2017年05月05日

積小為大

日本人のDNAにある「勤勉」。

勤勉と言えば二宮金次郎さんが頭に浮かぶ。

金次郎さんが教える報徳思想の一つに「積小為大」という言葉がある。

「積小為大」とは小さい積み重ねが大きな成果になるということ。

詳しくは・・・

大きいことをしたいと思えば、小さい事を怠らずに勤めなくてはならない。およそ小人の常として積んで大となる事を、知らないからである。たとえば百万石の米と言っても、米粒が大きいわけでもなく、小さい米が沢山集まって百万石になるのである。また一万町歩の田を耕すのも、一鍬ずつ耕していくのである。千里の道も一歩ずつ歩いて行き着くのだし、山を作るのにも、一もっこの土を重ねて積み上げていくのである。この道理をよくわきまえて、小さい事を勤めていけば、大きい事は必ず出来上がる。小さ事をいい加減にしては大きいことは決してできない

ということだ。

ごくごく当たりまえだが、なかなか実践できないことでもある。

どんなことも近道はない。

コツコツ積み上げることが感動を生む!





kizuki1 at 21:22コメント(0)トラックバック(0)2017 勇気づけ 

2017年05月03日

剛と狂

論語6回シリーズ最後は

「剛を好めども学を好まざれば、其の蔽や狂」

とある。

「剛」は、「豪傑」とか「強くて、堅い」という意味。堅いと心に柔軟性がなくなる。

だからやはり、強くて堅いだけではなくて、「本当に強くて堅いとはどうゆうことか」を学んで身につけなければ、心の柔軟性を失って、自分勝手な行動を起こしてしまうということ。

ここは解釈が微妙で、決して狂がだめだと言っているわけではない。「狂」があるときは必要な時もある。例えば吉田松陰を始め、幕末維新の頃の志士は、日本の国を本気で変えようとした。その強烈なエネルギーを持った彼らはある意味「狂人」であった。

しっかり勉強を積んで、自分の意志を持って、周りの人がなんといおうと、「自分はこれが正しい」と思ったら突き進む。それがなければ世の中を突き動かすことはできない。




kizuki1 at 05:22コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月29日

勇と乱

「勇を好めども学を好まざれば、の蔽の乱」

とある。

いかに勇敢で勇猛であっても、本当の正義とは何かを学んでいないと、ただ自分の感情のまま行動してしまう。

こういうのを「血気の勇」といい、自分の感情の赴くまま、「これが正義だ」と盲信して行動してしまうと、この世の中は乱れていきますよ、ということ。

辞書で勇に関すことを調べると、

 勇敢=勇気があり、危険や困難を恐れないこと。

 勇猛=勇気があって何物をも恐れないこと。

男として生まれて、やはりそういう生き方をしたい。

しっかり勉強して、勇気ある指導者でありたい。。。


kizuki1 at 00:44コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月11日

直と絞

「直を好めども学を好まざれば、其の蔽や絞」

とある。

「直」とは「正直」とか「真面目」という「意味で曲がったことが嫌い」というのが「直」。
しかし、学問がないと、心の余裕がなく、相手の欠点ばかり追及して相手を窮屈な気持にさせてしまう。それが「絞」(こう)で、締め付けるという意味。

論語の中にこんな話しがある。

ある人が「うちの村にはとても正直な者がいる」と孔子に自慢する。そこで孔子が「それはどういう正直者なのですか?」と聞くと、「父親が他人の家の羊を盗んだときに、その息子が役所に訴え出た。それで父親は捕まったのだ」というのだ。

つまり、自分の父親であっても罪を犯したから正直に訴え出たというわけだ。それを「すごい正直ものだろう」と自慢した。

しかし、孔子は「そういうのは正直者とはいいません。身内に対する愛情らしい愛情があってはじめて、人間らしい人間というものです」と言った。

つまり、自分の父親の罪を、ある意味では、庇うのが愛情ある人間のあり方だろう、といったわけだ。悪いことをしたから冷たく訴えるのではなくて、愛情を持って父親をく説くところから始まっていくのではないか、ということだ。


