2009年05月12日
ローズいちかわ
2009年04月14日
2009年01月21日
和のこころ?
長い文句なのでスルーしてくださって結構です。。。
2007年の夏。とある「茶道」関係のサイトさんから相互リンクの申し込みがこのサイトと民族舞踊サークルポーリャンカのサイトにありました。
何故か3通も同じ文面の物が(PUREWORLDとポーリャンカそれぞれ3通ずつなので計6通)。
その代表者S氏の住所は東京のとある市のようです。
まあ、いいかと思ってメールにOKの返事をして、こちらからリンクを貼ったのですが、そのサイトさんは何百というサイトをリンク登録しているのに全く私のサイトを載せる気配無し。
どうも大量に同じメールをばらまいているようで、私のメールも読んでいないんじゃないか、うちは茶道に関係ないから載せないつもりなんじゃないかと感じたので、リンクは早々と切ってしまいました。
それから1年後、2008年の夏。
件のS氏からタイトル「相互リンクのお願い」、書き出しは「はじめまして」とメールが来ました。
はじめましてじゃないんだけどな〜・・・っていうか感じ悪っ!(;゜д゜:)
と思って読んでみたら、今度は「和に関するポータルサイトを立ち上げた」とのこと。「和に関するサイト様にメールしてます。登録してください」とのことでした。
って。うちは「和」とは関係ありません。
どっちかというとヨーロッパですよ???
和関係に登録する理由もないし、そこを覗いてみるとやはりマルチにメールを送信して登録者を集めているいるようだったので、今度は返事もせずに放っておきました。
ちなみにその代表者S氏のプロフィールは今回東京の会社(詳細不明)の代表になってました。会社の住所はS氏の住所とは別の場所です。
そして2008年末。つまり最近のことですが。
また来ましたよ!タイトル「和に関するサイトへの相互リンクのお願い」!(;´Д`)
だから、全然相互リンクじゃないじゃん。登録したい人が自分でそこのサイトにいろいろ書き込んで自分のホームページを登録しなきゃいけないんでしょ?やだし、そもそもうちは「和に関するサイト」じゃあないんだってば。
本当に鬱陶しかったので、丁寧な口調で「うちは和とは関係ないからメール送ってこないでくれ」という旨をメールしておきました。
これでもう来ないかと思っていたら・・・
昨日また来た・・・o(_ _o)
今度は「催事、個展、和の発表会」を行う人は、DMのようなのをうちのサイトに載せるから利用しろって。
なんかね。結構早い段階で思ってましたが、こっちのメール全然読んでないっぽいです。
スパム認定しました。
いつもPUREとポーリャンカと両方のメールに同時に来るし。
自分の名前や住所、携帯番号まで晒して何迷惑行為してるんでしょうこの方は。
そうそう、今日、最初の「茶道」に関するサイトに行ってみたら今は何故か奈良県の茶道教室のホームページに変わってました。
記載されていた会社名で調べても情報が見つからないし・・・
一体何者?何がしたいの?
2007年の夏。とある「茶道」関係のサイトさんから相互リンクの申し込みがこのサイトと民族舞踊サークルポーリャンカのサイトにありました。
何故か3通も同じ文面の物が(PUREWORLDとポーリャンカそれぞれ3通ずつなので計6通)。
その代表者S氏の住所は東京のとある市のようです。
まあ、いいかと思ってメールにOKの返事をして、こちらからリンクを貼ったのですが、そのサイトさんは何百というサイトをリンク登録しているのに全く私のサイトを載せる気配無し。
どうも大量に同じメールをばらまいているようで、私のメールも読んでいないんじゃないか、うちは茶道に関係ないから載せないつもりなんじゃないかと感じたので、リンクは早々と切ってしまいました。
それから1年後、2008年の夏。
件のS氏からタイトル「相互リンクのお願い」、書き出しは「はじめまして」とメールが来ました。
はじめましてじゃないんだけどな〜・・・っていうか感じ悪っ!(;゜д゜:)
と思って読んでみたら、今度は「和に関するポータルサイトを立ち上げた」とのこと。「和に関するサイト様にメールしてます。登録してください」とのことでした。
って。うちは「和」とは関係ありません。
どっちかというとヨーロッパですよ???
和関係に登録する理由もないし、そこを覗いてみるとやはりマルチにメールを送信して登録者を集めているいるようだったので、今度は返事もせずに放っておきました。
ちなみにその代表者S氏のプロフィールは今回東京の会社(詳細不明)の代表になってました。会社の住所はS氏の住所とは別の場所です。
そして2008年末。つまり最近のことですが。
また来ましたよ!タイトル「和に関するサイトへの相互リンクのお願い」!(;´Д`)
だから、全然相互リンクじゃないじゃん。登録したい人が自分でそこのサイトにいろいろ書き込んで自分のホームページを登録しなきゃいけないんでしょ?やだし、そもそもうちは「和に関するサイト」じゃあないんだってば。
本当に鬱陶しかったので、丁寧な口調で「うちは和とは関係ないからメール送ってこないでくれ」という旨をメールしておきました。
これでもう来ないかと思っていたら・・・
昨日また来た・・・o(_ _o)
今度は「催事、個展、和の発表会」を行う人は、DMのようなのをうちのサイトに載せるから利用しろって。
なんかね。結構早い段階で思ってましたが、こっちのメール全然読んでないっぽいです。
スパム認定しました。
いつもPUREとポーリャンカと両方のメールに同時に来るし。
自分の名前や住所、携帯番号まで晒して何迷惑行為してるんでしょうこの方は。
そうそう、今日、最初の「茶道」に関するサイトに行ってみたら今は何故か奈良県の茶道教室のホームページに変わってました。
記載されていた会社名で調べても情報が見つからないし・・・
一体何者?何がしたいの?
2008年11月12日
クリームシチューに・・・
火曜日、昼ご飯にカレーを食べた時、久しくカレーライスを作っていないのを思い出し、明日の夕飯カレーにしようかなと思ったんですが、今日カレーで明日もカレー・・・。いえ、2日連続くらいなら別に私はいいけど、夜遅く帰って「米はいらない」と言う夫がカレーライスを食べるのはノー残業デーの水曜日だけかなと思って。その後残ったカレーを連日食べ続けるのは私。二日どころか三日も四日もカレーになりかねないので(少量作れば良いんですけどね・・・何故か濃さを調整しているうち増えてるんですよね)やめました。
ということで水曜はシチューにしました。
しかし・・・クリームシチューに茄子を入れたのは失敗でした。
煮込む内にだんだん茄子がボロボロに細分化され、見た目が非常に悪くなりました。
茄子は旬だし安くなってるのでついたくさん買ってしまったからなあ。
2008年10月23日
いつのまにか有名になってる方・・・
こんな記事を見つけてしまった・・・
出会いは「フォークダンス」 合コンと一味違う手作り感…「オクテ」男女に好評
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081015-00000515-san-soci
出会い目的のフォークダンスですか・・・私が潔癖なのかもしれないけど・・・
一緒にされたくない(;´Д`)
日連が関わってるし・・・
もっと純粋にダンスを楽しもうよ〜って思うんですけど。
社交ダンスほど難しくない、初心者でもリズムがとれる、って、やってることはレクダンスなんじゃないですかひょっとして。それに、フォークダンスは一対一の踊りじゃないから、大勢で仲良くなって皆で仲間になるっていう趣旨ならまだわかりますけど、お見合い感覚で参加してる人ってどうよ?
ほんとはフォークダンスって「男女が手を取り合って踊る」じゃなくて「男も女も関係なく手を取り合って踊る」だと思います。男同士女同士で手を取り合って、っていう踊りもあるんだし。
しかも、発起人M氏ですか・・・どういう方なんだろう。
かつてあちこちの関係ないサイトの掲示板にしつこく宣伝コピペ書き込み攻撃してた方で(いわゆるマルチポスト)、あまりに私の発言、質問を無視して書き込み続ける姿勢がしつこいので、私は本当に申し訳ないけど自分とこの掲示板に書き込まれたのを削除させてもらったことがあります。「マナー講座」やったり「人を思いやる心」とか語ってたわりにネットマナーや人の言うことはあまり気にしないんだなあと驚きました。
・・・悪口っていうより批判です。活動を否定するつもりはないですが、私には信頼しきれない方なので、あしからず。
出会いは「フォークダンス」 合コンと一味違う手作り感…「オクテ」男女に好評
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081015-00000515-san-soci
出会い目的のフォークダンスですか・・・私が潔癖なのかもしれないけど・・・
一緒にされたくない(;´Д`)
日連が関わってるし・・・
もっと純粋にダンスを楽しもうよ〜って思うんですけど。
社交ダンスほど難しくない、初心者でもリズムがとれる、って、やってることはレクダンスなんじゃないですかひょっとして。それに、フォークダンスは一対一の踊りじゃないから、大勢で仲良くなって皆で仲間になるっていう趣旨ならまだわかりますけど、お見合い感覚で参加してる人ってどうよ?
ほんとはフォークダンスって「男女が手を取り合って踊る」じゃなくて「男も女も関係なく手を取り合って踊る」だと思います。男同士女同士で手を取り合って、っていう踊りもあるんだし。
しかも、発起人M氏ですか・・・どういう方なんだろう。
かつてあちこちの関係ないサイトの掲示板にしつこく宣伝コピペ書き込み攻撃してた方で(いわゆるマルチポスト)、あまりに私の発言、質問を無視して書き込み続ける姿勢がしつこいので、私は本当に申し訳ないけど自分とこの掲示板に書き込まれたのを削除させてもらったことがあります。「マナー講座」やったり「人を思いやる心」とか語ってたわりにネットマナーや人の言うことはあまり気にしないんだなあと驚きました。
・・・悪口っていうより批判です。活動を否定するつもりはないですが、私には信頼しきれない方なので、あしからず。
2008年10月08日
市川じゅん菜池
またまた市川の小さな旅です。場所は・・・バス通りから「じゅん菜池入り口」の表示のところを入っていって、坂を下りて行ってください。交番の隣りです。私も全く下調べしないで行ったので・・・(^^;なんとなくたどり着いただけなんです。
むかーしむかし、この辺りに木立に囲まれた古い沼がありました。
そして名の通り、当時ここにはじゅんさいがたくさん生えていたそうです。ところが、近年(昭和になってから)沼は干上がってしまい、田んぼになったこともあったらしいです。その後、またもとの沼を復活させようという活動が盛んになって、この池と公園が整備されたとのことです。
池の周りは遊歩道になっていて、ベンチなどがあり、きちんと整備されていました。
近くに小学校があって、小学生達の群が下校にここを通っていました。

