こんな時間だし仏教について語ろうぜ
- 2015/9/23 06:01
- カテゴリ:雑学 その他 ,
なぁ
仏教(ぶっきょう、正字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、英語:Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つ(信仰のある国の数を基準にした場合[1])で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏教
2:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 03:43:04.445ID:sVCLxzRb0.net
仏教について知りたい奴いる?
自分の知識ひけらかしたいんだけど
宗教なんて人をコントロールする為にあるだけの道具だ
意味はない(´・_・`)
>>5
お前見たいのを待ってた
なんでインドはヒンズー教なの
ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう、ヒンディー語: हिन्दू धर्म、サンスクリット語: सनातन धर्म)、慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指す。西欧で作られた用語である[1]。
英語のHinduは、まずイスラーム教徒との対比において用いられるのが今日一般的で、イスラーム教徒以外で小宗派[2]を除いた、インドで5億人を超えるような多数派であるインド的な複数の有神教宗派の教徒の総称である[1]。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である[3][4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンドゥー教
12:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 03:49:09.621ID:sVCLxzRb0.net
>>6
1、元々バラモン教がある
2、そのアンチテーゼとして仏教が誕生
3、けどバラモン教の復古運動みたいので名前を変えてヒンドゥー教が中興
4、そのままヒンドゥー教が支配的になる
5、おまけにイスラム教徒がやってきて仏教徒を虐殺して止めを刺す
6、結果的にインド以外にしか仏教が残らなかった
仏教は難解すぎてより分かりやすいヒンズーやバラモンに駆逐されたようだ
>>6
>>10もある
仏教は元々上流階級の人間が暇を持て余して考えたもんだから複雑過ぎる
現代の庶民だってこんなの網羅する時間的余裕はない
仏教なんて、もともとは
「生きるのはつらいですね。死にましょう」
「病気が治らない?死にましょう」
「きれいな服を着たいですか?死ねば必要ありません」
ていう、デスメタル丸出しな宗教だぞ。
全員スキンヘッドだし。
これ
>>13
デフォルメ化し過ぎだけど傾向としてはそこまで間違っていない
「死ね」という自発的な行動は促してないけど「死ねば終わりじゃんw」みたいなスタンスは諸行無常に近いかも
>>16
つまり死ぬことで救われるってこと?
>>69
死ねば救われるというか、救われようが苦しもうが最終的にみんな死ぬって考え方
人間に限らず海も星も何もかもが寿命を抱えているよね
だからそこには絶対性が無いんだから、そういう目に見える物質に依存した思想や人生観を持つのは止めたほうが良いという考え
>>74
輪廻転生があるから死んでも生まれ変わってこの世に戻ってくる
つまり死んでも本当の意味では苦しみから逃れられないから
解脱し輪廻転生の輪から外れよう
>>83
よく勘違いされるけど輪廻転生は仏教の思想じゃないよ
輪廻転生はバラモン教の思想で仏教はそれに対して曖昧な態度を取っている
ある部分では輪廻転生は否定しているしある部分ではそれを前提としているような話
「輪廻転生があっても無くても変わらないよね」って結論だと解釈してる
弥勒は何ですぐに救いに来てくれないの?
何十億年も先に現れても人類も太陽系も無くなってるよ
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/弥勒菩薩
仏教は、
まず一切皆苦という前提から、縁起理論、そこから苦の因の根絶だと考えれば良い
まず「人生はクソゲーだわ」っていう前提から始める
けど、こんな「クソゲーをまともにする方法もあるんじゃね?」というのが仏教のスタート
また、ブッダは縁起ってのを発見する
つまり結果には必ず原因が伴うという事
重要なのは原因は必ず結果に至るというわけじゃないということ
花が咲いたからには必ず種があるわけだが種を植えたからといって必ず花になるわけじゃない
>>20
そんで、ブッダは縁起と一切皆苦を絡めてひらめく
それなら今自分が抱いている苦しみにもそれぞれ原因があるはずだと
それならその原因を一つ一つ潰していけば、苦しみからは解放されるというわけ
だから、ブッダは原因を潰していくんだけどそれだとキリが無い
そこで考える
それならこれだけ苦しみの原因が氾濫してしまった根源的な原因、つまり諸悪の根源があるはずだと
それを考えて結論付けたのが「煩悩」というわけ
つまり、煩悩は万苦の母であって、この煩悩を吹き消せば同時に苦しみも消え去ると考えた
これに付随する理屈や予備知識をまとめて仏教と言う
>>22
でもさ、それって死だし、人間の進化の否定だよね?
