片瀬一男 −読書日記と旅日記−

普段読んでいる本の感想や訪れた場所についてゆっくり書き続けています

読書日記:特別篇『女たちのジハード』の前後

 昨年上梓した拙著『若者の戦後史』(ミネルヴァ書房)には幻の章がある。第5章として入れる予定だった「均等法時代の男女格差」である。いつもの計画性のなさから、各章を別々に書いていたら、いつの間にか、計算すると800枚(原稿用紙換算)ほどになっており、版元の指定してきた400枚の倍になっていた。そこで、一番長く分析もややこしいこの章を削るとともに、各章も大幅に短縮した。またこの本の各章には「コラム」がついており、戦後史のそれぞれの時代を活写した小説や漫画の紹介をしていた。以下では、この幻の5章に入れるはずのコラムをさらに膨らました形で、働く女性と時代とのかかわりについて述べる。最初は5章の本文でも取り上げた篠田節子『女たちのジハード』(集英社)である。この物語からは、バブル崩壊の影響によって、1987年施行の男女雇用機会均等法がなし崩しに骨抜きにされていった1990年代の女性労働についてみことができる。その後、時代は前後するが、バブル期の若い女性の生き方を描いた林真理子の『アッコちゃんの時代』(新潮社)を紹介し、最後に「失われた20年」といわれた2000年代の津村記久子『ポトスライムの舟』(講談社)にふれる。

 男女雇用機会均等法の下での一般職:篠田節子『女たちのジハード』
1997年上半期の直木賞は、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』とともに篠田節子の『女たちのジハード』(集英社)に授与された。この作品は、1994年7月から96年8月にかけて『小説すばる』に連載された短編連作であり、登場人物は東京の保険会社に一般職として勤務する20代から30代前半の女性5人である。この「作品内時間」は1990年代前半であり、1986年の男女雇用機会均等法の施行からバブル崩壊を経て、「オフィスに派遣社員の存在が目立つようになったり、総合職で専門的な業務に就く者が珍しくなくなっていたり、30代以上の独身OLの数が増えていったり」(小林恵美子,2010,「OLというプレカリアート:『女たちのジハード』にみる<獲得>までの闘い」『国文学:解釈と鑑賞』75(4))といった変化が女性たちに起こっていた時期にあたる。篠田節子『女たちのジハード』(集英社)は、保険会社に勤める5人の女性、いずれも一般職の正規社員を主人公とした短編連作である。斉藤康子を主人公とした「ナイーブ」に始まり、同じく彼女を主人公とする「三十四歳のせみしぐれ」まで13編が収められている。いずれも、男性優位の企業社会で、逞しく人生を切り拓いていこうとする20代後半から30代前半の女性たちを主人公とする物語である。
作者の篠田自身は1955年に東京に生まれ、大学卒業後、地元の市役所に勤務する傍ら、カルチャースクールの小説執筆講座で腕を磨いた。そして、作家活動に専念するため1990年に市役所を退職、同年、中編小説「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞している。『女たちのジハード』は、1994年7月から96年8月にかけて『小説すばる』に連載され、97年上半期の直木賞を獲得している。さらに、97年10月から11月にかけてNHKの衛星第2テレビ「BS日曜ドラマ」(全4回)でドラマ化され(康子は賀来千賀子が演じた)、好評であったため、翌98年9月にはNHK総合テレビ「NHKドラマ館」で編集・再放送されている。またこの作品は、田辺聖子の解説「ヒロインたちへの共感:こころよく、我にはたく仕事あれ」を付して集英社文庫版が2000年に出版されている。
*
『女たちのジハード』が執筆された1990年代半ばは、1991年のバブル崩壊の直撃によって「男性社員はつぎつぎと支社や営業所に出向させられ、一般職の女性も勤続年数の長い者を狙い打ちするかのように、懲罰的とも言える異動辞令が出る。とにかくリストラの名のもとに、会社の生き残りをかけたなりふり構わぬ首切りが始まった」(『女たちのジハード』147ページ)、すなわち「失われた20年」(朝日新聞「変調経済取材班」,2009,『失われた<20年>』岩波書店)が始まった時期でもあった。
5人の登場人物のうち、斉藤康子は千葉の高校を出てT保険に入社し、勤務11年目を迎えた頃、後輩で入社したての浅沼紗織―彼女は4年制大学の英文科出身で総合職志望であったが、職種替え試験が有名無実であることを知り、英語を生かして翻訳家になることを夢見るようになる―にこう言われたことがあった。「斉藤さんって、総合職に移ってバリバリ仕事するわけでもないし、結婚するわけでもないし、ちゃんとした人生設計ってあるんですか」。これに対して、当時の康子は言い返すことができなかった。

 同期の女達の大半は結婚退職し、一握りの者は総合職としてシステム開発や調査の部署に飛びたっていった。そして康子だけが、黙々と補助的作業をこなしながらお茶をいれ、急な仕事が入れば文句も言わずに残業し、更衣室で泣く後輩の愚痴の聞き役となり、だれにも評価されず、そのくせ休暇を取れば不自由がられ、悪口も言われないかわりに話題にも上がらず、気がついたら三十を過ぎていた。人生が設計通りにいくなどと、考えたこともない。
        『女たちのジハード』1ページ。

 そんな彼女が合コンで知り合ったのは、信州で園芸農業をしながらシナリオライターをめざす雅也である。康子は雅也に強引にプロポーズされる。しかし、彼が家業でもある農業を母親と妻に押し付けて、自分だけはシナリオライターとして自立・上京しようという身勝手な夢を抱いていることに気づき、別れを告げる。逆上した雅也は、康子にこう毒づく。「まともな仕事をしているわけじゃないだろ。バリバリのキャリアウーマンにもなれず、結婚もしないで、今のままじゃただの売れ残りじゃないか」。そう言われた瞬間、康子のなかで何かが起こった。彼女はぴたりと足を止め、絡みつけられた腕を振りほどき、思い切り雅也の頬をひっぱたいた。彼女は、気を取り直してコートを羽織り、こう考える。

