江戸幕府って本気で鎖国続けていけると思ってたの?

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    コメント

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    1:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 17:38:16.05ID:.net
    そんな事やってたら他国にどんどん差をつけられていつか侵略されるかも…とか思ったりしなかったん?
    鎖国(さこく)とは、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/鎖国


    2:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 19:07:54.99ID:.net
    鎖国って言っても引き篭もりとちゃうで


    3:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 19:20:52.93ID:.net
    だから開国したんじゃん。鎖国を継続しろと言わんばかりに「攘夷!攘夷!」とほざいていたのは水戸や長州などの連中だろよ。


    4:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 19:22:30.01ID:.net
    >>3
    それは後の時代の話じゃん?
    もっと前の頃は本気でそう思ってたのかなーって



    5:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 19:32:15.97ID:.net
    >>4
    世界でも有数の軍事大国だった日本が気にする問題じゃないよ。
    それに鎖国ってのは別に一切断交してたわけじゃないし。
    貿易を基本的に幕府の一元管理にするってだけ。
    上手に相場操縦すれば巨万の富が幕府の手に入るし。




    6:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 20:16:04.88ID:.net
    まぁ「鎖国」と言っても江戸幕府は「全面鎖国」では無く「限定鎖国」だった。
    1番のポイントとしては東洋以外でオランダとは貿易していたって事だろう。

    これにより、完全な「浦島太郎」化を防げた。
    蘭学や蘭方医も広まり、海外情報も入りやすかった。
    はたまた、今現在に至るまで日本文明が世界に広まる土台を築いてくれた。
    「サムライ」「ニンジャ」など今や欧米はおろか、アフリカや南米アンデスの民までが知っている。
    朝鮮の衣装や文化が全く知られていないのと比較すると、日蘭貿易の影響は計り知れない

    実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった。

    鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。但し、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであり、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。

    なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/


    8:日本@名無史さん: 2014/03/18(火) 20:42:36.13ID:.net
    結果的には良かったんじゃねえ?
    江戸初期から開国・欧米列強受け入れていたら清と同じ目に
    日本国は消滅していたかも

    1662 年以降、中国を支配した満州族の清は、東インド会社が経営するインドとの貿易を開いていたが、イギリスとのアヘン戦争やアロー戦争の敗北を契機に列強に不平等条約を締結させられ、外国の圧力を受けた。

    特に日清戦争の敗北後は、ロシア・イギリス・フランス・ドイツなどによって鉄道の敷設権や要地の租借権を奪われ、半ば植民地の状態となった。

    http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/847

    アヘン戦争

    1840~42年、麻薬のアヘンの貿易をめぐって起きた中国(当時の清国)とイギリスによる戦争。ケシの実から作られるアヘンには鎮静作用があり、中国ではパイプで喫煙する習慣があった。しかし、風紀の問題などから清朝はたびたびアヘン禁止令を出してきた。

    一方、18世紀後半には産業革命を経たイギリスで紅茶を飲む習慣が庶民に広がり、中国から大量に茶を購入し、貿易赤字となった。

    このためイギリスはアヘンを植民地だったインドでつくらせ、中国に密輸して、貿易の不均衡を解消しようとした。

    アヘン流入によって、中国の国内経済は混乱した。清朝の皇帝は1839年、林則徐を特命全権大臣に任命し、貿易の拠点・広州に派遣した。林は大量のアヘンを没収して廃棄処分にし、イギリス商人らを追放した。

    イギリス政府はこうした措置に反発し、開戦を決定。議会では、後に首相となるグラッドストンらが開戦に反対したが、小差で派兵関連の予算を承認。1840年に最新鋭の軍艦で広州など沿岸部から攻撃を始めた。1842年、イギリス軍は北京に近い天津の沖に迫ったため、清は屈服。南京条約を締結し、賠償金の支払い、香港の割譲、上海、広州などの開港を受け入れた。
    _Duncan_(1843)

    https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89-27018


    9:日本@名無史さん: 2014/03/19(水) 05:50:28.67ID:.net
    思ってたんちゃう。
    今も、工業製品の輸出で生活し、エネルギー、食料、安全保障と国家の基盤を他国に依存しながら、
    「新自由主義ハンターイ!」と叫び、悔しげに「鎖国したい」と漏らしてる日本人がいるので
    この時代なら当然。



    10:日本@名無史さん: 2014/03/19(水) 07:19:48.18ID:.net
    海外情勢を把握した上での鎖国だからOK


    12:日本@名無史さん: 2014/03/19(水) 15:37:59.87ID:.net
    今の北方領土ではロシアの海賊に蹂躙されて、国全体が蜂の巣つついたような騒ぎになったけどな。
    文化露寇(ぶんかろこう)は、文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件。

