2006年01月10日

統合。

小説用ブログも完成しましたので、本格的に統合します。
今月をもって、このブログは閉鎖となります。

以下、移転先です。

日常・趣味の雑記等
→「試験的日記だぜよ」
 【 http://www.mypress.jp/v2_writers/kiri_kyou_s/ 】

小説の公開・連載等
→「桐生堂出張所」
 【 http://www.mypress.jp/v2_writers/kiri_dou/ 】

今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m  
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2005年12月31日

初心、忘れべからず。

今年は創作復帰の年だった。

おかげで、何でも楽しんでできるようなったと思う。

来年も書き続けたいですね。
それと、サイト運営。
密かにやりたいのが、コミュニティ(?)の創立w
っていうか、創作ネットワーク構築ですかね。

そして、できればイベント参加もまたしていきたい。
小説って需要ないから、ゲームとか作りたいな。

やっぱ、ネットワークを作っていきたい。

夢桜は現在創作サークルとしてはやや弱体化。
このままではサークルとしての維持はできても、活動の発展はできないかも。
なので、新たなるサークルに結成。
もしくは夢桜の再興(?)をしたいなぁとw

良い歳になっても、まだ続けますよ?w

よし――来年はさらなる躍進の年にするぞ!

今年もお相手、ありがとうございましたっ!  
Posted by kiri_kyou at 01:23Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月28日

あちゃーっ

秘密組織『字書き仲間の会』にて密かに進行中のお題作品。

書いたはいいものの、テーマとは離れるわつまらんわでもうorz

やっぱりテーマがある場合はきちんと固執しないと駄目ですね。
そんなわけで書き直し〜♪

A案B案用意していたので、今度はB案を。
どちらかと言えばこちらの方が「挑戦」的な要素は大きいのかな。
がんばりますw

しかし、密やかな集まり(?)というか、微妙なネットワークも良い物ですね。
なんかこう、書くことを楽しめる時間が増えますしw

うーん、40分で10ページ弱のを書き上げるとは……遅筆のおいらにしては早い方だったかのか。
む、だからつまらんのかなぁ……。

短編はオチ勝負がおもしろいと思うのですが、今回、恭丞は敢えて「手法」で勝負!w
読んでいただける機会をお持ちの方、寄色作品をお待ちくださいw  
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2005年12月24日

挑戦。

実際に、ちょっとした程度。
意識を変えただけでも、作品っていうのにはそれが顕著に出てくるのだなぁと。

「案ずるより産むが易し」という感じw

体に染みついているような「字書き」という感覚。
だから意識を変えただけでも、変化が出てくるのだろうか。
実際、小説っていうのはパッと見た程度や、ザーッと読んだ程度では、その作家の変化や成長はわかりにくい。断言したい――わからないw

でも、自分の作品に微かな違和感を感じるわけで。
違和感――良い意味で。

望んでいた形に向かう、微かな変化。
きっと、意識がそうさせたんだと思う。

「新しい自分の物語を――」
そう思う意識が、自分の作品を変えているのかもしれない。

変化っていうのは、実は結構怖かったりする。
前述のように変化は「違和感」を生むから。
自分を知っている人にとって、その違和感はどう捉えられるのか――。

そう考えてしまうと、それはそのまま「恐れ」へと直結される。
今は、違う。
恐れてはいけない。
これは、自分の挑戦なのだから。
昨日と同じ書き方では、いつまで「新しい自分の物語」は作れない。

脱却。
昨日からの。

変えていくのは、意識。
実際に文章を大幅に変える必要はないんだと思った。

良かった。
変化させた構成に、表現もついてきてくれている感覚。
表現という部分においては、一時的でなく、きちんと基礎として身に付いているらしい!