  バリバリのキャリアでもなければ、企業戦士を生み育てているわけでもない。しかし、普通に会社に行って普通に仕事をして、女一人まっとうに暮らしていて、それのどこが悪い?
『女たちのジハード』35ページ

 この瞬間、彼女は、自己資金でマンションを買い、年金にも、保険にも入ることを決意する。これは、若さという「武器」を失った独身女性への偏見に対する「ジハード」の宣戦布告であった。というのも雅也の言葉は、彼女のこれまでの人生を否定するものであり、「見返すためには今の仕事を基盤にして確かな暮らしをたててみせるしかない。さしあたって康子は、自分の「帰る家」―シャトー(城)の獲得という大きな目標へと動き出した」(小林、前掲論文:153ページ)。
*
無題 実は、康子自身は入社当時「エリートでもなければ、ハンサムでもない、ごく普通の男と結婚し、2DKのアパートに住み、子供が生まれるまでOLを続け、二、三年子育てに専念した後、パートに出て三十代半ばで一軒家を買う」(『女たちのジハード』468ページ)という将来設計をもっていた。けれども、康子は「一軒家」を買う計画を立てていた30代に入っても独身であることに改めて気づく。その康子が雅也の一言で、「帰る場所」としての持ち家の主になるという形で自立への一歩を踏み出したのである。
20代の康子は、毎日、弁当もちで出勤し、「7桁のボーナスが出たバブル最盛期でさえ、むだづかいをせず」(『女たちのジハード』29ページ)、堅実な生活のなかで毎月10万円の信託投資を続けてきた。ところが、折しもバブル崩壊によって額面は3,000万円あるはずの債権や投資信託から、マンション購入のために準備できる頭金は1,500万円余。また、給料天引きで高利の財形貯蓄を利用できるのも、住宅購入の際にそれを担保に金利の安い社内融資を受けられるのも、事実上、男性社員に限られていた。そこで、康子は件の後輩・浅沼紗織のアドバイスを受けて、裁判所の「競売物件」―バブル崩壊によって住宅ローン返済ができなくなったために差し押さえられ、競売される物件―を安く購入しようとする。しかし、この物件は転売目的の暴力団がらみの不動産業者と競合することになる。パンチパーマの男たちに凄まれた康子は、こう考える。

   自分は何も悪いことはしていない。まじめに働き、10(テン)パーセントの税金を納めて、独身ゆえに何の控除も受けられず、何の手当ても支給されず、なぜ自分だけがまともな家さえ持てないのだろう。
『女たちのジハード』39ページ

 彼女は居住権トラブルの有無を確認するために、発砲事件を自作自演してまで、このマンションを購入するが、このことは康子に深い達成感をもたらすことになる。彼女は「おそらく生まれて初めて自分一人で不動産取得という社会的活動を成し遂げた。・・・(中略)・・・この達成は、康子の内部の深い所で彼女に作用し、次なる跳躍の力を形成すること」になった(小林、前掲論文、154ページ)。
 この時期(1993年)にリリースされ、若い女性たちの支持を受けたアルバムにZARDの「揺れる想い」がある。このアルバムに収められていた楽曲の1つ「負けないで」(作詞・坂井泉水)は、この時期、景気の翳りが見えるなか、働く女性たちの「応援歌」となったと言われるが、康子もまたこの歌詞に後押しされるように「揺れる想い」から自立へと一歩を踏み出したのである。
               *
 こうして「シャトレーヌ(城主)」となった康子のマンションは、やがて悩みを抱えた後輩たちのたまり場、女たちのネットワークの場となる。小林(前掲論文、155ページ)も指摘するように、一般職の「OLという立場じたいが、強烈な閉塞感をともなっているのであろう。入社当初の楽しさが続くのは20代半ばまでで、以後はOLのままでいることに理由を求められるようになる。それが彼女たちを落ち着かなくさせるのだろう。OLという呼称は、「一般職女性事務員」といった職種の名称ではなく、若い女性たちが真の生き方を獲得するまでの、モラトリアム期をさす言葉ともいえる」(小林, 前掲論文、155ページ)。実際、彼女らの多くは「自分の会社の資本総額も、経営状況も、業務内容さえ把握していない」(『女たちのジハード』138ページ)同僚のなかで、伝票整理をしているだけでは仕事のスキルを身につけられず、転職やステップアップも難しい。男女雇用機会均等法に伴って導入された「総合職」ですら、バブル崩壊後の就職難のために一般職で入職した女性が職種替え試験を受けようとしても、それは「絵に描いた餅」でほとんど合格者は出さないし、仮に出たとしても総合職の辞令と同時に遠隔地への転勤を命じられて、結局は退職に追い込まれる。康子を取り巻く友人の目にも保険会社の「女性総合職などというもの自体が、バブル時代のあだ花だった」(『女たちのジハード』138ページ)と映る。  
 こうした閉塞感を抱えた20代後半から30代の同僚たちは、康子のマンションに集い、互いに相談に乗ったり、助け合うことで、このモラトリアムとしての一般職を脱していく。ある者は結婚退職後、保険業務の自由化を見込んで、それまでの知識を生かして保険代行業をしながら地域活動のリーダーとなる。別の者は思いがけない結婚によって、医師の夫とチベットの無医村へと旅立っていく。また、結婚しないまでも、偶然に手にした臨時収入を元手にアメリカへと語学留学し、女性パイロットをめざす者もいる。
康子自身もまた、脱サラして山梨でトマト栽培に取り組む松浦正樹と思いがけず知り合う。不器用な正樹は、一途に有機トマト作りながらも販路の開拓に苦労していた。他方、康子はこうした正樹を見守るうちに、彼の畑のある村でブルーべリー・ジャムの加工販売に失敗した農家の女性たちや、都会からやってきて煩わしい地域での付き合いを避けるペンションのオーナーたちとも知り合うことになる。この両者は、これまで接触を避けていたために、互いの需給関係が合致していることに気づかなかった。ここに目をつけた康子は、正樹が無農薬で作ったトマトを農家の女性たちの工場でピュレに加工して、リゾートペンションのオーナーたちに売り込むことを思い立つ。彼女はこの両者を橋渡しするコーディネーターとしてのビジネスに乗り出そうとする。彼女のジハードは、ついに起業にまで到達したのである。
この『女たちのジハード』の文庫本解説で、田辺聖子はこう記す。「現代、女性の職場は拡がったようにみえるが、女たちは社会から職業教育を叩きれるような仕組みになっていない。それは男たちにのみ与えられる。/女が一人で生きようとするとき、それらは独学独習しなければならない」(田辺聖子,2000「文庫本解説」『女たちのジハード』521ページ)。実際、康子が起業するに至ったとき、トマトピュレの作り方から売り込み方まで教えたのは、彼女の高校時代の友人で、スチュワーデスからイタリアン・レストランのオーナーシェフへと転進した上野純子であった。純子は康子に「ビジネス」の厳しさ―とくにコスト計算のノウハウを徹底して教え込むのであった。その純子の教えを背景に康子は、以前の失敗―販路の確保や資金繰りに行き詰って手作りジャムの加工販売に失敗した―に懲りてトマトの加工販売に二の足を踏む農家の檜渡久恵をこう説得する。

