「仏教と近代」研究会

京都を中心に活動している「仏教と近代」研究会のサイトです。 本研究会が主催する研究会情報をはじめ、近代仏教研究に関する情報を幅広く掲載します。

伊東恵深『親鸞と清沢満之』を読む

【チラシ】合評会「伊東恵深『親鸞と清沢満之』を読む」

第17回「仏教と近代」研究会(若手研究発表会)

【日時】2018年8月25日(土)13:00~
【場所】龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室

【プログラム】
13:00~13:05 
趣旨説明(碧海寿広)

13:05~13:55
東野隆弘(慶應義塾大学大学院)
「近現代における阿字観に関する一考察」(仮)

13:55~14:45 
東島宗孝(慶應義塾大学大学院)
「現代における坐禅会の多様な解釈とその実践――臨済宗円覚寺を事例として」

14:45~15:00 
休憩 

15:00~15:50
内手弘太(龍谷大学世界仏教文化研究センター リサーチ・アシスタント)
「本願寺派における教学近代化の系譜――前田慧雲から梅原真隆へ」 

15:50~16:40 
宮部峻(東京大学大学院)
「総力戦における宗教と社会の相互作用――真宗大谷派の事例に即して」

16:40~16:55  
休憩 

16:55~17:45 
川口淳(大谷大学任期制助教)
「『欧米之仏教』と大谷派改革運動」

18:30~ 
懇親会

※発表30分、質疑応答20分

共催:共同研究「戦後日本の宗教者平和運動のトランスナショナル・ヒストリー研究」、共同研究「日本新宗教史像の再構築」

らかん仏教文化講座第6回「怪異から考える仏教文化」

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第16回「仏教と近代」研究会「近角常観×清沢満之シンポジウム」

