飯能駅南口から出て東西に伸びる道路を西に向かうと、その正面に質素な神社がある。
境内地は狭いが、三座宮稲荷神社と秋葉神社が肩を並べるように鎮座している。

三座稲荷神社 (3)
並んで建つ三座宮稲荷神社(左)と秋葉神社(右)

秋葉神社は創建時期は解らない。
祭神は火の神である迦具土(カグツチ)を祀る。

『新編武蔵風土記稿』によれば能仁寺持ちで、明治時代までは中央公民館に隣接する旧図書館の地にあった。
江戸時代に市が立てられ賑わった場所で、当時栄えた飯能の殷賑も、眼下を行き交う西川材の筏も見守っていたに違いない。

三座稲荷神社 (2)

飯能縄市之図
『新編武蔵風土記稿』の飯能縄市の様子矢印の場所に稲葉神社が見える

秋葉神社は遠江周智郡の秋葉山権現を信仰する講の寄り合い所である。
秋葉大権現は火除けの霊験があり、町の防災の神様だったのであろう。残念ながらその霊験も飯能戦争では効き目がなく、飯能は焦土となった。

一方の三座宮稲荷神社は、祭神は稲荷らしく穀物の神である宇迦魂之命(ウカノミタマ)を祀る。
 
三座稲荷神社 (1)

飯能の街並みの外れに鎮座しており、周辺は明治時代から大正時代にかけて歓楽街として栄えた土地である。おそらく商売繁盛の神としても信仰されたのであろう。そしてそこに生きた人々の喜怒哀楽も見守ったに違いない。

子供図書館入り口の交差点から、飯能駅南側を抜ける新道は私が生まれた昭和30年代中頃に作られたものであるが、この道路建設時に社地も削られたようである。

さして深い由緒は無いのかも知れないが、『飯能市史 社寺教会編』では採り上げられていない。
華やかだった頃の飯能を知る神社であることを考えれば寂しく感じる。

飯能町明治初年
明治初年の周辺地図、地図の三座稲荷は「至る」という意味らしい


飯能を舞台とした牧野吉晴の小説『青山白雲』の作中で、この稲荷神社らしきものが登場する。

「田舎芸者に身を沈めて浮上する術もない」という小染と画業を志す立花太郎は、指定地(町が認めた歓楽街をこう呼んでいた)の一角にある稲荷神社で落ち合う。
そして若い二人は人目を避けて歩き、月光の中を河原に降りてゆく。
そして小染のように飯能の歓楽街で働く女性について次のように書いている。

「心の隅で、憧れてゐる人妻の生活は、彼女たちのやうな、かなしい家業の妓たちが、暗夜の灯のやうに求めてゐる希望の姿だつた。とは云へ、彼女たちのそのやうな望みは、夢の中の夢のやうに頼りなく果敢いものだつた。」

明治から大正、昭和初期の飯能の一角で働いていた多くの女性達の姿と、その想いがここには優しく描写されている。
三座宮稲荷はそうした女性達の儚い青春を見守り、ささやかな願掛けにも応えていたに違いない。
指定地と呼ばれた道筋は別名を「婦美町」とも云われたという。

長い時の流れの中、原野が拓かれ町ができ、人が集まり栄え、やがて衰え人が去り殷賑の時代は忘れ去られてゆく。
三座宮稲荷と秋葉神社は、華やかだった時代から退場するように、かつて手を合わせた人々の願いとともに静かに鎮座している。
今は大きく曲がって走る道路を行き交う自動車の安全を静かに見守っているようだ。

旧二丁目
1946年当時の航空写真


場所はこちら 

※ 2013/7/4に加筆訂正済み。



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