「浪桜会」のメンバーがどうも内々相談して実行されたのではないかと思った。本当に有難いことで会社のお名前を銅板に刻み神社基壇の一角の貼り付け本校のファミリー会社として永遠に顕彰して参りたいとお伝えしたのである。
P1270692
P1270697

28.4.15(金)「浪速カレンダー」

P1000200
・ 本当に怖い。日本列島はまさに地震列島であることを如実に証明した。先の東日本大震災からわずか5年で日本列島の東北から今度は九州熊本で大きな地震が発生した。ほぼ被害の全容が分かってきたが被害甚大で政府は激甚災害と認定し、気象庁は「平成28年熊本地震」と命名した。知人の一人は熊本出身だがご実家が大変な事態だと聞いた。被災された方々に心からお見舞い申し上げたい。本校にも熊本、鹿児島出身の教職員は4名いらっしゃるのだが幸いにも人的被害等はないと報告があった。安堵である。熊本中心部が震源だとあったが鹿児島でも相当な揺れだったと事務職員の実家の状況を事務長が報告してくれた。あの雄大な熊本の国宝、熊本城も大被害である。「天守のしゃちほこ」が飛び「武者返し」の石垣が崩れた。加藤清正公がさぞかし落ち込んでおられるだろう。
news2750057_6熊本城崩れる
熊本城
・ 地震が有った昨日の4月14日の21時過ぎは丁度1年前「海道東征」の旅で宮崎県高千穂で「夜神楽」を鑑賞していたと思う。そして今日15日は高千穂から南阿蘇に向かって車を走らせていた。これが今年だったら余震で先に進めなかったと思う。ところで「本校は大阪市指定の避難場所」に指定されている。これだけの巨体の新校舎だから震度7~8程度では「ビク」ともしない耐震建物であると信じている。天下の大林組、なかんずく「構造の大林」と言われるだけあって東館、中央館は「強固極まりない建物」になっている。航空写真を見ても最も高層の建物が本校の中央館だ。地震時には近隣の皆様の避難場所として学校を全面開放したいと思う。武道館、体育館、中央館ホール等1000人や2000人は収容可能だ。
P1010314

IMG_0100

IMG_2184A

IMG_2186A
・ ようやく「学校カレンダー」が出来上がってきた。数年前から作りはじめたものだが遂に新校舎の写真が取り入れられ素晴らしいものになった。本校のカレンダーは学校の始まりと合わせて4月から翌年の3月までとなっている。これも面白い。見開きは初代の神社、2代目の神社と歴史を踏む様にデザインされ3代目となる新しいご本殿が伊勢神宮から頂戴した鳥居と共に「ドーン」と出てくる配置である。そして4月と5月は「自慢の正門」が「バーン」と出てくる。素晴らしい。私はこの浪速カレンダーを公立中学校、小学校、塾等に対して「配って配って配りまくれ」と檄を飛ばしている。当然5月10日の奉祝祭にもお土産として袋の中に入れよと指示を出したのである。
img964
img966
img967
img968
・ 朝正門で立っていると高校2年生のM君とばったり会った。かれは内部生で期待の生徒である。今の実力なら東京大学に現役で行ける学力を示している。中学の時には保護者ともども奨学金を出して激励した経緯がある。「どうだ、調子は?」と聞くと「大丈夫です」と返ってきたから「そうだ、学院神社にお詣りしよう」と誘って拝殿まで進み合格祈願した。私は久しぶりに東大への現役合格を願っている。それは本校の教職員は東大に現役で行かせるだけの力があるということを内外に示したいと強く思っているからだ。東大だけは別格である。京大と東大は全然違う。東大でなければならない。私は副校長に言ってM君担当にN教頭補佐を任じよと言った。彼は今から5年前にも東大合格を進路指導した数学の教師だ。
P1010318
・ ところで3月の理事会で私は「寄付金の募集状況について」と題して新校舎建設募金、新学院神社ご造営の寄付金について、当初計画では本年12月末までとしていたところを、既に工事も完了したことでもあり、28年7月末を以て寄付金会計を閉じ、その後ご寄付頂いた方々のお名前等を銅版に刻み、神社基壇の一角に貼り付け、未来永劫顕彰申し上げる予定だと報告した。ところが本校の真ん前にお店を出しておられる「中西制服店」さんから今朝社長さんが見えられ、またまた「竣功祝い」として大金のご寄付を受けた。この会社は今までにも十分戴いており恐縮するばかりだが有難くお受けしたのである。
IMG_1464
・そうしていたら昼休み、今度は「太陽スポーツ」さんが又又「お祝い金」として寄付金を持参して来られた。そうこうしていたら今度は夕方近く、「片山写真館」さんがまたまた持参されて来られたのだった。両会社とも既に十分頂いており、全く想像していなかっただけにこの偶然性?に驚いたのである。太陽スポーツさんは今日体力テストで生徒が着ている体操着を納入してくれ、片山さんは前述した浪速カレンダーの写真を用意してくれた。これらの3会社とも長い長いお付き合いのある会社で本校はどれだけお世話になってきたことか。末永いご厚誼を頂くためにも我々は生徒募集に頑張って行かねばならない。どうも奉祝祭のご来客にはご祝儀等は辞退と案内しているので気を遣って今日の大安の日に持って来られたのではなかと後で事務長さんから聞いた。有難いことである。私は今回分は会計としては神社普請に廻し「基壇にお名前を刻み」未来永劫顕彰申し上げたいと思う。
P1270634
P1270648
・ 今日は「体力測定」の日であった。本校は本当に真面目に文部科学省の指導に則って毎年この時機に行っている。昨年と1昨年は工事中の為に体育の授業の中で実施したりと大変だったがようやく再開出来た。今までは40分授業4コマを午前中に済ませてから午後からとしていたが今年からは通常の50分授業4コマ後に測定だ。中央館ホール、時計台広場と実施できる場所が多くなったので進行がどのように進むか大変に興味ある。キャンパスが広いということは素晴らしいことを実感した。測定項目はハンドボール投げ、立ち幅跳び、上体起し、長座体前屈、握力、反復横跳び、それに50メートル走、男子1500メートル走、女子1000メートル走だ。持久走は後日体育の授業で行う。私は生徒が一生懸命に取り組んでいる姿を見るのが大好きである。
P1000192
P1000189
P1000198

28.4.14(水)「若い人達への責任」

P1270585
・ 「若い人達への責任」、これが私に課せられたものの中で最も重たいものだ。この責任を果たす為に学校法人浪速学院と言う職場の責任者として「将来或る若者」に「美味しい話」ばかりではなくて時に「辛口」、時に「耳に痛い話」もしなければならない。これは案外と苦しいもので言う本人も正直言って疲れるが、私は「ここで逃げてはならない」と意識して時に、若い教職員に注意し、指導している。私に残された人生は既に少なくなって来たが、若い人達はまだ「たっぷり」と人生がある。彼らの人生が本校と言う職場を舞台に輝き、自己実現を目指して健康で過ごし、素晴らしいパートナーを得て定年まで頑張って欲しいとただただ思うばかりだ。
P1270563
・ この10年間私が採用した専任教職員の数は79名になる。当然「寿退職」や「志ここに有らず」で辞めて行った先生も多いが今や殆どの専任教諭は私が採用した人ばかりになった。管理職を除けば私の着任前に採用された教職員は本当に数少なくなってきている。私が採用した若い人たちの為にもこの学校を傾けさせる訳にはいかない。生きて行く糧として彼らの職場を守らねばならない。学校を潰す訳には行かない。その為には彼らが本校の将来を担って呉れなければならない。この思いが私を鞭打つ。今後の学校は「教員で栄え、教員で滅びる」。教員の力で学校には生徒が集まる。勿論誰が学校を率いているか今日では重要なファクターであるが、まず「良い教員集団」であることが必要十分条件であることは間違いない。
P1270573

・ 私は当然の事ながら20代、30代、40代、50代で言うべき内容と語調、そして言い方のスタイルを変えている。60代の教職員は「分かっている筈」が前提としてある。この世代の人に対して「箸の上げ下ろし」まで言うほど私は愚かではない。一面今更「言っても仕方がない」というところもある。定年まで後数年の人にとやかく言っても始まらない。とにかく「鉄は熱い内に打て」で、私は若人に期待している。若者が基本的に大好きなのである。現時点の本校の専任教職員の数は管理職込で平均年齢は39,4歳である。昨年から0.7歳も若返った。複数年度勤務してくれている常勤講師の先生方は23人で平均年齢は30.1歳、今年採用した常勤講師の先生方は23人で同じく28.7歳である。恐らく「日本一若い教職員集団」だと思う。
P1270567

・ 今年専任教職員として常勤の教職員から採用した数は12名で平均年齢は32.4歳であった。うち一人は上席副校長でありこの人は57歳だったことと残りの11人の中に49歳と53歳の人が居たから平均年齢は昨年の28.3歳に比べ上がった。経営に幾分余裕が出来たことに加え、この3人は余人を持って代えがたいと判断し「異例」ではあったが専任として採用したのである。今どき12人も一挙にそれも本校での勤務経験が1年や2年で正規職員になれるのは信じられない現象である。しかし私は良い人材なら積極的に採用して行く。そして駄目だと判断したら辞めて頂く。今年初めて「教員の資質無し」として一人の専任教諭に道を変えて貰った。今後ともこの姿勢は変えない。
P1260505
・ それにしても昨夜は実に楽しい会食であった。4月1日付けで正職員に採用された11人の教職員を慶祝する為、市内某所にて私がホストのお祝いの会が持たれた。春雨の中であったが川沿いのイタリアンのお店に全員が集合し、会合は盛り上がり、それぞれの方が本校の正式クルーメンバーとして今後定年65歳まで、更にはその後も頑張ってくれることを確信した会食となった。それにしても集まってくれている本校の先生方の衣装が「ピシッ」と決まっていた。こういう場合「先生方、馬子にも衣装ですね」と言ったらそれは極めて失礼にあたる。御存じのように馬子であっって孫ではない。意味はどんな人間でも身なりを整えれば立派に見えることのたとえだが、 用法としては謙遜して身内や自分のことで言うなら許されるが他人に対して言う言葉ではない。
P1270574
・ 全員がダークスーツ姿で「身だしなみ」を整え、「パリッ」と決めていた。私みたいに「馬齢を重ねる」と体形も変わり、薄汚くなるものだから意識して身だしなみは注意する必要があるが、若い人は何を着ても美しく見えるものだ。中に質のよさそうな仕立て上がりみたいなシャツを着ている若い先生に気づき、「それ新調?」と聞くと「この日の為に作りました」と嬉しそうに話してくれた。今の人には最早「死語」と化した言葉に「一張羅(いっちょうら)」と言うのが有る。一張羅(いっちょうら)とは、催し物やパーティなどに必ず着ていく一枚しかない上等な「晴着」のことをいうのだが、彼はワイシャツからネクタイまで昨夜は一張羅を着ていたのだ。こういうセンスが素晴らしい。一張羅の語源は調べて欲しい。日本語の奥深さだ。
P1270547
・ 最近の若者は「オシャレな人」が多い。大変に結構なことである。着任以来私は教職員の身だしなみ」については厳しく言及してきた。「TPOを弁えて欲しい」ということである。従って今や本校の教職員の服装は外部の人からも褒められている。本校の昔の教職員の姿を知っている近くの私学の理事長は「昔はそれは酷かったよ」とよく言われたが最近は誉められる。又修学旅行のエージェント会社などの社員は学校単位で「どの学校の先生の姿は立派だ」とか良く知っている。本校の教員はナンバーワンだと何時も言われる。およそ組織で働くサラ―リーマン、私立の教職員も大きな「くくり」ではサラリーマンだから衣装は外出着であり、戦闘服であり自己を表現する唯一の手段である。身長体重体形は仕方がない。それだけにまずTPO、そして清潔感、爽やかな色彩、センスある形の物を身にまとうのは大切なことなのである。
P1270590
・ 学校の先生こそ服装には気を付けないといけない。教職員の決まった外見は生徒への指導であり、「抑え」にもなる。又保護者から信頼を得る手段ともなり得る。特に気を付けなければならないのは「靴」である。紳士の身だしなみは「足元」にある。一張羅のスーツやネクタイは立派でも履いている靴が「よれよれ」では「九仞の功を一簣に虧く」ことになりかねない。この意味は、事が今にも成就するというときに、手を抜いたために物事が完成しない、または失敗することを言うのだが、案外と学校の先生は足元に無頓着である。しかしこれも私が個別に指導するものだからだいぶ良くなってきた。過日も若い教員二人の登校時に靴を見たのだが良い靴を履いていたし、それをしっかりと磨いていた。これが素晴らしい。靴を磨くと言う事は自らを磨くと言うことだ。企業時代に怖い上司から叩き込まれた話しだ。
P1000183
・ 今日は「職員会議」の日であった。勢ぞろいしている常勤講師以上の先生方を見ると壮観である。まず若い。眩しいくらいである。前回が4月1日だったから今月2回目である。月度2回もあれば十分で殊更全員が集まってあれこれ議論するなど喫緊のテーマはない。それは前にも触れたが校内イントラネットが完全に完備されているからである。細かいことは全てそこにあり、教職員が最も知りたいこと、トップの方針などを聞くことの方が貴重な時間を消費するに値する。だから理事長・学院長の話は重要で「全教職員のベクトルを合せる為」に話す内容など私は吟味して用意している。今日は3月理事会の内容を主体に話した。法人の経営の中味は通常は教職員に開示していない学校が多いが私は着任以来完全に行って来ている。
P1270590
・ 特に今回は28年度大学進学実績について詳細に理事会の資料を使って話した。これからは何と言っても進学実績である。私立学校の拠って立つところは究極の処大学進学実績である。私は「多聞尚学館」「放課後講習」「ゼロ限」「春夏の特別講習」「夏の石清水10日間合宿」「須原プロジェクト」「外部模試」等々学力強化の為に全精力を投じる旨今日も言明した。そして窓口として新しく発令したN教頭補佐を責任者とし副に教務部長と進路指導部長の両輪を配置して新校舎後の一大展開をしていくことが本校の将来にとって極めて重要だと話した。進路指導が出来ない教員では私立の教員では有り得ない話しである。特に担任に求められる資質である。職員会議の後進路指導部長が講習会をやってくれた。

