2011年11月30日

755 新旧のテレビ塔 

755  新旧のテレビ塔  2011.11.30  

前回から日数が過ぎて、11月も終わってしまう。

11月5日、スカイ・ツリーのあと、東京タワーへも行った。
地下鉄の「大門」で降りて、増上寺の横から少し歩くと、東京タワーは、根元から聳えている。
ここでも、首を直角のように曲げて仰ぐ。
高さは、エッフエル塔を僅かに越える333mに過ぎないが、真下から仰ぐ迫力は、壮観である。
このアングルは、今まで知らなかった。
そのあたりは、結構、深い森林の小公園になっている。
子供連れの家族が、都心のサンクチュアリで楽しんでいる。
まだ、周辺に、緑が皆無のスカイ・ツリーとは、違う景観である。

820円を払って、登った。下の展望台、150mまでだ。
何十年ぶりか思い出せない。
初めて気がついたが、エレベーターは最上階の一つ下で、全員を降ろす。
降りも、地上階の一つ上で、全員を降ろす。
これで、客さばき効率が格段よくなるのだが、創業時から、こうだったかは、覚えていない。

最上階からの展望は、曇り日だったので遠くは霞んでいるが、見える範囲は、素晴らしい大東京である。
いまや、四方、八方、高層ビルで埋まっている。
御台場の方には、つい最近まで無かった陸地が広がり、新型の高い建物が林立しており、その先は広い東京湾だ。
私は、展望台を、ゆっくり3周した。

初めての登った頃から、50年余を経ると、東京は、こんなに変わったのだ。
まったく新しい都市を創造したのだ。
とりわけ、失われた20年などと言われている近年の変化と、創造は偉大である。
登って良かったと思う。
四方に目をこらしながら、あの高いビルはなんだろう、あの辺には、あの会社があったな、あの人が居られたなと、思い出して眺めていると、展望台を何周
してもキリがない。

降りて、1階の案内所で聞いてみた。
スカイ・ツリーが評判になっていらい、入場者は増えている。
今日で3000人ぐらい、多い日には1.8万人になった。

あとで調べてみると、昭和33年(1958)の開業いらい、平成10年(1998)までの50年間で1億3000万人、平成18年(2006)までに1億5000万人と、集客は、続いている。

昭和37年(1962)に、東京証券取引所の二部市場が開設された。
それまで店頭株として取引されていた銘柄に加えて、2部市場への新規上場株、探しが始まった。私も、昭和35年(1960)から、多くの会社を訪問して、上場の適格性を調査した。

東京タワーを運営している日本電波塔(株)にも行き、前田久吉社長にインタビューした。
この人は、産経新聞の創業者で、マスコミ界では正力松太郎と争う大物であることは、よく知らなかったが、親切に、熱心に、東京タワーの将来性を語ってくれた。

だが、私の書いたレポートは、上場に適さない、であった。
成長性が見えないからだ。
入場者数が、満員になったら、料金の引き上げしか、成長要因は無い。
歌舞伎座や、新橋演舞場と同じである。
さもなくば、多角化である。
のちに、東京タワーは、昭和37年12月から、ボーリング場を開業したが、
上場審査の当時、多角化の芽は見えなかった。

日本電波塔(株)は、いまも非上場だが、会社のデイスクロは、きちんとしている。有価証券報告書も公開している。

上海のテレビ塔(東方明朱電視塔)は、高さ467.9m、で、スカイ・ツリーができるまでは、世界3位の高さのテレビ塔である。
1994年ごろ、上海の浦東地区を訪問した。まだ、高層ビルは、多くは出来ていなかったが、テレビ塔は、一番下の展望台を営業していた。外国人の料金はベラボーに高かった。塔全体は建設中だった。
株式は、すでに上場してある、と聞いて、信じられない気がした。

いま、それを確かめようしたが、情報はない。

だから、日本電波塔(株)に敬意を払っている。


Posted by kinnyuuronnsawa at 10:37