kisaragi2012のブログ

琉球沖縄に対する差別と犠牲、原発主義国家=日本を考える

関電との契約をやめ原発で電力をつくらない会社に切替えよう

2017.2.1 
(本の紹介)
脱原発の哲学 / 佐藤嘉幸, 田口卓臣著 
京都 : 人文書院 , 2016.s2

9電力・原発に代わる市民発電所として「会津電力」、「飯館電力」が活動し始めていること
など、根底的な民主主義を日本原子力国家に対抗する地域・市民権力の確立
(首都圏のエネルギー植民地としての福島というl構造的差別を打破すること)について
述べられている。


毎日新聞2017.2.3朝刊より転載

政府、東電が責任引き受けよ 佐藤弥右衛門・会津電力社長

 原発事故の処理費用を、電気料金に乗せて国民から取る方針には納得がいかない。政府も東京電力も、事故を起こしたことへの反省がなさすぎる。

 原発事故によって、福島の人々は住み慣れた土地が使えなくなり、生活も経済も全て奪われた。地域社会は分断され、しかも差別を生んだ。日本の歴史に例のない圧倒的に巨大な事故であり、とんでもない公害だ。福島県民にあれだけひどいことをした政府と東電が、その責任に全面的に向き合うことなく、なぜ安直に「お金が足りなくなったので国民も負担せよ」などと言えるのか。

 事故処理費用は21・5兆円というが、原発に近づくのも難しい現況を考えれば廃炉費用などはさらに増える可能性が高い。

 いずれ負担は国民全体で引き受けざるを得ないのかもしれない。原発推進政策を止められなかった点で、私たちにも事故の責任はあると考えるからだ。

 だがその前に、原発を推進した政府と東電が、全面的に責任を取るべきだ。事故を心から謝罪し、限界までコストダウンを行い、資産を売却した上で「もう限界です。国民の皆さん助けてください」と頭を下げるのが筋だ。誠心誠意の謝罪があって初めて、国民も「私たちにも責任はある。負担を引き受けよう」となるのではないか。

 ところが、政府は託送料に上乗せする形で、新電力にも負担を求めた。事故を反省して原発をやめ、再生可能エネルギーを推進すべき時に、その担い手となるべき新電力の事業者に、逆に負担を求めるとはどういうことか。「原発から再生可能エネルギーへ」という流れに足かせをはめる行為であり、言語道断だ。

 原発事故に対する私たちの責任の取り方は、事故処理の費用を負担することではない。原発を止めることで責任を果たしたい。

 会津電力を設立したのは、再生可能エネルギーの普及に向けて、単なる運動にとどまらず、実業として発電を手がけたかったからだ。昨年末までに会津地域の中学校の屋上など50カ所に、小規模分散型の太陽光発電所を設置し、会津地域の約1400世帯の電力を賄える発電量を供給している。今年も新たに30カ所を設置し、将来は小水力や木質バイオマス発電などにも取り組む考えだ。

 目指すのはエネルギーの「地産地消」による地域の自立だ。会津には猪苗代湖を水源とする水力発電所など、福島全県を賄えるほどの発電力があるが、その電気はほとんど東電などの手で首都圏に送られている。今は無理でも、いつの日かこれを取り戻したい。

 政府が東電を破綻処理させて資産を売却するというなら、これらの水力発電所を会津電力で買い取りたい。会津のエネルギー需要を十分に賄い、まだ余るはずだ。これを域外に売り、収入を得れば、各自治体の税収も上がる。安い電気を提供して企業を誘致できれば、地域に雇用も生まれる。地方が収奪される中央集権の構造が変わり、真の地方自治が確立できるのだ。社会とはそうやって変えていくものではないだろうか。【聞き手・尾中香尚里、写真も】


ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170203/org/00m/010/005000c#csidx45b6fa8329033a8a2266e03ef428385 
Copyright 毎日新聞


  

関電との電気供給契約を破棄しよう!


4月1日から、これまで強制されてきた関電からの電気受給を止めることが出来ます。
フクシマを無視し、なおも原発を推し進めようとしている関電を消費者サイドから
包囲し、原発再稼働を止めさせる運動として、脱関電の市民の輪を拡げよう。

 料金がどれだけ安いかを新電力会社の選択の指標にしてはダメです。
関電の子会社などの電気事業者も安い料金設定を宣伝していますが、乗ってはダメです。
関電との契約者を激減させ、原発を諦めさせるように追いつめることが大切です。

  
 「原発の電気は使いません---関電不買運動のススメ」

かつて、森永不買運動というのがありました。森永ヒ素ミルク中毒事件。森永の粉ミルクに
ヒ素が含まれていたことで被害が出たというのに、森永はなかなか因果関係を認めず
損害賠償をしませんでした。で、不買運動が起こり、森永を動かし被害者の補償に
応じさせました。
 今度は、関電不買運動で関電に原発を廃止するように追いつめましょう!

(関西よつ葉連絡会「よつばつうしん」2016.1.参照)


  

再稼働に賛同する人は、自宅に核廃棄物を引き受けること

稼働すれば必ず核廃棄物は出るんだから、当たり前ですよね。
よく新聞記者などが原発地元でインタビュする場面が、新聞やテレビ
で登場するが、「雇用が減るし、生活に困るから再稼働してほしい」
なんていう人にはさらに、「じゃ、あなたは
自宅に核廃棄物を引き受ける
んですね?」と質問してほしいね。

  


関西電力
大飯原発3、4号機(福井県おおい町、運転停止中)の運転差し止めを福井県の住民らが求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は住民側の主張を認め、運転差し止めを命じた。

5/21 関西電力大飯原発3,4号機運転差し止め訴訟 福井地裁判決謄本

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大飯原発差し止め訴訟の判決要旨 危険性が万が一でもあれば
福井新聞 2014年5月21日午後8時42分

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁の判決要旨は次の通り。

 【主文】
大飯原発3、4号機を運転してはならない。

 【福島原発事故】
原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様の規模に及んだ。250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。

 【求められる安全性】
原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。
 【原発の特性】
原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間、何時間か電源が失われるだけで事故につながり、事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に内在する本質的な危険である。

施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、止める、冷やす、閉じ込めるという三つの要請がそろって初めて原発の安全性が保たれる。福島原発事故では冷やすことができず放射性物質が外部に放出された。

 【大飯原発の欠陥】
地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。

被告は、700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震への対応策があり、大事故に至らないと主張する。しかし事態が深刻であるほど、混乱と焦燥の中で従業員に適切、迅速な措置を取ることは求めることができない。地震は従業員が少なくなる夜も昼と同じ確率で起き、人員の数や指揮命令系統の中心の所長がいるかいないかが大きな意味を持つことは明白だ。

また対応策を取るには、どんな事態が起きているか把握することが前提だが、その把握は困難だ。福島原発事故でも地震がどんな損傷をもたらしたかの確定には至っていない。現場に立ち入ることができず、原因は確定できない可能性が高い。

仮にいかなる事態が起きているか把握できたとしても、全交流電源喪失から炉心損傷開始までは5時間余りで、そこからメルトダウン開始まで2時間もないなど残された時間は限られている。

地震で複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり、故障したりすることも当然考えられ、防御設備が複数あることは安全性を大きく高めるものではない。

原発に通ずる道路は限られ、施設外部からの支援も期待できない。

 【冷却機能の維持】
被告は周辺の活断層の状況から、700ガルを超える地震が到来することは考えられないと主張するが、2005年以降、全国の四つの原発で5回にわたり想定の地震動を超える地震が到来している事実を重視すべきだ。

過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけるものではない。基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。その場合、実際には取るのが難しい手段が功を奏さない限り大事故になる。

地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。それに満たない地震でも冷却機能喪失による重大な事故が生じうるなら、危険性は現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設の在り方は、原発が有する本質的な危険性についてあまりに楽観的だ。

 【使用済み核燃料】
使用済み核燃料は原子炉格納容器の外の建屋内にある使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれている。本数は千本を超えるが、プールから放射性物質が漏れた時、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

福島原発事故で、4号機のプールに納められた使用済み核燃料が危機的状態に陥り、この危険性ゆえ避難計画が検討された。原子力委員会委員長の被害想定で、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのはプールからの放射能汚染だ。使用済み核燃料は外部からの不測の事態に対し、堅固に防御を固めて初めて万全の措置といえる。

大飯原発では、全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応が成り立っている。

人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。

 【国富の損失】
被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ

被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり、原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ

  大飯だけでない。原発稼働の危険性について普遍的な判断、判決だと思う。もし高裁がこの判決に異論を主張するとすれば、その愚かさを曝け出すことになるでしょう。

小出弘章さんは、本日の(2014.5.22)京都新聞朝刊で、本判決が大飯原発稼働に明確には反対してこなかった京滋の知事への警鐘である、と指摘している。
 加えて言うなら、本判決は、アベノミクスに興じて安倍自民党に投票してきたサラリーマン達に対し、人の命より経済が優先という考えの愚かさを根底から批判し、警鐘を鳴らしているのだ。 

 いま、なぜこのような決定をしたのか? 理由は、来月12月にメガバンクを軸に2000億円の借り換えと3000億円の新規融資が予定されているからです。東電が実質的に破綻していることは歴然としているにもかかわらず、銀行は追い貸しを続けた。そして汚染処理や廃炉が途方もなく不明のままでその費用はこの先いくらになるかわからない、したがって東電は近い将来、債務超過に陥る可能性が強まっている。このまま融資を続け、それでも破綻してしまうと銀行経営陣は特別背任罪に問われ株主訴訟も起こされる。そこで今のうちに国が援助(国が前面に出る)しなければならない、というわけだ。

「国が前面に出る」ことの本質です

3位、4位で当選させるなら、反原発の国民投票に代わるものとして安倍政権の再稼働策動に痛撃を与えるでしょう。

 

すべての原発を憂う女性都民は、反原発学生は、(小熊英二ゼミ、高橋哲也ゼミ、金子勝ゼミetc・・・先進的学生は友人の輪を拡げ)投票に行こう 3位、4位で山本、吉良を当選させよう 
 来週の26日金曜日は山本太郎を先頭に20万人デモ爆発再現を 



2013.6.25

「エコノミスト」72日号に掲載の「〔特集〕誰のための原発再稼働」は、一読の価値がありますね。株高=景気回復ムードを煽り、どさくさに乗じて、原発再稼働を選挙公約に明記する安倍政権に対して、その不当性を明らかにし反原発世論を広げる理論武装を!


「反倫理-- 地域と未来に困難と損害を押し付ける原発の反倫理性」=池内了

 地域と未来に困難と損害を押し付ける原発の反倫理性・・・反倫理性とは、
①見るべき産業がなく、人口減少に悩む過疎地に原発を押し付けていることだ。・・・「現地は歓迎しているではないか」と言われるかもしれないが、それは原発しか選択の余地がないような状態に追い詰められてきたためなのだ。
②稼働した原発点検や修理で、核反応によって生じた放射性物質をも吸わねばならず、関与する労働者に放射線被曝を押し付けていることだ。この汚れ仕事を一部の労働者にしわ寄せさせて、そ知らぬふりをしてきたのである。
[稼働すると必ず]排出される放射性廃棄物は1万年以上、厳重に保管しなければならず、それを私たちの子孫に押し付けようとしていることだ。・・・現世の私たちは豊かな生活を楽しむ一方で、それによって生じた負の遺産は、全て子孫に先送りしているのだ。世代間倫理として、私たちの最も罪深い所業と言えるのではないだろうか。


「不経済-- 事故費用と為替次第で石炭、LNGより高い原発」=大島堅一

 

「非安全-- 被ばくから守らない新規制 立地適合性の評価外す」=滝谷紘一

新規制は重大事故が起きた場合に住民を被ばくから守ることができない。住民の安全ではなく、再稼働させるために規制の改悪を行っているからだ。・・・ポイントは

・事故(フクシマ)が未解明のままでいったい何ができるというのか

・「新規制」は再稼働のためのルールに変更することにあるのだ(住民の安全のための立地評価を外してしまうなど)





2013.5.30
「原発事故がなければお父さんは生きていた」

おととし、福島県相馬市の自宅の小屋に「原発さえなければ」と書き残して自殺した酪農家の遺族が東京電力に慰謝料を求める訴えを起こしました。

妻のバネッサさんは、「夫がいない生活はとてもつらく、将来への不安でいっぱいです。原発さえなければ、みんなが仲よく普通の暮らしを送っていたはずで、夫が亡くなって私の体も半分なくなってしまったようです」と話していました。


NHKwebニュース 2013年5月31日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130530/k10014967371000.html
福島民報 2013年5月31日
http://www.minpo.jp/news/detail/201305318745
中國新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201305300183.html

 東電は多くの普通の暮らしをめちゃくちゃに壊してしまった。これ、大犯罪だ。
犯罪者は遺族に謝罪し、償い、そして刑務所にぶち込まれなければならないのです!



        

(ネットでも署名できますので簡単に参加できますよ!

福島原発告訴団では「福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名」を行っています。
(その模様は、下記の記事「緊急署名始めます!」をご一読ください)
署名運動のさらなる拡大のため、ネット署名を作っていただきました。
簡単に署名できます。どうぞ、ご活用ください。 (紙署名と重複しないようご注意ください)
「福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求めるネット署名」
https://docs.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dG1JOE5UbUtFNHBIY3dVQndVS1NvRGc6MQ&theme=0AX42CRMsmRFbUy0zODZjNDJiNy03M2Q4LTRmYWItYTNiMy05OTM4NDgwYmM3MTY&ifq


「福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求めるネット署名」

2013.1.29
福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名をしよう!

