2007年09月

2007年09月30日

hikikomoriの日々

人生の終末をどうするか。
モノがたくさんあると本当に面倒臭いのであるなり。

まあ、あとの人が勝手に処分することゆえ、どうでもいいといえばどうでもいいことなのだが
あまりにも雑然としすぎていると人は全部テキトーに済まそうとするものである。
事実、親戚の人が亡くなったときには
その蔵書の大部分がゴミに捨てられたのであった。

故人としては
「あ〜それは捨てたらアカンよ。オークションで売ったらいいのにバカだねえ」
などとなかなか成仏できない状態になるのならまだしも
人は死ねば無に帰すので
故人は、故人になる前の言葉をかけられるうちに、
それらの有象無象について、どうにかするべきなのである。

そのまま整理してもよいし
生前に自分からウッパラうなり譲るなりするのもよし(矢川澄子がこの例)
あるいは、お店を作り、お店としてそのまま残すとか
一応、考えられるのは
全部生きているうちに手持ちをなくす
お店の売り物という形にしてしまう
というのが今のところ良いかも知れぬと思っているのであるなり。

まあ、私のような人間が居れば
死んだあとの遺物を漁る愉しみというものもあるのだろうが
そんなヤツは身内にはいないのであるなり。

合掌




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2007年09月26日

hikikomoriの日々

狸小路の老舗ともいうべき
新倉屋へ行く。

前回ここへ入ったのは20年以上前だと思うので20数年ぶりだ。
この店の前は何度も何度も通っているのだが
なかなか入らない。
なにゆえかわからんが。

で、今回は
ここで小倉パフェを食す。
これは、まさに老舗の味!
絶妙にしてチープなミルクっぽい味がかえって心を満たす。
しかも、こってり重厚である。
コーンフレークとかも一切入っていない。
予想では20年間何ら変更点がないような感じだが実際にはどうかわからん。
とにかく満足したのであるなり。まあ、680円なので値段はそれなり。
しかし、私が思うに、これが銀座なら1800円くらいじゃないの?
老舗ということで銀座と比較してみました。

それからココはただの古びた老舗ではなかったのであるなり。
いまどきのインターネットをさりげなく無料開放していたのである。
外見からは想像もつかないサービスだ!
ネットが出来るなんて入り口に書いてあったかしら。
中に入らないとわからない意外さ、その謙虚さに心を打たれる。
まあ、近所の公民館と一緒で、いろいろと設定に問題あるかもわからんがw
だが、そんなことは自己責任というものだろう。新倉屋という場所では。
内装も、時と共にそうなるべくしてなったような昭和の古さがまた心地よい。
私の知っている間の20年間、店構えは不変。
尊敬に値する。

また行きたい!というか、みなさんも、行くべきである。
シンクガーデンなきあとは新倉屋で。

老舗といえば
エプロンしたオヤジがやっていた
安いパスタ屋の「しゃべりたいしゃべりたい」と思われる
「しゃべりたい」という店を狸小路にて発見!
しゃべりたい度が半分に減ったのはなぜだろう。

たぶん前からあったんだろうが見過ごしていた。
ここのスパは350円から。
安いのである。ふつうに美味しいし。
次回はココへ行く予定なり。


合掌。




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2007年09月22日

hikikomoriの日々

これから数時間後に
火災報知機の検査の人が部屋の中へ入ってくるのであるなり。

なので、掃除をしているのだが
たぶん間に合わないだろう。

それなりに努力はしたので
「かなり危ない人の家」から「ちょっとやばそうな変人の家」
くらいには格上げしたものと思うが(微妙だが違うのだ)
まだ荒んだ雰囲気を脱していない。

ふたたびおざきゆみさんに管理してもらうつもりなのだが
それまでに
気色悪いほどファンシーな部屋
に作り変えなければならないのであるなり。
でないとおざきゆみが寄って来ない。

とにかくアレコレ
ばんばん捨てるつもりなのである。

私の知り合いで、ミクシの人は、あげますコミュを作ったので
そこで捨てるものの中から一部チョイスしてアップしていきます。
ほしいものがあればミクシ経由で連絡をしてください。
まあ、ゴミなんですけどね。ホントに。



ふと
時をかける少女のBGMの松任谷正隆の曲にそっくりな曲
というのを聞いたことをなぜか突然思い出す。
でも、それが何の曲なのか思い出せずにイライラする。
なんだろう。
酷くどうでもよいことだが気になる。