「ずっと、十六年間、保険会社でOLやってきました。世間で言われている気楽な仕事じゃありません。多少はお金と実績について、シビアな物の見方ができるようになりましたし、男の人たちを見ていたので、営業についてもある程度わかります。いつか結婚して辞めたいとずっと思っていましたが、そんなことをすれば、たぶん私の十六年間の経験は無駄になると気づいたんです。失敗するかもしれないけれど、私、これをきっかけに独立を考えているんです。資金については心配ありません。日当と借り上げ料は先払いします。お願いします。」
『女たちのジハード』451ページ

こうして康子のジハードは、一定の成果をおさめるのだが、それにしても田辺(前掲解説)が指摘するように、啄木の歌「こころよく/我にはたく仕事あれ」が、現代では女性の呻吟であるという指摘は看過できない。とくに「一般職」という「モラトリアム」に押し込まれ、意思決定の権限もなく(これについては後ほど仕事の裁量度の問題として扱う)、その経験もないために、コスト計算をするスキルも自らの私的ネットワークに頼って学ぶことしかできない多くの女性たち―男女雇用機会均等法が施行された時期、彼女たちは「プレカリアート」を先取りしていたとみることもできる(小林,前掲論文)。

ジハードの前で:林真理子『アッコちゃんの時代』(新潮社)
既にふれてきたように『女たちのジハード』が出版された当時、すでにバブルは崩壊し、男性社員のリストラが始まっていった。しかし、その前には女性たちのバブル期があった。この時代を象徴する小説は、林真理子の『アッコちゃんの時代』(新潮社)であろう。この作品は2005年に刊行(初出は『週刊新潮』2004年9月30日号〜05年5月19日号)されているが、舞台はバブル期の東京であり、『ロストワールド』(1999年)、『不機嫌な果実』(2001年)に続き、林がバブル期の女性を描いた3作目に当たる。『アッコちゃんの時代』の主人公は、小悪魔的な魅力をもつ短大生・北原厚子である。厚子(アッコ)は、短大の先輩・加代子の母親で銀座のクラブのママから、その愛人で地上げ帝王とよばれる男・早川を紹介される。

「あのー、お仕事は何をしているんですか」
 思わず尋ねた。
「土地だな―」
「不動産屋さんですか」
「もっとスケールの大きい仕事をしているのよ」
傍らから加代子の母が口を出した。またねっとりとした流し目で自分の愛人を見る。
  『アッコちゃんの時代』33ページ

これがアッコと早川佐吉との出会いであった。早川は東北弁丸出しで(実際、早川のモデルとなった早坂太吉は山形県出身だった)、熱心にアッコに言い寄り、愛人にしてしまう。
また、この作品の主要な舞台となる「キャンティ」は、川添浩史・梶子夫妻が1960年に作ったくったイタリアン・レストランがモデルとされる。この店にはベンチャー企業の若手経営者やミュージシャンなど才能ある若者が集まり、一種のサロンとしての役割を果たしていた。厚子は、作中で六本木のレストランの御曹司で音楽プロデューサーの五十嵐を妻の女優から略奪することになっているが、この御曹司が「キャンティ」の経営者であった川添夫妻の長男がモデルであったとされる。2人はやがて結婚し、厚子は長男・俊太を出産するが、五十嵐に新しい愛人ができたことから別居し、実家に移ることになる。やがて、バブルは崩壊し、地上げ屋の早坂も死亡してしまう。
このバブル崩壊後、若年雇用も深刻化し、リクルート社が「就職氷河期」という造語を掲載したのは『就職ジャーナル』の1992年11月号であった(この語は1994年には第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞している)。文部科学省の『学校基本調査』によると、1992年度の大卒就職率は79.9%、97年は66.6%まで低下した。図1によれば、バブル崩壊直前の1990年代初頭は、短大卒女子の就職率が高かったが、急速に低下した。また大卒男女の就職率もこの時期、低下していき、94年度から97年度までは60-70%程度で停滞する。就職氷河期と呼ばれた時代がこの時期に当たる。その後、2008年度までは、景気の回復と団塊世代が大量退職する「2007年問題」が重なって、男女とも就職率が一時的に上昇するが、2008年秋の世界同時不況によって、「超氷河期」と呼ばれたように、男女とも(とくに大卒男子)就職率が大幅な低下を見せている。雨宮処凛が『プレカリアート』(2007、洋泉社)を書いたのもこの時期である。雨宮によれば、プレカリアートとはグローバライゼーションや新自由主義のもと「経済至上主義のもと、不安定さをしいられた人々」を意味するという。その後、2010年度以降、就職率は回復基調にあるが、女子は70%程度、大卒男子は60%程度と依然低い水準にある。橘木俊詔(『女女格差』東洋経済新報社)は、この時期、不況の進行によって、企業による雇用の削減によって若年層に影響が及んだが、この影響は男性よりも女性にとって深刻であったという。というのも、非正規労働者のうち7割が女性であり、雇用形態もパート・アルバイト・派遣労働者と多岐に渡っていたからである。