28.4.13(水)ボクシング部と同窓会

P1260792
・ 学校は順調に進んでいる。校内が落ち着いているので良く分かる。2500人の生徒が学んでいるところだから色々あって当然だが不思議にない。学校は授業料無償化の為の事務手続きに入る。部活動が本格的に始まり夏の大会を見据えて府の予選会が始まった。公式戦だから軟式も硬式もラグビーもサッカーも弓道もボクシングも大変である。ボクシングと言えば昨日練習を見に行ったのだがそこに1人の女性の先生が練習を観てくれていた。何と前の学校はボクシングの強い大変有名な学校で、この度常勤講師として本校に来て頂いたのである。少し会話をしたが中々に「存在感があって見所のある」ような女性教師に見えた。頑張って頂きたいと思い、昼休みに部屋に呼び激励したのである。ボクシングと言えば私は直ぐに「語りたい」と思う「涙、涙の同窓会と浪速ボクシング道場物語」を思い出す。今日のブログはそれを語りたい。
P1270519
P1270530
・ 前にも触れたが現在の「西館(旧呼称で新館)大改造」も大きな意味では新校舎建設プロジェクトの対象の一つだと当初から考えていたことは間違いない。一時期は「建て直そう」と思っていた位だった。西館は昭和60年4月1日に完成検査を受けたと記録にあるから、築31年。だからそんなに古くは無い。確かに「教室が狭くて、汚くて、使い勝手が悪くて」、今は既に無い南館の陰に隠れて存在感のある建物では無かった。しかし大改造の理由はもっと他に有った。それは「ボクシング道場」が西館の最も良い場所に「さも本校の象徴として君臨するが如く」有ったからである。当時の本校の悪い部分の象徴があのボクシング道場の有った「場所そのもの」だと強く私は感じた。そのように感じたのだから仕方が無い。
P1000149
・ これは私の「偏見」かも知れない。しかし歴史はトップの偏見で対象が決まり、変わって行く、動いて行く面もある。校舎内で最も大切な場所は教室であり、クラブの部屋など極論すれば「片隅」でも「小屋」でも良いのだ。それが何と広さも大きく専有し難波高島屋の真ん前の一等地みたいな場所に鎮座(?)されていたのである。この地を主張したのは誰かと容易に想像できた私は「絶対にこの場所から移設させる」ことを自分に宣言した。体育館に通じる通路から丸見えで、しかも中まで見通せるのだが、そこは整理整頓されておらず窓の桟にグローブが放置されていたりして、私は通るたびに腹が立っていた。くどいようだが、このボクシング道場を絶対にこの場所から撤去すると覚悟を決めたのが「西館改造に手を付けた」理由の一つである。そして今、素晴らしい西館が世に出た。
P1010244
・ 確かにボクシング部は「赤井英和」氏と言う類まれなる才能に溢れた人物を輩出し、彼は本校のPRに一役も二役も買ってはくれたが、それで本校のイメージが固定し他の部分に光が当たらないと言う面も感じていた私は「この赤井英和さんという男を育て上げた」と言う本校OBで体育科の教諭だったTと言う教師の事を徹底的に調べ上げた。組合の先導的な活動家でこの教諭が本校に残したものは、基本的に何もなかった。卒業生であるというだけで校務にも大きな足跡を残さず、ただ学校を利用するだけの男であったと私は結論付けた。そしてそれを遣っていたのが私の前の校長であった。この御仁もOBであった。OBにはとにかく注意が要る。わずか高校生として3年間、学校で学んだだけの人間がさも自分の学校の様にのさばる姿を見て来た私の信念である。
P1010248
・ このTという人物は当時同窓会の事務局長を務めていたのだが、同窓会会計が厳しいにも関わらず、親睦の魚釣り大会とか伊勢旅行とかは熱心に行っていた。同窓会内で親睦を図るのは大変結構なことだがその費用を少ない同窓会の基金から出していたりして考えられないような所業が見えた。私は同窓会の預金通帳を持ってくるように言ったら全てを清算し残金だけが記載された真新しい通帳を持って来たことがある。後日私はこの人物を「校内出入り禁止」とした。当時の会長に相当不満を漏らしたことを思い出す。

・ 浪速高校の校長は同窓会の名誉会長であり、同窓会体制を何とかしなければならないと痛感した。着任した当時の会長は大変立派な人であったがご健康に問題があり、現会長に変わった時に事務局長もT氏から今のI氏に替った。I氏は大変素晴らしい人物である。彼は財政的に厳しい中でやりくりしながら何とか「同窓会の面目」を保ち今日に至る。92年の伝統校であり、36000人を遥かに超える卒業生が居ながら資金は緊迫状況が今に続いており今や「破産状態」である。毎年毎年高校3年生が卒業し、同窓会入りする度に私は500万円から600万円とかいう大金を同窓会に入会金として振り込んであげるのだが、それを直ぐに使って一向に積み上がって行かない。36000人の組織化など今に進んでいないのである。

・ 同窓会体制強化の前に私にはまずボクシング道場を移設する仕事が有った。いい加減な道場ではまず内外からクレームがつかぬとも限らないから慎重に進めた。まず私はボクシング部の道場を西館1階のコーナーに従前よりは幾分狭いが「高校のクラブらしからぬ豪華な道場」を作り「建速清拳館」と名称した。平成26年3月末の事であった。そして28年の3月末に「第二練習場」をも作ったのである。場所こそ一等地ではなくなったが中身は従前を超えて立派なものが出来た。これは本校ボクシング部の歴史に対する私の「仁義の切り方」であった。そして遂に私は同窓会の役員体制の一新に動いた。まず「動く、動ける会長」でなければならない。大体今までの同窓会長とは多分に名誉職的なところがあったが本校では困る。実務的な会長こそ新しい時代の浪速が欲する人物である。
P1120953
P1120934
P1120907
P1260689
P1260769
・ 私は前の同窓会長の時から、同窓会長を評議員に指名し理事会・評議員会への出席権限まで与え、「学校改革」の当事者意識を持って頂きたかった。加えて新たに西館に「同窓会室」まで作って机椅子、パソコン等準備をして差し上げた。しかし結局会長は評議員会にも出席もせず意味の無い配慮になってしまった。毎年一回の夏に行う同窓会総会は或る時から私は出席をしなくなった。そして遂に新校舎が完成した。「時至れり」と過日私は同窓会事務局長、PTA会長を呼んで同窓会役員人事の一新を進めるように、指示は出来ないが「母校の校長の意向」として役員会で審議するようにお願いしたのだった。
P1270522
・ そして今月初旬にあった役員会で今の事務局長のI氏が新会長に、そしてOBでもある現PTA会長が副会長に就任したとの報告を受けたのである。私は「恐悦至極」と喜んだのである。時まさしく4月から入試広報部で3年頑張ったOBのY氏を正職員に採用したこともあり、彼を校内の同窓会担当として新会長を補佐するように特命事項として発令した。ゆくゆくは現PTA会長が同窓会会長に就任することを願っている。新会長も、そして将来の会長候補としてのH新副会長も母校愛が素晴らしく「額に汗して」働く人物だ。決して社会的名声は高くなくとも良いではないか。同窓会も若返り「改革」を進めねばならない。母校が一新されたのだから同窓会も一新して再出発して欲しいとただただ念願するばかりである。

P1270529

28.4.12(火)ペーパーレス職員会議

P1270513
・ 本校の職員会議は恐らく最も進歩的な職員会議になっているだろう。校務運営委員会も然りだ。公立を経験している私だから言える言葉である。私立、公立通じて本校のような職員会議や校務運営委員会はないと思う。他校で勤務経験をした常勤講師の先生方に「本校の職員会議はどうですか?」と聞くのが私の楽しみの一つである。中には他校の職員会議のスタイルが有るべき姿だと誤解して本校にくると「面食らって」しまい、自分を見失う講師が過去にも居た。「どうして資料が無いのか」「もっと丁寧に説明しろ」とか言う輩だった。完全に「待ちの姿勢」である。この講師は進んだ本校の「イントラネットシステム」を理解出来なかったのである。恐らく紙にまみれた学校生活を送って来たに違いない。
P1010304
P1010305
・ 本校は「ペーパーレス職員会議」を達成した。従ってそれに先立つ分掌長会議とも言うべき「校務運営委員会」も基本的にペーパーレス会議である。本校の「イントラネットシステム」は手前味噌ながら素晴らしい。「掲示板」にすべての情報が掲示されており自分の時間が有る時にそれを閲覧することで「学校が進んでいる方向」「自分の立ち位置」等がすべて分かる。資料として必要なら自分の意思でプリンターに打ち出せば良いだけの話だ。新校舎は「ICT武装された21世紀型のシティスクール」を標榜しこれを実現した。大きな投資だったが私は徹頭徹尾拘った。今後ともITをドンドン導入・活用する。
P1270514
P1270505
・ その為に広報情報委員会のトップには教員ではなくて事務職員を当てた。どっぷりと教員のスタイルに染まることの無い若い優秀な事務職員に期待しての事である。私は彼に言っている。紙に書いたものを校舎内に貼ることはまかりならん、見つけたら剥いでしまえ、又新幹線の中の右から左に向かって字が流れる電光掲示板みたいな装置も導入せよ、サイネージ板を更に家庭科実習室前や浪速シアター前に立てよと言っている。人間は形ある物に中に入ることで影響を受け、自ずと変わる。自らが先に変わるより変わった中に身を投じることは変わる為の有効な手段である。これが有る面「私の流儀」だ。本校ではITに弱い教員では務まらない。学校の中で最もITに弱い私ゆえに先頭を切ってITを導入している。昨日の校務運営委員会では保護者への「一斉メール」や「登下校メールサービス」について導入するのだがその保護者あて内容が確認された。
P1010308
・ 朝、生徒が神社に向かって軽く一礼している姿をみるのは実に気持ちが良い。軽くて良いのだ。生徒それぞれが内心に秘めた思いを学院神社の神様に祈る、感謝する、どちらでも良い。神や仏に向き合うことのできる人間は謙虚である。謙虚であれば人間は失敗はしない。失敗しても軽度で済むから復活を遂げる。結局人間は「神や仏」を畏れる、憚るという行為が自制心を働かせるものだ。頭を下げる対象を持つと言うことは幸せな事である。親や学校の先生、部活動の先輩など自ら先に頭を下げる事の出来る生徒は大きな失敗はしないものだ。生徒が書いた「絵馬」を見ると良く分かる。人間だれでも「願望」を有している。この願望があればこそ努力する心が生まれる。私は毎日新一年生が登校して神社に一拝する姿を見ると幸せな気持ちになる。
P1000180
P1000182
P1010301
・ 「5月10日の奉祝祭」に向かって着々と準備が進んでいる。今まででのスタイルにない式典にしたい。神社神道の学校としてご本殿に向かって神前奉告祭をすることなど府内の私立学校の理事長や校長さんなどはご経験あるまい。塾の先生方も初めてのご経験になるのではないか。式典も祝賀会も今までとは一風変わった形にしたいと思っている。浪速学院が今日あるのは多くのご支援を下さった方々のお蔭である。公立学校、塾の先生方、大学関係者、スポーツ界、これらの先生方に我々は新しくなった校舎と神社を是非ご覧頂きたいのである。ドンドンと出席のお返事を戴いているが残念ながら日程が合わない先生が居たりすると残念である。別途引き出物だけでもお送りしたいと思っている。ここにも欠席の先生からご丁寧な挨拶文を戴いている。熱烈な本校の応援者である。
・  謹啓 花信相次ぐ候、貴校いよいよご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。学校法人浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校 新校舎・新学院神社のご竣工、誠におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。竣工奉祝祭・記念式典・祝賀会にご招待賜り光栄至極に存じます。しかしながら、わたくしはインドネシアスラバヤでの事業で帰国が叶いません。素晴らしいご神事を拝見できないことが残念でなりません。お許しください。木村智彦理事長・学院長のご着任から始まった浪速改革も見事に成し遂げられました。木村先生の強い想いがすべての根源です。心から尊敬いたしております。また、木村先生の想いに賛同され実行された教職員の皆様、浪速改革に希望を託した生徒・保護者の皆様のお力の結集もあったればこそと存じ上げます。それも木村先生の強烈なリーダーシップがなせる技でありましょう。今後も弊塾へのご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。学校法人浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校様の益々のご繁栄ご発展を心からお祈りいたします。                                謹白
平成二十八年四月六日                  塾名・氏名は省略

