最近、あらためて広重の江戸百景を見返している。
それで、昔の地名と現在の場所を特定するのだが、便利なことに名所江戸百景に描かれた場所をマッピングした地図がWEBに公開されている。細かく調べると、その地点に立って、どちらの方向を書いたものかというところまで調べられている。全く便利な事であります。

その恩恵にあずかって、名所江戸百景に描かれた場所を眺めていくと、面白い事が見えてくる。
東京の東側、江戸の下町にポイントが多く点在するのは住人が多かったことからも想像がつきやすいのだけれども、名所とうたいながらも実は観光地であるとか有名な建物というようなものはあまり描かれていない。かわりに、殆どと言っていいくらいに登場するのが「水」なのだ。
それは池であったり、川であったり、海でもあるのだけど、これはいったいどういう事なのだろうか?とちょっと考えてしまった。

広重は、有名な水道橋の図を、名所江戸百景だけでは足りなくて東都名所という別のシリーズでも取り上げている。かと思いきや葛飾北斎も「駿河台水道橋之景」として取り上げているので、江戸の庶民の間では相当な名所だったのだろうか?今では橋に名前が残るばかりで水道が通っている訳ではないのだけども、江戸の時代には有名だった。

水道橋駿河台

それは一体なぜだろうと考えると、水道橋が有名なのは、きっと玉川上水から引いてきた水を、堀の上にかかった橋を通して、対岸の切崩した神田山の中腹に導き、地中の水路を通って江戸の町へ水を送っていたという壮大なプロジェクトの象徴だったからなのかもしれない。

他にも赤坂の溜池であるとか、王子の滝であるとか、何しろ水にまつわる図絵が多い。
王子などは、朱引の線がかかるところ、大江戸の境界に位置する周縁部であるけれど、飛鳥山を観光地化したのも、石神井川からつづく滝野川の大滝の場所。やはり水が重要な証のように見えてくる。

これはもしかして、飲み水の供給が重要だっただけでなく、もうひとつの有名な江戸の火事を忘れないという事なのかもしれない。火事が多い江戸の町だからこそ、水の供給、水路のありようが重要だったのだろう。

さて、もう一方で大江戸の西の端、内藤新宿の大木戸を出た先に熊野十二社がある。そこは私の生まれ育った土地でもあるけど、昔は何があったかというと武蔵野台地の端で良く見られるように、湧水の滝や池があって、今では埋めてしまって跡形もないけれど、江戸から昭和初期くらいまでの最盛期には池に船を浮かべて舟遊びがあったという事だ。
大木戸の外と言えば、それは江戸市中ではないのだけども、朱引の線は十二社までをカバーしている。
同じように見ていくと、名所江戸百景はやはり目黒川を逃さない。百景には目黒川沿いに4か所も登場してくる。

さてさて、名所江戸百景の秘密がなんとなく見えてきたような気がするのだけど、この「水」に関わるポイントを辿っていくと、同時に上町と下町の構図も見えてくるように思えるのだ。

上町と下町 東京を現す一つのキーワードになる予感!


広重の名所江戸百景から「角筈熊野十二社」

角筈熊野十二社