池はこんな感じで、そんなに深そうではありません。しかし草木が茂り、自然の感じが残っていて、錦鯉やカモの姿がたくさん見られました。
わらぶき屋根の休憩所は風情があります。(でも何故か中で人が寝ていたので遠くから撮影・・・)

カルガモ、マガモのつがい、アヒル、マガモとアヒルのあいのこみたいなの、とたくさんカモ類がいました。この子らは多分、春に渡ってゆかずにここで夏を過ごしたカモなんでしょう。冬になるともっとたくさん渡ってくると思います。
驚かすとかわいそうと思ってあまり近寄りませんでした。
おおっ?!?!突然池から噴水が湧きだして驚きました。説明があったので見ると、夏期の昼間は毎日、15分間隔で噴水が吹き出すようになっているそうです。井の頭公園でも思いましたが、こういう自然公園に噴水って・・・あんまり趣味がよくないのではないかなあとおもわないでもないですが・・・そう思ってよく見ると・・・
おわっ。(;゜д゜:)なんだかわからないけれど水面でぐるぐる回る謎のオブジェがあって、カモが楽しそうに乗っかって回っています!!このオブジェには上のボールの下に3つくらい羽根がついていて、その羽根に一羽ずつカモが乗ってくるくるまわっていました。
・・・鳥って・・・(゜д゜)
確かにセキセイインコとかも遊具で遊びますもんね・・・。
サルスベリの花でしょうか?水際に美しい花が咲いていたので、滑らないよう気をつけながら撮影。
・・・していたら、なんとカモたちが寄ってくるではありませんか。もしや、こやつら餌付けされておるな?!こらこら、鴨鍋にされるよ。
一方、カイツブリという水鳥は警戒心が強いらしく、カメラを向けるとさーーーーっと逃げていきました・・・。いや、君は多分鍋にされないから。
さて、細長い池をどんどん進んでいくと、水生植物園に来ました。ここは特に自然保護区域になっているらしく、道は整備されていましたが木や草はかなり生い茂っていました。
これがじゅんさい池緑地の全容
左の方の一角にある水生植物園
携帯カメラでは明るく写ってしまうのですが、じっさいはもうちょっと鬱蒼と草木が茂っている感じです。こういう場所、昔はよくあったよなあ・・・
ぎゃっ。
毒蛇およびカミツキガメ注意の看板が出ていました。
やっぱり危ない場所なんだろうか・・・・・・
実験施設のようなものがあります。ここは柵に囲われていて、入れないようになっています。何か植物の育成をしているようです・・・・が、そこへ小学生達の群が!平気で柵の中に入って、ミミズを掴んできて餌にし、ザリガニを捕っているようです。PTA!PTA〜!
でも、こういうのを禁止するのが本当に子供にとって良いことなのかどうかわかりません。ま、命が一番大事なのですけどね。そんな危険な場所というわけでもなかったので、撤退。

イノカシラフラスコモという藻を育てているようです。

立ち入り禁止区域の中には蓮の他にもいろいろな植物が植えられているようです。
この辺りの森は本当に鬱蒼としていて、静かで雰囲気の良いところでした。犬の散歩をしている人とすれ違うのがちょっと苦労するくらい狭い道でしたが。
じゅんさいは今はここの植物園の入り口あたりの池に生えているみたいです。どれがじゅんさいかわかりませんが。この日も雨が降ったり止んだりだったので、森を歩くのには傘が必須でした(´・ω・`)
のんびり歩いてだいたい1時間くらいの散歩コースです。
今回は初秋でしたが、梅や桜、紅葉も美しいらしいので他の季節にも行ってみたいものです。
2008年09月27日
千葉の旅→矢切の渡し編
今回は市川駅から松戸車庫行きのバスでちょっと遠出して、矢切の渡しまで行ってみることにしました。
これまで市川周辺を旅していましたが、行動範囲を広げるうちに市川から出て、松戸市までいくことになってしまいました。
あいかわらず何の下調べもしないで来てしまったのでどこのバス停で降りるのかもわからず、とりあえず「矢切駅」(北総鉄道北総線)というバス停で降りてみました。でも次の下矢切のバス停の方が近かったようです。
ま、駅前に地図案内板があったのでここで降りて正解です。道順をチェックした後停留所一つ分歩いて、バス通りから江戸川側に降ります。
それにしても、市川とかあの周辺ってデイリーヤマザキとクロネコヤマトの配達車がやたらと多いなという気がするのですが・・・前回も前々回も今回の旅も、散策中必ずヤマトばかりと遭遇しました。
さて、のんびり歩いていくと、矢切神社、国府台の戦いの慰霊に近年作られたとかいう矢喰村庚申塚(もうこんな戦を起こすような矢なんて喰ってしまえという意味の当て字)などを通ります。その辺は写真撮ってませんでした・・・
そしてまず第一の目標場所である西蓮寺につきます。ここは、坂の下に向かって左側に西蓮寺入り口階段があったんですが、そこからではなく、右側に登る階段を登り、頭上の「野菊の墓文学碑」と書いてある歩道橋を渡って入るのが良いです。
そんな感じで右側の階段を登ると、ちょっとした公園のようになっています。ここが「野菊苑」です。昔整備されたようで近辺の観光案内板も建てられていましたが、蜘蛛の巣や枯れ葉で案内板も汚れ、色あせています。
階段を上りきった「野菊苑展望台」から見た景色。
高台から東京方面に広く開けています。
晴れていたら山とかいろいろみえるようです。
あっちに江戸川があるのですね。
野良猫が3匹ねっころがっていました。
さて、ここから道の上を渡る歩道橋を通って、西蓮寺へ。
野菊の墓文学碑です。
伊藤左千夫の有名な小説「野菊の墓」の舞台に雰囲気の近いところ、とされています。碑文は小説の部分を抜粋してつなげた文章のようです。残念ながら本文は活字体で、ちょっと風情が足りないかなあという気も。
「民さんは野菊のような人だ」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
の碑(板)もちゃんとありましたよ。粗末でしたが。
ここはお寺だからか、国府台合戦の凄惨な記録なども外に野ざらしになった板に書いてありました。国府台合戦はよほど悲惨な戦争だったのでしょう。慰霊のためにこういうものをあちこち作って紹介しているのかもしれません。
さて西蓮寺を出て、坂を下っていきましょう。
途中、彼岸花が咲いていました。キレイに撮れませんでしたが・・・印象的な花です。
途中イングリッシュガーデンを意識したようなきれいなお庭の民家がありました。道端におお!うさぎ?と思ったら小さな石のオブジェでした。
微妙な晴れ女なのか、午前まで雨が降っていたのに日が差して暑くなってきました。雨上がりを散策することが多い私。この日もそんな感じで、折りたたみ雨傘を日傘にして暑い中てくてく。
途中でお茶を買い水分補給しつつ、舗装された車のたくさん通る道(だけど農道ではあります)を通っていきました。が、坂の下から始まる狭い道「野菊のこみち」の矢印をたどって行くのが結局矢切の渡しまでは一番わかりやすい道だということが後でわかりました。(でも渡し側が出発点のようです)
でもどちらにしても途中で通る「矢切橋」はちょっとすてきな橋でした。写真は細い「坂川」にかかる矢切橋。欄干に野菊の模様があしらってあります。
この模様の通り、この辺りで野菊というと青っぽい菊のことらしく、民さんはそういう清楚なイメージの女性だったのかなと思います。
さて、坂川を渡り、野菊のこみちは左へ行くのですが、私はよくわからずに舗装された大きな道をまっすぐ行ってしまいました。
トウモロコシを刈り取った跡?
鳩(キジバトとドバト)が落ちた実を食べていました。
矢切ネギ
この辺で作られている、有名な美味しいネギだそうです。青々としたネギを農家の方々が一生懸命植えていました。それにしても大変な量です。
坂を下りきってからは、江戸川の旧河川敷なんでしょう、真っ平らなこの土地は、空は広く、とても悠々とした気分になります。畑の傍で育ったので(もう少し小規模でしたが)こういう田園地帯は通るだけで気持ちが良いです。それに、この手の連続パターンの模様をなす光景は個人的に惹かれるものがあります。
興味のない方には・・・ただの畑地帯なので、そんなにおすすめしづらいですが・・・
麦か田んぼの稲を刈った跡でしょうか?
やっぱり鳥が一杯います。
ゴルフコース
土手を越えたらゴルフコースでした。もうちょっとで江戸川です。
でも、どこが矢切の渡しかよくわかりません。
表示板の矢印が変な方を向いているので素直にそっちへ行ってみると、ゴルフコースが途中とぎれて小道が有るのがわかりました。ここを行ってみることに。
「ボールが飛んできます。コース内はプレイヤー以外立ち入り禁止」
えっ。飛んできたらやだなあ。この道はコース内じゃないからいいんだよね?
【ちょっとここでアドバイス。土手の上で、川の方をよく見てください。Dr.コトー診療所のように白い旗が立ってます(休業中は立ってないらしい)。そこが矢切の渡しです。わかりにくかったらその旗の下を目印に進んでください。「野菊のこみち」を通ってきたら土手を越えてすぐ目の前にその入り口の小道があるんですが、そうでなかったら非常にわかりにくいです。】
道の奥は木々に囲まれ寂れた感じの小屋が有ったりして、一瞬間違えたかと思いましたが、やっぱりここでした。
「矢切の渡し」に到着です。西蓮寺の野菊の墓文学碑から1.5kmくらいでした。
渡し場では黒いワンちゃんがお出迎えです。この子がおとなしくほんと人なつっこくて、茂みの間から江戸川を覗いていると足にすり寄ってきました。
ひとしきりワンちゃんと遊ぶ私。犬好きの方、ここへ行かれたら、是非遊んであげてください。(つないであるので苦手な方でも大丈夫です。吠えないし)
ちょうど東京側から渡ってきた船がきて、人が降りました。向こうから来る人の方が多いのかもしれません。釣り人風グラサンのおっちゃんといった風情の船頭さんに「乗りますか?」と聞かれたけれど、これからまた船橋方面へ行く予定だったし、柴又に行っちゃってもその後が困る(寅さんファンなら行ってたかもしれませんが)と思ったので、今回は乗りませんでした。
ちなみに船賃はたったの100円です。何十年も変わってないらしい。

