2010年05月08日
多産なヤシ
2010年04月19日
新しい飛行艇

飛行機の音に空を見上げると、見慣れぬ飛行機が・・
救難艇は、オレンジ色に塗ってあるはず・・・
父島を素通りして、硫黄島へ向かうのかしら・・などと思っている間に飛行機は二見湾に着水しました。
海岸に行ってみると、すでにギャラリーが何人も。
そして、自衛隊の方には、なんと救急車が。
急患搬送に来たのでした。
「色が違うよね。あれは軍用だ。」
「この前見学会があって、見てきた新しい飛行艇だ。」
「レスキュー用の色を塗るのが間に合わなかったんだよ・・・。」
などなど、いろいろな話が聞こえました。
そして、飛行機は、患者さんを運び込むと、すぐに飛び立ってゆきました。
患者さんは、どなたかわかりませんが、無事に戻って来ますように。
それにしても、さすが新型。
以前のUS1に比べ、滑走距離がとても短く、上昇角度も急カーブ。
とても性能アップでした。
2010年04月13日
パクチーがいっぱい

太陽の光に新緑色の葉っぱがとても綺麗!
つまんでうどんや汁ビーフン、サラダなどに入れます。
この香り、気分はベトナムかタイ?
はまっています。
以前、私はこれが食べられませんでした。
わざわざ取っていたくらい。
それがある日、友人の作った、生春巻きで目覚めてしまったの。
ついでに、一緒に巻いてあった、生のニラも。
以来、毎年蒔いています。
生春巻きは、皮がうまくはげなくて、いまだ下手っぴいですが・・・
元気なパクチーは、もう少しすると、ぐっと背が伸び、トウがたち白い花が咲きます。
レースフラワーに似た、可憐な花です。
そして、その後、タネがいっぱい、コリアンダーって言うやつです。
2010年03月31日
カメ煮込み

カメの煮込みです。
毎年春になると、少し蒸し暑く、雲が低くなり、山の上が隠れる日があります。
昔は、この頃になるとカメを食べました。
カメ時期と呼んでいました。
今でも、向かいの山にかかり始めた雲を見ながら、おばあさんが、「ああ・・・そろそろカメ時期だねぇぇ。かめがたべたいねぇ。」と、言っていたのを思いだします。
当時、内地から来たばかりだった私は、煮込みの作り方を教えてもらい、「これがねぇ・・・」と、思いながら、作っていました。
それから30年以上たちました。
今にして、これは島のソウルフードの一つだなぁと、思います。
後は、ササヨのピーマカ。
それに後、足せば、ダンプレンと島ドーナッツかもしれませんが。
でも、カメとササヨこそ、が島民の島の味です。
島の人がこよなく愛し、でも、内地の人に勧めるときは、少し恥ずかしそうに、「臭いがあるけれど・・・。」と付け加えたり。
そして、おいしいと言ってもらえたら、それは島を良いところと言ってもらえたのと同じくらいに誇りに思って。
「ちょっと・・・」と、言われると、「そうだよね。」と、言いながら、ちょっぴり傷ついたり・・・。
それほどに愛し、複雑な思いを持っているソウルフードです。
で今、私は、毎年今頃になると、店頭に並ぶカメを買って、ちゃんと煮て、内地に住む子どもに送ります。
不思議なものです。
子どもが島にいた頃だって、一年に2.3回も作れば多い方でした。
それなのに、子どもは好きになりました。
私自身は今も特に嫌いではないけれど、好きでもありません。
なぜかなぁ・・
そういえば、お祭りなどのイベントの度に、カメ煮込みが振る舞われていました。
そういうところで覚えていったのかもしれません。
いずれにしろ、このカメとピーマカに対する一体感のような愛情こそがソウルフードそのものだと思います。
で、食べたことがないけれど、興味を持たれた方。
私が送ったカメ、子どもが内地の知人に見せて勧めたけれど、未だ「食べる。」と、言った人はいないそうです。
2010年03月19日
初ワラビ
2010年03月12日
出港日
おが丸の出港日でした。
久しぶりの南洋踊り港踊りに参加しました。
ずっと、中心になって活動してくださっていた方が、転勤になって内地にお帰りになるので、緊急に港踊りでお送りしようという事になったのです。
港に行ってみると、高校生もたくさんいました。
小笠原高校の卒業式も終わり、内地に旅立つ子どもたちです。
港で、踊り、出港の別れを惜しんでいると、恒例のおが高応援団旗を乗せた船も出て行きました。
紅白の大きな旗です。
太鼓をたたいて、卒業生を送ります。
もう何回このシーンを見たことでしょう。
でも、それなのに、うるうるしてしまう春です。
これからしばらく、島は別れの季節です。
久しぶりの南洋踊り港踊りに参加しました。
ずっと、中心になって活動してくださっていた方が、転勤になって内地にお帰りになるので、緊急に港踊りでお送りしようという事になったのです。
港に行ってみると、高校生もたくさんいました。
小笠原高校の卒業式も終わり、内地に旅立つ子どもたちです。
港で、踊り、出港の別れを惜しんでいると、恒例のおが高応援団旗を乗せた船も出て行きました。
紅白の大きな旗です。
太鼓をたたいて、卒業生を送ります。
もう何回このシーンを見たことでしょう。
でも、それなのに、うるうるしてしまう春です。
これからしばらく、島は別れの季節です。
2010年03月10日
婿島列島

