今回はどうも納得がいかないことが多かったので、あまり多くを語りたくない。
しかし、日本人として、何だか哀しくなってしまった回だった。
どうして、日本人は、日本の歴史をこうまで情けなく描かなければならないんだろうか。
「儂は死ぬのか。死にとうない」
と家臣にすがって息絶える鹿島城主の鹿島景幹。死を前にして、自分の死後の家の采配のことなど何一つ言い遺さず・・・少なくとも今回の内容を観た限り、鹿島の戦さが描かれた意味はこの一言のためとしか思えないのだが、いくらなんでも戦国が舞台の作品で反戦ドラマするのはやめてほしい。
当時の人の価値観は今の人間とは違うし、特に領主は今の一個人と違って、たくさんの家臣の家の運命を背負っている。後先考えず、家臣の前で恥も外聞も忘れて、ただ死に恐れおののきながら息絶えました・・・みたいな情けない存在に描いてほしくない。
戦国が素晴らしい時代だとは勿論思わないが、今回のこのドラマの描写には、日本史に対する誇りも、厳しい時代を生きた人に対する敬意も感じられない。
戦国が舞台の歴史ドラマにまで、反戦を押しつけなければいけないものなんだろうか。
同じことは、御前試合の場面にも言える。
今回、細川高国が満を持して新右衛門の対戦相手に選んだ南永が、あっけなく敗れ、逆上した高国が「この役立たずめが!」と刀を抜いて南永の遺体を刺そうとする場面があった。
第二話の御前試合で、新右衛門の対戦相手・海内無双と言われた大野秀孝が倒れたのを見た公方様が「海内無双やなかったんやな」とつぶやいたのも気にはなっていたのだが、このドラマでは、「真剣勝負の御前試合なんて負ければ無駄死に」ということを、少し強調しすぎているような気がする。
今回の、細川高国が自分のために戦った南永の顔を足で踏みつけて「家臣でも何でもない!」と吐き捨てる場面など、人の上に立つ武士として、仁義に悖る行為だ。ありえない。そもそも日本では古来人は死んだら神になる。死人に鞭打つことを嫌う文化の国なのだから。
足利義尹も細川高国もひとかどの武士である以上、本来は御前試合で勝った者に対しては勿論、敗れた者に対しても、栄誉をたたえるのが普通なのではないだろうか。
このドラマではキワモノ扱いされている足利義尹だが、史実の彼は、異常人格者でも格別行いに問題があったわけでもない。単に時節に恵まれず負け組になったというだけだ。
なんだか、負け組はバカにしてもいいという暗黙の了解のようにも思えて、公方様が歪んだ人格に描かれるのも不快感がある。
御前試合に臨む剣豪たちには、細く長く生きることよりも太く短く生きることこそが潔いという価値観も確かにあったのだし、勝負に負けて死んでいった人間を、将軍や側近たちが貶めるなんていう描写で、「死ねば無駄死に」のメッセージを盛り込むというやり方は、どうも気持ちよく受け止められない。
上に書いた場面はどちらも原作にはなく、ドラマ独自のメッセージを描くために加えられたものだ。
初回を観た時から、このドラマの反戦志向がいつか息苦しくなるのではないか・・・とは感じていたが、今回はまさにその部分で、ついていけない限界に達してしまった。
戦争や斬り合いは全て否定しなければならない・・・というのなら、戦国時代劇なんてこれほど面白くないものはない。その時代の価値観はそれとして許容し、その価値観の中を生きぬいた人に対する敬意を持って描かれてこそ、時代劇は面白くなるんじゃないだろうか。
私にはこのドラマはある意味で尖り過ぎているように見えるのだが・・・でも、或いは私のほうが、尖りすぎているのかもしれないけど。
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