「二匹目のどじょう」という言葉がある。誰かが柳の下で1匹目を捕まえたのを見て、自分も・・・と考えるが、柳の下にいつもどじょうがいるとは限らないので、たいていはアテがはずれる、という意味のことわざだ。
ところが、護持院隆光という人は二匹目のどじょうを見事にゲットした。
彼の先人とは?・・・勿論、護国寺亮賢だ。
護国寺亮賢は、綱吉の舘林藩主時代桂昌院の絶大な信頼を得て、綱吉が将軍になるや、桂昌院が建てた巨大な寺・護国寺の開山として招かれた。
桂昌院自身のシンデレラ・ストーリーにも引けをとらないほどの、めまぐるしい栄達だ。
その亮賢が、晩年になって桂昌院に自分の後継として紹介したのが、隆光と言われる。
2人は同じ真言宗の僧だが、2人の関係は明らかになっていない。(だから、亮賢が紹介したのではない可能性もある) 何故か亮賢は、自らの護国寺の僧ではなく、自分の管理下にはいない隆光を紹介した。
それほど隆光は評判の高い護持僧だったのかもしれないし、亮賢はそろそろ桂昌院と距離をおきたくなっていたのかもしれない。(桂昌院の行動を見ていると、普通の人間ならこの女が恐ろしくなってくるはずだ)
亮賢の眼鏡に違わず、隆光の掴みは鮮やかだった。
出典は不明だが、隆光は貞享3年(1686年)に亮賢の紹介で湯島の知足院の住職になったというウワサがある。そのわずか2年後、知足院は神田橋へと拡大移転する。
彼は、亮賢と同じように、異例の栄達を手に入れたのである。
そういう意味で、亮賢と隆光の人物像はかなりかぶっている。歴史上の人物としての2人の区別はつきにくいと思う。
ドラマなどにこの2人が同時に登場すると役割がかぶりすぎるため、まず2人ともが登場することはないのではないだろうか。
数年前フジテレビで放送された連ドラ「大奥 華の乱」では、火野正平が隆光を演じていた。
このドラマのスペシャル番組で話が舘林時代に遡った時も、危篤状態の家綱と対面すべく江戸城に呼ばれた綱吉を案じて祈祷を行っていたのは隆光。
本当ならそこにいたのは亮賢であるべきで、だからこそ亮賢は綱吉が将軍になった時に護国寺という破格の褒美をもらったはずだ。
第一、綱吉の舘林時代、隆光はまだ30そこそこ。江波杏子の桂昌院サマとモロに同年代にしか見えないのもおかしい。
ただ、ここで亮賢が出てくると隆光とキャラがかぶりすぎて混乱が予想されるだけに、思い切って隆光一本で行くという判断になったのだろう。
多分、このドラマの世界では実質的に隆光が亮賢を兼ねているのだと思う。
隆光に扮した火野正平。なんとも胡散臭い。しかもこの隆光、いかにも桂昌院サマとあやしそう。。。特段そっちのシーンがなくても、火野正平が演じているというただそれだけで、この辺のニュアンスがバッチリ伝わるのだからスゴイ。火野正平恐るべし。
この胡散臭さ・生臭さこそが、後世の私たちにとっての隆光のイメージなのだ。
そして、このイメージは意外に亮賢にはない。本当なら、亮賢と隆光はほぼ人物像が重なり合うはずなのに・・・
隆光は、亮賢の二匹目のどじょうを手に入れるのと引き換えに、亮賢の分まで黒いイメージを引き受けさせられてしまったような格好だ。
1687年、生類憐みの令が本格化した年に死んだ亮賢は、寿命とは言え、隆光に文字通り「ババ」を引かせてうまく勝ち逃げした感がある。
これも、亮賢の天運だろうか。