竹芝桟橋を出発。
2時間少し過ぎると、東京湾を出ます。
そこからが太平洋の旅の始まり。
いきなり揺れ出します。
大島をすぎ、三宅にさしかかるあたりから、船はさらに揺れ出します。
三宅から、青ヶ島あたりにかけ、黒潮が流れているからです。
このあたりに来たら、そろそろ眠ろうかな・・・と、なります。
そして、目覚めて朝、9時頃、初めて見える小笠原が、この婿島列島です。
海の色の鮮やかさに、まず感激。
そして、遠くに見える、ケータ、北の島、針の岩など。
「ああ!島に戻ってきたなぁ・・」
そう感じる瞬間です。
内地でいっぱい楽しんできたのだから、また、しっかり暮らさなきゃね・・・なんて思う瞬間でもあります。
観光の皆さんにとって、「いよいよ!」と、心躍らせる景色。
島の人間にとって、現実の生活に向かわせる景色ですな。
2010年03月04日
春にしては早いけれど
このところ、かなり暖かい、と言いますか・・湿度が高い日が続いています。
周囲の山々も、上の方が雲に隠れがち。
これって、島の春の気候です。
島で言う「カメ時期」です。
通常4月の気候です。
カメ時期が過ぎて、しばらく初夏の気候になり、その後梅雨時。
それが島の気候なのですが。
いくら何でも、早いなぁ・・
温暖化と言ってしまえば、すべて説明ついてしまう気になる、安直さが気にくわないけれど、やはり変です。
グローバルな話から、いきなりドメスティックになりますが、蒸し暑くて洗濯物が、からっとしないのがいやだわ。
周囲の山々も、上の方が雲に隠れがち。
これって、島の春の気候です。
島で言う「カメ時期」です。
通常4月の気候です。
カメ時期が過ぎて、しばらく初夏の気候になり、その後梅雨時。
それが島の気候なのですが。
いくら何でも、早いなぁ・・
温暖化と言ってしまえば、すべて説明ついてしまう気になる、安直さが気にくわないけれど、やはり変です。
グローバルな話から、いきなりドメスティックになりますが、蒸し暑くて洗濯物が、からっとしないのがいやだわ。
2010年02月28日
津波警報
昨日、チリ地震情報をテレビで見て以来、心配していた津波。
今日になってやはり来るようで、12時から避難するように防災無線での放送がありました。
島では、昔のチリ津波の話が、今も良く語られていることもあり、ちゃんとみんな避難しました。
避難所は、高校体育館、小中体育館、交流センターなど、高台の施設です。
西町はもちろん小中体育館。
私は早速あやこを連れて行く準備をしました。
お隣さんは、うさぎを連れて行かなくてはと準備をしていました。
12時近くなって、高台にすむ友人から、うちに来ないかとのお誘いがあり、そちらにゆく事にしました。
友人の家につくと、早速カメラを持って、あやこをつれ友人と津波ウオッチングに向かいました。
ふと見れば、学校の上を通る行文線も、屏風谷の展望台も、大根山墓地も、たくさんの車やら人々。
みんな高台から、津波ウオッチングです。
私は、大神山に登りました。
展望台では、やはり人がたくさん。
吹き飛ばされそうな強い風の中、みんなお菓子や飲み物を持って海を見ていました。
しかし・・・待てど暮らせど海は凪のまま。
1時間頑張ったものの、強風に負け、戻りました。
そのまま、3時頃、家に戻ると、ちょうどお隣さんもうさぎとともに、ご帰宅でした。
「体育館に行ったけれど、観光の人がいっぱいで混んでいて、まるでおが丸の雑魚寝みたい。
仕方がないから外にいたけれど帰って来ちゃった。」とのこと。
今日はあいにく、おが丸出港日。
とはいえ、出るに出られず、船は湾外待避。
乗船予定のお客さんは、予定も立たず、避難所で待つしかありません。
結局、7時過ぎに避難指示が解除され、8時に母丸が母島を出港。
10時45分頃父島に入港しました。
これから荷役をして夜中の0時、父島を出港します。
到着は、3月2日の朝7時だそうです。
仕方のないことだけれど、本当にお疲れ様です。
島に来た方も、帰ってからの予定にあまり支障が出なければよいのですが。
一日、落ち着かず、あちこちうろうろ。
おまけに山登りまでして、疲れた一日でした。
日本列島中で、本当にたくさんの人がこうやって落ち着かなく過ごしたのでしょう。
でも、何より大きな被害が出ず、良かったです。
これには、感謝しなければいけませんな。
夕方、「4時過ぎに、50センチくらいの津波が見られたらしい・・・」、一緒に行った友人から電話がありました。
今日になってやはり来るようで、12時から避難するように防災無線での放送がありました。
島では、昔のチリ津波の話が、今も良く語られていることもあり、ちゃんとみんな避難しました。
避難所は、高校体育館、小中体育館、交流センターなど、高台の施設です。
西町はもちろん小中体育館。
私は早速あやこを連れて行く準備をしました。
お隣さんは、うさぎを連れて行かなくてはと準備をしていました。
12時近くなって、高台にすむ友人から、うちに来ないかとのお誘いがあり、そちらにゆく事にしました。
友人の家につくと、早速カメラを持って、あやこをつれ友人と津波ウオッチングに向かいました。
ふと見れば、学校の上を通る行文線も、屏風谷の展望台も、大根山墓地も、たくさんの車やら人々。
みんな高台から、津波ウオッチングです。
私は、大神山に登りました。
展望台では、やはり人がたくさん。
吹き飛ばされそうな強い風の中、みんなお菓子や飲み物を持って海を見ていました。
しかし・・・待てど暮らせど海は凪のまま。
1時間頑張ったものの、強風に負け、戻りました。
そのまま、3時頃、家に戻ると、ちょうどお隣さんもうさぎとともに、ご帰宅でした。
「体育館に行ったけれど、観光の人がいっぱいで混んでいて、まるでおが丸の雑魚寝みたい。
仕方がないから外にいたけれど帰って来ちゃった。」とのこと。
今日はあいにく、おが丸出港日。
とはいえ、出るに出られず、船は湾外待避。
乗船予定のお客さんは、予定も立たず、避難所で待つしかありません。
結局、7時過ぎに避難指示が解除され、8時に母丸が母島を出港。
10時45分頃父島に入港しました。
これから荷役をして夜中の0時、父島を出港します。
到着は、3月2日の朝7時だそうです。
仕方のないことだけれど、本当にお疲れ様です。
島に来た方も、帰ってからの予定にあまり支障が出なければよいのですが。
一日、落ち着かず、あちこちうろうろ。
おまけに山登りまでして、疲れた一日でした。
日本列島中で、本当にたくさんの人がこうやって落ち着かなく過ごしたのでしょう。
でも、何より大きな被害が出ず、良かったです。
これには、感謝しなければいけませんな。
夕方、「4時過ぎに、50センチくらいの津波が見られたらしい・・・」、一緒に行った友人から電話がありました。
2010年02月14日
上京します
2月15日から上京します。
帰島は25日の予定です。
今年の島は、とても暖かいです。
天気のよい日には、半袖でもよいくらい。
それなのに、内地の知人は「今みぞれよ・・・」なんて。
固まっちゃいます。
みぞれってどんなだっけ。
そういう時はどうすればよいのだっけ・・・
最後に寒い時期に内地に行ってから、はや10年以上たちます。
なんだか不安だなぁ・・・
申し訳ありませんが、留守の間は、メールチェックが出来ません。
その間は、ご連絡は電話でお願いします。
戻りましたら、また、メールお待ちしています。
帰島は25日の予定です。
今年の島は、とても暖かいです。
天気のよい日には、半袖でもよいくらい。
それなのに、内地の知人は「今みぞれよ・・・」なんて。
固まっちゃいます。
みぞれってどんなだっけ。
そういう時はどうすればよいのだっけ・・・
最後に寒い時期に内地に行ってから、はや10年以上たちます。
なんだか不安だなぁ・・・
申し訳ありませんが、留守の間は、メールチェックが出来ません。
その間は、ご連絡は電話でお願いします。
戻りましたら、また、メールお待ちしています。
2010年02月12日
島の春告げ花