対岸の渡し場が見えました。こっちの渡し場は本当に木々が茂っていて、川を見ることができる場所は限られていました。
この向こうは東京なのです。江戸時代には本来関所を通らねば別の国に勝手に行ってはいけなかったので、こう川岸が閉鎖的にできているんでしょうか。
矢切の渡しは当時も正規の船ではなく、農民などがいちいち遠くの関所を通らなくても行き来できるよう暗黙の了解で許可して貰っていた交通手段で、矢切以外にも渡し場はあったようです。でも現在まで残っているのはこの一カ所のようです。
矢切側の渡し場。船が見えにくいでしょうか。昔ながらの木の船でした。この先は船に乗る人しか入れませんでした。結構狭い渡し場です。
次に来たときに乗ってみることにします。さあ、引き返しましょう。
帰りは「野菊のこみち」というのを通って帰ることにしました。この道はところどころ道標と「野菊の墓」の小説をモチーフにした石碑があって、昔ながらの農村の雰囲気を味わうことができるようです。文学的な香りのする名前の小道だなあ・・・
・・・・・・と思って足を踏み入れたんですが。
早速難関です。
午前中の雨が舗装されていない道の車轍に水たまりを作り、泥んこです。
結局のところ昔ながらの農道ってことですね。わらべ達が泥だらけで駆け回り、うさぎを追い小川でフナを捕ったというああいう情景です(って情景は見たことありませんが)。
わあ、ここは舗装されてるけど道の真ん中に水たまりが!そしてその中に白鷺が!
でもそこへ、原付のお兄さんがやってきて平気で水しぶきをあげ通り過ぎました。白鷺は飛んで行きました。
農業用水のところではおじいさんが二人で話しながらのんびりと釣りをしていました。
「釣れないからってすぐ諦める人もいるけど、30分は同じところで待たないとな」
「そりゃ、30分くらいは待たないとだめだな」
と、のどかな会話。
こういう道が延々と続きます。要するに、これが野菊の小道。
トラクターが通るようで一応車輪の位置に石がちょこちょこと敷き込んである場所もあります。泥をさけるには真ん中の草が茂っているところを踏みつけていくしかありません。距離的には近いのかも知れませんが、車道を通った方が楽だし早く進める気もしました。
でも風景を楽しむには良いでしょう。
途中ベンチがあって(野菊のこみち休憩所)、休憩しているお兄さんがいたので私も隣のベンチに座って元来た江戸川方向を見ていました。あ〜暑い。
やがてお兄さんは私が来た野菊の小道を通って矢切の渡し方面へと向かっていったようです。

途中、いい香りに誘われて、見ると花の咲いた木がありました。ジャスミンの一種?のような・・・でも葉っぱが違う気も。花には詳しくないのでよくわかりません。
もうすぐ坂の登り口です。畑の脇にきれいな花が植えられていて、アゲハがいっぴき飛び回っていました。
このあとは坂を登っていき元来た西蓮寺の通りへ戻って、それからバス通りへ。
これで矢切の旅はおしまいです。
うーん。千葉に住んでいる人がこういう面白い風物を見ないとしたらもったいないですよう。
また面白い場所があったらご紹介します。
9/16
これまで市川周辺を旅していましたが、行動範囲を広げるうちに市川から出て、松戸市までいくことになってしまいました。
あいかわらず何の下調べもしないで来てしまったのでどこのバス停で降りるのかもわからず、とりあえず「矢切駅」(北総鉄道北総線)というバス停で降りてみました。でも次の下矢切のバス停の方が近かったようです。
ま、駅前に地図案内板があったのでここで降りて正解です。道順をチェックした後停留所一つ分歩いて、バス通りから江戸川側に降ります。
それにしても、市川とかあの周辺ってデイリーヤマザキとクロネコヤマトの配達車がやたらと多いなという気がするのですが・・・前回も前々回も今回の旅も、散策中必ずヤマトばかりと遭遇しました。
さて、のんびり歩いていくと、矢切神社、国府台の戦いの慰霊に近年作られたとかいう矢喰村庚申塚(もうこんな戦を起こすような矢なんて喰ってしまえという意味の当て字)などを通ります。その辺は写真撮ってませんでした・・・
そしてまず第一の目標場所である西蓮寺につきます。ここは、坂の下に向かって左側に西蓮寺入り口階段があったんですが、そこからではなく、右側に登る階段を登り、頭上の「野菊の墓文学碑」と書いてある歩道橋を渡って入るのが良いです。
そんな感じで右側の階段を登ると、ちょっとした公園のようになっています。ここが「野菊苑」です。昔整備されたようで近辺の観光案内板も建てられていましたが、蜘蛛の巣や枯れ葉で案内板も汚れ、色あせています。
階段を上りきった「野菊苑展望台」から見た景色。高台から東京方面に広く開けています。
晴れていたら山とかいろいろみえるようです。
あっちに江戸川があるのですね。
野良猫が3匹ねっころがっていました。さて、ここから道の上を渡る歩道橋を通って、西蓮寺へ。
野菊の墓文学碑です。
伊藤左千夫の有名な小説「野菊の墓」の舞台に雰囲気の近いところ、とされています。碑文は小説の部分を抜粋してつなげた文章のようです。残念ながら本文は活字体で、ちょっと風情が足りないかなあという気も。「民さんは野菊のような人だ」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
の碑(板)もちゃんとありましたよ。粗末でしたが。
ここはお寺だからか、国府台合戦の凄惨な記録なども外に野ざらしになった板に書いてありました。国府台合戦はよほど悲惨な戦争だったのでしょう。慰霊のためにこういうものをあちこち作って紹介しているのかもしれません。
さて西蓮寺を出て、坂を下っていきましょう。途中、彼岸花が咲いていました。キレイに撮れませんでしたが・・・印象的な花です。
途中イングリッシュガーデンを意識したようなきれいなお庭の民家がありました。道端におお!うさぎ?と思ったら小さな石のオブジェでした。
微妙な晴れ女なのか、午前まで雨が降っていたのに日が差して暑くなってきました。雨上がりを散策することが多い私。この日もそんな感じで、折りたたみ雨傘を日傘にして暑い中てくてく。途中でお茶を買い水分補給しつつ、舗装された車のたくさん通る道(だけど農道ではあります)を通っていきました。が、坂の下から始まる狭い道「野菊のこみち」の矢印をたどって行くのが結局矢切の渡しまでは一番わかりやすい道だということが後でわかりました。(でも渡し側が出発点のようです)
でもどちらにしても途中で通る「矢切橋」はちょっとすてきな橋でした。写真は細い「坂川」にかかる矢切橋。欄干に野菊の模様があしらってあります。
この模様の通り、この辺りで野菊というと青っぽい菊のことらしく、民さんはそういう清楚なイメージの女性だったのかなと思います。
さて、坂川を渡り、野菊のこみちは左へ行くのですが、私はよくわからずに舗装された大きな道をまっすぐ行ってしまいました。
トウモロコシを刈り取った跡?
鳩(キジバトとドバト)が落ちた実を食べていました。矢切ネギ
この辺で作られている、有名な美味しいネギだそうです。青々としたネギを農家の方々が一生懸命植えていました。それにしても大変な量です。坂を下りきってからは、江戸川の旧河川敷なんでしょう、真っ平らなこの土地は、空は広く、とても悠々とした気分になります。畑の傍で育ったので(もう少し小規模でしたが)こういう田園地帯は通るだけで気持ちが良いです。それに、この手の連続パターンの模様をなす光景は個人的に惹かれるものがあります。
興味のない方には・・・ただの畑地帯なので、そんなにおすすめしづらいですが・・・
麦か田んぼの稲を刈った跡でしょうか?
やっぱり鳥が一杯います。ゴルフコース
土手を越えたらゴルフコースでした。もうちょっとで江戸川です。でも、どこが矢切の渡しかよくわかりません。
表示板の矢印が変な方を向いているので素直にそっちへ行ってみると、ゴルフコースが途中とぎれて小道が有るのがわかりました。ここを行ってみることに。
「ボールが飛んできます。コース内はプレイヤー以外立ち入り禁止」
えっ。飛んできたらやだなあ。この道はコース内じゃないからいいんだよね?
【ちょっとここでアドバイス。土手の上で、川の方をよく見てください。Dr.コトー診療所のように白い旗が立ってます(休業中は立ってないらしい)。そこが矢切の渡しです。わかりにくかったらその旗の下を目印に進んでください。「野菊のこみち」を通ってきたら土手を越えてすぐ目の前にその入り口の小道があるんですが、そうでなかったら非常にわかりにくいです。】
道の奥は木々に囲まれ寂れた感じの小屋が有ったりして、一瞬間違えたかと思いましたが、やっぱりここでした。「矢切の渡し」に到着です。西蓮寺の野菊の墓文学碑から1.5kmくらいでした。
渡し場では黒いワンちゃんがお出迎えです。この子がおとなしくほんと人なつっこくて、茂みの間から江戸川を覗いていると足にすり寄ってきました。
ひとしきりワンちゃんと遊ぶ私。犬好きの方、ここへ行かれたら、是非遊んであげてください。(つないであるので苦手な方でも大丈夫です。吠えないし)
ちょうど東京側から渡ってきた船がきて、人が降りました。向こうから来る人の方が多いのかもしれません。釣り人風グラサンのおっちゃんといった風情の船頭さんに「乗りますか?」と聞かれたけれど、これからまた船橋方面へ行く予定だったし、柴又に行っちゃってもその後が困る(寅さんファンなら行ってたかもしれませんが)と思ったので、今回は乗りませんでした。
ちなみに船賃はたったの100円です。何十年も変わってないらしい。

