吉祥寺ホームボランティア日記

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Mi先生の日記より

Mi先生の日記より〜新型コロナウイルス流行に考える〜

2020324武蔵野FM<むさしのトデイ>放送原稿
「新型コロナウイルス流行に考える」
昨日訃報が伝えられた宮城まり子さんは、先日判決が出たやまゆり園事件の植松死刑囚の、障害者蔑視に対してどんな思いを持たれていたのか…夕べ寝ながら、ふとこんなことも考えていました。
ただでさえまとまりを欠く私の頭脳ですが、今日、新型コロナウイルスが蔓延する、このもやもや感に引きずられて今回は全くそれこそ「徒然なるままによしなしごと」を述べていきます。
先ず実に不思議な暗合ですが、百年前の暗黒の世界史「スペイン風邪」のこと、世界で感染者は五億、一億の人口が病死したと今も語られています。日本では三十九万人が病死。つまり、武蔵野市の現人口の実に三倍ですね、想像を絶します。今のコロナウイルスと同様、感染の実態が分からずなす術がなかったようですが、実はAインフルエンザだったことも明らかにされていますね。私が驚いたのは流行の十年後には病原体がインフルエンザウイルスとは想定されていたものの、本当にそれが証明されるのは、アラスカの凍土から発見された四遺体からスペイン風邪の検体が探り出された、1997年即ち阪神淡路大震災より二年後というではありませんか。
京都大学山中先生は、コロナウイルスも、短距離走ではなく、一年は続くマラソンレースと譬えられたとか。スペイン風邪を調べていたらついこの間見学に行ったんですが、現存する日本銀行その他大阪の公会堂などを建てた建築家辰野金吾もスペイン風邪で亡くなり、また島村抱月や画家で詩人の村山槐多も亡くなったのはスペイン風邪。また武者小路実篤の『愛と死』―高校時代に読みましたが、ヒロイン夏子が亡くなったと設定されていたのもスペイン風邪。覚えているわけありませんが。
ここで、斎藤茂吉の歌一首、
寒き雨まれまれに降りはやり風衰えぬ長崎の年暮れんとす 長崎医専時代四十二歳の茂吉もスペイン風邪に罹ったとか。
現代に戻りますが、独自に緊急事態を宣言していた北海道で出されている「北海道新聞」の昨日こんなコラムが…抜粋で読んでみます。
学校の休みが続き、家でふさぎ込みがちになる子供もいるだろう。そんなとき、たとえば「ハリー・ポッター」シリーズの本を読むのはどうか。映画よりも想像力が刺激され、狭い部屋から魔法使いの世界へ飛び立てる▼作者のJ・K・ローリングは20代後半、うつ症状に悩まされていた。シングルマザーで収入がなく、死にたいと思ったが、医師は深刻に受け止めなかった。そのころ思い立ったハリー・ポッターの執筆に没頭することで立ち直れたという▼…(コラムは、この体験を紹介しておいて続きます)…哲学者ニーチェの「私の息の根を止めることができないものは、かえって私をいっそう強くする」(「偶像の黄昏(たそがれ)」村井則夫訳)。死の際まで追い詰められる経験を乗り越えて、人は強くなるという意味だろう▼新型コロナウイルスで憂鬱な日々を送っている人も、いつか苦難を超えて明るい日常を取り戻せる日がきっと来る。希望を捨てず、しっかり前を見据えたい▼ちなみに、この格言を歌詞の主題とした米ポップス歌手ケリー・クラークソンの「ストロンガー」も元気が出る曲で、出勤前などにはおすすめだ。(コラム引用ここまで)
…個人的には、吉田拓郎の「ファイト!」もちろん単純にコロナウイルスと闘う歌ではありませんし、背景には複雑な人生模様があるのですが、見えない敵のもやもや感にそして、自粛の暗雲が覆う世相に向けて聴いてみたり呟いたりしてみるのもどうかなとお勧めします。
なお、数字の累計には、個別の人生が何も反映されないということは承知で今から数字を挙げます。昨日現在日本の感染者数1140名死者42名 対して、負傷者6300人 死者14名 地下鉄サリン事件です。
毎日のニュースで刻々と判明しましたともたらされるコロナウイルス感染者もう一度挙げます。感染者1140名 死者42名対して、死者15899名 未だに行方不明者2529名 東北大震災の被害実態です。比較してどうのということが言いたいのではなくて、この機会にあのサリン事件や大震災の時の刻々と告げられた胸塞ぐような現実感を思い返したいとも思うのです。