成長の否定てもあるし
>>37
毒矢の例えという有名な話がある
ブッダの弟子が宇宙とは何かとか魂とは何かとか形而上学的な事をブッダに質問し続けた
しかしブッダはこれに不可知論的な立場を取り続けた
これに対し抗議した弟子にブッダは言った。
「毒矢に射られた人間がいるとする。それならまず弓を抜き傷を癒すのがそいつのすべき事だ。しかし、毒矢に打たれたまま、それを抜こうともせず、この毒矢は誰が射たのかとか、材質はなんだとか思惟し続けたまま死ぬのは滑稽だ」と。
要するに人生は苦しいからそれの解決手段を提示したまでで、もし苦しみから解放されれば、善行や哲学をしてよい事を示唆している
>>44
よく分からない。
その苦しみからと解放てのは正に死ぬことだし、解体だと思うの
>>53
お前はそう思うかも知れないけどブッダは煩悩を捨てれば死ぬまでもなくそれで十分だと考えただけ
要するに原因と結果の法則がまずあって、
悪因→悪果
善因→善果
になる。
ブッダはまず、この悪果(苦しみ)を全部取り除きたいと考えた。
だから、悪因を全部取り除くこと、また、一個一個潰すのは面倒だから煩悩という悪因の根源的な原因を潰せば全部の悪果が消えるとした。
その後、そういう状況を維持できるようになったらそこから善因を作りまくるのは自由。
というか善因を作るのをやめろなんて言ってなくて、素人が余裕のない状態で善因を作ろうとしても、結局は失敗して悪因を産むだけだからまず悪因を消すところからやれと優先順位を付けただけ
>>61
あなたの説明凄く分かりやすくていい。
煩悩を捨てるという考えが煩悩だと思うがそこはどう?
煩悩を受け入れることが煩悩を捨てることだと思うの
>>64
似た考えで言えば「執着するな」みたいな教えがある
諸行無常に端を発して、この世のものは常に形を変えているから、それに対し絶対性を求めるのはおかしいという考え方
例えば金に執着するのだって、金は人間が滅べば無くなるものなのだから執着に値しない
逆に「金は無価値である」という強い思想を持つのもおかしくて、逆にこれも依存していると考える
煩悩を捨てるというのもあくまで手段であってこれに目的意識を持っちゃいけない
有名なのが仏教の教義は彼岸(苦しみからの解放)に渡るための船であって、渡り終わったら捨てて良いという考え方
>>70
無学なんで聞きたいことが纏めれない(笑)
VIPなんてほぼ来ないのに偶々来て凄い良かったw
凄い参考になった。ありがとう!!
大乗仏教って語感いいよな
具体的にどんなんなのかは知らんけど
>>21
ブッダ「苦しみから解放される方法見つけたで!」
小乗仏教「実践するで」
大乗仏教「実践するだけじゃなく庶民も助けてやるやで」
こんな感じ
ただ重要なのが、大乗仏教徒は庶民を助ける事で修行や自分の問題から逃げているのではないかという批判
>>23
なるほど
ざっくり言えば良い事したからって宿題消える訳じゃねーぞカスって感じか
>>24
分かりやすい例えやん
もっと正確に言うと大乗仏教は自分らが宿題をこなした事にしたいから「漢字ドリルをやってこい」って宿題に対し、「ゴミ拾いは漢字ドリルだ」みたいな事を主張した
けど論理的に明らかにおかしいからそこを突かれて批判される
けど庶民からの人気はあるから繁栄した
>>30
横着ワロタwwwww
小乗仏教は流行らんかったの?
