新右衛門鹿島へ帰る。の巻。
10年前、京へやって来た新右衛門と、将軍義尹を供奉して周防から上洛してきた大内義興が、ともに京を去ることになった。
新右衛門は東へ、大内一行は西へ。新右衛門と鹿乃も、別れの時を迎える。
「わたくしを、鹿島へお連れくださいませ」
こらえきれずに新右衛門にすがりついた鹿乃だが、
「それはできぬ。全てを捨てて鹿島に戻るのです。連れてはいけぬ」
と新右衛門は静かに鹿乃を突き放す。自分を抑えて笑顔で納得する鹿乃と、彼女に背を向けたままの新右衛門。
新右衛門の心は、いま一つ見えない。
しかし、別れの日のシーンには、京の街を去っていく新右衛門と左門の姿に、鹿乃の歌声をかぶせる・・・という演出で、新右衛門の未練が、無言の背中に巧みに映し出されている。
お互いに思いは同じでも叶えられない恋・・・露出度四割?くらいにとどめた控えめな見せ方がいい。
この際、「え? 新右衛門上洛から10年も経ってるとなると、鹿乃もいい加減大年増なんじゃ・・・新右衛門責任とるべきなんじゃ・・・」なんて無粋なことは言わないでおこう。
その後、鹿乃は養子を迎えて幸せに暮らしたと思いたい。

勘合を大内義興に奪われた細川高国の怒りの表情を、斜め上からアップで見せるカメラワークも良かった。
怒りのあまり上昇していく管領殿の黒目・・・得意の白目芸ふたたび炸裂(船岡山の戦勝祝いの酒宴以来)かと思いきや、すんでのところで場面が切り替わったので度の過ぎたコントにならずに済んだ。
公方様や管領殿とも今回でお別れ。残念だ。
この後この二人は悲惨な運命を辿ることになる。その後の二人の運命を匂わせるひとコマがあれば、さらに公方様や管領殿の人物像にも陰影が加わって、歴史ドラマ度も高まったかもしれないのだが・・・
それにしても、公方様との別れはなんとも名残惜しい。

今回、新右衛門が鹿島に戻ったことで、漸く鹿島豪華キャストの出番到来という感じ。
最近は八百屋俳優ということでも有名な永島敏行の土臭い東国武士風味な松本備前守もいいし、意図的な配役なのか新右衛門の実父と養父の対象的な見た目もアクセントになっていて面白い。
しかし、分かりにくいのは、鹿島義幹と家臣たちの争いの原因だ。
鹿島城を難攻不落の堅固な城にしたいという義幹の言葉に、難色を示す家臣たち・・・ただ、いくら金がかかろうとも、時は戦国。城を堅固にしたいという城主の主張は、この部分を聞く限り正しい。
たしかに、史実としてそういう原因で家臣たちは義幹に謀反を起こすことになるのだが、家臣たちが義幹に不満を持ったのは、この件だけではなくいろんな背景があってのことだったのではないだろうか。この一件だけでは、皆の不満が高まるのも、玉造常陸介が「奸臣」と呼ばれねばならないことも、すんなりとは納得できない。
その辺の解釈は観る側に任せるということなのかもしれないが、少し戸惑いを感じる部分ではあり、もう少しこなれた流れにすればこういう本筋じゃないところで引っかかることもないのに・・・という気はした。

さて、そんな鹿島家の内紛をよそに、「神の御加護をひたすら祈れ」という物忌様の遺言に従い、「人の恨み、血の汚れ、死を恐れる心」をはらい心の迷いを清めるために千日間の参籠に入った新右衛門。鹿島の太刀を継ぐ者としての修行の最終段階に入ったと言える。
参籠中、流祖国摩真人(卜部吉川家の遠祖)が新右衛門の前に現れ、新右衛門に「一つの太刀」を授ける。予告編で自分自身と戦っているように見えた新右衛門だが、双子の一人は御先祖様だったらしい。
しかし、正直今まで、堺雅人と剣豪塚原卜伝とのイメージのギャップをかなり感じていたのだが、今回神の太刀に感応するという場面に至って、漸く私の中で、塚原卜伝=堺雅人に焦点が合って来た。境雅人には俗より聖が似合う。新右衛門もイイのだが、光輝く国摩真人も、なかなかハマリ役に見えた。
・・・と、盛り上がって来たところで、次回ついに最終回。
最終回は、新右衛門がいよいよ師匠・備前守と対決する。師匠・備前守への挑戦に始まり、備前守との対戦で終わるという、実に美しい流れだ。
鹿島の神殿の前で神の技を授かった新右衛門と、御家騒動の俗にまみれた備前守・・・もうそれだけで勝負はついているようにしか見えないのだが、そこをどう盛り上げてくれるのか、また新右衛門の一つの太刀は御家騒動から鹿島を救えるのか、楽しみだ。

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【追記】 山本勘助はドラマを観終わる頃には出てきたこと自体忘れていた・・・

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