2009年08月25日
茨城大学で打ち合わせ《納豆研究家》
明日茨城大学で打ち合わせ
以前より進めている産学官連携での納豆の研究。
明日、茨城大学で理学博士の菅井俊郎先生との始めての打ち合わせがあります。菅井先生の研究分野は単細胞真核生物の接合、染色体、細胞分裂などが挙げられます。
納豆の新たな製造技術の開発への一歩となるよな発展的な会合になればと心弾む思いでいます。
納豆は、煮た大豆に納豆菌(《枯草菌》の一種であることはよく知られているところですが)を埴菌して醗酵させて出来上がるものですが、大手納豆メーカーでもこの納豆菌の開発が進んではいますが、実際のところ良く解かっていないのが現状なんです。
取り合えず明日打ち合わせをしてきます。
くめ納豆《くめクオリティープダクツ》やはり倒産
くめ納豆民事再生法申請
くめ納豆、くめクオリティープロダクツは自力での再建が出来なくなり結局は倒産ということになってしまいました。
そこで、くめ納豆《くめクオリティープロダクツ》は自己破産し民事再生法の申請をすることと成った。
生産は引き続きするが、愛知県のミツカンがその製造を引き受けることとなったようです。
2009年08月24日
猛暑のせい!それともアラフィフのせい!
気温それともアラフィフ
年のせいなのでしょうか?昨日は感じなかったのにふくろはぎがはって痛みが。
年を取ると疲れや筋肉の痛みが数日経ってからでといいますがそれなのでしょうか。
でも、いつだったかNHKのガッテンでは年齢には関係ないと言ってたと記憶してるんですが。
確かに今日は身体全体がだるいし痛いし・・・・・
夏ばてかなー・・・・・
年のせいかなー
まだ仕事残ってるしなー・・・・・
そうだ夕飯に納豆食べて頑張るベーと!!!
2009年08月23日
夏休みの思い出になったかなー!?
帰り浅草によって来ました。
今年の夏休みは、仕事が忙しいといって娘をどこにも遊びに連れて行ってませんでした。毎日、学童にお世話になっています。
娘と家内も相模女子大に着いてきていたので、帰りに合羽橋で資材を探し、浅草で焼きたてのせんべいを食べながら仲見世を歩き、もんじゃ焼きを食べ日傘の蛇の目傘を買い3時間位ブラブラと歩いてきました。
夏休みの思い出になってくれれば・・・・・。
日立市を5時に出発し無事終わりました。
1日大学講師無事終わる!
相模女子大学での1日講師が昨日無事終えました。
講義内容のレジメを作り、朝、日立を5時に出て相模女子に8時到着。気温34度湿度もかなり高く感じ、じっとしていても汗が噴きだす状態でした。
日立市が茨城県のどの位置にあるのか、の説明から入り納豆が出来た起源(歴史)納豆の作られる過程、納豆の効能などの講義をしました。
一通りの講義のあとに、日本一を取った海洋ミネラル納豆や現在開発中の黒大豆納豆、納豆で作ったチョコレイト納豆などの納豆のお菓子の試食を受講生にしてもらいました。
受講生の質問も活発に行われ時間が足りず授業が終わってからも個別に行いました。
これからも微力ですが、茨城県、日立市さらには、納豆をいろいろな方に知っていただくために努力していきたいと、改めて感じました。
2009年08月19日
徹夜続きで身体が熱い!《納豆研究家》
徹夜続きで身体が熱い
茨城県産で初めての黒大豆で作る納豆が、先週から納豆職人としての感が動き一週間で3つの試作品を作りました。
下の写真が今朝あがった黒大豆納豆です。納豆菌の被りが厚く、糸は従来の納豆せり気持ち細いですが、強い糸引きの黒大豆納豆になりました。
黒大豆特有の風味、甘味がありとても美味しい納豆に仕上がりました。先ほどご、東京からのOL風の3人の方に試食していただきました。
最初、そのまま食べていただいてもらいました。黒大豆納豆の豆がしっかりしてて甘味の強い納豆言う評価をいただきました。さらに残りの黒大豆納豆を藻塩で食べてもらいました。納豆を塩で食べるのは初めての経験といってましたが、食べた感想は塩で食べる納豆はアリだね!醤油やタレもいいけど、塩で食べるのも美味しいし新しい感覚でいいかも、といっていただきました。
納豆研究家、納豆職人としては、92、3パーセント出来だと思っています。これから100パーセントに限りなく近づくように研究し、納豆を作りこみたいと思っています。
黒大豆納豆のデザイン支援事業《納豆研究家》
デザイン支援事業
茨城県初の黒大豆納豆の商品開発事業の1つである、黒大豆納豆のパッケージ及びデザインの打ち合わせが、デザインセンターで茨城県の担当者、デザイン担当のofficePLANETSの倉田社長、納豆研究家の菊池の3人で昨日8/18の13時30分、第一回目の打ち合わせが始まりました。
第一回目なので、顔見せ程度かと思っていたのですが、3時間を超える熱い打ち合わせとなり方向性が、かなりまとまりました。
来年度発売予定の黒大豆納豆の手ごたえを感じました。あとは私が黒大豆納豆を完成させるだけです。これが一番難しいところですが。
2009年08月16日
黒大豆の納豆菌の被り具合良くなって来た《納豆研究家》
納豆菌の被り良くなって来た
茨城県初の黒大豆での納豆試作何回やって来たことか。