挑戦――これって、楽しいですね。
危険もたくさんですが(^^;  
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2005年12月16日

セカンドステージ。

表現力――そういう意味での「文章力」として。
自分的に、この文章力は一定水準という評価をいただいているわけで。
ここでの一定水準とは「自分の想像が他人に伝わる」ということ。

つまり、「読めるが大して印象強いわけでもなく、別段おもしろくない」という評価が、おそらく現行の拙作には適切なのだろう、と。

そこで、昨今「表現力」の追求ばかりしていたが、それをここでいったん切り上げ、重点を「構成力」へと向けて行こうと思う。

正直現行の「量産型構成」ではそこそこの物は作れても、突出した印象を受けてもらえる作品は不可能。
過去、おもしろかった作品を読み返しても、そこにあるのは高度な表現力によって描かれる「革新的構成」によって組み上げられた物語。

実用と機能を兼ね備え、尚かつ独創的価値観で作られた陶芸品とでもいうのだろうか。

実用、すなわち表現力。
機能、すなわち構成力。
そして独創的価値観――つまりは、その人でしか表現できない、世界観。
しかしその世界観は受け入れやすく、共感を得やすい。
受け入れやすいということ。

独創性はややもすると独りよがりとなり、汎用性を欠いて、他人には理解不能という状態を起こしやすいと思っていたのですな。
ですが、その独創性を使うことを恐れていては、いつまでも「量産型」から抜け出せないでいるのかもしれない、と。

過去の拙作は、確かに独創性があったと思う。

しかしながら、今は無駄についてしまった知識(と言ってもたかが知れている)のせいで、その独創性というものが稀薄になっていると思う。

要するに「存在しない物は存在しない」という定義に、暗黙的に束縛されているのだ。これは深層意識レベル。
そしてさらには「存在しない物を存在させるには相応の理論を要する」という、詳細設定の脅迫ともいうべき状態へと、事態は進歩ではなく譲歩する。

「詳細設定の脅迫」はSF等で多くみられるが、名作と呼ばれるSFになると、実は案外詳細な設定はない。
あるのだが、表には出ない。

普通、作った設定はそのすべてを使おうとしてしまい、結果、物語を薄めてしまうこととなる。設定馬鹿と、昔そんな言葉もあった。

独創性とは詳細な設定という、マクロなレベルではなく、もっと広義であり、物語全体を、本来は指すのではないだろうか。
つまりは、「独創性のある物語」
文章、構成、人物等、すべてにおいての独創性。
文章で弱、構成で強、人物で中――この割合で独創性を表現・伝達することができれば、それはその人にしか表現できないエンターテイメントとなると思う。

汎用性の高い娯楽的物語は、個人的思想を内包し、それを完全に隠蔽して、最高のエンターテイメント作品となるのかもしれない。

独創性は非常に扱いにくい暴れ馬。
しかも、それは自分の中にあっても、気付きにくい。
ましてや、他と「価値観の協調」を良しとする社会において、個人の独創性を発見・発現するのはきわめて難しく、気付いたそれを表現するのは勇気のいることだとも思う。

「自分と他人との差別化」

物語構成を考えるということは、自己啓発に通じる物があるかと。
真の自分を知ることで、自分にしかできない物語を構成・表現していくこと――

桐生恭丞、ここからセカンドステージに入ります。  
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2005年12月15日

一つ壁越えて、またもう一つ壁。

先日、入浴中に「ぼかっ」という感じで、数ヶ月ほど悩んでいた壁を突破w
それで少し書いていたら、また新しい壁に……。
でも、今度の壁は書いていく中で、掘り進めている感じかな。

うーん、抽象的だw

自分的に、まだまだ物語構成が甘いという弱点がある。
こればかりは日々の鍛錬しかないわけですね。
「このストーリー展開がおもしろい!」と感じた物を読み直し、再分析かな。

おそらく、今の自分の課題はそこ。
文章力は衰えないように、日々書くことで維持しようと思う。
構想力はプロットを作って養っていこうかな。

でもまぁ、プロットって上手く書けないから本文から書いちゃうしかないんだけどね……。  
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2005年12月13日

お立場を考えよ。

「自分の立場」っていうのがあるんですよね、やっぱり。
立場、地位、プライド。
――僕的に思うに、それは対外的な「態度」を決める尺度なんでしょうかね。

一貫した態度。誰にでも公平な態度。
そういうのが「良い」とされますが、本当にそうなのかぁと思うこともしばしば。

「巧言令色、これまた礼」という言葉があるようで。
巧言令色とは、相手の顔色をうかがいながら、言葉を選ぶというような意味。
それもまた、礼儀だと。

特に昔の人間は、歳食っていれば偉い(立場的に自分が上)と思いこんでいる人が多いんですよね。
そういう方に対して、「一貫した態度」は返って相手を不快にさせることもあるようで。

