北海道知床の羅臼町で環境教育に関わる仕事をしています。 最近は、ESD(持続可能な発展のための教育)の基盤としての環境教育について考えています。

ピョートルのつぶやき

根釧原野で暮らすネコのピョートル(愛称「ペーチャ」) 世の中を寝ながら眺め、ニンゲンを観察して書こう と思って始めたのですが、毎日書くのは面倒で(ネ コだから)ついつい親方に書かせている。ま、発表 前に僕が目を通しているから、僕のブログであるこ とに変わりないのだが。 あ、でもたまには、自分で書くよ。

ジジィのG/The motorcycle/Мотоцикл/오토바이/รถจักรยานยนต์/Motorsykkel/Мотоцикл



 八月のある日、阿寒湖温泉で落語の公演があると聞いて出かけた。

 弟子屈を過ぎ、通称阿寒横断道の登りにかかった。
 急なカーブが連続する国道241号線だ。
 コーナーの大きさに合わせて速度を考えながら次から次へと曲線に飛び込む。実は曲がりくねった道を走るのは好きだ。おそらく大多数のバイク乗りはそう思っているに違いない。
 カーブを曲がる時、いわゆる遠心力のために直線方向(正確には接線の方向だが)に飛びだそうとする力が働く。それを打ち消すためには、曲線の内側に重心を移動すれば良い。だが、船や四輪車にはそれができない。カーブの外側に倒れることになる。半径が小さくなるほど遠心力は大きくなるのでその角度も大きくなる。
 これに逆らって曲線の内側に倒れ込みながらカーブを曲がることができるのは飛行機とオートバイくらいのものである。鉄道も左右のレールの高さを変えること車体を傾けて曲線を通過できるようになっている。もっとも近年は、釧路・札幌間の「スーパーおおぞら」に使われているキハ273系のように「振り子式」と呼ばれる車両も出現してきたが。

 バイク乗りたちには、高速でコーナーを曲がり抜けることが楽しくてたまらない。コーナーを高速で曲がっていく時、横方向の加速度を強く感じる。これがたまらない魅力なのだ。つまり「G」を感じるヨロコビということだ。いくら歳をとっても「G」の魅力は変わらない。「ジジィのG」なのである。
 ただひたすら続く一直線の道をかっ飛ばすよりも曲がりくねった道を適正な速度で走り抜けることに惹かれる理由はここにある。

 この日、久しぶりに阿寒横断道を走ることになった僕も、次のコーナーへどのくらいの速度で入るか、どのくらい車体を傾けるかなどと考えてワクワクしながら走っていた。
 登り道の中間地点辺りにあるもっとも急なカーブにさしかかった時である。左足の爪先が道路を軽く擦った。
 考えていたより車体を深く倒したのだ。安全上には何の問題も無いのだが、ステップの位置が割に高い僕のバイクを、靴が路面に接触するほど深く倒していたことに軽く驚いた。
  そう言えばさっきからお腹に感じる「G」を楽しんでいた。

 実のところ昔はこんなことがよくあった。爪先どころかステップやスタンドを路面に擦りつけたことあった。だが、今乗っている二輪車は、ステップの位置が高いし、若い頃のような無茶な運転もしない。だから爪先やステップを擦りつけることなどついぞ無かった。

 それでも、阿寒横断道のような急カーブの続く道で、年甲斐も無くついつい「G」に夢中になって走るとこんなことも起きてしまうのである。

 「『ジジイのG』はほどほどにしなくちゃナ」
 ヘルメットの中でひとり苦笑いしたのであった。

青空に炭坑節が輪を描く/ The rise and fall of the coal mine

Рост и падение угольной шахты
การเพิ่มขึ้นและการล่มสลายของเหมืองถ่านหิน
Stigningen og fallet av kullgruven
탄광의 영고 성쇠
Підйом та падіння шахти


 八月、福岡県の大牟田市に行った。
 真夏の九州だ。行くのには軽い勇気が必要だった。
 大牟田市の教育委員会の招きで「ユネスコスクール支援教育委員会サミット」という会議があったからだ。
 会議の始まる日の午前、大牟田市教委の人が昔の三池炭鉱の宮原(みやのはら)に残っている縦坑跡に案内してくれた。炭鉱跡は世界文化遺産に登録されている。
IMG_0328


 北海道にも炭鉱はたくさんあったが、筑豊の炭鉱は明治期に入ってすぐに開発が始まり、富国強兵の国づくりを目指し、日清戦争や日露戦争に突き進んだ明治期の日本のエネルギー生産を担ったのはこの地域の炭田だった。さらにその後に続く太平洋戦争から戦後の復興までエネルギー生産を支えた。