>>33
大乗仏教は中国や朝鮮や日本に、小乗仏教は東南アジアで布教された
タイなんかは有名だよね小乗仏教
>>36
ググったら95割は小乗仏教なのかタイすげぇな
つか上座部仏教を貶す呼び方なんだな小乗仏教って
さっきまで大小で対になった何かだと思ってたわ
>>49
せやで
ワイはどっちでも良いと思ってるけど
上座部仏教だとまたちょっと意味が変わるし正確に言いたい場合は初期仏教とか原始仏教とか言う事にしてる
>>30
でもさ。自分と他人の境界線てないと思うの。
あっ自分は否定している訳ではないよ。もっと理解したい
>>60
その理屈がまさに大乗仏教
つまり集合意識みたいな概念があって、他人を助ける事と自分を助ける事は同義だという考え方
>>60
あと諸法無我や非我は初期仏教でも説かれている
諸法無我は、人間も何もかも縁起によって(因果応報的なに)動いてるだけで、現代風に言えば自由意志なんて無いという考え方
単なる「無我」はそもそも自分なんていう概念自体が虚妄という考え方
正確に言えば「アートマンは無い」という考え方
ここらへんは元々存在しているバラモン教という思想もしくは宗教の概念が元になっている(ここでは省略するけど)
一方で非我は「自分ではない」と指摘すること
例えば巨人が負けて悲しむのはおかしい
だって巨人は自分じゃないのだから
逆に巨人が勝って喜ぶのもおかしい
また、最終的には自分の肉体も非我であるとする
>>62
と言うより自分から見て自分の体と他人の体は距離の違いだと考える。
>>60
悟りを開くには、肉体を捨て、自我を捨て、他者との境界を捨てないとダメだと言われてる
>>73
無我(そもそも自我なんて最初から無くて自我があって欲しいという煩悩が自我という虚妄を作り出している)か、非我(我思う故に我ありの部分の自我だけが存在していてそれ以外は全部自分ではないから切り離して考えるべき)かは意見が分かれてるよね
仏教すき
でも梵我一如の考えもすき
梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。
ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/梵我一如
27:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 04:05:37.018ID:pmRS8C8Ip.net
心が弱った人間に擦り寄りやがって
>>27
>>20-22の俺の説明に対して具体的にどこが間違ってるのか説明してごらん
正直、宗教即悪という常識に縛られている典型的現代日本人が宗教バカにする資格ないよねw
>>32
もうその言葉が出る時点で宗教は嫌い
>>35
宗教て見るより学問とか社会学、心理学、哲学とかで見たらどうか
宗教ったって道端に落ちてる棒きれみたいなもんで
それを杖にするも無視して進むも割と自由なんじゃないかね
カルトは棒きれを押し売りしてくる糞だから論外
>>41
棒きれに意味を持たせるのが人間
坊主は結婚しちゃいけないみたいだけど
なんで今の坊主は結婚できるの?
>>45
「教義に固執してんじゃねぇ!時代に合わせて適応しろよ!」みたいな現代でもよくある機運が鎌倉時代から室町時代くらいにかけて存在してそのまま妻帯が定着した
>>48
どうも
この質問するとその人の仏教理解度がよくわかる
>>45
親鸞さんの影響
親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 [注釈 3])は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる[注釈 4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/親鸞
浄土真宗(じょうどしんしゅう、Shin-Buddhism, Pure Land Buddhism)は、日本の仏教の宗旨のひとつである。
他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある(明治まで、表立って妻帯の許される仏教宗派は真宗のみであった)。そもそもは、「一般の僧侶という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や、世間内で生活する仏教徒(在家)としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である」と、師法然から継承した親鸞が、それを実践し僧として初めて公式に妻帯し子をもうけたことに由来する。
真宗は、ただ如来の働きにまかせて、全ての人は往生することが出来るとする教えから、多くの宗教儀式や習俗にとらわれず、報恩謝徳の念仏と聞法を大事にする。加持祈祷を行わないのも大きな特徴である[9]。また合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であったことから、近世には庶民に広く受け入れられたが、他の宗派からはかえって反発を買い、「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと揶揄される事もあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/浄土真宗
法然と親鸞どっちがえらいと思う?
