最近のつわりのごようす。

まだつわる 少しずつではあるが、つわりも軽くなってきたような気がする。それでもあいかわらず食べ物の匂いがダメだし、吐き気は続いているけれど、食べ物もだいぶ食べられるようになってきて(その日によって食べられるものは違うが)、調子がいい時は吐かずにすむ。また、たくさん歩いたり、遠出をしたりして疲れるとひどくなることもだんだんわかってきた。もしかすると、この状態に慣れただけという話もあるが…。最近、「頭痛」という症状が加わった。ひょっとして風邪?でも、他に風邪っぽい症状はないから、やっぱりつわりなのかなあ。
 つわりのおかげで、ここのところ私は「外出恐怖症」になっていた。いつオエッとくるかわからないので、長い間電車に乗ったり歩いたりすることが怖くなってしまったのだ。最近のコンビニはトイレを貸してくれないし、まだお腹の出ていない私が道端や駅でゲーゲーやっていたらただの酔っ払いである(まだその辺で吐いたことはないぞ。ちゃんとどこかのトイレで吐いている)。妊婦に見えないからすごくつらいときでも誰も席を譲ってくれない。自分でもシルバーシートに座るのはまだ気がひける。もしかして、いかにも「妊婦です!」というスタイルの妊婦たちは、そのためにわざと妊婦っぽくしてるのかもしれない、とも思った。
「つわり明け」とやらはいつくるのか。そろそろ4ヵ月目に入るし、もうじきだと思うのだが、良くなったと思ってはぶりかえす。それに、終わる時は霧が晴れるように終わるのか、それとも徐々に回復して気がついたら吐き気が消えているのか?謎だ。ちなみに母は、私が生まれるまで続いたというから参考にならない。早くおいしくものが食べたいよう。

 そんなわけでなかなかつわりが終わらず出かけられないので、コスメも新しいものを手に入れられない。匂いがダメなので香水などもってのほか。おりしも世間はクリスマス、限定コフレでコスメフリークでなくとも女性たちが騒いでおるのに私ときたら、眉なしノーメークの日々…。スキンケアでさえ手を抜きがち。あーもう女捨ててるんちゃうかー?状態である。トホホ。
 最近の悩み。吐き気がするとつらくてどうしてもしかめっ面をしてしまい、眉間にシワが…。このままでは、普段でも気難しい人のようになってしまう。いやだよ〜!!


産卵前の鮭のきもち

川のぼり? 妊娠が進むにつれ、故郷札幌が恋しくて仕方がない。何故だ?
「不安だからじゃないの?」とやすはいうが、そういうわけでもなさそうだ。東京に疲れたのかもしれない。家の近所は学生街で、便利ではあるが大きな公園がなくちょいとゴチャゴチャしている。札幌だったら、適度に自然があるし、車でひょいとでかけられるし、何よりくいもんがうまい。ああ、私のんびりしたいのかも。というか、ひょっとしたら生まれた川に戻って卵を産む鮭と一緒なのかもしれん。本能的なものが私を呼んでいるのか?
 妊娠すると、結構本能が出てくるという話を聞く。妊娠中、他人にお腹を触られるのを極端に嫌がったり、産んでからも赤ん坊が他人に触れられるのを嫌がる母親というのがいるらしい。これは異常なことでも何でもなく、母性が芽生えている証拠なんだそうな。動物が子供を産むと狂暴になって、他のものを寄せつけまいとするあれだ。面白い!人間も動物なんだなあ。
 安心できる土地で産みたい。そんなわけで、里帰り出産を予定している私たち。もちろんやすも一緒に。


14週目の健診

どくどくハート '97年12月22日、二度目の健診がやってきた。今や健診の日は待ち遠しくなっている。あかんぼはどれくらい育っているのだろう。
 産科はけっこう混んでいた。どの人が妊娠で、どの人が婦人科に来たのかあまりわからない。もちろん明らかにママっぽい人もいるが…。今日は忘れずに検査表を持ったので、血や尿を取ったりして色々検査もされた。実は前に行った産院で、いくつか検査を済ませたはずなのだが、何をやって何をやっていないのかわからないので、結局やり直すことに。ああ、無駄なお金が飛んでゆく…。
 今までいやだった内診台も、だんだん慣れてきた。さあ、はやく今日のあかんぼに会いたい。
 ところが。14週目に入り、あかんぼがけっこう大きくなっているので、膣内エコーでは全身像がうつらないから、ということで超音波はなし。ガーン。楽しみにしてたのに…。
 そのかわり、心音を聞かせてくれた。初めて聞くあかんぼの心臓の音。凄い早さでリズムを刻んでいる。やった!生きてるぞって感じ。私以外の生き物の心音が、私の体内から聞こえるなんて。やっぱりお前は私の中にいるんだね。よしよし。
 何だか映像を見たときとは違った感動を得て、帰宅した。やすにも聞かせてあげたかったな。


入籍したよ!