かと言って、自分より年下や後輩に対してへりくだった態度を取ると、やはり返って相手を恐縮させてしまうことになるかと。

自分が思う、一貫した態度――というか、立場というのは、「皆同じ」ってやつですよね。
上下関係はあるが、上も下もなく何の話もできる――というの集団って、居心地がいいですよね。
実際、意見はどこから出るかなんてわからないんですからね。

多くの人が、何でも言える環境を作る――これ、大事です。

なんでかってーと、サバゲやってて思ったのですw
参加した全員、初参加の人も思いついた作戦が言えるような環境を作りたいなって思っている僕はのぼせすぎですかね? 自重自重……orz

あとはまぁ――経験と場数っていう話も少し。
長く、静かに続けてきた人間。
短期間でも、多くの出会いと別れ、批判と評価を味わってきた人間。
創作家の例で言えば、後者の方がより洗練された作品を作っているんじゃないかなぁと。

まだ僕が浅はかだった頃は、よくもめましたw
「おまえの作品は情熱がないんじゃない?」
「そういうあなたは、完成品ってないね?」
今思えばどっちもどっちなのですがねOTL

でも、今になって、改めて自分の経験――完成品があるということ――から得られる情報って多いなぁと。
師事されたことはないのですが、良くこんなに書いてきたなぁって思うことも多々w

いいのか悪いのかは別として、ですがねw

一つ作品を完成させるたびに、自分の中で確実に何かが実体化していくんです。
構想したり、書きかけだったり、ちょっとやってみたり――それだけでも成長はあるのでしょうが、やはり完成品という「完全体」を手に持って始めて、得ることができる「創作家」としての「なにか」があるような。

読者様というすばらしい師匠がいたこと。
完成品を作れるということ。
僕が恵まれているのはこの二つ。

でも、この経験や場数がもたらすのは、負の面もたくさん。
「やっている期間が長い」とか「作品が多い」ということだけで「自分はすごいんだ」っていうのを、なぜか他人にアピールしたくなるw
そうすると、自分の立場を自分で押し上げてしまい、意見をもらいにくくなるということに――。

「あんた最近馬鹿になったんじゃないの?」
自分にはそう言ってくれる人が結構います。
年上年下関係なく、そう言ってくれる人が。

経験や場数を持つことは大事。
でも、それは次のなにかのため、より良い自分を作るため。
決して、他人に対する自分の立場や地位を作るためではない――そういうことって、忘れずにいたいですよねw

――間違ったこと言ってるかもしれないですが、僕はそう思うのです。  
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2005年12月12日

昨日を超え、明日を追い越す。

良い意味でも、悪い意味でも――今は旧作品との戦い。
旧作品と言っても、自分の書いた昔の作品ですが……。

一度、二年の活動休止期間を置いてしまって以降。
自分で決めたことがありました。
それは「過去との決別」ということでした。
旧作品の評価にとらわれず、これからはまったく新しい自分で書いて行こうと。

ですが、やはり「昔と比べて……」とか「昔の方が……」という意見をいただくようになってきました。
それはそれで、一つの意見として受け止めておけば良いのですが、前述した「過去との決別」に影響がないわけがないというのが、正直なところです。

自分の感性は今、世の中のどこにあるのか――それを知る方法が自分にはまだあまりないので、過去の評価を出されると、ついそこへ回帰したくなる時もあります。

「評価された物を書く」
これは挑戦でしょうか?
新しい「創造」なのでしょうか。

自分、初めての短編「比翼の少女」というのを書いた時、周囲からは非難囂々w
しかしこれをwebで公開したところ、一部では「あぁ、比翼の桐生さんか」と言われるほどに浸透する作品に、まさに奇跡的な評価を得られたんですね。
 ※ちなみに、当時のPNは今と違うのですがw


「比翼」は当時の僕的には、最高の挑戦をした冒険でした。
身内からは、反対が出るほどに無謀に見えて、心配させてしまったのかもしれません。

「過去との決別」
そう言って、過去を一切断ち切るものではなく、必要な物は最小限に残しておくのもOKですよね。
あの当時自分にあった「挑戦」と「冒険」です。
顔色をうかがったような創作は、「創造」ではないですからね。

