2005年10月03日

欧洲蜃気楼

8339d679.jpg 列島を覆い尽くしていた夏の皮膜が、日を経るごとに一枚また一枚と剥離されていく。もう暦も10月を向かえ、その皮膜の残量は幾許ばかりか。全体を俯瞰すれば未だ確固と被覆されている域も探し当てられようが、夜の領域にそれは既に残ってはいまい。

 夏の皮膜が列島を覆い始める6月の終わりに、僕は所用で一人スウェーデンに赴いた。ろくに行くべき街について調べる事も無く、その街に関する唯一の情報は予約したホテルの住所を書きなぐったメモ用紙一枚のみ。往路の飛行機では早速泥酔し、乗り換えの飛行場では迷子となり、スウェーデンの飛行場からホテルまでの経路がわからず困惑し、目上の人に無礼な態度をとり、パーティーで飲みすぎて朦朧状態となるなど、まったくもって碌な事をしていないのだが、夜なお明るい奇妙な北欧の夏や、冷凛とした空気を思い出すにそれは僕の中で確かにひとつの美しい記憶のひとつに違いない。

 昨日の朝の冷たい気温は、乾燥した空気をして、僕に北欧での記憶を温度として懐かしませた。のみならず昨日という日は、冷蔵庫の中にさえ僕に北欧を思い起こさせる事象を呼び起こした。
 キャビアである。お土産にキャビアを3瓶ほど購入し、うち2瓶は友人と酒の当てとして食い尽くしたのだが、1瓶どうも存在を忘れていたようだ。それは調味料の瓶の裏に潜伏若しくは疎開していて、昨日ホイコウロを作るためテンメンジャンの瓶を取り出したときにひょっこりと姿を現した。
 北欧の思い出、及び、やった、酒のつまみだ。との喜び、しかしそれは瞬時に理性によって暗転させられた。
 塩漬けとはいえ相手は魚卵である。およそ3か月前の魚卵が、たとえ冷蔵庫に眠らせてあるとはいえ、はたして食用に耐えうるであろうか。5度に調整されているとはいえ冷蔵庫の中は決してチョウザメを捌いて卵を掻き出す北欧の冬とは等価ではない。
 蓋を開けることでその食用可否の判定は容易に下されるわけだが、万が一否とでれば、僕がわざわざ北欧まで出張って購入したそれは一度も僕の口に入る事無く無駄に捨てられることとなる。それはのみならずキャビアの瓶を見つけたときに感じた思い出に浸る柔らかな感情をも否定する、余りにも虚しい行為ではないだろうか。
 そう思うと万が一の折の覚悟が決められなくなり、それをシュレーディンガーの猫状態あづかりとすることで僕は採決を先送りする事にした。蓋が開けられない限りチョウザメの卵は腐っていないし同時に腐敗しているのだ。だがいつまでも観測を留まるわけにはいくまい。猫の死体は早々に埋葬してやら無いと箱からもれ出る「あれ」の為に部屋がえらいことになるだろうし、人間はいつまでも思い出にすがってばかりでは成長しないからだ。
 現実を直視せよ!
 覚悟が決まり次第僕はビールを用意してこいつの採決をくださねばなるまい。
 それは冷蔵庫に猫の屍骸を保存するような不気味な行いを正す意味合いもあるし、過去の記憶との決別、ひいては僕の人間性の向上のためでもあるのだ。

 或いは、5年前に横浜で購入したピータンと同じように、このキャビアもまた冷蔵庫の殿堂入りを果たしかねないだろうからだ。
 
 どちらにせよ前向きに善処したいと思う。参考までに昨日の酒量はビール一本にウヰスキー2杯とブランデー入りコーヒー。


kiti_guy at 00:44│Comments(0)TrackBack(0)

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