結婚したよ! 同じ日、健診の後、私とやすは区役所へと向かった。予定としてはクリスマス・イブに入籍するはずだった。おぼえやすいし(私は記念日をすぐ忘れる)、24日はちょうど大安だったからだ。知人から聞いた情報では、書類を違う日付けに指定して出すことができるというので、今日行って24日付けにしてもらおうという魂胆だった。
 届けを出す受付は空いていた。事前に手に入れて記入した婚姻届けを係の人に出す。
「あのー、届け日を24日付けにできますか?できるって聞いたんですけど…。」
 おそるおそる尋ねる私達。
「え?いやー、それは無理ですねえ。提出して頂いた日が入籍した日ということになりますが…。」
 ガーン。情報はガセだったのか。それとも地域によって違うのか?だめとなったら、24日に出直すか、今日22日付けで出してしまうか、どちらかを選ばねば。
「どうする?私は別に今日でもいいけど。大安じゃなくたっていいじゃん?」と私。
「うーん、まあ、また来るのは面倒だけどね。ちなみに今日って何ですか?」と係の人に聞くやす。
 係のお兄さん、カレンダーを見て「…先負ですね。」
「先負かあー。うーん、まあ俺も別に気にしないけど、親とかは気にしないか?」
「うちの親ならきっと気にしないから平気だよ。縁起かつぐとかそんなの全然しないもん。」
「そうかなあ。結構気にする人多いけどな。文句言われたら面倒だしなー。」
 空いているのをいいことに、しばらくうだうだ悩む。
「それに、24日は混むと思いますよ。」というお兄さんの一言で決心がついた私達。
「じゃ、入れちゃおっか。」
 結局、この日受理してもらった。
「おめでとうございます。」と係のお兄さん。
 おお、ついに夫婦になったぞ。
 新しい戸籍ができた。北海道が本籍だった私と、鹿児島が本籍だったやすが、東京が本籍になった。「籍を入れる」と言うが、実際は新しい戸籍をつくるのが結婚なのだ。しかし、母子手帳同様あっという間であった。あっさり私の名字は変わってしまった。そう、私も今日からやすの姓。意識しないと忘れるな。
 とりあえず、近くのレストランで、二人で簡単にお祝いをして帰途へついた。
 今日から私も人妻だ。はちゃめちゃだった順序も、ようやくつじつまがあった。


年末、南国鹿児島へ

桜島にて 入籍がすんでひと段落と思いきや、イベントはまだまだあった。年末、'97年12月29日にやすの実家鹿児島へ、明けて'98年1月2日、私の実家札幌へ向かう手はずとなった。式はしないものの、それぞれの親戚には挨拶しなくてはならないのだ。しかも、私の両親のすすめで記念写真を撮ることになったから大変。急いでウエディングドレスを選ばなくては。うちの親戚一同は、毎年年末、札幌東急ホテルでお食事会をやっている。今回もそこでお披露目会をやることになったので、東急のレンタルドレスサロンへ行って私のドレスとやすのスーツを選ぶ。
 さて、私はウエディングドレスというものに全く興味がない。憧れも、着たいと思ったこともなかった。困ったことに、サロンにはハデでゴージャスなデザインのものばかり。憧れがある人にはうってつけだろうが、私はとてもじゃないけどこっぱずかしくて着れそうにない。その中でも一番シンプルな、タイトであまりひろがらないタイプのレースのものに決め、やすはちょっと執事かオスカル様か?て感じのフロッキーコートのスーツにした。二人並ぶと結構照れくさいかも。
 あとは親戚に配る二人のプロフィールづくりをしなければ。これも親に頼まれたのだが、こーゆーものは本人が作るものではないんじゃないか?まあいいけど。
 ああ、年賀状も書いてないし、「結婚しましたハガキ」も作っていない。二人とも仕事もあるし、間に合うのか!?…私のつわりもおさまらぬ中、まさに師走という感じで、とりあえず鹿児島へと旅立った二人であった。