 

『福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名』へのお願い


昨年3月に結成した『福島原発告訴団』は、6月の福島県民による1324人の第一次告訴に続き、11月には全国に呼びかけ13000人を越える大集団告訴・告発を行いました。
みなさまの熱い思いがひとつの形になったのだと心から嬉しく思います。
これらの告訴・告発は既に受理され、検察は、関係者の事情聴取や福島第一原発へ検察官を派遣するなど、新聞等で報道されています。
しかし、政権が変わり原発の推進が再びなされようとしているいま、この春結論を出そうとしている検察に、更なる働きかけをしていかなくてはならないと考えています。
このような思いから緊急に『福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名』を始める事にいたしました。
告訴人となられたみなさまが、周りの方々に署名して頂く事で、この告訴・告発を知らせ、さらに関心を高める事ができると思います。
多くの人々がこの告訴・告発の行方を見つめていることを検察に知らしめて行きましょう。
福島の状況はますます酷くなるばかりです。
4つの原子炉からは毎時1000万ベクレルの放射陛物質が放出されています。
数百年経たなければ、生身の人間が近づくことの出来ない場所が多数存在する中で、おびただしい被曝をしながら作業員が瓦疎の撤去作業を行っています。
そして彼ら作業員の被曝手当の搾取と賃金引き下げ。
モニタリングポストの測定値疑惑。
情報開示の手続きをしなければ本人に手渡されない甲状腺検査の詳細なデータ。
暴露された県民健康管理調査検討委員会の秘密会の存在。
ゼネコン会社の利権にまみれ、効果を疑問視される除染。
進まない賠償、子どもたちをシンボルにした虚しい復興策。
昨年末に鳴り物入りで郡山市で行われた、アジア・アフリカ諸国への原発輸出を目論んでいるであろう『IAEA福島閣僚会議』。
そして新しい政府は『原発ゼロ政策の見直し』『安全な原発を作る』と言い出す始末です。
国策と言うぶ厚い壁に日本に生きる私たちは、生きる尊厳を奪われ続けています。
私たちの悲しみと怒りは消えることはありません。
この事故の原因を究明し巨大事故を起こした企業と政府の責任をただして新しい民主主義の社会を作るために、子どもたちの健康と未来を守るために、この告訴・告発が受け入れられるよう、再度私たちは力を合わせていきましょう。
ご協力をどうか宜しくお願い致します。
福島原発告訴団長 武藤類子

http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4f0b38447bc08b2bfb2dab049ac60231

署名用紙は

https://docs.google.com/file/d/0BzG0nuqlnIlJWlJjNWpmS3Z4ZWM/edit?pli=1

でコピーできます。

「福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名」と
「東京地検包囲行動」にご協力を!

2012年3月に結成した『福島原発告訴団』は、6月の福島県民による1千324人の第一次告訴に続き、11月には全国に呼びかけ1万3千人を超える大集団告訴・告発を行いました。福島原発の事故は決して福島だけのできごとではなく、日本中の人々が、この人災にどれ程怒り悲しんでいるかと言うことが表れていると思いました。そして各地方の告訴団事務局のみなさまはじめ、勇気を持って告訴して下さった方々に感謝と連帯の気持ちでいっぱいです。
これらの告訴・告発は既に受理され、検察の事情聴取や福島第一原発への捜査が行われています。しかし、政権が替わり原発の推進が再びなされようとしている緊迫の中、東京地検・福島地検が3月末に告訴について立件の可否を判断すると、新聞各社の報道がありました。しかし、検察は未だ東京電力などに強制捜査を行っていません。そのような状態で結論を出そうとしている検察に、更なる働きかけをしていかなくてはならないと考えました。
そこで、緊急に『福島原発事故に関し、厳正な捜査・起訴を求める署名』を始める事になりました。また、2月22日には16時より東京地検をヒューマンチェーンで包囲し、署名を提出したいと思います。
事故から2年が経とうとしていますが、福島の状況はますます困難を極めています。昨年の野田首相の収束宣言以来、事故は終わった、復興だと言う風潮が目立って来ました。しかし、福島原発の事故は何一つ終わっておりません。4つの原子炉からは毎時1千万ベクレルの放射性物質が大気中に放出されています。1日3千人の作業員が大量の被ばくをしながら瓦礫等の撤去作業をしています。除染はゼネコンの利権にまみれ、川に汚染土を捨てる手抜きが発覚しました。子どもたちの甲状腺検査の詳しい結果は情報開示請求をしなければ、本人の手にははいりません。県民健康調査では事前秘密会があった事が暴露されました。
昨年12月に郡山市で『IAEA福島閣僚会議』が開かれ、各国のほとんどの閣僚たちはIAEAのもとに原発を継続する、または輸入新設すると表明しました。
生きる尊厳を奪われ続け、私たちの悲しみと怒りは消えることはありません。
このような中で、この告訴・告発は大きな意味を持つものと思います。
強制捜査のもと、事故の原因をきちんと究明し、子どもたちの健康と未来を守るために、企業や国の間違った在り方をただしていくために、再度私たちは力を合わせていきましょう。ご協力をどうか宜しくお願い致します。

武藤類子(福島原発告訴団団長)





2012東電幹部らの刑事責任を問う、第二次告訴1万3262人

東京電力福島第1原発事故で東電や国の幹部ら33人に刑事責任があるとして、「福島原発告訴団」は15日、業務上過失致死傷などの容疑で、第2次の告訴・告発状を福島地検に提出した。告訴・告発人は全国47都道府県や海外の1万3262人で、6月に行った第1次の告訴・告発人の約10倍。同地検は受理するか検討している。原発事故の刑事責任を問う同地検への告訴・告発人は計1万4586人となった。
33人は、東電の勝俣恒久前会長ら役員、原子力安全委員会、県の放射線健康リスク管理で助言してきた福島医大の山下俊一副学長ら。告訴・告発状では、東電や国は津波対策を怠り、今回の事故を発生させた責任があると主張。事故後の避難対策や情報開示も不十分で、多数の住民を被ばくさせたと訴えている。(福島民友 2012.11.16)
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:iVoWt_H7HBIJ:www.minyu-net.com/news/news/1116/news11.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


2012原発事故 捜査へ 東京・福島地検 告訴・告発を受理
東京電力福島第一原発事故で、東京、福島両地検は一日、東電新旧経営陣や政府関係者の刑事責任について出されていた告訴・告発状を受理し、業務上過失致死傷などの疑いで捜査を始めた。両地検は連携して関係者の事情聴取などを進める。
東京地検が受理したのは、東電の勝俣恒久前会長や国の原子力安全委員長ら二十六人に地震、津波対策を怠って事故を起こし、入院患者の死亡や周辺住民の被ばくを招いたとする告発など三件。
福島地検
東電や国の三十三人に業務上過失致死傷容疑があるとして、県民約千三百人が出した告訴・告発を受理した(※)
(東京新聞 2012.8.2 朝刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012080202000088.html

(※) 福島原発告訴団についての詳細はhttp://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
「福島原発告訴団は、東京電力福島第一原子力発電所の事故により被害を受けた住民で構成し、原発事故を起こし被害を拡大した責任者たちの刑事裁判を求め、福島地方検察庁へ告訴を行います。」


2012東電を刑事告訴、原発事故の責任を問うには裁判しかない――弁護士・河合弘之 東洋経済 ONLINE --2012/07/11

──刑事告訴では、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反容疑で訴えました。被曝が傷害に当たるのかが論点の1つになるとみられています。
罪と認めたくない側の論理としては、被曝で体のどこかが明らかに悪くなったわけではないので傷害には当たらない、となる。が、被曝によって、うつになった人もいるし、それを苦に自殺した人もいる。放射能から逃げ惑う中で、50人近くの高齢者も亡くなっている・・・・
http://fpmario.doorblog.jp/archives/50374168.html

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2012


人による


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原稿準備(神澤杜口、あるいはCity派生活)メモ


City派の生き方、暮らし方」

 

人の目を気にせず、自分が信じた道をおおらかに進んでいく

 

『いつでも死ねる』覚悟生きる力を強くする

今を精一杯生きると、人生のあらゆる不安は消えていく

死ぬことを恐れない人は、とても魅力的、それは結果にとらわれない潔さがあるから

 

今日が最後の一日。そうやって生きると、一瞬一瞬が輝いてくる

 

老化も病気も丸ごと飲み込んで、生きよいよくあの世に飛び込んでいく

 

昨日を引きずらず、明日を憂うことなく、今日、今をきちんと生きる

どうなるか分からない先の心配はやめて今に集中して、後は自然に身を任せてみる

 

理想を持って、死ぬまで進み続けて、志半ばで倒れるのが、かっこいい

 

やりたいことがあれば、年齢に関係なく行動すればいい。理想を追って、倒れるまで進み続ける、そんな中で、やっと自分がこの世に生を受けた意味が分かってくる

 

まえがき)

せっかくの人生です。ときめいて生きる(暮らす)。シティ派の元祖、神沢杜口は、京都という都会で、高齢をものともせず、刺激のある、活気のある都会を毎日足で駆け巡り、全国(今なら、世界各国)の情報を収集し、82歳になって200巻もの大作を書き上げました。

 

(目次項目)
80歳代からの街歩きの楽しみ
  敬老パスで市立図書館へ 冬は暖房、夏は冷房で快適。
  本がいっぱい。新聞が全部読める。いろいろな雑誌が見られる。DVD映画が
   見られる、などなど。トイレも完備。知的な楽しみいっぱい
   何しろ、敬老パスで地下鉄やバスでただで行ける。
  

個人で計画する海外旅行

メモ

タイトル: 老人化しないためのCity派高齢者の生活術

 

まえがき: アベノミクスなどが始まって、いやそれ以前から(1995年の資本の完全自由化=それまでの中間層中軸の健全な資本主義(国民経済国家)が崩れはじめ、金融資本主義(カネ余りによる金融主導の経済システム)による先進国経済の延命政策の犠牲として中間層の没落と他方で1%の富裕層の富の過剰蓄積によって格差が広がってきた。

 勤労者は2分解し、大企業正規労働者(プラス公務員)は労働時間の増大を伴いながらで収入を確保し、非正規労働者は実質賃金を毎年のように下がり続けている。だが、どちらも給与から引かれる社会保険、健康保険、介護保険などの保険料は毎年上がり続け、プラス、消費税アップと円安政策による出費の増加で正規、非正規をとわず勤労者全般に実質的な所得は下がってきているのである。株が上がった、大企業のベースアップが少し上がった、などといって経済は回復している、なんていう政府や一部マスコミの宣伝にだまされつづけるのももう少しで終了すると思う。官庁や大企業で勤め上げた年金生活者も今はまだ貯蓄も数千万円あって消費意欲も衰えないかもしれないが、保険料のアップや消費税10%などで生活は今までどおりにはいかないことを自覚しておいた方がよろしい。

(黒田政策、アベノミクスは法人税の引き下げや資産増加に見合う累進課税のアップなどヨーロッパ諸国では当たり前になっている国民所得の再配分(格差是正策)とは真逆の政策で日本の金融資本主義を延命させようとしているのです。目先の景気回復が政権維持に必要だとして、歳出予算の半分を国債の発行で「歳入」をまかない続け、ついに1000兆円という累積赤字をつくってしまった。前代未聞の、先進国でも最悪の状態。東京オリンピックまでは公共投資による目先景気回復が続いても、その後、いまから10年先には日本経済は破たんする可能性が出てきています。

 今は豊かな高齢者生活者はどのように生活を過ごすべきでしょうか?

 

自転車の注意: 狭い歩道で、前方に老人化した高齢者がいれば、降りて、声掛けして通り過ごす

 

青信号が一番危ない。交差点での信号は車の右折左折と歩行者の横断歩道が同時に青になる。青だから曲がってくる車が歩行者を無視して停止しないことが多い。危険いっぱい。自転車は急速度で歩道に入ることもあり、その場合、曲がろうとする車の運転手の視野に入らない場合が多いので最も危険。時々、危機一髪のときとか、たまに自転車に当たってしまっている場面を見ることがある。

 

海外旅行術 : 50歳以上で、カップルで旅行する場合、観光スポットめぐりを主にすることは止める。ベースとなる街に1週間ほど宿をとって、小旅行(1泊から3泊)をして戻る、と言った策が楽しい、疲れない。ベースに戻るたびにホッとする。洗濯もうまくいく。とりわけ60歳頃からはこれをお奨めする。

 

 

65歳、健康学の学習と実践=

64歳と半年を過ぎ、6キロの通学路をそれまでの自転車通学をやめウォーキングに切り替えた。時速5kmの足歩でときにはジョギングをまじえて70分、往復2時間20分を月-金の毎日。で、65歳を超えて約半年たったところで、体重が54.5kgから52.5kgになり、これでいいのか、点検してみた。体調は快適そのものになり、おなかの減り具合や開通快便はもちろん、風邪もほとんど引かなくなった。また、いくら長い距離や時間を歩いてもまったくつかれないような足腰になった。ただ、少し、脚の、とくに大腿二頭筋のあたりが細くなったようであるがこれは自転車と歩きの運動量の違いがあるにもかかわらず自転車通学のときと同じ量の弁当にあると思われる。つまり、歩きのエネルギー消費は自転車のそれと比べ格段に大きい。で、3週間前からご飯の量を1.5倍にしてみた。早速、体重は53kgになり、6時半からの夕飯もちょうどいい加減におなかが減る、そしてしっかり食べても翌朝は著職前の快便があり朝食(これがまた、すごく理想的な内容で、野菜具や魚の入ったスープからはじまり、キャベツとトマトにダイダイ汁をドレッシングにたっぷり食べ、あとニンジン、タマネギ、ピーマン、庭で朝採りしたセージなどのハーブの炒め温野菜(油は使わず)、次に大根や白菜(春からはニンジン葉など)にちりめんじゃこをまぶした漬物で玄米ご飯(ビタミン、ミネラルなど)を食べた後、徳島などの焼き芋(ビタミンA)と牛乳(180cc、カルシウム)、最後にキーウィ、みかん、干しぶどう入りのヨーグルト(自家製)に黒ゴマ黄な粉をかけて食べます。ご飯のときは緑茶(カテキン、ポリフェノール)をのみますのでビタミンC,E,A、はたっぷり、Bも・・・

で、1時間以上かけて庭の花のことなどを中心に(社会、政治、地域のことも)しゃべりながら食べます。(テレビはデザートのときに天気予報とニュースを10分ほど見るだけ)。朝食は、ホントおいしく食べるので、至福のときです。

お弁当を準備してリュックにつめ10分ほど歩いてスクールバスにのり5分ほどで宝が池に着き、あとは55分ほど京大まで歩きます。途中、比叡山を仰ぎながら緑いっぱいの公園の中を歩くので気持ちがいいのです。あと高野川に沿った歩道を速歩(桜の季節は最高)して大学に着くと図書館に入ります。まず、トイレで汗を拭き、昼のテニス用の服装に着替え、パソコンで新しいニュースなどを見、調べ物などをして(ときにはヘッドホーンで音楽を聴きながら)過ごしますともう12時まえです。(月曜は授業があるので10時過ぎには教室に入ります。)

12時前には食堂でお茶を飲んでコートに行きます。いつもトップですがすぐにひとり(定年退職したH氏)来て乱打していますと三々五々メンバーが来ます。で、たのしくゲームに興じます。

1時にテニスが終わって体を拭き着替えをしたら食堂です。持参した弁当(デザートは果物とお菓子これも僕が毎週のように作成したおから+豆乳+スキムミルク+ホットケーキミックス+レーズン+ナッツなどがいっぱいはいったマフィン風のオリジナルケーキ)を(フランス語を学習しながら)とてもとてもおいしくいただきます。ウォーキング+テニスの後に食べるランチはまた至福のときです。

食後は人環図書館で15分ほど新聞を読み、図書館で読書や原稿書き、ネットで調べ物などをします。途中、キャンパスを歩いて中央図書館に行きますが、学生の行きかう大学に身をおいてる自分が不思議というか、ラッキーというか、おもいっきり幸せというか、人生の選択に間違いがなかったというか、とにかく今の生活の素晴らしさを有難いことだとこころから感謝してしまいます。今晩、寝ている間にもし死んでしまっても後悔がないくらいの心境です。