「近角常観×清沢満之シンポジウム」チラシ

『近世仏教論』

西村玲『近世仏教論』法藏館、2018年1月刊

9784831862471

2008年に『近世仏教思想の独創―僧侶普寂の思想と実践』(トランスビュー)という非常に優れた研究書が出版されました。江戸時代の仏教の実態と可能性を、思想史的な観点から問い直した意欲作です。日本仏教研究では中世に人が集まりやすく、最近では近代が盛り上がっていますが、近世はいまいち人気がない。そんななか、同書は近世仏教がいかに重要な研究対象となりうるのかを、学術的に堅実かつ、魅力的な文章で示してみせた、ほんとうに素晴らしい著作でした。
その本の著者である西村玲氏が、一昨年(2016年)に急逝されました。あまりにも突然のことで、関係者の動揺は激しく、その事実をどう受けとめていいのかわからない状況が、現在に至るまで続いています。ただ、これで今後の近世仏教に関する研究が、大幅に遅れることになったという事実だけは、確かなことかと思います。
今回紹介する本は、その西村氏が、おおよそ『近世仏教思想の独創』以降に専門誌や論集などに発表してきた文章を、氏の没後にとりまとめたものです。2000年代の後半から2010年代の前半にかけ、氏がいかに精力的な研究を進めていたのか、その実情を、本書に掲載された実に多様な論考の数々から知ることができます。
本書は、全6部から構成され、そこに計16本の論文が割り当てられています。加えて、氏の略歴と業績目録が掲載されます。
第Ⅰ部は総論、第Ⅱ部は中国の明末仏教と日本の近世仏教の関係、第Ⅲ部は近世のキリスト教(キリシタン)をめぐる問題、第Ⅳ部は法相などの教学の展開、第Ⅴ部は釈迦信仰の系譜や仏教的な宇宙観の変遷、第Ⅵ部は中村元論や、仏教思想のエコロジーへの応用などについての議論です。
全体として、もちろん近世仏教の話が中心ですが、その視野は中国や西洋(キリスト教)にも開かれており、他方で中世以来の教学や信仰の伝統も忘れておらず、さらには近現代の学問や社会に対する問題意識もしっかりと持っており、きわめて射程の広い学術書として構成されています。一方で、文章が非常に明快かつ、ときに美しい修辞が繰り出されるので、充実した読書経験が得られます。
前著『近世仏教思想の独創』からの展開としては、何より、近世仏教の中国(明末)仏教とのつながりに関する研究の進展が、最も目覚ましいところでしょう。
宋から禅が輸入された中世以来、中国語を得意とする禅僧たちは、日本と中国のあいだをよく行き来していました。とりわけ臨済宗の五山禅僧は、室町時代から幕府の外交に関与し、外交文書の作成を担いさえします。こうした風習は、近世初期まで継続され、たとえば崇伝は、江戸幕府の外交と行政の中枢で活躍しました。彼は、武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院諸法度を起草し、近世の文治政治を確立した立役者の一人です。
近世の禅僧と中国の結びつきは、このような政治的なレベルのみならず、もちろん宗教的な方面でも大きな意味を持っていました。たとえば、キリシタン批判の説法を行っていた日本の禅僧たちは、キリスト教の神を打倒するための理論的な根拠を、明末の僧侶の思想から学んでいました。「少なくとも十七世紀の段階では、日中両国の距離は、精神的にも物理的にも、想像以上に近かった」のです。そこには、長い戦乱の世が終わった後に、新しい仏教を打ち立てようとする、禅僧たちの宗教的・学問的な意識の高さもありました。
本書では、こうした日中間の思想的ネットワークが、個々の学僧に関する文献の精緻な読み解きから、鮮やかに描き出されています。なかでも、近世日本に大きな影響を及ぼした明末の高僧、雲棲袾宏(1535‐1615)の不殺生思想について検討した部分は、本書の白眉の一つでしょう。輪廻転生に対する強固な信念に基づき、「無限の過去世から未来世までを生きる自分」を想像した袾宏は、自己と他者の生命を、三世六道にわたる多種多様な存在へと開く回路を確立しました。そして、この回路から導かれる不殺生の思想は、イエズス会のマテオ・リッチが語る、神の恩恵としての人間による動物の支配という主張を退けて、庶民層のあいだに確かな生命倫理を養うことに成功します。
一方、近代仏教とのつながりに目を向けると、近世の仏教界での学問の興隆に関する議論が、特に注目すべきかと思います。
たとえば、近世中期から律僧たちのあいだでは、文献学的な学問によって、釈迦が生きていた当時の教団の再現を目指す運動が行われていました。これは、同時代の儒者や国学者にも見られた、文献学的な実証性による「古代」復興の試みの一種です。そして、このようにして「釈迦仏を憧憬する律僧らの精神は、近代仏教学へ形を変えて引き継がれ、新しい時代の仏教を生み出していく原動力の一つとなった」と思われるのです。近代仏教学の原典(原点)回帰主義のルーツは、近世社会の学問領域にあったという、重要な指摘です。
あるいは、近世の有力な学僧による、典籍の整備の取り組みも大事です。これは、典籍の選別によって、宗派ごとの差別化と閉鎖性を強めた一方、その後の宗学研究の発展には大いに貢献しました。それらの「宗学研究は、近世仏教の思想的営為であると同時に、近代以後に各宗が設立した大学へ引き継がれることによって、ヨーロッパから輸入された文献学とともに近代仏教学を形成する役割を果たし」ました。近年、しばしば日本の近代仏教(学)の重層性が語られますが、その原因の一つは、近世の宗学研究にあったというわけです。
以上、本書の勘所をわずかに紹介しただけでも、西村氏によって近世仏教の実態とその意義が、多面的に考察されていることが、わかってくるかと思います。なぜ、あまり光の当たりにくい近世仏教に、もっと光を当てなければならないのか。あるいは、どのように光を当てたらよいのか。西村氏は、以下のように簡潔に説明しています。

「日本仏教において、近代を支える前近代の思想とは何だったか。徳川の平和を支えた思想の一つである近世の仏教は、思想的にも制度的にも近代以後の日本仏教の土台であると同時に、現代の私たちの宗教と倫理の基礎を形づくった思想の一つである。その光と影は、今もなお続く寺檀制度が、鮮やかに映し出す。日本近世仏教の研究は、中世と近代の仏教との内的関連を踏まえながら、東アジア仏教思想史として進められる必要がある。」

この「東アジア仏教思想史」の試みは、しかし西村氏による探究としては、あまりにも早い段階で途絶してしまいました。返す返すも残念で悲しいことです。
けれど、その探究はほかの人間にも継承が可能です。というか、何としても継承する必要があるかと思います。そして、それは「近世仏教」の専門家だけに課せられた使命では、必ずしもないと思います。なぜなら、西村氏の研究は、近世日本を中心としつつも、中世や近現代の日本や、あるいは広くアジア世界との連続性のなかで行われていたのですから。
何はともあれ、まずは多くの読者が本書に触れることで、氏の壮大な思想史的ビジョンを知ってほしいなと願うところです。