2009年11月16日
鉢形城 −Hachigata Castle
30年ぶりに鉢形城を訪れた
今のように城巡りをする人は多くなかった頃の話し
まだ学生だった私は、作文のレポートに鉢形城のことを書いた記憶がある
確か「喧騒」「饒舌」など幾つかのキーワードとなる言葉を
必ず入れて書くという作文だった
私はその直前に訪れていた鉢形城のことを書いたのである
記憶を辿れば荒川を渡る橋は今よりもずっと交通量が多かったように思う
その橋のたもとから入る城址は、当時外界の喧騒を遮断するように鬱蒼とした木々に守られていた
今回は鉢形城歴史館を見学したのち、当時とは逆のルートから城を見て歩いた
二の丸や秩父曲輪は美しく整備・復元されていて当時とはまったく見違えてしまっている

1978年9月

2009年11月
本丸はまだ整備されておらず、眠りに就いたままだった
しかし古城ファンとして、復元された戦国時代の姿を見たいという願望とは別に古城の風情も楽しみたいという気持ちもある
鉢形城の本丸は30年前とあまり変わらず古城の風情を感じさせてくれる
樹木が取り払われ整備された二の丸や秩父曲輪と、落城の悲哀を滲ませながら土に還りたがっている本丸が現在の鉢形城のコントラストである

秩父曲輪と四脚門
井伏鱒二先生に『武州鉢形城』という作品があった
確か家を新築(改築?)する時に大工が持ち込んだ材木の中に小さな穴が空いたものがあり、それが弾痕で、大工に問い質すと鉢形城址から伐採してきたのだという話しだったように思う
城主であった北条氏邦は秀吉の小田原攻めで北条氏が滅んだのちは加賀前田家の食客となり、息子は前田慶次郎の娘を娶っている
故郷を遠く離れた北陸の地で氏邦はどのような日々を送ったのだろうか
『小田原北条記』では「見るべきところがない人物」と書かれている
しかし死後に鉢形の地に戻った時に行われた法要では参列者の行列が一山越えるほどであったという

三つ鱗
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今のように城巡りをする人は多くなかった頃の話し
まだ学生だった私は、作文のレポートに鉢形城のことを書いた記憶がある
確か「喧騒」「饒舌」など幾つかのキーワードとなる言葉を
必ず入れて書くという作文だった
私はその直前に訪れていた鉢形城のことを書いたのである
記憶を辿れば荒川を渡る橋は今よりもずっと交通量が多かったように思う
その橋のたもとから入る城址は、当時外界の喧騒を遮断するように鬱蒼とした木々に守られていた
今回は鉢形城歴史館を見学したのち、当時とは逆のルートから城を見て歩いた
二の丸や秩父曲輪は美しく整備・復元されていて当時とはまったく見違えてしまっている
1978年9月
2009年11月
本丸はまだ整備されておらず、眠りに就いたままだった
しかし古城ファンとして、復元された戦国時代の姿を見たいという願望とは別に古城の風情も楽しみたいという気持ちもある
鉢形城の本丸は30年前とあまり変わらず古城の風情を感じさせてくれる
樹木が取り払われ整備された二の丸や秩父曲輪と、落城の悲哀を滲ませながら土に還りたがっている本丸が現在の鉢形城のコントラストである
秩父曲輪と四脚門
井伏鱒二先生に『武州鉢形城』という作品があった
確か家を新築(改築?)する時に大工が持ち込んだ材木の中に小さな穴が空いたものがあり、それが弾痕で、大工に問い質すと鉢形城址から伐採してきたのだという話しだったように思う
城主であった北条氏邦は秀吉の小田原攻めで北条氏が滅んだのちは加賀前田家の食客となり、息子は前田慶次郎の娘を娶っている
故郷を遠く離れた北陸の地で氏邦はどのような日々を送ったのだろうか
『小田原北条記』では「見るべきところがない人物」と書かれている
しかし死後に鉢形の地に戻った時に行われた法要では参列者の行列が一山越えるほどであったという
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2009年09月30日
鷺 −SAGI
外国から来られた方は時に日本人以上に日本文化の本質を見抜くことがある
明治時代に大森貝塚を発見したE・S・モースは
「あっさりして魅力に富む芸術」と称賛した
B・H・チェンバレンは日本人の趣味は「渋み」と看破し
日本文化には「大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどしはない」と言っている
それから100年以上も経ったが、経済的な繁栄を勝ち得た現代の日本でもその本質は大きくは変わっていないように思う
家紋もまた華美を嫌い簡潔に描かれる
海外の目は自己抑制により洗練された文化は高い精神性として受け止める
明治時代に『怪談』などの作品を書いたラフカディオ・ハーンも日本文化に魅力を見出した人物である
彼は、旧松江藩士族の娘小泉セツと結婚し日本国籍を得て小泉八雲と改名した