5時前に大学を出ます。55分ほど足歩したらバス停です。スクールバスは待つことなくすぐに乗れます。汗がひどいときは最後部座席に座って昼間に乾かしたTシャツに着替えるときが多いですが、同乗の学生は前や携帯ばかりを見てますのでだれも気づきません)

精華大学から家まで12,3分、いくら汗をかいてもいいのでジョギングも混ぜて帰ります。あとはすぐお風呂です。湯船では最近は深呼吸を5回ほどやります。横隔筋の運動は深呼吸でしか出来ないので貴重です。

あとはおいしい、おいしい夕食です。(万が一、シングルになってしまったらかなり困る。今を大切に、大事に楽しむこと、これ以上のことはありません。大、大感謝です。感謝の一部として皿洗いなどお片づけは僕の担当、というのが習慣になったけど、はい)

テレビ(のニュースを中心に、野球やサッカーも)見ながら政治批判等々しゃべりまくりながらおいしくいただきます。1時間半の至福のときです。僕のデザートあり。あとはDVDなどで映画なども見ますが、これは最近買った40インチ液晶テレビのせいです。これを機会にレンタルでよい映画を楽しむことが趣味に加わりました。

 

最近のプラスαとして---

筋トレ

深呼吸

スクワット

 

土日は

 

というわけで、ついに、というか、65歳のここに至って、ほとんど完璧に近い生活を実現しつつあるように思っています。

上の快適状況の基盤にあるのが健康ですが、それは、3つの柱の生活習慣にあります。食事、運動、精神文化的刺激(読書などの)です。どれについても加齢を重ねながらの健康維持、増進について理想的な状態を作り出していると自負していいんじゃないかと思う。

 

(2010.6.22 -65- 日記より)

朝は超いそがしー! それでも読書時間も

とれるよーにできて・・・。先週から工夫したことは

日曜に買った大量の野菜のうち、かさばるサニーレタス、

韓国レタス、キャベツは即、洗ってざっくり切って

パックに入れて野菜室に入れる。で、いつでも

洗いなしでフライパンできるでしょう。しかも野菜室が汚れない、と一石二鳥! やってるかな?

産地直送のニンジンも到着次第、土を取って洗って

パッキング。

それから、食品のプラごみはプラごみようの分別ごみボックスに入れる前に流し台の横に一時保管用の

パックケースに入、まとまったらボックスに。どーしても

あれって水気がついて子虫の発生源になるでしょう。

流しの生ごみは、庭に埋め込む前の流しでの処理

も工夫したわ。これらは京子さんが不在の間に

開発したの。結果を見せて文句を言わせない、

というアイデアでね。帰宅して、みごときれいと

わかると納得してる。ほかにもいろいろ工夫して

台所がぐんときれいになり、機能的になったのだぁ。

自分でもすごいと思うなぁ。

料理は筋トレ、遅筋運動(11kmウォーキング)、

速筋(テニス)プラス 脳トレ、という快調生活習慣

を形成し始めた、はい。



 

(2010.6.17 -65- 日記より)

独り身、って案外気楽だなぁって思うときがある。

だって夫婦だって、いや夫婦だからこそ、相手に

気を配っていろいろ動いていること多い。その点、

自分勝手に、料理でも、考えてつくる、とかできる。

もちろん、孤食などといった、さびしさみたいな

気持ちはあることはあるけど、たしかに。でも

気楽は気楽。サルトルとボーヴォワールの別居結婚的関係

って本当は理想的なのかもしれないかな。

ま、人間は究極的にはひとりで生き生活できている

ことが基本で、そのうえに他者との関係をもつ、

っていうのが時には快適さを倍増したり、楽しい共有時間を過ごしたりする・・・のがヒトの人生かも。

 

(2010.6.11 -65- 日記より)

-奥さんがいなくなってもちゃんと生活できるように、今からシミュレーション-

 

自信が積み重なるわけでね。精神的な快調さって大事。

こけかかってもそれを良いように変える、っちゅーのも

訓練なのかと思う。やむなくシングル生活になって不自由

かなぁと思ったけど、それを自身の料理力をつける、という機会

にしたこと、なんてその例でね。今日は何を作ろうかな、って

楽しいわ。

死別された夫が急にうつになったり落ち込んでしまう事例が

多いけど、それは高齢者快適生活4か条をもってない

場合なんだ。ぼくは②の料理力はまだ未熟だけど大きな一歩は

踏み出せたと思うなぁ、今回。

 

整理ができると無駄もなくなるね

ほんと、そー。彼女は忙しいかもしれないけど、この整理能力は

ないね。目の前で整理したりすると気を悪くさせて口論になる

こともよくあるので留守中にきれいにして、なるほどと納得し

理解を示すよーになってきてる。

わかっているんだけど私も。。

働く主婦はあるていど仕方ないわ。今朝も、冷凍庫の奥に

カビが生えた1年以上も前のが2つほどあったので土のなかへ

埋めたんだけど、ときどき20%くらいに減らして、チェック

するほうが冷却効率もあがるし冷蔵庫も長持ちするんだ。

 

 

 

 

著作原稿(「定年後の暮らし方、過ごし方 - おしゃれな都会派の暮らし方」)

         --加齢とともに歩む「脱比較・悠々人生」--

まえがき

 

 身の程、身の丈を知った、分をわきまえた生活でストレスなしの、ゆったりした、しかも朗らかで楽しい退職後生活をおくりましょう。老いてますます楽しみを増す人生を過ごすにはどうしたらよいか、これが本書の目的です。

 この本は65歳(年金受給開始年)からの善い過ごし方、かっこいい生き方、健康維持・増進に努め毎日溌剌とした生活サイクルを送れるようにするにはどうしたらよいか、についてのヒントを述べています。「65歳以上=高齢者」という定義は人口統計的に便宜上必要ということでWHO(世界保健機構)が使っている(65歳以上の人のことを高齢者としている。65 – 74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者)だけで、身体的には75歳以上を老人として65-75歳の10年はヤングオールドと呼び、彼らは65歳までのいわゆる中高年と比べても脳や体の機能としては(よい生活習慣をしていれば)あまり違わないというのが実態であるとする見解も支持されている。(シカゴ大学老年学者、ベルニース・ニューガトン)さらに、85歳までは年寄りといっても大した年寄りじゃない、まして75歳までは中高年の続き、ということも言われている。

 

 (もうひとつの書き出し)

今、日本では2200(?正確に)万人のとてつもない多くの人が65歳以上で生活しています。これはすごいことで、2000年の2187万人(全人口の17.2%)から2009年には  万人(22.7%)に急激に増えているわけです。な、なんと、です。このことに日本の為政者は心底から認識しなけれはなりません。文化的、経済的、政治的、行政的、そして医療上の生活環境をこの高齢者層に対して適切に対応できる社会をつくるべき時代に入ったのです。

たしかに、日本は世界一の長寿社会になっています。が、実は寝たきりの人が極めて多いのです。その数、アメリカの5倍です。政府は相変わらず「危機的な医療費をどうするか」ばかり考えて対処療法的な方策ばかり手をこまねいています。一方、アメリカでは??年前から Health People Act で10年間で要介護者は120万人も減りましたが、わが国ではこういった根本的な対策がなされないのは本当に情けない限りです。

日本は平均寿命が80歳の時代になっていますが、若者中心や若さを礼賛する風潮がまだあります。裏返して言えば、老人蔑視(エイジイズム)ですが、この考え方をぬぐいきれない日本社会の仕組みが問われているのです。高齢者をもっぱら介護の対象と考え、「老い」を施設に入れることで処理しようとする考え方が根強くありはしないでしょうか。病院の経営主義とも関係していることですが、寝たきり老人の増加を仕方のないものとして容認する考え方とも関連しています。(北欧ではそもそも「寝たきり」という言葉すら存在しなく、医師や看護人は寝させないことを当然のこととして対応するということです)。介護の考えは高齢者の自立の道を閉ざし、介護されるままに身を任すという、依存的老人(自分で身の回りのことが出来なくなること)を必要以上に作り出すことにつながりかねません。

しかし、実は、高齢者に対する真にあるべき考え方が前面に登場すべきなのです。 「成長と自己実現の可能性を人生の後半に存在する」という真実が。

 

<キーワード>

・「人間の真価というのは、どのように老いるかで決まるんじゃないかと思っています。」(村上春樹「490の質問に答える」)

ちなみに、村上春樹さんは①愚痴はできるだけ言わない、②好きなことをただ一生懸命やる、ということを心がけているそうです。

「身体は老化しても精神は衰えないというところに人間の尊厳がある」(日野原重明)

「老いることはあまた楽しからずや、ただし始めることを忘れなければ」(マルチン・ルーバー) あるいは、「老後の初心」(世阿弥)

「精神を衰えさせないために大切なものは、一生懸命さ、誠実でそして純真さである・・・」高見澤順子) いい絵を見ても映画を見ても、よい本を読んでも、そこからよい考えをもらう、というよりも、想像力を働かしてその中に入っていくことが老年になってからのものに対する心構えだと思う。つまり、感受性を豊かにしていく努力をするということである。(というようなことを小林秀雄がどこかで語っていた)

天寿とは? 「命とはこれを完了するものだ」(小林秀雄「還暦」)

 死を実感して生きる、すなわち「棺おけに片足をつっこんで生きる」。死を自覚して一日一日を一生懸命生きる、命を天の贈り物と心から信じて大切にする、感謝して生きる、のが天寿だということではないか。 (高見沢潤子「人間の老い方死に方」)

「われわれの悪の起源、それは比較だ」「比較を軽蔑すること」(カミュ「太陽の賛歌」)

「人生の一瞬一瞬はそのなかに奇蹟の価値と永遠の青春の相貌をひめている。」(カミュ「太陽の賛歌」p.7) (→ <巻末> 太陽賛歌に寄せて 散文詩)

 

 

 

<人生の充足感>

<一回きりの生の、掛け替えのない、貴重な一生を、その一日一日を充実感を持って生きる、過ごすこと、=人生の充足感を本気で感じるとは・・・>

・精神的な楽しみをもつことこそほんとうのリッチ (物は金が要る、考えることはお金が要らない)  --  ただし、ある程度の生活資金(平均的な年金)は必要だけれど、それで人生、十分  楽しめるよ。 ただし、そう感じるには、物欲をコントロールし精神的に楽しめる、そういう種類の能力が必要    「本当の幸福を得たいなら、とにかく不必要なものを捨てなければならない。そして、人目など(世間体など)気にせず、夢中になって好きなことに生きること」(辻邦生「美しい夏の行方」「イタリアシチリアへの旅」)

・生きることとは、意識の連続、つまり考えること、絵筆を執って描くことに熱中しているときのことである。人生とはいかに生きるかを考えること(つまり哲学)であり、そこには精神の自由が横たわっている。自分の時間の絶対的管理者として、権能を一滴たりとも他人や社会に奪われることのないように生きることである。

真に生きることを知った人は、シュヴァリエの歌のように、些細なことにも朗らかに,軽快に、ユーモラスに生きていけるように。深刻にならないこと、取り乱さないこと、微笑を忘れないこと・・・ これが粋に生きるということ

本当の幸福とは、自分の中にきちんと筋を通せることである。真の幸福はやはり地に足がついたときに生まれるものだ。第一,地に足がついていれば人間は安心していられるのだ。そして人間を謙虚にする。そう、幸せとは常に光の状態でいられることだ。

 

 

あなた特有の成熟度を極めて、そして人生を終了する

あなたの分のわきまえを知って快適感いっぱいの日常をおくる

「諦観=明らめ」のほんとうの意味を感得し、自分なりの、納得いく生活を獲得する

   → 残実録の最後のことば

 

高見澤潤子「兄・下」

力ある命の持続感を持つこと

気に入ったものは感謝して、手放すのが本当だ

新しい環境(与えられた環境)に不平不満を言わない=外的偶然をやがて内的必然に観ずる能力を。

不安症のの人に・・・・ 自分のことばかり考えているから不安になる。一所懸命人のために何かをしようと考えてみる。すると不安なんかなくなってしまうから。

苦しまなくては本当の喜びはない。困難があるから楽しいのだ

「無私になるということは自然にまかすことだ。自然にまかすというより、自分より大きなものが常にあるということだ。自分をなくするということは、その大きな魂に従うということだ」(p207)

 

高見澤潤子「生きることは愛すること」

無私になること---空っぽにする、自分をなくすること、自然にまかす(永遠なるもの、自分より大きなもの、

捨て去ったとき、本当のものをつかめる

精神や心は決して衰えない。つまり、成長する、成長するとはなんと喜ばしいことかを知ることが生きることか(意気込み、感動、努力、工夫)

 

「よく生きること=よく死ぬこと。私たちがこの世に残せる最も尊いものは優しさだけだ」

人を喜ばせ、人に優しく、与えられたものを生かす、と同時に、人の嫌がることはできるだけしないように生きること

 

小林秀雄

「上手に失った過去とは上手に得る未来のことらしい」(「秋」v17-p201)

つまり、上手に過去を(時を)を失う(失っていく)ように生きる。つまり、公開しないこととは、(確信できる人生とは)「今日まで自分が生きてきたことについてその掛け替えのない命の持続感というものを持て、ということになるでしょう」(「私の人生観」17-p163)

 

限りある人生(=命)と「存命の喜び」(「徒然草」第123段など)について

 

限りある人生=(命)、人は必ず死ぬ、などという認識というか自覚がなければ、今ある、この存命している喜びは身にしみてはわからない。なぜなら、真実は死すべき命なのに、元気なときはそれがどこかへ置き忘れて、あたかも<自分は死なない、いつまでも生きてるんじゃないか>と思ってしまいがちだからである。しかし、「死」というのは前途を絶たれ過去をも喪失する(背後も絶たれる)、唯一回の一大事なのである。だから、今ある「生」を、ただ今ある命を、「今」という時間を大切に生きることの大事さを知るべきなのである。

さらに言えば、このことを自覚的に認識することは「人間の大事」として「第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所」があり、「餓えず、寒がらず、風雨に侵されずして閑かに過ごすを楽しびとす」(「徒然草」第123段)という人生の過ごし方、生きる基本がそなわっていれば充分に満足すべきであり、無理して過剰な富を追い求めることは愚かしいこと、と知ることで毎日をこころ穏やかに送れるものではないかと思う。

現世安楽の閑雅の条件---衣食住足りて(一定の収入があり、それ以上は貪らないこと)、プラス、病(大病)にならないこと、つまり「障りなく、所作なくて心身長く閑かなり」(241段)

 