・ 引き出物は趣向を凝らしてようやく内容を決め過日発注した。当日は本校全教職員が手分けして対応する。そして奉祝祭が終わった10日後の5月20日には私は教職員の慰労会と歓送迎会を行う事を決めた。この日に少額ではあるが金一封を先生方にお出しするのが楽しみである。喜んでくれるだろう。そう、準備と言えば芸術作品を制作して下さった天の岩屋戸壁画、天孫降臨ガラス絵作家の高山先生、「大祓詞」を揮毫して下さった書家の赤堀先生、150号と言う大作の伊勢の大鳥居を書いてくださった神道画家の鳥居先生のお名前とご経歴を板にして作品の近くに取り付けた。これも喜んで下さると思う。芸術家への「礼儀」である。
P1010312
P1000179
P1000186
P1000187
P1010302
・ さて昨日に引き続いて今日もプロのカメラマンの仕事を3枚の写真で。素晴らしい。構図の撮り方がやはり素人とは違う。
IMG_2186B
img960
img961
img962

28.4.11(月)水平飛行に入る

P1270494
・ 土曜日は終日大阪府神社庁に出張だったから3日ぶりの学校であった。入ってすぐ気付いたのだが校内が極めて綺麗だった。先週の土曜日に生徒が「校内のクリーンアップ作戦」を展開してくれたことによる。今回は朝と放課後に分けてダンス部、ボクシング部、インターアクト部、アメリカンフットボール部、ラグビー部が「神社奉仕」をしてくれた。自分たちの新しい校舎や神社境内を美しく掃除するという行為は立派なことでありこれこそ教育の道だ。私は本校の奉仕委員会を誇りに思う。今朝も校務員さんが大変に喜んでいた。この校務員さんが喜んでくれているということが素晴らしい。定期的に行って欲しいと思う。掃除道具は直ぐにでも用意する。生徒、教職員全員で校舎と神社を大切に綺麗に保って行きたい。少なくとも今後60年や70年は維持して行かねばならない。
P1010300
P1270459
P1270476
P1270483
・ 美しくなった神社前を左に見て行くと「絵馬掛け」が目に入った、既に数枚掛けられていた。絵馬は今度新しく作り直したものであるが、絵馬の裏にある文言をみて私は笑ってしまった。「数学の偏差値が60を超えますように」とか「身長が伸びますように」とかあった。この絵馬も浪速改革で導入したものである。これも思い出に残る一こまである。それまでは他の神社の絵馬を借りて来てやっていた。それでは御利益にも制限があろう。本校には以前も今も立派な神社があるのだから自前の絵馬を持つのは当然である。こう言う考えを持ち、実際に実現に向かって行動できるかどうかが人の分かれ道だ。
P1000177
P1000178
img957
・ 土曜日にすべての学年の健康診断が終わり学校は今日から通常のスタイルになった。「飛行機は水平安定飛行」になったのである。極めて順調な滑り出しである。私は昨日の日曜日にあった硬式野球の春季大会の応援に出かけたのだが、本校は「圧勝」した。何と打線が爆発し11対0で5回コールド勝ちを収めた。ピッチャーも初めての登板と言っていたが中々良いボールを投げていた。とにかく現在で部員が106人いると言う。更に数十人希望者がいるというから本校の硬式野球人気は相変わらず高い。私は応援しながら今年は夏の大会、良い結果を残すかも知れないと予感がしているのである。
P1000171
P1000172
P1000176
・ 朝、高校1年生の多聞合宿に行っていた教師から報告を受けたが今年の1年生英国数の3科目で昨年度に比べ少し平均点が高いと具体的な数値で示してくれた。嬉しい。鍛えれば3年後は良い進学実績を残してくれるかもしれない。今年卒業した3年生も一昨年よりかは良かった。徐々にではあるが大学進学実績も上がって来つつある。特に今年国立大学の医学部に現役で合格した。実に久し振りであり昨年の順天堂大学医学部と言い、医学部進学が出始めると進学実績は上がってくる。楽しみである。
・ 英語科のベテラン専任教諭が「英語の資格を取得する」と言ってくれた。この先生は御年52歳で数々の重要な役職をこなしてくれた立派な教師である。たまたま時代背景と業務の忙しさの中で資格を取得する雰囲気の中にいなかったが今回の私の指導を受けて頑張ってくれるそうだ。まだまだ52歳と若いし定年まで13年もある。今後本校では資格のない英語教師はいなくなると思うから是非「若い者に負けず」頑張って欲しいと思う。
・ 府立高校の「スーパー・イングリッシュ・ティーチャー」制度のことが全て分かった。私はこれを受けて私立中高として「制度の整備」に入ることにした。具体的には5月理事会で機関決定するが「資格手当」をインセンティブとして支給することを決めた。前にも書いたが「クオリファイド・ティーチャー・オブ・イングリッシュ(QET)」とし上位ランクは「スーパー」を付けて「SQTE」の称号を与えるのである。現在本校では「安全衛生管理者」の国家試験を取得した教諭に月額手当てを支給しているがこれに準じて考えたいと思う。勿論他の教科でも英検やTOEICに相当する資格を取得すれば顕彰の手当てはある。
・ これから先、学校の教師は単に大学時代に教員免許を取っただけで一生飯に有り付けるということではなくなるのであろう。特に府立のスパーイングリッシュとはTOEFL iBTが100点以上、ケンブリッジCPE,ケンブリッジCAEグレードA・B又はIelts(アカデミック・モジュール/オーバーオール・バンド・スコア)が7.5以上の証明書を有していることが条件だからこれは相当ハードルが高い。本校では取りあえず文部科学省に示す基準である英検準1級以上、TOEIC730点以上とする。加えてTOEFL iBTスコア80点以上あれば間違いなくスーパーQTEとなる。

・ 学校が水平安定飛行になった証明は今日から「ゼロ限授業」が始まった事で分かる。7時50分から50分一こまの正規の特別講習授業である。私は3年生の4クラスを観て回った。真剣に取り組んでくれており安心したのである。これは通常の授業と切り離し週に4日連続して単元を集中して受験対策として実施するものである。これが今や高校2年生にも伝播し今日のスタートでは高3で5講座、高2で5講座開設されている。既に1学期の10週の講座が決められていりから大したものである。これも学校改革の成果の一つだ。私は教員には朝食を無料でサービスしている。安いものである。
P1270493
P1270500
・ 大変名誉なことに大阪府神社庁からお手紙を戴いた。全く知らなかったがお手紙の内容は「神社本庁70周年記念表彰の一人に選ばれた」というもので、神職資格のない私如きが表彰されると言う有難い連絡であった。名誉な事であり素直にお受けすることとした。5月の終わりに東京の神社本庁に出張しなけれればならない。明治神宮記念館で大阪府神社庁主催の祝賀会も実施して下さると言う。丁度中学校の修学旅行の時であり数年ぶりに私も付き添う積りでいたが今回は取り止め東京に行かねばならなくなった。
img953
・ それにしてもプロの仕事は違う。専属の写真館が今新校舎や神社を撮ってくれているのだがその写真が素晴らしい。確かにカメラは最高級のものだがそれだけではない。やはりそこには「腕」がものを言っている。プロの仕業は矢張り素人とは異なる。私にもブログ用のカメラマンが居るのだが(勿論専属ではなくて事務の傍らの業務なのだが)申し訳ないが彼に写真館のカメラと同じ物を買い与えてもこのような写真にはならないであろう。結局世の中はプロとプロでない人との違いに分かれる。教師としてのプロ、事務職員としてのプロ、校務員としてのプロ、司書としてのプロ、当然理事長としてのプロ、校長としてのプロと「一見プロまがい」は多いが、実際は素人みたいな人間では困るということだ。「すべからく職業人はその道のプロたるべし」である。
img954
img958
img959
img955

28.4.9(土)神社新報に記事が出た

P1260138
・ 4月11日発行の「神社新報」に本学院の新学院神社竣功の記事が大きく出た。一面全てを使って素晴らしい記事を書いてくれた。当然専門紙だからある程度の費用が要るのだがこれは全額建設関係の会社が支援して頂いた。最も費用を多く負担してくれたのは敬称略で(株)大林組である。有難かった。次いで(株)きんでん、(株)松原工務店、(株)南海辰村建設(株)、(株)石駒、(株)大建設計、(株)エタニティハウス、それに学校の協力会社である浪桜会のメンバーの中西学生服店、片山写真館、太陽スポーツ、ミシマ書店、マツモト楽器、ハートスフードクリエイツ(株)さんと続く。結局合計13社さんである。このブログを借りて心から御礼申し上げます。
img952
・ この日の1面は神武天皇2600年式年祭の儀についての記事がトップである。そして裏をめくればこれまた1面本校の記事である。この日天皇陛下は畏くも第一代天皇である神武天皇のお墓がある橿原市の畝傍山東北領(神武天皇山稜)に出御され、御拝礼され、御告文を奏じられた。午後には両陛下は橿原神宮にご参拝遊ばされ、11日付けの新聞には大きくこの記事で埋められているのである。即ちこの新聞は間違いなく宮内庁の職員の手で両陛下に奏上されるから「本校の記事にお目が留まられる」可能性があると私は興奮しているのである。ご寄付頂いた各社さんも会社のお名前がひょっとしたら両陛下の眼に留まる可能性を喜んで頂きたい。

・ 記事は「囲み」で私の挨拶文が貴社の手で旧仮名遣いで載っていた。ここに全文を転載させて頂く。
建学の精神の象徴である新学院神社竣功にあたり
学校法人浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校 理事長・学院長 木村智彦

神社関係者の熱い思ひのもと大正十二年、本学院が誕生し、創立九十周年を迎へるにあたり、記念事業として新校舎建設ならびに新学院神社御造営を進めてまゐりました。

お蔭をもちまして工事も滞りなく終了し、まづ新学院神社の遷座祭を去る三月二十三日に、翌二十四日に遷座奉告祭を、本学院 名誉理事長 寺井種伯先生(大阪天満宮 宮司)を斎主として御奉仕いただき斎行することができました。花冷えの遷座祭の夜、本学院に吹き寄せる力強い風を神風とも感じ、心引き締め、祭典に臨むことができましたことは、感無量でございます。