ジハードの後で:津村記久子『ポトスライムの舟』
 世界同時不況の翌年、2009年の芥川賞は、津村記久子の「ポトスライムの舟」(『群像』2008年11月号)に授与された。斎藤美奈子(「文芸時評:底辺から見る景色」『朝日新聞』2009年1月27日)によると、その数年前から若手作家の描く小説は、すでに「バブル期前後に一世を風靡(ふうび)した「仕事と恋の間で揺れるワタシ」みたいな小説はもはや全然流行(はや)っていない」という。この「ポトスライムの舟」は前の職場をパワハラで辞めた女性ナガセが、時給800円のパート・タイマーとして工場で働き、4年かけて契約社員にまで「昇進」(?)する話である。仕事の内容も、「乳液このキャップを固く閉めて、表裏上下とひっくり返して確かめ、再びコンベアに戻す」だから、「昔風にいえば「女工さん」」の仕事である(斎藤,前掲時評)。そのナガセがたまたま工場の休憩室で見たポスターで、あるNGOが主催する世界一周クルージングの費用163万円が、自分の工場勤めの年収と同じことに気づいて節約をはじめるところから始まる。もちろん年収163万円では貯金ができないので、夜は友人の喫茶店を手伝ったり、自宅でデータ入力の内職をし、土日はパソコン教室の非常勤講師も勤め、まるで「林芙美子『放浪記』並みの壮絶な働き方」(斎藤, 前掲時評)をしている。
それでも、いつの日か自分が栽培しているポトスライムをアウトリガーカヌーに乗ってパプアニューギニアの人々に配ることを夢見る・・・。「まったく萎れる様子がない」ポトスは、ナガセを感動させ、「本当にお金がなくなってしまったら、ポトスを食べればよい」とまで思う。矢澤美佐紀(「<ニッチ>としての正しい生き方:津村記久子『ポトスライムの舟』の世界観」『国文学 解釈と鑑賞』947:192-198)によれば、パプアニューギニアの「船旅」と「ポトス」の組み合わせは、「一対のひそやかな<御符>なのであり、生きにくい日を一日ずつ生き延びるための思考の転換を促す装置として機能している」。このポトスを活ける器が、いわゆる「百金」で購入されていることもまた、「かつての角田光代の<フリーター文学>における衣食住のイメージは「無印良品」や「コンビニ商品」だったが、ここでは完全に「ダイソー」になっている」ことを示している。つまり1990年代の<フリーター>文学は、この津村作品や絲山秋子『ニート』(2005年)など2000年代の<ニート>文学に転換したのである(矢澤.前掲論文)。しかも登場人物はほとんどが大卒だが、「世間が思う「大卒女子」のイメージを大きく裏切」っており、古典的な労働疎外をかかえていながらも、大卒であるがゆえに「現代の『女工哀史』は、階級社会の構造が見えにくいぶん、よけい厄介」である(斎藤,前掲時評)。
津村自身は1978年生まれであるから、大学卒業時は完全にバブル崩壊後の「超氷河期」だった。芥川賞受賞当時、日中は土木関係のコンサルタント会社に勤めながら、帰宅後、一眠りした後、深夜から未明にかけて執筆活動に励んでいた。少なくとも2009年の時点では、津村は同じハードな生活を続けている。その理由を津村は次のように語る。

  いつ一文なしになるかわからないじゃないですか。親によって階層が決まる世の中で私は何も持っていません。・・・(中略)・・・でも、それであかんとは思っていません。それでいいんです。
         「現代の肖像 作家 津村記久子」『AERA』2009年11月9日号

また、津村は芥川賞受賞後のインタビューでこう語っていた。
 
  同世代の女性の状況はいろいろですが、ひとつ言えることは、働いている人はだいたい一回は会社を辞めています。私はパワハラに遭って最初の会社を辞めましたが、九ヵ月で辞められただけでもマシで、他の人は凄まじい量の仕事をさせられて、二、三年も経って辞めさせてもらったり、よほどいい大学を出た人でなければ理不尽なしわ寄せに遭うことが、私の世代ではたくさん起こったんです。再就職するまでは、このまま何もしないことに慣れてしまわないか、次の職場では働けるだろうか、といった恐怖感で苦しい思いをしています。

  いい状態で働けることがいちばん大切で、ずっとおられる居場所を探す、そこで仕事が維持可能かということに、私は物凄くこだわります。お金をたくさん稼ぎたいとか高級な職場に勤めたいという思いはなく、逆に、高級な職場でも、人間関係があかんかったらあかんと思う。パワハラは老若男女、どの世代にもある。問題がある職場では全員がストレスを抱えてしまい、ストレスに耐性がない人がスケープゴートを探してパワハラに走るんだと思います。
『新刊ニュース』 2009年4月号
(Web版http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i_tsumurakikuko.html)