法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
一般に、法然は善導の『観経疏』によって称名念仏による専修念仏を説いたとされている。ここでは顕密の修行のすべてを難行・雑行としてしりぞけ念仏を唱える易行のみが正行とされた [7][注釈 8]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/法然
77:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 04:39:11.455ID:HMPmtkShK.net
>>71
法然、親鸞、日蓮が仏教をねじ曲げて日本に広めた犯人
日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日 - 弘安5年(1282年)10月13日)[注釈 1]は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教の十三宗のひとつ日蓮宗 (法華宗) の宗祖。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日蓮
日蓮は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え(唱題行)、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る、という教えを説き、法華宗各派の祖となった。それまでも祈祷や懺悔滅罪のために法華経の読誦や写経は盛んに行われていたが、日蓮教学の法華宗は、この経の題目(題名)の「妙法蓮華経」(鳩摩羅什漢訳本の正式名)の五字を重んじ、南無妙法蓮華経(五字七字の題目)と唱えることを正行(しょうぎょう)とした所に特色がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/法華経
81:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 04:41:06.666ID:iPYptGeBK.net
>>77
それは違うかと思う…
>>81
日本に仏教を伝えた最澄が天台宗を開く
天台宗を学んだ法然と日蓮が、天台宗の教えに心酔できず
“独自の考えや思い”を反映させて浄土宗と日蓮宗を開く
浄土宗を学んだ親鸞が(ry
これがねぇ
本来の目的からそれ始めた原因
親に守られて仏壇も神棚もない核家族で孤立して育ってるお前らが
共同体ありきの宗教を理解できるわけもない
免疫ないから今は大口叩いても
大きくなってから道に迷ってパニクってカルトにハマるだけ
>>46
仏教はブッダが家族を捨てるところから始まるんですがそれは
その後も出家こそが本来あるべき形だし
そもそも仏教って宗教じゃないんじゃね?
ぶっちゃけブッダってカウンセラーみたいなもんだろ
仏教用語だって本来、宗教的世界観ちゅーより、
当時基準の精神医学用語みたいなもんだと思うんだがな
ほらターヘルアナトミアの前の古い医学書みたいなもんよ
>>59
ユダヤ教にカバラって哲学や精神学の原本みたいなのがあってた
仏教の思想はそこから来てる
>>75
それ本当?どちらも密教であり宗教というより哲学に近い物と言われるけど教義的にはかなり違うように思うんだけど
>>86
仏教とユダヤ教の教義は開祖が違うから違う
でも元にしてる死後の世界観や輪廻転生の仕組みの思想は同じ
ユダヤ教は死んで肉体を捨て、自我を捨て、他者との境界を捨て去った処に辿り着こう
仏教はそこに辿り着いて、輪廻転生で現世に戻らず、そこに留まり続けよう
って考え
>>104
これトンデモ理論みたいに見えるけどあながち間違ってもいないんだよな
ユダヤ教にせよ仏教にせよアーリア人の宗教だから民族神話やアーリア人の共通認識を土壌として発展した可能性は十分にあり得る
自分の心は自分で救うしかないんだって思った
>>84
自灯明、法灯明 だね。
<自灯明・法灯明>は、仏陀が入滅される前に弟子に示された最後の教えのようです。自灯明・法灯明の教えに関して、私が一般的な仏教の書物を読んで理解したその意味は、「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」ということであろうと思っています。灯明に当たる原語は、島(洲)を意味するとの解釈もあるらしいのですが、いずれにしても、<自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ>という大意は変わらないようです。この教えは、仏陀の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのか、と嘆く弟子のアーナンダに対して、仏陀が仏弟子に諭した最後の説教と言われています。
www.geocities.jp/chandi1813/ess20jitoumyou.html
87:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 04:44:31.291ID:vkS8JxZs0.net
解脱ってなに?
>>87
多くの苦しみ←多くの悪因←根源的な原因(煩悩)
この煩悩を捨てる事
>>90
解脱した先ってなにがあるの?