    事件名は日本の元号に由来し、ロシア側からはフヴォストフ事件とも呼ばれる。
    Rezanov_and_his_ship

    https://ja.wikipedia.org/wiki/文化露寇



    14:日本@名無史さん: 2014/03/19(水) 16:14:35.27ID:.net
    なんせ自分たちの信仰が壊れるかもしれないからな


    18:日本@名無史さん: 2014/03/21(金) 19:01:50.08ID:.net
    そういえばそうだな
    あの時代の人はそういう疑問なかったのかな?



    20:日本@名無史さん: 2014/03/21(金) 22:32:31.89ID:.net
    江戸幕府も幕末には開国して、欧米に使節派遣してる
    むしろ、京都の朝廷が開国に反対してた



    21:日本@名無史さん: 2014/03/22(土) 01:43:59.39ID:.net
    >>1
    おっと菅原道真の悪口はそこまでだ

    420px-Sugawara_Michizane

    菅原 道眞(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
    忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/菅原道真


    22:日本@名無史さん: 2014/03/22(土) 06:56:13.86ID:.net
    >>21
    なんで道真が出てくるん?



    23:日本@名無史さん: 2014/03/22(土) 12:31:08.66ID:.net
    >>22
    道真こそ、記録に残っている範囲では
    最初の鎖国主義的政策をとった人だから

    遣唐使(けんとうし)とは、日本が唐に派遣した使節である。日本側の史料では唐の皇帝と対等に交易・外交をしていたとされるが、『旧唐書』や『新唐書』の記述においては、「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。
    中国では619年に隋が滅び唐が建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。寛平6年(894年)に菅原道真の建議により停止された。現在では中国側において派遣された遣唐使の墓が発見されたりしている。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/遣唐使


    24:日本@名無史さん: 2014/03/22(土) 18:33:47.95ID:.net
    道真のは鎖国と違うんだけどな。
    中国に役人を送らなかっただけで、民間の往来は禁止していない。
    江戸幕府の鎖国は国策。



    25:日本@名無史さん: 2014/03/22(土) 18:36:08.25ID:.net
    >>24
    国策で鎖国してるって聞くとすごく頭が悪い国みたいな感じがする
    北朝鮮みたいな



    27:日本@名無史さん: 2014/03/23(日) 18:18:57.82ID:.net
    幕府の鎖国は独占貿易だからな。
    平安時代は朝廷が独占貿易したことはないでしょ。



    28:日本@名無史さん: 2014/03/24(月) 01:58:00.63ID:.net
    貿易統制で有って鎖国ではない


    30:日本@名無史さん: 2014/03/24(月) 18:17:00.18ID:.net
    >>28
    人の行き来が極端に絞られているんだから、貿易統制という枠では収まらないよ。



    31:日本@名無史さん: 2014/03/24(月) 19:07:18.17ID:.net
    近年では鎖国って言葉はあまり使われなくなったね。
    基本的に対馬、長崎、琉球、松前の四つの口で、自主的な貿易統制と渡航禁止の海禁政策。

    東アジアじゃ別に珍しいことじゃないしね。

    欧州が年がら年中ドンパチやってたお陰で、手に負えないくらい大砲の性能が著しく向上してしまってたのが誤算かな。



    41:日本@名無史さん: 2014/03/27(木) 22:27:53.83ID:.net
    鎖国が行われている間に幕府はどれくらい外国の事情に通じて
    いたんだろうか
    オランダを通じてかなり最新情報は把握してたのかな



    42:日本@名無史さん: 2014/03/27(木) 22:44:12.99ID:.net
    「阿蘭陀風説書」
    出島のオランダ商館長(カピタン)が江戸まで行って、幕府に世界情勢を報告してた

    オランダ風説書(おらんだふうせつがき、阿蘭陀風説書)は、日本が鎖国政策をとっていた時期に江戸幕府がオランダ商館長に提出させた、海外事情に関する情報書類である。

    貿易ができると言っても極めて限定された貿易であった。貿易地は、長崎に埋立地として作られた出島である。ここに、オランダ商館が建てられ、両国は取引をした。寛永17年(1640年)、幕府はカトリック国であるポルトガル・スペインの動向を知るため、オランダ船が入港するたびに情報を提供することを要求した。
    情報の提供は翌年寛永18年(1641年)から開始された。これがオランダ風説書である。風説書はオランダ商館長(カピタン)が作り、それを通詞が日本語に直した。後には、ポルトガル・スペインだけではなく、他のヨーロッパ諸国、インド、清などの情報も記載されていた。以降、これは幕府が鎖国中に海外事情を知る上で非常に重要な役割を果たしていく。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ風説書