新学院神社は本学院創立以来、三代目となります。初代の御本殿は、終戦当時昭和二十一年の官国弊社廃止令により、全くもって不本意なかたちで御神殿の撤去を余儀なくされ、苦渋の決断の末に戦災神社へお譲り致しましたが、二度の移転を経たのち、昭和四十一年に焼失してしまひました。

このほど竣工あひなりましたした新学院神社は、二代目よりも大きく、昭和十四年の初代御本殿とほぼ変はらぬ大きさを再現することができました。本学院では、平成十九年より、あらためて建学の原点でもある神道精神の元、数々の施策をもって「浪速改革」を断行してまゐりましたが、愈々、最終章を迎へ、建学の精神の象徴である新学院神社が竣功できましたことで、今ここに浪速百年の新しい歴史が始まったことと、心あらたに教職員一同、一丸となって歩みを進めて参りたく存じます。

来る五月十日には、新校舎の竣功を新学院神社に奉告申し上げます竣工奉祝祭を、神社関係者の方々多数に御参列賜り、斎行申し上げる運びとなっております。
平素、学校法人浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校の教育振興に格別の御高配を賜っております皆様をはじめ、大阪はもとより全国各地から、本学院を温かく見守っていただいております卒業生や神社関係者の方々の今日に至るまでお寄せいただきました多くの御厚情に感謝の意を込めまして、この場をお借りして心より御礼申し上げます。

・ 何と早速宮崎県高千穂町の高千穂神社の後藤宮司様から祝電を戴いた。「創立90周年記念事業の竣工を心よりお祝い申し上げ、新しい世に向けて学校法人浪速学院の益々のご発展をお祈り申し上げます 
                          高千穂神社宮司 後藤俊彦
IMG_0156
IMG_0161
IMG_0092
・「天孫降臨の地」である高千穂の、神社界ではその高い学識ともに大変有名な宮司様から心温まるお言葉を賜り歓喜に耐えない。私は丁度昨年今頃の4月15日、宮司様にお目にかかり「天孫降臨」特別ブランドの芋焼酎を作るご了解を頂いた。あれから1年、「海道東征」の旅路が懐かしい。このプライベート焼酎は5月10日の竣功奉祝祭にて皆様に「直会」の品としてお持ちかえり頂く。まさに何処に行っても手に入らない特別な高千穂町神楽酒造が本校の為に中央館の天孫降臨ガラス絵をモディファイした瓶に詰めたものである。
P1100030
P1090978
天孫降臨(9分割)
P1270354
・ それにしても東館、中央館、神社、外構と将棋の駒を進めるように見事に工事は進捗し、安全に、そして見事にすべてが完成したのである。どこもかしこも「思い出」が詰まっている。私は工事関係者そして本校の教職員に心から感謝している。この年になるまで企業時代を含めて多くの建物を建設してきたが今回の新校舎と新学院神社は傑出して素晴らしい作品となった。我が生涯の傑作を皆さんのお力を借りて建設することが出来た。私は神社神道の学校の責任者として東館から中央館、神社、正門まで徹頭徹尾「日本神道文化」の軸を外さなかった。「古事記物語のキャンパス」を作る目的を外さなかった。そう、この校舎と頂点としての神社は「歴史物語」のキャンパスなのである。無味乾燥の建物ではないものを建設することを目的にし、その実現に腐心し、それが成功したことが殊の外嬉しい。このような校舎と校庭は恐らく世界を探しても無いだろう。
img693
img691
P1080566
・ ところで今日は本町の大阪神社庁内大阪国学院にて通信制の神職養成学校の入学式と修了式があり終日縛られた。今全国には80000以上の神社があるが、徐々に宮司様のいない神社が多くなってきている。日本は昔から「鎮守の杜」と言って村や町の求心的場所が神社であり境内であった。仕事をしながら神職を目指す目の前の人々に対して私は日本の歴史と物事の考え方について謂うべきことを申し上げた。日本人は素晴らしい民族であり、この誇りを失わないためにも日本の歴史と日本語を大切にして欲しい旨の祝辞を申し上げた。
P1010570
・自宅に帰って今私はこの4年間の大きなプロジェクトが終わり今身体全体が軽くなっているのを感じている。人生最後の局面で実に大きな仕事をさせて頂いた。神と多くの人々に感謝である。多くの人の支えがあって浪速学院の偉業はなされた。立柱式、上棟祭、遷座祭、鎮座祭と祭儀を欠かすことなく進めて来た。4月21日に建設推進本部の解団式を行い、5月10日の竣功奉祝祭ですべてが終わる。私は今火照った体と心をクールダウンしている。そして徐々に次のテーマの作戦展開を熟慮しているのだ。5月10日以降すべては過去の物になる。過去に引きずられてはならない。新しいテーマが私には必要なのである。
P1170615
P1170674
IMG_1286
IMG_1285
P1250885
P1250859
P1260131

28.4.8(金)「花散らし」

P1270437
・ 私のブログの読者が昨日の雨に関して「花散らしの 雨ですね」と言っていたがこの「艶っぽい言い方」はとても素敵である。「花散らしの雨」 とか 「花散らしの風」 とか言うらしい。広辞苑には、「3月 3日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること」 という語義がある。花散らしとは花の満開時に愛でながら飲食をすることを言うものだと知った。「直会」みたいなものである。まだまだ知らないことが多い。未熟である。日本古来の言葉だから、3月 3日 というのは、もちろん旧暦だから、新暦でいえば 3月 31日にあたる。「花散らし」 は西日本、とくに北九州で盛んな行事だったという。確かに、桜が満開に咲く頃の花見の飲食は楽しいものだ。本校の桜は昨日の花散らしの雨で散ってしまった。残ったのは「汚くなった花のじゅうたん」である。美しいものは散った後美しくなくなる。言い得て妙の含蓄ある言葉で人間でも何でも咲き誇っている時は美しいが一旦盛りが過ぎ落ちてしまうと汚くなる。
P1010299
・ 私は生徒生活指導部と奉仕委員会の担当の教諭を呼び生徒による「校内、境内のクリーンアップ作戦の展開」をお願いした。今までは通学ルートなど校外ばかりであったがこれだけ樹木に囲まれた素晴らしいキャンパスとなった。教育的観点から生徒による「神社奉仕」として年に2回、桜が散った後と秋のもみじが散った後に生徒の手で花びらを広い綺麗にする活動である。時間は30分程度で課題は掃除道具だ。事務長にもお願いして格好の用具などを揃えるように言ったのである。新しい浪速学院の文化構築として神社境内と桜並木、その付近の清掃を生徒の手によって掃除をすることを根付かせたいと強く思った。二人しかいない校務員さんだけでは無理があるのである。
P1270405
P1270413
・ 私は今日から本格的に使用が開始される駐輪場の状況を見に現場に赴いた。昨日の今日だから生徒はまだ慣れていない様子であった。特に女生徒は悪戦苦闘していた。私はその原因が慣れとは別に「鞄の重さ」にもあると見抜いた。前のバスケットに置いているカバンは相当重たくそれを持ち上げるのは存外力が要る。特にハンドルから身体が離れていると力も入らない。私はそれらを教えながら女生徒には水平の駐輪器をしてやるべきと痛感した。男子は全く問題無い。女生徒だ。前にも指示していたのにやられていないので厳しく生徒生活指導部長に改善を指示した。
P1270423
・ 尚厳しく指導した教職員の自転車通勤は保険加入を義務付け、申請書を吟味し「やむを得ない」と判断した11人について正式に許可通知を出した。正規の駐輪場に駐輪して貰う。その代わり清掃の方々や給食関係の方々は今度新しく作る「第4駐輪場」に留めて頂くことにした。此処には少し余裕のスペースがあるので教員の不意の自転車乗り入れなどの為に使う場所にもなる。教職員が夜遅く学校に駆け付けると言う事態もあるだろうし保護者用にも必要なので新校舎外構工事が終わった直後にも関わらずお金を使うことに釈然としないがゼネコンさんとは仕切りが終わった後なので仕方がない。ゼネコンにはボーナスとして幾らか支払う積りでいたがドンドン目減りして行く。
P1270424
・ 正門が広く神社前広場が広いので何か生徒は閑散として登校してくる感じだった。神楽部が部員募集でチラシなどを配っていたので私も「飛び入り」参加で「神楽部と雅楽部に入って下さい」「入ってくれたら楽器があります」などと連呼して勧誘した。高校1年生は笑いながら通り過ぎて行った。別途本格的な「ミニ展示」と言ってクラブ勧誘の催し行事がある。本校は文武両道を標榜しており今後ともクラブ応援は積極的に行っていく積りである。私は特別なのか知らないが私が支援すると言ったら「財政的支援」である。用具、ユニフォーム、練習場所等々部員が活動に集中する環境作りが私の仕事である。「口だけ支援」などは私の辞書にはない。
P1270431
P1270433
P1270444
・ 神楽部、雅楽部と言えば昨日の例祭での彼彼女達の圧倒的「存在感」を思い出す。神社神道の学校として雅楽と神楽が自前で奉納出来る喜びは何事にも代えがたい。名誉理事長も感心されていた。特にこの両クラブに加えて吹奏楽部の3部は学校行事に密接に関係しており感謝に耐えない。「5月10日の奉祝祭」においては「学院神社神楽尚学の舞」と吹奏楽「海道東征浪速」の演奏がきっと来校者に感動を与えてくれると思っている。よくぞまあ10年で「ここまできたものよ」と喜んでいるのだ。吹奏楽部には奉祝祭が終わればご褒美にバスクラリネットとコントラバスを購入してやらねばならないかなと思っているところだが・・・。
P1270280
P1270281
P1270323
P1270358
P1270367
・ 英語科の専任教諭と常勤講師の資格というと語弊があるが、有しておられる「第三者的かつ公的な証明がなされた英語技量の調査」が終わった。詳細はここには書けないが本校の英語の教員は決して全国平均には負けてはいないことが分かった。素直に喜びたい。トップは男性のM専任教諭で英検1級、TOEIC990点(満点)、PBT611点、並んで女性のN常勤講師の先生は英検1級、TOEIC925点、iBT88点であった。スーパーに超が付くくらいの先生である。このような教師を有している本校は誉れである。続いて常勤講師3年目の男性I常勤講師先生で英検1級、TOEIC920点である。続いて英語科の科長であるH専任教諭の先生が英検準1級でTOEIC935点であった。続いて女性のY専任教諭の先生が英検準1級、TOEICが890点のスコアであった。以上がダントツのトップ5である。
P1260502
・ 課題は本校の専任教諭の中には期間が長いのに何も資格を有していない先生が居ることである。これには驚いた。時代背景がそうだったのだろう。今ここで彼らを責める訳には行かない。但し今後はベテランだし、教師としての積み重ねがあるのだから「一念発起」で頑張って資格取得を目指して欲しい。そうして貰わないと示しがつかない。問題は今年4月専任に採用した若い3人の教師だ。一人がTOEIC720点というのがあるがこれでは駄目だ。後の二人は全く何もない。私はこの3人を個別に部屋に呼んで「頑張る様に」激励したのである。「1年後の試用期間満了」までに取得するように言った。これは有る面「職務命令」に近い。他の常勤講師の先生も本校で専任教諭を望むなら資格を取得して欲しい。しかし口だけで頑張れ、頑張れではこの時代ではどうかという議論もあろう。
P1260174
・ 今、私は公立の「スーパー・イングリッシュ・ティーチャー」制度を調査しており、これを参考にして本校でも何らかの「資格顕彰制度」を考えようと思っている。2ランク程度に分類して「クオリファイド・ティーチャー・オブ・イングリッシュ(QTE)」が良いかなと思っている。上位にはスーパーを付けてSQTEだ。SQETの資格を取得すれば月額○○○○円を月額給与に合算し、QTEでは月額△△△△円という具合である。英語科教員へのインセンティブだ。勿論一生涯と言う訳にはいかない。有期限である。その内に資格の無い人など社会は英語の教師としては認めないだろう。資格があれば転職にも有利である。学校の先生にも資格取得が望まれる時代になった。大学在学中に英語科の国家試験だけで英語の教師になり、一生涯に亘って資格なしの英語の先生で通る時代は過ぎ去ろうとしていると考えて欲しい。

