2004年10月15日

123

変わる事の無い一日が、今日も始まろうとしていた。
 六時が過ぎる前に起きたことも、ラジオから流れる天気予報の内容を手帳に書き込んだことも、髪を洗ったことも、ひげを剃ったことも、眼が覚めると部屋がひんやりと寒かったことも、寝ているあいだもラジオが流れたままになっていたことも、鏡の向こうに映った自分が抽象画の画家が書いた自画像のように間抜けだったことも、そんな何もかもが普段とさして変わらない一日の始まりだった。
 いつもの一日が始まるはずだった。(少なくとも僕はそう思っていた。) こんな風に朝が過ぎて、パソコンに向かって文章を打っていると昼になる。少しだけ外に出て取材をしたり取材をされたりして、また誰も居ない部屋へ戻る。そんないつものような一日が。退屈で平凡な一日が今日も過ぎるのだと、僕は信じていた。しかし、いつもどおりの一日がそうではなくなってしまった。それは、僕にとってでさえ思いもよらないことだった。なぜそんなことが起きたのだろう? それは、朝から立て続けにかかってきた電話のせいかもしれない。
 一本目の電話は、髪を洗っている時にやって来た。受話器を持ち上げると、僕がなにも言わないうちに、ヤマダ・タロウです、ダイヒツ屋です、と小さく弱々しい声で呟き始めた。そのあともなにやら呟いていたが、それは口にしているかどうかすら良く分からない小さな声だった。そのために僕は黙りこくることしか出来なかった。僕が何かを口にしようと思ったとき、電話は切られてしまった。ダイヒツ屋が代筆屋である事に気付いたのは、電話が切れてから数分たってからの事で、以前書評のコラムを編集者が代筆屋に依頼して、それを僕の名前で雑誌に掲載したことを思い出したのは、この電話の話を彼女にしてからのことだった。
 二本目の電話は、高島からだった。電話に出てすぐに、今日は付き合ってから三百日経ちました、と彼女は言った。僕が、それぐらい覚えているよ、というと彼女は、ウソつき、と短く言った。それから僕は、彼女のたわいも無い話に付き合った。音楽や、映画や、他人の恋愛や、そんな大したことでもないのだけど、楽しくなるような話を。僕は、さっきの電話の話をして、彼女は友人が恋人との結婚に原因すら知らされないまま反対された話をした。全くといっていいほどつながりの無い話だったが、どこか胡散臭いという点は共通していた。こんな電話は、いわば彼女が行う出勤前の習慣のようなもので、それに付き合うのが、時間がある程度自由になる僕の役割だった。彼女から電話が来るのはいつものことだったが、この電話が三本目の電話を遅らせたことは今日が始めてだった。
 三本目の電話は、出版社からのものだった。
(さっき、ヤマダ・タロウって男から電話きませんでした?)
 来た、と僕が短く答えると、それでどうしました、と聞かれたので僕は、ぼそぼそと訳の分からないことを話されて、挙句の果てに切られてしまいましたよ、とありのままを話した。すると、電話の向こうから編集者の声が消えて、その代わりに訳の分からない音楽が流れてきた。訳の分からない音楽に耳を傾けながら、そのとき僕は、ようやく書評のことを思い出した。電話の向こうから聞こえる声が再び声に戻った。それとほぼ同時に、ヤマダ・タロウはあなたの書評を書いてくれた人です、という編集者の声が聞こえた。そして、すぐに仙台に行ってください、それでは迎えに行きますから、と言われ電話は切れてしまった。
 よく分からなかったが、とりあえず仙台に行く事になってしまったらしい。迎えが来るまでに、とりあえず散らかってしまった部屋を片付けようかと思った。文章を打ち込むパソコンの周りには新聞がなにかの塔のように積み重なっていたし、書棚は何が置かれているか分からないぐらい汚くなっていた。
 まず新聞を全て捨てた。これは比較的簡単な作業だった。その次に書棚の整理に入った。自慢できることではないが、僕は殆ど本を読まない。僕が今までに読んだ本は、ベルンハルト・シュリンクの朗読者と、大宰治の人間失格と、村上春樹のノルウェイの森だけだった。この話を彼女にしたら笑われた挙句、そんな作家は私が知る限りあなたしか居ないと言われた。今のところこの秘密を知っているのは、編集者と僕と彼女だけだ。
 もちろん多くの小説を読もうと努力はしたし、そのために大きな書棚に多くの本を詰め込んだ。しかし、最後まで読んでみたいと思える本はその書棚の中で三冊しかなく、他の本は数十ページ読んで飽きてしまった。もっとも、その三冊は今までに何度となく繰り返して読んだが、他の本はほとんど読まなかった。しかし、人がこの家に訪れたとき、何も無い書棚を見られるのことは格好が悪いのでいつも書棚には多くの本を詰め込むようにしていた。
 僕は、無造作に置かれた本を几帳面に分別する事を始めた。どれも僕が読んだことも無い小説ばかりだ。正しく言えば、読んだ事はあるがすぐに読む事を止めた小説たちだ。でたらめにページを選んで読んでみたが、やはり失望させられ、すぐに本を閉じもとの場所に戻した。
 やがて、本を全て分別してジャンル分けしそれぞれのスペースに入れ終わった僕は、あちこちに散らかったままになっていた資料の整理を始めた。大半は新聞や雑誌のスクラップ、行政資料のコピーなどだったが、その他の――たとえば、手紙や、写真や、テープなどもあった。
 僕はその中から一葉の写真を見つけ、それを手に取った。右下に薄く印字されたオレンジ色の日付は、もう十五年ぐらい前のものだった。雪が降り積もる中で撮影されたその写真は、周りの景色だけが明るく、誰かが映っている部分は景色を切り取ったように暗くなっていた。ふたつの影は近づくこともなく、むしろ離れていた。ひとつの影は左の隅にあり、それは僕だった。もうひとつの影は右の隅にあり、この影の方がレンズに近づいていた。
 この影は、誰なのだろう? あれから流れていったほとんど変わる事の無い一日の積み重ねは、少しずつ昨日を消し、昨日の昨日を消して、十五年も前のことなんて全て消してしまったのだと僕は思っていた。それでも、僕には右の隅にある影が誰だったかを覚えていたし、僕がそこで右の隅にいる影にどんなことを言ったかについても、はっきりと覚えていた。いま、僕がその影に何かを話しているように。
 その事を忘れる事はできる。でも、消す事はできない。と、僕は思った。その後、何を考えているのだろうと冷静になり、僕はその写真を大して面白くも無かった小説に挟んだ。裏側には薄い字で、京華より、と書かれていた。


kinosita1991 at 14:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)