    43:日本@名無史さん: 2014/03/28(金) 07:30:06.15ID:.net
    >>42
    それって危なくね?
    オランダの胸三寸でどうとでも捏造できそう



    46:日本@名無史さん: 2014/03/28(金) 09:35:27.22ID:.net
    >>43
    実際そうだよ
    ベニョフスキー事件なんかその典型

    手紙事件

    ベニョヴスキーが残した手紙は神聖ローマ帝国陸軍中佐名義で高地ドイツ語で書かれていた。長崎オランダ商館長ダニエル・アーメナウルトが解読を依頼されたが、内容はルス国(ロシア帝国)が松前[要曖昧さ回避]近辺を占拠するためにクリル諸島に要塞を築いているという根も葉もない荒唐無稽な内容であった。

    ベニョヴスキーをオランダ語読みした「ファン・ベンゴロ」は日本で「はんべんごろう」と呼ばれることになり、幕府は書簡の存在を秘匿したものの、工藤平助・林子平らがロシア関連書籍を刊行して世に警鐘を鳴らすきっかけとなった。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/手紙事件


    49:日本@名無史さん: 2014/03/28(金) 21:42:46.19ID:.net
    >>43
    フランス革命でオランダが無くなった事は幕府も知らなかった。



    50:日本@名無史さん: 2014/03/28(金) 21:50:14.45ID:.net
    >>49
    そりゃ本国がなくなっても遠隔地の末端部所が急に変わる訳じゃないからな


    ここで流れを読まず、鎖国で国内経済を成熟させてなければあっという間に植民地化されていたと言ってみる



    65:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 20:09:54.67ID:.net
    >>49-50
    本丸幕府は分かんないが
    長崎の役人連中は知っていて
    知らんふりしていたらしい。
    現状維持が最優先だったから、
    アメリカ船をオランダ船ということにして貿易実績を取り繕っていた。

    オランダがフランスに占領されてしまったため、数隻のアメリカ船がオランダ国旗を掲げて出島での貿易を行う。1809年(文化6年)までに13回の来航が記録されている。
    Nagasaki_bay_siebold

    https://ja.wikipedia.org/wiki/出島


    44:日本@名無史さん: 2014/03/28(金) 09:15:02.88ID:.net
    幕府は下々には夷戎蛮荻打ち払いを宣じてたけど本音は外様大名を制しての管理貿易だからな見誤らない様に


    53:日本@名無史さん: 2014/03/29(土) 22:26:02.34ID:.net
    >>44
    ちなみに安政に開国するまで打ち払われた(砲撃された)のは天保年間のモリソン号だけだったりするけどな。

    モリソン号事件(もりそんごうじけん、英: Morrison Incident)とは、1837年(天保8年)、日本人漂流民(音吉ら7人)を乗せたアメリカ合衆国の商船を日本側砲台が砲撃した事件。
    MorrisonShip

    鹿児島湾、浦賀沖に現れたアメリカの商船「モリソン号(Morrison)」に対し薩摩藩及び浦賀奉行は異国船打払令に基づき砲撃を行った(江戸湾で砲撃を命ぜられたのは小田原藩と川越藩)。
    しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流民の音吉・庄蔵・寿三郎ら7人が乗っており、モリソン号はこの日本人漂流民の送還と通商・布教のために来航していた事が1年後に分かり、異国船打払令に対する批判が強まった。

    またモリソン号は非武装であり、当時はイギリス軍艦と勘違いされていた。のちに、『慎機論』を著した渡辺崋山、『戊戌夢物語』を著した高野長英らが幕府の対外政策を批判したため逮捕されるという事件(蛮社の獄)が起こる。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/モリソン号事件


    56:日本@名無史さん: 2014/04/07(月) 05:44:34.29ID:.net
    徳川家の安定、繁栄、存続が全てに優先だからな。あと100年は早く蹴落とされるべきだった。


    60:日本@名無史さん: 2014/05/09(金) 19:30:19.54ID:.net
    どうなんかね?
    鎖国末期に日本の教育水準は飛躍的に上昇してるから
    それを待って開国した、ある意味理想のタイミングかもしれん。
    開国が早すぎても西洋化についていけなくて植民地にされてたかも。



