2010年04月10日

なぜ私がご主人様に?

 長いこと放置してしまいました。
 相変わらずへたれのSですが、久々に活動してみようと思います。

 Sがこんな事を書いたら変だと思うかもしれません。何人かのパートナーを調教していつも思うのは、端的にいうと「なぜ私がご主人様に?」と思うことです。

 自らパートナーを探しておきながら、いざお互いの関係がうまく進んでいくと不思議な感触を持つのです。M女性がどうして性奴隷として仕えてくるのか、長いことその本質をよく分かっていなかったのです。

 SMプレイ。目の前で変態な行為を強要して、M女性も始めは躊躇しながらその関係を受け入れていく過程。Sにとっても、そしておそらくMにとってもこれ以上の快楽はないのですが、どうして私に?という疑問を常に感じていました。なぜ出会ったばかりの男にここまで自分を落とせるのか。

 分かっていなかったというか、頭の中でのプレイじゃなく実際にパートナーを持ってみたとき、その感情と光景に快楽を感じつつも、説明できない何かに怯えていたように思うのです。

 以前のパートナーには、フェラチオはもちろん、イラマチオ、体の隅から隅まで舐めさせていました。最初は抵抗がある、と言っていたパートナーも、いざ私の強い視線で命令されると従ってしまうと話していました。私は体も毛深く、舐めたからといって嬉しい事は何もないと思うのですが…それでも舐める女。吐くほどフェラチオしても尚私を喜ばせようとしている様子は、Sとして私服の瞬間ですが、同時にこの説明できない快楽に身をゆだねてしまう恐ろしさもあるのです。
 本質的に舐めることが大好きなら、単に「舐めるのが好きなM」です。でもそうではない。お互いに、SMという特殊な趣向を持っているのは確かです。でも舐めるのが好きな訳じゃない。
 うまく言葉にできませんが、それは単に二人の人間の関係の問題だと思います。SMという特殊な関係性の中で、二人で登りつめた場所なのだと思います。

 うまく書けていませんが、そんな場所にまたたどり着きたいと思うようになりました。
 なかなか活動する時間も取れませんが…積極的に動いてみようと思っています。

2008年05月27日

O嬢再び

histoiredo
 久しぶりの登場です。

 「O嬢の物語」については以前も書きましたが、テレビシリーズ版は、定期的に見返してしまいます。ここ数日また見たくなり、10話全て見直してしまいました。
 映画版、リメイク、続編など、様々な「O嬢の物語」がありますが、私はやはりテレビ版が一番しっくり来ます。元々はポルのチャンネル用に作られたシリーズだそうですが、原作の小説にも非常に忠実です。アナルを犯すシーンも、演技とはいえ変な隠しなどなくリアルで、O嬢が奴隷として幸福を得ていく過程が良く描かれています。
 主演のクラウディア・セペタ。この作品ぐらいでしか見たことがありませんが、ブラジルの女優だそうですもっとグラマーな女性を使っても良いところを、小さい胸で、清楚で知的な女優を使うあたりが、非常によい雰囲気を醸し出しています。

 奴隷状態の幸福、という事を考えると、女性の視点で書かれているというこの物語についつい行き着いてしまいます。Oは最終的には、みんなの見世物、モノとして扱われるまで堕とされます。どんな時でも男性の性欲を受け入れ、激しい鞭受け入れ、人にモノとして譲られる事を受け入れる、O。御伽噺とは言え、目指したい場所は、ここにあるのかもしれません。
 プレイよりも、奴隷として服従させる事を楽しみたい。見終わった直後は、そんな思いに溢れてしまいます。

2008年01月23日

慎重と臆病

 久々に、消極的ながらパートナーを探しています。
 先日、チャットでお話した方と、お茶の約束したのですが、残念ながら流れてしまいました。一年ほど前にもお話した方だったのですが、一年前の時と同様、怯えが先立ってしまったようです。

 チャットで知り合った方と、お茶をするために待ち合わせをする、というのはもう何度もしていますが、実際に会うときは男の私でも緊張します。

 ひょっとしたら性質の悪い悪戯なのではないか…、突然凶暴な男に囲まれたりしないか…、どこかに隠れて私を見て笑いものにされていないだろうか…、などと考えてしまいます。