そうだ!図書館に行こうど霏¬逎廛譽ぅ

2020/0225そうだ!図書館に行こう (Mi先生の日記より)
P1060221・・・・・武蔵野プレイスはどうかと言いますと、センスが光りますねえ、「sweet&bitter」というテーマ展示です。少し軽めの小説から行けば、柚木麻子さんの『あまから』というタイトルは「sweet&bitter」そのものですね。その内容も「恋する稲荷寿司」「はにかむ甘食」「胸騒ぎのハイボール」という小編揃い。考えれば「sweet&bitter」とは、どんな読書も包括してますね。人生そのものが「sweet&bitter」、噛みしめて歩むものなんですからね。展示されていたのは、『愛の顛末―純愛とスキャンダルの文学史』、『愛の日本史創世神話から現代の寓話まで』それから、瀬戸内寂聴小女小説集『青い花』また『あの恋愛映画の撮影ロケ地を見る』もちろん私はすべて読んだわけではありませんが、読みたい衝動に駆られるものばかり。長いタイトルを二つ、『悲しみの涙は明日を生きる道しるべ』柳田邦男さんの絵本・児童書のブックガイドだそうです。『図解身近にあふれる危険な生物が三時間でわかる本』とは有毒動物・有毒植物の紹介だそうで、「sweet&bitter」も深い処を抉っているなあという印象があります。
次回武蔵野FMむさしのtoday[市民が電話で生出演]生放送は、3月24日だそうです。


そうだ!図書館に行こうC羆図書館

2020/0225そうだ!図書館に行こう (Mi先生の日記より)
P1060210・・・・・もう一度武蔵野市に帰ってみますが、中央図書館のテーマ展示はオーソドックスに「シネマde読書」でした。『怒りの葡萄』『風と共に去りぬ』『エデンの東』『風に乗ってきたメアリー・ポピンズ』『サウンド・オブ・ミュージック』『ゴッド・ファーザー』…などなどサウンドトラックの音楽が聞こえてくるラインアップですが、あの名画を活字で振り返ってはいかがという企画は貴重です。井上陽水の「少年時代」が主題歌となった『長い道』柏原兵三の小説で地味ですがナイスな選択。私好みでは幸田文『おとうと』、岸恵子川口浩の姉と弟ですね、銀幕では。在りし日の松田優作が一風変わった青年で、船で通ってくる家庭教師を演じ忘れ難い『家族ゲーム』も紹介されています。『小さなお家』『のぼうの城』『英国王のスピーチ』とシネマで読書もすぐ古典的になります。私の知り合いが、このコーナーでギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を見つけて、シネマは見たことないけれど、タイトルは何となく知っていたのでと読み齧り、上中下三冊の文庫本は重たいなあと思ったそうですが、こういう仕掛けも意外な読書への扉を開きますよね。(つづく)

そうだ!図書館に行こう⊃並区宮前図書館

2020/0225そうだ!図書館に行こう (Mi先生の日記より)
雪柳・・・・・そう言えば、隣り合う杉並区の宮前図書館も私はよく利用するんですが、現在のテーマ展示は「気になるタイトルの本」という特集。例えば、『カキフライが無いなら来なかった』…又吉直樹さんとせきしろさんの自由律俳句四百余りが並びます。「醤油差しが倒れるまでは幸せだった」とかね。『人間の頭は食べづらい』というタイトルは食用クローン人間を想定した横溝正史賞の問題作とか。『先生、アオダイショウがモモンガに迫っています』という本は、鳥取環境大学の森の人間動物学とか、『パンツを脱ぐ勇気』なんて、私好みのタイトル本も用意されていましたが、留学生が全米のジャンクフード大会に出るまでの一代記で父親との対話は感動ものだとネタバレで予告されもしていました。(つづく)


