古代中国史面白すぎワロタwwwwwwww
- 2015/11/14 06:01
- カテゴリ:歴史 ,

1:風吹けば名無し@\(^o^)/: 2015/11/12(木) 23:03:34.60ID:zPuN6YAX0.net
国が興っては強い国に淘汰されて滅んでいく
戦も何十万vs何十万とかおかしいだろ
40万vs3000
3000が勝つ模様
>>2
ほとんどが農民歩兵vs精鋭だからね、仕方ないね
>>2
飯もまともに食ってない農民と
精鋭エリート部隊やし
まあ古代はおもしろいかもな
古代はな
>>4
中世あたりもなかなかだが古代の胸熱感はたまらん
こいつらいつも内部が腐敗してるか異民族に侵略されてんな
>>8
国がバラバラ→何処かの国で凄い英雄誕生→天下統一→身内粛清→暫く安泰→異民族の流入or農民反乱→王朝崩壊
延々とこのループやってる気がする。
>>28
歴史は繰り返すからしゃーない
>>28
近代に入ったら入ったでイギリスにアヘン漬けにされる始末
春秋戦国時代を知ってしまったら三国志なんてなんもおもしろくなくなる
春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。この時代の周が東周と称されることから、東周時代(とうしゅうじだい)と称されることもある。
紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前を春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い。この時代を「周の統一時代が終わって分裂状態になり、最後に秦によって再統一された」とする解釈があるが、秦が統一した領域は周が影響力を及ぼした領域よりも広い。他にも南の楚は元々は自ら王号を称える自立した国であった。また東・北についても斉や晋などの国により領域が拡大された。
周辺部だけではなく、内地に関しても大きな変化が起こった。春秋時代の半ば頃まではそれぞれの邑(村落)が国内に点在し、その間の土地は必ずしもその国の領域に入っている訳ではなく、周(もしくは周の諸侯)に服属しない異民族が多数存在していた。しかし時代が下るにつれ、そうした点と線の支配から面の支配へと移行していった。
政治制度においても、それまでの封建制から郡県制へと移行する段階にあり、思想においても諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場し、様々な新しい思想が形作られた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/春秋戦国時代
>>9
複雑すぎてわけがわからんのじゃ
>>13
秦が他の国をボコボコにする時代やで
わかりやすいやろ
>>9
誰か忘れたけど歴史家が
三国時代は二流の人間同士でグダグダやって戦乱が長引いた暗黒時代
とか言ってたな
宮城谷昌光の小説はまあ面白いけど

>>12
楽毅なら読んだぞ

>>12
宮城谷はなんかレポート読んでるみたい。よく勉強したね、って。
小説ならやはり陳舜臣、司馬遼太郎、田中芳樹あたりが普通に面白いし、宮崎市定は小説より面白い。エッセイなら高島俊男が1番。
その割には五胡十六国とか誰も話題にせんやんけ
五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える。
後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したため力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/五胡十六国時代
>>17
漢民族だけの戦いじゃないからね、しかたないね
>>17
似たような名前の人間が多くてややこしいのが原因だな
中国の歴史の試験だけは受けたくない
どの王朝も末期には周りの異民族に服従してて草生える
>>31
宋とかいう中華一生の恥国家
>>38
金で安全保障を買ってたという点においては今の日本に似てるな
慶暦の和約(けいれきのわやく)は、1044年、中国統一王朝の宋(北宋)とチベット系王朝の西夏によって締結された和議。
宋を君、西夏を臣と位置付け、宋は西夏に毎年銀5万両、絹13万匹、茶2万斤を贈ることなどが約された。
この頃の北宋は建国者である趙匡胤(太祖)からの文治主義政策が軍隊の弱体化を招き北方民族の侵入に苦しんでいた。そこで宋はそれらの民族たちに財貨を支払うことで和約し、異民族の侵入を防ぐ方針を採った。 宋の第3代皇帝の真宗は1004年契丹族の遼との戦争を澶淵の盟により多額の財貨を毎年支払うことで終わらせた。 しかしこの多額の財貨も宋の国力からみれば大した額ではなく、この後両国の平和が続き、経済的に大いに繁栄した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/慶暦の和約
>>41
東アジアでナンバーワンの中華王朝があれをやったら終わりやろ
秦の王族が白人だったかもしれないという事実
三星堆文明好きな奴おるか?
紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである[1]。 三星堆遺跡自体は、1929年春、当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年にイギリス人牧師である V. H. Donnithorne によって発見されていた[1]。しかし、長く本格的な発掘はなされず、1980~1年に、初めて四川省文物委員会等により本格的な発掘調査が行われて、大規模の住居跡が発見された。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、本遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/三星堆遺跡
>>39
1回博物館の展覧会見に行ったことがある 目玉が飛び出てる青銅器の文化やろ?

>>60
あの目玉飛び出してるのが炎帝、燭竜に比定されてると聞いて目ん玉飛び出そうなほど驚いた
あの青銅器文化の発見で山海経が空想動物図鑑ではなくて各地の土着信仰をまとめたもんだったと判明した
>>74
今そんな研究進んでるんだ 山海経は水木しげるに漫画で紹介してほしいな
>>83
すまんな
最近の、というか結構昔の本の知識や
西王母とか崑崙山とか扶桑樹とかの伝承の元になった信仰が、三星堆の文明にあって、
それらを象った原型ともいえる青銅器が出土してるらしい
古代ってどこまでが古代だ
古代(こだい、英: Antiquity)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/古代
>>44
隋あたりからもう中世じゃね?
>>44
唐か漢の終わり
東洋史
中国史:秦王朝の成立(紀元前221年)から、後漢王朝の崩壊(220年)あるいは唐朝の崩壊(907年)まで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/古代
王族が万能薬として水銀グビーしてたってマジ?
部下からの毒殺やんけ
古代中国史は畜生偉人のぐう畜エピソードが面白いわ
税金上げまくって百万人も常備軍揃えてたのに金で平和を買う南宋兄貴だいすき
言動不一致で草生える
>>53
北方民族怖いンゴ・・・
日本人が土器つくって遊んでた時代に攻城戦やってたんやろ?