 そして、石炭から石油へのエネルギーの転換に伴い次々と廃坑になっていったのである。大牟田の町にある世界遺産には追憶が纏わりついている。大牟田の街を歩けば炭車のレールの路床やガードがそのまま残っているのが見える。街全体に栄華の余韻が漂っているかのようだ。
 宮原のエレベーター跡にはボランティアガイドがいて、エレベータや排水ポンプなどを細かく説明してもらえた。聞けばボランティアガイドには昔炭鉱で働いていた人々が多くいるとのことだった。
IMG_0337

 「有明の海の底深く、地底に挑む男たち」はここから海底のトンネルへと降りたのだ。


  一通りの解説を終え、最後に炭坑節を歌ってくれた。
一定の年齢以上の人なら「月が~出た出たぁ、月が~出た・・・」という歌を知らない人はあまりいないことだろう。

 夏の日の大牟田の青いそらに、炭坑節は輪を描くように立ち昇っていく。地上に残るものは、栄華の夢、夢とともに潰えた人生、そんな人々を遺してこの地から立ち去り形を変えてまだ生きながらえているもの。
IMG_0342


 学生時代に聴いて心を揺さぶられた荒木栄の「地底の歌」が心の中に流れていた。
 じんわりと感じられたのは夏の大牟田の暑さばかりではなかった。
IMG_0344
IMG_0350

鼓ヶ滝

 気がつけば落語を聴き始めてからずいぶん経ちました。

 

 先日、「鼓ヶ滝(つづみがたき)」という噺を初めて聞き、深く感動しました。紙面を拝借してちょっとだけ紹介させて頂きます。

 

 百人一首にも出てくる歌人、西行法師のお話です。

 まだ若き日の西行が兵庫県にある三大滝の一つ、鼓ヶ滝を訪ね、

「伝え聞く鼓ヶ滝に来てみれば 沢辺に咲きしたんぽぽの花」と読みます。

 自分でもいい出来だと満足し滝に眺めているうちに急に眠たくなり、寝てしまいます。目覚めると日が暮れていて、帰り道がわからなくなってしまいます。

 泊まるところが無いかと探し求めてもなかなか見つかりません。しかし、そのうちに一軒のあばら屋の灯りが見えたので訪ねてみると老夫婦と孫娘が三人で暮らす家でした。

 

 西行が歌を詠みに来た事情を説明すると、その民家のおじいさんが聞かせて欲しいと言います。鼓ヶ滝で詠んだ歌を披露すると、そのおじいさんは、「伝え聞く」よりも「音に聞く」に直した方が鼓らしくて良いと手直しをします。

 西行は、山奥の粗末な家で暮らす老人の手直しなど受ける気がなかったのですがおじいさんの手直しに理があったのでその手直しを受け入れます。

 すると次におばあさんが、「来てみれば」よりも「うち見れば」とした方が鼓の感じが引き立つと言います。西行は一瞬ムッとしますが、これにも納得し、手直しを受け入れます。

 おしまいに孫娘までが、「この辺りは『川辺郡』と呼ばれていますから『沢辺に咲き氏』よりも『川辺に咲きし』の方がよろしいのでは」と言い出しました。

 西行は「こんな小娘にまで直されてしまうとは、なんたること。しかももう原型をとどめていないではないか。私のオリジナルは『鼓ヶ滝』と『蒲公英』だけじゃなかい」と思います。

 しかし、そのこみ上げてくる怒りをぐっとこらえて歌を眺めれば、確かにこちらの方が最初の歌よりもはるかに良いのです。

 彼は深く感じ入り「まだまだ歌の道の修行が足りないな」と慢心を抑えて反省したそうです。

 

 その時一陣の風がヒューッと吹いてきてあばら屋もそこに住む三人も消え失せてしまいます。

 気がつけば西行は一本の松の大樹の根元に寄りかかって居眠りをしていたのでした。

西行は、

「住吉明神、人丸明神、玉津島明神の三人の和歌の神様が夢に現れ、私の慢心を諫めてくれたに違いない」と考え、以後一層歌道に精進することを決意します。

その時、たまたまそこで言葉を交わした一人の木こりにその話を聞かせ、

「夢の中とは言え和歌三神に失礼な態度をとったのではないだろうか」と言うと

木こりが

「なあに大丈夫だ。この滝は『鼓ヶ滝』だから決してバチは当たらないよ」

というオチが付きます。

 

 熊越えの滝しかしか知らない僕ですが、木々の間を豪快に流れ落ちる滝を背景に、一人の歌人の内的な成長が自然に共感できる良い噺だなあと思ったわけです。

 

 

 教師は児童生徒の前では学識、技術等で圧倒的に優位に立っています。しかし、その優位性は絶対的なものではないという認識と、それに基づく自己研鑽が常に求められていることを忘れてはならないと思うのです。

 そんなことを戒めてくれる一席だ思うわけです。

プロフィール

ペーチャ

  • ライブドアブログ