    61:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 14:35:26.90ID:.net
    >>60
    数学は欧米よりかなり進んでたと聞いたな

    今は欧米に合わせてレベル下がったらしいけど



    63:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 19:02:52.13ID:.net
    >>61
    それは流石に言い過ぎだ。だってせいぜい微分積分だよ。

    和算(わさん)は、日本独自に発達した数学である。狭義には大いに発展した江戸時代の関孝和以降のそれを指すが、西洋数学導入以前の数学全体を指すこともある。

    積分を多く用いて円理の問題を巧みに解いた一方、微分の概念は和算ではあまりはっきりと立ち現れてこない。

    これは、和算が「関数」および「グラフ」の概念を欠いていたことが一つの理由であろう。ただ、代数方程式の重解の考察にからんで多項式の微分が関孝和以来扱われている。しかし、関による定義は、f(x+e)をeについて整理したときの一次の項で、接線との関係は全く念頭にない。建部賢弘はこれを多項式関数の極値問題に応用している。彼は、数値的に微小な差分をとった時の主要項と、関の定義による導多項式が一致していることには気がついていたようである。また、久留島義太は極値問題を級数展開の視点で考察し、微分法の一歩手前まで来ている。同じ脈絡で、和田寧はフェルマーの方法、すなわち (f(x + e/2) - f(x - e/2))/e を計算し、e = 0 とする方法を発表している。

    微分が発達しなかった為、和算では微積分の基本定理がなかった。したがって、微分の逆で積分を計算することも、部分積分を利用することもできなかった。複雑な関数の積分は、冪級数展開と級数の和の公式を巧みに用いた。


    62:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 18:19:29.22ID:.net
    先端の数学は数寄者ぐらいで、いわゆるそろばんレベルで良いんだけどな。

    金融工学とかはかなり怪しいし、株式資本の制度作る上でも簿記ルールとか決算の仕組み作り変えたりは必要だったけど基本はそろばん。

    数学とか学問的な部分より、現物を動かすために必要な家内制手工業と卸売、小売、運輸の基本が19世紀初頭に仕上がっていたのは大きい。

    数寄者(すきしゃ、すきもの)は芸道に執心な人物の俗称。「数奇者」と書く場合もある。
    現代では、本業とは別に茶の湯に熱心な人物、特に多くの茶道具を所有する人物として用いられる。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/数寄者


    66:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 20:11:39.49ID:.net
    >>62
    その数寄者の存在がすごい。
    生活に関係なくても高等数学で遊ぶわけで、欧州なら知的エリートの独占だったレベルに庶民が立ち入ってる。
    識字率も欧州より高かったし当時の日本は教育レベルの裾野が広いな。



    67:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 20:34:28.48ID:.net
    >>66
    学問と教育というのは別もんだからね。

    読み書きそろばんの普及は浪人の存在が大きかったのかなと想像してる。
    豊臣氏滅亡~元禄までに改易で浪人が大量に発生。
    生計を立てるために、私塾やら寺子屋みたいなとこで先生になる。
    組頭以上の人達は基本的な読み書きそろばんに加えて土木や本草学的な百科的な知識持っていただろうから、そういうものも広がる起点になっただろうと。

    中世~近代に限らず、知識の伝播や学問の普及はあぶれちゃった人々の存在が大きかったと思う。



    68:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 22:00:14.01ID:.net
    >>66
    >欧州なら知的エリートの独占だったレベルに庶民が立ち入ってる。
    江戸の庶民の植木や盆栽もヨーロッパでは王侯貴族の独占だ。



    69:日本@名無史さん: 2014/05/22(木) 02:15:24.27ID:.net
    >>66
    市井の一部マニアが変態なのは昔も今も日本人の特性なんだろう
    算額の凄い物には「<タグ>才能の無駄遣いw」と書いた千社札が
    貼られていたとかいないとか・・・



    64:日本@名無史さん: 2014/05/21(水) 20:04:11.01ID:.net
    田沼意次あたりから
    開国しちゃった方がいいんじゃね?
    という機運は何度もあったのに
    そのたびに反対派の抵抗で潰されちゃったからなあ。
    島津重豪が元気なうちに開国が実現していたら面白かったかも、とは思う。

    ある歴史学者が、田沼意次が失脚しなければ、日本の開国は60年早くなっていたかもしれないという。
    確かに田沼意次は蝦夷地を調査させたり、俵物という特産物を清国へ積極的に輸出させたりと、江戸期を通じて国際情勢に最も関心を示した政治家であったと思う。