自分はまだ、何もない一字書き。
ならば冒険しない手はないですよね。

その冒険こそが、過去への挑戦でもあるわけです。
僕に取って――あぁ、馬鹿なこと言ってる――いつも乗り越えるべきは昨日の自分なのですね。
そして、目指すのは明日の自分。
昨日の自分を超え、明日の自分に追いつく――それが、自分に課した課題。
字書きは自己の鍛錬なしに進歩はありえないと思うのです。
良い道具や良い環境も大事ですが、それはほんの数パーセントの要素です。

大事なのは自分の感性。

最近想像力の減退を感じているので、もう一度感性修行です。

それは単に芸術鑑賞ということでなく、もっと幅広い意味での、感性修行。
日々感じることから物語を発見するには、この修行は大事なんですね。

そして追いつき、追い越す。
昨日の桐生恭丞と、明日の桐生恭丞を――  
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モチベーション維持。

意外と難しいモチベーションの維持。

こればかりは、個人差があるので、なんとも言えないのですがね(−−;
おいらの場合――ってことで、ちょっとお話〜w

ずばり、おいらの場合は萌えw
アニメ見たり、音楽聞いたり、漫画読んだり小説読んだりフィギュア買ったりetcetc……。

大事なのは、自分のやる気を起こすの物はなにか――それに気付くことかと。
いろいろやってみて、自分のモチベーション維持に繋がる物を見つけるのが良いですよね。

そのことを楽しみつつ、創作へのモチベーションへと変換!
自分の場合は萌え。
そして仲間との交流。

適度なフラストレーションは創作の起爆剤になるんですね。
で、それを維持するのに、燃料が必要。

対消滅機関から、次は不滅機関を目指しますw

良い小説を書くためには、やはり自分自身の錬磨も重要です。  
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2005年12月09日

演出!

絵的に言えば、エフェクト?
というやつなのでが、文章でも当然演出は必要になるのですよ〜。

視覚的な演出であったり、構成上の演出であったり。
結構いろいろ種類あるようで。

セリフに使う、「っ!」とかも演出と言えば演出なのかも。

これを考えるのも、結構楽しいですよね。
こういう書き方で、こういう印象を受けてもらおう――とかw
もや〜っと考えながら、作戦を練るんですw

小説界って、意外と未知の演出って多いと思うんですよ。

演出って言うのは、もてなしの一つ。
読んでくれている人を「あ!」とか「え!」とか言って楽しめるような。
食事会やお茶会で言えば、大きい料理を取り分けるような――平坦な流れの中にある、ちょっとしたアクセントとして。
なので、ずーっとそればかりでは飽きてしまいそう。
だからもてなす側は、絶えずあたらしいもてなし方を考えないといけません。

おそらく、この演出の技術は作家さん方、秘密なのでしょうねw
そんなおいらも、ここだけはちょっと秘密にしたい部分ですw


  
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2005年12月08日

遠い日に想ったこと、今もこの胸で輝き、それは僕を走らせる!

馬鹿な話だと、今更ながらに思う。

十年前にもなる。
別に小説が書きたくて、小説を書くようになったのではない、と。
何とかして形にしたい物語、というか話があって、それを伝える方法として、
自分は”文章”っていうのを選んだんだと思う。

漫画、ゲーム、映画、音楽etcetc……数多くある”物語の表現”の中から、
僕はなぜか”小説”というものを選んだ。
理由は、情けないことに消去法だった。

小説(みたいなの)を書くようになって、僕はようやく市販されている小説を
買って読むようになった。

以来、プロというものに憧れていたんだと思う。
プロになると言っても、持ち込みや新人賞受賞とか、道はいくつかあるということを
知って、過去一回だけ、まともな文章もかけない時分にもかかわらず応募したことも
ある。

結果は言うまでもなく。

それから十年が経つ。
気付いたら、経っていたのですが……。

なんかまだ、自分にはあの時の想いがあることを確認。
プロになりたい――そんな願い。憧れ、夢。

今まだ、己の小説――物語によって形成した文章――が、世間様に通じるかどうかは
疑問が多く、情けなくみっともないことに、自信はない。
でもなぜか、やってみたくなった。
だからやる。
十年も前、今も何もわかっていないのだけど、当時はもっと何も知らなかった自分の
想いが、再び、僕を急かし始めるような気がした。