やっぱり古代中国ってすげーわ
唐とかいう悲しい終焉を迎えた国
宦官
唐代は歴代王朝の中でも後漢・明ほどではないが、宦官悪の顕著な時代とされている。唐において最初に権勢を揮った宦官は玄宗時代の高力士である。高力士は玄宗の絶大な信頼を受け、李林甫などは高力士と結んで高位に上ったといわれる。高力士自身は全身が玄宗への忠誠心のような人物であったが、あまり表に出ることはなく陰で権勢を振るう傾向が強く、唐末の宦官権力の一典型となった。
安史の乱後、粛宗擁立に功績を挙げ宦官初の宰相となった李輔国、代宗の下で驃騎将軍となった程元振などを経て、神策軍を擁した魚朝恩の台頭の以後、宦官の存在は唐皇室の中で大きな位置を占める。
神策軍は唐の地方軍のひとつだったが、魚朝恩の行動により皇帝親衛軍とされ、以後代々の長官には宦官が任命され宦官の権力の拠り所となった。
宦官の専横に対して皇帝の側にも宦官を排除する動きが出てくる。憲宗の孫の文宗は宦官に不快感を抱いており、それを察した官僚李訓・鄭注は宦官殺害の策を練り、835年に「甘露が降るという瑞兆があった」という偽りを報告し、これを口実として宦官を集めて一気に殺害する計画を立てた。しかし内部の不一致から計画は失敗し李訓らは殺される。これを甘露の変と呼ぶ。
こうして皇帝と宦官勢力の対立が表面化したこともあったが、宦官は基本的に皇帝と不可分の存在であった。宦官の権力の源泉は皇帝であり、皇帝なくして宦官はあり得なかった。仇子良が残した言葉はこのことを如実に示している。また前述の皇帝側からの宦官に対する行動はあくまで宦官の専横の抑制を目的としており、宦官制度自体は唐代を通じて存された。宦官側・皇帝側、双方からの必要性故に宦官という存在がありえた。
権勢を振るった宦官も唐末に朱全忠・李克用らが争い合い、皇帝が名目的な存在になって以降は当然に勢力を失った。最終的に宦官は902年、朱全忠の力を借りた昭宗により全滅させられるが、その2年後に昭宗は朱全忠により殺され、さらにその3年後に唐は朱全忠へ禅譲し完全に滅亡する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/唐
母親かなんかをものすごい刑に処したやつなんだっけ
環境悪い牢獄に閉じ込めて殺したやつ
>>82
呂后と戚夫人か?
まず、戚夫人を捕らえて永巷(えいこう:罪を犯した女官を入れる牢獄)に監禁し、一日中豆を搗かせる刑罰を与えた。戚夫人が自らの境遇を嘆き悲しみ、詠んだ歌が「永巷歌」として『漢書』に収められている。
そして呂太后は、長安に入朝した如意を毒殺した。その前後、戚夫人も殺害された。『史記』によると呂后は戚夫人の両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落としてそれを人豚と呼せた
呂太后の専横
劉邦が没して劉盈(恵帝)が即位すると、呂后は皇太后としてその後見にあたる。また、自らの地位をより強固なものにするため、張耳の息子張敖と魯元公主の娘(恵帝の姪に当たる)を恵帝の皇后(張皇后)に立てた。だが、高祖の後継を巡る争いは根深く尾を引いており、恵帝即位後間もなく呂后は、恵帝の有力なライバルであった高祖の庶子の斉王劉肥、趙王劉如意の殺害を企て、斉王暗殺は恵帝によって失敗するが、趙王とその生母戚夫人を殺害した。この時、呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声をつぶし、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせた、と史書にはある(なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿の始末をさせていた。戚氏を厠に入れた事から、豚に喩えたと思われる)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/呂雉
ワイは春秋戦国時代より三国時代のが好きやぞ
三国時代のほうがもっと国家のシステム的な観点から学ぶ楽しみがあんねん
>>84
三国と言う名の魏の一強やんけ
>>88
せやな
その魏が統一に手間取った理由とか考えるのも楽しいんじゃ
中国は人数盛るの好きやからなあ
>>94
発掘したらおびただしい数の人骨が
>>94
盛るというより数が多いことの比喩表現だよね
実際そんな人口おったんか
>>95
後漢の時代には5000万人くらい人口あったんとちゃうかったっけ?
魏(晋)
>>98
司馬家が忠誠心あったら魏のままでも統一できたんだよなぁ
司馬炎とかいう幸運だけで三国を統一した男
司馬 炎(しば えん)は、西晋の初代皇帝。諡号は武帝。
魏から禅譲を受けて晋を建て、さらに呉を滅ぼして、分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一した。しかし統一後は政治への興味を失い、後の八王の乱の遠因を作った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/司馬炎
>>101
三国全部跡継ぎの育成に失敗してるからしゃーない
八王の乱(はちおうのらん)は、中国の王朝晋(西晋)の滅亡のきっかけを作った皇族同士の内乱である。晋により、中国は100年にわたる三国時代に終止符を打って全土が統一されたが、その平和はわずか数十年で崩れ去り、この後中国は隋が統一するまでのおよそ300年にわたり、再び動乱の時代となる。八王の乱の流れはとても複雑であるが、端的に言えば10の事件(クーデター・内戦・市街戦)を総称して八王の乱という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/八王の乱
>>101
大長編の最終回に初登場したような男が天下統一とか
意外にも程がある
小説ならボツにされるな
墨家とかいう現代でも通用する諸志百科ほんとすき
諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派。
https://ja.wikipedia.org/wiki/諸子百家
墨家(ぼくか、ぼっか)は、中国戦国時代に墨子によって興った思想家集団であり、諸子百家の一つ。博愛主義(兼愛交利)を説き、またその独特の思想に基づいて、武装防御集団として各地の守城戦で活躍した。墨家の思想は、都市の下層技術者集団の連帯を背景にして生まれたものだといわれる。代表的な思想家に、墨翟(墨子)がいる。
戦国時代に儒家と並び最大勢力となって隆盛したが、秦の中国統一ののち勢威が衰え消滅した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/墨家
北方異民族って朝青龍みたいな奴らが大量に馬に乗ってやってくるんやろ?
こんなん勝てる訳ないやん
>>110
ってか中華文明を持ちながらも北方民族に苦戦するってどういう状況や?
兵法を持ってしても北方民族には勝てないということなんか?