対岸の渡し場が見えました。こっちの渡し場は本当に木々が茂っていて、川を見ることができる場所は限られていました。
この向こうは東京なのです。江戸時代には本来関所を通らねば別の国に勝手に行ってはいけなかったので、こう川岸が閉鎖的にできているんでしょうか。
矢切の渡しは当時も正規の船ではなく、農民などがいちいち遠くの関所を通らなくても行き来できるよう暗黙の了解で許可して貰っていた交通手段で、矢切以外にも渡し場はあったようです。でも現在まで残っているのはこの一カ所のようです。
矢切側の渡し場。船が見えにくいでしょうか。昔ながらの木の船でした。この先は船に乗る人しか入れませんでした。結構狭い渡し場です。次に来たときに乗ってみることにします。さあ、引き返しましょう。
帰りは「野菊のこみち」というのを通って帰ることにしました。この道はところどころ道標と「野菊の墓」の小説をモチーフにした石碑があって、昔ながらの農村の雰囲気を味わうことができるようです。文学的な香りのする名前の小道だなあ・・・・・・・・・と思って足を踏み入れたんですが。
早速難関です。
午前中の雨が舗装されていない道の車轍に水たまりを作り、泥んこです。
結局のところ昔ながらの農道ってことですね。わらべ達が泥だらけで駆け回り、うさぎを追い小川でフナを捕ったというああいう情景です(って情景は見たことありませんが)。
わあ、ここは舗装されてるけど道の真ん中に水たまりが!そしてその中に白鷺が!でもそこへ、原付のお兄さんがやってきて平気で水しぶきをあげ通り過ぎました。白鷺は飛んで行きました。
農業用水のところではおじいさんが二人で話しながらのんびりと釣りをしていました。
「釣れないからってすぐ諦める人もいるけど、30分は同じところで待たないとな」
「そりゃ、30分くらいは待たないとだめだな」
と、のどかな会話。
こういう道が延々と続きます。要するに、これが野菊の小道。トラクターが通るようで一応車輪の位置に石がちょこちょこと敷き込んである場所もあります。泥をさけるには真ん中の草が茂っているところを踏みつけていくしかありません。距離的には近いのかも知れませんが、車道を通った方が楽だし早く進める気もしました。
でも風景を楽しむには良いでしょう。
途中ベンチがあって(野菊のこみち休憩所)、休憩しているお兄さんがいたので私も隣のベンチに座って元来た江戸川方向を見ていました。あ〜暑い。
やがてお兄さんは私が来た野菊の小道を通って矢切の渡し方面へと向かっていったようです。

途中、いい香りに誘われて、見ると花の咲いた木がありました。ジャスミンの一種?のような・・・でも葉っぱが違う気も。花には詳しくないのでよくわかりません。
もうすぐ坂の登り口です。畑の脇にきれいな花が植えられていて、アゲハがいっぴき飛び回っていました。このあとは坂を登っていき元来た西蓮寺の通りへ戻って、それからバス通りへ。
これで矢切の旅はおしまいです。
うーん。千葉に住んでいる人がこういう面白い風物を見ないとしたらもったいないですよう。
また面白い場所があったらご紹介します。
9/16
2008年09月23日
市川・里見公園の旅
さて今回は市川市の里見公園の旅です。里見公園は昔国府台城という城が有った場所に作られたそうです。
このあたりは古戦場でもあり、古い歴史を持つらしいのですが、あまり詳しい歴史的解説よりもまず公園を楽しみましょう。
場所は市川駅からバスで15分です。
写真はちょっと古い日付ですが、このように歓迎プレートが出ていて、この前で記念撮影ができます。(・・・そんな需要があるのかな?)
公園は花でいっぱいです。噴水の周りに何十種類もの薔薇が咲くバラ園があり、夏は綺麗な花がかなり楽しめます。
薔薇にもそれぞれ時期があって、見られるものと見られない物がありますが、7月から9月にかけて咲いていた物をご紹介しましょう。
イングリッドウェイブル