貝原益軒「養生訓」

「身は労すべし、やすめ過ごすべからず」「身を安逸におこたり臥す事を好む。皆是、(わが身を愛し過ごす故に)かえってわが身の害となる」

  毎日を折り目なくのんべんだらりと過ごしてはいませんか?朝食後、さて何しようか、朝テレを見たりして過ごしてしまっていませんか? これは定年後「悠々自適」の最悪のパターンです。趣味の教室へ行くなりジムへ行くなり図書館へ行くなり、なにかちゃんと目的を持って出かける、それも目的地へ行くのに30分以上の歩きを入れるなどして「身を労す」ることが大切です。一日をメリハリをつけて過ごすことが心身ともに健康を持続させる秘訣です。

「長生きをすれば楽しみ多く、益多し」

これは、<若いことが良、老いることは悪>という現代の風潮と逆で、「老い」こそ楽しみが多い。人生の前半より後半に幸福と楽しみがあるとした。

「老いて後は、一日を以って十日として日々に楽しむべし。常に日を惜しみて、一日もあだに暮らすべからず」

  老いては月日の過ぎ行く速度はとても速くなる。しかしこれは一般的にそうであるだけです。また客観的には大学の4年も70-74歳の4年も同じですよね。これを物理的時間といいますが、感覚としては老いてからの時間は(心理的時間は)早く感じるのがふつうですね。その違いは過ごす間の充実感によるところが大きいわけで、そこに老いてからの過ごし方を工夫することによって1ヶ月、半年、1年を長く感じられるようにするポイントをあげてみましょう。

 まず、生活におけるメリハリ。朝起床して夜寝るまでの一日、月曜から金曜までの5日間と週末ウィークエンド2日間、旅行計画とか趣味・学びなどの1年間のスケジュールを予定した上で自覚的に過ごす、暮らすことが大切。とりわけ、毎日を1年の単なる1日として無為に(マンネリ的に)過ごすことのないように自覚的にスタートすることである。朝の寝覚め時、その日のやりたいこと、人生のことなどをお布団の中で思い巡らし考えるのです。できれば寝室に窓があり、寝床から青空や朝陽の輝きが見られるように室づくりを工夫しとけばより快適ですね。この自分の命の存在のありがたさをかみしめながら、「いつ死んでもいいかな」の心境に至れば最高ですね。

 ついでに、そのあと寝床読書などをしながら腹筋や背筋の体操をすると(胸と顔を少し上げながら腹筋、腰を上げて背筋を軽く鍛える、毎朝やれば腰痛などはでないようになります。また、いいことには、その時、寝覚めの一杯の水(お茶)を飲んでからおなか運動が排便意を促してくれます。そうすると、朝食する前におながが空き空きになってモリモリとおいしく朝ごはんがいただけるという寸法です。

 

「心しづかに従容として余日を楽しみ、怒りなく、欲少なくして残躯を養うべしが老後の一日、千金にあたるべし」

「過ぎたることにくよくよしない。先のことをアレコレと思い煩うな」(杉田玄白「養生七不可」の1、2番目の諌め)

 

貝原益軒「楽訓」

・「足ることを知れば貧賤にしても楽しむ」

・「老いに到りて娯(楽しみ)を増す」(貝原益軒「楽訓」)---楽しみは人生の後半にある。楽しみとは、① 自然を楽しむ(四季折々の自然・・・政治や社会がヨーロッパなどより劣っていても四季がはっきりして自然が豊かな日本に生まれた最大の幸福です) ② 読書を楽しむ(公共図書館にはとてつもない多くの本がある---例えば京都市の場合、ネットで20ほどの地域図書館の蔵書がいつでも手に入るし、欲しい新刊も買ってもらえますよ。自分の書斎の蔵書として考えたらいいのです) ③ 旅を楽しむ (こればっかりはちょっとお金が要りますが、近場でもいいとこがたくさんあるし、年に1度は2,3泊の国内旅行、3~5年に一度は海外も・・・。読書も発見、旅も発見ですよ)

「楽しみは内にあり」。このすごし方の基本にあるのは、「内なる楽しみ」=財力にとらわれない、つまり、お金を使わずに心を楽しませること。ものによる楽しみではない心の楽しみを楽しむこと。

・「年老いては、わが心の楽しみは(何事にも)万端、心にさしはさむべからず(つまり、心を向けてはならない)」=気を使わない=自分の楽しみに生きること=誰にはばかることなく自由自在に自分の楽しみを楽しむこと

 

西鶴「日本永代蔵」

「老いの楽しみは早く知るべし」=年金が得られるのに、まだそれを受け取らず、なおも働き続ける愚かさを冷静に考えるべきである。麻生首相はいみじくも言った。『高齢者は働くしか能がない』と(※)。こんな考え方が日本のトップの考えにだまされないようにしないといけませんが、どうも働くことが偉いとか美徳とか「死ぬまで現役」とかが善い事だとする思いが二宮金次郎いらい日本人の多くの人の潜在的な考えにあるようです。はっきり言って、だまされています。個人の、自分の人生を支配する権利を失わされています。個性を豊かに発揮しないで死に至るなんてなんとも愚かしいことなのにです。ヨーロッパを旅すれば実感できますが、個人の、人間としての権利をみんなが持っています。にくらべて、なんと遅れてることか嘆かわしい限りです。

         麻生太郎首相は、25日、横浜市内で行なわれた日本青年会議所主催の会合に出席し、「介護を必要としない高齢者は8割を超えている。こうした元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って働くことしか才能がない。80過ぎて遊びを覚えても遅い。60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。」

 

神沢杜口「天数尽きるまで心長閑に楽しみ暮らす」

   「水は流れる 山は動かぬ あなたのし」

 

神沢杜口

「我は衣食住を備えて、心、常に富貴なり」

<生涯、朗らかに、胸に蔵する一物もなし>という心境は、明日ありと思うから余念(欲望とか不安など)が生まれる。その日その日を老いの発見を楽しむ、というこの江戸時代のシティー派老人の生活観、人生観は、現代において、旺盛な好奇心を縦横に張り巡らし、インターネットなどをも活用し情報を頭脳の回転に及ぼし入れ、世の中の出来事に思いや考えをめぐらし(都市生活を積極的に関与する)ながら日々を楽しむことに通じる。

ただ、それを保障する条件もある。

・高価な服なんか不要で、寒さを防ぐ着るものに不自由なく、雨風から守ってくれる家があること

年金など、多くは要らないが一定の収入があり経済生活に支障があまりないこと

・大病になることなく健康であること(とにかく歩ける=人にあまり頼ることなく自分で移動できること)

<生活習慣として>

    読書すること(がこよなく楽しいこと)

    自然を愛でる心持ちを持っていること

    旅を楽しむ(大旅行などは必ずしも必要ない。都会の中や周辺を歩き回って、「楽しいばかり」)

「身を動かして」「手足を働かし」、ぼーっとばかりしないで、本を読み、考えをめぐらし(「人生は、すなわち考えること」ということを知ること)、ひとの世話をし、世の不正や社会の悪とたたかうこと

<信条としては>

・さまざまな執着にとらわれないこと

人それぞれだ、と他人の考えを聞く耳をもつ、柔軟性と余裕で常に対する

死について、「ただ死なん」=この世は夢、生涯はみな芝居なり、という考えを持ち、自らを客観的に見る境涯に立つ。「我独、こころ涼しく楽しみ暮らす」

都市は欲望の多いところだからコントロール(自制)し、且つ、都市の賑わい(魅力)を楽しむ。シティー派老人は限りがない欲を排し、ほどほどの欲望充足を感得すること。つまり、個性あるスマートな自作の「知足」をもつことがかっこいいのである。

足るを知ることは「明らめる、諦める」、つまり物事に執着しない、伊達や見栄を張らない、ということであり、それがさっぱりして、意気地が強くしっかりしていて、かつ洗練されていることにつながり、こころ豊かな気持ちになることが出来る。すると、その日その日を楽しく朗らかに暮らすという生き方ができる。こうしてシティー派老人は魅力というものも自然と出てくるのではないか、いわゆる野暮でなく粋な生活を送ることが出来ると思う。

 

 

「星の王子様」

モノは見えるが本当に大切なものは目には見えないんだ。心で見なければ物事はちゃんと見えてこない。

 

自分や物に固執することを離れること、すると真実が見えてくるかも。

いかなるものも排除することのない無限の開放空間=空。空とは何もないから、すべてを受け入れる=決めない=人生の時間の意味、生きるって何?を考えること

 

<老人の特権> 大峰-池田「自分自身に還れ」p.87

死をマジで考える=「死というのは人がものを考えるための最大の契機ですからそれを避けて通って人生を本当に生きられるわけがないです。」

自分が死ぬということと宇宙があるということがどういう関係になっているか---これを考えはじめることの大事さ、おもしろさ

 

 死を実感して生きる、すなわち「棺おけに片足をつっこんで生きる」。死を自覚して一日一日を一生懸命生きる、命を天の贈り物と心から信じて大切にする、感謝して生きる、のが天寿だということではないか。 (高見沢潤子「人間の老い方死に方」)

 

(徒然草)

「身に迫りぬるを心にひしとかけて」(第49段)

自らの死の瞬間の、その時をイメージして、いまある「生」を見る。つまり、死から生を見ることによって今の「生」が輝くのである。(→ 高見順)

 

「死に接しているからこそ生のすべての姿が一瞬花火のように現れる」(辻邦生「回廊にて」)

「死を通して現れる存在は、なんと輝かしい色彩と形姿を保っていることか」(辻邦生「夏の光に満ちて」)

「死にさえ無関心な至福の瞬間」 (辻邦生「夏の光に満ちて」)

 

「死なないもの、死ねないものは生きていないわけで、すなわち、死ぬ、死ねるから生きている、ということである。つまり、死は生の要件を構成しているわけで、死と生はひとつのことで、生死二元論ではない。(ひとつに内包されている、ひとつに具わっている裏と表)。したがって、一刻一刻生きている、そして死んでいるわけである。なので、今ここの生に見開かれそれを精一杯生きるべしなのである。 (古東「在ることの不思議」)

 

「死という唯一の宿命、つまり、それ以外には宿命などもはや存在しないようなひとつの宿命。生まれてから死ぬまでの時間が織り成す空間には定められたものは何もない。ひとはすべてを変えられる・・・」 (カミュ「太陽の賛歌」p.125)

「死とは、人間のたった一つの、比類なき宿命である。人生の、いや世界の根源的な不条理である.生が確かであればあるほど、死も確かなものであるということ。この相克する互いの確かさこそカミュに不条理と叫ばせたのである。(カミュ「太陽の賛歌」あとがき-高畑)

   =死は、その人がどうにもできない人間の宿命であるが、死はそれ自体では不条理ではない。生き生きと行動する生のすぐそばに連れ添って死はある。その死が生とともに存在することが不条理なのである。生と死は、いわば光と影の関係に似ている。光(生きること)がなければ影(死)はできない。したがって生と死はそれ自体、すこしも不合理ではないのである。ということはこの不条理にたいする絶対的認識を持つことが大事で、そのことによって死への恐怖を逃れることができるのである。(カミュ「太陽の賛歌」あとがき-高畑)

 

長生きすることは、すなわち老いることであるが、それが良い点は、まだ知らないことを知ることが増える、自分にとって未知のことがわかることの喜びを味わえることができることである。つまり、日々学ぶ、読書したり受講したりして勉強する(いつまでも学問する)ことによって楽しみを増やせるし「益」も多いのである。貝原益軒はそれを「老いに至りて娯(たのしみ)増す」(「養生訓」)、「学ばざる人は内にある楽を知らず」(「楽訓))と言っています。

 

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老いの現実とその精神的閉塞感をぶっちぎる

石田吉貞「良寛・その全貌と原像」1975年 p.339-341を参考に考えた。

身心脱落し、天真任の境涯を得た良寛でさえ、心と命の分裂に陥った。ましてや凡人たるわれわれは悟りを開くなんて100%無理なことでしょう。で、はじめからそんな無理なことは考えないほうがいいと思う。ま、そんなことはどうでもいい、と考えて、自分の生命を宇宙(絶対なるもの?)に広げていく。で、煩悩や苦しみをぶった切っていく。で、こだわらない自由自在の自分になってしまえ

境野勝悟「道元と良寛に学ぶ人間学」p274-5参照

ふつう、生きることだけが生命(=人生)だと思っているが。生きることと死ぬことは一対になっている。それではじめて生きているということ

「立居」は風の吹くにまかせて」=大海のようにおおらかに生き、一切をまかせて生きる、そして死んでいく。それでいいのだ!

 

<死ぬことの不安を解消する>

「まかせる」 (神-キリスト教、仏教-阿弥陀様、他力)

 いずれにしても、絶対的なもの、人間の力が及ばない、大きな力(宇宙、太陽)

絶対的なるもの=自分で制御できないものがあるでしょう。太陽をどうするかなんて出来ないし、宇宙を変える、なんてことできない。早い話が心臓の動きは自分の意思で動かしているのじゃないよね。そーいうものが身近にでもあるわけです。自らの運命といっても何か別の大きな力によって動いている、生かされてい。なので任せるほかないのです。したがって、小さいことにくよくよしないこと。「人生、まぁそんなもんよ」。「それがどーした」をキーワードにすればいい。

 

「生きる」とは、よく生きること、またそれを考えること。

 たとえば、夜、寝ていて急に胸が苦しくなりそのまま死ぬかもしれないと思ったとき、意やそれで死んでもかまわないって思えるように生きていること、そのように日々をすごす、つまり、死を生の中にいつも取り込んで生きていることが大切。あなたが5000万円もの大金を預金していて、年金もちゃんとあって不自由なく楽しく過ごしている、そういうときでも、それに執着しないでそれはそれとしてそのまま生を中止されてもいいですよ、って心境。

 

<自分の生き方を点検する> 中島義道「人生、しょせん気晴らし」

定年後に考えるというより、4、50歳代のころから考えておくとよいと思われることは、自分の勤める会社や家庭を含めて生きている環境のすべてのことにおいて、さまざまなしがらみから解放するように自らをもっていく。すなわち、あらゆることから自由になっていく生活感覚を得ていくことがまっとうな人生を獲得することになると思う。

自分に合わないものは次々と削っていく。--- 服装から人との付き合いまで

  内心では行きたくないなぁと思ってても付き合い上しかたなく、とか義理とかから参加しないと具合が悪いといったこと(義理の冠婚葬祭など)

  仕事上では必要でもそれ以外では不必要な場合のスーツやネクタイなら着ない、もっと気楽で自分が本来好きな格好を平気でやる習慣をつけてしまう。(周りの人にもそれを認めさせることがポイント)。どうせもうすこしで死ぬんだから自分の心に嘘をつかずに素直にやりたいことをやらないと誰のための人生か、と常に心に呼び起こす。自分の気持ちに沿わないことを続けたまま死んだらホント馬鹿らしいと思いません?

