jizdmi5
いつ初めて声を掛けられたのかは全く記憶にない。どんなきっかけだったのか。

自分がどこにいるのかはなんとなく分かっていても、そこで何をすればいいのかはいまいち理解更年期出来なかった。まずはここにいなければいけないらしいとの決まり事を教えられる。そしてここ

にいるというだけで(いるのだから)、僕はどうやらふさわしい何かをしなくてはいけない状態にいつの間にかなっていた。
休み時間にはただ周囲を見回しながら、何もすることがない自分に少しだけ気がつく。授業中には先生の言うことをなんとなく聞き、書けと言われた文字をノートに写したりしていた。
何のためにそんなことをするのか分からず、周りの皆に合わせて筆記帳香港如新の見本に近づけるように文字の書かれた点線をなぞる。簡単な数の計算が繰り返し黒板の上で行われる。僕にも足す引く

掛ける割る……の計算くらいはある程度理解出来たので、自分の目の前に藁半紙のプリントが配られると、言われるままに目の前のそれを解いていった。

教室の後ろには一列にロッカーが並んでいたが、中ほど辺りで男子児童のR地に話しかけられていた。どんなことを話したか、霞むように手が届くかどうか曖昧な距離に浮かぶ件の場面以外は

全く記憶にない。僕の中には他人に伝える意味や話す価値のあるものなど何もなかったと、いま現在思い返してみるとやはりそう感じる。

休み時間になれば飽かずにも集まって話をし、笑い合って教室中を走り回っている同じクラスの中にいる彼らは何を見、何を求め、何を楽しんでいるのか検討もつかなかった。
どうしてそんなことをするのか、何故よく知らない人間に話しかけないといけないのか。本当にしたくてしているのか。そういったことは少しだけ面倒だし苦痛だし、……右隅の細かな疵が窓

から入ってくる昼前の光を幾重にも散らしている様子に一瞬目を惹かれながら、机の静まり返った左隅に向けて斜めに視線を落としやがて顔を伏せた。
僕はこの文章を打っているいま、自分のことを馬鹿で無能な人間であると分かっているが、当時はそんな程度の事実すら気付かなかったのだろう。

本棚においてある分厚いファイルをめくると、R地から受け取った封筒と半分に切られ畳まれた便箋が姿を現す。「また遊ぼう」短く一言だけ。小学校三年生の男子児童らしいあまり上手くな

い文字。封筒の表には僕の名前と差出人の苗字、切手は貼られていない。そして郵便番号の欄にはやはり僕の名前がある。
見た感じからするとおそらく手渡しをされたか、もしくは郵便受けに彼は密かに投函したのかそんな姿も想像される。
さらに小さな子供が行うごっこ遊びの延長線上とも言えるし、他人に手紙を出す等の社会的な行為に惹かれる部分があったのかもしれない。僕を『友だち』として公的に認める効力がそこには

あると、彼は周囲にも自分の意思を積極的に告げることになると期待したのか。
家族の付属品としてではなく、多分、人生で初めて自分宛に来た手紙だ。両親宛の手紙の宛名に「皆様」として書かれていたとしても結局は、いった具合でとりあえず小さな

子供の様子を窺うための社交辞令とは違う。何故なら、その視線は実際にはこちらを向いてはいないから。う、確かに単なる妄想でしかなかろうと……全く振り払うことの困難な随分強固な實現夢想もの

として。(了