無題3 
 長時間労働にストレス、パワハラそして離転職―若い世代が働き続けるのにも大きな困難が伴う。バブル経済崩壊後の長期不況による若者の非正規雇用(フリーター)やニートの増加が労働世界の問題として議論されているが、その一方で正規雇用(正社員)となれた人も雇用が絞り込まれているせいで長時間労働を強いられている。『平成19年版 就業構造基本調査』(総務省統計局)によると、非正規労働者を中心に週35時間未満の短時間労働者が増える一方で、正規労働者では週60時間を越える長時間労働者が増大し、30歳代の男性を中心に正社員の「働きすぎ」が強まっている。熊沢(2006)の表現を借りると、若年労働における「使い捨てられ」と「燃えつき」の二極化が進行しているのである。すなわち、今の日本社会には「使い捨てられ」る非正規雇用(派遣、パート、アルバイトなど)の若者がいる一方で、長時間労働とストレスで「燃えつき」る正規雇用の労働者がいる、というように二極化が進んでいる。
とくに、1990年代から2000年代にかけては、グローバル化したデフレ市場での競争に対応するための人件費の抑制、国内的には年功制によって人件費のかかるようになった団塊の世代の雇用維持などのため、新規学卒者の雇用を手控え、非正規雇用化する流れが定着した。その結果、学卒後、少なからぬ若者が正規雇用されずに非正規雇用という不安定な就労につくか、場合によっては非正規雇用と無業・失業との間を周流することになった。こうした学卒無業者や非正規雇用者の増大によって、「フリーター」「ニート」といった存在がにわかに注目されるようになったが、その一方で、絞り込まれた正規社員は、成果主義の導入にともなう過酷な競争に追い立てられ、過労死スレスレの長時間労働を強いられた結果、離転職も増加し、若年労働市場は流動化の度合いを強めた(片瀬一男・佐藤嘉倫,2006,「若年労働市場の構造変動と若年労働者の二極化」『社会学年報』35:1-18ページ)。こうして、今日の若年層は、競争的な階層社会で長時間労働を強いられる「アリ」と、その周辺で短時間労働・低賃金に甘んずる「キリギリス」へと二極化しているのである。

久保健一郎『戦国大名の兵粮事情』吉川弘文館

3月半ばに会議で上京し、そのあと卒業式まで2日空きがあって、仙台に戻るのも芸がないと考え、思い立って西に城めぐりに行くことにした。例年より早く北上してくる桜前線のなかに飛び込もうというわけだ。その時、持って行ったのが、本書である。                      
 よく言われることだが、戦には3つの要素がある。戦術、戦略そして兵站。このうち前二者はよく語られるが、兵站が論じられることは少ない。兵站とは戦場への補給であり、いわば裏方の仕事であるからだ。しかし、それは戦術・戦略をも拘束し、ときには決定的な影響を「境目」(戦争状態にある軍事境界線)にもたらす。永禄4年の川永島の合戦で、信玄が妻女山に布陣する謙信にしびれを切らせ、キツツキ戦法なる奇策を用いざるを得なかったのも、川中島が信濃の北部にあるため、越後の謙信に比べても兵站が伸び、食料補給で不利になってきたからである。また、アジア太平洋戦争期末期の南方諸島の日本軍は、制海権を完全に米軍に握られ、兵站を断たれたため、多くの餓死者を出し、戦闘どころでなかった。
 さて、本書では東国、後北条氏を中心にその兵站事情が論じられている。筆者によれば、ある所で兵粮が必要になった場合、以下の4つの調達方法があるという。〃垣による必要な分の持参(「兵粮自弁」)、⇔涼脇發らの搬送、8獣歪潅(a:略奪・挑発、b買い付け)、じ獣呂任離好肇奪の活用、ただし△両豺隋現物の代わりに銭を送る場合、bの買い付けになる。「お荷物」という言い方があるように、移動し戦闘する軍隊にとって兵粮を持ち歩くのは負担になる。だから、現地に銭を持って行って買い付けることもあれば、負けて逃げる時は置き去りにもする。永禄12年に武田信玄が北条氏の居城・小田原を攻めるが、逆に後北条氏の軍勢に反撃され、甲斐に逃げ帰るが、その時、小荷駄を残して夜陰を逃げ延びたと『上杉家文書』にあるという。こうした史料の山(最近はデータベース化されている)から、巧みにその裏を読み―たとえば禁制があれば非行・犯罪がある―、戦国時代を経済という視点から立体的に浮かび上がらせていく。
 兵粮はモノ(食物)であると同時にカネ(交換価値をもつもの)というのが筆者の兵粮観である。戦時にはモノとしての兵粮が一気に流通・消費され、軍需物資の購入の時にはカネとしての兵粮が流通した(つまり米で物資を買うのである)。さらに平時には戦争に備えて備蓄された。こうした兵粮を軸とした混沌とした経済状態を筆者は「戦国時代の戦争経済」と呼ぶ。その頂点と崩壊の始まりに秀吉の朝鮮出兵があった。秀吉の外交の誤りは、現地(朝鮮半島)で兵粮が調達できると考えた点にあり、それが近代の旧日本軍の南下政策と同じく、兵站が構築できないまま、「境目」における飢餓状態を生むことになった。他国を侵略する際には、自国の慣習が通用しない可能性を考慮しない驕りが悲劇を生む。
 さて、今回の旅では、3つの山城を訪ねたが、そのうち本書で中心的に扱われた後北条氏の城は、三島市の山中城である。山城といってもJR東海道三島駅から沼津登山東海バスに30分乗れば山中城址につき、ほとんど登っていない。無人の売店前のベンチに「日本100名城スタンプ」が置きっぱなしになっていた。この城の見るべきところは、本丸ではなく、西の丸の障子堀である。障子堀とは、堀に直交する形で畝のような土塁をたて、敵の動きを防ぐものである。西の丸にあるのは、秀吉軍が西から押し寄せることを想定したからである。その想定通り、豊臣秀次率いる豊臣群7万に攻められ、守将・北条氏勝らの奮戦も及ばず、半日で落城しているという。
IMG_8675

佐藤正午『身の上話』光文社

 最近のミステリは、複数の登場人物の視点から事件の経緯を描きだす多声法で書かれることが多いが、この作品は一貫して1人の人物の視点から描かれる。まるで小津安二郎作品でローアングルからの長いフィックスショットを見せられているような感覚になる。

