友枝真也です。
今回班女を勤めるにあたって、色々なことを調べました。今はインターネットがあって(勿論全部が全部正しいわけでもなく、なのでこの記事もその程度に流し読みをしていただければ、と思います)あっという間に様々な資料が揃いますし、欲しい本も二三日で家に届きます。
蓋を開けてみると班女というお能は、調べて行けば行くほど底知れぬ詩と歌の世界が広がっていて、どういう順番でお話ししてよいやら、という状態になってしまいました。
まずはしてである遊女花子が好きな男の形見の扇を手放さないことで、なぜ班女というあだ名がつけられたか、について書こうと思います。御存知の方も多いとは思いますが、これは前漢時代の末期の皇帝成帝に寵を受けた班倢妤(はんしょうよ 倢妤とは皇后の下の女官の役名だそうで、日本でいうと、女御とか更衣でしょうか)が、帝の寵愛を失って捨てられる我が身を扇に例えて作った詩が元になってます。
その詩を見てみましょう。漢詩を横書きにするのは違和感甚だしいのですが…。

怨歌行
新裂斉紈素 鮮潔如霜雪
裁為合歓扇 團團似名月
出入君懐袖 動揺微風発
常恐秋節至 涼風奪炎熱
棄捐篋笥中 恩情中道絶

(読み下し)
新に斉の紈素を裂けば 鮮潔にして霜雪の如し
裁ちて合歓の扇となせば 團團として名月に似たり
君が懐袖に出入し 動揺して微風発す
常に恐る秋節の至りて 涼風炎熱を奪ひ
篋笥の中に棄捐せられ 恩情中道に絶えんことを 

(大意)
斉の国の新しい布裂くと雪のように真っ白い
その布を切って貼り合わせて扇を作ったら月のようにまん丸になった
我が君の懐に収まり、動いては風を生み出す
秋が来て涼しい風が火照った身体を冷ましてしまうのが怖い
(扇が)箱の中に捨てられるように我が君のお気持ちが絶えてしまう(のが辛い)


さて、ここで扇と書いてあるのは、実は扇ではなくて団扇のことです。
実は所謂扇子は奈良時代かそれ以降頃に日本で出来たもので、前漢の時代には存在しなかったものなのです。もともと扇子の起源は笏といわれています。紙が貴重だった時代に紙の代わりにメモするために持っていた笏ですが、一枚だと容量が少ないのでそれ重ねて束ねたのが日本の扇子の起源といわれています。平安時代に檜扇といわれる美しく装飾の施された扇子があるのは御存知のとおりです。
そもそも扇とはその字が示すように戸が羽のようにパタパタする様子を表す字であって、決して折りたたむという意味はなかったのです。ですから、団扇とはその字の通り団(丸くて)扇(パタパタするもの)という意味です。
ちなみに今回こんなことを調べるていくうち、我々能楽師は扇(おうぎ)という言葉を普通に使いますが、少なくとも私の周りの人たちは扇子(せんす)という言葉の方を普通に使うということに気がつきました。ただし、私達の言う扇とは舞うための道具で一般的な扇子とは暑い時にあおぐための道具という違いはありますが。

下の写真は能で使う唐団扇と呼ばれるもの。天鼓、楊貴妃、枕慈童など中国が舞台のお能でしてが扇の代わりに持ちます。
画像1画像1


さてこの怨歌行と題された詩は文選その他の詩集に載せられ人気を博します。李白、王維など唐代を代表する詩人もこの班倢妤に寄せた詩を作っている程です。ですから、唐代の文人を始め、平安時代の貴族たちにとっては、「班女の扇」という故事はかなりポピュラーなものだったわけです。

次回はこの怨歌行が平安時代を経て、中世のアレンジを受けるのをみて見たいと思います。
いわば唐(から)の国の団扇が日本の扇へと姿を様子を頑張って文字にしたいと思います。