2009年04月21日

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おひさしぶりです。

前回書いたっきりになっていましたが、
4月上旬をもってメソットでの活動は終了していました。
10日間ほどビルマ・ミャンマー旅行して
昨日バンコクに戻ったところです。

下痢気味が続いていますがほぼ元気でやっています。
(何かおなかに飼ってるんでしょう。。)

みなさんからコメントを頂いておきながら
お話は尻切れトンボになってしまっていますし、
これまでの活動についてはなんだかまだうまく言葉に
できていない感じがしています。
また改めて書かせていただきたく思っています。
明日からカンボジアへ行っていくつかNGOなどを訪問してきます。

それではまた〜

(16:41)

2009年03月29日

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最後の大事業?3日間の大型トレーニングが終了しました。ばたばたしていて更新が遅くなりました。熱は無事下がり良好です。ありがとう。

トレーニングについて少し。
今回は主に教師、小児科医、児童保護関係のワーカーが対象。ほとんどが子供と関わる人たちでした。
テーマはpsychosocial healthでカウンセリングセンターと、
他の教育関係のNGOの協同で行いました。
全般的にはみな興味を持って参加していたと思います。
冷房のない蒸し風呂のような教室で寝る人は皆無!みなすごく熱心でいつも質問が絶えずこちらが疲れてしまうくらいでした。

トレーニングをするときにいつも気になるのが、自分の提示するものが押しつけにならないか?ということです。
ここメソットははっきり言って国際(NGO)村です。
世界中から来る人たちがいろんなことをしては帰ってゆきますが、
私の目には、ビルマの人々がなんでもごくごくと飲み込んでしまっている
ようにも見えます。批判検討しながらという感じがないというか。
こういう環境で右派保守党が出現するのは自然の成り行きともいえますが、
聞くところによれば移民学校の教育委員長とでもいうべき人が、
タイとの教育カリキュラムの統合を徹底拒否している、とか。
統合が進めば移民学校の生徒がタイの大学に行けるチャンスです。
子供達はより選択肢が広がり希望、目標が持てるので良いことだ、
と思うのですが。。

「ここの人が取るものを取ってくれればいい」という考えには変わりありませんが、今回はメンタルヘルスという題材を担当して仕方なくドメステイックバイオレンスを扱ったのですが、自分はあまり経験がない上に西欧諸国で言われる理論をただ紹介すのは心もとなく、けっこう悩みました。
参加者から「西側の定義では親が子供に叩いてしつけるのは暴力だけど、ここ東側の国では、暴力とは考えない」という意見「教師が子供に対して力を振るうのはいいのか悪いのか?」という質問。
正直にわからないことはわからない、と言いながら日本人としての私の考えを少し話できたのはよかったかなと思います。アジア人でよかったと思う場面です。

6ヶ月間いて、いまだに彼らの感覚とどう違うのか、いまいち掴めません。
ただ、自分が文化の違い、あるいは個人個人の違い、
により敏感になれたのは大きな収穫だったと思います。

さて、KAZ君、コメントありがとう〜。
そうですね。私も「苦しんでいるはず」というのは援助の押し売りに近いと感じます。
そして、援助の押し売りがコミュニティに与えるインパクトは負のことが多いようですね。
ところでSさんですが数日前に某医師は注射をしたそうです。一度目は本人が拒否したそうですが2度目に彼が受け入れたとか。コンタクトをきちんと取った上での処置らしいということにちょっと安心しました。
そして久しぶりに今日の夕方ご本人に出くわしました。
いつもより元気がない感じです。「ミンガラバー(こんにちは)」。。。→(反応無)「タミンサビビラー(ご飯たべた?)?」→首ふり
ちょっと驚きました。
これまで時々同じ言葉をかけていて、ごくたま〜に反応ともなんともいえないような反応があります。が、今日の反応は早かった。
薬は効いているのでしょう。ただスタッフの話では、最近めっきりご飯を食べなくなったとか。
あの反応の早さには何か本人なりの意味があるようにも思えますが。。。

ところで、もし不食の問題が解決して、彼がそれなりに疎通可能な状況になったらめでたしめでたし??なんでしょうか。
私の懸念は1.Sさん自身に対して、と 2.クリニック村というコミュニティの今後のメンタルヘルスに対する態度について、です。

Sさんに関しては、どうなるのか正直予測が難しいところです。一時的に不食という行動が見られても時間が解決するものなのか、それが何か重要な意味を持つのか?
精神病の治療にリハビリという概念は欠かせません。回復期はもうひとつの山場で、その如何によってその後コミュニティに参加できるかどうか、また症状にも影響します。
長い期間の定常状態を過ごした後、今薬が効いて現実との接触が可能になりつつあるとしたら、今彼は大きな変化を体験している最中と言えます。変化は良い方向であれ悪い方向であれストレスになりえます。彼がそこを乗り切っていけるか?ということと彼を支える体制が十分にできているのか?前回も書きましたが、状態が変化すれば、彼は違った存在としてコミュニティに関わらなくてはいけないことになります。例えばこれまでは人と関わる必要は最小限でしたがこれからはそうは行かないかもしれません。それをサポートできるのか? もし彼にとってストレスが大きければ、次回の注射は拒否するかもしれません。あるいは薬というもの全般に拒否反応を示す可能性も。