正直、新人賞への応募っていうことに対して恐怖がなかったわけではない。
確実にあった。

そう、”あった”のだ。

今はない。
よく考えたら、自分には権威もなにもないわけで。
「他人より作れている」とか「良い物を作っている」とか、そういうのもない。
ただあるのは「一生懸命、どうしようもないくらいに楽しく作っている」という自負
だけだ。

自分の物語を否定されても、その自負までもがなくなるわけじゃない。

一つ、目標ができた。
新人賞への応募。そして、入賞するということ。

結果はどうあれ、この「応募する作品を書いてい」ということが、僕をきっと、
もっと小説書きを好きにしてくれると信じる。

まだまだ走れる。
遠くまで行ける。
がんばるよ。
作家になりたいっていう、一つの目標があるんだ。  
Posted by kiri_kyou at 15:18Comments(0)TrackBack(0)忘れずにいたい。

えんたーていなぁ

小説書きって、エンターテイナーでいいのかぁとか再確認。
読者様に対してはもちろん、自分にとってもw

マジでもう、小説書き、楽しい!

いいですね、こういう感覚。  
Posted by kiri_kyou at 02:24Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月07日

書き書き……。

書き書き……。
この時期、手が冷たくてキーボードしんどいですね_| ̄|○

こういうことで集中力は切らせたくないのですが……。
暖房つけていても、なぜか手足は冷たいんですよね。
何か良い方法、ないですかね……。

今日は短めで失礼w  
Posted by kiri_kyou at 01:41Comments(2)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月06日

まだまだぁっ! これからだぁっ!

気合い入れ。

本気でいろいろ書くぞ!
いや、いつも本気なんだけど、今度はいつも以上に本気で。

やはり、物語はエンターテイメントである必要があると思う。
特に、自分の物語はエンターテイメントの中の小説という位置が良いと思えてきた。
自分の文章は今流行っているライトノベルとは、ちょっと違う感じがすると思っている。
でも、それを逆手に取ることができるかもしれない。
むしろ、差別化に繋がるかも。

発想や構想という段階は、市場を考慮するのが良いのかな。
書きたい物語を、読んでくれる形へと緩やかに、劣化させることなく変化させる、と。

自分的な問題は――長さ。
ここの克服だけは未だにできていない。
構想段階からの見直しが必要なのかも知れないと思った。
ここの矯正はちょっと他人の力を借りてしまおうと思う。

明日から――とか言わない。
今からもう、恭丞は本気だよw

作品に全力を持ってとりかかる!
こんなに楽しいことができる自分、幸せだなぁw  
Posted by kiri_kyou at 02:26Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月05日

読んで成長するっていうのは技術かも。

毎度毎度個人のブログだからって偉そうなことばかり言っている桐生恭丞でございます。
今回もそんなことをつらつら書いちゃいますよw

タイトルの通り。
多くの、優秀と言われる作品に触れることで、表現方法を盗んで技術を上達させるなんてのは、字書きに限らずどの業界にもあることかと。

ただ、見てるだけはダメなんですがね。

やはり、「どこをどのように見るか」かなぁと。
正直言って、完璧万能に書けている作家ってプロでもそういないと思うんですね。

構成、語彙、文脈、人物、行動、情景、感情――

気に入った小説や漫画を見つけると、おいらは何回か読むんです。
一回目は普通に読者として楽しんで、二回目以降はちょっと嫌な見方でw

それで、これと決めた部分を徹底して吸収!
まずは真似。そこから、独自性が出るまで書いて書いて書きまくって、自分の物にする――と。

いっぱい読んだから上手に書けるってわけじゃないと、思うんですよ。
大事なのは「書くことを考えて読めるか」ってことですよね。
でも、そういう読み方しかできないと、読んでいてもつまらなく……_| ̄|○
なので、数回読み方を変えて読むのが、おいらのやり方かな……。

効果あるかですか?
さぁ……それはわかりませんがw

禅語にある「教外別典」という言葉があるそうで。
意味は「大事なことは本の外にある」だそうでw
同時にこれは「それがわかるには多くの本を読まねばならない」という戒めにも使うようなことが書いてあったと記憶しています。

好きだから、続けられるんですよね。
嫌いになりそうになっても、また好きになる努力って、結構大変です(^^;
でも、あの喜びが忘れられないから、できちゃうんですよね、好きになる努力。

字書き馬鹿ですいませんliiorzill  
Posted by kiri_kyou at 01:32Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月04日

出会い。

思えば、こんなに銃が好きなのに、ガンアクションって書いたことないなぁ、と。

か、書きたい!