その実行のためには先ず世間体をかなぐり捨てる必要があります。子供のいいところは天真爛漫なこと、つまり自分に嘘をつかない、好きなことをやる、世間体とか毛頭考えにないことです。加齢しても人に迷惑がかからないなら天真に振舞っていいのです。大人気ない、なんて言葉で縛られることはないと思う。

「人との交わりにおいてもっとも有害なものは虚栄心である」(カール・ヒルティ「眠られぬ夜のために」5月15日(岩波文庫 p.155)

 

カミュ 太陽の讃歌~カミュの手帖,アルベール・カミュ、高畠正明

「虚栄 目立つこと 自分への裏切り・・・」

「未来の不確かさ。だが、僕の過去や自分自身に対するこの絶対的自由。。。自分の力を自覚し、虚栄を軽蔑し、運命に直面して僕を圧している明晰なこの熱情」

「自分を他人にゆだねる必要はない。・・・ たったひとりで、誰にも知られずに生きること以上に素晴らしく偉大な栄光をほかに知らない」

 

アタラクシアに生きる

アタラクシアとはギリシャ語で心の平静不動の状態をいう。自然な欲望に発する満足を追求するためには、余計な欲望を捨てること、不自然な欲望(虚栄、野心など)や形式を重んじる偽の事々をやめてしまうことである。本物の、飾り気のない威厳だけを持っていればそれでいいのである。自分にとって重要でないもの、どっちでもよいものに心を動かされないこと、乱されないこと、これがアタラクシアである。(たとえば、わが妻の母、95歳で耳は遠いがぴんぴんとしている。彼女は30年ほど前に夫がガンで亡くなったときも車嫌いという理由で焼き場にも行かないほどに自分本位というか、あまりショックもなく軽く考える、というか、要するに「異邦人」のムルソーのように世間体より自然的欲望を生きるすべにしていたように思われる。それが元気で長生きの秘密でもある

 

<アネモネの花開く> (辻邦生?)

静かな、落ち着きのある生活こそ、生きることなのだ。暮らしの細部まで心を配るとは暮らしの細部まで楽しんでいること。「生きること」とは、胸の中でやりくりをし石畳の道を歩き、向かいの窓のゼラニウムの花を眺め・・・ そう、そそくさと手っ取り早く便利で効率よくすることではない。

「生」は、死をふさわしく受け入れるという決意のうえに築かれる必要がある。

自分を信じる人はありのままで平気がいる。他人がどう見ようと気にかけない。自分を飾り、自分を偽り、自分を演技させる -- 自分を信じる力を失った人間です。まず人間として生きる、そしてそれ以上に個人として生きる、自分に与えられた天与を自由に生かす。自分の内部の弱きとか悔恨とかくよくよとか、うじうじによって抑圧されてはならない。大胆に野放図に堂々とやる。決して悔やまない結果が悪くても舌打ちしない。愚痴らない。

自分のしたいことをする。厭なことはしないでいい。

 

あらゆる執着から逃れること、これがよく生きるコツかな(池田晶子「死とは?)

 

 

 

周りの人々への思いやりと感謝で、自分自身が優しくなる

時には、小林秀雄ワールドに身を置く

 

世間とは別の自分と、現実の生活の自分、という二重性を生きる

 

運動に関連する趣味を持とう

 

ブリコラをあらゆる場面で --- 考え方の柔軟さを養う、工夫の広がりを楽しむ、

 

定年後、働きますか? 

 フランスなどヨーロッパの人は定年を心待ちにして、定年後は自分の本当の人生をこころゆくまで楽しむ、というのが一般的です。

 65歳以上で働いている人は、フランスではなんと1.6%、ドイツでは4.5%(日本は35.9%)。60歳以上でもフランスでは17%(要チェック)にすぎない。

これは人生の楽しみ方が違うというより、生きる意味の捉え方が日本とは違っていること。日本の勤労者は企業に働いている間、それがいわば楽しみになってしまっている嫌いがある。ので定年後、なにもすることがなくぶらぶらしてすごさざるを得なくなっていると思われる。日本のサラリーマンは、企業に飼いならされた結果でしょう。

もっといえば、文化の違い。生きるとは、と考えたことがない、自分とは何か、など

 

テーマ

 老いには逆らえない、という達観を捨てること

 長年(20歳から40歳までの40年間)、とくに仕事慣れ、サラリーマン生活に慣れきった脳が少しづつ若さを失ってきた状態から脱却し、たとえば、生活リズムを夜型から朝型へ変える。刺激、感動、工夫力、運動(とくにお日様の下で)などが生きる意欲をつくる、脳が若さを失わない生活につながる。

身体的には老いていくが、脳は違う、という事実を知る必要がある。脳は、「もう年なんだから」と思えばどんどん衰える。特に前葉体。ここに刺激を加える、たとえば、それは、感動、

心地よいショック(変化)喜び、満足感、工夫による充足感。パンつくり、旅など・・・

 

「嫌老社会」の克服を

和田秀樹「人生の軌道修正」2009.4 p.136

 老いても魅力あり ----岸恵子、ドヌーブ、三国連太郎など

頭で思いついたことを実行に移す体力、気力

失敗してもへこたれないで続けていく気概

柔軟性--己を知り、分をわきまえた上で向上心に心がける(自己修正ができること)

 

「老人らしくない老人」とは? (神沢杜口の生き方から学ぶ)

老いに価値を置く文化を創る。老いと若さを対置させ後者にこそ幸せがあるという文化にパラダイム転換する。

(じっと座ってる老人、孫の世話に生きがいを持つ老人、テレビばかりを見ている老人、悟りきった(みたいな)老人、枯れた老人、等々のイメージから脱し、生と死との深淵を超える境涯、自分自身の生を全うする過ごし方を探り、末期症状の現代先進国社会の「時代の老い)を超える過ごし方とは?

 

 

目次

1. 定年後人生の目標はもたなくていい

「人生はプロセスである」 (フランスの哲学者?カミュ?)

2. 年金の範囲で豊かに暮らす方法 = 「足るを知る生き方」をマスターしよう 

   2-1 物欲の楽しみより、頭や体を使って楽しむクセ(これは一種の能力なのだ)を身につけるとお金はほとんど使わないよ

       歩き、自転車で動く、公共図書館の利用(新聞、週刊誌、生活役立ち本,等など、いっぱい手にとって読めるよ。これを使わない手はない、これは高い住民税のせめてもの還元策なのだ。ほしい新刊書などはリクエストして買ってもらう。これが案外希望が叶えられるのだ。私なんかは、年間2,3万円くらいは希望の本を手に入れているよ)

ジュンク堂書店での座り読み、

公共のスポーツ施設を利用する(水泳、テニスコート・・・)

        70歳からの無料の公共交通を利用して、毎日、どこかへ出かけよう

         地下鉄、市バスで市内の端から端まで探索、京都には極めて多くの歴史、文化観光スポットがあり(日本では類まれな都市なのだ)、70歳までに訪れないでいたお寺や文化施設などを巡りましょう)

        「乗って、歩いて、一日、心を豊かに、からだを健康に」

 

   ・自家用車の持ち方 考え方の転換雨を防ぎ荷物を積める車であればよい、要するに動くことが出来る車であればよい。人生の大切さは最後まで歩けることであり、

そのためには足腰を鍛えておかねばならないが、車はその敵でもあるので、そーいう観点からも必要最低限の能力を持っている車であればよい、という考え方。 軽自動車の特典(税、燃費など)

 

  神沢杜口(立川昭二)「足るを知る生き方」より

自分のオリジナルな楽しみ方、愛し方(たとえば、桜をめでる)、個性を発揮しよう(持とう)=世間一般の、いわば常識的な方法や考え方にとらわれることのない個性豊かな自分であること、これが老境の真髄ではないでしょうか。

 

 

3.お金をあまり使わなくても楽しめる能力を身につけよう。

・工夫力(常識にとらわれない柔軟で、天真爛漫な発想力)を身につけよう 

・風流(風雅)に生きるすべを身に着けよう

   少ない出費で物欲とは無縁の暮らしを身に付けること(頭脳プレイを発揮して)=年金の範囲内でも生活を楽しめる術を磨く。これ、案外簡単で、きっかけがあれば考えが広がっていく。(ただし、海外旅行などは別途出費をプランしておく)

 

 常識は、間違いの部分が多いよ。人から見て常識はずれ、奇抜やなあ、っていうことが本当の場合も結構多い

  たとえば、ここに置いといてものを盗まれるはずがないのに常識的には置かないっていうことなんかあるよ

 お金をあまり使わなくても楽しめる能力を身につけ、独創力を実生活に取り入れる楽しみをもつこと、また、そのための訓練を積む。意外と、次々とアイデアと結果がでてきます。訓練して実績をあげるとうまくいきます。一足飛びにはいい発想は出てきませんが。

 

ところで、お金のことですが、たくさん持っていればたしかに余裕が出て楽しい日常をおくれます。しかし、それは健康であることが前提です。昨年でしたか、魅力度抜群の女優の大原麗子さんがなくなりましたが、生前のインタビュなどを聞きますと病気の悪化が進み非常にかわいそうな状態であったことがわかります。彼女は大女優でしたから庶民とはかけ離れたお金持ちであったと思いますが、そういうお金のことを超えてしまっている、いくら数億円の預金があってもまったく関係がない心境であったと思います。つまり、お金は自らの健康とは月とすっぽんほどの違いの存在なのです。例は悪いですが、ホームレスで橋の下で朝ゆったりと座って仲間と雑談している人のほうがいい人生だということです。とにかく健康で痛いところもなく過ごせていることが素晴らしいのです。今晩死ぬ、明日死ぬ者にとって蓄財は何の価値もないのです。

 本当の幸せとは何か。お金では決してないことがこんな事実から肝に銘じて知ることができます。ところが人間の成長過程で大事な小中学の教育の現場ではそういうことは教えていません。文科省の「学力テスト」は生徒が育まれるべき「人間の優しさ」や「愛情」や正義感とかよりも学力における地域間格差を知らしめることによって高校、大学受験競争に結びついた親の対応に反応させる結果となっています。良い大学へ入り給料の高い企業へ就職し、というお金の価値が幸せの価値に結び付けられ、競争主義社会を推し進めてしまっています。同時に発表された「所得の低い家庭は学力が低い」という調査結果は図らずも子供に教育の環境の平等を奪っている現実と

 

4. 仏教をないがしろにしてはいけませーん

  いわゆる葬式仏教ではなく、生きるとは何か、自分とは何か、なぜほかではなく自分がここに生きているのか、といった生きた哲学を考えることが出来ますよ、仏教はキリスト教などと違ってすばらしいのです。

  いい本を読みましょう。公共の図書館にいい本がいっぱいありますよ。

  散歩がてらに、ウォーキングのついでに仏像を、その顔を見るといいですよ。心が穏やかになることが多いですね。自分がちいさなことで悩んでたり、気持ちが右往左往してるときなど、そのつまらなさを反省させてくれる場合がありますね、顔を見るだけで。よーく見んとだめですけどね。

  とにかく、考えることが大切なの。考えることはおもしろいのだって、本当に(池田晶子)。

  でね、これって一銭もいらないのよ。頭を使う、(自分、これって何?とか)、あるいは

出来合いのものばかりを買うんじゃなく、とりあえずあるもので工夫して目的を達成する

<工夫力はゴミだしにも貢献>

 5坪の庭があれば土を(40cm径・深さ)に掘って生ゴミを捨てると3、4週間で土になります。これって有料ゴミ袋の節約になるだけでなく栄養いっぱいの土ができるので植木用に使えます。

 

5. 料理(パンやお菓子も含む)に頭を使うと、自分の好きなものを食べられるし、作るのが楽しみになるかも

   良い副作用として、食べること(皿洗いを含む)夫婦の分担と交流が和気愛あい(?)になるかも

<料理のひとこと>

圧力鍋の利用・・・・魚の骨まで食べられる(ブリアラなんか魚屋さんで格安でてにはいるのでトライ。めちゃうまい)

おからのうまさをケーキにすると、からだによいケーキが手軽にできる(おからは豆腐屋さんで捨てられるほど安価、200g50円)  例、卵をメレンゲしてパンケーキ、ナッツとレーズン入りのパウンドケーキ

 

6.    定年後はとくに読書が大切。いろいろ考えることがおもしろい(人生とは?生きるとは?自分とはほんとのところ何? 宇宙と自分の誕生ってどーいう関係?この考える自分の脳ってどーいう構造?等々)。こんなことを考える手立ては、まずは読書からですよね。公共の市民図書館は近年たくさんの本が入っていますよ。これを毎週貸し出して暇に任せて読むと考えが広がって結構面白いのだ。お金を使わずに人生を楽しむ最大の、最良の趣味としてきわめて大切。

 

週に一度は「気宇壮大」の心境になること。毎日は日常は現実の生活のことを考えて過ごしているんだけれど、例えば、退職金を3年定期預金に入れるか、とか8年満期償還の劣後債を買うかどうか、など本当に8年も先まで生きている保障はどこにもないのに死なないことを前提として5年とか8年とか当たり前のように選択の迷いをもつよね。でもそんなことより大事なこと、即ち、この世に自分が存在しない事態が先に必ずあるんだから、それはめちゃくちゃ大事なことだから、5年定期や8年社債や10年国債とか本当はどうでもよいことなんだよね。てなことを時々は考えることが大切なんだ。で、面白いことなんだ。

 

  僕のおすすめは、「池池読書」。世の中には本当にいろいろな考え方やものの見方があることが読書の広がりからわかります。発見、発見です。むずかしいと思われた科学も身近になりました。別の世界だと思っていた哲学もいま自分が現に毎日過ごしている生き方との関係でどーなのか、なんていう実のある哲学が書かれています。

2007年に40過ぎで亡くなった身近な哲学者(久米さんがニュースキャスターをやっていたころに番組にも出演)である池田晶子と若き脳の科学者の池谷裕二、この池池は対照的な学問の分野を対象としていますが、この二つの分野は生きるうえで優れた示唆をあたえてくれます。一方は観念の世界というか形而上学の世界だし、もう一方は海馬の研究といった自然科学の世界で、一見正反対のところを扱って読者に楽しく面白い本をたくさん出していますが、僕はそれらは対立するものではさらさらなく、生きる軸の欠かすことの出来ない統一されたものだと思います。

 

読書は硬い趣味ではぜんぜんなく、夜はテレビや音楽で楽しく過ごすことと平行して人生という毎日の時間を有意義にするものです。

(DVDで朝一に見たい番組予約しておく。するとコマーシャル飛ばしや好きな部分だけを効率よく楽しめるよ

 

7. 毎日、朗らかに過ごす --神沢杜口

  ええ加減に済ませることを増やして、悩むことをどんどん減らしましょう

  どーせ、たいしたことじゃないわ!という精神

  人生、生きてる状態は、いろいろなしがらみとの関係

 