すごくうなずける話しだ。


子どもに対しても、悪い状況の時、そうなった経緯を聴いてやり、それから愛情を持って説いてやることが大切に思う。ついつい杓子定規になってしまわないように。。。



kizuki1 at 00:40コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月10日

信と賊

「信を好めども学を好まざれば、其の蔽の賊」

とある。

「信」とは相手に対して背(そむ)かない誠実な気持。それは人間が絶対に持っていなければいけない大切な言葉。また「賊」(ぞく)には「相手を損なう」とか「反逆者」という意味がある。信頼や誠実といった人間として大切なものを一生懸命に求めていても、「本当の誠実とは何か」を学んでいかないと盲信になってしまう。相手を傷つけることになるということ。

昭和の初めに起こったニ・ニ・六事件や五・一五事件は青年将校たちが総理大臣を殺してしまった事件。その青年将校たちは大変純粋で考えていたことも素晴らしいかったのだが、本当の意味での学問が身についていなかったために、知性や教養の裏付けがないまま突っ走ってしまった結果そんな事件を起してしまった。

相手に対して背かないことが誠実な姿勢ということ。誠実と一言にいっても奥が深く、多くの学びの中かから得られるもののような気がする。関わる全ての人に真剣に向き合い、現実に背を向けず、本当の意味での誠実さをもっともっと勉強して、信の人生を生きていきたい。




kizuki1 at 23:59コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月09日

知と蕩

「知を好めども学を好まざれば、其の蔽や蕩」

とある。

知は知恵のことだけれど、ここでは浅知恵のことで、

蕩(とう)とは締まりがないとか、揺れ動くと言う意味。

「放蕩息子」(ほうとうむすこ)という言葉がある。

自分勝手に振舞う人のこと。自信過剰で勝手な思い込みで突っ走って、制御がつかなくなってしまう人のこと。

要するに「浅知恵ではなくて、しっかり勉強して本当の知恵を身につけなければ、自信過剰になりがちですよ」ということだ。

博学だった吉田樟蔭、二宮尊徳も沢山の読書をされたと伝えられている。置かれた環境がとてつもなく悪環境でも学ぶことひたすら続けられた。

時間がないというのは言い訳で、時間をつくって学ぶことを忘れてはならない。

kizuki1 at 00:55コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月08日

仁と愚

誰もが認めるリーダになるために勉強は不可欠。尊敬する吉田松陰は獄中で一年間に600冊もの本を読んだと言われている。論語はその最強のツールでもある。

子曰く、由や、女六言(りくげん)の六蔽(りくへい)を聞けるか。六言とは、仁・知・信・直・勇・剛のことなり。六蔽とは、愚・蕩・賊・絞・乱・狂のことなり。

とある。

これは孔子が、由という用心棒みたいな側近に説いた言葉。

六言とは人間として徳を現す言葉。六蔽とは害を及ぼすこと。

まず始めは仁(じん)と愚(ぐ)から

「仁を好めども学を好まざれば、其の蔽や愚」

仁とは相手に対する優しさ。思いやりの心、愚とは愚かなころ、くだらないことと言う意味で、相手に対して優しく思いやりをもって接しても、本当の仁とは何かを学ばなければ、ただのお人好しになってしまう。時には相手に対して厳しく接することが、本当の愛情である場合もある。優しいだけが愛情ではない。本当の愛情をしっかり学ばなければ愚か者になってしまうということ。