現在図書館閉館中のようです
写真は、ナーシング中庭に咲く雪柳です

そうだ!図書館に行こう 壁霏¬FM放送Miさんの報告より)

2020/0225そうだ!図書館に行こう 
クリスマスローズ時節柄コロナ・ウイルスの話…ではなくて、何の気なしに図書館に行くとします、今どきの図書館ではそれぞれの創意工夫を凝らして利用者を摑みにきます。例えば、駅前の吉祥寺図書館に行きますと、毎月テーマ展示があり、現在は「も〇も〇な本」というテーマ。つまり「もなんとかもなんとか」、まずは首をひねりますが、〇に「し」を入れると、「もしもし」となりますね、何が思い当たりますか?「もぐもぐ」とか「もてもて」とかがありますよね。具体的には『もしもし下北沢』(よしもとばなな・毎日新聞社)さんの本、『苔三昧、モコモコ寺めぐり』(大石善隆・岩波書店)から『その痛みやもやもやは気象病が原因だった』(渡辺章範・青春出版社)…自律神経との関わりを書いたものとか。パンダの本、羊の本と、手触り感の「もこもこ」もラインアップ。「もやもや」と言えば空に浮かんだ雲が連想されますが、タイトルは『雲の楽しみ方』や『雲の中では何が起こっているか』という本が紹介されます。『認知の母にキッスされ』は、ねじめ正一さんが書かれた本ですが、さて「も〇も〇」は何が入るんでしょうか。というわけで、担当スタッフの仕掛け、思い入れが並々ではない百冊ほどが展示、貸し出しを待っていましたね。(つづく)