28.4.7(木)「春季例祭」

P1270234
・ 本校にとって最も大切なお祭りである「春季例祭」と1学期始業式が「雨(あめ)に、天(あめ)に祝福」されて無事にご斎行出来た。御神殿は真新しく神社前広場、(昨日あるお方からお手紙を頂いて、境内と呼ぶべきかと教えられたが)のまさしく「天の御柱(あめのみはしら)」の前から左右に広がる「回廊」、当初関係者は「コリドール」と称されていたものを私は回廊と呼び直させたのだが、その回廊中心部に神楽の舞台を設えて例祭は始まった。昨日以来天候は雨だと想定していたが、4日に入学式を終えた新一年生だけは目の前で例祭に直接参加させたいと思って準備をした。教室のビデオ実況中継で見るより、「臨場感」有る方が勉強になると考えたからである。
IMG_1443
IMG_1448
P1270208
・ 中学1年生は体力の事を考え教室での参拝としたが高校1年生だけで720人を「すっぽり包み込む大きさ」が回廊部分にはあった。中央館はまさしく「包容力のある建物」である。「よくぞ、まアー」このような立派な回廊を設計し作って下さったことよ。関係者に感謝、感激の二言(?)だ。この空間の威力は今後あらゆる場面で本校学校行事に効果を如何なく発揮してくれることを確信した。「素晴らしい!」。
P1270209
P1270217
・ それにしても雨は良く降った。降った、降った。しかし帰宅後のテレビでは風も強い日だったとあったが神殿前は無風で温かく感じた。神殿前にはテントを3張、張ったので雨に濡れる事は無かったが、手水舎の前ではたっぷりと背中が濡れた。「下屋の出が少ない」からあれは絶対に濡れるようになっている。この手水舎は昔からの物をそのまま設置したのだが、濡れるように出来ているのかなと思った。しかし私は少々濡れても良いと思った。その瞬間、新国劇や舞台での名場面を思い出した。土佐の龍馬の盟友である武智半平太をモデルにしたと言う月形半平太の名セリフ「春雨じゃ、濡れて参ろう」だ。春雨には濡れた方が良い。
P1270189
P1270195
P1270205
・ 春の例祭の雨は大歓迎すべきである。五穀豊穣を祈りこれから田植えが始まって行く。「瑞穂の国:日本」は稲作文化でありこの春の雨は「春雨」「菜種梅雨」「吉兆の雨、幸運の雨」「雨降って地固まる」の雨である。そうそう、「喜雨」という熟語もある。ひょっとしたら私の嬉し「涙雨」かも知れない。昨日のブログの末尾に書いた部分に追加を一つ。古事記は今に伝えている。「おかみのかみ(淤加美神)」、日本書紀では「龗神(おかみのかみ)」は、日本神話に登場する代表的な「水の神」である。「龗(おかみ)は龍の古語」であり、龍は水や雨を司る神として今に信仰されている。だから新しい学院神社の手水鉢には「竜の蛇口」が付いている。昔の神社には無かったが私は新しい手水舎には是非にと思って龍の蛇口を設置した。水と龍の関係はここにも覗える。
P1010291
P1010293
P1270190
・ 「おかみのかみ」は、万物の生命の根源とも言うべき水に関して、天地の自然循環の仕組みを適切に司る水神である。従って前述したように「おかみ」という字は「龍」を意味する古語でもある。水を司る神「おかみのかみ」と龍の関係はこういうところから来ている。迦具土(カグツチ)命の出産がもとで、伊邪那美(イザナミ)命は死す。夫である 伊邪那岐(イザナギ)命は、愛妻、伊邪那美命を死に追いやったと、怒って迦具土命を斬り殺すが、この際に生まれたのが、「おかみのかみ」だとされている。「おかみ」は古事記では「淤加美」と書く。「おかみのかみ」は、山の尾根筋の「高おかみの神(たかおかみのかみ)」と深谷の「闇おかみの神(くらおかみのかみ)」の二神(両者は同一神ともいわれる)の総称で、降雨・止雨、地中蓄水・湧出など、すべての水の動きや働きを司る水神である。従って今日の例祭の雨は「おかみのかみ」の思し召しなのである。
P1270243
P1270262
・  「おかみ」という古い漢字は「雨かんむりに、口を三つ横に並べ、その下に龍」と書く。まさに、この水神のための漢字である。だから「おかみ」という字は「龍」を意味する古語でもあると私は書いた。 従って、「おかみのかみ」とは龍(竜)神ということにもなる。この漢字表記が出来ないため、「おかみ」と平仮名で表示する。「おかみのかみ」は、万物の生命の根源とも言うべき水に関して、天地の自然循環の仕組みを適切に司る。龍は、空中、地上、水中に住み、天空天地を行き来して雲を呼び雨を降らせるなど、水を自在に支配する。両者は共に、水神として古来より信仰され祀られた。水を司る「おかみのかみ」を祀る神社として、有名なのが「貴船神社」(京都市左京区鞍馬貴船町)と「丹生川上神社」(奈良県吉野郡)である。両社は、延喜式で最高位の「名神大社」とされて、歴代の朝廷から勅使が派遣され、祈雨に際しては黒馬が、祈晴(止雨)に際しては白馬または赤馬が奉納されたという。祈雨とか祈晴とか実に日本語は美しいではないか。
P1270209
・ 今日の昼休み、例祭にご奉仕してくれた大太鼓の奏者(剣道部)、雅楽部、神楽部、そして映像を流してくれた放送部の生徒に私は中央館玄関ロビーの鼉太鼓前にて図書券をプレゼントした。この鼉太鼓は「日輪」であり彫刻は「龍」である。龍が天に向かって登って行く様が名人の手によって迫力満点に彫られている。ここにも龍が登場しているように日本の神道と龍即ち水の神様は稲作日本にとって最も重要な意味を示しているのである。そして今日のハイライトが雅楽部と神楽部の合同奉納である「学院神楽尚学の舞」と演奏であった。本邦初演である。すべて生徒の手によってなされた。私の感激、ここに極まれり」である。
P1270368
IMG_1451
P1270275
・ 今から52年前、本校創立40周年をお祝い頂き、昭和39年伊勢神宮の祭主である北白川房子様のご名代として女王の祥子内親王が本校に持参された「房子祭主御製の歌」をベースにして私は創立90周年事業の一つとして本校独自の神楽舞を創作することにした。それが今日初めて演奏された「学院神社神楽」である。宮内省雅楽部の元首席楽士で平安時代から続く名家中の名家である雅楽の豊(ぶんの)英秋先生に作曲と振付をお願したもので今日初めて世に出したものである。「尚学の舞」とは私が名付けた。正式のデビューは「5月10日の新校舎新学院神社竣功奉祝祭」にて演奏される。
P1270279
P1270284
P1270214
・ 舞姫の登台時は「神宮祭主様から頂いた この歌こそ誇りなり」、本歌が「日の本の国に生まれし 身の誉れ 励みつとめよ この学び舎に」、降台時は「集う 春秋 神の恵みの ありがたや」。生徒の演舞を観てただただ感動した。お稽古を積めばまだまだ良くなる。このようにして2497名の生徒と170名の教職員は新生浪速新たなる100年の旅立ちに向けて雨のスタートを切ったのである。「雨よ降れ、降れ、もっと降れ」と私は口ずさむのであった。

P1270312
P1270308
P1270306

28.4.6(水)今日は祖霊殿で合祀祭

P1270121
・ 本校専属の写真館が新校舎の「航空写真」を撮ってくれた。この会社、最近とみに動きが良い。素晴らしい写真だ。今日大林組の設計者の方々が来校された時に「ちらっ」とお見せした。女性設計者はこの写真を欲しそうにされていたが、今日は差し上げるのを止めた。後刻論文か何かに本校を投稿する場合に必要なら差し上げようと思う。周辺のぼかし入りとぼかし無しの2種類で写真も前、横、後ろの三つの構図がある。私立学校にとって写真は極めて重要で「学校案内」「入試説明会資料」などに使われる。今後素晴らしい本校の新校舎と学院神社を紹介するのは全て写真だ。言葉を重ねても一枚の写真は全てを物語る。私は写真が大好きである。
IMG_2180B航空写真1ぼかし
・ 「駐輪器騒動」はまだ余震が続いている。教職員の36人分を徹底的に審査する方向で動いている。優先的には元来の申請が「自転車通勤」の方でそれも距離が生徒と同じく2キロ以上5キロ未満とし、自転車保険の加入を義務付けた。当たり前だろう。生徒には要求して先生には問わないのであれば問題となる。公共の乗り物を使って駅から少し遠いからと言って汚い自転車を使って学校に来ている人は校内には入れない。勝手に学校近くの有料の駐車場か駐輪場に留めれば良い。駅の近くではこの人達はどうしているのだろうか。まさか駅前の不法駐車ではない事を祈る。2キロ未満でもどうしても自転車が生活の為に必要と主張される教職員は「個別審議」として申請書を出して頂く。一方私は第4の駐輪場の場所を決めた。西関門横のごみ回収建屋の側の空き地に屋根を付けて当座凌ぐのである。
P1270099
・ 昨日のブログに書いたように朝8時から急遽、臨時の英語科の科会を開いて貰ってその席で私は極めて重要な指示を下した。昨日来、熟慮し判断したものである。2名の欠席者が居たが全員が定刻に揃い、管理職、教務部長、進路指導部長が陪席し学院長の指示を聞いた。この2名の欠席者はけしからぬ。私は昨日の産経の記事と今朝の大阪日日の記事をコピーして東館5階校長会議室に赴いた。大阪日日の記事は4月以来スタートした大阪府教育庁の反応などをより詳しく記事にしていた。当然と言えば当然で高校で全国43位、中学で42位となれば大阪の教育行政を担っている人々の顔は青ざめただろう。しかし今回の事で驚くことは無い。全国学力調査で「ずーと」低迷している大阪の公立学校の結果と変わりはなく、学力の低さを英語からでも証明したと考えれば良い。
img950
P1270093
・ 記事にもあったが公立の英語の先生は今後外部から「白い眼」で見られることにならないか。可哀想だが仕方が無い。先生方が教えた結果がそうだからである。昨日本校では英語科の科長が本校の生徒の結果を詳細分析してくれている。結果はここには書かないが、敢て「課題もある」とだけにしておこう。私はこの朝のミーティングで生徒の目標管理の設定と期間、その業務と活動の中味については英語科の科会で決めること、英語科教員の「資格取得」については学院長指示目標として私が具体的に掲げた。達成期間についても明示した。義務ではなく、目標としたが必ず達成してくれるだろう。
P1270095
P1270109
・ 英語科の教員には2種類あって英語を専門的に大学で学び英語の教員になった先生、もう一つは教育学を学び英語科の教員になった先生とある。両方とも英語の先生である。英検1級を持っているから良い先生とは限らない。持ってなくとも卓越した英語の教師は多い。しかし今や「英語を使う職業人」として英検準1級かそれに相当するTOEICなどのスコアレベルが求められる時代になったことを認識して欲しいと私は話した。文部科学省は従来の姿勢を一変させて小学校から英語教育を重要視し始めたのである。国の施策がそうなのだから税金を投入されている「第一条校」として体制整備を図ることは当然であり頑張って欲しいと申し上げた。生徒に「頑張れ」という以上生徒保護者から信頼される英語の教師として最低限国の方針に合致した資格を身に付けるのは当然である。又今後転職とかになってもこの資格がモノを言うと思う。無ければ肩身の狭い思いをする筈だ。
P1270096
P1270116
・ 今日は「合祀祭」の日であった。合祀(ごうし)とは、2柱以上の神を一つの神社にまつることを言うのだが、神道では「祖霊舎」「祖霊殿」「御魂屋」等の言い方が有る神殿に祀るのである。合祀祭(ごうしさい)は合祀のときに行われる祭典であり、日本で最も有名な合祀祭は靖国神社で、戦死者・殉難者の霊を一緒にまつるときに行われる臨時の大祭である。本校では創建以来「祖霊舎」と呼んでいたが今回のご本殿御造営に合わせて「祖霊殿」と呼称することにした。格を上げたのである。今日は本校所縁の、具体的には卒業生なのだが「4柱を遷霊」申し上げた。ご遺族、幹部教職員、同窓会、PTA会長も参列した。遷霊の儀も暗くなってから行われる。今日は19時のスタートした。
P1270136
P1270158