プリンセスアイコ
敬宮愛子様へ捧げられた薔薇アンダルシアン

マリアンデール

ウララ
日本で作られた品種のようですチャールストン
賑やかでチャーミングノックアウト
変な名前ですが雨水をたたえた杯のようマリアンデールその2
花だけでなく、茎や葉っぱもそれぞれに特徴があり、風情たっぷり薔薇の茂み
ピンクのがニコロパガニーニかな?有名な音楽家を記念して名付けられたそうですマリーゴールド
バラ園の外にはこういう綺麗な花壇があります。さあ、里見公園の表の姿を堪能して頂けたでしょうか。(この日記の写真はクリックすると拡大して見られるようになっています)
きれいに整備された公園、というイメージでした。
さあ、裏半分へ行ってみようではありませんか!
公園をちょっと出ることになりますが、階段を下りていくと「羅漢の井」というものがあります。これは伝説では空海が見つけ、里人のために広めたとされていますが、現在の基準では引用水としてちょっときれいさが足りないらしく、飲めません(私も責任取れないので飲まないでください)。でもたくさんの水がこんこんと湧き出ていて、この真水の少ない国府台では昔飲用その他で重宝されたらしいです。少なくとも江戸時代の記録には総寧寺羅漢井として残っているようです。仰々しい名前(羅漢は「尊敬を受けるに値する人」といったような意味。空海のことでしょうか)ですが、外見は結構最近きちんと整備されているようで現代風の井戸でした。(でも流れ出してる水が、受け穴から外れてます)
羅漢の井を見に行ったついでに、公園の外の坂道を下って見ると、すぐそこに江戸川が流れていました。おおお。なんと広い川。湖じゃないですか??と思うくらい。
海が近いようです。釣りをしている人も多くいました。
この川の上流は利根川らしいんですが、江戸時代に利根川の洪水対策として川の流れを変えて、こっちへ流し込んできたらしいです。もともと有った川は今は「旧江戸川」として別にあります。ややこしいですね。
江戸川の対岸は東京都です。
さて、公園へ戻りましょう。
・・・っていうか、雨上がりの里見公園(奥)ははっきり言って怖かったです。夏休み真っ最中だったのに誰もいない!(折しもお盆だし)
頭上は木の葉に覆われ、日も差し込まぬ鬱蒼とした木のトンネルの中、葉っぱから落ちてくる水滴を避けるため傘を差して散策です。しかし、地面は舗装されていない赤土で、どっちかというとバラ園に佇むエーレガントな少女っぽい服装だった私は「ひ〜」って感じで、泥がはねないように注意して歩きました。
それにしても!山あり谷あり池あり崖あり、奥へ行くと滝や太鼓橋まであって、里見公園がこんなアドベンチャーランドだったとは知りませんでした!(写真は滝と橋)
でも写真ではその怖さがあまりお伝えできず残念です。
とにかく暗くて静かで人がいないんですよ!
小高い丘の上に何か有るようなので階段を登ってみました。「明戸古墳石棺」
・・・って、え?私、前方後円墳の上に登って来ちゃったの?!(;゜д゜:)
古墳とかって歴史の教科書に出てくるもんだから平気な人もいるけど、基本墓じゃん。
まさかこんな公園の中に古墳があるとは思いませんでした。古墳の上に剥き出しになった石棺が二つ、野ざらしになっています。ほえ〜
6世紀頃の古墳らしいですが、これも江戸時代からこういう形で野ざらしになっていたようです。ちなみに石棺の石板は、筑波山の方から採掘され船で運ばれてきたと推定されています。
「夜泣き石」。昔、ここ国府台城では2度の大きな戦があったそうです。その時に、死んだ武将の娘が父を捜しに戦場跡へとやってきたのですが、その累々たる死体の山、目を覆う惨状にショックを受け、泣いて泣いて泣き尽くし、この石に伏してそのまま息を引き取ったそうです。それ以来、夜になるとこの石から娘の悲しい鳴き声が聞こえてきたという伝説です。うーん。悲しいお話です。
が、ちょっとちょっと。この石の土台として敷いちゃってる平べったい石は、明戸古墳石棺の蓋、蓋〜!コラー
案内板に「亡霊の碑」と有ってぎょぎょぎょっとしたんですが、亡霊の碑?戦国の世、永禄7年、この国府台城に陣を張った里見氏は強敵北条氏を迎え撃ちますが、戦に惨敗し、五千人の戦死者が出たといいます。
そのまま戦死者が弔われることもなく、250年近く経ってからようやくこの慰霊碑、
左から「里見諸士群亡塚」「里見諸将霊墓」が建てられ、更に「里見広次公廟」(一番右、年代不詳)が建てられたそうです。
一説によると、この戦死した里見広次の娘が例の夜泣き石の娘という話もあるらしいですが、あくまで伝説なのでよくわかっていません。
もとはこれらの碑は明戸古墳の方に有ったそうです。
あー。なんだか怖くなってきました。さあ先へ進んで公園(表)の方へ行こう・・・と思って公衆トイレの脇の道を通ったら、ここなんか嫌〜な感じ。
いえ!別に私は霊感とか無いんですが!
しかし、ちょっと歩いてぎょぎょっ。方向を間違えたか?!元来た方へ来てしまったらしく、公園の隣の寺にあるお墓がいっぱい!きゃ〜
またトイレの所に戻ったら方向感覚を取り戻しました。アセアセ(^^;
さあ、明るい世界へ戻りましょう。
ブランコなどの遊具がある場所を通ってフラワーガーデンの方へ戻り、やっと入り口へ。写真には「国府台城跡」と書いてありますが、見えにくいですね・・・ここまでくると人が散歩していたり、管理者が芝生を整備したりしていたのでほっとしました。(^。^)=3
しかし、ここ夜に来たら怖いだろうな〜
・・・と思ったら、夜散策された方がおられたようなのでご紹介しておきます。
「怪異探訪記」様
http://tanbouki.s22.xrea.com/spot13.html
え?心霊スポットだったの?!
夜来ることはオススメしませーん(^^;
以上、簡単ですが里見公園の裏表の旅をご紹介しました。
2008年09月18日
2008年北海道旅行・5日目(最終日)
朝は近くの市場で取れたての魚介類を好きなだけ乗せられる「勝手丼」を食べるという選択肢もあったんですが、ホテルの朝食バイキングですませました。勝手丼と言っても、乗せる物によって料金がどんどん追加されていくので2000円とかしちゃうんですよね。釧路は鮭が有名なのか、街のブロックの上に写真のような鮭がはまっていました。
郵便局で荷物を家まで送って、空港へ。レンタカーもそこで返します。
だけど、カーナビに乗ってない新しい道ができていたのを知らずに立派な道路に乗ってしまい、変な方へ行きそうになって、慌てて地上へ降りました。空港へ行く新しい道路もできていたようですが、まあせっかくなのでカーナビに従って古い細い道を行きました。最後のドライブです。
車を返した時には雨でどろんこになってました。走行距離は1000km以上。わ〜。
夫はあちこちでさんざんお酒を買っていたのに、空港でまだ大きな瓶を買ってました。
空港で買った熊のガラナ。ガラナというのは北海道ではメジャーな飲み物らしく、あちこちで売ってました。味は、オロナミンCと氷いちごを混ぜたような、苦みと甘さの混じった感じでした。
私はヒグマガラナを飲んだんですが、白クマガラナとどう違ったのか飲み比べればよかったです。
いつか流氷も見たいなと思いました。暑い北海道はもう堪能したので(^^;
道東だけでもまだまだ見足りなかったので、この辺りはもう何度か行きたいです。
今度は阿寒湖と屈斜路湖です。
今回はアイヌ文化のものをあまり見られなかったので、アイヌの民族衣装とか民俗資料館とか、そういう所へも行きたいなと思ってます。
さて釧路空港から無事羽田へ戻りました。かなーり疲れましたが、初めての北海道、とっても楽しかったです。
これで北海道の旅は終わりです。
最後に、

北海道が暑いのを知らずに長袖ばかり持って行ってしまって着る物が無く、困ったから、最後の頃は網走刑務所のおみやげに買ったこんなTシャツを着てました。買っておいてよかった・・・(^^;
これで羽田に着いたのでちょっと変だった・・・?
2008年09月17日
2008年北海道旅行・4日目
旅は5日間で終わりなので、旅行記ももう終盤です。
標茶の市街地で名物ニンニク焼酎を入手してから、今度は釧路湿原へと向かいました。
湿原の中に足を踏み入れることができるわけではないのですが、広い湿原の脇を突っ切る道路でずんずん南下します。
釧路湿原駅。この駅まで入るのにほんと大変でした。車一台通るのがやっとの藪の中の細道、対向車が来たら終わりだ〜。車の底を擦りそう〜という舗装されてない一本道でした。
駅は無人駅です。かなり本数の少ない電車なのに、運良くちょうど1両編成の電車がやってきました。
そして意外な人数の観光客が降りました。
ここから、車の道ではなく、崖を階段で上っていく道があって、そっち方向に湿原を見渡す展望台やちょっとした案内所兼食堂がありました。
展望台から眺めた釧路湿原です。ちょっと曇ってました。ただの草原に見えますが、水をたくさん含んだ土みたいです。
ネイチャーセンターから2,3kmの遊歩道を歩いて、所々にある展望台から広い湿原をたくさん見てきました。
かなりの運動になりました。
←これは何の花かわかりませんが、あちこちで見かけたので写真撮ってみました。
北海道の道路の脇の溝に必ずと言っていいほど茂っているオバケ蕗。手と比べてみました。大き〜い(゜д゜)これと対比すると、コロボックルって結構大きいんじゃないですかね?身長1mくらいあったりして。
道を走っていると時々鹿が道端にいましたよ。自然の中に人が住んでるんだなあと思いました。
それにしても・・・やっぱり暑い!!
多和平へ行く途中、乗馬のできる道産子牧場があったので寄るだけ寄りました。乗る用だから鞍をつけてますね。サラブレッドと比べるとほのぼの〜とした感じで良いですね。
コスモスもきれいでした。
そして来ました多和平。
五十石駅の近くのとほ宿のご主人や同宿した方から教えて貰い、こっちの方が開陽台より360度見渡せるとのことだったので、行ってみました。
うーん。大パノラマ。
(携帯写真をつなげてパノラマ写真にしてみました。拡大して見たい場合写真をクリックしてください)
周りは牧場で、羊や牛がたくさんいました。
ここで自家製ソーセージカレーや自家製飲むヨーグルトを飲食。
北海道にはあっちにもこっちにも本当にたくさん牧場がありましたが、意外に観光牧場は少ないんですね。いつも牛や馬を遠くから眺めるだけでした。この辺りまでの牧場の馬は全部道産子馬でしたが、十勝の方へ行くと競走馬(サラブレッド)の牧場があるようです。牛はホルシュタインが多かったですがジャージー牛の牧場も見ました。
赤い屋根の牛舎やサイロがあっちにもこっちにも見えて、牧草をロールキャベツのようにして、霧などで濡れないよう黒いビニル袋に包んだのがごろごろ牧場に転がっているのも楽しい風景でした。
さて、日は陰ったりまた晴れてきたりを繰り返し(気温と湿度は高いまま)、風景も堪能したので弟子屈の方へ向かい、「摩周温泉」という道の駅へ行ったところ・・・
しょぼい!(´・ω・`)なんだこの道の駅は!
一旦駐車場へ入った車ががっかりして出て行ってました。
でもまあ一応車を停めて・・・
そばのヨーロッパ博物館でも見ようかと、北フランス風?の大きな建物に行ってみたら・・・
閉館&展示物販売中のお知らせ(_ _)
あ〜。きっとロシアのものとかも展示してたんだろうに・・・ちょっと見たかったなあ。
でも、そのしょぼい道の駅に、摩周湖の一般車両規制解除のお知らせが出ていたので、摩周湖へ行くことにしました(*´▽`*)
ほんとつい1,2日前までは入れなかったんですよ。
さあ!雲の絶え間からさす日差しに青い水をたたえた神秘の湖が・・・
ってあれ?見える・・・
未婚女性が摩周湖見たら婚期が遅れると言われていたくらい霧で見えにくい湖ととほ宿で言われたばかりだというのに(私は既婚女性ですが)、一応見えました。うすく霧がかってましたが。
美しいなあ・・・
この第一展望台の売店で摩周湖ソフトという青いソフトクリームを食べました。
カムイヌプリという高い山が見えます。
ぽつんとある島はカムイシュ島というそうです。
第一展望台を出て、次の展望台へ。何故かそこは「第3展望台」。もう一つ山側に(別方向からしか登れない「裏摩周展望台」というのもあったみたいすが、でも何故か第二展望台というのがありませんでした。
なんて幻想的なんでしょう。ちょっと霧があるのも効果的なのかもしれませんが。水面は太陽の光と空を映していて、ところどころいろんな色に見えます。
もう一枚。

この青いのは水面ですよ。
湖から絶えずひんやりと冷たい風が吹いてきて、全て世の中の雑多な音が消えてしまったかのような、とても静かな空気を感じました。神聖な場所、という感じでしょうか。

