2005年09月19日

地域教育を考える!  敬老会編

敬老会 ヨサコイ地域の「敬老のつどい」が18日に開催されました

わが地域も少子高齢化の波が押し寄せ、この「敬老のつどい」の参加者も年々増えています。

 

式典の後、子ども会の5・6年生による「ヨサコイ」をはじめ、高齢者の方ご自身が日頃から鍛えてらっしゃる大正琴、日本舞踊、歌、リズムダンスなどのアトラクション発表や地域歌謡クラブの歌謡ショーなどで午前中の短い一時を楽しんでいただきました。

子ども会も毎年アトラクションに参加しています。今までは、合唱、寸劇、踊り、マジックなどを練習して高齢者の方にみていただいていましたが、最近の子どもはやはりおとなしくなってきたというのが実感です。練習時間の確保も大変なので昨年からは、夏祭り用に練習した「ヨサコイ」を見ていただくことにしました。

 


増える思いやりのない子!

昨今、子どもによる凶悪な犯罪が増加しています。その度に「思いやりのない子」が増えているだとか「命の重さを理解できない子どもが多くなっている」などの批評をよく耳にします。

それでは、子どもに「思いやりの心」を植え付けるにはどうすればいいのだろう。「命の重さ」を理解させるにはどうすればいいのでしょうか。

親と子の社会力 非社会時代の子育てと教育

以前にも紹介した本ですが、この「親と子の社会力」の中から著者の「命の重さ」を理解させる方法を引用する。(p187〜188)

「人が人の命の重さを実感できるようになるには、数多くの人たちを自分の中に取り込んでいなければならないということである。そのためには、様々な人たちと出会い交わり相互行為を繰り返すことで、そのような人たちを自分の中に取り込むこと以外にないということである。」

(中略)

「私たち大人が懸命になさねばならないのは、子どもに他者への関心、愛着、信頼感を育てることである。やり方は様々あろうが、要は、子どもたちができるだけ多くの人たち(とりわけ大人たち)と出会い交われる機会や場を増やすこと以外にないと心得るべきである。」

 

われわれは今まで地域の子どもたちにできるだけ多くの大人たちと関わりを持てる機会をつくってきた。特に今回の敬老のつどいは高齢者の方ばかりの集まりである。子どもたちの若い親とは違い、高齢者の方と接することは子どもたちにも「老い」ということを考える機会になってくれればと思う。

また、わが地域では冬季に、子どもたちが高齢者の方から「楽しい昔の遊び」を教えていただく機会も設けている。このようにできるかぎり多く大人と接する場をつくっていきたいと考えている。

これについてはまたあらためて紹介いたします。

 

また、著者は昨今の学力低下についても興味ある意見を披瀝しているので少し長くなるが紹介してみたい。(p144)

 

 北海道大学医学部の澤口俊之教授ら脳科学者がいう「社会脳仮説」によれば、人間の脳が身体の容量に比して大きくなり、それだけ機能を高くする方向で進化してきたのは、人間は社会をつくり、多くの人々といい関係を保ち、互いにもちつもたれつし合いながらでしか生き延びられなかったからだとされる。(澤口俊之『脳と心の進化論』日本評論社)。要するに、人が人とつながり社会をつくる力である社会力をつけるために、人間の脳は大きくなりその機能を高めてきたということである。

 ところが、その肝心の社会力が若い世代で衰弱しているという。では、社会力の衰弱はいったい何をもたらしているのか。脳科学者たちの説を踏まえて考えれば、若い世代の脳をそれだけ機能低下させていると理解するほかない。その結果が、彼らの学力低下を引起していると考えるのが妥当であろう。

 そのことを傍証する例を一つ紹介しておこう。東京大学グループは、2001年に行った学力調査の結果である。東京大学グループは、1989年に大阪大学グループが行った学力調査とまったく同じ問題を使い、しかも同じ大阪市の小学校と中学校の児童生徒を対象に行ったのであるが、その調査の結果によれば、現在「塾に通っている小学生」の成績は、12年前に「塾に通っていなかった小学生」の成績より悪くなっていたというのである(苅谷剛彦他『調査報告「学力低下」の実態』。要するに、いまや、子どもたちを塾に通わせても、思うように成績があがらなくなっているということである。

 

これはちょっと考えさせられますね!


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