 そして、この語り手と主人公との関係だけは、冒頭の一文で既に示されているが、その人物の正体が明らかになるのは、最後の4章(17章の末尾から20章の間)である。

 かつて宮部みゆきの『火車』は、最後の数ページで犯人が初めて姿を現すことで評判になったが、この作品では語り手が最後に明らかになるという趣向である。それと同時に、この謎めいた「身の上話」が、妻を死体遺棄の罪で告発するために書かれた身上書であることも判明する。

 2009年12月26日に放映されたNHK-BSの「週刊ブック・レビュー」の年末特大号で、女優の中江有里が推薦し、児玉清も絶賛していたミステリである。

矢作俊彦・司城志朗『犬なら普通のこと』早川書房

 この2人の合作は『暗闇にノーサイド』、『ブロードウェイの戦車』、『海から来たサムライ』の角川3部作以来というから、25年ぶりになる。今回は沖縄を舞台にしたハードボイルドである。

 冒頭でヨシミは、弟分の彬と謀って、自分が理事を務める暴力団のビルに忍び込み、耐火金庫に眠る2億円を台湾に持ち逃げしようとして、誤って組長を射殺する。沖縄生まれで新宿育ちのヨシミの父親はベトナムで戦死したデンマーク系米兵、彼の妻・森も、偽装結婚した中国人の母親から産まれ、現在は養父の看病をしながら、カトリック教会でボランティアをしている。

 弟分の彬にしても中国在留孤児の息子で、新宿の愚連隊出身である。その彬を誘惑し、公安上がりの刑事・川満を殺させようとする早枝子は、乳首に塗った毒で上海の国家公安部の工作員を殺し、中国当局に追われて沖縄に逃げてきた。こうして沖縄は、日本とアジア、アメリカが交錯する地政学的位置にある。

 組長が殺された組事務所には、幹部たち―「台湾支店」を仕切る「副社長」の柴田、「常務」の新垣、「専務」の上原などが集まってくる。そこに、ベトナム戦争以降、麻薬を扱う米軍マフィアと「本社(ラングレー)」まで絡み、物語は沖縄方言や米語スラングを交えて急展開する。

 物語の後半で、ヨシミは、米軍の元特務軍曹から散弾銃や手榴弾を買い入れ、麻薬取引に現れた現役海兵隊員を射殺し、死体の写真をネットカフェから組事務所にメールで送りつけ、再び幹部らが集まる組事務所に乗り込むが・・・・。

 裏切った者が裏切られ、さらに裏切った者は利用される。ハードボイルドの常道で登場人物はほとんど殺される。そして、最後に生き残った者は、ドル建ての金と一緒に岩波文庫のコーランを渡され、嘉手納基地のゲートを出たところで、イラン製の無線信管とアフガニスタンで盗まれたC4爆薬の入った携帯電話で殺される。
「犬が噛んでいいのは飼い主の手じゃない、ドックフードだ」が書名の由来である。ちなみに、この作品は「このミス2010」では5位の評価である。

朝倉かすみ『田村はまだか』光文社

 2009年11月のNHKのBS2「週刊ブックレビュー」で、作家の曽根圭介が、朝倉の『ともしびマーケット』(講談社)でのディテールの描写を激賞していた。そこで、この朝倉の出世作『田村はまだか』(2009年吉川英治文学新人賞受賞)を読む。

 舞台は札幌のススキノのバー「チャオ!」。マスターの花輪春彦には、表紙の装画にあるように、左耳の穴の前にある突起物に触る癖がある。そして、客の洩らした言葉から気に入ったものを黒い表紙のばね式帳面に書きとめるのが趣味である。

  今夜の客は40歳の男女5人で、いずれも小学校のクラス会帰りである。5人はかつて「孤高の小6」と言われ、現在は宇都宮で豆腐屋をやっている「田村」がやってくるのを待っている。

 店の常連・永田一太は、飲料を製造販売する会社の営業マンで「J&B」を飲む。化粧品・日用雑貨の卸会社の営業職の池内暁は、「特別隠居」している上司の二瓶正克のことを思い出す。男子高校の保健室に勤める加持千夏は、「いいちこ」を飲みながら、生徒だった「キッド」こと島村裕樹のことを想う。

 コルネオーネ似の坪内隼雄は、女扱いはうまいが独身で童貞で、ウェブサーファインでみつけたブロガー「ブルースター」に興味をもつが・・・・。小学校時代、班長だった伊吹祥子は「えびすビール」5本を飲んで眠りこけているが、実は永田との不倫が原因で離婚したばかり。

 彼らの会話から花輪が黒い表紙の帳面に書きとめた言葉は「どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないか」「全速力で走れよ、きみ」「誰か、とても暖かいひとの手で、こうして頭を撫でられながら眠りにつきたい夜が、あたしにだってあったりするのよ」「青い星みたいな女の子がいいな。なぜなら、ぼくはまだ女を知らないから」などなど。

 物語のなかでは「田村はまだか」が繰り返される。この田村久志の登場までの6人(マスターも含む)の回想から、あたかも多声法による1つの物語のような短編連作をつくる作者の手腕は熟達した職人芸である。


奥田英朗『無理』文藝春秋

初出は『別冊文藝春秋』に2006年から09年にかけて連載された「ゆめの」。改題の理由はわからないが、1999年の『最悪』、2002年の『邪魔』に続く地方都市クライムノベル。どの作品も大都市近郊もしくは地方都市における小悪の描写がリアルである。

 今回の舞台は、南東北に町村合併で誕生した「ゆめの市」−市名とは裏腹に地元商店街はシャッター通り、郊外の大型店「ドリームタウン」だけが栄える典型的な地方都市。
市の社会福祉協議会に県庁から出向中の相原友則は、生活保護費の受給業務に嫌気がさし、主婦買春にのめりこむ。「向田電気保安センター」なる詐欺商法の会社に勤める加藤裕也は、社長の亀山を殺した暴走族時代の先輩・柴田を匿おうとする。