・ 祖霊殿は今回大幅に手を入れた。本殿だけ立派になっただけでは見識を問われる。私は屋根を葺き替え、お社は「洗い」をかけ、その基礎も今までのコンクリート製から御影石にグレードを上げた。燈籠も鳥居も丁寧に石材業者の石駒さんの手で磨きあがられた。従来の主鳥居であった石造りの鳥居は先人に感謝の思いを込めて祖霊殿前に設置した。先人の思いを大切にしたのである。鳥居には昭和28年11月建立、創立30周年記念とあった。今から63年前に先人が前のご本殿とこの鳥居を建てられたのである。又お社には「海老錠」を取り付けた。ご本殿の横に存在感を以て祖霊殿は鎮座されている。尚今後は「学院神社」が総称で構成はご本殿と祖霊殿ということになる。従って今後学校での「一斉参拝や例祭」での「学院神社参拝」は本殿と祖霊殿を参拝したことになる。
P1170942
P1170958
P1180040
P1270123
・ 浄暗の闇の中で遷霊の儀は滞りなく進められご遺族の方々は本校心づくしの直会弁当を持ってお帰りになった。このような事をしている学校は日本全国探してもあるまい。私は本当に良い学校だと思っている。さて明日は又雨らしい。入学式に続いて雨の始業式か?古事記は日本で雨の神として「おかみのかみ」をあげている。伊邪那美(イザナミ)は死んだが、この際に生まれたのが、「おかみのかみ」だとされ、古事記では「淤加美」と書く。「おかみのかみ」は、万物の生命の根源とも言うべき水に関して、 天地の自然循環の仕組みを適切に司る水神である。又この(おかみ)」という字は「龍」を意味する古語でもあり、それから「竜神」が生まれた。水を司る「おかみのかみ」を祀る神社として、有名なのが京都の「貴船神社」である。
P1270144
P1270171

28.4.5(火)英語教育のテコ入れ

P1270051
・ 神社前やサクラ並木に植えた桜の大木は想像以上に美しい花を咲かせてくれた。植樹して間もないから今年は駄目かなと思っていたが結構多くの花を開かせた。根回しが大きかったからか?しかし世の中は難しい。「花を愛でて」もその後が大変だ。花びらが土間に散り、桜の花びらは薄くて小さいからインターブロックにこびりついて離れない。又雨に濡れたり人が踏んだりすると余計に土間にこびりつき、シミになってしまう。シートを敷いたりして私は折角の美しい土間だから何とか綺麗に保とうとしているのだが限界はある。まだ未熟な私は利休みたいに落ちた花びらに美を見いだせないでいる。結局、人力作戦で花びらを拾い集めて行くしかない。世の中は良い面もあれば裏腹に苦労も「しょい込む」のである。
P1000161
P1010286
P1010288
・ ウオーキング中に小さなショップで卓上の飾り花を見つけた。何と一個300円と安く私は迷うことなく8個求めた。天空Rのベーカリーショップ前のテーブルに置けば良いかなと瞬間感じたのだ。自分が精魂込めて作った新校舎を何とか何時までも美しく保ちたいと思い、今も継続して様々な事をしている。同時に本体が立派になったから手を入れていない部位の「みすぼらしさ」が目立ってきた。例えば体育館の3階の男子トイレだ。ドアは破れ、未だに和風トイレのママであらゆるところが錆び付いている。又西館1階のトイレも老朽化が目立つ。私は設備担当を呼んで早急に両方の改修をするように指示を出した。
P1270055
P1270084
P1270059
P1000153
・ 今日は昨日入学した新一年生の健康診断の日であった。7日の始業式前に“やれるものはやっておこう”という考えで今年から始めたものだ。法的に規定されており、身長体重、視力、耳鼻科、眼科、歯科、内科検診、心電図、レントゲン検査と中学95人、高校720人を対象に一日で済ます計画だからドクターの数も増やし、生徒は時差登校で調整している。新校舎と西館があって健康診断に適当な部屋が多くあるから便利な事この上ない。又門が多くあるからレントゲン車も男女別に離れて乗り入れ可能だから小さいようだが大きなメリットを感じている。課題は以上の作業に何時間かかったかである。
P1000155
P1000163
・ 今朝は朝から「一大騒動」が巻き起こり私は終日走り廻った。それは「自転車駐輪場」問題である。何と600台も作った駐輪器が足らないと言う。現時点での調査で生徒の申請が583台、教職員(清掃業者等含む)で36台、事務所・分掌で8台と627台と収容しきれないというのだ。特に教職員比率が異常に高い。あれほどシミレーションして数を決めたのに一体これはどういう事か!と私は憤慨した。特に高校1年生と教職員の申請台数が多いから気になって調査したのである。保護者の居住地と申請のキロ数が違っていたらこれは虚偽申請となって問題となる。本校では生徒は2キロ以上5キロ未満を自転車通学の認可基準としておりこれを全学年総チェックするように指示をした。調査の結果、家が学校の側にある1年生の2名は徒歩での登校をお願いした。
P1000156
・ 又緊急朝会を開き、管理職も含め教職員は原則自転車通勤を認めない事とした。勿論身体的事情等個別事情がある場合は個別審議だ。公立学校は教職員の自転車通勤は認めていない筈である。生徒の為の駐輪場であって教職員の為ではない。公共の乗り物の通勤費は全額学校負担しておりそちらに変更して貰う。又近隣の駅から学校までを自転車を使っている教員が居たが、トンデモナイ話だ。健康の為にも歩いて欲しい。生徒と同じく2キロ以上5キロ未満が原則である。生徒生活指導部に4台、事務所に3台、入試広報に1台、天空Rと清掃担当者に8台を割り当て何とか595台まで削減した。残り5台分は緊急時の保護者用としてとっておく。しかしそれでは教職員用がゼロでこれではやっていけない。困った、困った。駐輪場のスペースを探し回った一日であった。
P1260235
・ もう一つ危機感を有したのが今朝の新聞報道であった。各紙とも大きな扱いであった。都道府県別の中学3年生と高校3年生の「英語力到達度」が文科省から昨日公表された。それによれば大阪府の公立は中学で全国42位、高校は43位と下から数えた方が早い。千葉、秋田、福井、東京などは強くて上位である。上位県では授業が英語で行われていたり色々と目標設定に工夫があると言う。今回は公立の発表だが特に大阪は4月以降「教育庁」が発足し、同一土俵で私学も公表を迫られる可能性がある。又英語教員の資格についても今回は踏み込んだ発表となった。政府は「高校教員で言えば英検準1級以上が29年度までに75%、中学では50%の目標」としており、今回の調査では高校で57.3%、中学で30.2%だったと言う。
img948
・ 果たして本校の英語教員の数値はどうなのか。過年度からの継続と今年採用した英語の常勤講師の先生の数は合計で12名いる。今後日本では学校の英語の先生は何らかの資格取得が義務付けられるのは間違いない。教員採用の条件にもなるだろう。小学校で英語の授業が始まるくらい日本では衝撃的、画期的な国家の英語教育方針が打ち出されてきた。大学進学も一般の学部でも英語能力が担保されるようになると英語の出来ない生徒は大学に進学できないことにもなりかねない。私は英語教育の総点検を行う事を決め明日緊急の英語教員を集めて会合を開くことにした。本校では英語時間数も多く、英語科の先生も努力をしてそれなりの成果を上げて来ているがここで本格的に組織だって「学校としての組織目標」を定める時期になったと思う。
P1260503
・ 何時までに何をどの比率まで達成するかである。勿論生徒と教員の双方である。資格の無い先生が生徒に資格を取りなさいといってもパンチは無い。英語教育の中身の更なる充実に為に早急に体制強化を図る。私は昨日の入学式でも以下の様に述べている。“どの教科も多くのことを教えてくれます。皆さんの知識はまだまだとても少ない。大人になって無知とか無教養とか言われることは悲しいことです。中でも君たちが生きていく21世紀は英語が第2言語となってくるでしょう。本校は英語教育を重要視して時間数も多くあります。英語検定の受験も義務化しています。海外修学旅行はニューヨーク、ロンドン、ドイツ、ウイーン、プラハ、イタリアはローマとし、海外での語学研修や英語だけで過ごすエンパワーメントプログラム等の夏休みの強化学習もあります。”しかし今思うに、学校としてもっと本格的な数値を出すべきだったと反省しているのだ。今からでも間に合う。目標をしっかりと立てて進みたいと思う。
P1270035

28.4.4(月)雨の入学式

P1260920
・ 今日は28年度の入学式、“幸運にも?”昨夜来から降り続く雨で新しいご本殿の真正面に生徒を並ばせることは出来なかった。例年なら体育館に仮の神殿を設えて神前奉告祭をするところなのだが今年からそれは必要なかった。向きは真正面ではなかったが若干の斜め姿勢で正規の「神前奉告」の儀式が出来たのである。その理由は吹き抜けの中央館「回廊」があったからである。大きくて広いから無理なく生徒と保護者を回廊下に招集でき、広場にテントなど張らずに粛々と進める事が出来た。
P1260820
P1260838
P1260841
・ この「回廊の威力」は大きい。元来ならこのような空間スペースはコストが割高になるから作らない物だが我々はやってのけた。当初は「ウーン?」と考えなくもなかったが、「エイヤー」と踏み切って良かった。早速その威力の恩恵を与ったのである。正門の真ん中には新しい「サイネージ盤」が雨中にも関わらず立っており、「手書き」よりは数段良い。実に雰囲気が良い。生徒と保護者が並んで写真を撮影していた。回廊で点呼し代表4人が神前に進んだ。私と中学校長、それに中学、高校の入学者代表の4人である。拝殿前は雨の湿気を御神殿の真新しい柱が吸ったのか。清浄な「檜の香り」がぷんぷんとしていた。
P1260846
P1260854
P1260864
・ 又今日は「外付け階段」の威力も「まざまざ」と感じた。平日の入学式でそれも月曜だから保護者の参列は大体お一人と踏んでいたのが間違いだった。生徒も保護者も東西に分かれて会場入りしたが混雑とはならなかった。しかしおじいちゃん、おばあちゃんらしき方も多く居られ、結局保護者席は満杯で急遽2階席にご案内する羽目になった。ここには席も無く「立ち見」になって申し訳なかった。中央館のビデオ同時実況中継を考えたが昨年までの経験で誰もそこには行きたがらず結局体育館に入られるのであった。そういう訳で今日も「立ち見」があったのである。本来ならこれは保護者に対しては拙い。
P1260866
P1260869
P1260876
P1260878
・ 神前奉告が終われば生徒は体育館に入場だがこの時は吹奏楽部が演奏して生徒の入場を祝う。今までは「行進曲」であったが今年から「学院曲:海道東征浪速」となった。あれだけ勢力を投入して作成した学院曲である。是非今後とも式典にはまずこの曲だ。当たり前だと思う。本当は神楽も雅楽も演奏して貰いたかったがこれは神前に奉納するものだから体育館でと言う訳にはいかなかった。最近の流行は段々と入学式・卒業式がお祭り的になってきており、大学では特に激しい。昔みたいに権威だけという厳粛な雰囲気ではなくなってきている。本校も昔は私の強い要望で「神輿」を体育館に運び入れ「ワッショイ、ワッショイ」と在校生が「お練り」をしたものだが最早生徒数が多くなってそのスペースも無くなった。
P1260929
P1260925
・ 高校生の入学許可は私が行い、中学生の入学許可は中学校長が行ったが式辞は学院長の私が代表して行った。時間の節約である。中学校は式典後西館ホールに移動してその席で中学校長から講話があるからだ。式辞は大体何時も、何時も同じような事に結局なってしまうが、落語や漫才や講談と一緒で「ネタ」は変わらない。しかし何処かは変わっているもので昨年は「新校舎が出来ます」と言っていたのが「新校舎に君たちは最初から入れます」になるのだからここにも時の移動を感じる。それにしても高校18クラス、中学3クラスは多い。このような風景を見ると私は幸せな気持ちになる。
P1260930
P1260987
・ 式の冒頭の言葉で私は次のように言って今日の日を寿いだ。“雨の入学式も決して悪くはありません。人間にも植物にも万物には雨が必要であります。桜並木の桜はまだ頑張ってくれており、本日このような希望に萌える素晴らしい若者を迎えて、入学式を挙行できることは、大変嬉しく頼もしく思います。新校舎となった最初の入学生である皆さんを心から「歓迎」致します。浪速高等学校720名、浪速中学校95名の皆さんの新たな出発に際し一言お祝いの言葉を申し述べます。式典の後、担任団を紹介しその後在校生がクラブのユニフォームを着て新入学生を祝っていた。
P1260997
P1270002
・ 私が式辞で強調した部位は本校は神社神道の学校だと言うことと、その教えるところとを極力分かり易く話した積りである。“分かり易く言えば神道の教えとは難しいものではありません。日本文化の理解そのものです。神を敬い祖先の心を受け継ぐ、敢て言えば死後の天国地獄を考える前に、あくまで「命ある今に集中して一生懸命に生きる」ことだと私は理解しています。後先の事などではなくて、今この時にベストを尽くして悔いのないように一生懸命に生きることが一番大切なことだと教えています。そして「報恩感謝」と言って今ある自分は多くの人々のお蔭であるという感謝の気持ちを持つことで有ります。感謝の気持ちが有る故に「今このときを大切」にするのです。「今を一生懸命に生きる」と言っても良いでしょう。「今このとき」「今を生きる」の言葉が浪速教育の精神です。思わぬ不幸や出来事、悲しい出来事も神の他人の責任にしても解決には至りません。与えた試練と考え耐えて頑張れば道は開ける。耐えて頑張れば必ず事態は好転するということを信じて頑張って欲しいと思います。”
P1270020
P1270024
P1270032
・ そしてクライマックスとして「浪速生としての心構え」について私は数点を挙げて話したのである。“本校は常に生徒の事を第一に考え、中学も高校も授業日数を大幅に増やし、さらに特別講習や補習補講、外部模試を徹底的に取り入れ、生徒の学力向上を図る高校です。まず「行ける大学から行きたい大学」に行くことを希望する生徒を徹底的に支援します。そのためのあらゆる手立てを学校は考えています。従って「学校の授業が極めて大切」です。まず「授業」を大切にする。一こま一こまの授業が重要で、「習熟度別授業」を主体にしています。質の高い授業に真剣に取り組むことで多くのことを得ることが出来ます。従って遅刻をしたり授業を妨害するなどの行為は厳しいペナルティが待っています。特に高校は義務教育の中学と違ってスピードも速く、又単位を取らねば進級も卒業も出来ません。”
P1260929
・ 又「文武両道」を目指し、「部活動を奨励」し学校として積極的な財政支援も行っています。どうか積極的に部活動に取り組んでください。部活動は大変重要です。要はバランスの取れた人材が結局社会に出て伸びている。バランスというのは「しなやかで幅の広い人間」だということです。脆くてはいけない。「頼もしい」ということが大切です。又特に大切なこととして日常の生徒生活指導にも言及したのである。この部分について私は“本校は全般に「生活指導」には厳しい学校として聞こえています。特に「いじめ」「ネット問題」「喫煙や飲酒」「化粧や服装」「通学途中の公共マナー」は厳しい指導があります。それも学校の教育だと思っているからです。日本全国どこの高校でも喫煙が許されている学校はありません。日常の生活規範が乱れていると学業成績にも影響があることを学校の教師は知っています。安易に流れてはいけません。「駄目なものは駄目」なのです。「踏みとどまる勇気」が必要です。そして式典終了後「入試成績の良かった特待生に奨学金を授与する伝達式」を終えた時には空には青空が広がっていた。
P1270036
P1270047