桜のように花期が短い訳ではないので、季節感に乏しい面もありますが、やはりビーデは島の春の花です。
特にこの写真に写る、市庁前のビーデは、島一番の古株です。
ほかの花は返還後10年くらいたってから植えられたものばかりですが、これはずっと以前からあります。
そして、この木には伝説もあります。
昔、島に立ち寄った海賊が、宝を隠し、目印にこのビーデを植えた、と、いうものです。
この話はかなり以前から伝えられていて、まんざら嘘でもないような気がします。
うちの子どもも、小さな頃この話を聞いてきて、「庭から、トンネルを掘っていって、宝を取り出そう!」など言っていました。
きり丸ハウスは支庁のすぐ横にあります。
頑張れば出来なくもないなぁ・・・ちょっと思いました。
今便でTOKIOのリーダーと、山口君がソーラーカーとともに来島しました。
港では、何人もの人がカメラやケータイを持ってきていました。
2人はラストに降りてきました。
でも、その前に、大勢のスタッフが来て、見に来た人たちを後ろに下がらせ、写真を撮らないよう叫び回っていました。
スタッフもいろいろ、中にはかなり感じの悪いスタッフもいました。
午後になって、島のあちらこちらで、ソーラーカーを運転しているのを見たという話を聞きました。
「すぐ横にいたので、手を振ったけど無視された。」とか「それは仕事中だから・・・」とか。
でも、あのおが丸に乗って降りてすぐ仕事で、島を車を運転して回るって・・・
とても大変なことですなぁ。
あの船って本当に疲れます。
スタッフは、先便から来ている人もいるようですが、2人は、14日には母島へも行って車の運転。
母丸も、疲れる船だし・・・
仕事とは言え、本当に、本当にご苦労様です。
何とか、元気に、少しは楽しんで、戻ってもらいたいです。
で、いつ放送されるのかしらね・・・
2010年02月01日
2010年01月30日
海に沈む夕日
2010年01月23日
渡り鳥
2010年01月18日
おが丸ドック中
2010年01月12日
冬は燻製作り