さて、私の考えが単に杞憂だったとして、もし彼にある程度の回復がみられ、さしたる副作用もなく彼自身も注射を受け入れ続けて平和に過ごしていったとしたら、コミュニテイの人たちはどう考えるようになるでしょうか?
「精神病は注射を打つこと(だけ)が治療である」と人々は考えるようになるかもしれません。KAZ君がいうように精神病について偏見なく知ること、付き合い方を学ぶこと、はコミュニテイにとってとても大事です。
精神病というのは(慢性であればあるほど)回復もまた大変であること、リハビリにはサポートが欠かせないこと、が欠如した形での治療が行われるようになりかねません。そして、当然のごとく薬は一時的に効いても問題は解決せず、
最終的には人々は「精神病になったら治療は無駄である」というあきらめ→偏見の強化につながるかも知れません。

もうひとつ。Sさんに関してはたとえ医者でも外国人が主導している点に賛成しかねます。
Sさんは単身でコミュニケーションやセルフケアが困難な重度障害者です。
私から見ればコミュニティが責任をもって面倒を見て行くべき存在に思えるのですが、今回の治療方針の決定は、実質的にはコミュニテイ側は参加していない状況です。。。これっておかしくないか?
外部者はいくら頑張ってもコミュニティの一員にはなれません。とっても違和感を感じます。


以上私の気持ちの吐露になりましたが少しすっきり。

結局今できること、必要なことはカウンセリングセンターとしてどう彼と関わってゆくのか?についてスタッフと話を続けること。彼のこれまでの歴史、治療歴等の情報を収集して適切な治療およびリハビリプランを提示していくこと、かなと考えています。

引き続きご意見ご質問等を募集しています。よろしく〜


(01:20)

2009年03月24日

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なぜか熱がある模様です。
ゆうべからなんかへん、と思って早めに寝ましたが
このだるさ、食欲のなさ、ふしぶしのいたさは
どうもあやしいです。
座るのも億劫でだるだると寝転がっています。

さて、なんと一ヶ月くらい未更新!の新記録更新中。
さすがじぶん。

ですが、今日のテーマはでかい。

「精神病はすべからく治療されなければいけないのか?」

もう考えてはもんもんとしているので書かせていただきます。

Sさんは40代男性。慢性の精神病でクリニックに長く住んでいます。
聞くところによればカレン族の兵隊さんだったとか。戦闘によるものか
片腕がありません。枯れ枝みたいに痩せていてひげもうもう。いつもべテルナッツ
を噛んでいてその辺にぺっぺ赤い唾を吐いてるので、初めてお会いした頃は
よもや結核?と恐れをなしたことを覚えています。

クリニックの小児科外来前はちょっとした広場になっていて
なんとなくクリニックの玄関口のようになっています。ブッシュ大統領夫人がクリニックを訪問した時もこの広場に横断幕が掛けられ写真撮影などされた場所です。
Sさんの定位置はこの広場の片隅です。うんこすわりでさかんに独語、一人会話にいそしんでいます。

彼は主に独語専門で、人との会話というものがほとんど成立しない状態です。
これまで攻撃的になったりすることはほとんどなかった模様。
クリニックの村人達は食べ物を上げたりしてそれなりのお付き合いをしているように見えます。
私は精神科をそれなりに経験した医者ですが、
はじめのうちは「治療したらどうなるかなあ」などと思っていたものの
あまりに「ふつうに」クリニックになじんでいるように見え
「村に受け入れられた慢性精神病患者」という見方をするようになりました。
もちろん症状が持続していることで健康を害したりしているだろう
けれども、家族もなく、相互的な意思疎通が困難になった今
症状を持ったあり方でコミュニテイにそれなりに受け入れられて、
ある定常状態になっている、とでもいうか。
このクリニック村の人たちが「どうにかならんかい?」
と言い出さない限りは治療に踏み出す必要はないのかな、と考えていました。
なおかつ私には彼の症状は主に陰性症状で、幻聴や妄想があったとしても急性期の患者さんのようなエネルギーがあって治療に反応しやすいものではないだろう、
副作用と天秤にかけてどのくらいのメリットがあるのか疑問だな、というのが私の考えでした。
数年間同じ状態が続いていて、かつ社会的なつながりが途絶えたままで
たとえ治療で症状がよくなっても彼の生活の困難さは変わらない、もしくは
かえって現実が見えるだけよけいに苦悩がますかもしれないな、とも思えました。

ところで、2週間ほど前に某アメリカ人の産婦人科医師から「彼を治療すべきである」との提案が。
アメリカ人医師曰く1、彼は苦しんでいるはずである。2、奇妙なみなり、独語等の行動が小児科を訪れる患者に与える影響。3、彼を放置することはクリニックとして病気を放置している例として好ましくない
そして、彼が自発的に治療を受けることは考えられないので
デポ注射が適応であろう、と。

そんな提案が出た直後に、図ったかのようなタイミングで
Sさんが御茶屋の主人をお茶カップで殴る、という事件が発生。
そういう暴力をふるうことはこの数年間ほとんどなかったのですが。。

というわけで「治療促進説」はにわかに現実味を増してきたのでした。。。

さて、今日は体力がないにつきここで失礼いたします。
で続きはまたそのうちに。。
考え始めると何がいいのかけっこうわからなくなってくるので
皆様のお考えを拝聴したく。
ここまでで、ご意見ご質問 歓迎いたします。
特に、
慢性期のこのような患者さんでも医者としては治療を試すべきなのか?
あるいは彼はおおいに治療効果が期待できる状態なのか?
またこういう孤立した人に対して誰がいったい(強制的)治療の要不要を決めるのか??
無法地帯だけに悩んでしまうところです。




(16:14)