 ただ、その怯えを乗り越えないと、何も得られないのもまた事実。
 所詮、人間は「自分」という檻の住人。どうせ抜け出せないけれど、せめて恐怖や臆病の感情は押さえ込んで、自分という牢獄を出来る限り乗り越えて、楽しみたいと思います。

 インターネットが出来て、だいぶ壁は低くなったと思いますが、リアルで楽しむには、恐怖を押さえ込むほどの、慎重さと大胆さが必要なのかもしれません。

2007年09月28日

便所穴

 久美さんのサイト「拘束〜Slave Doll〜」をちょくちょく覗かせてもらっています。この方もかなり過激な主従関係を受けられていて、ご主人様の言うとおり、夜な夜な街中に出かけては、身障者用のトイレで、見ず知らずの人に公衆便所として使われているようです。
 病気などのリスクをかえりみず、主の欲望に忠実に従っている様は、Sとしてはうらやましいものがあります。
 この上なく主様を慕っているのだけれど、苦痛で嫌で逃げたしたい感情を小出しにされている様も、好感が持てます。肉体や服従欲が求めている事と、理性が求めている事が違う。その葛藤は凄まじいものがあるはずです。

 主の方はどんな方だろうと思ったのですが、別にブログを開かれています。こちらの主の方にも葛藤があるようで、たまに迷っているような文章を書かれます。如何に自分が鬼畜であるか、変であるか、理解されていて、それでも奴隷を便器として差し出す欲望を満たしたい、という葛藤。その葛藤を乗り越えて、二人の女性を奴隷としている方です。

 ご縁があって、久美さんとは何度かメールをさせていただきました。徘徊に出られる直前、不安で一杯の久美さんにメール。心の中では応援したいのですが、優しい言葉をかけたくても、この二人の関係を考えると優しさや労いは不釣合いな気がします。さらし者にされて、ボロボロにされてこそ、主が喜び、従も満たされるわけです…。SMって、本当に救われません(^^ゞ。
 私は、ここまで過激な関係は無理ですが、この二人の関係は、うらやましいと思います。

2007年06月19日

「女社長は性処理奴隷」休止

 ここのところ何ヶ月か、気になって読んでいたブログ「女社長は性処理奴隷」が、休止になってしまいました。
 このサイトのオーナーは、ナオミさん。溺愛しているご主人様の、性欲処理奴隷として、非常に厳しい主従関係に臨まれているようで、数多い画像からも、その内容は十分伝わってきました。しかし、調教や自慰の報告を読むと、私の中の胸の奥の何かが痛む、読んでいて辛い日記でした。狂おしいほどご主人様を愛しているけれど、でもナオミさんは所詮、性欲処理の奴隷。奴隷という関係に臨みながら、狂おしいほど愛されたい願望と自分のポジションのギャップを、必死に埋めようとされている風に、私には思えたからです。

 主従関係はそれぞれ。正解なんてないし、他人が口出しすべき事ではな。そんな事はよくわかっているのですが、それでも、SMという性癖の、救われない側面を見てしまったような気もします。

 もうインターネットの海に出てSMサイトを巡って、10年近くになります。未だに「ご主人様と奴隷の調教サイト」を見ると、画像などで欲望は満たされる反面、閉鎖されたり更新が止まったりしたときの悲しい感じは、後をひいてぬぐえません。
 永遠を求めるほど愚かではないつもりなのですが、「ご主人様と奴隷」のサイトを見るたびに、他人事ながら、主従関係が永遠にうまく続いてほしいという、切ない願望を持たずにはいられません。

2007年06月02日

インナーマスター

 相変わらず消極的にパートナー探しをしています。

 2ショットページのプロフィールくらいしか、リンクを貼っていないこのブログですが、いろいろと感想をお寄せいただくこともあります。ありがたい限りです。

 SMについていろいろ考えていたら、あの名文、木戸さんの「インナーマスター」をふと思い出して、探してみました。で、その関連で、こんなブログも発見して、うむうむ、とうなってしまうのです。
 