振り返ると、ここまで登ってきた山裾の方へ向けて、天使の梯子が・・・
美しい世界です。
さあて、せっかくここまで北上してきましたが、翌日は釧路空港から朝の便で家に帰るので、もういっぺん南下しなければなりません。
その前に弟子屈町営牧場のある900草原というところへ。
雨が降ってきたのでほとんどいませんでしたが、展望室から牛を見て、牛のぬいぐるみを買ってきました。ここが最後の観光地です。
そしてまた湿原を南へ突っ切って、釧路のホテルへと向かいます。
これで北海道の原野ともお別れ。名残を惜しんで風景をチラ見(脇見運転はいけません)しつつ、釧路の街へ。
ホテルは結構都会的で良いホテルでした。今までの「大自然の中の小さな宿」の雰囲気はもう無く、釧路駅の近くは立派な都会でした。
上の階に温泉があって、露天風呂までついてましたよ。
夕飯は近所の居酒屋へ。もう海産物の臭いに疲れてきていたので、カボチャグラタンとか梅茶漬けとか食べてましたが、おいしかったです。あ、鯨も食べました。
ということで、さらば北海道の夜。
(実質的に大自然の旅は終わりです)
標茶の市街地で名物ニンニク焼酎を入手してから、今度は釧路湿原へと向かいました。
湿原の中に足を踏み入れることができるわけではないのですが、広い湿原の脇を突っ切る道路でずんずん南下します。
釧路湿原駅。この駅まで入るのにほんと大変でした。車一台通るのがやっとの藪の中の細道、対向車が来たら終わりだ〜。車の底を擦りそう〜という舗装されてない一本道でした。駅は無人駅です。かなり本数の少ない電車なのに、運良くちょうど1両編成の電車がやってきました。

そして意外な人数の観光客が降りました。
ここから、車の道ではなく、崖を階段で上っていく道があって、そっち方向に湿原を見渡す展望台やちょっとした案内所兼食堂がありました。
展望台から眺めた釧路湿原です。ちょっと曇ってました。ただの草原に見えますが、水をたくさん含んだ土みたいです。ネイチャーセンターから2,3kmの遊歩道を歩いて、所々にある展望台から広い湿原をたくさん見てきました。
かなりの運動になりました。
←これは何の花かわかりませんが、あちこちで見かけたので写真撮ってみました。
北海道の道路の脇の溝に必ずと言っていいほど茂っているオバケ蕗。手と比べてみました。大き〜い(゜д゜)これと対比すると、コロボックルって結構大きいんじゃないですかね?身長1mくらいあったりして。道を走っていると時々鹿が道端にいましたよ。自然の中に人が住んでるんだなあと思いました。
それにしても・・・やっぱり暑い!!
多和平へ行く途中、乗馬のできる道産子牧場があったので寄るだけ寄りました。乗る用だから鞍をつけてますね。サラブレッドと比べるとほのぼの〜とした感じで良いですね。コスモスもきれいでした。

そして来ました多和平。五十石駅の近くのとほ宿のご主人や同宿した方から教えて貰い、こっちの方が開陽台より360度見渡せるとのことだったので、行ってみました。
うーん。大パノラマ。
周りは牧場で、羊や牛がたくさんいました。
ここで自家製ソーセージカレーや自家製飲むヨーグルトを飲食。
北海道にはあっちにもこっちにも本当にたくさん牧場がありましたが、意外に観光牧場は少ないんですね。いつも牛や馬を遠くから眺めるだけでした。この辺りまでの牧場の馬は全部道産子馬でしたが、十勝の方へ行くと競走馬(サラブレッド)の牧場があるようです。牛はホルシュタインが多かったですがジャージー牛の牧場も見ました。
赤い屋根の牛舎やサイロがあっちにもこっちにも見えて、牧草をロールキャベツのようにして、霧などで濡れないよう黒いビニル袋に包んだのがごろごろ牧場に転がっているのも楽しい風景でした。
さて、日は陰ったりまた晴れてきたりを繰り返し(気温と湿度は高いまま)、風景も堪能したので弟子屈の方へ向かい、「摩周温泉」という道の駅へ行ったところ・・・
しょぼい!(´・ω・`)なんだこの道の駅は!
一旦駐車場へ入った車ががっかりして出て行ってました。
でもまあ一応車を停めて・・・
そばのヨーロッパ博物館でも見ようかと、北フランス風?の大きな建物に行ってみたら・・・
閉館&展示物販売中のお知らせ(_ _)
あ〜。きっとロシアのものとかも展示してたんだろうに・・・ちょっと見たかったなあ。
でも、そのしょぼい道の駅に、摩周湖の一般車両規制解除のお知らせが出ていたので、摩周湖へ行くことにしました(*´▽`*)
ほんとつい1,2日前までは入れなかったんですよ。
さあ!雲の絶え間からさす日差しに青い水をたたえた神秘の湖が・・・ってあれ?見える・・・
未婚女性が摩周湖見たら婚期が遅れると言われていたくらい霧で見えにくい湖ととほ宿で言われたばかりだというのに(私は既婚女性ですが)、一応見えました。うすく霧がかってましたが。
美しいなあ・・・
この第一展望台の売店で摩周湖ソフトという青いソフトクリームを食べました。
カムイヌプリという高い山が見えます。
ぽつんとある島はカムイシュ島というそうです。
第一展望台を出て、次の展望台へ。何故かそこは「第3展望台」。もう一つ山側に(別方向からしか登れない「裏摩周展望台」というのもあったみたいすが、でも何故か第二展望台というのがありませんでした。
なんて幻想的なんでしょう。ちょっと霧があるのも効果的なのかもしれませんが。水面は太陽の光と空を映していて、ところどころいろんな色に見えます。もう一枚。

この青いのは水面ですよ。
湖から絶えずひんやりと冷たい風が吹いてきて、全て世の中の雑多な音が消えてしまったかのような、とても静かな空気を感じました。神聖な場所、という感じでしょうか。

振り返ると、ここまで登ってきた山裾の方へ向けて、天使の梯子が・・・
美しい世界です。
さあて、せっかくここまで北上してきましたが、翌日は釧路空港から朝の便で家に帰るので、もういっぺん南下しなければなりません。
その前に弟子屈町営牧場のある900草原というところへ。
雨が降ってきたのでほとんどいませんでしたが、展望室から牛を見て、牛のぬいぐるみを買ってきました。ここが最後の観光地です。
そしてまた湿原を南へ突っ切って、釧路のホテルへと向かいます。
これで北海道の原野ともお別れ。名残を惜しんで風景をチラ見(脇見運転はいけません)しつつ、釧路の街へ。
ホテルは結構都会的で良いホテルでした。今までの「大自然の中の小さな宿」の雰囲気はもう無く、釧路駅の近くは立派な都会でした。
上の階に温泉があって、露天風呂までついてましたよ。
夕飯は近所の居酒屋へ。もう海産物の臭いに疲れてきていたので、カボチャグラタンとか梅茶漬けとか食べてましたが、おいしかったです。あ、鯨も食べました。
ということで、さらば北海道の夜。
(実質的に大自然の旅は終わりです)
2008年09月15日
2008年北海道旅行・3日目
3日目は朝から小雨が降り霧がかった天気でした。さあ今日はまず野付半島です。知床と根室の中間くらいに、東方向にちょろっと出ている細っい半島です。車で片道30分くらいでしょうか?車道のすぐ横が海だったりして、面白かったです。
でもやっぱり国後は見えず・・・
車で行けるぎりぎりの所まで行くと、トドワラに続く狭い遊歩道があります。ここも原生花園になっています。北海道の原生花園というのは、いくつもあるみたいですが、花の時期も終わりだったのでほとんど草ばかりという感じでした。でもいろんな草がはえていて、ぱっと見ただけで数十種類の草花が雑多な花束のように密に茂っていました。
突発的な豪雨、霧雨の後だったので、水滴を載せた蜘蛛の巣が、あちこちでまるでロココ調の真珠の首飾りのようにきれいに姿を見せていました。写真に撮ろうとするとその美しさが全然出せなくて、お見せできないのが残念です。
しかーし。雨の後の草をかき分けてかなり歩いていくうちに、洋服がびしょびしょになってきました。
疲れてきたし・・・ちょうど案内板があったので後どれくらいかと思ったら、トドワラまであと0.7km?!(;゜д゜:)まだ半分くらいのようでした。
でも先を見ると、草はますます人一人通るのでやっとの遊歩道に向かって穂先を向けて生い茂り、それも背丈ほどの高さになってきたので、夫と顔を見合わせ、引き返すことに決定。
途中に蜘蛛の巣もはっていたし、この先まで行く人は今日はまだいないみたい・・・この天気だし。
代わりに車道を引き返す途中で見たナラワラを見物。

近くまでは寄れませんでしたが、トドワラのトド松と同じように、楢の木が立ち枯れているようです。
また雨が降ったり止んだりしている中、根室に向けて車を飛ばし、道の駅「スワン44ねむろ」へ。(多分、国道44号線だから44なんだと思います)。お昼ちょっと前についたので、根室名物エスカロップを食べました。バターライスの上にトンカツを乗せて特製ソースをかけたものです。これはおいしーい(^O^)ここから広ーい風蓮湖の岸が見えました。冬になると白鳥が来るようです。湖と言っても海と繋がっているので海なんじゃないかなと思うのですが・・・
さてそこから車で20分くらいでしょうか。カーナビを見るとまた原生花園があるようだったので、寄ってみることにしました。
これはひどい(;゜д゜:)

ちょっとちょっとちょっと〜
「北方原生花園」という場所です。板を渡した道が草原の中遠くまで続いているようですが・・・
何故かポニーがたくさん放牧されているのです(;゜д゜:)
そして、当然ながらポニーだって狭い板の道上より入り口のちょっと広くなっている土の上の方が居心地が良いらしく、通り抜けるのも大変なくらいいっぱい入り口付近にいるんですよ!ポニーが!
看板「花園内には、ポニーが放牧されています。ポニーが逃げないように、出入りの際は必ずカギを閉めてください」
試しにカギを開け木戸をぎぎぎと押してみたんですが、ちょこっと動いたやつもいるんですが、振り向きもしません。柵の間からさわれるやつの背中を撫ぜてみましたが完全無視(゜д゜)
あきらめてすごすご先へ行きました。

