ちょっと長くなりますが…

昔勤めていた会社の部下から突然の連絡があり、じゃあ久しぶりに会おうかということで、東京駅で待ち合わせ、そのまま一杯。

清原さん、あの頃はやんちゃでしたね、というそいつの話に、そんなことあったっけ、という昔談義に花を咲かせていました。



今はもう、見る影もありませんが、当時は2600人ほどいる組織の、社長、IT担当役員、私の順番で、一応上から3番目の取締役でして、「最高人事責任者」なーんて仰々しい肩書がついてはいたものの、
まあ、管理職というのはたいへんな仕事です。そりゃもう、ハラを括らないとやってられないですね。「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなワタシが悪いのよ」っていう気分です。「管理職は、顔で笑って心で泣いて」とも言えます。



仕事で部下がミスをすれば、さすがにそいつだけの責任にするわけにいかないから、「オレも始末書書くからオマエも書け」ってなもんで、始末書も何枚も書きましたし、進退伺いもたくさん書きました。部下がミスをしても、こっちもすでにハラを括ってるから、仕方ねえなあ、また始末書書くのかよ、って感じです。立場上、私の上には社長しかいないから、社長に私の行く末を預けるわけですけど、その社長からも「またか!?」って言われる始末。社長室には「清原ファイル」ってのがあって、そこには私の進退伺い、始末書が分厚く綴じられていましたし(苦笑)。



そんな苦労の多い管理職ではありますが、「I am the Last Man」という気持ちだけは持ち続けていましたね。「責任は、俺のところで止める」ということです。もし、私の決断、判断が間違っていたら、その責任は甘んじて受けようじゃないの、煮るなり焼くなり、好きにしてちょうだい、っていうハラの括り方です。そういう気持ちじゃないと、管理職なんて到底務まりませんよ。

部下のケアをするのも管理職の大切な仕事。というよりも、会社の業績を担保するのと同じくらい管理職にとっては大事な任務です。そのためにはいろいろ考える。寝ても覚めても考える。「今日はあいつになんて声、かけようか」と。部下が仕事をしているうしろを通りかかるとき、「どうだ?」とか、「今日は早く帰れよ」とか、ときには会議室を覗いて、「おっ、まだやってるのか?お疲れ!」短くていいから声をかける。そういう言葉をたくさん用意しておく。これも大事なケアのひとつですね。案外、部下はそうやって声をかけられると嬉しいものです。ああ、私のことを気にかけてくれているんだ、そういうことが部下の頑張りを引き出すんですね。難しいことではなく、簡単なことをたくさんやってあげる。



部下が私のところに何か相談に来たときは、仕事の手を休めてきちんと向かい合って聞く。聞きながらノートにメモをする。メモをとるという行為だけで部下は、自分の話を真剣に聞いてくれているんだ、解決しようとしてくれているんだ、という気持ちになる。ただ聞き流すだけでなく、ちゃんとメモをとる、こんなことも部下の心を動かすひとつの方法です。まあ、ときどきはメモしているふりをして、何も書いていないこともありましたが(笑)。部下だって、今すぐなにかしてくれるとは思っていないものです。でも、それを忘れずに、いつか処理してくれる、そう思わせるためにはメモをとるんです。



かくいう私もイチ担当者だった頃は、仕事で失敗して上司に報告しに行ったとき、上司からはこっぴどく絞られると思っていたところ、上司からのひと言、「おまえな、それで会社はおまえを殺すと思う?」という言葉でした。「殺されなければいいんじゃないの、それくらい」なるほど。自分にとってサイアクは何だろう?失敗して殺される?うーん、それはないだろうな。殴られる?一発くらいは殴られるかも知れないな、でも、死ななきゃいいか。これがハラの括り方を覚えた最初でした。まだ20代の頃のお話。



上司は手柄を立ててもそれは当然のことだから、全部部下に手柄を渡す。それで部下がさらにやる気になるのなら、よっぽどそっちの方が費用対効果としては効率がいいんです。これだけ知恵を絞ってケアをしていれば、嫌でも人は寄ってきますね。あそこに行けばなんか気分がいい、楽しく仕事ができる、なにかやってくれる、そういうことが結果的に自分の存在を価値あるものにしてくれる。だから部下には本当に感謝しかないんですね。自分より優秀な部下をもつこと。部下の仕事ぶりに、「ああ、俺にはとてもできないな」と思うこと。「こいつはすげーな」と思うこと。まあ最後は、自分はどうでもいいんです。優秀な部下をたくさん育てて、それで会社がうまく回っていくことが上司冥利に尽きるというものです。