>>94
苦しみから解放される
以上
おそらく神秘性のある答えを引き出したいんだろうが、それについては初期仏教の段階で「涅槃に達したところで何か凄い事が起こるわけじゃない」と断言している
そもそも俺の教え文章とかに残すなよ、みたいに言い残して
死んでから初めてまともに伝聞がまとめあげられたのが
死後400年は経ってからなのに、当時のシッダールタの
人物像や何を信じていたかなんて推測の推測でしかない
社会学として宗教を見ると違う視点でも宗教を見えると思う
仏教の本当に面白いとこは宗教じゃなくて哲学なんだけどな
竜樹とか最高
龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन 、Nāgārjuna、テルグ文字: నాగార్జున, チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、シンハラ語: නාගර්පුන කොණ්ඩේ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/龍樹
仏教哲学(ぶっきょうてつがく)。仏教は、インドで紀元前6世紀に釈迦が創始した宗教であり、ひとつの学問体系であるといえる。しかし、釈迦の説いたのは、それまでのインドの思索や体系、また価値観と不可分である。
紀元前後までの初期の教団の中でもっとも注目されたのが、存在についてであった。釈迦亡き後の比丘たちは、自らと自らを取り巻く存在について、存在現象を正しく認識する方法論としての瞑想とともに、分析的に考えたのである。これは阿毘達磨(アビダルマ)と呼ばれ、大部の研究書が輩出された。後に大乗仏教に転向する世親の倶舎論はその集大成である。
このように存在現象についての考察が進む中で、紀元1世紀、中観派と呼ばれるグループに龍樹という先覚者が出て、縁起であるからすべての存在は自らが独立して存在することはできないので、無自性であると言う。さらに、このような状態を空と呼んで、人間が存在を知覚するということは、仮に存在が関係性の上で成立しているからであると言うのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏教哲学
111:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 04:55:45.394ID:sKkG9xEG0.net
どの宗教でもそうだけど最初は偉大な聖人がいて、その人が教えていたことを後世の人が大衆に理解しやすいように捻じ曲げてどんどん宗教味を帯びていくのがね
空海の口に明けの明星が飛び込んだ奇跡とかは仏教的にどういう現象なの
空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日 (旧暦)(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。
室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたと記されている。このとき空海は悟りを開いたといわれ、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/空海
124:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2015/09/17(木) 05:03:23.436ID:5APaUqYXK.net
>>113
もう仏教はシッダールタさん一人のもんじゃないからな
どこの仏教を基準にするかでなんとでも解釈できるんじゃね
ただシッダールタさんなら「ふーんいい事あるといいね」みたいに話題にのりつつ
割と冷ややかに見てそうな気がするけどね
人社会の中で人として生きるんなら
他人に迷惑かけないようにすりゃ十分だ
苦しみから解放されるとかイメージ出来なくてよくわからん
考えてて不安にならないの?
>>119
要は人の悩みの原因を辿ると必ず執着(例えばこうなって欲しいという願望など)があって、それが思い通りにならない時に悩む
じゃあ心の持ちようを変えて嫌な事も何もかも受け止められるようになれば悩む事なんてなくなるよねって言うこと
俺そこまで仏教に詳しくないから間違っていたら誰か訂正して
>>119
解脱すると苦しみから解放されるというより、苦しみのない毎日の事を解脱しているというだけ
>>119
というより、そこで余計なこと考えること自体が苦しみの源だから
とにかく目先の事を大事にして今を誠実に生きてるのが
結局一番いいんだぜ、ってのがシッダールタ的な感覚だな
>>126-129
ありがとう
ふわっとではあるが解脱についてわかったわ
>>140
もし興味あったらぜひ自分でも調べてみてほしい
一緒に学んでいこうぜ
死ぬのは怖いし生きてると辛いことはいっぱいあるし世の中分からないことだらけで
そんなところから哲学が生まれ文明社会のなかで宗教に変化してゆく
苦しみがあるから喜びがある、みたいには考えられんのか?
