・ 昨日の理事会・並びに評議員会は私にとって生涯忘れる事の出来ないメモリアル理事会であったと昨日の留書きに記した。それは着任以来「一仕事を終えた」からである。今私の心の中にある「何とも言えない充足感」は誰にも分かるまい。
・ 恒例行事なのだが年末理事会の後には「直会」があって理事と本校管理職で1年間の総括と学院神社のご加護に対して感謝の念を確認する。その直会の雰囲気も大変良かった。特に名誉理事長と理事長職務代理は殊の外「ご機嫌」で満面笑みという感じで話題が途切れることなく懇談は続いた。
・ 私を入れてこの3人には格別の思いが交錯しているに違いないと私は分る。我々の感情はこの3人しか知らない。余人には分からないだろう。それくらい私が「着任する前の浪速には色々とあった」のだ。名誉理事長と理事長職務代理は本当に私の6年間を評価し喜んでくれていた。
・ それは7年前の今日の日の事をこの3人は今でも「生々しく」覚えているからだ。「最後の勝負」をかけて名誉理事長と理事長職務代理は私を選び投入したのである。私で駄目だったらこの学校は整理されていた。
・ 昨日から一夜明けて今日は12月22日、今朝も通常通りの出勤であったが私の心の中には未だに昨日来の特別な感慨の余燼が残っている。私は7年前の同じ日、平成18年12月22日を思い起こす。
・ その時私は心斎橋筋商店街の中央通り近くの喫茶店でお茶を飲みながら1本の電話を待っていた。近くの大阪府神社庁からの呼び出しの電話である。この日学校法人の理事会が行われていたのである。その席で私を理事長、そして年の明けた平成19年4月から浪速中学校・高等学校長兼務の役員人事の理事会本選が行われていたのである。
・ そして私は満場一致で本学院に招聘された。この日から私は「学校改革の戦略と戦術」を紙に書き始めた。招聘の話は平成18年の9月頃からお話はあったからある程度の予備知識は有していたのでそれを基に「脚本」を書き始めたのである。
・ 何かをやる時には「シナリオ」が最も重要である。今度の場合、「脚本、演出、主演」も自分一人でやらねばならなかった。誰かを連れていくことは最初から考えなかった。「スピードこそ命」であると思っているから変な側近は「足手まとい」になるだけである。
・ 12月29日に初めて学校に赴き、管理職と面談した。当時の管理職は今や一人も残って居ない。雰囲気は先行きの厳しさを感じさせるものであった。「寒々しい」とでも言おうか。私は年が明けてから「打ち出す方針」の概略を彼らに示した。
・ 年末年始は徹底した財務の分析をたった一人で行った。預かった決算書類を持ち帰って学校会計基準を勉強しながら「問題点と解決法」について分かり易く12月22日以来書いてきた方針を17ページの資料にまとめた。
・ 平成19年1月7日初出勤し、仮の理事長室の席にポツンと一人据わった。教職員の中で本当に一人も知り合いなど居なく、例えて言えば高倉健さんの「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」の映画みたいに「乗り込んだ」というのがふさわしい。
・ 「悲壮な覚悟」であったと思う。大阪天満宮と道明寺天満宮から大きな白い胡蝶蘭の鉢植えが届けられていた。これを見ながらこの白い花が「血潮に染まるかな」と思ったものだった。
・ 1月9日新年最初の職員会議が行われた。その席において私は前述した資料を全教職員に渡し懇切丁寧に方針を説明した。タイトルは「学校法人大阪国学院理事長就任にあたって」である。所謂「所信表明」である。
・ その資料は以下の筋書でまとめられている。第1章が「現状認識」である。中身は「浪速の病状診断」と書いてある。延々と財務分析を「病理解剖」の言葉を使って「これでもか、これでもか」と書き続けている。今読んでみると「こんな時代もあったのか」と思う。
・ そして2章では「教育環境をめぐる注視すべき周辺の情勢と・環境認識」として国、大阪府の動きを詳述し「我々は何をしなければならないか」を明確に指し示した。そして次の章では「理事長としての決意」を述べている。
・ 「苦難の道を歩く覚悟とある程度の痛みを分かち合って改革しなければあと2年で学校を整理せざるを得ない」とまで書いている。そして全教員との面談が終わった1月29日「改革を進めるにあたっての基本スタンス」を第2弾として11ページの資料にまとめて職員会議で説明した。
・ それは相当厳しい内容で事細かにやるべきことを詳述している。現状分析は前回の説明で分かった筈だ。これを受けて具体的な実施項目を一つ一つ書いている。例えば諸手当の見直し、持ち時間の増大などで数十項目ある。
・ そこには文言は柔らかいが次のようなことまで書いてあった。「どうしても改革に付いて来られない、本校では手腕が最早発揮できない、自分の生き方と異なると思う先生は新たな道を探してほしい」とまで書いている。
・ この意味するところは、要は「140名の教職員が好き勝手言っていたら組織はまとまらない。本校には残された時間がない。今日からでも手を付けねば間に合わない。ごちゃごちゃ言う先生は辞めてくれ」という事である。「とりあえず普通の学校にしようよ」(ママ)とまで書いていた。
・ あれから6年、見違えるように本校は蘇生した。蘇生ばかりか筋肉質の学校に成りつつある。そして最終章の「新校舎建設」までたどり着くことが出来た。木村劇場第一幕は昨日で幕が下りたのである。今日から第二幕が始まった。
・ 昨日も新たに4名の若い専任教諭が誕生した。彼らを含め今いる素晴らしい教職員集団が活躍する舞台を作るのである。そう「新校舎は教職員の晴れやかな舞台」でなければならない。
・ 晴れやかな顔をして凛とした品格溢れる「21世紀型の浪速の教職員集団」は新校舎という舞台を得てそれぞれが役割を得て頑張ってくれるだろう。そいう学校にて学びたいという生徒は本校に集まる。
・ 学校の花形スターは教師である。理事長でもなければ校長でもない。あくまで主演スターは教師である。又生徒ではない。生徒は教える対象である。生徒が「先生、先生」と慕い、憧れ、尊敬される教師こそ先生であり先に生まれた者の責任である。頑張って欲しい。