 私にとって、初めての九州。何を着ればいいのか、どれくらいの寒さなのか、全く予想がつかないまま、鹿児島の地を踏んだ。
 着いた日は、大雨と雷が私達を歓迎してくれた(縁起がいいらしい)。ここの風景は、今まで見たことのない景色だ。奇妙な岩石の山、南国っぽいソテツの木、遠くに見える櫻島と鹿児島湾。南の火山の地だ。外は暖かいが、家の中はわりと寒い。こっちは家そのもののつくりが違うんだな。毎年必ず帰省していたので、日本で雪の無い新年を迎えるのは初めてだ。
 元旦にやす宅に親戚が集まってお披露目会をやるというので、準備がたくさんあるようだった。着いて一日二日は体調も良く、なるべく義母のお手伝いをと思っていたのだが、31日に櫻島に行ったりしてあちこち観光していたら、長旅の疲れも出たのか、ついにつわりがぶり返し、パーティーを前に倒れてしまった。義母や義父はとても優しく、「無理しなくていいよ」と言ってくれたので、結局ろくにお手伝いもせぬままお披露目会の時を迎えた。それでも31日の夜中から1日にかけては、やす一家4人で初詣でに行ったのだが…。
 お披露目会に集まったのは20人ほど。義母の手作りの豪華なおせち料理がテーブルをにぎわし、日本酒と焼酎がふるまわれる。義父と義母が用意してくれた金の盃で三三九度もかわしたりして、なかなか面白い会となった。ただ、ネイティブカゴシマンの喋っている言葉は、さっぱりわからなかった…。(もちろんあとで通訳してくれた)

 あっという間に札幌へ向かう日が来てしまった。嫁らしいこともできずに寝込んでばかりいた私に、「あわただしかったね。今度はゆっくりおいで」といってくれた義父母は本当にいい人たちだ。11月に会うまでは「あなた流おせちを一品お願いね」なーんて言われたら(ありえない)どうしよう、なんて緊張していたが、そんな心配は無用であった。今度は、孫をつれてきます。


一路、北国札幌へ

照れますが 飛行機を乗りついで、札幌へ。うってかわって氷点下の雪国だ。雪は少なかったが、やっぱり寒い。疲れがたまったのか、調子は悪かった。食欲も再び落ちてしまった。
 3日、パーティーの前にあわてて髪を切りに行く私とやす。私はここ半年髪を切っていなかった。ボサボサのびかけショートからすっきりショートボブに。
 夕方、父母と私達夫婦4人は東急ホテルに向かう。まずは写真撮影。これが思ったより大変だったのだ、準備が。ささっと終わると思っていたのだが、メイクやらヘアセットやら着付けやらに時間のかかること。徐々につわりが悪化してくる私。しかもやはり、人にメイクをしてもらうのは、楽しい反面「あ、ちょっといつもと違う…」ということもある。ピンクのアイシャドーなど、初めてかもしれない。
 そして、私はひとつ大きなミスを犯していた。タイトなドレスを選んだのはいいが、私のお腹は選んだ日よりも成長しているということを忘れていたのだった。ドレスのサイズは8号。妊娠前のミニチュアサイズだった私ならデカいくらいのはずだが、この時にはすでに9号サイズになっていた私。「入らなかったらどうしよう…。」とビビリながら袖を通したが、なんとか着れた。しかし、かなりぴちぴちだ。苦しい。
 写真撮影が終わるころには、すっかり具合が悪くなっていた。着物でお食事会に出席する予定で、ドレスを脱いで着替えたのはいいが、当然苦しく、食いもんなど入りそうにない。とりあえず着物も写真だけは撮ったが、すでにヨレヨレの私は笑顔はつくれなかった…。
 結局すぐ脱いで、普段着のワンピース姿に。この日はそのまま体調も回復せず、あとで祖母の家に行ったのだが、ヨレヨレのままであった。
 ちなみにこの日集まった親戚たちは36人、残念なことに弟が卒業試験のため帰ってこれなかった。

 その後の札幌での日々も、体調はすぐれず、あまり出歩けなかった。地元の友人に会おうと思っていたが、それもできなかった。食欲もあまりなかったが、帰ったら必ず食べている札幌ラーメンと「マジック・スパイス」のカレーだけは、やすを引き連れて食べに出かけた。札幌はやはり食いもんがうまい。
 余談だが、両父母たちは鹿児島と札幌とでお歳暮のやり取りをしていた。鹿児島からは焼酎(めったに手に入らない幻の焼酎らしい)と巨大なみかん晩瓶柚(ばんぺいゆ・ザボンに似てる)が届き、札幌からはカニを送っていた。両方の地方の特産物を味わえた我々は幸福かも。(焼酎は飲めなかったが…。)食いものはうまいものに限る。

 そんなこんなで、いつもの休みより時間が長かった(正月休みに慶弔休暇をくっつけてもらった)のに、何だか忙しかった鹿児島〜札幌日本横断新婚ホヤホヤの旅は終わった。疲れたけど、楽しかったなあ。さあ、東京帰って仕事だ…。