あと、苦しみから逃げずに闘えよ!みたいな
>>123
前者については確かにそれも一理あると思う
けど重要なのはまず苦しみを制御可能状態にまで落とし込む事であって苦しみによって思考が支配されている状態ではいけない
またそもそもそれが喜びのスパイスになるなら、それはもう苦しみではなく善果と定義しても良いと思う
後者については意味が分からん
まず逃げるとか立ち向かうの解釈が分からん
別に逃げてるわけじゃないと思うし、立ち向かうってのはなんというか実態は無いが威勢の良いフレーズに心酔してるだけだと思う
違うなら具体的にどういう事か知りたい
>>123
亀レスだけどそういう喜びは一時的なものですぐに消え去ってしまうものだし喜びに固執すると結局悩みからは抜け出せなくなるような
仏教的の価値観って現代で良しとされてるものとは真逆だから理解しようと思っても難しい部分があるよな
また仏教の本とか読んでみようかしら
3Pしたくて「デリ男」を呼んだアベックww 知人女がサービスを受けているのを見てるうちに大激怒
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小学生の6割 和式トイレの使い方わからず ウンチを我慢してることが判明
昭和生まれと平成生まれの間で認識の差が激しいもの
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コメント
2.気になる名無しさん2015年09月23日 06:51 ▽このコメントに返信
>105
社会学として宗教を見ると違う視点でも宗教を見えると思う
これ。当時の価値観や文化が見れて面白い
3.気になる名無しさん2015年09月23日 07:11 ▽このコメントに返信
宗教の建物ってすごい立派だから
信者の人は養分になってるんだろうなあ~っていつも思う
4.気になる名無しさん2015年09月23日 07:14 ▽このコメントに返信
この>>1
あまり原始仏教はわかってないな
ガッカリした
5.気になる名無しさん2015年09月23日 07:16 ▽このコメントに返信
アフ.ィブログは不正確な言明や単なる罵倒が多く
間違いを指摘しても同じ内容で別サイトが拡散する。
結局、印象操作をしようとする勢力に有利に働く。
それだけでも反知性主義といわれても仕方なかろう。
6.気になる名無しさん2015年09月23日 07:31 ▽このコメントに返信
原始仏教というのは19世紀以降の学者がキリスト教的な
自分の価値観をまじえながら推測して構成したものが起源だから、
やはり「解釈」が入っている。取り扱いには気をつけた方がいい。
仏教の教義は重層的なので、少なくとも小乗(有部、上座部)、唯識系、中観系にわけて
論じないと、矛盾だらけのように感じられる。
実際には学派間の論争を通じて、相手の学説も全否定しないが、
自説より一段低く位置づけるというような融和的なことが行われてきた。
狭義を詳しく知りたいなら、難解ではあるが、小乗ならば南伝の『清浄道論』や
北伝の『倶舎論』などの古典に直接あたるか、その翻訳や解説書を読むのがよい。
大乗なら『中論』は哲学面としては一つの完成した解釈を示しているし、
『唯識三十頌』も段階的な実践論を含む重要な古典である。
7.気になる名無しさん2015年09月23日 07:32 ▽このコメントに返信
米6 訂正
狭義 → 教義
8.気になる名無しさん2015年09月23日 07:35 ▽このコメントに返信
突き詰めると大乗仏教は邪道というか、なんちゃって宗教だな。
上座部のみが本物の宗教といえる。日本もたいがいだが、チベットだって
マニ車一回回したら経典を読んだことにするってのは大乗らしい横着さの表れ。
普段生活に最も関わりのあるのは色即是空じゃねえかな。
しかし二本には神道的穢れの思想が色濃く残ってるから相反した考えが
個々人の中に両立しているといえる。
古着を買えるか否か、とかね。見知らぬ他人が袖を通した服は洗濯してても嫌って人は多い。
9.気になる名無しさん2015年09月23日 07:38 ▽このコメントに返信
米8
大乗の教理内容も知らない無教養なバカが偉そうなことをいうな
10.気になる名無しさん2015年09月23日 07:39 ▽このコメントに返信
はっきりいって、間違いを正すためにコメントするのは面倒臭い。
わざと対立を煽ったり、誤った説を流布しておいて訂正させて儲けるというような
悪質なブログ商売はやめてもらいたいと切に願う。
11.気になる名無しさん2015年09月23日 07:43 ▽このコメントに返信
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検索からコピペブログを排除するGoogle Chrome アドオン、
「悪質まとめブロッカー」!
ttp://goreddit.blog.shinobi.jp/soft/soft1
ネット検索で情報を集めることがあったのですが、まとめブログばかり出てきて、
つい読んでしまうことがありました。そのたびに胃がキリキリと痛んだものです。
まとめブロッカーを入れて1週間もたたないうちに定期健診に入ったら、
なんと胃潰瘍が全快していました。
まとめブロッカーは無断転.載ブログに奪われそうになった私の命を救ってくれたのです。
N O M O R E A F F I – K A S U !