    島津もそれに近いところがあったが、国家という漠然ではあるが意識を持ったのは、やはり田沼意次であろう。江戸の金と大坂の銀という違う通貨を統一しようとしたあたりにその性格が出ている。
    しかし、天明の大飢饉がおこらずに田沼政治が続き、仮に開国していたら、日本は帝国主義の餌食となっていたかもしれない。

    なぜなら、国防意識が稀薄であったからだ。
    フヴォストフ事件と呼ばれるレザノフ一派による襲撃事件で、幕府の沿岸警備隊が叩かれたことは、幕府の軍事力弱体化を示している。
    国防意識が稀薄なまま開国していたらと思うと背筋が凍る思いである。
    田沼意次は有能であったが、あのタイミングでの失脚は、日本という国家を将来的に考えた場合、僥倖であった、私はそう思う。


    http://misakijapanhistory.seesaa.net/article/371086119.html


    71:日本@名無史さん: 2015/07/12(日) 22:25:59.71ID:.net
    江戸時代の最初の連中は
    技術の進歩なんて発想が無かったんだろうなあ



    72:日本@名無史さん: 2015/07/13(月) 15:21:01.80ID:.net
    >>71
    ヨーロッパの方でもまだ発展してないからな
    造船技術においては差が出ていたが、地理的要因によるところも大きいので幕府の責任とは言い切れない。



    78:日本@名無史さん: 2015/08/07(金) 23:55:17.95ID:.net
    >>71
    はあ。
    コペルニクスやガリレオ、ケプラーやパスカルがいましたか、日本にも。



    79:日本@名無史さん: 2015/08/08(土) 13:52:45.14ID:.net
    江戸幕府、本気で鎖国続けるってよ


    80:日本@名無史さん: 2015/08/12(水) 16:15:09.74ID:.net
    幕府は鎖国という言葉は使っていない。
    渡航の禁止、交易は欧州はオランダに限る。
    貿易港は長崎のみとする。
    キリスト教を禁止する。



    81:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 00:00:06.18ID:.net
    そもそも、日本って歴史的に見て日本人の海外渡航を禁止してた時代がほとんどなんだよな
    民間人の海外渡航が自由に可能だったのは中央権力が衰退してて取り締まりどころじゃなかった戦国時代と、1964年に自由な渡航が解禁されて以降の現代くらい

    まさしく陰湿な島国根性だが、ほとんどの時代で日本は鎖国し続けてきた



    82:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 00:13:47.55ID:.net
    桃山時代は中央政権が禁止するまで自由だったのが抜けてる。

    チベットも鎖国してたけど山国根性というのか?



    83:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 00:46:58.29ID:.net
    >>82
    応仁の乱から大阪夏の陣までは全部纏めて広義の戦国時代だろ

    鎖国して民衆が自由に出ていけないようにするって閉鎖的な土壌に基いた陰湿な精神性そのもの



    86:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 07:04:55.11ID:.net
    >>83
    自由に出ていける民衆って国内で食ってけない奴か漂流民?
    行った先で食えるとは限らないしアユタヤ日本人町みたいに滅びちゃった町もあるよ
    商人に対して交易、開拓や調査関係は許可が下りてるのだし

    アヘン戦争まで広東で管理貿易やってた清だって同じだよ



    84:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 01:49:18.83ID:.net
    話の流れとして「中央権力が衰退してて取り締まりどころじゃなかった戦国時代」と
    しっかりした中央権力が渡航を許していた桃山時代は区別するべきだろう。

    >>83
    >鎖国して民衆が自由に出ていけないようにするって閉鎖的な土壌に基いた陰湿な精神性そのもの
    自由に出て行って倭寇として暴れまわるのとどっちがいいんだ?



    89:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 02:28:00.15ID:.net
    >>84
    自由に海外に進出して異民族相手に暴れ回る、素晴らしいじゃないか
    大航海時代のヨーロッパ船団だって各地の原住民の街を荒らし回ったりしてるんだし
    朝鮮半島と中国沿岸に留まらず日本人は東南アジアにまで進出して広く貿易や戦いをしてたし、日本人の負の部分を凝縮した人格の家康が陰湿な保守性丸出しの鎖国をしてなければ倭寇や日本商人によって日本版大航海時代が起こってただろうな

    1600年頃の時点では日本と西欧諸国の軍事力に差は無いし、家康がいなければ日本はフィリピン辺りまで植民地にしていただろう



    85:日本@名無史さん: 2015/08/14(金) 06:56:10.85ID:.net
    江戸幕府が鎖国を国是としたのって、ロシアやイギリスが近海に進出してきて、
    これに文政令(無二念打払令)で対応してた19世紀前半の20年くらいじゃなかろうか
    だから鎖国という政策そのものが存在してない