>>117
銃登場までは馬が最強兵器やぞ
>>117
機動力が大正義やからしゃーない
あいつらの馬乗りこなす技術はおかしいで
>>129
そう考えると完全に侵略されなかったのは中華文明のおかげなんすねぇ~
>>141
なんかいつの間にか異民族が中華文明に染まってるからな
三国志人気はやっぱり演義の賜物よ
関羽死亡から劉備死亡の流れとか涙不可避
関羽は襄陽、樊城を落とせないまま、徐晃に攻撃を受けて敗れ、樊城の包囲を解いた[13]。
その後、孫権は関羽軍の輜重を奪ったが、それを聞いた関羽は襄陽の包囲も解き、撤退した[14]。関羽は使者を何度も呂蒙の元に送り連絡をとろうとしたが、呂蒙はその度ごとに関羽や関羽の部下の妻子たちを捕虜にして厚遇していることをわざと使者に知らせた。使者の口からこのことを知った関羽の部下たちは敵対心を失って、やがて関羽の軍は四散し、大半の将兵が孫権軍に降伏した(『三国志』呉志「呂蒙伝」)。
関羽は当陽まで引き返したのち、孫権が江陵に自ら軍を率いてきていることを知り、それを恐れて西の麦城に拠った(『三国志』呉志「呉主伝」「呂蒙伝」)。孫権から降伏を勧告する使者が派遣されてくると、関羽は降伏を受けるふりをして逃走した(『三国志』呉志「呉主伝」)。しかし219年12月、臨沮において関羽は関平らと共に退路を断たれ、捕虜となり斬首された[15][16]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/関羽
章武3年4月24日(223年6月10日)、劉備は丞相・諸葛亮と劉永・劉理ら諸子を呼び寄せた。諸葛亮には「君の才能は魏の曹丕の十倍はある。必ずや国に安定をもたらし、統一を果たしてくれると信じている。わが子、劉禅が帝君としての素質を備えているようであれば、これを補佐してくれ。だが、もし劉禅が補佐するに足りない凡器だと思ったのなら、君が取って代わって皇帝として国家を統率してくれ」、「馬謖は、言葉が実質以上に先行するから、重要な仕事をさせてはいけない。君はそのことを察知しておいてくれ」と言い遺し、子供達に対しては「悪事はどんな小さなことでも行ってはいけない。善事はどんな小さなことでもこれを行なえ。お前達の父は徳が薄く、これを見習ってはいけない。『漢書』・『礼記』・『六韜(呂尚の著と伝えられる兵法書)』・『商君書(商鞅の著と伝えられる法律論)』等々を読んでしっかり勉強せよ。これより丞相(諸葛亮)を父と思って仕えよ。いささかも怠ったらばそなたらは不孝の子であるぞ」と言い遺して間もなく崩じた。享年63。
https://ja.wikipedia.org/wiki/劉備
>>114
張飛の死で感動が台無しなんですが
章武元年(221年)、劉備が皇帝に即位し蜀(蜀漢)を建国すると、張飛は車騎将軍兼司隷校尉に任命され、西郷侯に昇進した。同年、劉備が呉に対して侵攻することになると、張飛は1万の兵士を率いて閬中を出発し、江州で劉備と合流することになった。その準備をしている最中である同年6月[14]、かねてから張飛に恨みを抱いていた部下の張達・范彊に殺された。劉備はかねてより張飛が刑罰を頻繁に行い、さらにその部下を自分の近侍として仕えさせていることを戒めていたといい、この時張飛の都督から上奏文が届けられたと聞くと、その内容を聞く前に「ああ、(張)飛が死んだ」と悟ったという。
長男の張苞は若死していたため、次男の張紹が跡を継いだ。
景耀3年(260年)秋、劉禅によって桓侯と諡された[15]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/張飛
武勇最強:項羽
知力最強:李靖
統率最強:李靖
君主最強:李世民
これでええな
>>125
ちょっと唐強すぎんよ~
君主最強は康煕帝に譲ってクレメンス
>>125
李靖はロマンあふれ過ぎてドラマにしにくい
人生最終的に大勝利だし
>>125
(白起じゃ)いかんのか?
白 起(はく き、? - 紀元前257年11月)は、中国・戦国時代末期の秦の武将。公孫起[1]とも表記される。秦国郿県(現在の陝西省眉県)の出身。昭襄王に仕え、各地を転戦して趙・魏・楚などの軍に数々の勝利を収め、秦の領土拡大に貢献した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/白起
>>164
(最後があっけないので)ダメです
しかし、本国にあった宰相・范雎が、長平の戦いでの白起の活躍を自らの地位を脅かすものであるとして警戒し、さらに趙の首都邯鄲に攻め込もうとする白起を押しとどめ、わずかな条件で趙と和議を結んだ。紀元前259年、秦は、王陵を起用して邯鄲を包囲し、翌紀元前258年には増派もして、さらに指揮官を王齕に交代させたが、趙の援軍として現れた魏の信陵君・楚の春申君に大敗北を喫した。この危機を打開するために白起に出兵するよう命令が下るが、白起は一連の范雎の行動に不信感を抱き、病と称して出仕を拒んだ。これがさらに立場を悪くし、紀元前257年、ついに昭襄王によって自害させられた。 自害の直前、白起はこのように自問した。「我に何の罪あるか? なぜ自害せねばならぬか?」と。しばらく考えて、「我は固より死ぬべきだ。長平の戦いにおいて降伏兵40万余りを一夜で生き埋めにした。それでも罪にならないのか? 天に対し罪を犯したのだ」と感嘆した。 秦の民衆は彼の死を哀れみ、各地に廟を建てて祀ったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/白起
劉邦とかいう名前もわからんおっさんに統一される中国
劉 邦(りゅう ほう)は、前漢の初代皇帝。
沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/劉邦
>>127
名前わかっとるやん
>>145
俗説レベルやけど
邦→アニキ
という意味で劉アニキという呼称の説がある
>>166
確か史記には「劉邦」なんて名は載ってなくて、漢書が初出じゃなかったっけ?
