2004年03月23日

あたりまえについて

ドングリ1個 養老孟司氏によると、普通の顔をたくさん集めて、コンピューターでどんどん重ねて画像処理していくと、スゴイ美人になるのだそうだ。そして、ノーベル賞級の研究やら業績やらというものも、あたりまえのことをどんどん突き詰めていった、あたりまえの究極なのだそうだ。
 つまり、とてつもなく特別なことなど実際には決してなくて、当然あるべきあたりまえを追求すること、真に判るということがいかに難しいかということらしい。いかに、私たちは、真理を見つめることから遠のいて暮らしているかということである。



ドングリいっぱい春になると、冬の寒さや乾燥で枯れてもうダメになったしまったかしらと思っていた庭の草木が、元気に復活して芽吹いてくる。それに引き換え、室内に置いてある植物は、乾燥しすぎている室内の空気や洗い流されない葉っぱの汚れ、日光不足で弱々しく生きている。なんとか室内環境に適応して枯れずにはいるが、なんだか先細りで申し訳ないなあと思う。
 どちらがあたりまえのあり方かと言えば、当然前者だろう。私たちは、だれもが楽に生きていけるような環境を目指してきたけれども、今、便利に効率良くこうして生きているけれども、実は、生きているのか死んでいるのか判らないまま生きているのかもとも思う・・。


陽射しが明るくなって、目に写るものが何かしらキラキラしてくると、今まで気にせず、または気づかず見えていなかったものが見えてくる。生命力だったり、復活する力だったり、苦あれば楽あり・七転び八起きといった前向きな気持だったり・・。そして、春になると、そんな気持が自然と沸き上がってくる。毎年のことながら、そんな自分の気持に、その年ごとに不思議だなあと思う。
 「冬来たりなば春都遠からじ」といった諺もあるのだから、これは、普通のあたりまえの感情なのだろう。関連して、世代交代とか輪廻転生といった言葉も思い浮かぶ。
 このあたりまえを尽き詰めると何が見えてくるのだろう。きっと、何かしらいろいろなことが潜んでいるはずだ。

 ともかく、今年も、なんとなくうきうき。私なりに元気でがんばろう・・と思う春この頃。



kimura_atelier at 19:55コメント(0)トラックバック(0)つれづれ夜想曲(エッセイ)  

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