    異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)とは、江戸幕府が1825年(文政8年)に発した外国船追放令である。

    無二念打払令(むにねんうちはらいれい)、外国船打払令(がいこくせんうちはらいれい)、文政の打払令(ぶんせいのうちはらいれい)とも言う。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/異国船打払令


    91:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 07:27:33.29ID:.net
    ちなみに家康は、鎖国してないな。
    寧ろ貿易奨励派。

    家光の代から、島原の乱の影響を受けて、カトリックの感染を防ぐ為に
    人の移動を大きく制限しなければならなかった。

    でまあ、カトリック国は、旧来のヴァチカンのべったりな国々は
    古い教義や組織体制に縛られて、近代化が遅れて負け組国家になる。

    大航海時代に、世界規模で展開しているカトリック宣教師から国民を遮断するってのも
    やはり必要な面があった。



    92:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 07:38:07.13ID:.net
    リスクと貿易の管理という面では、
    長期政権を目指すなら、徳川でなくとも
    やはり何らかの管理貿易や対外戦争の回避を選ぶだろう。

    そもそも海禁政策自体が、アジア一般の貿易体制だった。

    キリスト教布教や、香辛料ルート開発みたいな、リスクを負ってまで海外展開する
    西洋のような強い動機や理由がない。



    93:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 07:53:47.43ID:.net
    後、確かに鎖国体制化で、日本人は陰湿になったり、保守的になった部分もあるが
    ヴァチカンの肝いりでカトリック化するよりは、遥かにマシだったんじゃないの。

    鎖国下でも、好奇心と知識欲は一層発達したし。

    大航海時代以降のスペインなんて、カトリック教義に拘泥するばかりで、ろくな進歩もなく
    宗教以外の一般学校を認めないから、識字率も異様低い、
    日本などとは比べものにならないカトリックを主軸にした超保守国家だし。



    95:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 14:33:14.40ID:.net
    鎖国ってのは庶民が行き来できない状況を指すんじゃねーの?


    96:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 20:48:01.03ID:yfe+eG9nK.net
    鎖国という言葉自体が、当時は一般的に使われてなかった。
    その後、この言葉が使われるようになって、何か日本の特殊事情みたいに捉えられるようになった。

    庶民の行き来や、密貿易、海賊を取り締まって、統治や管理貿易をする海禁策は、アジアでは一般的だった。別に、日本固有の話しではない。

    まあ、倭寇がブイブイ言わせても、犯罪者が現地の人達に迷惑かけるだけだからなあ…。
    イスラム商人や華僑も、世界展開したけど、さほど近代化には影響しなかったし。
    当時、庶民が海出ても、大勢に影響ないんじゃない。



    97:日本@名無史さん: 2015/08/16(日) 20:59:44.53ID:yfe+eG9nK.net
    まあ、開国して近代に備えるなら、江戸中期以降からかなあ。

    江戸初期だと、輸出するモノがないから、金銀が流出するだけ。
    後はカトリック宣教師が、古いキリスト教体制を植え付けるのに必死で、ウジャウジャ湧いてる。

    江戸時代初期に、大規模な海外展開と、広大な植民地獲得なんてヘタに成功しても、スペインみたくコスト過多で自滅するだけ。

    国内産業を発達させて、必要な分だけ勢力圏を築いて、効率よく儲ける。
    だだっぴろく展開しても、実を結ぶとは限らんのじゃない。



    107:日本@名無史さん: 2015/08/17(月) 07:43:00.87ID:n7jMFe756.net
    大航海時代=西洋の豊かな成功…なんて、日本人の鎖国コンプレックスが生み出した幻想でしかない。
    実際は、スペインは何度も破産宣告してるし、イギリスも貿易赤字がたまってアヘンを売らなきゃいけない始末。
    宗教戦争や対外戦争で、どこも大量の死者と財政破綻寸前の憂き目をあいながらやりあってる。

    フェリペ2世は、1556年の即位と同時に膨大な借金も受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣告(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)をせざるを得なかった。
    在位中にこれを含め、4回のバンカロータを行っており、フェリペ2世の時代の厳しい国庫事情が伺える。しかしイタリア戦争においては1559年、カトー・カンブレジ条約でフランスのイタリアに対する要求を放棄させた。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/フェリペ2世_(スペイン王)


    184:日本@名無史さん: 2015/08/22(土) 03:53:51.09ID:.net
    むしろ、京都の朝廷が鎖国を続けたがってた
    幕府は現実的に安政五ヶ国条約などを締結してる