28.4.2(土)ボクシング部第二練習場

P1260666
・ 今日は暖かく、実に気分の良い土曜日となった。「浪速新時代の幕は開き」、順調に歩み始めた。芝居の舞台で言えば4月1日、「バーッ」と幕が開かれ、役者がそれぞれの立ち位置で実際の演技に既に入ろうとする瞬間を見るのは良いものである。幕開きの「口上」は既に私から済んでおり、教職員の皆さんは具体的な演技と言うか行動に既に入っている。一挙に舞い上がって行く感じでその「立ち上がり」は早い。その雰囲気は恐らく外部の人では分からないだろう。こういう感じは本校独特のものだと私は評価している。教職員の役割分担が「かっちり」としており、さぼれないような仕組みになっている。7時30分出発でラグビー部は「ふくろうスタジアウム」に出発した。それにしても「東征門」は大きく立派で大型バスが切り替え無しで一発で出入りできる。新時代は「バス専用門」として高く評価されるだろう。「大きい事は良い事」の証明である。
P1260658
P1260623
・ 8時出発で教員3人がバス2台に分乗し成績優秀層の高校2年生80人を連れて英数の学習合宿の為に「多聞尚学館」に出発した。私はそれぞれのバスに乗り込んで激励した。8時25分には昨日着任した新人の先生を1名の教員が引率してまず「ふくろうスタジアムで文武の武」を「多聞尚学館では文武の文」を実際に見学して貰うためである。多聞では前述した生徒の学習状況を参観し、生徒と同じ昼食を共にとって貰い、早く本校の雰囲気に慣れて貰う配慮である。多聞もふくろうも他校にはない本校自慢の教育施設であり、私は誇らしい。新時代になっても燦然と輝く教育施設である。
P1260617
・ 一方新一年生の学年団は「準備登校」と言って生徒を制服着用で8時10分に招集していた。今日は「服装頭髪検査」「個人写真撮影」の日であった。4日の入学式を前に徹底した本校の「生徒生活指導」を行うのである。それ以外に「神社参拝の方法」「制服メーカーの担当者による身だしなみセミナー」「校則の説明」が成される。そして入学式の諸注意を行い終礼となる。何しろ720人の生徒だから一度には無理だから4グループに分けて基本が教えられる。「鉄は熱いうちに打て」なのである。個人の写真撮影も教員が手分けをしてやってくれる。パソコンに取り込まれ、直ぐ処理される。このような器械が本校に有ったなど知らなかった。
P1260633
P1260636
P1260652
・ 5月10日の「新校舎・新学院神社竣功奉祝祭」の引き出物の段取りがようやく目途が付いた。時間が無く正直言って焦っていた。高島屋の外商の課長さんが頻繁に来校され相談に乗ってくれた。予算が多くあれば素晴らしい物が何でも用意できるがそうもいかない。「本校らしさ」を感じて貰える適当な品物は簡単には見つからなかった。こだわるからこうなる。結局全く異なる4品を揃え来賓、お客筋によって当てはめることとした。尚当日は体育館で昼食を摂って頂くが平日故すぐお帰りになられるお方の事を考え「お赤飯」の箱詰めをお持ちかえりして頂くことに仮決定した。赤飯は料理の腕によって味が変わるからこれは一度味見をする積りだ。天空Rの料理人の腕は中々だから心配はしていないがそれでも手は抜けない。赤飯が駄目だったら他に変える。仕出しはシェラトン都ホテルとしたのは近いお付き合いだからここ以外に選択肢は無いのだ。

・ そう、高島屋の人が学校に来るたびに我々は褒められる。まず紙に貼ったポスターなどが校内に見当たらないことだという。これには私も嬉しかった。新時代の浪速は「ペーパーレス学校」を標榜している。勿論生徒は別で教職員なのだが「ペーパーレス職員会議」とか役割分担表などはすべて個人パソコンの中の掲示板に入っている。それを見る事で全てが分かる。お客様や来校者、生徒保護者には「サイネージ板」で電子情報として流しているのだが高島屋さんはこれにも驚いていた。私は新たに一台購入し「正門専用」として外部の方にも情報提供するように考えている。又新年度から生徒の出席簿管理も「タブレット」を使った電子管理とした。浪速新時代は「ICT武装されたシティスクール」を前面に出し、更に上を目指して充実させていく。高い投資であったが来校者は直ぐに気付いてくれる。
P1260297
P1260296
・ 本日は「建速清拳館第二練習場」の「杮落とし」の日であった。併せて「女子ボクシング部」もスタートした。「ミニ・リング」を作りサンドバックも3台追加した。今日は浪高ボクシング部OB会の会長であるあの有名な「串カツだるま」のU会長も来校され祝って頂いた。又昨日付けで近畿大学のボクシング部の総監督に就任されたS氏もお祝いに駆けつけてくれた。「浪近ルート」と言って浪高―近大―東京オリンピックを狙っているのである。神道科のM先生の手で「四方祓い」をして頂きボクシング部の安全を祈願した。その後OBと保護者達を6Rにお招きし「お茶」としたのである。保護者会もスタートする。最近のボクシング部の活躍は素晴らしく、その内に「古豪復活」となるであろう。アメリカンフットボールとともに特別強化クラブに位置づけ支援をして参る所存だ。
P1260687
P1260712
P1260723
P1260739
P1260742
P1260771
P1260774
P1260797
・ 空手道部と卓球部が「凱旋報告」に来てくれた。先の全国高等学校選抜大会で空手は団体組手で2連覇、中学は4連覇であった。まさか卓球の個人戦で全国チャンピオンが出るとは思えなかったが佐々木君は「頑張りました」と胸を張って報告してくれた。本当に良くやってくれたと思う。この10年、部活動の振興に力を注いできたがこのような成果を見るとつくづく良かったと思う。立派な練習環境と卓越した指導者で高校の部活動は大きく伸びる。この当たり前のことをするのは案外難しいのだが、私はやったと思う。浪速新時代も更に部活動を活性化させていかねばならない。昨日の職員会議でも私は顧問の先生にお願いした。
P1260540
P1260555
・ 頭でっかちで常識を教えていない偏差値だけの生徒ではこれから先の日本を担ぐのはしんどい。精神力の逞しい生徒作りも本校の教育目的である。まず練習場だ。この10年、「多聞尚学館」「ふくろうスタジアム」「浪速武道館」「グランドの芝生化」「クラブハウス棟」「テニスコート3面」「ボクシング道場」「運動ジム」「時計台前広場」「和教室2部屋」等々投資に次ぐ投資だったがまだまだだ。最近の高校は「アリーナ」的な高層の運動施設を建設する傾向である。観客席を周囲に有した「浪速アリーナ」構想を何時具体化するか、既に私に脳は動き始めている。さすればボクシング道場はアリーナに移設されるだろう。
P1260535

28.4.1(金)「浪速新時代への幕開け」

P1260515
・ 一夜明けて今日は4月1日、「新年度の始動」である。順調に「船出」をした。今日付けで私はブログのタイトル、フォルダー名を変えた。長い間使って来た「新校舎作事・普請日記」を新しく「浪速新時代への幕開け」としたのだ。ホームページのデザインも少し変わった。ご覧いただきたいと思う。ただ次のブログキャンペーン期間は長い間とはならないと思う。少なくとも5月10日の「新校舎・新学院神社竣功奉祝祭」そして神社基壇の一角に設えた「定礎箱、タイムカプセル」の中に後世に伝えつぐ資料の「閉箱式」までは最低限続けたいと思う。その場合ご寄付頂いた方々のお名前を銅板に刻みそれは基壇の何処かに張り付け後世の人の為に記録に残す必要があるからだ。その後どうするかはまだ決めていないが、暫くは休止したい。読んで下さっている方々にも休息が必要だ。少し飽きられてきていると思う。

