紀尾井文学会

上智大学紀尾井文学会の公式ブログです。日々の活動報告から書評なぞまで。

角野栄子

魔女の宅急便その3 キキともうひとりの魔女

そろそろ秋の涼しさが流れてきましたね。
もう大学も始まるなあという頃ですが、おかげさまで2年の夏休みは
大変充実したもので終われそうです。早い計画って大事ですね・・・!

 さて、今回は「魔女の宅急便」シリーズの3巻目を紹介します。
 キキは16歳、ジジと一緒にコリコの町を愛し、オソノさんやトンボさんといった人たちとも仲良く平和に暮らしている中、唐突に、ケケという不思議な女の子に会います。彼女は12歳の子供だというのに、小悪魔のようにキキと張り合ってきます。キキはだんだん、彼女に自分の生活を奪われていく気がしてならず、危うくジジと仲違いまでしそうになります。
 この巻では、キキの大きな成長が感じられます。というのも、キキは心のどこかではケケと張り合っているのですが、おしゃれに力を入れるなど、自ずと自分を磨くことに精を出していきます。とりわけ印象的だったのが、自分を見出したいがために空へ箒で登りつめ、トンボさんが好きだと自分で気づく場面。「この町が好き、トンボさんが好き」と心に誓って言ったとき、キキは突然空から落ち始めるのです。魔法使いは恋をすると、その力が弱まる。この原理は、ジブリアニメの魔女の宅急便にてジジが子をつくり話せなくなったことや、他のファンタジー作品で魔法使いが力を失わないよう結婚しないことにも共通してあります。けれど何故恋をすると魔力が衰えるのか、魔女の宅急便は児童文学という易しくリズム良い文体で伝えてくれているような気がします。キキは最後に、自分の負った腕の痛みを「おわりのとびら」だと表現します。この言葉は、「魔法の存在は幼いキキにとって母親であり、それを失くすことはつまり『自分』を確立していくこと」だと、ふと思わせるものを持っています。魔法という支えを常に持って生きる状態は、自分から好きな場所を見つけ、自分から好きな人を見つける――そんな主体性を以て崩れていく。これは世界中の成長してゆく16歳に共通する、いわば転機なのでしょう。それは夢見がちな気持ちが崩れるという意味かもしれないけれど、そんな夢見る心がキキのように「夢を叶える気持ち」に変わるなら、そこには希望がありますよね。ケケはキキにとって心に纏わりつく異物だったかもしれないけれど、これも1つの出会い、成長のきっかけだったのです。
 最後のラジオから流れる歌の、「自分が自分に出会うとき あなたにもいつかある」という歌詩は、きっと誰にも胸に染みる言葉ではないでしょうか? ファンタジー小説好きとして、こういった心の成長を組み込む幻想小説が広く知れ渡ることは嬉しいし、敬服の念も感じられます。

魔女の宅急便

 現代において、魔女という存在は存亡の危機にさらされていると言って良いであろう。何てったって一端の魔女であっても出来るのは、箒で空を飛ぶ事とくしゃみの薬を作る事だけ。頭数もめっきり減っているというのだから。そういえばそれなりに大きな街に生来住んでいるこの私も、本物の魔女となるとお目にかかった事は一度もない。
 その様な魔女たちにとって、成程様々な街へ拡散する事は、その存在を世に知らしめるという点においては有効であろう。しかしいくら何でも、高々13の女の子を突然世間の荒波におっぽりだすのは酷ではないか?私はこの物語――我々が目にする事の出来る数少ない魔女の実態――を手に、ふと思うのである。

 うーん、とまあこんな風に持って回った書き方をしてみたものの、この調子だと書き上がるまでにあと3週間くらいかかっちゃいそうだなぁ。理系のAです。
 やっぱりこういう記事となると、どーしても人に読まれる様な文章を書かなみたいな気持になっちゃいますよね。とはいえ続編のレビューを先に書かれてしまったとなると、この際なりふり構わずつらつらっとであっても、早いとこ書いてしまった方がいいのでしょう。半年前の二の舞です。