合掌


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2007年09月20日

hikikomoriの日々

人間というのはつくづく変なモノだ。

基本的には生物である。
いかに人間の十八番である言葉を巧みに使おうとも只の生物である。

電車に乗っているときに目の前のバアサンがサルにそっくりであることに驚く。
もはやサルに相違ない!と確信できるほどのサルなのであった。
そう思うと、ほかの人間の顔も、どっからどうみてもどいつもこいつもサル顔なのだった。
それもそのはずで、人間はサルなのだ。


人間が変なモノであるのは、人間が言葉を使うからだ。
言葉は人間の身体を拡大する。
言葉はさまざまなものを言葉に置き換えていき
それを利用して人間の身体機能を拡大していくのである。

拡大するのは、それぞれの固体の人間ではなく
人間という塊が団子になって拡大していくのである。
人間はこれを「社会」と呼ぶが、要するに
周りのもの(自然物)をひとつひとつ言葉に置き換えて組み立てていき
それを言葉によって動かしているに過ぎない。
それはもう、実に複雑で、ごちゃごちゃしており
言葉に置き換えられたものとはいえ
要するに、それもまた自然の複雑さそのものなのである。

全体でひとつ、という意味では、キノコみたいなもんである。
キノコはキノコの分際でキノコになろうとする。
人間の場合には、そういう謙虚さが少し足りない。
人間は言葉によって自身を拡大しようとする性質をもつので
人間は人間では終わらず、キノコも人間、牛も豚も人間という図々しさをもって拡大していくのである。

言葉はまたスケールを移動できる。
たとえば「宇宙」「素粒子」などとカンタンに言い換えられるものが
実は巨大あるいは極小で目に見えぬものであったりする。
言葉に置き換え組み立て上げられた言葉の構造物により
等身大では見えないものも実際に見えたりもする。
人間は言葉によって置き換えられる限りにおいて
スケールを自在に移動できる。

言葉はまた言葉によって言葉を置き換える。あるいは気分を置き換える。
それによって、思想や宗教のようなものが出来上がったりする。
これもまた変といえば変な代物だ。

こうしてどんどん置き換える先にあるもの・・・
それは要するに置き換えられるものすべてを置き換えて
再構築することなんだろう。
神というのは、要するに人間にとっての目標だ。
でも、それは無理だ。
すでに、ヘドロのようなものを生み出している。
太陽肛門のウンチに依存していながら、身の程知らずもいいところだ。
「宇宙」などと言っていい気になるな。

人間は、動物を絵に描いたりする。
それもまた言葉による置き換えの延長、もしくはその機能の一部を使った人間らしい行動だと思うが、とにかく動物を面白おかしく、それがあたかも人間であるかのような感じで書いたりする。要するに擬人化というやつだ。
それほど擬人化できていなくとも
動物の絵がさまざまなところで使われている。まわりを見回せばわかる。
それが何年前、何十年前、何百年前、何千年何万年前か知らぬが
動物と人間の区別がそれほど明確でないころの状況と同じような状況がここにはあってほほえましい。動物を書くというのは、それだけ身近な存在だということだ。
仲間だと言っても過言ではあるまい。

それが「宇宙」だとほざく。しかも、そんなことを真顔で事細かにほざきはじめたのは最近のことである。垂れ流しの害毒の濃度があがるのも当然である。

なんで、そんな無駄な活動をするのだろう。
やっぱり変なモンだ。人間は。


で、何がいいたいのか?というと
もうウンザリなのである。
言葉に置き換えるような生物でいることが!

アリンコはアリンコの生活の中で
アリンコであることにウンザリすることはないのかな?と思う。

猫は猫の生活の中で
猫であることにウンザリすることはないのかな?と思う。

おそらくウンザリすることもあるだろう。
同じ生物なんだから、そうたいした差はないだろうからな。
たぶん、やつらも一緒だ。
生きていることは、そんなにありがたいものでもない。
みみっちい民主主義教育の成果の中で騙されていたが。
死んだらすべて消える。
勿体無いような気もするが
私が始まる前も、私はずっと消えていたのだ。
ドブの上に浮かぶ気泡のような私。
ありがたいことである。




合掌。


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2007年09月18日

hikikomoriの日々

think gardenという喫茶店と札幌市民の行動について

シンクガーデンが今月で閉店なんだそうである。
今月閉店というと、うちの近所の「独楽なんとか」という喫茶店のようなところも閉店のようである。閉店続きなのである。
閉店というと、北24条にあったインドカレー屋の閉店がとにかくダントツにショックなのであって
あんなに美味しくて独特な風味のカレー屋は滅多にないことであるし
店内に流れていた妙にニューウェイヴがかったインド音楽もなんとなく好感がもてたし
ウェイトレスもどことなくガロ系で良かったし
個人的な印象としては
「奇跡的に旨いねこぢる系カレーの店」
という按配であったのに、もう今はない。経営していた礼儀正しいインド青年が、母国インドに帰ってしまったのであった。