 角田泰隆「禅のすすめ」 p.251 259

 与えられた年金の範囲内で、少欲知足」を知る、感得する→さわやかに生きられる=とにかく穏やかな容顔で対応する、日常の生活の事々(料理、掃除、入浴とか)を行う、楽しむ。一日一度は、たとえば、湯ぶねの中で自己をふり返る=湯ぶね座禅、でも悟りのためではなく、自分を客観的に見てみること。

モノより知を遊びの相手にする。

・その基礎は達者であること、まあまあの健康を維持すること(ウォーキングの進めについては→参照)

・「心やすらかに、胸に一物も貯えず」の心境に入って、「気」の大切さを知る=強くものを案じたり、憂い悲しむ病苦などで起こる「気」を大事に考える、(即ち、「年寄る」ということの意味だ)。加えて、厭世的でなくアグレッシブに、楽天的に考え、暮らすこと。

「その日暮し」(p.210) 生涯朗らかに、その日その日を老いの掘り出しとして楽しく暮らすこと

・ベストは読書で、なにもお金を出さなくても公共図書館で借りて読めばよい(市民が利用できる大学もあるのでトライしましょう)、立ち読みがOKの大書店もある(ジュンク堂書店など)ので新刊書とか興味のある箇所をしっかり読んでしまいましょう。じっくり読みたい場合は、メモして図書館に購入のリクエストをします。(僕は実際、年に10数冊、買ってもらっています)

・それから、散歩。空気のよい緑いっぱいの公園など、市内には必ずあります。そこへは自転車で行ってもいいですね。70歳からはバスなど無料で利用することができますし、植物園なんかも散歩や野鳥観察にはもってこいですね。(京都市の場合60歳から無料ですから、これを利用しない手はありませんね。)歩きは最高の健康増進の運動ですから習慣づけるように是非したい。(ウォーキングの効用については  頁を見てください)。なにしろ手軽にできる運動です。夫婦で歩ける境遇のひとは是非とも実行してほしいし、一人でも楽しめますよ。慣れれば。歩くと考えるので頭脳の健康にも良いと言われています。

・もうすこし積極的に電車などを利用して寺社などを訪れるのも楽しい一日となるかも。

仲間と一緒でもいいのですが、ひとりで楽しめる能力を身につけるのも大切で、楽しい境地に入ることが出来ます。

・さらに積極的になって、スポーツクラブや趣味のサークルなどに参加して気軽に楽しむ習慣や週間サイクルを持つといっそう楽しく充実します。友達が出来る、とかの良い副産物も得ることが出来ます。

 

7-1.    Cest la vie. それが人生よ。

  人生には運が悪く悪いことが起こってしまうこと、理不尽なこと、取り返しがつかないこと、いろいろ起きます。フランス人は、そーいうとき、Cest la vie. って言う。この言葉には、起こったことに文句は言うが愚痴っぽく執着しないで諦める。諦める、といっても諦観じゃなく

起こったことの原因や様々な事情、状況などを明らかにして納得してしまう柔軟な脳を持っている。それは一種の能力だと思う。この感覚や考え方は拡大して、欲しい物があるけど高価で買えない、っていう場合など、悔しい思いがストレスをつくってしまうが、Cest la vie しかたないよね、給料こんだけだもん、とあきらめる。そのかわりに、かなう範囲で物を探す、分相応をわきまえても楽しめる脳力を自分のうちに備えるように努力するわけだ。これは物欲からの解放、物質的な欠乏感から生まれるストレスを解消することにつながる。

買えないものは欲しがらない、という精神は諦め=明らめ、なのだ。文句は言っても愚痴は言わない、という快さで生活するのです。

また、工夫をしてオリジナリティを生かしたものをつくったりする、能力を身につけておくと楽しく暮らせます。で、工夫力、というのは既成観念、固定観念を取り去って自由な発想につながります。たとえば、いらなくなったカーテン生地をスカートにするとかはフランスファッションの自由な発想から生まれますが、これが個性的な、オリジナリティを生み出します。リュックを背負ってマウンテンバイクに乗って通勤するのはいいが背中に思いっきり汗をかくのが困る、というのであれば着古したTシャツの背の部分をくりぬいて着る、とか、前にリュックを担いて平気で歩いている人をヨーロッパで時々見かけるが、そんな自由な発想が面白くてたのしい日々の生活を保障すると思う

 

 吉村葉子「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」

 

8.    健康な(達者な)からだづくり=ヘルシーエイジングとは

 (参考文献 吉川敏一「アンチエイジング教室」ほか、米井嘉一 「  」)

ヘルシーエイジングとは老化を穏やかにする生活習慣で元気に過ごすことで、だれしも加齢に伴う老化は避けられないがそれをゆっくりと進ませることは可能だという考え方です。その基本は①食事とその食材を適切にとること、②適度な運動、③脳の活動を活発に維持すること、この3つを生活習慣として身につけることである。

そもそも、老化とは体を構成している細胞が酸化して錆びることでもたらされます。簡単に言えば生きる上でなくてはならない酸素がその体内での活動の際に活性酸素、フリーラジカルを生じさせて正常な細胞を壊し様々の病気を発症する。ガンはその極めです。加齢はこの現象を呼び起こしやすいので若いときにもましてそれを発生させないようにすることが老化に抗することになるわけです。すなわち、抗酸化作用を促進する食事などが是非とも必要なのです。

8-1 老化防止には食事の大切さ

8-1-1 活性酸素とはなにか。 

 生理学的には、活性酸素を除去する酵素の老化を弱めて、活性酸素をコントロールすることで、潜在寿命を全うすることが出来る  (参考文献 大阪武男ほか「活性酸素」夢-化学21)

8-1-2 フリーラジカルを抑える

  優れた抗酸化物質であるビタミンC,E、βカロテンなどをしっかり摂る

 

神沢杜口  歩くことの楽しさを獲得する (楽しさがわかる、獲得できることは一種の能力です)  → どんだけ歩いても腰が痛くない、疲れない足腰をつくる

8-1-3         高齢になれば(70歳以上)食事の質を高めよう。(東京都健康長寿医療センター、熊谷修「老化速度を遅らせる「適齢食」」、白澤卓二「健康寿命を延ばす」、柴田博「8割以上の老人は自立している!」ほか)

「歳をとったら粗食でよい」は誤り(栄養不足は老化を促進)。

40歳代から60歳代前半までは食事の欧米化にともなう生活習慣病にならないように牛肉などの料理を控えめに、ということが叫ばれ、いわゆるメタボ検診も始まっている。では70歳代にはいってもそのような食事習慣は続けられるべきなのでしょうか。60歳代後半に至ってもメタボにならず快調にからだ管理をしてきた高齢者は今後、健康長寿を目指すなら血管の老化をはじめいろいろな臓器の老化を防ぐ新たな食事管理を適切にすべきである。栄養の充足は<元気で長生き>の条件である。高エネルギー栄養食品、植物繊維、水分摂取、カルシウム、ビタミンDB12などの不足を防ぐ、とくに良質の動物性たんぱく質の適切な摂取は大切である。80歳以上の元気な高齢者はさまざまな食品を積極的に摂取している。

百寿者は、動物性たんぱく質の摂取など低エネルギー高たんぱく質の摂取で若い世代よりバランスのよい食生活をしている。魚や牛乳の摂取量は高齢者の平均より多い。

肉類、油脂類の摂取の食生活は知的能動性の低下を防ぐことにもつながっていると言われている。(「老年社会科学」199516号)

東京都老人総合研究所(健康長寿医療センター)の調査では70歳代の長寿の条件、11項目が挙げられている(「新しい健康読本」p.73)が、その内、栄養としては

血清アルブミンの多い人(適量のたんぱく質食事)

ヘモグロビンの多い人(鉄とたんぱく質が多い食事)

牛乳をよく飲む人(カルシウムの補給とたんぱく質の供給)

油脂の料理をよく摂る人

 

8-2 健康長寿の実践 (参考: 岡田正彦「がんは8割防げる 」、米井嘉一「抗加齢医学入門」など)

  健康長寿は「成功加齢」、「サクセスフルエイジング」とも呼ばれているが、その要は適当な運動と食事を軸にした健康に良い生活習慣を身につけ、検診に頼らない(人間ドックはいらない)、介護は要らない、という意思を持って生きることである。

 

健康長寿への3大要素


  

食事、運動、文化(精神)刺激 (読書、映画、旅行など。ピアニストに長寿が多い。鶴見俊輔を見よ。)の3つが健康長寿の要素である。そしてこれらは、健康を維持すること(即ち、大きな病気にならないこと)、心身の機能を高く保つこと、積極的に社会とかかわる、というサクセスフルエイジングにつながるのである。

<運動>

運動(有酸素運動)は加齢による記憶力、認知力の衰えを防ぐ。体は細胞でできている。細胞の寿命は人の(個体の)寿命より遥かに長い。だからすべての細胞が死ぬ前に生命を維持するための臓器(心臓や脳)の細胞の一部が死ぬと個体もその後死ぬ。細胞の死は血液循環の停止によって起こるが、それは血管の先端が詰まるなどしてだんだんと死んでいくわけで老人ボケなどはその結果である。で、この血液循環を正常に保つ、つまり働いている細胞のいるところへ十分に血液を流す、それには働いている状態を保つことが必要なのです。人の血量は限りがあるので働いていない部位には血液中の栄養も酸素も行きとどかないのです。ですからその細胞はしんでいく、というわけです。したがってすべての細胞をいつまでも元気に保つためにはそれぞれの部位を長くは休ませず、毎日適度に運動し、体をよく動かし、脳もよく使うことが必要不可欠なのです。(運動を習慣づける)

20分以上行う(注意点として、2時間以上になるとフリーラジカルが増える)

入眠時間が短くなり心地よい睡眠ができる

神経伝達物質(エンドルフィンなど)の分泌の低下を防ぎ、老人になると起こりやすい頑固さや怒りっぽくなったり、気短になったりすることを防ぎ穏やかな気持ち、安定した感情の持ち主になれる

「くよくよしたら、まず歩こう」(日野原重明「人生百年私の工夫」)


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スイス&北イタリアの旅 (2016.8記)

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2016.6.19~7.19(1ヶ月) 
スイス&北イタリアの旅

前回、スイスアルプスの自然に惚れて、再び、今度はマッターホルンを見尽くす旅に出かけました。
今回は、1ヶ月という長い旅行なので相当の準備をしました。
1.ベースとなる街を特定し、ホテル選定を吟味
  具体的には、旅の道順を考慮して、イタリアのマッジョーレ湖のほとりのStresa
  ミラノをベースに旧市街・新市街、それにコモ湖のBellagioへの小旅行をはさむ
  本命の
マッターホルン三昧のための拠点となるZermatt
       岐路の途中にアルプとハイジの楽しを楽しむための街、Chur
  最後の旅程としてZurich の近くのLuzern
 
    ( 高齢者の旅のテクニック)
 ・街をゆっくり味わうために日程をゆるやかにすること 
  (たとえば、
2連泊以上すること、次の街へ移動する朝はホテルを遅くにすること、など)

    ・主に滞在する地方には拠点とする街を決め、その街のホテルは同一にして快適なホテル※をとること
  ※
メニュが豊富なビュッフェ式朝食が提供されている、バスルームが快適、など
 ・拠点の街から近くの街へ何度か小旅行(1~4泊)する。
  そのためには1年前からホテルを物色-吟味-予約しておく (キャンセル無料の予約で。
  この場合、出発直前に返金不可の契約に変更すると料金が安くなる場合もある)
  また小旅行にはB&Bなども混ぜるなどして個性的な宿泊を楽しむ

 ・スイス旅行の交通費は半額カードを使う(高い料金の登山鉄道やロープウェイなどでずいぶん得をする)


2. スイスとイタリアの市民の生活、意識を垣間見る(非EUのスイス、およびEUの低レベルGDP国といわれるイタリアの生の生活意識について)
 そのためにはある程度のイタリア語などを話せるように半年かけて勉強しておく(フランス語より発音が易しいので会話で通じやすい

3. スイスは、自然と大地と観光をほんとうにうまく結び付けている。日本の文化の劣化状況を考えてみる
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4.イタリアでは、いわゆるGDPのまやかしを市民生活風景から知る(なぜイタリア市民はあんなに明るいか、日本人のようにモノ上位主義でなく、mangiare(食べる), parlare(おしゃべり)を楽しむ、こころ優先で生きる)

では、出発! 6月19日関空

フライトはいつもフィンランド航空。この長所は飛行時間が短いこと。なんせ、帰りは8時間50分。で、ジュネーブから始めます。ここは空港から電車で10分、しかも無料。高齢者の海外旅行は、とにかくゆったりと旅程を組むことが大切。ヨーロッパの夏は9時半ごろまで明るいから気分的にも楽。ローザンヌまで行ってしまってもいいけど、やはり楽々の時間割がベターということでね。10時間以上の飛行の疲れをとる、ということが大切。
6時半に空港着で7時前にホテルに到着、近所を散歩。2年前と変わらないけど懐かしい。その時は5000円ほどの高額で食べ損ねたレマン湖魚料理、Fille de percheを今回はフラン安のおかげで食べられた。
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ジュネーブは、旧市街が楽しい。ジュネーブのレマン湖は言われているほどには綺麗とは思えないですね。で翌日にローザンヌに行ってあらためてレマン湖を見てみることに。
ローザンヌは、ホテルを市街地ではなく湖畔にとって散歩した。やはりジュネーブと違ってアルプスを背景にした湖は静かで美しいです。
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旧市街へはメトロで10分ほどです。ホテル宿泊者は無料乗車券がもらえます。

3日目はイタリアのストレーザへ列車の旅。
1本だけ直通電車があるので楽です。午後の出発ですので午前中はローザンヌの湖畔などを散歩。
さて、スイス鉄道(SSB)半額カード(1万円ほど)を使いますが、さて、Domoddosolaという駅からはイタリアですので使えない。で、どーするか。直通電車だし・・・。裏技でもないんですが、
Domoddosolaまで半額カード使用、そのあとは通常料金を支払う、ということにする。つまり1列車で2枚の乗車券にする。で、車掌さんもOKの対応でした。
  ま、とにかく半額カードってメチャ便利ですよ。何度も電車やロープウェイに乗るのなら、例えば10万円の出費が6万円ほどで済みますから。(このカードはスイス入りの日などに駅で購入し、乗車券は
旅行前に自宅でSBBサイトからEticketを買ってプリントして持参する) 

4日目。車窓にマッジョーレ湖が出てきて、湖畔のStoresaに到着。住宅地のなかを10分ほど歩いてホテルへ。レストランやカフェが立ち並ぶ中心街から5分ほど離れたところに立つホテルは静かで庭が広くてきれい。で、安い。ツインでなんと90ユーロ。これも直前に値下がったところを再予約した裏技。