史記は「劉季」で、これだと「劉さん家の末っ子」って意味。
なお父親の子かどうかもわからない模様。
光武帝劉秀とかいうチート
ほんと凄い
光武帝(こうぶてい、前6年 - 57年[1])は、後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された[2]。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。中国史上で唯一、一度滅亡した王朝の復興を旗印としてこれに成功した君主である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/光武帝
項羽と劉邦めちゃくちゃおもしれーわ
諸葛亮って騒がれるけどこれ張良の方が数百倍有能なんちゃうんか
>>133
三国志でも張良と太公望は知力の最高峰レジェンド扱いやん
>>133
諸葛亮自身が神の如き知謀て崇めてたのが劉秀や
>>133
軍事の韓信、内政の蕭何の存在がデカいわ
>>155
むしろこの2人が凄すぎて張良って言うほどなんかしたか?って感じや
陳平の方が活躍してそう
>>204
なんでや、張良のコネがなかったら鴻門の会で楚漢戦争終了してたやろ
>>204
ドラマとかやと張良って大体微妙な扱いやが軍師としては多分かなり有能やったと思うがなあ
孔子と釈迦とソクラテスがほぼ同時代を生きていたという事実
なおギリシャはこのときが全盛期の模様
中国人って漢字も覚えなアカンし歴史も長くて複雑やし学校の勉強クソ難しそう
自国民ならよっぽどのガイジじゃない限り漢字も歴史も知ってそうやけどちゃんとついていけんのか
>>139
漢民族以外が治めた時代の方が長いのにどう説明してるんやろその辺。
>>150
普通に教えとるで
漢民族の優位性とか共産党掲げとるけどみんなスピード制限をまもろうねレベルで誰も気にしとらん
>>139
漢字が難しいせいで文盲なくすのにかなり苦労してたやん
文革の頃まで文字読めないのゴロゴロおったし
>>187
新聞の普及に苦労したってのきいたことあるな
>>200
最近まで農村では横穴に住んでるような人もおったしな
永く権力が一つに集まれば必ず分かれ、分かれて久しくなればまた一つに集まる
を地で行く国
ちゃんと中国の残酷史とかもやるんか?
あの国はまじで鬼畜やぞ
>>146
中国の歴史は残虐がいつも付きまとうからもう馴れました
諸葛亮って現代の評価はどうなってるん?
昔聞いた話じゃ内政一流戦争二流って聞いたけど
>>160
北伐やりすぎぃ!意味ない事ぐらいわかってるやろ!
>>165
それ言い出したら劉備の建国自体が
>>176
漢再興が目的だからね、仕方ないね
>>165
せやけどあのままじゃ座して死ぬのを待つだけだったと思うで
最もあの国力差じゃどうにもならんと思うが
>>165
あれは国境付近の防衛のための牽制で
諸葛亮も魏打倒をする気なんてなかったやろ
それがわかってない魏延の長安取りを却下したのはそのためやろ
>>186
天下三分の計までやって中華統一しないんか?孔明さん
>>198
統一とかヒゲが荊州落とされた時点で諦めたやろ多分
>>218
孔明「関羽、無能」
なんかどの時代でも暴君が妊婦の腹を引き裂いて赤子を取り出してるイメージなんやけど
舶来品を有難がってただけあって
日本はかなりの古代中国びいきなんだなぁ
>>206
江戸時代まで風景も知識も中国がナンバーワンってのが武士を始めとした教養人の常識やったしな。
頼山陽はそれに異を唱えてたけど当時からしたら変人やろうな。
>>215
尊敬してたからこそ中国が欧米に食い荒らされていくのはショックだったんやろなあ
>>304
滅びる前に急いで富国強兵しなきゃ(使命感)
>>366
あの世界情勢で植民地にされなかった武士の末裔どもほんと有能だと思う
昭和~現代より幕末~明治の武士の方が外交上手いんじゃねえか?
>>391
そら幕末や明治期はエリートによる統治だからな
1925年に普通選挙が始まったのと時期を同じくして
全体主義化していったのは示唆的やねえ
裏切り裏切りアンド裏切り
荊州を維持出来なかった時点で蜀も呉もノーチャンスよ
>>209
つか呉って何したかったんだ?
国家維持が目的だったのかね?
>>216
豪族の連合国家なんで
長期的なビジョンがない
こいつ有能やんけ!→お前も無能になるんかーい
を繰り返してる感じがする
今はまだそういう風に語れないだろうけど歴史上の人物としてみると毛沢東ってめちゃくちゃ面白いよな
![1]](https://livedoor.blogimg.jp/kinisoku/imgs/b/2/b2269076.jpg)
>>225
あと300年くらい経ったら共産党王朝の初代皇帝として面白おかしく書かれてるやろうな
今の中国はアレみたいな風潮あるけど普通に外交上手いししたたかだよな
>>227
ここ数年は凄いね、強かな動きを見せてるよ
>>227
アフリカとか遠い国に金をバラまきまくって遠交近攻をちゃんとやっとるわ
項羽と劉邦
三国志
横山最強!
>>230
項羽の最後は泣けるンゴねぇ
項 籍(こう せき、紀元前232年 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王[1]”(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。
姓は項、名は籍、字が羽である[2]。以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。
四面楚歌
紀元前203年、項羽は劉太公を返還することで劉邦と一旦和睦し故郷へ帰ろうとしていた。しかしこの時漢軍が和平の約束を破り項羽の後背を襲った。長い戦闘で疲弊の極みにあった楚軍は敗走し、韓信の兵力30万を始めとする諸侯連合軍に項羽軍10万は垓下に追い詰められた(垓下の戦い)[10]。この時に城の四方から項羽の故郷である楚の国の歌が聞こえてきた。これを聞いた項羽は「漢は皆已に楚を得たるか?是れ何ぞ楚人の多きや」と嘆いた。ここから四面楚歌の言葉が生まれた。
その夜、項羽が愛人虞美人[11]に送った詩が垓下の歌である。
「力は山を抜き,気は世を蓋う。時、利あらず、騅、逝かず。騅の逝かざるを奈何にす可き。虞や、虞や、若を奈何んせん!」
項羽は手勢八百騎を率いて漢軍の包囲網を突破して烏江(うこう、今日の安徽省和県の烏江鎮)という所までやってきた。烏江の亭長に、
「江東は小さな所ですが土地は千里あり、万の人が住んでいます、彼の地ではまた王になるには十分でしょう。願わくは大王、早く渡ってください。今は私一人が船を出し、漢の軍は至っても渡ることはできないでしょう」
と言われたが、項羽は
「天が我を滅ぼすのに何故渡ろうか?私が江東の子弟八千人を率いてここから西へ出発し、今一人として帰る者が居ない。たとえ江東の父兄が哀れんで私を王にしようとも、私に何の面目があろう?たとえ彼らがそれを言わなくとも、どうして私一人が心に恥を感じずにいられようか」
と断った。 『史記』によれば、項羽は自分の乗馬である騅を烏江の亭長に譲り渡し、従卒を下馬させ、劉邦軍を迎え撃ち、項羽みずから数百人の敵兵を討ち取ったという。この戦いで十数か所に傷を負った項羽は、追っ手の中に旧知の呂馬童がいるのを見つけると、
「漢は私の頭に千金と万の邑を懸けていると聞く、旧知のお前にその恩賞をくれてやろう」
と言って、自らの首を刎ねて死んだ。享年31。
https://ja.wikipedia.org/wiki/項籍
>>230
史記もあるで
なお殷周伝説
>>241
インシュウ伝説は横山漫画だと思えばいい
歴史漫画っていうより
北方騎馬民族って月氏・狄・東胡・鮮卑とか名前も謎めいてて格好良くてロマンの塊だけど、
こいつら結局みんな今のモンゴル人なん?