現在図書館閉館中のようです
3月8日東京新聞俳壇入選!  「牡蛎鍋に牡蠣どつと入れ古稀仲間」

むさしのFM放送報告〜Miさまより

2020/0128むさしのFM〈むさしのトデイ〉放送原稿
「中村哲さんお別れ会」
先週25日土曜日九州福岡の西南学院大学チャペルで開かれた中村哲さんのお別れ会に行ってきました。中村さんと言えば言うまでもなく、アフガンで医療行為にとどまらず、井戸を掘り、水路を通して、六十万の国民を飢餓から救った、けれども、その営みなかばにして何者かの銃弾に倒れた人物です。享年七十三でした。
さて、昨年末の朝日新聞歌壇に「訃報までその存在もアフガンでの偉業も知らざりし己れを恥じぬ」という岐阜県の箕輪富美子さんの歌が掲載されていました。世界の動きに疎いというか、関心を持たない私とて同じようなところがあるのですが、幸いにしてと言いますか、私の場合は、ボランティアで関わっていた吉祥寺のホーム【ナーシング!】のスタッフから、たまたま葉書を譲られ、二年前の六月でしたか、三鷹公会堂ホールでの「アフガンに用水を」という講演会で中村さんを知ったのです。ドクター中村は日焼けした農民のような風情で、夕刻アフガンから帰国のまま、三鷹に来たということでした。アフガンは紛争地帯の報道一辺倒だが、実は農村で、飢餓を救う水と、農作物をもたらす必要を痛感し、昔ながらの工法―スコップとシャベルで、しかも日本の江戸時代の堰をつくったやりかたで、砂漠に用水を通していると淡々と語られました。会場で、『天、共にあり』(NHK出版)と『医者井戸を掘る』(石風社)を求め、その活動を知るに至りました。
これも朝日歌壇の歌ですが、「悔しいとただそれだけを思い泣く中村医師を知る人はみな」という思いを持ち合わせた人たちが、福岡のお別れの会にはなんと五千人も集まりました。大学のチャペルで二階も含めてかなり入れるんですが、モニターの用意された教室に分散し、私たちもアフガンに咲いた薔薇の献花の順を待つのに一時間もかかる程、列が途切れることもありませんでした。献花のバックには三女の方のピアノ演奏が粛然と流れておりました。
挨拶では、中村さんを受け継ぐペシャワール会村上会長が最後の段で、中村さんを目の前に浮かべると、絶句され、バシール・モハバット駐日大使がアフガンでは皆が、今も泣いていると自らもハンカチで涙を拭われ挨拶を終えました。中村さんの世話にあずかった留学生も多数おり、心よりの追悼作文も寄せられているとのことでした。
長男の健さんが、「口で立派なことを言うより行動で示せ」と、「いつまでもくよくよするな」とが強く言われた言葉だと語り、好きな山によく登ったのが思い出と、家庭人の父としての中村さんを語り、長女の秋子さんは、アフガンに中村さんを迎えに行き帰るまで、どんなに多くの人に手厚く送られたかで、中村さんがしてきたことや、また慕われていたことの確かさを実感的に報告されました。
献花の祭壇には中村さんと五人の同時に亡くなられた現地人ドライバーや護衛の遺影も飾られてありました。この方たちのそれぞれの名前やそれぞれの人生は如何様なものだったのか、それは報じられていませんが、その点はどんなものでしょうか。
それから、私の知り合いの若き教師たちの組織や目の不自由な方々の団体にも、中村さんは、招きに応じて率直に話をされていたそうですが、その人となりが忽ちに分かる話しぶりで、アフガンとの懸け橋となる意義を伝えられたことでしょうね。
ところで、私は博多との往復の新幹線車中で読もうかなと家の文庫本からふと手にしていたのが、著者は栗田勇さんの『旅の思索者―一遍上人』という新潮文庫本でした。ひたすら念仏を唱え、踊る遊行者とみられた鎌倉期の上人が、実は、魂の救済と同時に病苦に悩む浮浪者や下層の人々、特に戦いで傷を負った者たちの具体的な救済を図り、温泉療法などを研究、組織化していたのではないかと推察される件がありました。
置かれた状況は異なるものの、病み傷つく者への施療と精神に於いて、医学と宗教との崇高な、今日で言えばコラボレーションと言ってよいのかは分かりませんが、クリスチャンにしてイスラムの者らにも慈悲を惜しまなかった中村ドクターの施療や精神に通じる何ものかを感じ取っていました。
会場で流れたビデオで医療に無縁の高地民族を訪ね、患者の一人が患っていた瞼の腫瘍を一時間の手術で切除するシーンがあります。日本なら高度な用具も設備も備わっていてそれに越したことはないが、ここでしなくては助からないとなればこんな高地ののっぱらでもやれないことはありませんと、淡々と言う中村医師は頼もしい人でした。
先に私も触発され、中村さんとペシャワール会の活動の理解に供した書物…は是非一読されたいと思います。

むさしのFM放送報告◆Miさんより〜

 さて、いきなりわが武蔵野市に転じますと、まだ中央線の高架化ならず、開かずの踏切も残っていた当時、北側の平沼園から立体交差でむらさき橋を経て三鷹市方向へと云う幹線道路が賑々しく開通したのがこの年の四月といいます、平沼氏が二千坪の土地を提供し、都市計画事業が四年間の年度割事業でスムーズにいったことが喜ばれまして、開通ドライブに沿道で市民が喝采した記録写真が残っています。
それと関連は無いのですが、武蔵野警察がその二月に十日間で実施した「拳銃発見届け出運動」と言うのを見つけました。なんでも旧軍隊時代に持っていたとか、親兄弟から形見に記念で譲り受けたとか、先代からの遺品、海外からの持ち帰りで結構所持していて、犯罪に利用されたケースも多かったと言います。速やかに届け出れば罰せられないという趣旨が市報で!広報されています。グレン隊に渡っていかぬようにとの再三の呼びかけ、愚連隊、そう言っては何ですが、懐かしい響きです。
これは、武蔵野市ではありませんが、今でいう虐待のニュースも古い新聞から拾いました。顕著なのは、浜松で九歳の少年が帰宅が遅いと継母に叱られ、着ているものを全部脱がされて外に出される。その晩、十時ごろ捜索していた人らに発見された少年は田圃で丸裸で凍え死にしていた。熊本人吉の産婦人科育児室で一月の十日間で新生児が七人も亡くなっている、朝は零下二度、それでも、ストーブが備えられていなかった!何なんですかね、この感覚。とはいえ、そんな時代だったのか、ひでえなあで、済ませられますか、今は断じてこんなひどい時代ではないと言えましょうか?
そうそう、私はこの年五年生、葛飾に住んでおりましたが、近所に釣り好きの親子がおりまして、仲良く父と子で釣りに行く。常は、釣り道具の手入れに勤しんでいるので、赤飯やのおかみさんが、親子で釣りにばかり行ってると、チリの津波にいつかやられちまうよと嫌味を言う。それで記憶に残っているのですが、チリで起こった地震が太平洋を伝わってハワイを襲い、瞬く間に三陸から和歌山にかけての大津波となった。なにしろ、七百五十キロの時速ですから新幹線の二倍、犠牲者百四十名この年の五月でした。
来る年の二月には徳仁(なるひと)天皇初の祝日誕生日を迎えますが、この方もまた1960年生まれでしたね。めでたさもチュー位なりおらが春は六十年前のジョークですが、さてさていかなる年になりましょうか(2019.12.26三井一夫)