続きを読む

魔女の宅急便その2 キキと新しい魔法

台風も近付くなど、風はすっかり秋の様相ですが、未だに木々の生い茂ったところでは蝉の残ったものが鳴いていますね。3年のKです。今回は『魔女の宅急便その2』のレビューを担当させていただきます。
 

 これは、「魔女の宅急便」シリーズの第2作目です。前作を読まれた方、あるいは映画をご覧になった方はご存知かと思いますが、前作ではキキが魔女になるという決断をし、新しい町で一年を過ごすというお話でした。一年目というのはやはり忙しいものですね。両親の元を離れて他の町に移り住むというだけでも一苦労ですが、そこで仕事を得て町に馴染んでいくという13歳の女の子でなくとも大変なものです。
 二年目ともなると、新しい環境にも慣れて余裕も生まれますね。高校二年生、大学二年生、そして社会人二年目も然り。しかし、それだからこその悩みというのも生まれるわけです。仕事の上での失敗やとんぼさんとのちょっとした考えの違いから、いつも元気なキキの様子が少しおかしくなります。果たして自分はこのままでいいのか、宅配の仕事が本当に他の人々のためになっているのか、魔女としての能力をどう使えばいいのか…。誰もが必ず経験する悩みですね。

 個々の作品を見ても明らかですが、今回のキキの物語のスタートはあまり順調とは言えませんでした。結果として良き友人と出会うきっかけとはなりますが、コリコの町に戻ってきて早々にパチンコで撃ち落とされるといのは先行きの危うさを感じさせます。また、動物たちが数多く登場する愛らしい第2話では、この作品全体に関わるキーワードが語られます。話を追うごとに些細な失敗が徐々に積み重なってスランプに陥りますが、町の人々とのふれあいを通じて彼女なりの結論に至る過程もまた同様にゆるやかです。このような連作短編集の構成にも注目したいものです。
さらに、この作品はシリーズものですので前作との関係を簡単に述べますと、キキの成長表す出来事として「薬草づくり」を学ぶ決心をするということがあります。薬草づくりとは、キキの家にたった二つだけ伝わる魔法の一つです。もう一方は箒で空を飛ぶことですが、これは彼女が非常に得意とすることでした。これに対し、おてんばなキキは薬草づくりには興味がなく、細かな作業の好きな彼女の母親の誇りとする魔法でした。ここに箒=キキ、薬草=母親という対立が描かれており、このことは「魔女」という職業に対する両者の考え方との違いにも結びついています。前作でキキは、折に触れて「伝統」という言葉を口にする母親に対して軽い反抗心を抱き、自分らしい魔女になると心に決めます。つまり、キキにとって薬草づくりは「伝統」に縛られた母親のものだったのです。それが今作の一年を通して変化します。それは、キキが「魔女」としてコリコの町で暮らすなかで、自分に何ができるのかを考えた結果でしょう。「伝統的」な魔女であることを自身の個性として受け入れるようになったというのは彼女の成長の証です。一言でいえば、前作は魔女「になる」ということが主眼となっていたのに対し、今作では魔女「である」ということが扱われているようです。
 

 さて、「魔女の宅急便」シリーズは第6巻まで続きます。キキはこれからどのような人生を歩んでゆくのでしょうか。楽しみですね。

角野栄子のちいさなどうわたち1

夏休みが怖いくらい充実している理系で4年のMです。秋だというのに暑いですね。

この度私が担当になりました『角野栄子のちいさなどうわたち1』にはおばけのアッチ、コッチ、ソッチ、の物語が一つずつ収められています。
一番目のアッチはおいしいものが大好きなおばけの男の子(少しぽっちゃり)で高級レストランの屋根裏に住んでいます。二番目のコッチは床屋さんに住んでいるきれい好きなおばけの男の子で、最後のソッチは歌が大好きだけどちょっと(かなり?)音痴で泣き虫な女の子です。
どのおばけもとても可愛らしくて素直に楽しみながら癒されながら読んでいました。おばけたちが子供たちと関わることで少しずつ成長していく、と言ってしまえばそれだけなのですが、佐々木洋子さんの絵と相まってキュンとするような可愛さがありますし、さりげなく大切なことを教えてもらえているようで、子供に読み聞かせてあげるお父さんお母さんも楽しいのじゃないかなぁと思いました。