さて、シンクガーデンだが
ここは、某高校の先生に教えてもらったので先日行ってきたばかりなのであった。

印象は実は良くない。
お洒落すぎなのである。
もっと毒がないといけない。

しかしながら、お洒落すぎだろうがなんだろうが、私がここを非常に高く評価するのは
別にお知り合いの年長者のお勧めだからというわけではなく
この喫茶店のコーヒーの値段が安いからである。

聞くところによると
奥の借景のような窓の前においてある長いすは
ル・コルビュジエの椅子なんだそうである。

ル・コルビュジエの椅子に座って、借景のような大きな窓からの風景をボンヤリ眺め、備品の建築の本などをパラパラと見る時間のつぶし方から換算した場合、コーヒーの値段は少なくとも480円はするだろう。580円であっても不思議ではない。だが、ここは、コーヒーもアイスコーヒーもどちらも350円だ。

350円!!!

一体全体、すわり心地のよい椅子に座ってノンビリできる空間で350円のコーヒーが飲める喫茶店というとシンクガーデンのほかにドコがあるというのか。
たとえばスタバのソファーと比べてみると
あきらかに借景の窓つきのル・コルビュジエの椅子に軍配が上がる。
スタバのソファーはいつ見ても満席状態。
シンクガーデンのル・コルビュジエはスカスカである。

札幌市民はどこをほっつき歩いているのか。

レックをやっていたときに、ヒマすぎてどうせ人も来ないからとドアの鍵を閉め、店内に置いてあるソファーベッドを完全なベッド状態にしてねっころがりながら私はいつもそう考えていた。

札幌で流行れば全国でも流行る、みたいな言い草があるけれども
要するに、札幌市民の感度はあまりにも悪く鈍感なのである。
これだけ感度の悪い札幌で流行れば、いくらなんでもどこでも流行るに決まってる
ということなのだろう。

シンクガーデンがガラガラというのは、どう考えても異常である。
見かけに合わせてコーヒーが高いのであればわかるけれども350円なんですよ!
まあ、もう閉店だからどうでもいいが
札幌の安い喫茶店がひとつなくなるのかと思うと悲しい。

あと、やっぱり、お洒落すぎである。
もっと毒を。毒がまったく足りない。

合掌。










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2007年09月15日

hikikomoriの日々


とりあえず展示用の人形が出来たので
十蘭堂での「SEAN SLOVER+NAKAI MUSUBU展」に追加で展示をしておく。
これは9月末までやっております。

シンクガーデンへ行ってみるなり。
なかなか過ごしやすいソファーに借景のような窓があって非常によい按配だが
なぜか客がいないのであるなり。
おしゃれな空間だからといって、コーヒーが高いわけでもなく
むしろかなり安いと思われるのであるが(350円)
なぜかやっぱり人がいない。
これは客にとっては最高だが、これでいいのか??
まあ、別にいっか。

ちょっとおしゃれ過ぎで毒がないので
その点がどうにも落ち着かないのであるなり。
毒が必要。

札幌はもう飽きたかもしれない。
沖縄も雰囲気はよいが死んだように生きているだけだ。
これから何をしようかな、と思う。
なにをしても無駄な御託にしかすぎない。
はた迷惑な遺言のような代物だ。
なにもしないのが一番良いのかもしれない。
人間の寿命は長すぎやしないか。
猫の寿命くらいが丁度よいのではないだろうか、と思うなり。


合掌。




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2007年09月09日

hikikomoriの日々

人形のお腹をくり貫いて、小部屋を作っているのだが
そのお腹の扉の蝶番に苦戦するなり。

暇つぶしにも、適度な苦戦はむしろ心地よいものなのであるなり。

暇つぶしの人形制作の合間の暇つぶしのために
本を買う。

新刊本屋で
鈴木志保の「エンドアンド」「ちむちむパレード」「船を建てる上巻」計3冊
古書屋で
「人間探求」「あまとりあ」計9冊
さきに買った「黄昏のウィーン」も部屋を掃除してから
ゆっくりと読みたい。
(最初のほうを読んだ限りでは、読みやすくて上品になった昔の秋元文庫とか女学生の友といった按配か)


鈴木志保の漫画には、独特な間があるけれども、画期的というほどではなく、上手にこなれていて一歩リードした感のある大学漫研作家みたいなものだろうか。
しかし、あのキャラクタの使いっぷりは異常で、そこが良い。
読後感も爽快。

市場大介のような漫画ばかりが掲載されている漫画雑誌があったとしたら
鈴木志保は、その中でキノコキノコかなきむしメルヘンのような扱いの漫画ということになるだろう。
つまりは、そこが良い。