    185:日本@名無史さん: 2015/08/22(土) 04:30:00.73ID:.net
    江戸幕府は17世紀にも明清交代や鄭氏政権の滅亡、18世紀前半にはベーリング探検隊分隊の漂着に遭遇してるが、
    その対応を見るとかなり現実主義的な性格を持った政権。鎖国を国是として掲げてたわけでもない。



    188:日本@名無史さん: 2015/08/22(土) 05:41:20.08ID:.net
    本能寺の変がなくて信長が天下を統一していたら
    日本は300年早く近代化していただけでなく
    産業革命発祥国になっていたと唱える学者がいるそうだ



    108:日本@名無史さん: 2015/08/17(月) 07:53:57.68ID:n7jMFe756.net
    むやみやたらに海外展開するより、国内のインフラや教育を充実させながら、適当な分だけきちんと勢力圏を確保するのが正解じゃない。
    どのみち、民族自立の時代が来れば、大体が元の木阿弥と化すし。
    色んな民族を抱え込んだスペインなんかが、内乱と独立戦争に悩まされたみたく。





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      コメント

      1.気になる名無しさん2015年09月08日 05:24  ▽このコメントに返信

      今、鎖国って言わないんじゃないの?

      2.気になる名無しさん2015年09月08日 05:35  ▽このコメントに返信

      普通に言うけど?
      小中学校やらの教科書も「鎖国」って教えてる

      3.気になる名無しさん2015年09月08日 05:55  ▽このコメントに返信

      今でもそう思ってる奴多いぞ

      4.気になる名無しさん2015年09月08日 06:14  ▽このコメントに返信

      ニートだって引き篭もってれば何とかなると思ってるじゃん
      それと同じ

      5.気になる名無しさん2015年09月08日 07:17  ▽このコメントに返信

      ペリー丸「カイコグ~ カイコグ~」

      6.気になる名無しさん2015年09月08日 07:21  ▽このコメントに返信

      >>56
      >徳川家の安定、繁栄、存続が全てに優先だからな。あと100年は早く蹴落とされるべきだった。

      司馬遼に影響されて必ずこれを言い出す奴がいるが幕府は中期頃から「公」的な機関に変貌していってるんだぜ

      7.気になる名無しさん2015年09月08日 07:46  ▽このコメントに返信

      すげえ面白かった

      8.気になる名無しさん2015年09月08日 07:51  ▽このコメントに返信

      本を読もう

      9.気になる名無しさん2015年09月08日 08:14  ▽このコメントに返信

      今のほうが酷いよ。
      防衛は日米安保でアメリカ人に
      守ってもらって
      資源は中東依存

      そのくせ、自衛隊は海外行くな。
      日本が平和なら問題ない。
      内向きなのは変わらんよ。

      10.気になる名無しさん2015年09月08日 08:49  ▽このコメントに返信

      小学生の時の先生が「鎖国という北朝鮮みたいにバカなことしてましたーww」的な言い方をしていて違和感があった
      先生なのに時代も情勢も違うのが分からなかったのかなと

      11.気になる名無しさん2015年09月08日 08:52  ▽このコメントに返信

      資本主義の害悪から守るために必要だった

      12.気になる名無しさん2015年09月08日 09:11  ▽このコメントに返信

      信長が死ななかったらのIFは気になるな

      13.気になる学校仮面さん2015年09月08日 09:18  ▽このコメントに返信

      >>96
      「イスラム商人も華僑も、世界展開したけど、さほど近代化には影響しなかったし」

      ただこの場合、背後に宗教的な影響が潜んでる事を考慮しなければ意味ないのでは?

      実際、未だ(主に中近東地域を始めとする)イスラム教圏に於いて近代化が遅れてるのも「政治的理念より宗教的理念」を「是」としてる以上、人々の心情までに宗教上の概念が支配するのも無理はないし。(地域によっては女性の識字率が著しく低いケースも多いって訳で)

      14.気になる名無しさん2015年09月08日 10:13  ▽このコメントに返信

      ※12
      キリスト教に関しては無頓着と言うか逆に割りと好意的だったからな
      (本願寺に対するカウンターパートとしてだが)
      秀吉や家康がやってたキリシタン弾圧はおそらく無かっただろう
      ただ、ある種信長1人のカリスマで持ってた部分があるだろうから
      亡くなったらまた戦国に逆戻りと言う可能性もありそうだが