だとしたらなんでその中でもいろいろ民族名分かれてるの
>>239
匈奴「北方民族最強を忘れんなよ」
匈奴(きょうど、中国語(拼音):Xiōngnú)は、紀元前4世紀頃から5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/匈奴
>>239
チンギスハンですら部族統一したの40くらいじゃなかったか?
>>239
テュルク系とかモンゴル系とかツングース系とか
正体わからん奴とか色々分かれる
現代中国人「殷王朝とか嘘やろ発掘したろ!」
現代中国人「ヒエッ、史記に乗ってるのと同じ名前が出てきたンゴ……」
現代中国人「でもさすがに夏王朝とか嘘やろ!」
現代中国人「殷より古い大規模都市見つけてしまったンゴ……」
>>247
そこらへんに転がってる石ころすら重要な文献の可能性あるもんな中国って
曹操の墓の遺品もそこらへんにあったらしいやん
敵の敵が敵であったり味方であったり複雑すぎるンゴ
春秋時代はいろんな国がいろんな国に皇女おくったり結局全部親戚やないんか
呂后見てるとヤンデレは夫死んだ後の方がヤバイってわかる
>>255
あれは不当に下げられている気がある、内政に関しては一種の傑物よ
嫉妬に関しても戚夫人だけを目の敵にしているだけだし
大 正 義 白 起
>>258
白起「もう戦嫌ンゴ・・・」
昭襄王「はい王命無視、自害せい」
>>258
白起見てると失敗が無いとエピソードが作れないってのがわかるな
あれでもっと活躍してそのまま天寿全うしてたらろくに話も残らずもっとマイナーになってそう
>>258
白起「なんで最強将軍大功労者のワイが死ななアカンのや!」
白起「………」
白起「………ああ、そうだ、敵殺しすぎたんや。」→自殺
最期の虚しい感じが他の奴との違いだわ
>>281
悟りからの自害はやすぎぃ!
三國志とか見ると感覚狂うけど万超えの軍て凄まじいよな
>>274
長沙攻めで関羽が兵500で少なすぎとか言われるけど500でも多いように思えてしまうわ
>>274
球場の客全員が武器持って襲ってくるよりまだ多いわけやもんな
それを前列で待ち構える係りとかやらされたら多分戦う前に血を吐いて死ぬわ
>>315
こんなんにどうやって指示だしてたんや
末端のことなんかよーわからんやろ
>>315
ちょっとぐらい逃げてもバレへんやろ…
っていう奴おらんかったんかな
>>326
むしろ逃げまくって戦闘不能みたいのが多いんちゃうか
>>326
これが5,6人の集団行動だったから逃げたらそく殺されるで
中国は、武将が皆すぐ裏切るから面白い
>>277
本当の味方なんていない模様
>>277
だからか人間不信になるのか臣下に厳しいやつ多い印象
>>311
朱元璋「いかんのか?」
春秋戦国→キングダム、達人伝
楚漢戦争→横山のやつ、赤龍王
三国志→たくさんある
五胡十六国→
なぜなのか
>>320
時代名がダサすぎる
>>320
人間の汚いところが全面に出た感じあるししゃーない
>>344
日本史の南北朝時代的なもんか
三国志の知識、当の中国人より日本人の方が詳しいらしいね
ほんと面白い現象だよな

春秋戦国最高や
西方の辺境から覇権国家になっていく秦の拡大や中原入り混じれた攻防おもろい
>>340
こういう時代でもあくまで中国の領土の中ってのは面白いと思うわ
>>379
やっぱ、中華統一は最高やな!
そもそもなんで中国って一つになろうとするんだ
あんなでかいんだから手の届く範囲の規模の国がいくつもある感じでいいじゃん
>>425
始皇帝が成し遂げちゃったからね、仕方ないね
>>425
司馬炎が統一しようとしたら臣下はメンドクセと嫌がったらしいし
まあ、君主の権威付けや
中華は統一されるべきというイデオロギーやね
正確に言うと、独立を名目上認めたりすることがあっても反乱に追い込まれたりして結局潰される
>>425
海に囲まれててのほほんとしてる国と違って大陸国ってのは周辺を
友好国か植民地か自国領土にしとかんと滅亡するんやで
現在でもドイツやロシアや中国が拡大しようとしてるのは至極当然
騎馬民族って1人で3頭くらいの馬持ってて並走してる空馬にサッと乗り換えて疲労を分散させるとか
走ってる馬の側面にしがみついて反対側からは空馬だと錯覚させるとか
頭おかしいことやってるよな
秦
前777年-前207年
統一後速攻滅びたから短命のイメージあるけど
500年戦国の群雄割拠を戦ってたんだよな
>>435
短命なイメージなんか全くない
范ショの改革を先取りしてる呉起の改革があと10年続いてれば楚が天下とった可能性あったのになあ
改革後5年程度で後ろ盾の王が死んで全部水泡に帰す悲しさよ
>>448
楚とかいう中華最強と言われながらみすみす秦に滅ぼされた国wwwwww
>>460
明らかに後半は秦の方が強いし
というか楚はそんなに強い印象ないンゴねぇ
史記って面白すぎないか?
