第5章 千田さんの人生

千田さんは聞けば何でも答えてくれた。そして聞けば聞くほど波瀾万丈な人生を送っている方だった。僕にとってそれはとてもエキサイティングで、話を聞くのに飽きることはなかった。

だからその話を今思い出しながらすべて書き出す。多少のズレ、大幅なズレはあることと思うが、流れとしてきっと間違っていないので、その認識を持って読み進めていただければ幸いである。ヒッチハイクの番外編としてここに記す。


①0ー27歳:広島に育ち、結婚・離婚、ハードワークの日々
②27ー30歳:スピード出世、新店舗立ち上げ、飲み屋で働き尽くした3年間

③30-31歳:飲み屋の男女は結ばれない、大工職人に復帰した屋久島での1年間

④31-32歳:ヒッピーの集落で1泊100円?!で暮らした1年間

⑤32-33歳(壱):バイクとテントで九州を旅する1ヶ月、阿蘇山付近の農場に住み込む半年間

⑥32-33歳(弐):阿蘇山付近の農場に住み込む半年間 

⑦33-40歳:飲み屋に復帰して熊本を拠点に活動する7年間

⑧40ー43歳:不労所得をこの手に、FX、派遣社員、地域役員の3つの収入を 得た3年間

⑨43ー現在:飲み屋のツテを辿り、熊本の企業に勤める現在まで

(参照:ヒッチハイク 1日目 2日目① 2日目②

 

①0-27歳:広島に育ち、結婚・離婚、ハードワークの日々

生まれは東京の町田である。物心ついた2・3歳の時には、広島県の尾道に移り、以来27歳になるまでそこに居住する。

今では全国区になり有名な尾道ラーメンには特別の思い入れがあり、ブームにのって出来たような新店舗は絶対に認めないという頑固っぷりを見せていた。


千田さん(海老名SAから刈谷SAに送ってくれた1人目のドライバー)が奥手なのにもかかわらず3人と付き合ったことがあることを話すと、「俺がその頃には100人とは関係を持ったなガハハ」と豪語していた。23歳まで童貞だった僕としては、その話がマンガではなく実話だったものだから驚きを隠せなかった。もちろん23歳まで童貞だったなんてことはカミングアウトはしていない。

広島のナンパスポットをいくつも紹介してくれ、どのようにして誘ったか、例えば自分の高校ではない他の高校まで連れと一緒に車で行き、帰宅途中の女子高生を乗せてあげる方法などを教えてくれた。

さすがに事細かに書くことではない気がしてきたので、聞きたい方は直接お伝えします。


21歳の時に結婚し、27歳で離婚する。相手は中学生の頃からの知り合いだったそう。もともと高卒で大工職人になり、離婚の時まで大工を続けていた。大工職人の日当は2万円だった。

それにもかかわらず、実際は大工だけで生計を立てる生活ではなかった。結婚して、子どもを授かると元奥さんが「お金がない、お金がない」としきりに言い始めたため、複業をこなすことになる。

早朝3:00に起きて新聞配達をし、昼間は大工仕事をし、夜はロッテリヤで深夜まで働いていた。

仕事をすることが大好きで、ほとんど寝なかったが身体は至って健康だったそうだ。すごい…。


しかし、早朝出て深夜帰宅する生活をすると家族との生活リズムにズレが生じ始め、まず寝床を別にするようになった。物音を立てて起すのも申し訳ないし、気を使って動くのも面倒だったからだ。

このことがまさに離婚の始まりだった、と振り返られていた。


そして働き詰めだった千田さんは家族と会話するタイミングを失い、子どもが父親のことをほとんど知らない家庭に変わり果て、奥さんに離婚を切り出されたそうだ。


慰謝料は一切いらないから、今後一生子どもに会わないという離婚の条件だった。千田さんの子どもは2人居て、無事に生きているのならば現在24歳の男性と22歳の女性だそうだ。