 こんな地方都市を一刻も早く抜け出し、東京の私大に行きたい久保文恵は、塾の帰路、引きこもりのサイコパスに拉致監禁される。スーパー「ドリームタウン」で万引きGメンをしている派遣の堀部妙子は、新興宗教の熱心な信者でもあるが、対立する宗派に嵌められ客を誤認捕捉してしまう。そして、土地開発会社社長で市議の山本順一は、産廃処理業者で元やくざの薮田兄弟が殺した市民運動家の死体を隠そうとする・・・。

 『最悪』『邪魔』と同様、日常生活の小さな不満からいつの間にか小悪に関わることになった5人は、偶然、同じ交通事故に遭遇することで大団円を迎える。トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭、「幸せはみな同じ顔をしているが、人の不幸はそれぞれに様々な顔をしている」を思わせる。

 この作品、宝島社の『このミステリが面白い2010版』で評価は13位、また同じ奥田の『オリンピックの身代金』が21位だが、最近の「このミス」は、本格派やハードボイルドに甘く、社会派に厳しいのでは?

三崎亜記『廃墟建築士』集英社

「町」に拘っていた地方公務員作家の三崎(『となり町戦争』『失われた町』)が、建物に目を向け始めたのは短編集『バスジャック』のなかの「二階扉」あたりか。今回の短編集では「建物」をめぐって4つのパラレルワールドを展開する。

 「七階闘争」は、犯罪の温床として社会的に構築された7階を撤去しようとする自治体ファシズムに抵抗する物語。「廃墟建築士」は、「人の不完全さを許容し、欠落を充たす廃墟」を「新築」する(しかも、偽装建築された廃墟もある)。「図書館」では、「本を統べる者」としての野生を蘇らす夜の図書館を調教する(「夜間動物園」のパロディか)。そして「蔵守」は、意識をもった蔵を略奪者から守ろうとする。

 F.カフカの城、U.エーコの修道院など異形の建物をめぐる物語は多いが、三崎はもっと日常的な町の建物を舞台に不思議な物語を構築する。なお、この作家の本は、いつも表紙に凝るが、今回は建築物語にふさわしく、パラフィンの方眼紙にコンパスや定規などが描かれている。

山田詠美『学問』新潮社

あの『僕は勉強ができない』の山田詠美が今度は『学問』である。おまけに表紙には、かつての岩波文庫にあったようなパラフィン紙がかかって、学問的な雰囲気を出している。
では、山田にとって「学問」とは何か。それは「自らの欲望を真摯に探求すること」であろう。冒頭の一文は「その得体の知れないものの愛弟子になるであろうことを予見したのは、仁美が、わずか七歳の時でした。」『風葬の教室』以来、「です・ます調」で書かれた物語の主人公の仁美は、7歳で性に目覚め、その「愛弟子」となる。

女性の性欲をテーマとした小説としては、最近では村山由佳『ダブルファンタジー』(文藝春秋社)などがあるが、村山の描き方がやたら告白口調で重苦しいのに対して、デビュー作から性を描き尽くしてきた山田の手にかかると、性との距離感が絶妙である。

しかも「欲望」は性欲だけではない。本書は、食欲・性欲・睡眠欲そして知識欲―この4つの欲望を体現する4人の少年少女の成長物語である。舞台は静岡の地方都市、時代は1970年代。しかも各章の冒頭には、その少年少女たちの死亡記事がおかれ、人生の終わりまで遠景として配されている凝りようである。

この作品の成り立ちについては、山田自身が『波』7月号での吉田修一との対談で語っている。それによると、本当はポルノを描きたいと思ったが、開高健の「食談は食欲のポルノである」という言葉に触発されて、性欲以外の欲望についてもポルノが書けるのでは、と思ったという。ヘーゲルも欲望とは他者への欲望に対する欲望だと言っているから、知識欲の対象も他者の知識欲であり、師弟関係は性愛関係に類似するという内田樹説(『「おじさん」的思考』晶文社)もある。

このうち、食欲は父親の病院を引き継いで長寿を全うした長嶺無量、性欲はやがて高校教師・随筆家になる香坂仁美、睡眠欲は夭折する坂本千穂、知識欲は故郷の大学の書誌学者となった山本心太が担当する。とくに心太と仁美の出会いとラストシーンがいい。7歳の仁美は家の裏山で「お漏らし」を初対面の心太に見られ、最後に心太の涙を目撃して終わる。
「朝日新聞」の7月の文芸時評で、斎藤美奈子は安易な性愛物語が流行るケータイ小説の時代に特異な「負の身体性が結ぶ男女の友情」の物語と評していた。



坂本博『信州安曇族こぼれ話』近代文芸社

6月半ばに父が体調を崩したので、ここのところ長野の生家へ行くことが多くなった。仙台を出て、東北新幹線を大宮で長野新幹線に乗り換えて行くと長野市までは2時間半で着くが、その後、在来線(篠ノ井線)で明科駅まで1時間以上、生家にはさらにバスで30分ほどかかる。バス待ちの間、明科駅前のスーパーマーケットの2階の小さな書店で購入したのが本書である。

著者は信州大学名誉教授で科学哲学を専門とされ、実は私の生家の近所に住んでおられるが、信州安曇野族の由来に関する著作はこれで3冊目である。まず1冊目の『信州安曇野族の謎を追う』では、ご自身の出身地・福岡の「オキュウト」とほとんど同じ「エゴ」という食べ物(海草から作る練り物)が北安曇郡で食べられていることを出発点に、安曇族が海洋民族であることを論証している。

それによると、継体天皇期(6世紀)に筑紫で起こったイワイの乱により、安曇族は九州を追われ、日本海を北上した。そして、交易関係にあった越後の糸魚川にたどり着き、そこから姫川を遡上して、今の北安曇郡に定住したのだという。私の子どもの頃から町の秋祭りには「船」と呼ばれる山車がでることなどから、安曇族海洋民族説は聞かされたものだが、改めてその論証に敬服したものだった。その後『信州安曇族の残骸を復元する』で、その後の探求をもとにこの仮説の一部を修正している。