- for your active human life –
12.気になる名無しさん2015年09月23日 08:17 ▽このコメントに返信
苦しみから解放されるって可能なのかな?
坊主だって食わなけりゃ腹減るし
殴られれば痛いだろう
13.気になる名無しさん2015年09月23日 10:14 ▽このコメントに返信
釈迦の自灯明、法灯明の教えを軽やかにスルーしてるのが親鸞の他力本願の考え方だよね?
浄土教のすべてを阿彌陀佛に帰依するって思想は釈迦の教え(原始仏教)に反さないの??
14.気になる名無しさん2015年09月23日 11:26 ▽このコメントに返信
良いスレだ勉強になる。
ところで、宗教の要件ってなんだろう。
教義の存在?信徒の存在?
いつも思うのは、神道が宗教なのかどうなのかということ。
政教分離の原則が適用されるから、「宗教」なんだろうけど、教義とかあるの?それが日本神話なの?天皇はキリスト教世界におけるローマ法皇的立場?
普段信徒として神社に行くのではなくて、「困ったときの神頼み!」程度の軽い感覚でお参りするので、どうも神社と教会を同視出来ない・・・
15.気になる名無しさん2015年09月23日 13:43 ▽このコメントに返信
>14
社会学的には、まとまった「教義・教典」の存在によって「信仰」と「宗教」を分けてるから
神道=信仰
仏教、キリスト教、イスラム教=宗教
とされる。
もちろん、神道を基盤として教典を作ることで作られた「新興宗教」は多数あるけど、それはそれ。
なお、天皇は必ずしも神道とはイコールではないよ。そもそも代々の天皇は基本仏教徒だし、各地の寺や神社は神仏習合してたし。明治維新のときに無理矢理そこを分けて神社↑寺↓して、ひどいことになった。そのときの影響で、未だに日本人は混乱してると思う。
16.気になる名無しさん2015年09月23日 16:10 ▽このコメントに返信
実践しないと理解できないようだからな
といってもこの連休なまけちゃったよてへ
17.気になる名無しさん2015年09月23日 16:14 ▽このコメントに返信
※12
腹が減れば食べればいいし、殴られそうなら避けりゃいい
本能に赴く生理や反射を否定してるわけじゃないから
18.気になる名無しさん2015年09月23日 16:19 ▽このコメントに返信
>なお、天皇は必ずしも神道とはイコールではないよ。
は?
19.気になる名無しさん2015年09月23日 16:47 ▽このコメントに返信
※15
なるほどなぁ。
とすると、神道というのは、やはり八百万の神信仰とかアニミズムに近いもので、宗教程明確な存在ではない、ふわふわしたようなものという認識でいいのかな?
あと、これらは宗教の前段階的なものなのだろうか?
20.気になる名無しさん2015年09月23日 17:41 ▽このコメントに返信
大乗的な考え方は宗教的だけど
上座部の考え方は宗教とは一線を画するよな
大乗は全員が正自覚者を目指すという建前で言ってみれば絶対に無理なことを目指している
(というか釈尊の教えがまだ実行されている世界ではそもそもそこを目指す必要もない)
上座部は釈尊のメソッドのとおりにやって解脱を目指すわけだから難しいものの無理というわけでもない
仏教を最初に文章で学ぶのもいいけど禅やもっとわかりやすい上座部のヴィパッサナー瞑想から習うとその良さが分かる
それから釈尊の教えを勉強しても遅くない
瞑想は釈尊の根本の教えである四聖諦八正道の最後に出てくる正念・正定だが最初にこれから入るとよい
21.気になる名無しさん2015年09月23日 17:42 ▽このコメントに返信
宗教は信仰の対象としてではなく、
学問の対象として非常に興味深い。
22.気になる名無しさん2015年09月23日 19:05 ▽このコメントに返信
銭ゲバくそ坊主と関わって仏教が少し嫌いになりました
23.気になる名無しさん2015年09月23日 22:31 ▽このコメントに返信
※17
食うために働いたり、殴られないように説得する知恵をつけたり体鍛えたり
めんどくさいことをしなくちゃならない。
坊主だって生きるのは苦しいんだろ?
なぜそれが無くなるとか気休めを言うんだ?
1.気になる名無しさん2015年09月23日 06:02 ▽このコメントに返信
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