新右衛門が廻国修行の旅に出てはや五年経った永正十年。今回は、最強の敵は己れ自身・・・がテーマであるらしい。
奥津源三郎(榎木武揚)と新右衛門との殺陣は、これぞ時代劇!という緊迫感が画面にみなぎっていて魅せられたが、鏡の中の自分のような敵が現れ、敵の中に新右衛門自身が見えるという構図は、三話と変わらず。
なんとなく、真の己れの姿と向き合うというテーマの回が、やや冗長に続いているようにも思える。(予告によれば、次回は文字通り己れ自身と戦うらしい)

奥津源三郎は言う。
「あれほどつまらぬ殺し(辻斬り)をしたのも、塚原、おぬしをおびき出すため。幕府の者どもを殺し続ければ、やがて大内の耳に入り、おぬしが出てくるのは必定。すべてはおぬしと戦うため」
つまり、正規の立会いの場でなら新右衛門と戦うことは出来たにもかかわらず、敢えて辻斬りをして、血に汚れた殺人鬼として新右衛門に彼の未来の姿を見せたかったということだろうか。
「オレはお前とは違う!」
親身衛門は叫んで奥津に止めを刺すが、奥津は不敵な笑みを浮かべて、
「いずれおぬしにも分かる」
と言い残し、こと切れる。

昔の自分に斬られたい奥津・・・それはそれで全く理解できないとは言わないが、奥津源三郎が身を呈して新右衛門に剣豪の末路を示すあたり、あまりに直截的な教育的指導シーンになっていて、前回同様あまり好きな展開ではない。
個人的には、原作通り奥津は私欲のために身を堕としたという設定のほうが好きだ。奥津にこれでもかと「オレの生き方を見ろ。お前もいずれオレみたいになる」と教わらなくても、奥津の生き方を見て、新右衛門も剣を極めることの意味を考え始める・・・という自然な展開に持ち込むほうが、多少テーマが理解されにくくはなるかもしれないが、より剣豪の道の厳しさを表現したドラマになると思う。なんだか、奥津源三郎が優しすぎる。

ドラマ内では、新右衛門は今回初めて剣豪という生き方に悩み始めたわけだが、視聴者の前には、鹿乃を通して、あるいは円珍や南永を通してずっと同じテーマが繰り返し突き付けられているので、折り返しで丁度山場になる前回と今回でのドラマの主題の強調は、少しくどく感じられてしまった。

ただ、メインテーマ以外の部分では、さりげなく新鮮な場面が目立った。
今回は公方様が登場しなくなった分、漸く平賀丹後守が本領発揮。丹後守のおちゃめぶりが光っていた。やはりこのキャスティングは丹後守が巴屋の美津ににじり寄るためにあったのだと納得。風間杜夫はこういうのを嫌みなく見せるのが上手い。
新右衛門に剣豪としての生き方を問う役目を負い続けてきた鹿乃役の京野ことみも、今回はその役目を奥津源三郎にバトンタッチできて、ほんわかした本来の持ち味が発揮できていた気がする。
新右衛門と左門が庭で稽古をしているところへ現れて、
「湯殿の支度ができております」
なんて呼びかけるところは、ほっと和む優しい雰囲気が出ていて良かった。ああいうシーンを見ると、このドラマの中の世界にもっと浸っていたい・・・という気持ちにさせられる。
張りつめた場面の多い剣豪ドラマだけに、ほっと和む場面はやはり重要だ。これまでも鹿島の物忌館の研ぎ澄まされた清浄な空気が、違う意味で緊張をときほぐしてくれていた(ただ、毎回新右衛門の無事を占っている物忌様、今回ばかりは鹿島の未来を占っていてほしかったような・・・)のだが、鹿乃登場場面が和みのシーンに変わったことで、観る側にもやっとくつろぎタイムが与えられた気がする。
突然の山本勘助の登場は、勘助の人物像を全く匂わせず、トリビア紹介的な顔見せに留まってはいたものの、オマケとしては楽しいサプライズだったと思う。
(冒頭で新右衛門に立ち会いを申し込んできた佐伯一馬という武士も、もしかしたら実在の有名人なのかもしれないが、私は調べきれなかった)

もう少し放送回数が多ければ、ずっと若の影として寄り添っている左門にも、彼にスポットを当てたエピソードがもらえるのだろうが、全七話ではそれも叶いそうになく、残念だ。

鹿島では城主が代わりどうやらまたもや不穏な空気が・・・史実では、新城主の鹿島義幹がまだ幼少だったことで家臣たちの専横を招き、長じた後に義幹がそれに過剰な反発を示したことがやがて鹿島家の内乱につながっていくらしいのだが、残り二回の中で鹿島パートはどんな風に描かれていくのだろうか。
物忌龍子の預言が、新右衛門の苦悩とどう絡んでいくのかも気になる。
今後はその辺を楽しみに観ていきたいと思う。

追記
第三話の感想で、団子屋の兄弟は兄妹と書いたが、今日観たら二人とも男のコだった・・・(汗)

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