今回の『信州安曇族こぼれ話』では、私が乗り降りする明科駅のそばの明科廃寺(川手寺)と善光寺との関連に始まり、明科の「科」が河岸段丘を意味し(「明科」は「赤土の河岸段丘」たる「赤科(階)」に由来する)、高瀬川・犀川河畔と千曲川河畔に多く見られる地名であること、そして「信濃」も賀茂真淵が言うように「科野」しなわち「河岸段丘の面」に由来し、信濃の枕詞である「みすず刈る」も「すず竹を刈る」に遡ることができる、という。

「科」といえば、大町地域を支配した仁科氏が有名であるが、その仁科氏の信州入りの理由と時期を前著までは通説に従って、大和の安倍氏が姫川流域のエミシ平定のために7世紀中ごろに安曇に定住したとしていたが、本書では衣川の戦いで破れた安倍貞任の末裔と、弥生時代からの「地生えの豪族」であった「古代仁科氏」と血統の入れ替えがあったと訂正している。それはちょうど、戦国時代に1代とはいえ、武田氏による血統替え(武田信玄によって仁科氏当主の盛政が切腹に追い込まれ、信玄の五男・盛信が仁科姓を継いだこと)と同じだという。
そして、仁科の由来は、借馬遺跡の検討から荷物の集積駅を意味する「荷科」であり、著者が仮に「古代仁科氏」と呼んだのは、姫川流域の交易路の警護にあたった「地生えの豪族」荷科一族であるとする。したがって、奈良時代末期に安曇族を滅ぼしたのは、この「荷科氏」であったと結論づけている。

歴史学者ではない著者の方法は、「実証」ではなく「論証」すなわちヘーゲルの言う「真理の整合説」にもとづく推論であることは、前著の最終章「見えないものを見る」で詳説されているが、本書でも随所で定説を疑う(これはデカルトの方法)という科学哲学者の態度が貫かれている。
以前にこの前著を先生より贈っていただいたときに、「安曇野族でずいぶん「寄り道」をしたので、本来の科学論の仕事に戻りたい」といった趣旨のお手紙であったかと思うが、先生はやはり安曇野族をめぐる「謎」からなかなか離れられないようである。

奥田英朗『オリンピックの身代金』角川書店

 口の悪い書評家の大森望・豊崎由美(『文学賞メッタ斬り!』PARCO出版:54)によれば、「直木賞は、賞を与えるタイミングを間違えている」というが、たしかに浅田次郎が『蒼穹の昴』の翌年の『鉄道員』、宮部みゆきが『火車』から5年後の『理由』、桐野夏生が『OUT』ではなく『柔らかな頬』で受賞、と事例は枚挙に暇はない。

 奥田英朗も『空中ブランコ』といったコメディ(変人精神科医・伊福部シリーズ)で第131回直木賞を受賞しているが、それ以前の社会派ミステリ『最悪』『邪魔』(これは第4回大藪春彦賞受賞)こそ、この人の本領ではないか。今回の『オリンピックの身代金』は、昭和39(1964)年の東京オリンピック前夜を舞台にした本格社会派ミステリである。

 昭和39年7月、オリンピックの工事現場で死んだ兄の死因に疑問を持った東京大学大学院生の嶋崎国男は、その死因を解明すべく、夏休みを利用して兄が働いていた飯場に潜入する。嶋崎兄弟は秋田の寒村の生まれ、兄は弟(大学院ではマルクス経済学を専攻)の学資や家の生活費を稼ぐための出稼ぎであった。

 やがて弟は灼熱の東京での過酷な労働のなかで、兄の死因がヒロポン中毒(長時間労働のためにしばしば使用された)による心臓麻痺であったことを突き止めるだけでなく、当時の建設工事の二重構造(大手-下請け-孫請け)のもとでの不当労働行為などを知る。そして、建設作業で知り合った男色家の発破請負業者からダイナマイトを手に入れ、スリの村田老人と画策して都内で連続爆発事件を起こしながら、オリンピックを人質に政府に身代金を要求する・・

 物語はまず警察とメディアの視点(すなわち爆破事件が起こった時点)で描かれた後、その事件を起こした島崎や村田の視点から、その事件に及ぶに至った経緯が遡及して語られる。そして、その時間差は物語の終盤になるほど短くなり、両者が一致したとき物語は大団円を迎える。さらに、警察は公安部と刑事部捜査一課の確執を抱え、メディアを代表する若手ディレクタはオリンピック警備責任者である父親との葛藤を抱えている。また、飯場には労働者のなけなしの賃金をイカサマ博打で巻き上げるヤクザ崩れや、ヒロポンの売人など、怪しげな人物が犇めいている。

 この物語のラスト、すなわち島崎に利用された何も知らない東京の娘・小林良子が、新調したワンピースで女友達と無邪気にバレーボールの試合を観にいくシーンは、カフカ『変身』のラストシーンを思わせる。どちらも悪夢のあとの「健全な」日常生活の描写であるからだ。

 昨年、秋葉原で無差別殺人を犯した容疑者は青森出身の派遣労働者であったことから、昭和43(1968)年、やはり青森出身の集団就職者・永山則夫の連続殺人事件との異同が取沙汰された(大澤真幸編『アキハバラ発』岩波書店ほか)が、本書もまた、3K労働の非正規化が進む日本でまた東京オリンピックの招致を目論む東京都庁への警告か。

 もしそうだとしたら、1964年の東京オリンピックがテロにも邪魔されず成功裏に終わった直後に、新幹線・高速道路も含む一連のオリンピック工事で事故死した人の人数を数え上げてから、当時すでに泥沼化していたベトナム戦の前線に潜入し、『輝ける闇』『夏の闇』など戦争を告発する作品を残した開高健の慧眼を、本書もまた継承していることになる。
  • ライブドアブログ