カバーうしろの略歴のところに「グラフィックデザイナーやアーティストのファンも多い」という記述にうんざりする。つまり、そこはダメだ。きもちわるい。とはいえ、その部分は鈴木志保本人とは関係ない部分かも知れないのでアレだが。とはいえ、この略歴の文章を書いた人が世の中にひとりいるわけで、そのひとりに対して、こんな文章書いてこっぱずかしくならなかったのか?といいたいのであるなり。

人間探求では、絵で見る動物交接の驚異、というのが面白かった。
なにごとも性に関して仰々しく高等に捉えようとするバカさ加減が高橋鐵の面白さだと思うのだが、動物交接の絵に素朴に驚異するなり。

合掌























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2007年09月06日

hikikomoriの日々

ブコフにて岡村孝子の『Ballade』というCDを買うなり。
250円。どれもこれも岡村孝子は250円。

岡村孝子のCDは有り余っているのでとても安いのであるなり。
なんでコレを買ったかというと
「電車」という曲がどうしても聞きたかったからである。

岡村孝子など全く興味がなかったのだが
オクションをしていたときにファンクラブ限定ビデオというのを
どっかで100円以下で入手し、転売しようとして画質確認しようとしたところ
この電車のプロモが入っていて、それがあまりにもチープ80年代初頭風の最高の編集で感動し完全に嵌ってしまい、ビデオは売るのは止めたのだが、そのビデオがどこかへいってしまったので消化不良を起こしていたのである。

なんかビデオのとはアレンジが違うような気もするので
気がするだけかもしれないが、まだなんとなく不満。
やはりビデオ自体を入手するしかないのか。

ファンでもないのに、オクションでビデオを買うとなると
100円では到底買えないのでちょっと嫌だが、見たいのでどうしようかしら
バカみたいだけど買おうかしら?と本気で思っているので
ほんとに嫌だ。

それにしても、この電車という曲は
初めて聞いたのがビデオ確認した2000年以降だが
何度聞いても、80年代初頭の空気が濃厚である。
大学1,2年の頃の感覚がよみがえってきて、
ちょうどその頃はアホ大学生生活を満喫しており
左翼系サークルのなんとかセツルとかで高校生と遊んだりして
なんとなく恐ろしい感じだ。

合掌。







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2007年09月03日

hikikomoriの日々

十蘭堂での展示期間が9月末日まで伸びたので
いま作っているミニ関節人形を展示するべく急ピッチで作業。


ゴムでパーツを繋げてみたら
触っているだけで結構面白い。

動かすたびに「カチャカチャ」と音がするのも良い。

左足と右足の長さが違うので
自立は出来そうにないと思っていたが、かろうじて自立できたのであった。
身体の大きさが小さいせいだろうか。
それにしても、またしても頭がデカイのだが、どうにかならんもんかね。
サンダーバード人形のようなのであるなり。
ま、これもクセなんだろう。


部屋の中がこれ以上は汚くなりようがないくらいに汚いのだが
今週末に「火災報知機の検査の人」がやってくるので
遂に、部屋の中を片付けなければならない。

なんかヤダ。
まだゴミに埋もれていたい気分なり。


合掌。













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2007年09月01日

hikikomoriの日々

十蘭堂にて松川氏とプチ談。
その真面目で温厚な思想をつつきながらウーロン茶を飲む。
珍しくコバヤシ3人組(+1名)も来ていたが
その中ではミキオが一番おしゃれでなのであった。
これならばいつカレシができてもおかしくないと親鳥のように満足して思ったのであるなり。


この日、一番面白かったのは
カマダリが旦那から「あなたの一番好きな詩人・・・だれだっけ」
みたいなことを唐突に聞かれて口ごもったときで
その心象としての背景が映画のように読み取れて面白かったのであった。
実にお幸せなことで、そのおすそ分けを頂いたような按配でありがたい。
実にオモシロハッピーな瞬間なのであった。


大丸藤井へ行ってみたらセールをしていたので
いつも使用している粘土を大量に購入。
もっと買いたかったが在庫がもうない。
ラドールでも良かったのだが、同居人によると
ラドールのほうが扱いにくいとのことで躊躇してやめる。

でも、あと20個か30個か40個は必要なんだがどうしよう。


とりあえず14個、いつもの粘土を購入。
さっそく作り始めるなり。


設計図を適当に描いたら、結構な大きさになってしまう。
定規が見あたらないので計ってないが80センチ以上はありそうだが
まあいっか。

2体同時に作り始め、頭と胴体上部で粘土を4個使用。
現在乾燥中。
これで数ヶ月は暇つぶしができる。

合掌。









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