20歳になったら子どもの意思で会うことは出来ないのだろうか、と聞いてみると、千田さん自身は期待はしているものの、今のところ連絡はないそうだ。

元奥さんが千田さんが死んだと教育しているかもしれないし、それはわからない、と父親としての寂しい目を、千田さんに初めて見た。ガハハはなかった。

20歳までには100人と関係を持った千田さんでも結婚してからは浮気を1回もしなかったそうだ。というか、する時間も一切なかったことだろう。


離婚を機に、故郷の広島にいることが嫌になったため、拠点を移すために転職し、飲み屋(夜の世界)で働くことになる。


②27-30歳:スピード出世、新店舗立ち上げ、飲み屋で働き尽くした3年間

飲み屋とは現代で言うキャバクラ、ショーパブ、ストリップ小屋みたいなものの総称である。

拠点自体は広島にある会社だったそうだが、早速千田さんは鹿児島に居を移すことになる。

そして3つの仕事をこなしていた時のようにしゃかりきになって働いていると、異例のスピードで出世することとなり、1年で幹部にまで昇進することになった。

ご自身が振り返るに、自分は仕事はできる人間だそうだ。要領がいいらしい。今までの人生の僕とは正反対かな。


そして幹部まで昇進すると札幌に新店舗を作るための責任者として派遣される。

0からの店舗立ち上げをここで経験する。働く女の子やボーイの求人を行い、スカウトを行い、給料体系を作り、ヤクザとの場所代の交渉も行った。


経営を一手に引き受けた千田さんはその新店舗を無事開業、そして軌道に乗せることに成功した。

千田さん曰く、売上を上げる店舗に仕立て上げるためには、まずは身だしなみを整えることから始めるのがいいそうだ。そこに関しては譲れないほど厳しくした。

あとは当たり前のことを当たり前に出来るようにしっかり教育することに時間を割けば自ずと売上は上がっていくそうだ。


新店舗の立ち上げという実績を手に鹿児島のキャバクラに異動し、責任者として以来過ごすこととなる。


ヤクザとの揉め事も絶えなかったのではないか、という質問に対しては、たまにあったくらいだったそうだ。自分の店の中でヤクザ同士の抗争が始まることもあったそうで、基本的には自分の手で止められるものなら警察を呼ばずに自分で抗争を沈めたそうだ。

千田さん自身もケンカっ早い気質で、身体を張ることに恐れはなく、むしろ進んで前に出てしまう質らしい。


[!閲覧注意!]1番酷かったエピソードはなにか聞くと、あるヤクザが酔っ払って(といってもヤクザ・暴力団関係者の店内への出入りは一切禁止である、一応)他のグループのヤクザとケンカが始まった。怒った片方が店の包丁を持って振り回し始めた。店の包丁で殺傷事件に発展するとなると、店にも責任が発生して迷惑なことになると考えた千田さんは、暴れるヤクザを止めるために迷うことなくまっすぐ向かった。その時自分の腕に包丁がグサッとささり、すごく血が出たんだよガハハ、と愉快に話されていた。恐るべし千田さん…。


ちょうどこの頃バブルだったらしく、手取りは月に50万から100万を超えていたそうだ。

大晦日のエピソードを教えてもらった。

大晦日は責任者の裁量で開店するかしないかを選択できた。開店する際には会社に手数料として10万円を支払う必要がある。

大晦日には料金を通常の倍に設定し、1時間飲み放題、女の子の接客がついて5,000円を10,000円に引き上げた。それでもお客は来るし、働く女の子も12、13人は集まった。

結局1日で100万円の売上を達成することは容易で、半分の50万円を女の子に、10万円を会社に、店自体をボーイと千田さんの2人で回したため、ボーイには日当で3万円、残りの37万円がすべて千田さんのもとに入ってきたそうだ。実においしい。

しかしこの日の手取りはもともとないものだと捉えていたため、新年の宴の際に全て1日で使ってしまっていたそうだ。


ここまで稼ぎのある仕事をする人は散財するのが一般的だと思われるが、千田さんはあまり散財をすることなかったため、着々と預金残高が増えていったそうだ。


そして夜の世界で華々しく働くことに飽き始め、もっと静かに平々凡々と過ごしたいと考え始めるようになった。その時、当時の店のNo.1と関係が出来たため、2人揃って店を辞め、No.1の故郷屋久島に移り住むことになる。


③30-31歳:飲み屋の男女は結ばれない、大工職人に復帰した1年間

次回(その2)に続けます。



以下には道中のドライブ中立ち寄った宮島SA付近の風景を載せる。

→宮島SAの鳥居、海には浸かっていないようだ
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→紅葉もすこし始まっていた
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→その2
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→海の景色が見えるところまで行く道
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→その2
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→歩みを進めて見える景色は・・・絶景!
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