P1260395
・ それにしてもブログを書き始めてから10年目となった。「よくもまァ」書き続けて来たものだと我ながら感心する。余程「暇だな」と思われたに違いないが時間の問題ではない。気力と熱意の問題だ。本校の教職員を想定し時々刻々の教育問題の視点・論点を大きく捉え、本校の個別課題も合わせて私の言葉で突きつけて来たのがこのブログであった。改革の視点を指し示し活動の結果を評価したブログは大きな成果を上げた。故に新校舎と新しい神社の造営が可能になったと私は考えている。意味も無い言葉の洪水を仕掛けた訳ではない。「学校改革」の指針であり改革は大成功して第一幕を閉じる。
P1260411
・ 振り返ってみて思うにフォルダー名にブログの性格を見ることが出来る。まず「校長日記」から初めて最後の「新校舎作事・普請覚書」までの6回の変化と10年間で2239回のアップ数だから1年に223回となる。これは単純計算で1年365日の内61%の日で書いたことになる。この膨大なブログを「浪速改革の軌跡」として私は纏めて定礎箱に入れる積りだ。
校長日記 
 平成19年度  平成19年 6月 1日~平成20年 3月31日 233 
 平成20年度  平成20年 4月 1日~平成21年 3月31日 370 
 平成21年度  平成21年 4月 1日~平成22年 3月31日 352 
 平成22年度  平成22年 4月 1日~平成22年 6月20日 76 
校長ウォッチ  平成22年 7月 1日~平成22年12月14日 136 
新校長日記   平成22年 8月 6日~平成22年10月21日 45 
視点・論点  
                     平成22年12月15日~平成23年 3月31日 86 
                     平成23年度 平成23年 4月 1日~平成23年10月27日 167 
留め書き 
                     平成24年度 平成24年 5月 8日~平成25年 1月31日 196 
新校舎作事・普請覚書 
                     平成25年度 平成25年 5月20日~平成25年12月21日 170
                     平成26年度 平成26年3月31日~平成26年6月30日 68 
                     平成26年9月1日~平成27年1月8日 99 
                     平成27年3月16日~平成27年3月31日 13 
                     平成27年度 平成27年4月1日~平成27年8月31日 114 
                     平成27年11月2日~平成28年3月31日 114 
                                                                       合計 2239 
P1260402
・ 生憎の曇り空であったが新年度のスタートを歓び、私は午前中だけ正門に国旗を掲げた。真新しい国旗の白さが目に眩しかった。新校舎が竣工し外構工事も終わった。何より本校のシンボルである学院神社が悠然とご鎮座されているのが嬉しい。小さな中学生が部活動で登校してきた。私は彼らと一緒に写真を撮った。昨日守衛室の壁に取り付けられた「表札」を照らす照明器具が幅120㎝の大きなものに取り付けられた。色も良い。これできんでんさんとは全ての仕事にけりが付いたのではないか。
P1260407
P1260415
・ 今日はまず辞令交付から今日は始まった。トップバッターはN氏に対する「上席副校長」に辞令だ。将来の校長含みで招聘した人物であり早く教育現場に慣れ教育法令など勉強して欲しい。ゼロからのスタート程有力な事は無い。「すべての真実は現場にあり」、自分の眼で「何が起きているか」観察し自らの頭脳で整理分析することから研修は始まる。次に昨年4月に専任教諭に採用し1年間の「試用期間」が満了した8名の教職員を正式に採用したことを口頭によって伝えた。元来ならもうお一人この場所に居たのだが残念ながら正式専任教諭として本校では採用できなかった。私の採用責任と私を含めた管理職の管理責任は当然ある。専任教員とて「やってはならないことはやってはならない」。
P1260421
P1260430
P1260445
・ 次にこれは「辞令交付」の形で11名の教職員の方々に専任教諭、専任職員として採用する旨を伝えた。辞令の中には当然本俸についての記述がある。今回の対象者の中には新卒でない、40代、50代の方々もおられこのような場合はある程度の「回復期間」を設けて給料が上がって行くシステムとした本校の内規を適用した。3月31日と4月1日間のわずか1日差で数百万円も年収が上がるのは如何にもおかしいので5年、7年、10年と期間を設定し回復して行くのである。他所で早期退職し退職金を受け、本校でも大学新卒で就職したと同じ扱いで一挙に高い給料をお支払する訳には行かない。それでは長い間本校で勤続してきた教職員が納得はしないだろう。「年功序列」体形が崩れてくるからだ。
P1260456
P1260467
・ その後9時から「新任式」があった。継続される常勤講師の先生が23名で、新たに本日着任された常勤講師の先生が23名であった。詳しくは字数の関係で書けなかったが私は歓迎、激励の言葉を述べた。そして過去の経験から常勤講師へのアドバイスも例年以上に時間をとってお話ししたのである。方向が異なる先生方も中には居るが多くの常勤講師の先生方が手にしたいのは「本校専任教諭への切符」である。現在本校では非常勤講師、常勤講師の先生方を分母に入れれば専任教諭比率は約50%未満であり、言い換えれば「専任への門戸は広い」という事だ。教科指導、分掌業務、担任業務、部活動指導力と総合的判断で本校は専任への道が開ける。
P1260483
P1260484
・ しかし結局は「お人柄」である。謙虚で生徒の面倒見が良く、自ら学ぶ姿勢のある若者は育つ。教職と言う職業が立派なのであって個人の貴方が偉いのではないとまで言い、私は生涯学習と教養を高めることの必要性を訴えた。その後そのまま職員会議となった。まず冒頭新任の先生を一人お一人お名前を読み上げてご紹介しその後自席に付いて貰った。本校は1年間を通じて職員会議の席が決まっており、公立みたいに自由に開いた席に据わると言う事は無い。職員会議では冒頭「本校教員のあるべき姿」についてお話しした。まさに新しい革袋に新しい酒を盛る」ではないが教育環境が一新された今、教職員の意識改革も新たなステージに立つべきである。しかし難しい事ではなくて「目の前にいる生徒の面倒を見る」ことこそ最大の効果があることだと言ったのである。在校している生徒とその保護者こそ最大の歩く広告塔であり「徹底して面倒を見よ」とお願いした。
P1260502
P1260511
P1260515
・ 午後になって「校務運営委員会」を7階の特別会議室にて行った。年度の初めだから今日は敢えて東館5階の校長室横の会議室を避けたのである。今後も時々使えば良い。又東館5階は校長会議室、管理職会議室として利用すれば良い。「宝の持ち腐れ」となってはならないから今後中央館で最も良い部屋を幹部教員の会議室として時々使うことにしたのだ。さすがに豪華な部屋だけに雰囲気が出る。
P1260560
P1260563
・その後私は「職員室巡視」として中学校職員室、体育教官室、理科職員室、中央職員室をI高校教頭補佐と共に巡視をし特に新任の先生方の激励に回った。すべての先生に最新鋭の処理速度の速いラップトップ型のパソコンを貸与しておりそこには学校に関するすべての情報が入っている。本校はペーパーレス会議を目指しており校内イントラネットが新校舎でも完備されている。このようにして「浪速新時代への幕開け」は始まった
P1260590
P1260593
P1260595
P1260598
P1260600
P1260609

28.3.31(木)年度最終日

P1260351
・ 気温は上がり、暖かい31日となった。校内12本ある桜の大樹が見事に花が咲き本当に美しい。咲くと言う字は古事記などの古語では「咲、关(わらう)」とも読む。実に私は笑いたい気分だ。正面道路側の「バナーポール」に掲げる部活動成績の旗も数が不足する、嬉しい悲鳴である。今朝は卓球部の顧問先生が全国大会の個人戦優勝の報告に来てくれた。既に垂れ幕は掲げている。元々ポールの数は7本だったが途中で桜を植える為に6本とした経緯がある。それは「桜の樹を北辰門の門柱の左右に植えた」からなのだが、はやりあの場所には桜は欲しかったから後悔はない。古い順には外し新しい成績を次から次と掲げれば良いではないか。それよりもあの場所にバナーポールを設置してくれた設計者のセンスが光っている。使えない駐輪器を設計した人と同じ人だ。フェンス前歩道を通る人々、車に乗っている人々の目に本校の部活動の活躍が飛び込んでいるだろう。このようなバナーポールを有している学校は見たことがない。私は「してやったり」とほくそ笑んでいる。
P1260287
P1260288
P1260374
・ どの学校にもその学校独特の言語が使われている。それをとやかく言っても始まらない。今日は3月31日、年度末最後の日であった。本校ではこの日を「年度末出勤」と言って基本的に休みは取らない、出張は避けると言う具合に全教職員が揃って様々な会議がある。私はまず朝会の後各管理職に対して28年度の年俸を通知した。職位、能力、業績に応じて年俸額を定めたものである。これを受けて各管理職は年俸額をどのような月割りにするのか事務方と決定する。一度で年俸を全額受け取るも良し、12等分するも良し、16等分して7月と12月には多く受け取るという方法もある。
P1260293
・ まず8時30分から教科主任会議、9時から教科会議、9時20分から高校は旧の学年会議、中学は職員会議を行い、10時30分に中高合同の職員会議というわけだ、その後「机移動準備」になる。新しい自分の席に引っ越しをするのである。職員会議では2次の進級判定会議、転入試の判定会議とこのギリギリになっても成績不振者の進級の判定作業がある。以上の順番をみると旧学年に別れを告げ、新しい学年団の編成に入るための出勤日と言えない事も無い。そして明日からは「新年度」なのである。

・ ゼネコンさん始め工事関係者への支払いが済んだ。基本契約の残分で恐らく昨日中に各会社さんには入金されているだろう。後は昨日に工事が終わった西館の補修契約分、外構工事の追加分等を4月に支払えば一切が終わる。本当に計画通りに支払いが完了した。どうせ私の事だから途中でグレードアップさせたり、追加の工事が出ることは分かっていたからその分も「予備金」として計上していたので支払いは他の融資になどに頼ることなく自己資金で全く無理せず、「着々と、淡々と」進んだ。小さな所帯でこれだけでも特筆すべきことではないか。これを受けて5月理事会に上程する「27年度決算書」を作成して参る。
P1010250
・ 何と大林組の所長さんが朝、部屋に来て「ちょっと」と言うので付いて行ったら何と何と立派な「楓製」の書棚がロビーの鼉太鼓前にあるではないか。聞くと旧南館即ち現在の中央館の位置の南側にあった「台湾楓」の木を使ってプロが凝った書棚を作ってくれたものだと言う。これには感激して思わず目頭が熱くなった。何よりの私へのプレゼントとなった。当面ロビーにおいて皆さんに供覧し、その内に最適な場所に置こうと思う。これを見て私は「今は昔となった旧校舎」が遂に中央館になったことを実感した。
P1260311
img946
P1260307
・ 10時大林組の大阪のトップである専務・本店長さんが「引き渡し」のご挨拶に見えられた。私は天空Rにご案内し「お茶」の一時を持った。心から御礼を申し上げた。私のような施主は初めてだったと思う。無理難題を言ったと思うが一重に「良い学び舎」を共に作らんが為だったと申し上げた。そして今は「良い共同作品」が出来、心に一点の曇りもない満足感と充実感にあると申し上げ、この現場で共に働いた諸氏、特に所長さんの仕事ぶりと求心力について施主として大満足していることを申し上げた。彼や工事長、素晴らしき設計者たちに何卒格段の思し召しを賜らんと、「時代がかった」、何か一人腹を切って先に逝く遺言みたいな言葉まで発して感謝の気持ちを表したのである。天空Rでの一時は実に心地良いものだった。この心地良さこそ、このプロジェクトが大成功裡の内に終焉の時を迎えたことを物語っている。
P1260312
P1260323
P1260315
・ 10時30分からの職員会議ではまず冒頭一人の女性職員のことを紹介し感謝の言葉を申し述べた。このお人は何と本校に通算47年と7か月も勤務され、この度見事に定年満期を迎えられたのである。昨夜は市内某所で事務室の慰労会と彼女の満期お祝いの会が開かれ、私も出席して記念品を差し上げた。前人未到、今後も有り得ない勤続年数の数値を残された。勤務成績は極めて優秀であり、特別功労金を通常の退職金に付与して労に報いた。今日の職員会議では花束を贈呈して全教職員で拍手をして感謝とお祝いを申し上げたのである。私は引き続いて勤務いただきたくお願いし再雇用契約を結んだ。
そして全教職員に彼女を見習い、定年後も本校で働くべしと申し上げたのである。
P1010565
P1260360
P1260335
・ そして年度の最後に当たり「今年の総括」を行った。5月10日の「竣功奉祝祭」を大々的に行い、その後間をおかず教職員の歓送迎会並びに慰労会を実施する旨発表した。そしてこの日、一連の90周年記念としての事業が終了したことを祝い「金一封」の祝儀を出すことも明らかにしたのである。そして足かけ4年に及んだ新校舎建設プロジェクトの解散と「事業終結宣言」を行った。今日で過去は過去とし、明日からは新しい世紀への出発である旨、教職員に申し上げた。明日は新しい人々が又この学校の正門をくぐって入って来られる。4日には入学式だ。私は事務長に明日は「旗日」ではないが「正門の門柱に国旗を掲げよ」と指示を出したのである。
P1260347
P1260339

最新記事