日本に生きた八雲は独自の家紋を作っている
八雲は「ヘルン」と呼ばれることを好んだという
それは旧名のハーンをローマ字読みした発音である
八雲は自らの家紋を設定する際に、この旧姓の発音に似たサギ(Heron)を選んだ
それはアイルランドの八雲の祖先ノールタンバランド・フォードの城主だったハーン家の紋章でもあったという
サギは八雲の血筋を見守る幸運の鳥なのだろう

八雲の孫である小泉時氏が、太平洋戦争の時に撃沈された際に、救助してくれた水雷艇の船名もまた「さぎ」であったという。

家紋は知的

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明治時代に大森貝塚を発見したE・S・モースは
「あっさりして魅力に富む芸術」と称賛した
B・H・チェンバレンは日本人の趣味は「渋み」と看破し
日本文化には「大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどしはない」と言っている
それから100年以上も経ったが、経済的な繁栄を勝ち得た現代の日本でもその本質は大きくは変わっていないように思う
家紋もまた華美を嫌い簡潔に描かれる
海外の目は自己抑制により洗練された文化は高い精神性として受け止める
明治時代に『怪談』などの作品を書いたラフカディオ・ハーンも日本文化に魅力を見出した人物である
彼は、旧松江藩士族の娘小泉セツと結婚し日本国籍を得て小泉八雲と改名した
日本に生きた八雲は独自の家紋を作っている
八雲は「ヘルン」と呼ばれることを好んだという
それは旧名のハーンをローマ字読みした発音である
八雲は自らの家紋を設定する際に、この旧姓の発音に似たサギ(Heron)を選んだ
それはアイルランドの八雲の祖先ノールタンバランド・フォードの城主だったハーン家の紋章でもあったという
サギは八雲の血筋を見守る幸運の鳥なのだろう
八雲の孫である小泉時氏が、太平洋戦争の時に撃沈された際に、救助してくれた水雷艇の船名もまた「さぎ」であったという。
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2009年08月09日
風車 −kazaguruma
夏の休暇ということで長野県の奈良井宿へ行ってきた
静かな佇まいだったが、江戸時代には木曽路一番の賑わいだったという
現在も当時の面影をよく残し、昭和53年5月には国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている

土産物屋で風車を見つけ、その可愛らしさについ購入してしまった
この風車も家紋なっている
家紋の本ではその形状の面白さから家紋にしたとするものが多い
中には子供の玩具をただ家紋にしたのだというものもある
この風車が古くから奈良井宿の周辺にあった民芸品なのかは判らない
会津地方では初音(竹笛)、起き上がり小法師と並んで会津三縁起とされ、家族の繁栄や無病息災を祈願して正月に神棚に飾られるという

羽根は赤い豆で止められることから、一年を通してマメにクルクルと元気に働けるようにとの願いも込められる
家紋とされたのはこうした吉祥的意義を明確に持っていると考える
奈良井宿でもし風車を見かけたらお求め下さい
ささやかな願いがささやかな幸福を運んでくれるかも知れません
さて我が家には神棚というものが存在しないのだが、とりあえず風の通る窓際に差しておこうか…

風車 丸に八本骨風車
『寛政重修諸家譜』に片桐氏、関氏、島氏、室氏、山崎氏が載る。
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静かな佇まいだったが、江戸時代には木曽路一番の賑わいだったという
現在も当時の面影をよく残し、昭和53年5月には国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている
土産物屋で風車を見つけ、その可愛らしさについ購入してしまった
この風車も家紋なっている
家紋の本ではその形状の面白さから家紋にしたとするものが多い
中には子供の玩具をただ家紋にしたのだというものもある
この風車が古くから奈良井宿の周辺にあった民芸品なのかは判らない
会津地方では初音(竹笛)、起き上がり小法師と並んで会津三縁起とされ、家族の繁栄や無病息災を祈願して正月に神棚に飾られるという
羽根は赤い豆で止められることから、一年を通してマメにクルクルと元気に働けるようにとの願いも込められる
家紋とされたのはこうした吉祥的意義を明確に持っていると考える
奈良井宿でもし風車を見かけたらお求め下さい
ささやかな願いがささやかな幸福を運んでくれるかも知れません
さて我が家には神棚というものが存在しないのだが、とりあえず風の通る窓際に差しておこうか…
風車 丸に八本骨風車
『寛政重修諸家譜』に片桐氏、関氏、島氏、室氏、山崎氏が載る。
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2009年07月18日
坂本龍馬の家紋 -sakamoto ryoma
2010年の大河ドラマは『龍馬伝』らしい

