秋が深まる毎に思い出す悲しい記憶の話をしたが

落ち込むということが嫌いな私は、すぐにそれを振り払い笑う。

そして、さあ!いつ京都に行く?と家族に話す。

でも、その前に、今年は日本のマチュピチュ、竹田城跡に登ろう。

12/11の入山禁止の前で、なるべく暖かい一日で…

そう思って、夫に話すと、29日にどう?

一ヶ月に一度ある平日のお休み。今月は29日だとか。

行こう!行こう!

どんなことでも、小さなことから大きいことまで、目標ができると急に魂が輝く。

半身麻痺になるまでは、探したり見つけたりする必要のなかった目標。

目標という自覚すらなく、それに向かって生き生きと歩いていたことを、今更思い知る。

春の誰々の卒業式には何を着て行こう。

リビングのカーテン、そろそろ洗わないと。

今度の大掃除は、どこから手を付ける?

そろそろ白菜のぬか漬け漬けようかな。

全部ぜんぶ、素晴らしい目標だったんだ。


朝起きて、お弁当を作り、朝ごはんの用意をすることから始まる

目標いっぱいの素敵な日常。

洗濯も掃除もお買い物も、愛おしいほどの日常。

今夜何作ろう。

お買い物のついでに、郵便局にも行っとこうかな。

帰りにミスドに寄って、子どもたちにポンデリング買お。

今夜の入浴剤、何にしよ。

え~今日最初の授業は中2の数学。次は…

教材と、生徒用のお茶、お茶…

寝る前に洗濯だけしとこうっと。

何気ない日常は、パワフルなドラマの起承転結だった。

多くを失って知る、平凡な日常の中の輝く光。

たくさんのできない事を自覚して、目標がいかに人を生かすかを知った。

人は目標とともに生きている。

目標、すなわち意味のある何か。

意味のある行動には、ダイアモンドより価値がある。

何もできないということは人形と同じ。

いや人形以下。だって、見て楽しませてもいないじゃん!

でも…

失った目標、叶わぬ目標を数えて生きるのはあまりに悲しい。

だから私は今こそ、目標を無理にも探して見つけて生きているのだ。

ディズニーランドや宮古島のようは、健康な人にとっても特別な目標は

日常的なことではないので、数ヶ月に一度や数年に一度の目標だけど

日常的に目標を見つければ、毎日たましいが輝く。

台所のカーテンを自分で開けてみよう。

トーストを焼いて見たい。

大根なら切れるだろうか。

もしかして、頑張ればシチューをお皿につげる?

そんな小さな小さな目標。

半身麻痺になってから、そうやって暮らして来た。

iPadに向かってBlogを記すのも、献立と買い物計画を記すのも目標になる

今日もいくつかの目標を達成できた、と安心して眠りにつく。

元気だった頃は、毎日が瞬間が目標達成の輝かしい時間だったと気づき

今は、探して見つけて感謝しよ!

そう思うと、あるわあるわ。

生きていて、考えることができて、しゃべることもできる。

家族の健康のためにメニューを考えて、娘の悩みを聞いて、Blogのコメントに返信して…

ほら、いっぱいあるよ。


輝いてるね。

みんなのおかげだね。




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