参考:「子供どもが喜ぶ論語」瀬戸謙介著 致知出版社

本当の仁とは何かを考えさせられる。
自分の頭の中にはニつ浮かんだ。
一つは、手のつけられない人や、自分にとって都合の悪い人に対しても仁が必要ではないかと思う。なぜなら、人間はどんな人でも愛があるからと信じたい。そんな人にも仁を持てる器の大きい人間になりたい。
もう一つは、本当の仁とは責任という言葉がついてくると思う。何故か。相手を思いやる責任があれば、上辺だけの優しさに留まらず、時には厳しさの中に優しさが生まれることもあるのではないかと思う。



kizuki1 at 01:44コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 

2017年04月07日

松下幸之助さんは面接の時に「君は運がいいと思うか?」という質問をするらしい。

「はい。」と答えると合格らしい。

運を自分で感じる力がなくては、絶対にツキはやってこない。

はっきり言うと、「自分には運がない」と思っている人は、ことごとく運のない人生を歩む。

成功する人間は例外なく運を感じる能力が強く、「自分には運がある!」「ツイてる!」と思っている。

だから、成功する人はどんな窮地に立たされようとも、自分自身を信じて力強く立ち向かっていける。

どんなことに対しても肯定的な思いを持てる人間になれば、運が巡ってきたときに、取り逃がすことはなく、間違いなく“ツイてる人”になれる。



kizuki1 at 13:00コメント(0)トラックバック(0)2017 勇気づけ 

2017年04月06日

成功する人の条件

(拔好きで、素直であること。
謙虚でいばらず、おごりがない。
9猟蠹でプラス発想型である。
と稟宗否定、非難、他人の欠点の指摘などは、まずやらない。
イ發里瓦箸貌阿犬覆ぁ
β梢佑髻屬△董廚砲靴覆ぁ
直観力がすぐれ、意志決定が速い。
┝孫堽蓮行動力に富んでいる。
客観的判断力と主観力が一致している。
安心してつきあえる。



kizuki1 at 01:06コメント(0)トラックバック(0) 

2017年04月05日

誰かの力に

生まれたとき、みんな小さかった。

自分の足で、歩くこともできなかった。

話すこともできなかった。

でも、

お父さんが、お母さんが、

お兄ちゃんが、お姉ちゃんが、周りの人が、手を差し伸べてくれ、励ましてくれ、

少しずつ少しずつ大きくなっていったんだ。

少しずつ少しずつ歩けるようになり、話せるようになった。

そうやって、少しずつ少しずつで今がある。

さあ、これからだ。

大人になったからと、一人で生きていかなくていい。

弱い時は、弱くていい。

苦しい時は、苦しいで助けてもらえばいい。

一人ひとりは足りないところばかりで、不完全。

でも、助け合い、励まし合い、許しあい、認め合うならば、どんどん強さが溢れてきて、

弱くて震えてた自分が、次の誰かの力になれるようになる。

あせらなくていい。

くらべなくていい。

今の自分を認めてあげて、助けてもらいながら、そしていつか誰かの力に。

てんつくマン


kizuki1 at 07:28コメント(0)トラックバック(0)2017 勇気づけ 

2017年04月04日

自分最高

人を救うのは人間

そして、世界で一番、自分のためにがんばってくれている人は誰?、

それは自分

鏡を見ると、自分の顔が映る

この人があなたにとっての神様なんだ

自分のために、こんなにがんばってくれている人って、

他にはいない

自分って最高!(^^)!


kizuki1 at 09:19コメント(0)トラックバック(0)2017 勇気づけ 

2017年04月02日

天命

「われ十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に従う、七十にして、心の欲するところに従って矩をこえず。子いわく、如何せん如何せんといわざる者は、われ如何ともするなきなり。」

15才で学問をこころざす、30才で学問で自立できるようになった。40才でいろいろな迷いがなくなった。50才で天が自分に与えた使命を知った。60才でどんな人の話も聞けるようになった。70才で心の思うままに行動しても人としての道をふみはずすことがなくなった。

私の人生を変えた孔子の言葉



kizuki1 at 22:47コメント(0)トラックバック(0)2017 儒教 
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