坂本龍馬の家紋は組み合い角に桔梗紋といい、食い違いにした「角」の中に桔梗を描く

この家紋と光秀が居城した坂本の地名を絡めて坂本家は明智光秀の落胤という説もある
坂本家初代の太郎五郎の墓石には山城国生まれで、弘治・永禄年間(1555〜1570)に畿内から移ってきたことが記されている
もしこれが事実であるなら天正10年(1582)に死んだ明智光秀の後胤説は否定される
本家は紀姓大濱氏を称し、家紋も丸に田の字紋であった

八郎兵衛正禎の時に分家して坂本を称し、龍馬は正禎の死後約100年を経て誕生することになる
おそらく桔梗紋も分家を立てるにあたって新たに設けたのではなかろうか
大濱・大浜姓は初代の太郎五郎の墓石に書かれたことを裏付けるように大阪府東大阪市付近に多くみられる
家紋としては柏紋が多いようだ
坂本家のルーツの真相は判らないし、伝えられてきた口伝も血の通った歴史の一つである
龍馬という稀代の英雄を輩出するまで坂本家にとって明智光秀という有名人は寄す処であったのだろう
平家落人伝説や源義経生存説など歴史のロマンは尽きないようである
幕末は面白い!

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坂本龍馬の家紋は組み合い角に桔梗紋といい、食い違いにした「角」の中に桔梗を描く
この家紋と光秀が居城した坂本の地名を絡めて坂本家は明智光秀の落胤という説もある
坂本家初代の太郎五郎の墓石には山城国生まれで、弘治・永禄年間(1555〜1570)に畿内から移ってきたことが記されている
もしこれが事実であるなら天正10年(1582)に死んだ明智光秀の後胤説は否定される
本家は紀姓大濱氏を称し、家紋も丸に田の字紋であった
八郎兵衛正禎の時に分家して坂本を称し、龍馬は正禎の死後約100年を経て誕生することになる
おそらく桔梗紋も分家を立てるにあたって新たに設けたのではなかろうか
大濱・大浜姓は初代の太郎五郎の墓石に書かれたことを裏付けるように大阪府東大阪市付近に多くみられる
家紋としては柏紋が多いようだ
坂本家のルーツの真相は判らないし、伝えられてきた口伝も血の通った歴史の一つである
龍馬という稀代の英雄を輩出するまで坂本家にとって明智光秀という有名人は寄す処であったのだろう
平家落人伝説や源義経生存説など歴史のロマンは尽きないようである
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2009年06月29日
女性を魅了する家紋 −rekishi dokuhon 8/2009
『歴史読本』今月号の連載「家紋拾遺譚」は
女性が好みそうな家紋を幾つか取りあげさせて頂きました
この題材は編集の方からのご要望で
個人的に難しい題材と思いましたが
案に相違せずやはり難しかった(^^;
本文中に…
KAMONジェネレーターのデザインを担当した
家紋デザイナー沖のりこ氏
戦国武将を優れたデザインで表現する
「兜−kabuto−」の橋本嘉代子氏
を紹介させて頂いています
採り上げた家紋は
後ろ向き三匹兎 梅枝丸 兜貝

丸に千鳥 夕顔蔓の内に源氏半車 丸に結び雁金

そして…
結び文

それぞれに深い意味を持つことを
多くの方は知らずに用いている
意味を知ると家紋はもっと愛おしくなりますよ
メインの特集は古代史ファンなら必読
「古代史を書き換える 21の新・論点」です