黒大豆を納豆にするための試作をはじまって、2年目をむかえています。昨日の納豆は今までで納豆菌の被りが一番良く、ほぼ均等にはってくれました。でも、本物の納豆にはほど遠いけれど、少しでも進展があったことを素直に喜びたいです。
ここの所進展がなく、気がめいっていたのですが、目標とする納豆にほんの少し近づいた・・・・かな??って感じ
2009年08月15日
今だから伝えたい真実《くめとの関係》その3
真実を伝えたいその3
まさか融資が凍結されると思っていなかったので、既存工場の設備を着工と同時に移動するために、納豆工場及び2階住居の解体を先行させていたのです。既存工場の改築が思うように進まないなか、家内が胎盤剥離の恐れがあると言うことで、緊急入院、出産まで入院することとなった。私も工場で倒れ、40数日入院する事となってしまいました。
そして、2002年11月1日に長女が生まれたのですが、自宅に戻っても水道は無く、お風呂も無く、屋根はあるものの壁も無くブルーシートと段ボールで壁を作り生活を始めました。
お風呂は1日おきに近くのスーパー銭湯に通っていました。生後3が月を過ぎた頃に娘の呼吸が乱れ、発熱。夜中に緊急外来で診察してもらうと肺炎を起こしていて緊急入院。娘の小さな手の甲に点滴の針が固定されていたことを昨日のように思い出されます。
男親として辛かった、本当に辛かった。自分で自分の終末を考えもしました。そんな中、家内は、大変とか辛いとか一切口に出さず、現実を楽しんでいるようにすら見えました。私は家内に救われたというか、癒しを感じていました。
そこで、私に今出来ること、やるべきことが冷静に考えることが出来ました。納豆職人として、本当の本物の納豆の味を作りたい、納豆の安売り、納豆の薄利多売でない商品づくをしなくてはと気持ちを新たに商品開発に打ち込みました。
その結果、平成13年度の全国納豆鑑評会で「菊水ゴールド納豆」が小粒部門で優秀賞をいただきました。しかし、借金返済の足しには程遠いものでした。
研究を重ね昨年の平成18年度の全国納豆鑑評会で「海洋ミネラル納豆ミニ2」が全国で一番美味しい納豆の称号の『農林水産大臣賞』最優秀賞をいただきました。賞を取る前と後では納豆の生産量は20倍になりましたがまだまだです。食べていくのが精一杯の状態です。
こういったことから、くめ納豆などなくなってしまえと本音のところでは思っています。しかし、私のような思いをする従業員、社員が居るとしたら不幸なことです。昔のようなくめ納豆との関係は作れないにしても、私の納豆を作る技術が必要ならば手を貸してやってもいいかなー、とも思っています。
伝統食の納豆、日本の食文化の納豆を衰退させてはいけないですから。
今だから伝えたい真実《くめとの関係》その2
真実を伝えたいその2
さらに追い打ちをかけたのが10年前のJCO臨界事故です。風評被害で売り上げが落ち、さらにミツカンなどの納豆業界参入などもあり納豆の価格破壊が始まったのです。納豆だけでなく全ての商品の価格破壊が。
私は、価格競争でなく納豆の品質の良品化を訴え、協力会社が集まり納豆の品質向上のための勉強会を2年近くしたのですが途中崩壊してしまいました。結局品質向上より価格競争に走り私の忠告は聞き入れられなかったのです。
そして更なる薄利多売へと進んでいったのです。
そして6年前協力会社として、くめ納豆の製品作り及び技術指導から手を引く事にしたのです。
その発端は、当時くめ納豆の常務に藤倉氏がいました。今の工場では生産量が少ないので納豆生産を上げる為、新工場建設を依頼されたのです。
取引銀行に依頼して土地探し、藤倉を筆頭に工場の図面を引き、3百坪の納豆工場を建てようとしました。図面を引くにあたっては、藤倉だけでなく、当時の研究室長も関わっており、現地視察も幾度となく行われ、高柿工場や和歌山工場を引き合いに出し、工場の図面引きが行われたのです。
全てのことが進行し、銀行からの融資の目どがつき、今日融資がおりると言うその日にくめの社長が保証人をしない、と銀行に電話が入ったのです。依頼から着工まで三月足らずで進行した話だったのですが、常務の藤倉が画策したのか、研究室長が画策したのか、詳しい内容が社長に届いていなかったようで、それに腹を立てた社長が白紙に戻す判断をしたのです。
菊水食品としてはすでに3分の1の工場の解体が始まっているし、土地代金の頭金120万円は支払ってはいたのですが残金が払えず頭金は契約不履行で帰ってこない有様で残ったのは借金だけでした。
こういったことから、大義名分上からかもしれませんが私をくめの社員に、と言う話が持ち上がったのです。
数ヶ月待たされた結果、社員になる話もお流れに成ってしまいました。菊水とくめとのやり取りが一点に集中しないために、くめ自身を守るためにどうしたらよいかだけを考えた、姑息な手段をとったのだと思います。
こういったとき栃木県の協力会社の納豆保管冷蔵庫にねずみが入り納豆になった商品の半分近くが食い荒らさるという事件がおきました。緊急の工場検査が入り、当時、常務の藤倉曰く、菊水食品ではこの様なねずみが侵入する事故は100%無いかと聞かれた。あってはならないことですが100%ない、と言い切れませんね、と答えると100%でない会社には、くめの納豆は作ってもらう訳には行かないといいだしたのです。
この言葉を聞いて私は翌日からの納豆製造を止める決心をしたのです。