マッジョーレ湖は湖畔沿いの並木道、湖に浮かぶ島もアルプスを背景に綺麗です。有名な3つの島の中でPescatore(漁村)島がいい。趣のある路地が楽しいです。
(湖に浮かぶペスカトーレ島)
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(1kmほど続く湖畔のプロムナード。浮かぶ島はベッラ島、背景はスイス南アルプス)
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鉄道ストライキ (ときどきあるようです。労働者の権利がふつーに根付いてるのでしょう) で
近郊のBavenoという町に行かなかったかわりに湖畔でのんびりと静かで美しいコメントアルプスを見ることにしました。観光名所を訪ね歩くのもいいですが、自然そのものをゆっくり味わって時間を過ごすのは旅行の大きな楽しみです。
それからベンチや緑の木陰で坐りながら行き交う人、いろーんな人(ストレーザは外国からの訪問客が多い)をウォッチングするのも大好きです。そこへ、ある中年の外国男性が日本語で話しかけてきました。片言かと思ったら、かなり達者な日本語です。彼は中東の出身でスイスの南の地方に住んでいる言語学者で、日本語にも造詣が深い、ただ昨今の状況から複雑な個人史も話してくれ大変面白い出会いでした。
アジアの端から遠いヨーロッパにわざわざ出かける我々にとって、こーいう、世界のいろいろな国や地域の人たちと話すことは大事で、海外旅行の妙味です。(後述するコモ湖でのギリシャ女性、ベトナムへ行ったときに出会ったフランス人親子-母はロシア人)。ヨーロッパに生活するひとはいろんな歴史を持っていることがじかでわかる。


6月24日。ストレーザで3日ほどのんびり過ごして、電車で1時間、ミラノへ
ホテルを
10時頃出かけて歩いて駅へ。だが、予定の時間に電車は来なく、半時間ほどホームで待つことになった。その間、「こーいうことは、時々あるんだ」とイタリアの青年とおしゃべりしてわかった。半年のイタリア語自習でもふつーに(でもないが)会話が弾むなんて楽しい。

昼過ぎ、ミラノ中央駅に着く。でかーい!メチャメチャいっぱいの人が渦巻いてる。スゴーイねぇー!!・・・いろいろな国の人が行き来してる。西欧、東欧、アフリカ、中東・・・ごちゃ混ぜ。ハンパじゃない。これって、おもしろい、いろいろな地域の市民が国境なきかのように行き交う、
これがいいんだって思う。

さて、ミラノは初めて(実は20年ほど前のイタリア旅行で大雪で行きそびれた)なのでタクシーでホテルへ。若い運転手は快活で、いい感じ。(これから会うイタリアの人も多くが陽気でたのしいひとだった)
チェックインまで時間があるので荷物を預けて近くの市民公園へ。ランチはストレーザでの朝食をサンドイッチにして持参。 (  おおむねこの方式でホテルの朝食で手製ランチをつくる。ということでホテル選びの時に、朝食がいかに豊かなメニュを提供しているかを必ずチェックします)
この市民公園、Publici Giardani、木陰でのんびり。昼時はサラリーマンなどがテーブルでランチしてます。なにしろ昼の休み時間がたっぷりあるのですからね。
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  ホテルに戻り、さて散策開始。まずは歩いて近くの街で新しいミラノと評判のコルソコモへ。広場でおばちゃんと雑談。相手が分かろうがわからんかろうがふつーにしゃべってくれるので会話的にはスムーズ。
というのも、去年の年末に京都を訪れていたイタリア人夫婦に繁華街で出くわして
生まれて初めてイタリア語で会話してちょっと自信がついてたので、平気でしゃべりかけられたのです。
そのまま旧市街をあるいてドゥオーモへ。大きい。これまで見たなかでも一番。
ストラスブール、ランス、ノートルダム、アミアンとかを超えてる、前の広場も。
(夜がいいかも。左にはガレッリアの入口が見えます)
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  ドゥオーモは中に入るのはちょっと大変です。半時間ほど並んで入場券(1ユーロ)を買ってから入るのです。人気があるので寺院内が混雑しないように配慮してあるみたい。
それから、そばにある「1900年代美術館」は宗教画に飽きたら入るといいです。新しい感覚を得られるかも。
http://www.museonovecento.it/    こんな絵とかがあります。
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余談ですが、ドゥオーモのそばの通りで不思議な、不可解なパフォーマンスがあったので、ちょっと、なんでこーできてるの?分かった人は教えてください。

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さて、この演技者も中東からの人ですが、イタリアに限らずヨーロッパは移民の人たちがたくさんいますよね。ヨーロッパは北アフリカ、中東などから移住して、今ではおよそ2000万人以上になっていますが、その歴史や現状(難民、過激事件)、宗教(イスラム教、ユダヤ教など)の問題については以下の本を参考にして知ることができます。
『世界最終戦争論』(内田樹・姜尚中著 集英社新書)
『イスラームとの講和』(内藤正典・中田考 著 
集英社新書)
『イスラム化するヨーロッパ』(三井美奈著 新潮新書)

翌日は、6月の最終土曜日ということで、月一のヴィナリオ運河沿いの土曜市。すごいたくさんの露店が運河沿いとその横路に縦横に並んでいて、とても賑やか。大勢の市民や近郊の人たちが骨とう品や洋服などを物色したり冷やかしたりして楽しんでいる。ぼくも、これ何するもんですか?なーんて店主としゃべったりして愉快です。
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ミラノは、モンテナポレオーネ通りなどの有名な高級ブティック街がありますが、こーいう庶民の買い物市はいいですね。ちなみに、
モンテナポレオーネ通りを見るなら、その裏のスピーガ通りが断然いいです。石畳の静かで綺麗なところです。
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滞在したホテルもその辺りから歩いて15分くらいで、ミラノ中心街の端ということで、4つ星なのになんと100ユーロ!端といってもドォーモからトラムやメトロで10分ほどなので便利で静か)朝食もメチャ豊富メニュでバスタブ付きツインが1万数千円とは、ホテル選びも重要です。

 ホテルでの朝食と健康保持 
・朝食はビュッフェ方式で多彩なメニュが提供されるホテルを選びます。
野菜は思いっきり食べるようにします。緑黄色野菜は少ないところが多いですがトマトは概ね出されますので厚かましいほど食べます。旅行中は野菜がどうしても不足しますので朝食でたくさん食べるようにします
ヨーグルトも必ず出ますので、プレーンヨーグルトに果物を入れてたっぷり食べるようにします。野菜とヨーグルトと果物は胃腸を快調にし快通快便て気持ちよく過ごすことにつながりますから大切です。
チーズ、ハム、卵もほとんどのホテルで提供されますのでほどよく食べ栄養をつけて元気よく旅が続けられるようにします。(できたらサンドイッチをつくってその日の野外でのランチ用にします。ただしあまりおおっぴらに製作するのは控えて)


 土曜市のナヴィリオ地区から午後は、
随筆家・イタリア文学者須賀敦子が住んでいたムジェロ街のアパートへ。
http://eyes-woman.com/life/4525/
 
中心街から歩いて30分、トラムに乗って10分ほどの住宅街、トラムの通りを歩きながら、通りから入ってすぐの彼女のアパートを見つけ、 「ふ~ん、こんなところに住んでたんだぁ。ここからドゥオーモ近くのサンカルロ教会横のコルシカ書店に通ってたんだ」なーんてね。
観光名所ばかりじゃなく、日本の文学者や画家などがどんな感じで外国の街に住んでたんかなぁと思い浮かべるのも旅の醍醐味かな。(辻邦生-パリ5区のデカルト通り とか・・・)


さて、ミラノの楽しみはとーぜんマンジャーレ、食べる!ですよね。で、コトレッタ・アラミラネーゼとオッソブーコ。
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 ミラノの前半3日を過ごした後、待望のコモ湖へ小旅行
 ミラノをベースにして4日間の小旅行をしてまたミラノに戻る、という旅程は中高年者にとって楽ですよ。大きな荷物は預けておいてリュックだけで行けますから。
  夏のテクニックとして、速乾性の超軽のTシャツ、下着、靴下を各4着をリュックにいれてホテルに着いたら即洗濯、といったやり方で楽勝に過ごせます。

さて、コモ湖の真ん中の街でとりわけ美しいBellagioへ船で行きます。まず電車で40分ほどのコモという街に行きそこから遊覧船に乗って湖とアルプスの山を楽しみながら
2時間ほどで着きます。出航するまでコモ旧市街を散策。意外と静かでいい街です。ここのドゥオーモには素敵なタペストリーがあります。
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さて、アルプスを背景に綺麗な湖畔を見ながらの船旅は実に楽しいです。
で、2時間ほどでBellagioに着きました。
湖畔から細い石畳の坂の路地を少し上がるとホテルです。
室から湖が見えていい感じです。この湖畔の街はコモ湖の真珠と呼ばれるだけあって綺麗な風景を楽しめます。
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ここでゆったりと3泊しました。ホテルは毎日違うところに移り変わって、それぞれ個性的で
おもしろい。初日は船着場の近くで湖も見える室。2日目は街の中心から少し離れたB&B。
3日目は土地の人が住む家の隣にある三つ星の、古風なホテルで、室からは民家の花の庭と
湖が見える。

湖岸からいくつもの石畳の小路があって、感じがいい。
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藤などがさいて湖岸が美しい。
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周りの石畳の階段沿いにたくさんのレストランがあり、コモ湖の魚料理が楽しめていいです。
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夕景。夕陽とアルプスと湖。夕陽が水に沈む・・・ コペンハーゲンからオスロへの船から眺めた夕陽もよかったけど、生まれてきてよかったなぁ、って思う時です。太陽と海や湖、ウーーン。。。
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4日目。

Bellagioから船でVarennaへ、10分ほど。湖畔にへばりついている静かな街です。

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さて、コモ湖の小旅行をあとに、ミラノに戻ってきました。
トラム・市電を見るとミラノに帰ってきたなー、って思う。いい街です。
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今日はパヴィア修道院を見学しに行きます。ホテルからガリバルディ駅まで市電で10分、
それから30分ほど国鉄に乗り、駅から修道院の壁側の道を20分ほど歩いたところで
向こうから歩いてきたイタリア人女性二人ずれに入口を尋ねると開門まで3時間近くも
あることがわかった。で、一人はミラノの大学生で話が弾みイタリア語と英語のちゃんぽんで
10分ほど親しく対話できました。
それから入口の近くにある村のたまり場みたいな駐車場公園でカフェ&トイレ休憩しながら
地元の人たちとちょっと雑談。このあたりはロンバルディア平野の田舎の風景が美しい。
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修道院前の草の上でランチしながら開門を待つ。いつの間にか
20人ほどの観光客が集まってきた。解説を担当する修道士の案内で見学。
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修道院は、俗世界を絶った人が生活しているので興味深く、これまでカンヌの地中海に浮かぶ
島の修道院やベルギーのブルージュの修道院などを訪れたことがあるが、このパヴィア修道院は
規模も大きく、実際に修道士が暮らしているので関心をもった。解説が丁寧で印象深く有意義でした。
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筆者はキリスト教を信仰しているわけでは全くないが、宗教に興味があります。
とりわけ、日本を含め現代資本主義社会が貧困、不平等、格差など矛盾が露呈し
行き詰まりを見せる中で、20世紀の戦争や大量殺戮を経てもなお今、それが
拡大していること、その原因が物神崇拝=拝金主義を基底にある資本主義を
考えるとき、宗教、とりわけイスラームの考え方が資本主義の思想より下位にある
という「先進国」の考え方に疑義、問題があるのではないか、と思うようになって
きたからです。
そして、21世紀に入って世界の状況が、欧米日の弱体化が進む中で若者人口
が膨らむイスラーム世界の復興が注目されている。
中世、イスラーム世界は強大だった。その象徴のひとつ、スペイン・コルドバの
モスク、メスキータには昨年(2015年)見学しました。
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さて、パヴィア修道院からの帰路に電車で10分、パヴィアの街に寄った。
落ち着いた旧市街がいい。


 翌日は、ミラノで一番気に入っているブレラ地区へ。静かで樹木も大きい石畳の
住宅街と
美術館(ブレラ絵画館)辺りを散策した。
ここには、有名な『ピエタ』や『死せるキリスト』など優れた絵が多く所蔵されていますが
以下の可愛い作品もいいですよ。
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下は、フランチェスコ・アイエツのThe Kiss (1859)
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さて、ブレラ地区で楽しいピザの店をご紹介します。この辺りこは美術系の大学があるので
その大学生や市民がこの店に集まるそうです。私たちが行った時も、となりのテーブルに
4,5人の学生が、ここの特別のピザを食べていました。私も食べましたが、ふつーのピザ
とはちがってふわっと厚みがあり、うまい。
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一般的なピザでも、ミラノのピザは大きい。下の写真は野菜ピザ。豪快。
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翌日は、いよいよミラノの最後の日。で、有名な
最後の晩餐の絵があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。
この絵は見なかったが、建物が非常によかった。
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(つづく)


















ここを訪れるにあたって、なかなか場所がわからず、3人の人に尋ねたが、いずれも大変えーかげんで
距離感なんかがぜんぜんバラバラ。イタリアの人はメチャ親切だけど大雑把な人が多いなあ・・・
それから、ドゥオーモなどの旧市街中心部はやはり気に入ったので最後に味わった。市電、自転車、バイク・・・
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で、いよいよ、明日はミラノを出て、待望のスイスのツェルマットへ
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ミラノ中央駅からEC(ユーロシティ)でスイスとの国境駅Domodossolaを経て
Vispで乗り換えてZermattまで4時間ほど。問題は、スイス鉄道では半額カード
が使えるのでそれを利用したいけど、なにしろVispまでは同じ列車だから
どーしたらいいか?オンラインでスイス鉄道サイトで、Milano=Domodossola
を通常料金で予約し、Domodossola=Zermattを半額で予約する、でいいかな、
ということで車内検札を首尾よく行けた。
10日ほど前に滞在したマッジョーレ湖を車窓に見ながら国境を越え、Vispで
乗り換えもスムーズに。で、いよいよアルプスと雪を頂く4000mの山々が車窓に
見えてくる。午後3時ごろZermatt到着。

ホテルは、2年近く前から直接メールで確保していた。とにかく
Zermattは人気が
凄いのでハイシーズンではいいホテル(街の中心で、twinで2万円で、室から
マッターホルンが見える)は予約が難しいので早くから連絡を密にしていた。
で、期待通り一番いいと思われる室に案内された。
夕方、中心通りのBahanhof通りなど街歩きに出かけたが、曇りでマッターホルンも
あまり見えない。それでも、ちらっと見えると、カメラを構えていたスペインからきた
若者グループははしゃいで上機嫌。ま、とにかく人がいっぱいで、みんな楽しそー。
おととし訪れたGrinderwaldに比べ格段に繁華。
レストランも混んでいたが、それほど待たずにおいしくいただいた。