歴史読本 2009年8月号
どうぞお買い求め下さい
歴史ブログの宝庫

女性が好みそうな家紋を幾つか取りあげさせて頂きました
この題材は編集の方からのご要望で
個人的に難しい題材と思いましたが
案に相違せずやはり難しかった(^^;
本文中に…
KAMONジェネレーターのデザインを担当した
家紋デザイナー沖のりこ氏
戦国武将を優れたデザインで表現する
「兜−kabuto−」の橋本嘉代子氏
を紹介させて頂いています
採り上げた家紋は
後ろ向き三匹兎 梅枝丸 兜貝
丸に千鳥 夕顔蔓の内に源氏半車 丸に結び雁金
そして…
結び文
それぞれに深い意味を持つことを
多くの方は知らずに用いている
意味を知ると家紋はもっと愛おしくなりますよ
メインの特集は古代史ファンなら必読
「古代史を書き換える 21の新・論点」です
歴史読本 2009年8月号
どうぞお買い求め下さい
2009年06月20日
一文字紋 −Ichimonji
北鎌倉の山ノ内にある明月院はあじさい寺として有名だ
明月院は平治の乱で没した首藤俊通の菩提を弔うために
建てられた明月庵が起源という
本堂前には大きな香炉が据えられているが
そこには陰陽色違いの一文字が描かれている
この一文字が山ノ内を本拠とした山内首藤氏とその子孫が
用いた家紋である

周易では一文字を「カタキナシ」と読んで無敵を意味し
武家にとって相応しい紋章である
石田三成の大一大万大吉紋なども山内氏が用いた紋で
室町時代に流行った幸若舞の『夜討曾我』に登場する
近世になって講談の『曾我物語 夜討曾我紋づくし』に
登場するときには石田判官為久の家紋に替わっている
これは石田三成が用いた紋を同じ姓の石田判官為久に
当てはめたのであろうか

那須与一で有名な那須一族は藤原北家流というが
首藤氏の一族であるとする説もあり
用いる一文字紋は首藤氏説を補強する

山内一文字 丸に一文字 大吉大一大万 大一大万大吉
カタキナシ!

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明月院は平治の乱で没した首藤俊通の菩提を弔うために
建てられた明月庵が起源という
本堂前には大きな香炉が据えられているが
そこには陰陽色違いの一文字が描かれている
この一文字が山ノ内を本拠とした山内首藤氏とその子孫が
用いた家紋である
周易では一文字を「カタキナシ」と読んで無敵を意味し
武家にとって相応しい紋章である
石田三成の大一大万大吉紋なども山内氏が用いた紋で
室町時代に流行った幸若舞の『夜討曾我』に登場する
近世になって講談の『曾我物語 夜討曾我紋づくし』に
登場するときには石田判官為久の家紋に替わっている
これは石田三成が用いた紋を同じ姓の石田判官為久に
当てはめたのであろうか
那須与一で有名な那須一族は藤原北家流というが
首藤氏の一族であるとする説もあり
用いる一文字紋は首藤氏説を補強する
山内一文字 丸に一文字 大吉大一大万 大一大万大吉
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2009年05月29日
家紋の話をする −Tea time seminar
講演や講義というほどでもなく
家紋の歴史についてお話を聴きたいという依頼が来ました
少し遠かったのですが交通費も出して下さるということで
簡単にテキストを作って行ってまいりました
わずか6人の歴史好きの方々で
同好会と言うのもおこがましいと笑ってらっしゃいました
お茶を飲みながらティータイムセミナーという感じで
家紋の歴史についてお話ししましたが
少人数ということもあり質問のやり取りも自由でした

話しているうちに皆さん戦国時代のことに
強い興味を抱いているようでしたので
家紋のことだけではなく戦国時代の話しもいたしました
もちろんそれぞれの方がお使いになる家紋についても
個別に説明させていただきましたが
気心が知れた少人数ということもあり
ほぼ雑談のようでした
あっと言う間の2時間+αで
リラックスして聴けて質問もその都度できるし
皆様も大人数が集まる講演を聴きに行くより
よっぽど楽しかったと仰って下さいましたが
しゃべる私の方も同じでした
小さな同好会や学校の部活動、オフ会など
また単なる友人同士のような集まりにも
行ける範囲であればお話しをしに出向きます
ただし有料ですが…
ご興味が御座いましたらお問い合わせ下さい
ティー・ブレイク(^^)