下手な小説より面白い
司馬遷は文才あり過ぎだろ
『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/史記
春秋戦国おかしいだろ
なんで英傑があんなポコポコでてくんねんしかも同時代に
信陵君とかヤバすぎだろ
日本じゃ100年以上でてないぞ
>>466
やっぱ乱世はすげーわ
正統帝「グエー捕まったンゴ」
オイラト「引き換えに金よこせや」
明「金払うの嫌ンゴ・・・そうや!戦死したことにして国民の戦意煽ったろ!」
国民「あああああああああああ復讐の時間だああああああああああ!!」
オイラト「なんやこいつら・・・もうお前要らんわ→釈放」
正統帝「ワイ死んだことになっとるやんけ!ふざけんな!」
家臣「なら新しい名前付けたるわ 天をも従えるラッキーな皇帝、天順帝なんてどうや!」
天順帝「お~、ええやん!気に入ったわ!」
英宗(えいそう)は、明朝の第6代、第8代皇帝。明の皇帝は一世一元の制があるため日本では元号を冠して呼ぶのが習いであるが(永楽帝など)、英宗は第6代と第8代の重祚を行い、元号を2つ使ったため廟号で英宗と称されることが多い。ただし、元号を用いて正統帝、天順帝と呼ぶ場合もある。土木の変でモンゴルの捕虜となった。中国統一王朝の皇帝の中で唯一野戦で捕虜となった皇帝である。
奪門の変
上皇となった正統帝は、政治的影響力を失い、事実上の監禁状態に置かれた。さらに景泰帝は、正統帝の子である朱見深を立太子することを約束しながら、後にそれを反故にしたことで不満を高めた。景泰8年(1457年)、景泰帝が病床に就いた際に石亨や曹吉祥らによって政変が発生し、于謙ら景泰帝派の重臣は粛清され、景泰帝も同年に崩御して正統帝は復辟した(天順帝)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/英宗_(明)
史記の先秦時代とか9割小説だろ
重耳の話とか伍子胥のはなしとか、伏線まで貼ってあるし
面白いけど歴史といえるのか
>>490
人払いをしたのに
何故か記録が残ってる密談多すぎぃ!
日本人がちょくちょく留学してるから
あれこれ妄想できるのが楽しい
>>517
科挙に受かる奴まで出る始末
ロマンあふれ過ぎ
>>517
霊仙三蔵とかいうぐう有能
霊仙(りょうせん、759年?(天平宝字3年?) - 827年?(天長4年?))は日本の平安時代前期の法相宗の僧である。日本で唯一の三蔵法師。出自については不明であるが、近江国(現・滋賀県)の出身とも阿波国(現・徳島県)出身とも伝えられる。「霊船」「霊宣」「霊仙三蔵」とも称される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/霊仙
完璧
背水の陣
奇貨居くべし
鶏頭となるも牛後となるなかれ
四面楚歌
良薬は口に苦し
現代でも使われてる史記出典の故事大杉
>>523
臥薪嘗胆
端午の節句
牛耳る
>>534
臥薪嘗胆は史記じゃなく十八史略なんだな
『十八史略』(じゅうはっし りゃく)は、南宋の曾先之によってまとめられた中国の子供向けの歴史読本。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の正史を要約し、編年体で綴っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/十八史略
>>558
いや史記やないか
十八史略って正史十八個のダイジェスト版やろ
>>583
ところが史記には臥薪のエピソードはないんだよ
臥薪自体はその後晋書などで登場し
十八史略で嘗胆とくっついた
>>602
はえ~サンガツ
伍子胥「助けて、助けてクレメンス…」
漁師「追われてるんか、ワイの舟に乗って逃げよか」
伍子胥「助かったわ。お礼にこの剣あげるわ。100万はするで。」
漁師「伍子胥とかいうお尋ね者を通報したら1億円もらえたらしいな(スットボケー)、そんな剣いらんわ」
伍子胥「すまんな」
漁師「ええんやで」
漁師「自殺するやで(ニッコリ)」
優しい世界
()()
楚から呉へ
平王は伍奢を捕え、都から離れていた伍尚と伍子胥に父の命で「都に来るように」と使者を送った。平王の無道ぶりを知っていた伍子胥は自分たちを殺すための罠と見破り、伍尚へ逃げようと誘うが、伍尚は父を見捨てられないと命に従い、伍子胥は使者を弓矢で脅して逃れた。 伍子胥は復讐を誓い、太子建と共に鄭に脱出する。鄭で太子建は晋に唆されて鄭に反逆しようとしたが、逆に殺される。伍子胥は建の子の勝(zh, 白公勝)と共に今度は呉に逃亡した。 この道中は過酷なもので、物乞いをして凌いだことも、病で死線を彷徨ったこともあったという。また、楚と呉との間にある長江の辺りで追手に追われている際、たまたま居た漁師に隠れるように促され、更に長江を渡して貰った。その礼として持っていた百金はする剣を渡そうとしたが、漁師は断った。伍子胥が再び勧めると「伍子胥という人を捕らえた者には、爵位と5万石を与えると聞く。百金など要らないよ」と去っていったという。
なお、伍奢と伍尚は処刑されることになったが、伍奢は伍子胥が逃亡したのを知ると「楚の君臣は兵の難に苦しむことになるだろう」と言い残した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/伍子胥
>>529
みんな他人のためにホイホイ自害して草生える
ヨーロッパもそうやけどこいつら戦乱しすぎやろ
>>573
日本がおかしいだけやで
内輪で戦争戦争戦争してた癖にいきなり統一して大陸侵略して失敗して300年鎖国
極端にも程があるわ
>>597
ドイツくらいの国土で数十に分裂して血みどろの内戦してたって結構異常だよな
>>613
山多すぎるのも原因やと思うわ
周囲の民族と関わるのにも一苦労やし
近代日本思想の講義聞いてると戦国時代の日本は
武士も農民もマッドマックス世界の住人でこわい
>>669
農民「お!敗軍の兵やんけぶっ殺して身包みはいだろ!」
>>686
あいつら真昼間の都でも負け犬に追いはぎするんだよなぁ
>>669
農民「戦やんけ!見に行ったろ!」
農民「落武者やんけ!狩ったろ!」
>>697
光秀はプスーで
>>697
戦で田畑ボロボロだから
しょーがないね
>>669
平安後期~室町あたりがマッドマックス最盛期やろか
>>719
屋敷の前を通り過ぎた人間が汚いから矢で撃ったろ!って逸話聞いて草生えた
中国ってホンマ凄い国やと思う
なんか憎まれへんけど今の体たらくが悲しいわ
>>910
体たらく言うてもあれだけ列強にバラバラにされておいて世界二位に舞い戻ったんやから十分やろ
あいつらの経済停滞笑ってるけど日本は普通に今期もGDPマイナスやで
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コメント