      15.気になる名無しさん2015年09月08日 11:33  ▽このコメントに返信

      信長「坊主なら、なにやってもいいのか!!→焼き討ち」
      if信長「南蛮僧侶なら、なにやってもいいのか!!→焼き討ち」

      たぶん変わらん

      16.気になる名無しさん2015年09月08日 12:20  ▽このコメントに返信

      上だと思うやつに媚びへつらい、しただと思われるやつには貶し倒すことかね。情けないこの上ないのよ

      17.気になる名無しさん2015年09月08日 13:02  ▽このコメントに返信

      室町時代には刀や屏風などの工芸品は人気だったから、輸出する物がないというのは嘘だな。
      最大の目的はキリシタンの排除と、幕府だけが海外の情報を把握する事と儲ける事だったんだよ。

      18.気になる名無しさん2015年09月08日 13:12  ▽このコメントに返信

      >海外情勢を把握した上での鎖国だからOK

      なお黒船

      19.気になる名無しさん2015年09月08日 13:19  ▽このコメントに返信

      クソヨーロッパ人がウゼェから管理するようになったんだろ
      アメリカ大陸の人間を殺して虐げる野蛮人種
      しかしその野蛮さが発展の要因でもあったわけだよな
      先に日本人がアメリカに着いたとしても
      ヨーロッパ人ほどの悪逆非道を遂行できるとは思えん

      20.気になる名無しさん2015年09月08日 14:11  ▽このコメントに返信

      信長のやり方だと遅かれ早かれ寝首をかかれることになっていただろう

      21.気になる名無しさん2015年09月08日 15:03  ▽このコメントに返信

      お前らのことだよ

      22.気になる名無しさん2015年09月08日 15:33  ▽このコメントに返信

      今の日本の文化や気質を作り発展熟成させた時代だったと思っているので
      良かったと思う
      日本大好きだし
      ずっと開国してたら他のアジアみたいに搾取されまくってたかもしれないし
      どういう文化が熟成されたのかと思うと怖い気がするわ

      23.気になる名無しさん2015年09月08日 15:37  ▽このコメントに返信

      ※11
      帝国主義な

      24.気になる名無しさん2015年09月08日 17:43  ▽このコメントに返信

      そもそも徳川がアホみたいな政策とって無かったら、もう少しキチンと城郭残ってた場所が多かったかも知れない
      最もメリケンに空爆されてただろうけど・・・

      25.気になる名無しさん2015年09月08日 19:22  ▽このコメントに返信

      グラバー黒幕説すき

      26.気になる名無しさん2015年09月08日 19:55  ▽このコメントに返信

      ヨーロッパからみたら独自文化で面白いく見えたんだろうな

      27.気になる名無しさん2015年09月08日 20:25  ▽このコメントに返信

      江戸幕府がやっていたのは、特定の国としか交易しかしない限定外交なんだけどな
      国際情勢も来日外国人経由でそれなりに入っていたし
      外国人に国内での居留や移動の自由を認めない、現代の国だと北朝鮮へ外国人が観光に行く時の制限みたいなもの

      28.気になる名無しさん2015年09月08日 20:43  ▽このコメントに返信

      幕府無能・維新政府有能感はただのプロパガンダやろ
      長州藩とかいうテロリスト集団
      こいつらのやらかしでどんだけ日本が不利益を被ったことか

      29.気になる名無しさん2015年10月23日 18:15  ▽このコメントに返信

      学校では教えないが、鎖国というのは日本人を外国で奴隷として使う為にさらっていったりするのを防止するために
      やってたって聞いたよ
      日本人を守る為の政策だった訳よね
      今も鎖国してれば在日がいなくて良かったのにね~

      30.気になる名無しさん2015年10月23日 18:17  ▽このコメントに返信

      ※10
      どうしようもない社会経験もない人間が先生になりやすい世の中だからな。
      社会人になって深みを得てから先生になろうと思ってなれる世の中にしないとな。

      31.気になる名無しさん2015年10月25日 09:20  ▽このコメントに返信

      幕臣でも岩瀬忠震は積極開国推進派。
      それどころか徳川家よりも日本国の方が大事だとも述べている。
      岩瀬はあまり知られていないけど、幕末最高のステーツマンだよ。

      32.気になる名無しさん2015年11月07日 07:44  ▽このコメントに返信

      江戸時代に微積分が確立されてたら経済学も発達して財閥解体はできなくなってたな

      33.気になる名無しさん2016年01月20日 17:50  ▽このコメントに返信

      平賀源内が西洋の物品を丸パクリして自分の発明品みたいな顔して発表して金儲けできたのも鎖国のおかげ

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