でも、マニア向けのガチーっとしたのではなく、ちょっとガンアクションがあって、基本の展開でおもしろーい!
と思えるようなw

贅沢ですかね?(・・;

男女問わず、「かっこいい!」って言われるようなのが書きたい!
原案はこの辺から膨らまそう……w

でも、小説のアクション描写って難しいんですよね(^^;
速度感に加え、臨場感も表現したい。加えて、戦闘行為中の心理描写も書きたい!
なのでどうしても文章量が増えてしまうんですよねー。そうすると、速度感が削がれてしまうという……_| ̄|○
まぁ、回避方法はあるのですが、それは後々狼の方でw

RO小説簡潔したら、始めようかとw

よーし、書くぞ書くぞ!  
Posted by kiri_kyou at 02:49Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月03日

自分に――

「人を感動させるのは、人の心を持ってのみ」

そりゃあさ、大自然の景観に感動するってのはあるとして……。

おいらはまだまだ未熟な字書き。小説家なんていいません_| ̄|○
ですが、創作に携わる人間とは自覚していたいのです。
だから、創作家なんて言い方してもいいかな。

別に気取ろうとか、そういうんじゃいけど……。
とにかく前へ前へって、何でもいいから進みたい。
自分の目指す、最高の作品のために。

困難なんか当然あるし。回避不能なそれも当然。
でもさ、そういうのにぶち当たって、あがいて、当たり散らしてる姿って、なんか僕は好きなんですね。
周囲からみればすごい惨めかも知れないけど、自分は、そんな自分が一番自分らしくて好きなのですよ。

狂ってしまえば楽になる――昔、自分に自分で言った言葉。

創作馬鹿なんですな、自分。

何かを作るために必死になってる人。
こういうって、本当に最高。
やる気ももらえるしねw

よーし、がんばるぜぇい!  
Posted by kiri_kyou at 01:03Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年12月01日

小説書き馬鹿

たま〜に、あるんですよ。
猛烈にもう何でもかまわず書きまくりたくなる時が。

こうなるともう、何やってても欲求不満。
ひたすらに書いていないともうイライラがw

しかし――冷静を欠いて書く文章って同然駄目なわけで。
ただ己の欲望を満たすためだけどの執筆は、最低な文章しかできないです。

この衝動はグッと堪えて、明日への活力へ――

それができるようになったのも、つい最近。
長かった「書かない時期」に考えていたスキル(?)の一つ。
モチベーションの制御。

書き続けることが目標であるわけで。
恥ずかしながら言わせてもらえば、「夢を追い続けるのが夢」というやつですよ。
それが、自分の場合は小説書きなんですかね。

何もかもを楽しんで、その楽しさを表現できるような。
ちょっとした感動を捕まえて、それを世界にしたい。
多くの人たちに、自分の見つけた楽しさとかを伝えて、共感してもらいたい。

世界観の共有。そして楽しさ、感動の共有。

小説書いてる時は本当にその世界にいる。
それを、伝えたいのかもって思う小説書き馬鹿なわけでした。

……恥ずかしい文章禁止!_| ̄|○  
Posted by kiri_kyou at 02:34Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年11月30日

なんとなーく

本家HPで連載中の「狼が行く〜妄想小説の書き方〜(仮題)」を書いている関係で、ずいぶんと自分を見なおす時間ができているようなw

本家では書かないと決めていた、執筆環境(?)をちょっとこちらに。
なんで本家には書かないのかって?
そりゃあ、あそこの「桐生恭丞」は原稿用紙に書いてるっていう設定なのでw
……_| ̄|○

ま、まぁ、長い期間、多くの人に読んでもらいたいので、時代を反映してしまうような物はあまり書かないことにしているのです。
あっ……「鋼の〜」とか「スターウォーズ」とか書いていたような……_| ̄|○

まぁいいや!

