友枝真也です。
今日は第三回公演の能「班女」のあらすじを見てみようと思います。
お能も演劇の一つである以上、ストーリーも非常に重要な要素です。例えば前回第二回燦ノ会での「国栖」などはストーリーの展開が一曲の劇的要素の大きな一端を担っています。それに対して、「班女」ではむしろストーリーの流れよりも主人公であるシテの情緒、そしてそれを表現する言葉が「班女」という曲を愉しむための大切なファクターになっているのですが、だからこそ、そのいわば言わずもがなのストーリーはきっちり押さえておきたいところです。というわけで、実際の舞台の進行に沿って、班女の物語を追いかけてみましょう。
まず最初に美濃の国、野上の宿(今の関ヶ原の付近)の長である狂言が登場します。そしてこの春吉田少将という人が東国に下る途中に来て以来、花子という遊女が少将が形見として置いて行った扇を眺めてばかりで、他の客に会おうとしないこと、そしてその様子を見た人々が花子を班女と呼ぶようになったことを話し、花子(して)を呼び出して野上の宿から追放してしまいます。花子は泣く泣く野上の宿を後にする他ありませんでした。(中入)
花子がいなくなったあと秋になってようやく吉田少将が野上の宿に戻ってきますが、花子はいなくなっており、仕方なく都へ帰り、糺(下鴨神社)へ参詣に訪れます。
そこへ一人の狂女(後して)が現れます。この狂女こそ花子の成れの果ての姿なのですが、輿(こし)に乗ったわきにはそうとはわかりません。
わきの従者に物狂いであることをからかわれるまま、狂女は自分の思う人からの便りがないことを嘆き、一人でいるわが身を喞(かこ)ち、そして形見の扇に思う人を偲び中国の故事を引いた言葉を尽くして舞い狂います。
ようやく、その扇に執着する狂女にそれと気がついたわきが、かつて取り交わした扇を見せあい、二人は元の契りの仲に戻ることができたのでした。
以上、班女のあらすじを駆け足で追って見ました。
次回からはこのお能の重要な伏線である、「おうぎ」という言葉、糺の森という場所、そしてそもそも「班女」という曲名の由来でもある班婕妤の詩などを取り上げて見たいと思います。
第三回燦ノ会公演は10月18日、目黒の喜多能楽堂にて18時30分より開演いたします。
チケットのお申込みは
喜多能楽堂電話03ー3491ー8813
または燦ノ会ホームページのチケットお申込みフォームからでもお申込みいただけます。皆様のご来場心よりお待ち申し上げております。


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糺の森を流れる御手洗川


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下鴨神社。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。今年二月に撮った写真で季節はずれの雪まじりですf^_^;)
上賀茂神社と併せての葵祭が有名ですね。じつはこの「あおい」という言葉にも隠喩が込められているのです。