家紋の歴史についてお話を聴きたいという依頼が来ました
少し遠かったのですが交通費も出して下さるということで
簡単にテキストを作って行ってまいりました
わずか6人の歴史好きの方々で
同好会と言うのもおこがましいと笑ってらっしゃいました
お茶を飲みながらティータイムセミナーという感じで
家紋の歴史についてお話ししましたが
少人数ということもあり質問のやり取りも自由でした
話しているうちに皆さん戦国時代のことに
強い興味を抱いているようでしたので
家紋のことだけではなく戦国時代の話しもいたしました
もちろんそれぞれの方がお使いになる家紋についても
個別に説明させていただきましたが
気心が知れた少人数ということもあり
ほぼ雑談のようでした
あっと言う間の2時間+αで
リラックスして聴けて質問もその都度できるし
皆様も大人数が集まる講演を聴きに行くより
よっぽど楽しかったと仰って下さいましたが
しゃべる私の方も同じでした
小さな同好会や学校の部活動、オフ会など
また単なる友人同士のような集まりにも
行ける範囲であればお話しをしに出向きます
ただし有料ですが…
ご興味が御座いましたらお問い合わせ下さい
2009年05月12日
柏 − Kashiwa
柏とは炊ぐ葉(かしぐは)という意味を持ち
古代より大きな木の葉は食膳として用いられたが
いつしか柏だけがその名を引き継いだ
神々に供える御饌(みけ)の食器としても用いられ
春日大社などでは今でも柏の葉が用いられている
朝廷に海産物を収めた国を御食国(みけつくに)といい
担当した氏族のひとつに膳氏(かしわでうじ)がいた
神事と深く結びついた柏の葉は
柏手(かしわで・はくしゅ)の語源ともなっている
信仰的な意義を持って家紋となったが
また柏は枯れても春まで落葉せず
新芽が出るのを待つことから
代を継いでゆく吉祥的な意義もある
『太平記』には
「三つ葉柏の旗の見へたるは 敵か味方か と
問い給へば熱田の大宮司百騎ばかりにて侍奉る」と出てくる
また伊勢神宮外宮の久志本氏や卜部氏など
神官などに用いられることが多い家紋である
柏木に 冬は葉もりの 神わさも
しけくやぬさと 霰ちるらん
違い柏 丸に抱き柏 丸に三つ柏
丸に三つ蔓柏 三つ芋柏 柏巴
奥州葛西氏の家紋として有名である。大名では土佐高知山内家、豊後中津中川家、越後長岡牧野家、阿波徳島蜂須賀家などが用いる。
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2009年04月28日
講演 「家紋の歴史」
4月25日(土)、飯能市郷土館で講演を行いました
題材は「家紋の歴史」
家紋が誕生する黎明期から
武家が用い始めた源平の頃の様子
家紋が描かれた旗印が戦場を駆け巡った南北朝時代
戦国時代から太平の世に移り変わる世の
家紋の役割の変化
そして庶民へ浸透してゆく様子まで
また、個々の家紋が持つ意味や
その家紋を用いた氏族の説明
地元飯能の豪族中山氏の家紋の説明も行いました
講演時間は一時間半でしたが
少し内容を欲張りすぎたせいか
話せないことも多くありました
講演のご依頼は随時受け付けております
ご相談は右のメール・フォームをご利用下さい
2009年04月22日
菫 − Sumire
スミレはViolaといい「紫色の」という意味があるらしい
人里に近くに見かけることも多く
ちょっとしたコンクリートの隙間などからも芽を出す

「菫ほどな ちいさき人に 生まれたし」
と詠んだのは夏目漱石であった
漱石も若き頃は小さな菫に憧れる心を持っていたのである
それともただ若かかりしゆえの自己否定ででもあったのか
過剰な自己尊大意識からか
晩年を多くの病気と共に生きた漱石は
菫のようには生きることができなかったのかも知れない
小さな菫は小さい故に人の心を震わせるのである
昔見し 妹が墻根は 荒れにけり
つばなまじりの 菫のみして

一つ菫 三つ葉菫 抱き菫
歴史はお好き?

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人里に近くに見かけることも多く
ちょっとしたコンクリートの隙間などからも芽を出す
「菫ほどな ちいさき人に 生まれたし」
と詠んだのは夏目漱石であった
漱石も若き頃は小さな菫に憧れる心を持っていたのである
それともただ若かかりしゆえの自己否定ででもあったのか
過剰な自己尊大意識からか
晩年を多くの病気と共に生きた漱石は
菫のようには生きることができなかったのかも知れない
小さな菫は小さい故に人の心を震わせるのである
昔見し 妹が墻根は 荒れにけり
つばなまじりの 菫のみして
一つ菫 三つ葉菫 抱き菫
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