で、おいらは一太郎派。
2005を持っているのですが、シリアルを紛失という大馬鹿をやらかしてしまい、2004を使用_| ̄|○
デスクトップ、ノートともにライセンスを持つ正規ユーザーw
一太郎はWin3.5時代のバージョン5から使っていますw

んで、主に書いているのはノート。ブログやHPはデスクトップですな。
ノートPCは狼のログを取ったりするのにも使ってます。

キーボードは専門学生の頃から使っているロジクールw
いろいろとキーがへたってきて、そろそろ交換したいのですが……。

モニターはEIZOの液晶19と同じくEIZOの17。
無駄にデュアル環境w
このおかげで狼を書く効率がめっちゃ上がりましたw

今はサブモニタに星葉香のプロットを表示させて、メインモニタで書くということに使ってます。
一太郎って、二重起動できるし。文章書いてるだけなら、重くないしね。

机の上にはたくさんのフィギュアとプラモw
大好きな物が常に視界にあると、それだけで落ち着きますよね。

愛用辞書は二つ。広辞苑と中学校卒業の時にもらったやつw
前者は時間がある時、後者は時間があまりない時に使っていますw
ちなみに、引いた言葉の英語訳が載ってる辞書って便利ですよね。
それも一冊持ってます。重宝しますw

他は資料ですかね。
マニアックな本がいくつか、秘密の本棚に入ってますw
友人とかにも内緒の蔵書っていうのがあるんですよ〜フフフw

まぁ小説なんざ紙と書くモノあれば作れますよねw
PCで書いているのは、これが楽だからですw
楽ちん主義大好きな恭丞でした。  
Posted by kiri_kyou at 02:22Comments(0)TrackBack(0)字書き的に――

2005年11月29日

物書き。


注意:つまらない雑文。
   恭丞個人的なメモ書きのようなものですw
   でも何となくここに書いてしまうあたり、きっと寂しがり屋orz


一本の繊維を複雑に編み上げてることによって、美しい織物ができあがるわけで。
物語――つまりは小説も、それと同じだと思う。
言葉というのはとても小さく、単語一つでは内包する意味はたかが知れてしまう。
それを無数組み合わせ、あるいは編み上げることで、文章という形へと変貌させる。

文章というは記録・伝達のために開発されてきたのだろうか。
記録・伝達、つまりは表現か。

古来多くの作家たちが扱ってきた”文章表現”という技法。
千年以上の伝統を持つこの表現手法は、現代もなお進化し続けていると思う。

ライトノベルというくくりがある。
僕の好きな分野ではあるのだが、ここ数年、実はあまり読んでいなかった。
最近になり再び読み始めることになった。

かつて、自分はサークル活動をしていて、自分の書いた作品を売っていたこともある。
その時のトラウマ(?)なのかどうか、文章というのはどうしても、絵や動画を駆使する作品に比べると、著しく見劣りするという感覚があったのだ。

この感覚は今ではまったくないとは、言えない。

昨今、「活字離れ」という言葉を耳にする。
物書きとしては懸念すべき事態なのだろうか、どうなのだろう。

思うに、現代では「映像作品」というものが強い。
「映像作品」と「音響作品」が娯楽作品の二強と言っても良いと思う。

――実はまったく意味のない話。
強いというのは、あくまで「市場性」ということであって、単純に作品の善し悪しではないということ。

広く市場性のある作品は、多くの人の目に触れやすい。
その反面、流動が激しい。流行廃りというものが生じる。
だからこそ、広い市場――強い市場のある媒体で作品を作れるということは、そこに携わる創作者たちにとって、最高の「修行場」なのかもしれない。

商人が追求するのは利益。
創作者が追求するのは、それぞれに違うと思う。
この二者の利害が一致するのが、「広い市場」なのだろうか。

「映像作品に負けない小説を――」
桐生恭丞の一つのテーマでもあった。
それが今、裏目に出ている気がしている。
現在、ライトノベルは映像との融合により、相乗効果を持った画期的な作品へと変貌しつつあるような気がする。
「映像を超越した文章」なのではなく「映像を得ることにより飛躍的に表現力を増す文章」というのが、現在に生まれた、新たな小説なのかもしれない。
イラストもまた、強力な物語を背景に持つことにより、その表現力は増大する。

うーむ、「映像超越文章」というのは時代遅れになってしまうのかな……。

どちらにせよ、こういうことを考えるのも、物書きの楽しみの一つかなw
僕は僕の、書きたい物語を書くだけ。
でも、ちょっとは需要とかそういうのも考慮したいなぁとかって思ったのでした。  
Posted by kiri_kyou at 16:11Comments(1)TrackBack(0)字書き的に――