 インナーマスターとの闘い
 インナースレイブはあるのか

 SMと主従。別に一緒じゃなくてもいい。単に快楽を求めてぶつかりあうだけなら、主従なんて要らない。変態セックスのひとつとして、SとMがあればいい。
 結局のところ、確かなものは自分の欲望しかないのかもしれません。現実と、理想と、どうやって折り合いをつけるのか。そのためには、とりあえずぶつかってみるしかないのかもしれません。
 最近SMについて考えています。でも、ふと我に返ると「そんなもん考えても無駄だ」という事を、しきりに確認しているだけなのかもしれません。


2006年12月24日

愛がなくても

 相変わらず、お相手募集掲示板や2ショットチャットの待ち受けメッセージには「信頼」とかいう言葉が乱発されているけれど、最近、SM、特に男Sと女Mの関係に必要なものって、本当はなんなんだろう、と考える事が多い。

 いつもお世話になっているこちらのブログを見て思ったのだけれど、「男は性欲と愛情を切り離して考える事が出来る」というのは、確かな事実。愛情を持っていないMでも、Sとしては、ムチをふるい性欲を果たす相手として扱えるだろうと思う。そもそも、加虐被虐を純粋に突き止めれば、別に愛情なんて必要ない。信頼なんてもっての外。Sは虐めMは虐められるの、単純な関係だと思う。

 SもMも、自ら性癖を出している訳だから、要は、お互いが自分の扱いに満足しているかどうか、という事が重要なんだと思う。

 SMだけの関係でパートナーを探そうと思うと、やはりまず必要になるのは「安心感」だと思う。お互いに相手に体をあずけても大丈夫、という安心感。Mにとっては、どんなにきつく拘束されても、最後は開放してくれるという安心感。Sにとっては、どんなに酷いことをしても相手は受け入れる、という安心感。それ以上は不要なんじゃないだろうか。

 お互いが安心すれば、どの程度までは耐えられる、という感覚もつかめてくる。その中で「信頼関係」が出来たり、愛が生まれたり、あるいは過酷な状況を許容する何かが生まれたりするのではないだろうか。


2006年12月18日

オナニープレイ

 相変わらず、消極的にパートナーを探しています。
 先日、一人のM女性とお茶をしたのですが、私より数段SMに対する考え方が成熟していて、「SMってなんだっけ」と考えさせられてしまいました。

 実際に会う位ですから、好きなプレイの話などが出ても良さそうですが、そんな話は一切なし。SMに対する考え方について、お互い話しただけに終始しました。彼女いわく「内心好きなプレイはあるけれど、私は『される』側だから、そんなのを話しても意味はない。」との事。「する」側の意のままという事なのでしょうけれど、それはそれで、本当の意味でのSとしての力が問われそうです。
 確かに「縛りが好きだ」とか「スカトロは苦手だ」とか聞いても、彼女にとっては無意味なんでしょう。誰かのMとして従う事を決めたら、例え時間がかかっても、どんな事でも受け入れる覚悟(?)を持っているんだと思います。

 ひるがえって私。Sとしてはこの上なく嬉しいはずなのですが、「縛りが好きです」という短絡的でオナニーとさして変わらない快楽に浸りたい自分もいて、「SMってなんだけ」と、また考えてしまうのでした。

2006年11月06日

久しぶり

久しぶりの投稿です。

以前のパートナーと別れました。
出会いがあれば、別れがあるものですが、
この1年間はパートナーが持てた事で幸せでした。

これからどうしようか…と悩んだのですが、
若干消極的にパートナーを募集してみようと思います。

なぜ「消極的」なのかは、興味を持たれたMさんにお話したいと思います。
まぁ、2ショットで待っているって事は、消極的ではない気もするんですがね…。


以前のパートナーとの記述のある記事は、管理人のみ閲覧ができる、「非公開」記事としました。


2005年11月08日

夕方のおともだち。

 備忘録をひとつ。

 以前、チャットで知り合った女性から教えてもらった一説。
 突然、思い出した。
 書きたい事があるけれど、まとまらないので備忘録。

 「マゾにとって『お仕置き』が快楽であるならば、
  『お仕置きされない』ということが最大の『お仕置き』である。
  ということはマゾにとっては、
  『お仕置きされない』ということは、最大の快楽、ということになる。」

「夕方のおともだち」
山本直樹