むさしのFM放送報告

  テーマ「六十年前鼠年1960年のこと」…押しつまりましたという決まり文句の中で、六十年前の鼠年に当たるは1960年昭和35年のことを語りましょう。皆さんも思い当たることが多々おありでしょう。
ものの本を紐解いても、ブログを検索してもこの年が騒然とした一年だったことはたやすく読み取れます。すなわち六月に迫った日米の安全保障条約の改定・批准を廻って、今日の香港の様相が重なるような、国民的と呼べる政治運動が展開され、私たち小学生も訳が分からぬままに、運動場で「安保反対!」などと唱えながら友達と折り重なって倒れこんだりもしていました。実際は国会議事堂前のデモで東大生樺美智子さんが亡くなり、秋には、政治の季節の刃が十七歳の右翼青年により演説中の社会党委員長浅沼稲次郎氏を刺殺するというテㇿに結びついてしまうのでした。
世の中は挫折感のテーマソングのように『アカシアの雨が止むとき』が気怠く流れていたように言われることもありますが、私たち悪ガキには九ちゃんの何ごとも肝心なのは…、『素敵なタイミング』という歌が調子よくリズムを刻み、高校生が、オジサンのように見えた『ミヨちゃん』なんていう平尾昌晃さんの歌も流れていました。『怪傑ハリマオ』も『ララミー牧場』もブラウン管画面から茶の間を訪れ、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンがヨットの上で惨劇を演じながらニーノ・ロータのテーマソングは妙におシャレで今も映画音楽の名曲として知られていますね。
同時代のシネマで、えっこんなに古びていてと若者なら引いてしまうんですけど、それはわざと「銀流し」という手法の現像で撮ったカラーで、『おとうと』という市川崑監督作品がとても好きです。弟役川口浩に姉の二十八歳岸恵子がりりしい。そして、今現在八十七歳の岸恵子も変わらず美しい。ついでにこの年エノケンが勧めた「渡辺のジュースの素」は姿を消しましたが、「のりたま」はふりかけられて六十年目に突入します(2019.12.26三井一夫)

中村哲氏に旭日小綬章と内閣総理大臣感謝状

昨年までご活動してくださったボランティアさんの短歌が本日の毎日新聞歌壇に特選で掲載されていました。

アフガンはいま荒涼の砂嵐沃野もたらすひと撃たれたり  
                  (悲報受けての一首)


アフガンに用水通す医師帰り講演したり激すことなく
                 …2017/7/16 東京新聞歌壇掲載 

私は中村哲さんを知らなかったのですが、講演会の葉書戴き気まぐれに三鷹公会堂に出掛け中村さんに接しました。場内は遠路はるばるの方々もおられて熱気…
ドクター中村は日焼けした農民のような風情で、夕刻アフガンから帰国のまま、三鷹に来たということでした。アフガンは紛争地帯の報道があるが、実は農村で、水を待つ民(特に子ども)と、昔ながらの工法で砂漠に用水を通していると淡々と語られました。会場で、『天、共にあり』(NHK出版)と『医者井戸を掘る』(石風社)を求め、その活動を知るに至って、ささやかな支援にペシャワール会にも入りました。今年もカレンダーを注文しようとしたところに悲報が…。何のための銃撃?不条理極まりないことです。(Mi)


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