母馬(白い手前の方にいる右向きの馬)のお乳を飲んでいる子馬(栗毛で左を向いてる子)がちょっとほほえましかったです。
板の道の上にもたくさんポニーいますね・・・。
どうやって通れってんでしょまったく。多過ぎですって・・・。
そこから更に車で20分くらいでしょうか。遂に来ました、本土最東端、納沙布岬です。ここからは歯舞諸島などがほんとにすぐ近くのはずです。が、残念ながら例によって北方領土は霧に覆われて全然見えませんでした。
とっても高い展望タワーが有ったんですが、そのてっぺんの展望室が既に霧に隠れて下から見えなかったです(^^;
この辺りには「北方領土を返せ!」という看板やなんかがたくさん見られました。納沙布岬の資料館も完全に北方領土に関する「北方資料館」です。ここまで近いと確かにあれは外国には見えませんねえ。
国後択捉などに人が住めるというのもあまりよく知らなかったくらいなのですが、実際以前日本人がたくさん住んでいたんですね。学校があったり。
流氷電話ボックス。本土最東端の電話ボックスかな?さて場所を移動し、本土最東端の駅東根室駅。(JR根室本線)終点は根室駅ですが、東根室だけちょこっと曲がって東側に飛び出しているようです。無人駅でした。

更に、カーナビの推奨ルートを無視し続け、あくまで海岸沿いの細道を進みました。降り出しそうな曇り空の下、ちょっと寂しげな港町を通り、花咲岬の車石というごつごつした岩の固まりを見てきました。こちらはもう太平洋側で、岩壁に波がざぶんざぶん打ち寄せてきます。そして濃い霧の為漁船に注意を促すためか、灯台で警笛がずーっと鳴り続けていました。
さあ急いで先に行きましょう。
この日最後の見物地、いよいよ来ました霧多布岬・・・・・・・・・・・・・・。名前通り、霧で何にも見えませんでした。さすが霧多布(´▽`;)
そしてそこからは海を離れて一気に標茶方面に北上し、五十石駅近くのとほ宿へ。
ここはご飯もおいしく、ご主人もおもしろい人で、同じ日に泊まった人も面白い方々で(私達と彼ら、2組しか泊まってませんでした)夜お茶の時間があってお話したりしたのも楽しかったです。
お風呂は近くの温泉へ行ったんですが、なんとも不思議な「温泉レストラン」???
ご飯も食べられるお風呂屋さんらしいです・・・
そのお湯が、湯船のお湯もシャワーも熱いのなんの、まるで罰ゲームのようでした。
しかしここまで天気が悪いのに何故か気候はとっても蒸し暑かったです。
初日から思ってましたが、北海道って自然が多いということで虫が多いみたいです。いろんな施設を見て回っても殺虫剤は常備されてるみたいだし、一泊して車のドアを開けたらいつの間に入り込んだのか中で蜘蛛が巣を張ろうとしていたり。うっかり窓を開けるとハエのようなのや羽根アリのようなのがふらふら入り込んでしまったり。
翌朝この宿を出るときにもヒメスズメバチが2匹玄関に襲来(゜д゜|||)宿のご主人が殺虫剤で撃退してました。
ということでこの長い一日も終わりです。
2008年09月14日
2008年北海道旅行・2日目
さて2日目です。朝、宿の窓に野鳥が突撃し、落下してました。ご主人が拾いに行くと気絶していて、しばらくしたら目を覚まし、無事飛んでいったようです。
この日は夫の趣味で「斜里窯」という窯元へ。買い物しようとしたら人が誰もいなくて「外出中につき無人販売しております」の張り紙が(;゜д゜:)
何?どういうこと?無人販売って・・・
とりあえず、525円のものを買って、お金を適当に置いて(置く場所もわかりませんでした)包装紙を頂いて包んで帰りました。
この日も天気は良く、ドライブは爽快です(日差しが強く暑いけど)。北海道の道によくあった、上から地上を指さす矢印は、多分雪が積もったとき道のラインが見えなくなってしまうので位置を示すためにあるんだろうなと思ってましたが、これが夜になると車のライトを反射して便利便利。(北海道の道って街灯が無いんですねえ)。
どこまでもまっすぐな道路。緑の中をどんどん進みます。よくここまで開拓したなあと思います。人口密度はかなり低そう。
知床に着き、一休屋というお店でお昼ご飯です。サケいくら丼。とっても美味しかったです。さあ知床五湖へ向かいます。
「熊が出ることがある」とのことでちゃんと熊よけの鈴をゲットです。リュックに付けてリンリン歩いていたら、結構うるさい・・・しかも、鈴持ってるのって子供くらいでした(;゜д゜:)いかにも大喜びではしゃいで鈴を鳴らしてるみたいですが・・・いや〜熊に遭うと危ないそうですよ〜(^^;
富士五湖と違って知床五湖は名前が道順に「1湖」「2湖」・・・と5湖までつけられているだけです。
1湖、2湖だけ回るコースもあって、大抵の団体客はそこで帰ってしまいますが、私達は全部回るコースにチャレンジしました。結構でこぼこ山道で疲れました。その上、なんじゃこの蒸し暑いカンカン照りは(;´Д`)
神秘的なイメージの知床五湖が・・・
でもキレイはキレイでしたよ。
1湖かな?

4湖だったかな?

多分5湖。

水がとてもきれいで、空を映す水面がとてもくっきりとした影を描いていました。
1湖は初期入植者が食用にフナを放したらしく、確かにフナがいっぱいいました。また、その辺りは放牧を計画したこともあるらしく、牧草地の名残もありました。でもちょっとこんな奥地では無理だったんでしょうねえ・・・
さすが世界遺産、大事にされているようでゴミもなくしっかりとした道も造ってありました。

さて、ここから先は保護区域で入れないので、半島の半分くらいで反対側へ横断する峠道を越えて羅臼へ向かいます。
写真は羅臼岳。大きな悠然とした山です。知床峠を越えてゆくと・・・
あれ?ウトロ側まではカンカン照りだったんですが、羅臼の海の方は霧で真っ白です。
国後島が見えない(;゜д゜:)
ちょこっとだけ頭を出しているのが国後の山のようです。

世界遺産ブームももう終わったと地元の方がおっしゃってましたが、それでもウトロは割合栄えていたのに対し、峠を越えた羅臼側はかなりさびれた漁師町、というイメージでした。折悪しく霧も濃くなってきています。
でもちょっと楽しみにしていたヒカリゴケの見られるマッカウス洞窟へ行くと・・・
閉まってる(;゜д゜:)「落石につき閉鎖中」ですか・・・(_ _;)とほほ
カモメのひどい声を聞きながら、道の駅などに寄りつつ海岸沿いの道をひた走ります。
でもでもやっぱり国後は見えない・・・

中標津へ着きました。ガイドブックによると5時で閉まってしまうとのことで大急ぎで入った「リスの森」というジェラート店。カーナビではちゃんと「リスの森」になってたんですが、着いてみると名前が変わっていて、なんとかシレトコ?とかになっていました。しかも、私達がぎりぎり5時に駆け込んで食べていたらまだお客さんは来ます。ひょっとして営業時間も変わったのかな?(^^;
http://www.konnanodo.com/shop/nakashibetsu/
↑このお店です。
さて無事ジェラートも食べたし、今度は350度見渡せるという展望台「開陽台」へ。
開陽台。しかし、霧はますます濃くなってゆき・・・
・・・・・・350度霧ですo(_ _o)
一応近所の牧場の牛は見えました。
営業時間の関係でジェラートやさんを優先したので遠回り&引き返しになってしまいました。でもまあたどり着けてよかったです。
この日の宿は中標津のホテルです。
が、なんとクーラーが無い!流石北海道(T▽T)
冷風扇のようなものはあったんですが、その冷風扇の上から熱ががんがん出ていて困りました。共同のお風呂は貸し切り状態でよかったですが・・・
なんとも蒸し暑い宿でした。
ただ、「ターミナル」という映画がやってたので観ました。それは楽しかったです。
前日は目覚ましのセットミスで鳴らず(^^;起きられませんでしたが、今度こそ朝7時にセットして頑張って起きますよ。
次の日は移動距離も長いのです。
2008年09月13日
2008年北海道旅行・1日目
北海道へ行ってきました。季節は9月でシーズンを過ぎた頃ですが、北海道と思えない暑さで、長袖ばかり持って行ってしまったのは失敗でした。それまでは冷夏だったようで、結構北海道の天気は難しいようです。
旅程は、女満別(網走の方)から釧路まで、道東を海岸沿いにぐるりと時計回りに進んで行きました。(地図はちょっと適当です)
さて、女満別空港へ降り立った後、レンタカーで南下、屈斜路湖を臨む美幌峠でクマザサソフトを食べました。辺りはクマザサの茂みで、ひょっとしてここのを刈り取って使ったの???クマザサソフトの味は、抹茶っぽくもあるけれどもうちょっと雑草のような味でした。
そしてまた北上。藻琴方面へ向かい、藻琴駅という無人駅の中にある食堂で流氷ラーメンを食べました。流氷と言うから冷たそうなイメージですが、鉄鍋に入って出てきました。上にエビとかホタテとか乗ってました。
それから網走方向へ戻ります。
網走刑務所の前にあるニポポの乗った公衆電話。ニポポはアイヌの妖精さんです。と、この電話を見て、新聞を止めてくるのを忘れてきてしまったことを思い出し、早速新聞屋さんに電話しておきました(携帯で)。また、網走にある「やまね工房」というぬいぐるみやさんでエゾリスとやまねのぬいぐるみをゲット。