翌朝、5時過ぎ、連れ合いが早くも起きて興奮して僕を目覚めさせると、なんと
見事に快晴で朝陽に染まって赤いマッターホルンが赤くなってきているではないか。
写真に紹介されている、あの赤い山。慌ててカメラを撮りまくり。
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山頂から赤くなり始めて次第に中腹の上くらいまで赤くなって、15分ほどで
全体が朝陽に白く輝く。初日から本当にラッキーで、大げさに言えば人生の
感動。これからここで5日も過ごすのに、もうこれで帰ることになっても後悔
ないなー、って思えるほどだった。それほど自然の凄さというか美しさに
興奮した。
さて、おいしい朝食を食べたあと、ゆっくり綿密に計画した日程にたがって
まず、初心者コースでマッターホルンを手軽にみられるハイキングコースに
出発。スネガです。例の半額カードでロープウェイで登る。スネガ展望台から
ガーンと見える。実に綺麗。これが、マッターホルンかあ・・・
帰りはハイキング。大快晴で、山とアルプスが見事に綺麗。
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ツェルマットの良いとこは、ホテルのフロントにある山の天気状況テレビです。
今の山の天気、今日一日の天気予報、先行き5日ほどの予報が見られることです。
安心して出かけられます。着ていく服も選べます。ちなみに、一番下に
ヒートテックTシャツ、その上にExtraヒートテック、その上にフリースの
ハーフジッパー、その上にダウンジャケット。これで完璧なのだ。
上へ上がって
日差しがいっぱいの快晴で気温が上がっても順に脱いでいけばいいわけです。
太陽のもと、標高3800mのハイキングでもダウンを脱いでリュックにいれて
歩くほどに快適ですから。 


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地下ケーブルのスネガ駅から5分ほど歩くとLeiSeeライ湖が超キレイ。
Eggenからぶらぶらとハイキングして岩椅子に腰を下ろして休憩。持参の
日本手ぬぐいを敷いて手製のランチを食べ、それからFindern-村へ
ゆっくりと歩いて村入口辺りにあるカフェVronyで休憩。そこの特性の
甘い甘いお菓子を食べながら、ど正面のマッターホルンを満喫した。

こんなのんびりと歩けるんだー、スイスアルプスは。帰りもマッターホルンを見ながら下っていきます。至福の旅です。いくつかの村を経て5時ごろ、ホテルに戻ってシャワーして昼寝。
さーて、夕食に出かけよう。
 

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連日、晴天で超ラッキー。で、3日目はゴルナーグラートへ登山電車で登った。
修道女のグループも訪れてた。あとのハイキングでも見かけた。自然の偉大さ、
凄さは宗教をも超える・・・?というか、すべてを超える。日頃、日常おこっていること
毎日の俗世界のこまごましたことがみみっちいことだと教えてくれる。吹き飛ばして
しまうね。だって、この山々、氷河って人間が生まれる以前からあったんですよね。
で、今も、これからもずーっとあり続ける。人間社会がどーなっていこうともね。
だからね、身の回りの嫌なことや悩みやちまちましたことに囚われるなんて
なんと馬鹿らしいことだと思えてくる。ま、たいしたことないわ、どーっちゅうことないわ!
ってね。
で、ま、一度はマッターホルンを見に行くことをお勧めしますわ。
それにしても修道女の白装束ってアルプスに合う? なんとなく不思議な感じやなぁ・・・
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(つづく)









    

2014.7.31

 


スイスの旅
 ----間違ってるね、日本社会は。   (2014.7)

 

6月から7月にスイスに旅行しました。目の前に飛び込む絶大な雪山、4000m級の迫りくる自然の美しさと泰然さは、醜い、惨めな日本をひととき忘れさせてくれました。(写真①②)

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写真①

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写真②




 


さて、宿泊のベースにしたインターラーケン。繁華な表通りとちがって山裾に流れる運河と散歩道は実に素敵なところです。(写真③④)
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写真③

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写真④


そこに掲示板があって、「人間の生命および健康的、民主的権利として労働時間は制限される(憲法28条)…」なーんてことが書かれている。憲法によって働く時間は制限されている。(スイスは平均週35時間、他のヨーロッパ諸国もその前後)「サービス残業」だの「過労死」なんていう社会とは真逆なのだ。

いま、日本は、黒田日銀総裁の政策は成長至上主義のもとグローバル資本主義の猛威にさらされ続けています。アベノミクスの浮かれ声とは裏腹に、実質賃金は下がり続け、今なお生活保護世帯や低所得者層が増加傾向のまま、非正規雇用者数は1906万人(2013年)年収200万円以下の給与所得者数は1090万人(2012年)、生活保護受給者数も200万を超えています。この状況は、金融資産(預金など)を保有していない二人以上の世帯の割合が1987年の3.3%から2013年に31%にはのぼることに端的に表れています。1987年以前の16年間では平均5.1%だったのですがグローバル資本主義の進行とともに中産階級が崩壊し、極少の富裕者・大企業への富の偏在と労働者の貧困化が急激に進んできたのです。(水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書 2014.3)

 

非正規雇用者数の急増は労働規制の緩和をますます推し進めていることで生じているし、低賃金で長時間労働を強いられ、一方では正規労働者一人当たりの労働時間も無法的に増大している。アベノミクスではスイスのように労働時間を制限するなんてありえないのです。法人税と金融資産課税を下げ消費税を上げて大企業や富裕層だけを助け国民に負担を押し付ける政策は成長至上主義をとる限り続く。成長教を排し、ゼロ成長、ゼロ金利、ゼロインフレに脱却しなければ、そして「積極財政」のまま1000兆円をこす借金を続けるなら日本の崩壊もあり得ますね。国債がいつまでも買われ続けることはないのですから…暴落=社会の崩壊が始まる前に、これ以上の格差拡大・貧困層の増加と富裕層支配をストップさせるために、アベノミクスをぶっ潰さねばなりません。


 ♪♪
スイス旅から日本を見る(2014.6.23-7.15)♪♪
 

ジュネーブでは国連欧州委員会を見学

 ここでは世界の様々な地域や国から様々な民族・人種の人達か集い、自らの地域の状況や情報を伝え合い、考えを披露し、解決のため討議するために毎日のように会議が開催されている。

こういう場が世界にはどこかで必要なのだ。スイスはどの国よりも多くの難民を受け入れるとともに、世界に起きている¥困難な問題の解決の一歩を歩み出すために、とにかく集まる、話をする、といった場を提供している。
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写真⑤ 
足の掛けたイス (紛争が終了しても地雷は残る。戦争の非道を無くせ)

 















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写真⑥ 国連欧州委員会ビルからレマン湖を見る















インターラーケンの東駅の近くでは静かに過ごせます。アルプスやベルンなどの街に行くにも便利。
 

DSCF1843写真⑦ 
ユングフラウ連峰が見える

自然は静かに悠々と私達を見ています














 インターラーケンで泊まるなら、ユースホステルを薦めます。

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写真⑧
早朝
5時過ぎ。YHの室から運河、夢幻のよう (キラキラ日本は間違い。明るけりゃいい、というもんじゃない)

 スイスはホテルも食事も高い。ここはリーズナブルで従業員も親切、野菜など良い食材の夕食。











グリンデルヴァルトは繁華街からはずれたホテルなら室から見えるユングフラウ三山が素晴らしい 
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写真⑨ 室のベランダからアイガーがまともに輝く(やはり自然がすべてを超える) 















メンリッヘンからクライネシャイデックの散策道は雪の連峰を見ながら誰でも歩けるアルプス 

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写真⑩ (スイスは本当の観光=人が自然と遊ぶ=を知っているね。スピーカーから音楽や案内で喧噪の日本、なんとかならないか)
















クライネシャイデックから列車でミューレン村へ。そこは、ケーブルでアルメントフーベルに上がるとそこには花の谷を意味する ブルーメンタール(Blumental)があります。小雨でも花というのはきれいね

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写真 斜面に広がるお花畑
















インターラーケンからツーンの街まで列車で、そこから船で湖畔の村に行く。晴れて最高の景色
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写真
ツーン湖の美しさは絶品。遊覧船からも湖畔からも連峰が楽しめます 














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ジュネーブ滞在中に寄り道したフランスのアヌシー湖もすごくきれいでした。優劣つかない
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写真⑬
船から見るアヌシー湖と湖畔のタロワール村。透明度はヨーロッパで一番といわれる。日本はなんでよごれるの?












ツーン湖からまたインターラーケンに戻って(旅は、どこか軸になる街をベースにしておくと楽ですね。洗濯とかもして乾かせるしね)、夕景なんかも情緒もあっていい気分で散歩できます。
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写真⑭ インターラーケンの表通りから夕日に映えるユングフラウ連峰

















(後日、つづく)



























2013.9.13
北欧から戻って・・・東京オリンピック決定と安倍政権のフクシマ隠し
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(Stockholm 3013.9.8撮影)

  2011年、原発禁止の憲法を掲げるオーストリア国民の文化について見聞を深めるため、ウィーンへ行きましたが、今回は、スウェーデンなど北欧へ。旅のテーマとして、<社会保障政策における「公助・共助」の理念が市民の間で如何に実現されているか、安倍政権の基本原理である「自助」理念、市場原理、競争主義に基づく社会政策に対する批判>を念頭に置きながら2週間の市民生活の状況見聞を試みました。滞在中、スウェーデンのテレビニュースで東京オリンピック決定のニュースを聞きました。Sveriges Television(SVT)は、しかし、日本の関係者の沸き立つ場面を映すと同時に、フクシマの現状の解説を伝えていました。

そして、帰国後見たものは、甘利経済再生相を筆頭に安倍内閣が急に「福島を収める」を声高に叫び出した報道です。これって何?

多分、こうだ---


 日本国内の国民と違って、外国ではとくにヨーロッパでは、この不安危険極まりない原発事故の未収束状況を知っていて、そんな状況下でなんで東京オリンピックなのか、と不信に思っています。(SVTの報道がそのひとつです)
実は、政府(官僚)と安倍内閣はそれを感じていて、これから、世界各地から東京オリンピック反対の市民運動が徐々に出てくることを恐れているのだ。だから安倍政権は、やたら「収束作業を国が率先する、資金を提供」と言い出したのである。とにかく、東京オリンピックを実現したい、世界の反対世論を抑えるために資金を投入し、「安全」をひろめたいのだ。「収束」なんかできるわけがなくてもがむしゃらに、ウソでも「安全福島原発」「東京安全」をアピールしなければならないのだ。

しかし、現実は違う。世界は知っている。フクシマを見ている。


「安倍さんは安全性を確認して原発を再稼働させるといっています。それならば、福島原子力発電所を安全性を確認しないで稼働させたいのですか、と聞きたくなります。福島原子力発電所も、かつての自民政権が安全性を確認して許可を与えたのです。福島だけではありません。これまで58基の原発が動いてきましたが、そのすべてが、自民党政権が安全性を確認した、と言って稼働を認めた原発です。そして、事実として福島でこれだけの事故が起きています。安全性は確認できなかったのです。その事故の原因もまだわからない、現場に立ち入ることすらできないという状況の下でどのように「安全性を確認」するというのか。そんなことができる道理がないのです。・・・まことに正気の沙汰ではありません」(「世界」10月号。小出裕章氏インタヴュー)

さて、安倍政権の経済至上主義の象徴である原発輸出、輸出先の国民の命に対する安全を保証しないまま日立や東芝といった企業の利益のためだけで強行する産業優先政策は様々な分野で現れていますが、北欧諸国における市民生活を第一に考える政策を見聞するとき明確にその違いとアベノミクスの反社会性を実感できました。日本は、市場競争主義=がんばるものだけを支援し、がんばらないものは切り捨てられても仕方ない=、それしか日本は持続できない、などという考えを基本にし、社会保障、福祉政策においては「公助」は二の次、「自助」主義を理念にしている。それに対し、北欧諸国は、所得に応じて税金(超過累進課税)を集め、給付(所得再配分)では医療や教育や育児などの領域において全国民が平等に(無料で)享受できるように、公助が基本理念になっているため、人々は安心して生活しています。インタビュしても高い税金への不満はほとんどなく生活に満足している、との答えが返ってきた。

(写真1:男女平等で働き育児もふつうに男性が長期の育児休暇をとり、パパも育児に専念している風景が公園などでたくさん見られた)

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 一方、わが国は、平均月給35.8万円の1985年生まれ男性の年金が現在の16万円から7.7万円に急減するとの試算がでている(週刊ダイヤモンド2013/09/14日号)ことに表れているように将来生活の不安は極まっている。なぜこうも違うのか。国民本位よりも企業優先、なんでも市場の競争原理に任せる経済・社会政策にまい進しているからだ。そしてさらにその推進に躍起になっている。命より原発エネ、市民の生活より大企業・輸出企業への支援が大事、福祉分野でも競争原理で市場化する、等々・・・ いよいよ狂ってきた日本。

産業優先だから、クルマ企業優先だから、交通政策においても、歩道はないがしろで車道を大きくとり、自転車事故が急増していても専用レーンは作らない、置いてきぼり・・・といった自動車優先主義。

一方、北欧ではクルマ優先社会ではなく、安心して暮らせる交通政策。クルマ、歩行者、自転車が余裕で共存している。排気ガスを抑制し環境破壊の進行をできるかぎり食い止める行政が行われている。

 (写真は、ストックホルムでの3者専用レーン。安心して歩く人、きれいな大気のなか快適に通勤する自転車)

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人間本位の国家理念は、国鉄の車両などにおいても実現されている。ノーマライゼーション(
ノーマライゼーションとはだ。(日本では国鉄民営化はスピードアップと産業力には寄与したが、健常者本位で弱者や乳児などへの配慮は欠落したままで非人間性は進んでいる)

(写真は、デンマーク国鉄の車両。自転車はもちろん、乳母車、車イスが普通に乗り入れられるスペースが用意されている)
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このような政府、公助による自然保護、公園の保全のもと市民は、自然享受権をもって、広大な自然公園の中で、有機野菜栽培を楽しむ、といった素晴らしい生活を過ごしています。

 (写真-2枚-はストックホルムの ローゼンダルスの有機野菜公園。ボランティアで栽培に参加している女子学生にインタビュすると、自然の中での活動は素晴らしく100%満足している、と答えていた)

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自然や環境を大切にすることでは、風力発電の普及政策も目を見張るものがあった。
(写真は、デンマークのコペンハーゲンの海上風力発電。電力供給の20%、ほかの再生エネルギーを併せて50%(残りは火力)、原発に頼らない供給をおこなっている
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フクシマで世界に多大な被害を及ぼし続け、いまだ全く収束の目途も無いままに、それにもかかわらず原発輸出、再稼働を推進する安倍政権日本は狂気の沙汰である。

北欧の見聞から、この日本のみじめさ、文化の劣化からなんとしても脱出したい、という感を強く持った。

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