2.気になる名無しさん2015年11月14日 07:29 ▽このコメントに返信
長いわ
3.気になる名無しさん2015年11月14日 07:37 ▽このコメントに返信
※1
小説としてなら基本はそれだな
味気ないのがいいなら春秋左氏伝とか
4.気になる名無しさん2015年11月14日 07:52 ▽このコメントに返信
キングダム面白い
5.気になる名無しさん2015年11月14日 08:30 ▽このコメントに返信
40万とか100万とか当時の人口考えても誇張だよね
多分10倍ぐらいに盛ってる
6.気になる名無しさん2015年11月14日 08:46 ▽このコメントに返信
中国の歴史を褒め称えるなんて反日もいいところ。即刻記事削除すべし。
7.気になる名無しさん2015年11月14日 09:24 ▽このコメントに返信
どこまでが古代でどこまでが中世かって学会だと京都学派と東京学派で戦後に大論争になって決着つかずじまいだから断定できんのだよなぁ。
8.気になる名無しさん2015年11月14日 09:44 ▽このコメントに返信
古代中国は豊かな文化があったよね
中共が全部破壊したけど
9.気になる名無しさん2015年11月14日 09:52 ▽このコメントに返信
いま大陸を占拠してる13億匹のゴキブリとは無関係の民族とはほとんど無関係なのでご注意を
10.気になる名無しさん2015年11月14日 09:53 ▽このコメントに返信
いま大陸を占拠してる13億匹のゴキブリとはほとんど無関係なのでご注意を
11.気になる名無しさん2015年11月14日 09:53 ▽このコメントに返信
いま大陸を占拠してる13億匹のゴキブリとはほとんど無関係の民族なのでご注意を
12.気になる名無しさん2015年11月14日 09:56 ▽このコメントに返信
支那ネタはたいしてアクセス稼げないって学べよアホ管理人w
13.気になる名無しさん2015年11月14日 10:05 ▽このコメントに返信
世界史好きな奴しかまともなコメント出来ないからね 仕方ないね
14.気になる名無しさん2015年11月14日 10:05 ▽このコメントに返信
さっぱり分からないからって嫉妬する日本史選択者wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
15.気になる名無しさん2015年11月14日 10:26 ▽このコメントに返信
※13
劣等民族w
16.気になる名無しさん2015年11月14日 10:58 ▽このコメントに返信
必死に連コメするネトウヨが可愛くてしゃーない
17.気になる名無しさん2015年11月14日 11:01 ▽このコメントに返信
世界史が得意な君は何ができる?
18.気になる名無しさん2015年11月14日 11:17 ▽このコメントに返信
自分と違う意見言う人見ると、ネトウヨ・在日扱いする人って総じてアホにしか見えない
19.気になる名無しさん2015年11月14日 11:20 ▽このコメントに返信
中国人て数だけは無駄に多いから本当にどこにでもいるよね
有害人種
20.気になる名無しさん2015年11月14日 11:20 ▽このコメントに返信
※18
何を意見と捉えるかだよね。
まさか意見が何か分かっておられない?
21.気になる名無しさん2015年11月14日 11:21 ▽このコメントに返信
>1925年に普通選挙が始まったのと時期を同じくして
全体主義化していったのは示唆的やねえ
どういうことだ?
22.気になる名無しさん2015年11月14日 11:23 ▽このコメントに返信
実際今の中国はクソだけどそれ言ったらネトウヨ認定されるのか
23.気になる名無しさん2015年11月14日 11:23 ▽このコメントに返信
※18
まさかとは思うがお前さんは※19のようなものを意見だと思うのか?
24.気になる名無しさん2015年11月14日 11:26 ▽このコメントに返信
クソの一言でしか表現できなきゃそう言われても仕方ない。多角的に見てね。
25.気になる名無しさん2015年11月14日 11:28 ▽このコメントに返信
なおほぼ妄想な模様。
数が全部テキトーで南京大虐○みたいな感じなんやで。
どんどん数が増えていって、中国紙勉強した人は可哀想だと思う。
韓国の歴史勉強するようなもんだからな。
26.気になる名無しさん2015年11月14日 11:30 ▽このコメントに返信
なんか多角的に見て、意識高そうな方々がいらっしゃいますね。
27.気になる名無しさん2015年11月14日 11:33 ▽このコメントに返信
なぜ中国の歴史を面白いと感じたら、反日なのか。
そんなわけねーべ。
28.気になる名無しさん2015年11月14日 11:53 ▽このコメントに返信
※22
ネトウヨ認定することで彼ら中国人は自分の気持ちも楽にしてる憐れな民族なのです
29.気になる名無しさん2015年11月14日 12:06 ▽このコメントに返信
ネトウヨって批判にユーモアも混ぜないからつまんないんだよ
30.気になる名無しさん2015年11月14日 12:17 ▽このコメントに返信
人形劇三国志を久々に観たが良かったな。
31.気になる名無しさん2015年11月14日 12:18 ▽このコメントに返信
※29
自己紹介乙
32.気になる名無しさん2015年11月14日 12:25 ▽このコメントに返信
なんでネトウヨが嫌われるかっていうと
こういう話題でも節操なく水を差すからなんだよなぁ
33.気になる名無しさん2015年11月14日 12:27 ▽このコメントに返信
古代中国のスレなのになんでお前らネトウヨとは〜なんて話をしてんだよ
34.気になる名無しさん2015年11月14日 12:33 ▽このコメントに返信
※33
まだ誇大なんやろ
35.気になる名無しさん2015年11月14日 12:37 ▽このコメントに返信
1000年以上前の歴史や文化まで否定するとか度量狭すぎだろ
漢字使うな
36.気になる名無しさん2015年11月14日 14:01 ▽このコメントに返信
ネトウヨ以前に、否定から話題に入る人は嫌われるんだよなぁ
37.名無しのプログラマー2015年11月14日 14:24 ▽このコメントに返信
もう敵国を世界の中心という意味の中国と呼ぶのは止めよう
支那で十分でしょ。時代錯誤な帝国主義の脳に欠陥があるゴキブリどもには。
日本政府は初等教育から反中教育を取り入れて、全国民にはっきり支那が敵国だと認識させよう
38.気になる名無しさん2015年11月14日 14:24 ▽このコメントに返信
彼を知り己を知れば百戦殆うからずって偉人も言ってますし、ネトウヨも批判するばかりでなく勉強したらどうですかね?