亜熱帯の島でも、一番寒い時期をねらって。
あまり暖かいと、傷みそうで、気になります。
だからこの時期ばかりは、朝起きて、暖かいと、がっくり・・・
誠に現金なものです。
これは、ベーコンを作っています。
バラ肉を塩漬けにした後、塩出しをして軽く乾燥。
それから4日間スモークします。
自慢のこの燻製器、友人が作ってくれました。
ベースは、昔の米軍が使用した、巨大ボウル。
筒の部分は、大きな塩ビの下水管。
これは、土建屋さんで分けてもらったようです。
そして、ふたは、きり丸ハウスの工事の際出た、サイディング材です。
毎年、重宝しています。
今は、島を去ってしまった、友人に感謝です。
今では、冬の風物詩になってしまいました。
2010年01月07日
おが丸出港!
2010年01月01日
海開き

日本列島に大雪をもたらした気圧配置は、島にも強風と寒さをもたらしました。
20度ぐらいだったでしょうか。
今年一番の寒さです!
新年の挨拶の前に、「寒いね!」と、付け加えたくなるほど。
でも、海開きです。
海岸では、ダンプレン、ブンタン、島のリキュールに焼いたお餅などもサービス。
そして、ひと泳ぎ!
砂浜に作られたステージでは、餅まき、フラダンス、南洋踊り、福引き大会などお昼までにぎわいました。
ラストは、亀の放流。
今年生まれた、5ヶ月の子亀が70匹放流されました。
大きな波が打ち寄せる砂浜を、波に巻かれながらよたよた、すいすい、海に向かう姿は、思わず「がんばれ!気をつけろ!」と、応援してしまいました。
かわいかったです。