アッチのお話は、おばけをちっとも怖がらないエッちゃんの大人な対応が素晴らしいです(笑)レストランで好き放題して調子に乗っていたアッチは我儘に育ってしまった小さな子供みたいですが、エッちゃんと接することで大きな成長を遂げます。文章ではっきり書いてあるわけではありませんが、一番最後のイラストはアッチの成長が如実に感じられて心が暖まりました。また、話の筋には関係ありませんが、アッチには小さい頃に随分お世話になったので、昔の友達に再会したような懐かしさもあって、とりわけ楽しく読むことができました。

コッチはアッチとは違って模範的ないい子のおばけです。そんなコッチが出会うのもエッちゃんのようないい子ではなく、身だしなみを整えるが大嫌いという気の強そうなココちゃんです。そんなココちゃんとの出会いでコッチが学ぶのは規範ではなくむしろ多様性ということになるのでしょうか。いかにも真面目そうなコッチがココちゃんの活発さに引きずられてはしゃいでいるところはとても楽しそうです。ココちゃんの方もコッチのようなきれい好きもたまには悪くないな、という様子で、違っているから面白い、というのが嫌味なく伝わってきました。最後の一文がまたにくいのです。ほのぼのします。

最後はソッチ、唯一の女の子です。この子は一人ではなく複数の子供たちと関わることになるのですが、その子たちがまたみんな優しい子ばかりで、先生も含めてみんなそろってソッチをサポートしてくれる様子が素敵すぎてにやにやしっぱなしでした。ちょっとくらい声が怖かろうと見た目がおどろおどろしかろうと惑わされずにソッチの可愛らしさを引き出した生徒のみんなに拍手です。

3編ともおばけであっても当たり前のように優しく受け入れてくれる世界観がとても心地よかったです。子供にも親にも人気のある理由がよくわかりました。心がささくれたときにでも、癒されてみてはいかがでしょうか。

わたしのママはしずかさん

日が傾くのも早くなり、個人的には最早秋だと思っている今日この頃。
作中の「インディアン嘘つかない」に対して、ローンレンジャーなんか通じないでしょうと思っていたら慣用表現と化していたと知り、驚愕を隠せない二年のKです。

まずは本の紹介を。「わたしのママはしずかさん」は、主人公であるわたし、リコと彼女のママ、しずかさんのお話です。
リコは随分と大人びた少女で、逆にしずかさんはとても子供っぽく、しずかさんの巻き起こす事件を中心に話が語られる中でリコは段々としずかさんへの理解を深めていきます。しずかさんの起こす事件はいずれも突拍子もないものですが、憎めない人柄で、悩まされながらも楽しそうな毎日が綴られています。

この作品におけるリコ一家は全員変わった人なのですけど、タイトルのしずかさんは一番インパクトがあります。しかしただ変わった人のお話、というわけではなく、空回りを演じる中で巻き込まれる人々が意外なことに気が付いたり、本質をさらけ出させたりと、愉快かつ興味深い構成です。解説にある通り、ユーモアのあるお話でした。やはりこのお話は、大人なのに子供っぽい人がやることに意味があるのでしょう。子供が大人の鼻を明かす系統の児童文学のような側面を備えていると思います。

以上のような性質から、大人が読んでも面白いのではないでしょうか。大人であるが故に感じられるものがあります。自分の幼いころを思い返しながら子供と大人について見つめてみるのも面白いでしょう。
Recent Comments
記事検索
タグクラウド
Twitter
  • ライブドアブログ