それとも、第二次大戦みたく、その偉人を無視した精神論のバンザイ特攻で玉砕したいんですかね?
39.気になる名無しさん2015年11月14日 14:28 ▽このコメントに返信
なんか随分怒ってる人がいるけど、漢族と古代中国は全く関係ないから批判は的違いだぞ
漢族の歴史はわずか65年でーすw
40.気になる名無しさん2015年11月14日 15:06 ▽このコメントに返信
何故かネトウヨ連呼の巣窟になっててワロタ
41.気になる名無しさん2015年11月14日 15:35 ▽このコメントに返信
米38
ずっとロムってたけど、これは捨て置けない
何も誇る歴史のないお前ら中国人が日本の先人をとやかく言う筋合いはない
国へ帰れ
42.気になる名無しさん2015年11月14日 15:37 ▽このコメントに返信
なんなんやこの中身のないコメ欄
43.気になる名無しさん2015年11月14日 15:42 ▽このコメントに返信
中国ネタになると支那人が自己弁護し始めてうざいな〜
劣等民族の分際で
44.気になる名無しさん2015年11月14日 15:43 ▽このコメントに返信
1000年以上前の歴史にナショナリズム丸出しとか恥ずかしいと思わないか?
韓国ですら1000年しか恨まないのに
45.気になる名無しさん2015年11月14日 16:11 ▽このコメントに返信
渡来人から排除したそうな連中大杉内そんなに嫌なら漢字使わずに文章作って中国と国交のあった弥生〜飛鳥以降の日本史は全否定してみろよ
それとも愛国心のあまり中国文化も肯定してしまうのかな?
46.気になる名無しさん2015年11月14日 16:24 ▽このコメントに返信
連投ごくろうさまゴキちゃん
国というのはどの民族が治めてたのかで考えるものだよ
君たちが1000年、2000年の歴史を認めろというなら元寇の謝罪と賠償もこっちから求めていいことになるねw
いい加減現実を見ましょうw君たちに歴史はありませんww残念www
47.気になる名無しさん2015年11月14日 16:30 ▽このコメントに返信
連投ちゅうのはワイのコメも入るんかいな?
したら興奮するな
48.気になる名無しさん2015年11月14日 16:39 ▽このコメントに返信
歴史はよく分からないけど、ひょっとして中国って朝鮮未満?
49.気になる名無しさん2015年11月14日 16:40 ▽このコメントに返信
まともに反論出来ないとワンパターンの同一人物、国籍認定。これも中国人の書き込みと思ったあなた統合失調症です。すぐに精神科を受診しましょう。
50.気になる名無しさん2015年11月14日 17:00 ▽このコメントに返信
※48
ひょっとしてじゃなくて、間違いなくそうだろうね
※49
同意!中国人認定とか自分がされたら自殺したくなる位の屈辱だから、簡単に決めつけないでほしい
あ、でもあなたも書き込みが同一人物と思い込んでて糖質かもしれないから精神病院行った方がいいかも…
51.気になる名無しさん2015年11月14日 17:03 ▽このコメントに返信
※37
世界の中心は広島でいいね?
52.気になる名無しさん2015年11月14日 17:12 ▽このコメントに返信
※50
日本語読解力無いねw中国人?
53.気になる名無しさん2015年11月14日 17:19 ▽このコメントに返信
※51
世界の中心に原爆を落としたアメリカとかいう国w
54.気になる名無しさん2015年11月14日 17:34 ▽このコメントに返信
※52
顔真っ赤っかw
55.気になる名無しさん2015年11月14日 17:37 ▽このコメントに返信
喧嘩するにしても内容のある喧嘩せえよ
こんなん笑ってまうわ
56.気になる名無しさん2015年11月14日 17:41 ▽このコメントに返信
※54
お前がなw馬鹿煽るの楽しいわw
57.気になる名無しさん2015年11月14日 17:43 ▽このコメントに返信
コメ欄くっさ
58.気になる名無しさん2015年11月14日 18:22 ▽このコメントに返信
シ ナ ヒ ト モ ド キ
〜このスレ終了〜
59.気になる名無しさん2015年11月14日 18:23 ▽このコメントに返信
~再開~
60.気になる名無しさん2015年11月14日 19:54 ▽このコメントに返信
チョウシャ、レンパ、藺相如、リボク、ホウケンと内政外交戦争で無敗の将を多く抱えながら滅びた趙が無能すぎる。
61.気になる名無しさん2015年11月14日 20:07 ▽このコメントに返信
スレの内容と全く関係ない話題で揉めてて草
62.気になる名無しさん2015年11月14日 20:40 ▽このコメントに返信
全く関係ないネトウヨ連呼から始まり少しずつ中国の歴史を絡めたアホらしい戦いになっていっててワロタ
63.気になる名無しさん2015年11月14日 22:35 ▽このコメントに返信
※62
どうみても※9の
いま大陸を占拠してる13億匹のゴキブリとは無関係の民族とはほとんど無関係なのでご注意を
から始まってるけどね
古代中国と関係無いならいちいち現代中国引き合いに出す必要すら無い
コメント欄が荒れる事も無い
教養の無い馬鹿は困る
64.気になる名無しさん2015年11月15日 03:19 ▽このコメントに返信
嘘やこらおもろいわ
65.気になる名無しさん2015年11月15日 10:40 ▽このコメントに返信
ナポレオンも相当だよなw
66.気になる名無しさん2015年11月15日 12:36 ▽このコメントに返信
なにこの残念すぎるコメ欄
いやわかってたけど
67.気になる名無しさん2015年11月15日 18:04 ▽このコメントに返信
実際世界史真面目に勉強した奴は中国史に興味持つ奴も多いと思う。
タラス河畔の戦いとかティムールが攻めてくるとか世界の繋がりにワクワクするし。
孫文もかっこいいし。
68.気になる名無しさん2015年11月16日 02:24 ▽このコメントに返信
ツマンネ
69.気になる名無しさん2015年11月18日 14:25 ▽このコメントに返信
マジか?
70.気になる名無しさん2015年11月20日 22:21 ▽このコメントに返信
オモロイ。
71.気になる名無しさん2015年11月21日 00:31 ▽このコメントに返信
・・・やれやれ
1.気になる名無しさん2015年11月14日 07:25 ▽このコメントに返信
読んでみたいのだが何がお勧め?宮城谷とか?