能取(のとろ)湖の方へ行くと、サンゴ草の群生地がありました。車を降りてみると、なんだかやたらと磯臭い・・・(;゜д゜:)なんじゃこりゃ
サンゴ草はガイドブックの写真ほどは真っ赤じゃなかったですが、磯にたくさんピンクっぽい草が生えていました。珍しい景色を見られてよかったです。

能取岬。実は断崖絶壁になっています。

能取岬の空。よく晴れてきれいでした。
途中かわいそうなきつねに会いました。
反対車線だったのですが、キツネが一匹横たわっていて、その傍に仲間のキツネがもう一匹佇んでこっちを見ています。
わ〜。仲間が轢かれちゃって、もう一匹が心配して動けないんだ〜(;´Д`)
通り過ぎてしまったんですが、私達の後ろの車が止まってくれたみたいです。
でもどうしたらいいんでしょうね。下手に触って噛まれても困るし。エキノコックスとかも怖いし。とりあえず道の脇に寄せるくらいしかできないんでしょうかね?
小清水原生花園。北海道の花の時期は遅くとも8月には終わってしまうので、もうあまり花は咲いていませんでした。でもハマナスは咲いていました。野性的ながらもかわいい花ですね。
ハマナスは旅行中至る所で見かけました。
また、トマトみたいな植物もよくみかけたので何だろうと思ってましたが、多分ハマナスの実です。
実?
原生花園の裏は砂浜になっていました。日本最北端の「鳴り砂」と書いてましたが全然音はしません。(゜д゜)何故??初めて見るオホーツク海。波は静かでまるで湖でもみているようでした。はるか海の向こうはどんな世界なんだろう・・・と霞んでゆく空を見ながら思いました。
この日は斜里というところに泊まりました。日が暮れると全く街灯のない場所なので、星がとてもきれいでした。これで一日目は終わりです。
2008年08月16日
真間山〜手児名の旅その2
今回は真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)です。実は手児名霊廟のすぐ先に有ったんですが、前回真間へ行った時は訪れませんでした。
しかも、今回正面から入らず裏から入ったので紹介する順番は微妙に普通と逆です(^^;
(この上の写真は正面の石段を登ったところにある山門です)
裏はとっても広い敷地内にお墓がずらっと並んでいました。お盆近かったのでお参りの方々も多かったです。
暑いので自販機でお茶を購入。帽子と水分補給は欠かさないように。

ちょっと変わった鐘。
このお寺は奈良時代に建てられたそうです。そのいきさつは行基という有名なお坊さんがこの市川の真間を通りかかったときに手児名の悲話を聞き弔いのため「求法寺」という寺を建てたそうです。
その百年後、平安時代に弘法大師(空海)がここを再建し、「弘法寺」と改称。この後天台宗のお寺になったようです。
次は鎌倉時代。ここのお坊さんが日蓮宗のお坊さんとの法論に負けて、日蓮宗のお寺に改宗させられてしまいました。今もここは日蓮宗のお寺です。
でも明治時代に火災で何もかも焼けてしまったらしいです。

伏姫桜。とても見事な樹齢400年のしだれ桜です。今度は花の季節に見に来よう。

さて、山門をくぐって長い石段を下りましょうかね。この写真は下りきったところから撮りましたが、正面から入る人はまずこの光景から見ることになります。
しかし・・・暑い・・・お茶・・・

おおっと!!お茶こぼした〜
というのは冗談で・・・(すいません、こぼしてません)

おびただしい数の石の中で、この石一つだけが何故かいつもしめっているそうです。
「涙石」と呼ばれているそうです。
どういうわけで濡れているのかはっきりとは知りませんが、他の石と比べるとこの石だけがあきらかに風化し苔むしています。
言い伝えでは、江戸時代、日光東照宮建造に使う石材を船で運んでいた鈴木修理長頼という人がいて、この市川付近を通りかかったときにどういうわけか船が全く動かなくなってしまったそうです。前にも書きましたが昔はこの辺りは海の入り江になっていて、現在の市川駅と真間山の間にある真間川も昔は海の一部だったようです。石は船を使って伊豆からわざわざ運んできたらしく、この辺りを経由して日光へ運ばれる予定でした。
さて、仕方なく鈴木長頼はその石を真間山のふもとに下ろし、真間山の石段の石として使ってしまったのでした。これこそありがたき仏縁、ということだったのかとおもいきや。
それを知ったお上はかんかんです。恐れ多くも東照宮様のお石を勝手によそに置いてきてしまったのですから。
鈴木長頼は責任を問われ、泣く泣くこの真間山の石段の上で腹を切ったそう。
(そんな広い石じゃなかったから普通に腰掛けて切腹したのかな??)
それ以来、その彼が切腹した石は涙で濡れたように一年中しめっているのだそうです。
・・・なんだかむごくないですか??仏様。・゜(ノД`)゜・。
さて、怪談もとい階段を下りきってすぐそこに手児名の霊廟があります。ここも真間山の一部らしいです。
せっかくなのでまた行ってみました。

池を挟んでお堂を写してみました。
この池はこの辺りが海だったころから残された水だと聞いたことがありますが、水が地面から湧きだしているみたいに見えました。一面に蓮の葉覆い、カエルが泳ぎ、柳は葉先を浸し泥土から芦が茂る、風情のある池でした。

さて。これが手児名川です。(入り江橋より撮影)
手児名が飛び込んだ入り江の名残とされています。
うーむ。茶色くどよーんと濁った感じの川です(^^;
あっ。蟹です。蟹がいます!

(うーんと身を乗り出して写真を撮ってみましたがズームに限界のある携帯カメラでは危険です。手児名の二の舞にならないよう、気をつけましょう)

大門通りを南下してバス通りとぶつかると、こんな名前の小料理屋さんが。ああ、手児名の里だなあと感動。こういうローカルなの好きです(*´▽`*)

こんなのもありましたけど。あ、関係ありませんでしたね。ハイ。
というわけで2回目の真間の旅はおしまいです。
大分私も真間に詳しくなってきたかな(笑)
子供の頃から話に聞いていた手児名を辿る旅ができて楽しかったです。
いにしえの乙女の笑みも映したか真間の木陰に湧き出る泉
2008年08月03日
かつしかの真間の手児名

市川といえばその筋の方々が一番に思い浮かべるのは「市川バルカンダンス研究会」。でも市川には他にも魅力的なものがいろいろあります。
千葉はとても歴史の古い土地らしく、万葉集以前の時代からいろいろな伝説がありました。
その中で一つ気になっていたのが、「真間の手児名」という伝説の美女です。
市川駅の近くに「真間」という地名があり、ここだろうなと思って駅前の表示矢印「手児名霊廟1.2km」という案内表示だけを手がかりに道を進んでいくと、簡単に付きました。でも、特に自分は方向音痴とか勘に自信が無いとかいう方は一応地図を入手してから行った方がいいかもしれません。
大きい道を渡ったら「大門通」というのを見つけて進みました。細めの路地ですが万葉集の歌があちこちに貼られていました。ここをまっすぐ行けばいいのです。

勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ
(かつしかのままのいりえにうちなびくたまもかりけむてこなしおもおゆ)
山部赤人という万葉時代の歌人が手児名の墓の前を通りかかって詠んだ歌です。
この手児名さんという女性は、いろんな伝説があるようですが、一番有名な言い伝えは、あまりの美しさに彼女と結婚したがる男性達の間ですごい争いがおこってしまい、己の罪深さを感じた手児名は海に身を投げて死んでしまった・・・というお話です。(今の市川駅近辺は当時入り江になっていたそうです)

↑これが手児名の墓の跡に建てられたという霊廟。
高橋虫麻呂の歌にこういうのもあります。
勝鹿の真間の井見れば立ちならし水汲ましけむ手児名し思ほゆ(9-1808)
このあたりは海のすぐ傍だったので、真水の出る井戸といえば「真間の井」だったのでしょう、だからこの井戸で手児名も毎日水を汲んでいたに違いない、という想像の世界ではあります。が、井戸という庶民的な場所で、美しい色白の腕を剥き出しにした十代の女性が水を汲むという光景は、想像するとちょっと絵になるような気がします。もちろん虫麻呂も手児名に会ったこともないのに、貧しい衣服、櫛でとかしもしない髪、裸足の足、なのにどんなに着飾った女性よりも美しいと見てきたかのように歌います。

↑これが真間の井。亀井院というパッと見現代風のお寺ですが、お寺の奥の方にちゃんと有りました。板に「真間の井」と書いてあります。ちゃんと井戸の形になってますが、万葉の時代はどんな感じだったのでしょう。
現代では価値観の多様化のせいかそもそも後の時代に語られる空想の産物だからなのか、今の世に「絶世の美女」という存在は無いと思います。だいたい、美というのはかなり主観的な物なので。
だけどこうやって千年以上前の美女が未だに人々の記憶に残っているというのもまたロマンチックなものではありませんか。
一番上の写真は霊廟や井戸へ行く途中にあった「つぎはし」。当時は入り江になっていた陸地と陸地をつなぐ橋だったらしいですが、今はどこにも水はありません。
そんなこんなで2,3kmは歩いたでしょうか。暑かった・・・
え?市川バルカン?
ええ、この後でちゃーんと行きましたよ(^^;











